2019年2月20日水曜日

病気は「治す」ものではなく「治る」ものだと考えています

病気は「治す」ものではなく「治る」ものだと考えています
ウルリッヒ
Column 2019 No.69

 先般、大きな仕事が終わった翌日、私の唯一の持病である「不整脈」が久々に起こりました。そんなに頻繁には起らないので、助かっていますが、いったん起ると長時間続き、普通の歩みであっても30メートルさえ、正常には歩けません。しかし、身体というのはとても不思議なもので、仕事がある日は、全くと言っていいくらい起らず、ほっと一息ついたときなどに多くは起るのです。

 テーマにあげた、医師であるウルリッヒのフレーズに、私はとても心惹かれました。実はこのフレーズには続きがあります。「…波動が調整されて、心身の生命力が高まれば、自然に治るのが病気です…」…と。 「不整脈」を病気とまで言わないまでも、私にとっては辛い症状です。ウルリッヒのフレーズは抽象的ですが、“きっとそうだろうな!”と、妙に感性で納得したのでした。ナイチンゲールも「病気は自然の修復過程…」と言っているのは有名です。

 不整脈に見舞われたその日、その症状と共にいながら、“これはどこから来たのだろう…”と、ふっと感じていました。多くの病気はストレスが原因…と言われるのが一応定説になっています。ではそのストレス…はどこから?…そのように気持ちを追いかけていたら、まざまざと私の生い立ちが脳裏に甦ってきたのです。

 いつかも母のことをコラムに取り上げましたが、あまり体が丈夫ではない母が、田舎の大家族に嫁ぎ、朝から晩まで休む暇もなく孤軍奮闘していました。朝は4時に起きて宵が過ぎるまで働いていました。料理上手で手抜きはしませんでしたし、私たちの衣服も多くは母の手作りのものでした。しかし彼女から出ている雰囲気は、いつも寂しげで哀しみそのものでした。私は幼い頃からその母をじっと見つめていたような気がします。その母は遂に病に倒れ、51歳で逝きましたが、今思い出しても、幸せそうな顔をあまり思い出すことができません。

 ストレスフルな母を見つめながら、私はわたしの幼い心に、日々ストレスを、たたみ続けていたのでしょう。あの場面もこの場面も、“母が可哀そう…”と、我がことのように、心を痛めていたなあ…と。母の哀しみが幼い私の哀しみとなっていたことが、突き上げるように思い出されてきたのです。そしてそれを黙って耐えてきた自分自身への愛おしさが、一気にこみあげてきて…しばらく子どものように泣きじゃくっていました。

 忘れたふりをして、許したふりをして、私はここまで多くの哀しみを抑圧してきたんだなあ…と。可哀想な母には言えなかったけれど、その頃、既に幼い心臓に異変を感じたこともあったな…ということも思い出したのです。長い月日をかけて、そのストレスに気づかないまま習性となってしまった観念・想念が潜在意識に固着してしまい、顕在意識では忘れていても、その固着した観念に微妙に足を引っ張られていたんだなあ…ということに、あらためて気づいたのでした。

 しかし、不整脈という症状を通して、いま私に来たこれらの気づきこそが、ウルリッヒの言う“波動が調整される…”チャンスであり、そのチャンス(気づき)を生かしていくことが、私のこれからの“心身の生命力を、高めていく”ことに繋がり、病が癒される方向に向かうのであろう…”と。 

自分の意識に無いものをあなたはコントロールすることは出来ないのです。
あなたが意識していないものに、あなたは躓(つまづ)いてしまうのです
タデウス・ゴラス

ゴラスが言うように、私は自分の今のストレス状態にも、またストレスが培われてきた原因にも充分に気づかず、躓いていたのでしょう。その日以来、私はちょっとしたストレス状態にも気付こうと思うようになりましたし、対処の仕方もかなり見えてきました。過去から今に繋がる想いの習性・生活習慣…にきちんと気づき、優しい目で見つめるようにもなりました。しかし真摯に対峙はするけれど、決して闘わない。辛かった感情を感じては、優しく掌に載せ「もういいよね…」とその都度、手放していく。そして、わたしの魂が喜ぶことをいっぱいやって、さらに気持ちを満たしていきたい…と。

同じ朝はめぐってきません。私は毎朝、
ドキドキしながらカーテンを開けています

このフレーズは、当時88歳の現役モデル、ダフネ・セルフが執筆した「人はいくつになっても美しい」からの引用です。“同じ朝はめぐってこない”…過去は過去! 今の正直な気持ちを感じ受け入れながら、そして解き放ちながら、私も新しい朝を、わくわくドキドキしながら迎えたいと思いました。

 一方、病を持ちながらも、病とうまく折り合いをつけながら、ユニークな視点で生きている人のメッセージにも魅せられます。

痛風・喘息、ほかに7つほどの病気にかかっているが、
それ以外はどこも故障はない
シドニー・スミス

 英国の文筆家である彼のこのユーモラスな感性に、心が広がっていくのを感じました。どんなに辛い状態の中でも、こんな視点を持てる人があるということに感動を覚えます

健康な人には病気になる心配があるが、
病人には回復するという楽しみがある
寺田寅彦

*次回のコラムは3月20日前後の予定です。

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