2015年11月20日金曜日

置かれた場所で咲きなさい

Column 2015 No.30

置かれた場所で咲きなさい
                   - 渡辺和子 -

 渡辺シスターのもとで薫陶を受けた私の従妹から“今晩のテレビにシスターが出演されるから観て下さい”とメールが入り、久々にお話を聴く機会を得ました。すでに88歳というご高齢で、お身体もひと回り小さくなられていましたが、一言一言に年輪の深さと味わいが感じられ、しっとりと私の心に届いたのでした。

 シスターが大切にされているこの冒頭のメッセージは、修道院という環境の中でご自身が、自信を失い先が見えない渦中におられたとき、一人の宣教師から手渡されたという短い英文の詩の一節で、その詩が“置かれたところで咲きなさい…”で始まっていたといいます。

 確かに花々は、おかれた場所で静かに無心に、ただ自分の花を咲かせています。ある花は堂々と、ある花は楚々として…。寒さに震える日もあるでしょう。日照りに耐えねばならない日もあるでしょう。そして季節が終わったら、いさぎよく花びらを落とし、種子を残して命を繋いでいく。

 道ばたに咲いている私はダメとか、薔薇のような華やかさがない私はダメと言って意気消沈している花は見たことがありません。誰も水をくれないと癇癪を起している花々(笑)…を見たことはありません。厳しい自然の中にも、自分の花を精一杯輝かせて、ただ咲いています。その凛とした花たちの生きざまに、いつも私はほれぼれとします。

 勿論人間は、また花とは違うそれは尊い存在です。自分の意思をもち、生きたい人生を選択し、それがうまく起動しなければそれを変えていく意志さえあれば、変えることも可能です。しかも一人ひとりが違った花の輝きをもっています。人間に生まれた幸せを心から感謝したい気持ちです。

 親業のある講座の中に「あなたを花にたとえると…」というワークがあります。グループで順番に一人ひとりに花の名前を付けていくのです。その人をじっと感じていると、ある花のイメージがはっきり浮かんでくると多くの人は言います。興味深いことですが、一人の人にグループから同じ花の名前が挙げられるということはよくあることです。その人が持っている花(華)を人は感じとっているんですね。

 薔薇のような華やかさをもっている人、すみれのような可憐さを奏でている人、ひまわりの花に感じる太陽のような輝きを感じさせる人、百合のような凛とした雰囲気の漂っている人。私たちはみんなみんな花(華)の輝きをもって生まれてきているんだなあと心打たれます。

 しかし世の中には自分の花の輝きに気づかず、あの花ならいいのにこの花ならいいのに…と他の花を羨み、今ある環境を不満に思い、この環境のせいで咲けない…と自分の居場所を求めて、彷徨ったまま一生を終わる人もいます。そんな時、置かれた場所で凛として咲く花々を見習いたいと思う瞬間です。


 渡辺シスターの言葉です 

「…生きていく上には、こんな筈じゃあなかったと思うことが次々に出てきます。そんな時にも、その状況の中で“咲く”努力をしてほしいのです。…どうしても咲けない時もあります。雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくていい。その代わりに根を下へ下へと降ろして根を張るのです。次に咲く花がより大きく、美しいものとなるために…」


 ある青年と出逢った頃、彼はうつ状態にありました「…僕は小さい時から一人でいるのが好きで、本を読んだり模型を作って遊ぶのが楽しくて夢中でした。でも親の理想は違いました。友達がいっぱいいて、勉強ができて、スポーツも得意で…と。親の理想に合わないぼくを見て、親はいつも溜息をついていました…」

 もし、その青年の育ちのプロセスに、心が喜ぶことをやり続けられる環境があり、自分自身の持ち味を生かしていける環境がそこにあったら、必ずやいつか、その青年なりの花を堂々と咲かせていけたでしょう。しかし早咲きの花もあれば、遅咲きの花もあります。実はそれが個性なのです。“自分の持ち味・自分のペースを大切にしてゆっくりゆっくり成長していいのだよ…”と子どもにも、そして自分にも伝えてあげたいものですね。


 松下幸之助氏の言葉です

「…自分には自分に与えられた道がある。天与の尊い道がある。どんな道かは知らないが、他の人には歩めない自分だけしか歩めない道。広い時もあり狭い時もある。登りもあれば下りもある。坦々としたときもあれば、かきわけかきわけ汗することもあろう。…いま立っているこの道。とにかくこの道を休まずに歩くことである。…他人の道に心を奪われ、思案にくれて立ちすくんでいても 道は開けない。道を開くためには歩くのだ。自分の道を。心を定めて。それがたとえ遠い道に思えても、必ず新たな道が開けてくる。深い喜びも生まれてくる‥‥」


 私たちの時間は限られています。他人の人生(花)に心を奪われて無駄に過ごす時間はありません。自分の置かれた場所で、自分の花をどのように咲かせていくのか。蕾のままで諦めるのか、せいいっぱい咲かせていくのかは、すべて私たち次第です。

小さきは小さきままに 折れたるは折れたるままに 
コスモスの花咲く
曻地三郎

ありのままの姿で、決して諦めず、置かれた場所で無心に咲き切らんとするコスモスの健気な生きざまに学ばせてもらいます。

最高の人というは この世の生を精いっぱい
力いっぱい生きた人
坂村真民


*次回のコラムは12月20日前後の予定です。