2019年11月20日水曜日

この里に、手まりつきつつ子どもらと、遊ぶ春日は暮れずとも好し

この里に、手まりつきつつ子どもらと、遊ぶ春日は暮れずとも好し
良 寛
Column 2019 No.78

2020年の講座予定を公開しました☆
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 幼い頃から絵本や、祖父からの語り継ぎによって、親しく感じてきた良寛について、今回は書いてみたいと思います。良寛は、江戸時代後期の曹洞宗の僧侶であり、歌人・書家・漢詩人として、無類の数々の秀作を残しています。教養人でありながら、無欲恬淡とした性格で、寺も持たず、無一物の托鉢生活を営み、多くの民衆と、階層をいとわず親しく交わりました。正直で無邪気で、人と自然をこよなく愛した良寛は、妙好人と呼ばれ、多くの民衆に慕われました。中でも子ども達からの信望は厚く、良寛も

子どもの純真な心こそが、真の仏の心

と、心底それと受け止めて、出かけるときにはいつも、手まりとおはじきを懐(ふところ)に納めていた…といいます。托鉢に出掛けた良寛はいつものように子ども達につかまってしまいます。すると、托鉢のことなどすっかり忘れて、懐から手まりを取り出し、子ども達が、飽きてしまって「やめよう!」というまで、一緒に夢中になって遊んだ…ということです。良寛は自分の法号を“大愚”と名乗り、愚人の如く悠揚としていました。奇矯な行動も多く、数々の逸話にそれが残されています。後で数話ご紹介したいと思います。

 私の祖父は良寛がとても好きだったようで、良寛の残した名言を何かの折に、よく口にしていたのを思い出します。子どもの頃、私がちょっとしたことで落ち込んだり、指先をけがをして「痛い痛い!」と言っているときなどに、祖父がよく

災難に遭う時節には、逢うがよく候(そうろう)。
死ぬ時節には死ぬがよく候。これ、災難をのがるる妙法にて候

…と、祖父独特な節回しを付けて、ユーモラスに語るのです。私は意味もよく解からないし、子ども心に苛立って「それって誰が言ったのよ!」と訊くと、「これ、良寛さまの言葉にて候…」と、楽しそうに応えていたのが懐かしく思い出されます。そんな祖父の影響もあってか、ふと、良寛のことがしきりに思い出され、以前求めていた安藤英男著「良寛」(すずき出版)を再び手に取りました。祖父からよく聞いていたこの良寛のフレーズをその中に見つけ、私の記憶とは幾分違っていたので、この書によって訂正しました。

 その書は、良寛の多くの逸話で綴られています。良寛は、諸国に行脚し、自らの質素な生活をそのまま見せて、説法を説くのではなく、その時その時の思いを言葉にしながら、民衆を導いていきました。晩年の良寛は、子どもを連れて野原を行くときなど、時々遠回りしたり、飛び上がったりするので、そのわけを尋ねると、「せっかく咲いた草花を踏んでは気の毒だ…」と答えたといいます。彼は民衆・自然界すべてに“無条件の愛”を注いだのでしょう。久々にそれら逸話を読んでいたら、良寛という人柄はなんと人間味に溢れ、純粋で無欲で、高邁な精神性を持った人なんだろう…と、改めて心打たれる思いでした。

 詩人の名前は失念しましたが、若い頃に読んだその詩の中に「…真理の目玉よ降りてこい!」という一節があり、私の中にそのフレーズだけが、何故か強烈に印象されています。知りたくてたまらない宇宙の理(ことわり)や人間の根源の理(ことわり)は、求めても求めても自分の中になかなか入ってこない…むしろ求めれば求めるほどに、真理への道は遠のいていくようにも思える。真理への道はあまりに高すぎる…。その詩はその辺りの気持ちを歌っていたような記憶があります。その詩人の葛藤は、そのまま私自身の葛藤でもあり、その詩の一節に凝縮されているように思えていたのです。

 でもこうして、改めて良寛のいきざまを追っていると、真理は決して手が届かないところにあるのではない。それは、決して知的なレベルにあるのではなく、ごく日常の生活の中に常に息づいている。良寛のように高い教養を持ちながらも、決して高邁なことを語らず、自分のすべての力を抜いて、ありのままの自分をさらけ出し、今そこにある自然を、そしてその時その時にご縁ある人々や子どもと共に、自分も無邪気に楽しみながら、まわりの人々を心から愛し慈しんでいった。良寛は、過去でもなく未来でもなく“今、ここ”だけを、愛と歓びをもって、正直に生き切ったのです…。きっとこういう人を、覚者といい、いわゆる“自己実現”を極めた人…というのだろうな…と、改めて畏敬の念を抱いたのでした。

 最後に、私の心にいつもある、良寛の逸話のひとつをご紹介して、今回のコラムを閉じたいと思います。

「…あるとき良寛は、地蔵堂(現、西浦原郡水分町)の渡しを渡ろうとした。そこの船頭は権三といって、鼻つまみの乱暴者だった。権三は良寛がおとなしい人で、一度も怒ったことがないと聞き及んでいたので“ようし!俺がいちど怒らせてやろう”と思った。この時、お客は良寛ひとりだったので、権三は川の真ん中で、わざとよろめいて、竹竿でぴしゃりと川のおもてを叩いた。水しぶきはぱっと良寛に跳ね返った。良寛はびしょぬれになったが、少しも怒らなかった。

さらに権三は、からだを左右に動かし、舟をひどく揺さぶった。良寛はとうとう川の中へ転がり落ち、泳ぎを知らなかったので溺れようとした。権三としては、まさか殺すつもりではなかったので、びっくりして川の中へ飛び込み、良寛を舟の上に救い上げた。

良寛は、ふうと肩で大きな息をした。そして“権三さん、ありがとう。お前がいなければ、わしは死ぬところだったよ”…と言った。舟が向こう岸につくと、良寛はもういちど権三にお礼を言った。“おかげで生命が助かったよ。どうもありがとう”そして、心から感謝しているようすで立ち去った。

権三は、ひょうし抜けがするとともに、深く反省するところがあった。“なるほど、良寛さまは、えらい” 権三は、それから数日後、酒をたずさえて五合庵を訪ね、自分の非礼をあやまり、真面目な人間になることを誓ったという…」
出典:安藤英男著「良寛」(すずき出版)

*次回のコラムは12月20日前後の予定です。

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