2017年10月20日金曜日

父親になるのは簡単だが、父親たることはなかなか難しい(その1)

父親になるのは簡単だが、父親たることはなかなか難しい
ヴィルヘルム・ブッシュ
Column 2017 No.53

 「マックスとモーリッツ」の作品で有名なドイツの諷刺画家のフレーズです。確かに彼が言う、親になるのは簡単でも、子どもにとっての父親になるのは意外に大変なのかもしれませんね。大方の父親は、日中は会社務め、帰宅も子供が寝入ってから…ということもよくあることです。朝出掛けていく父親に対して幼い子どもが「お父さん、また来てね…」と言ったという笑えない実話もあります。

 家族や子どもを養うために身を粉にして働く父親にとって、家庭とは何か、子どもとは何か…が問われます。子どもが思春期ともなると、父親が帰宅するや否や蜘蛛の子を散らすようにそれぞれが自分の部屋に逃げていく…。そこで寂しい食事を終えたあと、父親はひとりで、ぼ~とTVを相手にあとは寝るだけ…。「家の中にも私の居場所はないのです…」と、寂しい心の内を吐露される場面によく遭遇します。

 母親には母親の言い分があって、家事・出産・子育ては勿論、学校関係、夫の両親、親類縁者、近所の人々との付き合い…等々で、いっぱいいっぱいになった時“私の心の危機に夫は気づいてくれなかった…”“私の苦しい心の叫びに適切に対処してくれなかった…”その夫への恨み言い分は、並大抵ではありません。特に近年は母親も仕事を持っている…という事情があります。その上、家事も子育ても手を抜くことは出来ません。それだけに妻の言い分は理解できます。

 しかし夫には夫の、言うに言われぬ事情が山ほどある。しかし、それを言葉にして返すと、必ずと言っていいくらいに、妻との修羅場になる。よって夫は、自分の思いの多くを飲み込んでしまって、それが又妻の苛々を益々増長させてしまう結果になる。精神的に追い込まれた夫は、帰りが徐々に遅くなったり、家では貝のように無口になったり、やがて酒にギャンブルにと自分の苦しみを紛らわせる羽目に陥ることもある。それを、妻からは「どうしようもない人!…」と片付けられ、それが離婚話に繋がっていくことも…。

 夫側の言い分や苦しみを聴くと、妻の苦しみに負けないくらい重いものを感じます。しかし母親は日々子供に係わり、ある面、子どもと共に悪戦苦闘していますので、子どもとの関係が密に保たれているという強みがあります。よって両親の言い争いになると、大抵子どもは母親側につく…。思春期に差し掛かった子供に苦言を呈すれば、「今さら父親ぶった顔をすんなよ!俺のことなんか、な~んにもわかってねえだろ!…」とくる。そうかと言って子どもに迎合した態度をとると「俺の言いなりになる父親なんて要らねえよ!」…父親の苦しみと哀しみ・孤独感・戸惑い…が、切なく伝わってきます。

 今回のコラムは、長年携わってきた“親業”そして“カウンセリング”を通して、“父親”という観点から、私が感じてきたこと、大切に思っていることを、少し書いてみたいと思います。

Ⅰ. どんな形であれ、父親もしっかりと子どもに係わっていく

 お茶の水女子大の牧野カツコ名誉教授は、“母親の育児不安”をテーマに研究した結果「…育児不安の少ない母親の特徴の一つとして、母親が“父親が子育てに参加している”と感じている…」ということを挙げています。確かにどんな形であれ、夫が妻の“子育て”という同じ方向に向いて協力してくれることは、孤軍奮闘してきた妻にとってどんなに心強いことでしょう。

 そして「…父親の育児参加は、母親の精神状態にいいというばかりではなく、父親自身のパーソナリティーを豊かに育てていく…という利点にも繋がる」ということを述べています。つまり子育てにかかわることで、父親の視野が広がったり、忍耐強くなったり、豊かな感性・柔軟性が育まれるというわけです。子どもに如何に係わったか…で子どもとの繋がりは違ってきますし、その上、父親がひとりの人間として、子どもに係わることで、豊かな人生に繋がるとしたら、父親の育児参加は、父親自身にとって深い意味が感じられます。

 私の父のことを思い出しました。“男、厨房に入らず”と言われる時代でした。父親の役割・母親の役割…と、はっきり分けられていた時代でした。男はどんなことがあれ、決して弱音を吐いてはいけない時代でした。しかしそんな環境の中でも私の父は、結構“子育て参加”をしていたなあ…と、ふと思い出したのです。男っぽい大胆な遊び方ですが、よく遊んでくれていました。でも短気で自我の強い父だったので、私をはじめ私の兄弟はみんな、父がけっこう苦手でした。でもどこか魅力的な父だったので、みんな父のことを嫌いではなかったのです。

 忘れられない父との思い出があります。小学校2~3年生頃だったと記憶しています。夏のある夜、近所の人達が「火の玉だあ~!」(火の玉とは“人魂”とも言い、死者の肉体から抜け出て、火の玉となって空中を飛ぶ…という伝説がある)その大騒ぎに、私と父は家から飛び出していきました。丁度、うち所有の山林辺りに、確かに火の玉らしきものが大きく浮遊しているのです! 父は傍にいた私に「亮子!長靴に履きかえてお父さんについてこい!」私は怖いので、ついて行きたくなかった…。でも父に言われるままに長靴に履きかえて、真っ暗な闇の中を、懐中電灯を照らしながら無言のまま、二人で“火の玉”へと向かうのでした…。

 7~8分も歩いたでしょうか…。かなり至近距離に来ましたが、やはり火の玉がしっかり浮遊している! 小さな山小屋の前で「亮子!ここで待っておけ!動くなよ!」父の緊迫した雰囲気が伝わってきます。父はその“火の玉”辺りに、一人でどんどん近づいていきます。私は“父さん大丈夫かなあ…”と不安と恐怖で震えていました。暫く経って「亮子!大丈夫だからここへ来い!」と父の声!父の声を頼りに暗闇を進んでいったら、父は何と!墓所の前に立っていました。

 「これが“火の玉”の正体だ!」父は私にわかるように説明を始めました。墓にお参りした人が、ろうそくの灯をつけたまま帰った。墓石にそのろうそくの灯が当たり、その墓石の灯りが、風に揺らめいている竹藪の木々に反射して、丁度火の玉が飛んでいるように見えたのだ…と。 そして、「…亮子!いいか、よく覚えておけ!人は本当のことを確かめないままに、幽霊が出た…とか火の玉が飛んでいた…とか、とんでもない噂話を流してしまうんだ。確かめるということはだから大切なんだ!…」と。

 ふっとこの体験を思い出しましたが、そう言えば父は、色々な場面で“確かめてみること・体験してみること”の大切さを教えてくれたなあ…と思いました。私は、父のことを恐くて何となく苦手意識で関わってきましたが、こんな素敵な体験をさせてくれて、こんなに大切な価値観を伝えてくれていたんだ…と今さらながら感謝の気持ちでいっぱいになったのでした。

 私の経験からも思うのです。どんな形でもいい お父さん自身が自分も楽しめそうなことで、子どもと一緒に体験をする。それは立派な“育児参加”です。子どもの心に豊かな感性や創造性・社会性が育まれます。お父さんと一緒に遊んだ子どもたちの気持ちを紹介しましょう。

キャンプでお父さんと一緒に夜空を見ながら“さそり座”を捜した。わくわくした。

お父さんと釣りに行って、僕が大きな魚を釣った。お父さんが“やったな!”と言ってくれた。

お父さんも一緒にクリスマスツリーを作った。凄く嬉しかった。

お正月に挙げる凧をお父さんと一緒に作った。お父さんの真剣な顔が面白かった。

 子ども達はお父さんが大好きです。だからお父さんとの体験は新鮮な思い出として深く心に残ります。またお父さんが大切にしている価値観が伝わるし、何しろ子どもの心としっかり繋がれます。お父さんとしっかり係わった子ども達は、思春期になっても、お父さんを避けるような態度は決してとらないでしょう。係わることは子どもの心と繋がることなのです。

ひとりの父親は100人の教師に勝る  イギリスの諺


*次回のコラムは11月20日前後の予定です。(その2)として、続いて同じテーマで書いてみたいと思っています。