2016年7月20日水曜日

小さな晴れ間を楽しんで

Column 2016 No.38

 しとしとと降っていた雨が止むと、ちょっぴり青空が出て、一瞬太陽が地上を明るく照らします。梅雨時期のこのひとときの“小さな晴れ間”に気持ちを注ぐと、心の中が光で満たされます。ああいいな…と楽しんでいると、またあっという間に雲がかかり、暫くすると雨になりました。

 私たちの心も、晴れたり曇ったり、雨だったり、大変な荒れ模様だったり…晴天のひとときばかりではありません。私自身も気持ちが曇り模様だったり、荒天候のひとときが必ずあります。そんな時は何だか力が湧かず、一点を見つめてぼんやりしてたり、ソファに寝っ転がったりしています。しかしお天気と同じで、気持ちも必ず回復するんですねえ。

 私が以前と違うところは、その気持ちの回復に気付ける感度がとてもよくなったということでしょうか。以前の私だったら、心模様は晴れている筈なのに、雨模様を引きずって、無意識にその感情に浸ってしまい、一日中をどんよりの曇り空…にしてしまうわけです。小さな晴れ間に気付ける感度が冴えてきたのは、瞬間瞬間の感情を掴めるようになったこと、気持ちの仕切り直し(コラムNo26)が出来るようになったこと…がその変化を生んできたと思います。

 さて、親業のプログラムには“すべきことよりやりたいことを!”という投げかけがよくあります。“あなたに何の制限もないとしたら…”

  あなたが本当にやりたいことは何ですか
  あなたは何が欲しいのですか  
  あなたの人生であなたはどう生きたいのですか…等々

 受講者のかたは、初めは私もそうであったように、多くは戸惑ってしまいます。「…家族のために主人は朝から晩まで働いているのに、妻の私がやりたいことをやるなんていいのでしょうか…」と質問がくることもあります。 “楽しむことや、やりたいと思うことをやる”ということに対して、私たちはどうしてこんなにも罪悪感が染みついているのでしょうか…。それはおそらく幼い頃から忍耐・勤勉は美徳。努力こそ人間として美しいこと…。遊びは不謹慎…。どこかでそう学んで大きくなったからでしょう。

 “継続は力なり”やはり地道な努力・忍耐・勤勉は実を結びます。確かに道を極めた人々は、忍耐・努力あっての結果だと思います。史上最高年齢(80歳)でエベレスト登頂を果たした三浦雄一郎さんを例に挙げても、壮絶な忍耐・努力の結果の登頂成功でしょう。しかし彼の「ワクワクの感動があるから僕は山に登るのです…」「あきらめない!一歩ずつ…」のフレーズから垣間見えてくるのは、人生を楽しみ、やりたいことをやり、自分の夢を決してあきらめない人達の生きざまの中には、努力・忍耐に悲壮感がありません。

 さて、“楽しみましょう”という投げかけに対して「子どもが小学校に上がれば時間ができるので…」「次男が大学を卒業すればお金が少し楽になるので…」と、楽しむには大きな晴れ間(時間・お金)がいる…と信じている人たちからよく聞く言葉です。しかしその時が来たからと言って、実は大きな晴れ間が来るとは限りません。何故なら“楽しんでいいのだ”という気もちを自分に許していない人は、その時が来ても、また新しい課題を見つけて、やっぱり楽しむことを先送りにしてしまうからです。

 「もしあなたの余命が、あと一年と宣告されたら何をしたいですか?」と続いて質問すると、楽しむことを先送りするタイプの人は「家を掃除しておきたいです」(笑)…と! 何だかどこまでも夢がないのです…。家は日頃から綺麗にしておきましょう…とつい言ってしまいます(笑)

 しかし、人生を楽しんでいる、ある受講者の宿題の中にはこう書いてありました。「…自分が余命一年の命と宣告されたら…“絵を描きたい”と思いました。そんな気持ちで運転していたら、空や雲が泣きたくなるくらい綺麗で、この世の中にある、当たり前のようなあらゆるものが、とても愛おしく思えました。桜を見ても来年はもう見れないかもしれない…と思うと、今のこの瞬間瞬間を大事にしたいと想えてくる…そんな不思議な気持ちになりました…」と。

 そうです!来年のことは誰にも分らないのです。今だけが現実です。大きな晴れ間を待つ場合ではありません。今のこのひとときの“小さな晴れ間”に気付いて、自分に“…いま何がしたいの?”“何が食べたいの?”“どこに行きたいの?”“何を言いたいの?”“誰と話したいの?”と問いかけてあげましょう。あなたの体からそしてあなたのハートから、必ず答えが来ます。その答えで瞬間をわくわくと生きてみるのです。それを積み重ねることで、私たちは生きる達人になっていくでしょう。つまり生きる実感と喜びの人生が味わえ、生きる本当の意味が見えてくるでしょう。

 “正しい・正しくない”“いい・悪い”“常識・非常識”…等々の価値判断をすべて外して…。行きたいところに行ってみる。見たいものを見てみる。会いたい人に会ってみる。食べたいものを食べてみる。着たいものを着てみる…これまでの人生でやり損ねたことを果敢にやってみる…などなど。

 私の一日の始まりは、たいてい「何が飲みたい?」から始まります。休日のある日、お茶をゆったりと楽しんでいたら、急に“海が見たいなあ”という気もちになってきた。どうしたい?…と、もう一度自分に聞いてみたら“思い切って行ってみようよ”と答えが来た。すぐにお化粧を始めて、服を着替えて、食べたいおやつをバックに詰め込んで、特別身軽にして出かけたものです。私は海が大好きで、呉市の辺りで仕事があるときは、今でも帰りはJRを途中下車してよく海を眺めます。海を見ていると無性に心が喜ぶのです。

 ずっと以前、“私にとって心が喜ぶことって何だろう”と模索し始めた頃、何の脈絡もなく“メリーゴーランドに乗りたいなあ!”と思った。思ったが吉日! 休日とか仕事の後に、どこそこにあるよ…という情報があると、果敢にそれを訪ねて行ったものです。あの頃はデパートの屋上にもありましたよ! ハウステンボスや、岡山のチボリ(現在閉園)にも何度か行きました。ひたすら“メリーゴーランド”目的にです! 大人になってメリーゴーランドに乗りたいと思う人はまずありませんので、行くのはいつも一人…です(笑)

 でも夢がかなって本当に幸せでした。しかし、いざそれに乗るときには、結構勇気がいる! 子どもか孫(まだいません)が一緒だと言い訳けも立つけれど大きな大人が一人で乗るんですから。それに、私ひとりのために稼働してもらうこともあるわけですよ(ハハハ)。今もそれへの憧憬はありますが、もういいかな…という感じです。満たされたのです。

 誰に笑われてもいいのです。本当にやりたいことを、一切の価値判断をやめて、ひとつひとつ丁寧に満たしていくうちに、私の中の、幼いひとりぼっちの寂しがっていた私、気付いて欲しがっていた私、もっと遊びたかった私…が、どんどん癒されていきました。そんなある日のできごとです! それまで胸の左奥あたりに何となく感じていた小さな空洞が、突然熱くなってパッと何か埋まった感覚があったのです! それは今考えても不思議な感覚で奇跡のひとつでした。それから再び空洞を感じないのです。私は癒されていたのです。

 このように無意識ですが、人は自分の中で情報量が足りないものを満たそうとする傾向があるようです。だから価値判断を一切やめて、心が求めることを正直に求め、果敢に満たしていくことを許してあげてください。一日一日を納得しつつ人生の旅を続けていたら、自分に必要なすべての情報がやがて満たされ、人は自然に「自己実現の欲求」へと辿り着くのではないでしょうか。

    “人生なぜ楽しむことに意味がある”のでしょうか。
    私なりに感じてきたことをまとめてみたいと思います。

  • 心が喜ぶこと、得意なこと、あなたの心が動くところは、あなたの使命(人生の答え)に繋がっていることが多い
  • 心が喜ぶことをやることは、自分への最高の愛だから、自分自身への受容度が高まり、自尊心・自己価値感が増してくる
  • 自己受容度に比例して他者への受容度が高まる
  • 心が喜ぶことをやることは、自分への真の癒しに繋がる。機嫌のいい父親・母親になり、子育てが楽で、楽しいものとなる
  • 人生万般のストレスに強くなる
  • やりたいことをやっていくことで、動かなかったエネルギーが動き始める。その結果、健康になり、人生が面白くなり、生きている実感が持てるようになる。
  • 真の欲求を納得して積み上げていくことで、自分にとって必要な情報が満たされ、マズローの言う「欲求段階」(コラムNo15)が次々とクリアされ高度の欲求(達成の欲求・自己実現の欲求)へと自然に向かっていく

人生には速度を上げるよりも大切なことがある
マハトマ・ガンジー

自分の心と直観を信じる勇気をもちなさい。あなたはすでに本当に
なりたいものを知っているのだから。それ以外は二の次だ
スティーブ・ジョブズ


*次回のコラムは8月20日前後の予定です