2016年5月20日金曜日

心の中の暗闇に女性性のふところの深さを!

Column 2016 No.36

 前回のコラムを読んで下さった方々から、お手紙で、お電話で、コラムへのコメントなど…で心温まるメッセージを頂きました。ご心配をおかけ致しました。お陰さまで、姪はかなり良い状態に向かっております。彼女のまわりの事情は何も解決はしておりませんが、私の心の平安は徐々に取り戻しております。今回の経験の中でのさまざまな葛藤を通して、私は深いところで沢山のことを感じそして学びました。  

 新約聖書の終わりの章のヨハネの予言書「黙示録」の中に、世界の終末を告げる箴言があります。1999年がその時ではないか…と世界の人々は騒ぎましたが、実は何事もなく終わりました。聖書のこの章の理解は、私にとってはとても難解ですが、ひとつ心に残っているのは、“光(神)と闇(サタン)の戦い”が地球上に起こるであろうことを予言している、つまりハルマゲドンの戦いを述べている最終章です。

 フランクルは「人間は誰しも心の中に“アウシュビッツ”(闇)をもっている(コラムNo35)」と言いましたが、一方、孟子は「人間は誰しも生まれながらに“光”を携えてきている…」と“性善説”を唱えていることも有名です。 “光”とは、真・善・美・愛・赦し・希望・無限…等を表し、“闇”とは、虚偽・不善・怒り・憎悪・絶望・有限…等を表している…と私は理解しています。

 このように見ていくと、人間一人ひとり、誰の上にも“光”と“闇”の双方の性質が厳然と存在している……。自分をしっかり感じて生きている人であれば、おそらくそのことに、はっきりと気付かれていることでしょう。それが人間を生きているということであり、双方(光と闇)の感情の中で葛藤しながら、自分を見つめ理解し、成長してきた今の私たちがあるのではないでしょうか。

幸いなるかな。心の貧しき者よ。天国は汝のものなり
マタイの福音書

 聖書の中のこの一節は、今の私にはしみじみと伝わってきます。今回の体験を通して、心の貧しさ(自分の中のカオス・闇)を、哀しみと共に感じ切った私は、天国…はまだよくわかりませんが、本気で“光”を求め始めたからです。実は、暗闇が私の心の進化に大きく寄与してくれたのです。暗闇に出逢ったからこそ、小さな光の存在がはっきり視点に入り、必死でそれに向かっている自分がありました…。黒闇の中の一点の灯は一隅をはっきりと照らします。しかしわずか一点の灯でも、闇は決してそれを封じることはできない。闇は決して怖い存在ではないことも解ったのです。

 しかし、簡単ではありません。私の潜在意識の中には、まだずっしりとカオス(闇)が横たわっており、簡単には光に位置を譲ってはくれません。光の中にいると思っていても、ふっと不安と恐怖と疑念が三つどもえで襲ってくる…。自分の中で“光とカオス(闇)”が絶えずせめぎあいをしている現実がはっきり見えるのです。そうです!実は、私の中で“ハルマゲドンの戦い”は無意識層で、すでに起きていたのです。

 今、現実世界を見渡してみた時、核の問題、深刻な不況、人種差別、収拾もつきそうにない国内外の小競り合い、テロ、戦争…。今、地球上に起ってしまっている諸現象に対して、対策を講じてどんなに苦心惨憺しても、多くは力及ばず、状況は悪化の一途を辿っているかに見えます。しかし今人類は、その暗闇を経験しているからこそ、光の存在に憧れ、明るい世界を望み、地球上の深刻な事態に危機を覚え、何とかしなければという気持ちが人々の中で勢いとなってきています。

 そして深刻な真の原因は、実はそれら起こっている現象にあるのではなく、人類一人ひとりのネガティブな想念が反映したものであって、それら想念が“集合意識(コラムNo24)となって、私たちの大切な地球を、深刻な状態に追い込んでいるのではないか…ということは考えられないでしょうか。そんな視点で現実を見つめていくと、その責任は各国々にあるけれど、つまりは、その各国々の一員である私たち“人類一人ひとりの責任”である…ということにもなるでしょう。

 そして私たち人類、一人ひとりの想念・意識が地球と人類の幸・不幸を決めていく(コラムNo19)のだとしたら、人類一人ひとりの中に既に起こっている“光と闇の戦い”が、一人ひとりの中で、少しでも収束していけば、地球世界の深刻な事態・現象もやがては、収束に向かっていくのではないか…そんな予感がしてならないのです。その為にはまず、私たち一人ひとりが心の平安を得ることこそが、鍵ではないか…と。

 私は姪の病気のことで、先々どうなるんだろう…と心をかき乱したけれど、問題は姪のハプニングにあるのではなく、それをどう捉え、感じている今の自分なのか…だけが、私とそしてこれからの世界の、未来を決めていくのだと心底、解ったのです。それが理解できたとき、わたしは“今このひととき”を、自分の中のひかり(愛・希望・無限…)で満たしていきたいと、本気で願い始めました。

 母親はどんなに困った子どもであっても、心からの慈しみをもって育てます。そして困った子供ほど、親を育ててくれます。同様に、暗闇の存在(ネガティブな感情)も人類の成長に大きく寄与してくれたのです。だから暗闇を葬り去るのではなく、しかし自分の想いと目線は、決して光から逸らさないで、母親のような慈しみをもって暗闇を見つめ、感じて、感謝して、“もう、行っていいのよ…”と見送れば、暗闇は、自分の方から納得して、光に位置を譲ってくれる…。僅かながらそんな体験をしている今日この頃です。

 人類一人ひとりが、暗闇と折り合いをつけながら、毅然と“光の選択”をしていく…。その結果、光を携えた人々が大きく一隅を照らしはじめ、その光の一隅と別の光の一隅が力強く繋がっていき、人類はやがてクリテイカルポイント(100匹目の猿現象)を迎え、そのときこそ地球人類は、即座に“光に変換”されていくことでしょう。ここにも女性性のふところの深さが大いに待たれ、期待されるところです。

 これは、かなり現実感を伴なった、私の中の“夢物語”です


*次回のコラムは6月20日前後の予定です