2021年9月20日月曜日

まわりに起き湧く現象はすべてニュートラルである

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まわりに起き湧く現象はすべてニュートラルである
賢者のことば
Column 2021 No.100

 デール・カーネギーも同じことを言っています。

人生においてすべての事柄は、プラスでもマイナスでもなくニュートラル。
良くも悪くもなく「中立」です。
見方を変え思考の癖を変えれば、世界はもっと広がるはずだ

 “まわりに起き湧く現象はすべてニュートラル(中立)である”…というフレーズに初めて出逢ったとき、私は本当の意味がよく掴めませんでした。“良くも悪くもなくすべて中立”ということが理解できなかったのです。不正を働く人、暴言暴力で人を傷つける人、子育てにおける親の無関心・虐待…等々、どう考えてもその事象が中立…とは思えない。絶対に悪いこと!…と、思っていたのです。

 私の専門は一応子育て分野なので、子どもへの“虐待や放任”をテーマに、私の友人たちと感じていることを話し合ったことがあります。ある人は「信じられない。いけないことに決まっているでしょう!」…しばらく色々な考え方捉え方が交錯していましたが、徐々に、「子どもに無関心な親になってしまったのは、その親自身が自分の親に放っておかれたからだと思う」とか、「子どもを虐待している人を間接的に知っているけれど、虐待する人もひどい虐待を受けて育っているみたいよ」…と、色々な話題に広がっていきました。

 そのとき輪の中のDさんが「虐待なんて絶対いけないこと!…と決めつけていたけれど、その人の身になると、第三者がいい・悪いは決めつけられないよね…」と話し、仲間全員が「本当にそうだよね」と共感し合ったものです。

 こうした体験により私の中で「中立」という意味が徐々に明確になっていきました。親業の講座では、子どもの行動を価値判断しないで事実だけを見る…ということを大切にしています。例えば子どもが“玄関にランドセルを置いたまま、遊びに出掛けた”とします。「ランドセルが玄関に置いてある」という事実だけがそこにある…ということです。つまり、その状況はニュートラル(中立)で、意味など全くないのです。

 その行動をみて、お母さんAさんは「遊びに行ったのね。なんと元気で素敵な子!」と見ます。お母さんのBさんは「ランドセルはすぐに自分の部屋にもっていくべきよね!」と見ます。お母さんCさんは「宿題もしないで遊びに行くなんて!」と見ます。その人その人が持っている信念や観念で、その事実の行動に意味づけを与えただけなのです。

 私たちは誰でも生きる上での信念・観念を持っています。私はそれを“その人がもっている人生の定義”と表現しています。ある人が“人生は思うようにはならないものだ”という定義をもっているとします。その結果、本来「中立」に存在している筈の人生に“人生とは思うようにならないもの”という定義が起動し、無意識に難しいものごとを引き寄せていくのです。

あなたは世界に与えたものを受けとるのです
ポール・フェリーニ

 私たちが“人生の創造者”と言われる所以です。自分の人生や世界に与えた観念・定義の結果を、私たちは受け取っているのです。もし今、あなたの人生が、自分にとって満足いくものでないとしたら、あなたが与えているあなたの人生への定義に気づき、洗い直してみる価値があります。それではその観念・定義を手放したいと思った時どうしたらいいのでしょう。

観念のパワーをなくすために特別なことをする必要はないのです。
自分が持っている観念に気づくやいなや
その観念は力をなくして中立・ニュートラルなものになるのです。
ただそれに気づきさえすればいいのです。
賢者のことば

 私の経験でも、例えば“この観念は要らない!消えていって!”というふうに接すると、信念・観念はとても手強く、執着して居座ろうとしますが、“私は自分の人生に与えている定義に気づいたわ!気づかせてくれて有難う”と、ゆったりその中にいると、いつの間にかその観念が静かに去っていくのを感じます。…というよりも、おそらく去ったのではなく“気づいたのだから、消えていってもいかなくてもOK…”といった、無意識にニュートラルな位置に立ち、それに圧倒されなくなった状態と言えるでしょう。

愛はいつでもいかなる二極性をも超越する。
愛は決してどちらにも与(くみ)しない
ポール・フェリーニ

 “合っている・合っていない”“正しい・正しくない”“ポジテイブがいい・ネガテイブは悪い”…等々、いわゆる二極性の捉え方も、私たちの先入観や思い込みから来ています。自分の見方のバイアスを認識し、ゆったりと双方の存在を赦して見ていると、自然にニュートラルな位置に立っていることに気づきます。

“頑張れ!”という優しさも“
頑張らなくていいんだよ”という優しさも、
私は両方を学んだ
小林 麻央

 小林さんに助言したAさんは“人生頑張れば結果が出るよ…”という定義を持ち、Bさんは“人生頑張らなくても何とかなるものよ…”といった定義を持った人なのでしょう。小林さんはどちらが正解?…という見方ではなく、どちらからも学んだ…という、ニュートラルな“立ち位置”に立っていることが解ります。

*次回のコラムは10月20日前後の予定です。

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