2023年12月20日水曜日

「怒る」と「叱る」は異なります

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Column 2023 No.127

 「上手な叱り方を教えて下さい」これは早くからあった質問です。叱り方についてはすでに他の配信等で触れていますが、今回は改めてお応えしていきたいと思います。

 まずテーマの「怒る」と「叱る」は異なる…という辺りからまとめてみます。「怒る」その人の心情は、相手のためにではなく、自分の中の怒りの感情を相手に対して発散する。つまり怒りを相手にぶつける状態です。

怒るのは感情のまま、叱ることは愛情がないとできない
野村 克也

 Fさんの体験です。「私がよく親から言われていた言葉です:“本当にあんたは自分勝手なんだから!” “言うことが聞けんのならもう何にもせんけ~ね” “あんたがおるけ~こうなるんよ!”…など。 わたしの誕生日にも母は、“あんたの誕生日を祝う日じゃないの!ここまで育ててもらった親への感謝の日よ” と言われて、一度もおめでとう!と言われたことはありません。一方的にいっぱい言われているんだけど、私に伝わってきたのは、ただ、“あんたは駄目な人間!価値がない人間!” ということだけでした。」と仰っていました。

 この事例が示しているのがいわゆる「怒る」ということであり、ただ怒りと蔑視の言葉を子どもにぶつけているだけです。その結果、子どもの心に育つのは、自信喪失感と自己無価値感です。

 一方「叱る」背景にある親の気持ちは、“ここで叱っておかないとこれからの将来に、この子が困ることになるのではないか”…と言う愛情がベースにあります。だから「叱り方」は相手を非難するのではなく、親が心配していることを伝えます。例えば「洋子。宿題をしないでいくことが多いよね。宿題はね。学校で次の授業に入るために大切な課題が出されているのよ。洋子が学校の授業にちゃんとついていけてるのかどうか…お母さんは心配よ」このように、価値観的な問題については、相手を責めるのではなく親の心配を伝えるのです。

 一方、親に影響のある(迷惑がかかる)子どもの行動に対しては、何故困るのかという親への影響と感情を伝えます。例えば「ケンちゃん。玄関に濡れたままの傘をもって入ると、玄関がびしょびしょになるよね。滑って転びそうになりそうでとても怖いのよ」のように。“だからこうしなさい”(提案)は出来るだけ避けて、子どもに考える余地を残します。

 まだ言葉が充分に伝わらない幼い子の困った行動にはどう対処すればいいのでしょうか。例えば “いきなりお友達にかみつく” “砂をかける” “いきなり押し倒す” またよそのお家に伺ったときなど “勝手に冷蔵庫を開ける” “触ってはいけないものを触る”…等々、幼い子はまだ充分状況判断ができないので、困ることを平気でやってしまう年齢です。こんな場面で黙って見ていてはいけません。「やめなさい!」と、毅然と辞めさせ、子どもをそこから離してください。そして子どもが一人になったときに、子どもに言い分があるならしっかり共感をもって聴いてやり、そのあと、何故やってはいけないかを、解かっても解からなくてもきちんと伝えておきます。こんな場面を黙認すると、常習になってそれを繰り返すようになってしまいます。

叱る時も叱られるときも真剣でありたい
松下 幸之助

 親業講座ではトレーニングを含めて詳しく学習しますが、(親業訓練協会とのお約束より)公開ブログではその内容に深く触れることはできませんので、そのさわりをお伝えさせていただきました。

心に届く叱り方のポイント

1 子どもは本来わがままであることを理解しておく

 子どもは自然体である場合、一貫性がなく、わがままで自己中心的です。すべてにいい加減で遊ぶことが大好き、縛られることが大嫌いです。これが健康的な子どもの特性です。
 だから些細なことでしつこく叱ったり、権力を使いすぎると、子どもを追い込み、子供らしさを失わせ委縮させてしまいます。ただ第三者に迷惑をかける行動や、ちょっとした社会のルールが守れない時には、毅然とした態度で伝えておくことは大切です。

2 叱ることが全てではない

 兄弟げんかやおうちでの少々のいたずらは大目に見てあげてください。社会性が育ち、応用力も効くようになります。行動するたびに叱られて育った子どもは、叱られないと行動しなくなる傾向が出てきます。つまり問題行動ばかりに注目すると、その行動を強化することにも繋がります。叱るばかりではなく、色々な対処をしてみて下さい。
 時には黙認してみる。また、困る行動をした時だけに注目するのではなく、出来たときに「出来たんだねえ!」と、認める表現をする。子どもの困った行動の多くは、子どもはいけないことは分かってはいるけれど、その行動がやめられない理由があるものです。「どうしてそれをやっちゃうのかなあ」と、ゆったりと尋ねると、できにくい理由を話してくれます。それを共感をもって聴いていくと、子どもが自分の気持ちを見つめるひとときとなり、子ども自身で解決策が見えてくるということも多くあります。つまり自立へと向かうのです。

可愛くば 五つ教えて 三つ褒め 二つ叱ってよき人となせ
二宮 尊徳

3 命令よりも事実を伝える

 「七時よ!いつまで寝てるの!」と急かせるよりも「七時ですよ!」と、事実だけを伝えてみて下さい。 「ごはんよ!呼んだらすぐに来なさい!」より「ご飯の準備できたよ」。 「早く宿題にかかりなさい!」より「六時よ。宿題出てたよね」。「お風呂掃除してないじゃない!」より「お風呂の掃除がまだできていないね」… のように、事実の表現は子どもの心を傷つけることなく届くのです。

4 変化球で怒りを現すと子どもは追い込まれる

 嘘をつく子どもに「嘘をついてるとやがて泥棒になるんだぞ」とか、「また○○して!もう好きなようにしなさい!」…のように遠回しに表現すると、子どもには明確に伝わりません。また心配なことや困っていることを、言葉で率直に表現しないで、不機嫌な態度で現してしまうことは、伝わりにくい上に、子どもの心に罪悪感を育てます。まっすぐに表現することが大切です。例えば「嘘だとわかってがっかりしたよ」「嘘をつくのはとても悲しいよ」のように。

5 傷つけたと思ったら必ずフォローをする

 親に非があれば決していい訳をしないで、すっぱりと「ごめんなさいね」と謝って下さい。伝えておくべきことがあれば、気持ちを落ち着けて大切に思う価値観を伝えておきます。傷ついている子どもにフォローしなかったために、親との関係も壊れ、その子は心が傷ついたまま一生を終えることもあるのです。

6 尊厳性をもって子どもを育てる

 子どもの心を傷付けないような叱り方をしてください。幼いながらも子どもは真っ直ぐな目で大人を見ています。そして驚くほどの理解能力を持っているのです。

人間はいつも偉大な存在であるという考えを持っておくことだ
松下 幸之助

*次回のコラムは2024年1月20日前後の予定です。

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2023年11月20日月曜日

自己表現とは自分の真実を語ること

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Column 2023 No.126

 いつも自分の本当の気持ちに気づいてそれを表現していけば、周りの人はそこにあなたらしさを感じて、あなたに親しみを持ちます。一般論や他の人のことを語るよりも、自分の内面にある本当の気持ちを語ることが、人間関係を親密にしていくポイントです。自己表現とは他者のために出すのではなく、自分の真実を語り、自分の気持ちをすっきりさせるために表現するのです。

 自己表現は自分を語るのですから、人称はいつも「わたしは」が主語になります。コミュニケーションは、相手の話をきちんと聴くこと(受信)と、自分を表現すること(発信)で成り立っており、これを「双方向コミュニケーション」と言います(コラムNo10No11参照)。今回は自己表現の方を中心に取り上げました。

 カウンセリングでのある青年M君が言いました。「僕は自分の本当の気持ちを人に言えなくて悩んでいました。悩みは自分の中でどんどん膨らんできて追い詰められたような息苦しさを感じ始めたのです。ある日何となく話せそうな気持になって、ある友人に自分の中の気持ちをほんの少しだけ思い切って出してみました。すると信じられないくらい気持ちがスーとしたのです。そして僕は段々と解ってきたのです。何も話さなければ僕のしんどい気持ちには誰も気づいてくれない。でも言葉で思ったままを伝えたら僕の存在に気づいてくれ、気持ちを解ってもらえるんだ!という大発見でした。」…と。

 本当の自分を表現し、自分に誠実であれ。
 成功している誰かをまねするのではなく、いつも自分自身であればいい
 ブルース・リー

 次は、ある受講生Aさんの体験です。「母の日に遠くにいる娘から鉢植えのカーネーションが贈られてきました。いつものことで、さほど感動もなかったので、娘に電話もしなかったところ、娘の方から電話があって“お母さんはすごく変よね!喜んでいるのかどうかわからない。今までもずーっとそうだった。お母さんは感じる能力がマヒしてるんじゃないの!”と言われたのです。すごくショックでした。私はこの講座で感じることをトレーニングしたい」…と仰っていました

 そうです。自己表現できないのは、まず感じるというプロセスが苦手なのです。苦手というより感じるという行為を疎かにしているのです。まず今の自分の本当の気持ちに丁寧に気づくところからが出発です。Aさんの例でいうと贈られてきたカーネーションをみて、Aさんは花より他のものがよかったなと思ったのかもしれませんし、いつものことで当たり前と思い、気持ちを表現していく行為にまでには至らなかったのかもしれません。ある意味、それはそれで実に正直だと思います。

 しかしAさんに、もう一歩感じるという行為が身についていたら、贈られてきたプレゼントはともかくとして「母の日を覚えてくれていたんだね。嬉しかったよ」と、覚えていてくれたことへの感謝の気持ちを自己表現できたかもしれません。これだけでも充分人間関係を保つことはできたと思います。

 そして、日を変えて「母の日のお花、とても嬉しかったよ。でもお母さんはすぐに枯れさせてしまうじゃない。そんなときすごく申し訳ないと思うの。だから鉢植えはちょっと苦手なのよ」と本当の気持ちを伝えることも出来ます。その結果、娘さんなりにプレゼントを考え直してくれるかもしれません。あるいは「気もちだけで充分よ!だからあなたからのカードだけで凄く嬉しいのよ!」と、それが真実であれば、このように伝えることも出来ますよね。

 僕が信用する人は、どんな時でも本音のあり場所を示す人だ。
 本当のことが解らない時は“解からない”とはっきり言える人だ
 武者小路実篤(小説家1885~1976)

 いつも自分の本当の気持ちに気づいていることがとても大切です。それに気づいていなかったら的外れな表現をしてしまい、その結果は相手にも伝わらない上に、段々と自分の本当の気持ちを見失ってしまいます。感情を見失うと、それら感情に支配されて鬱になったり、何処から来るのか分からない怒りになったりします。不機嫌な人は自分の本当の感情から迷い子になった状態なのです。

 不安・恐怖・焦り・嫉妬…等々。あなたがみっともないと感じている感情すらも自分の一部分として抱きかかえてあげるだけの自分への愛、自分への優しさがとても大切なのです。弱さのままで、怒り狂ったままで、正直に自分を語ってみましょう。とても気持ちに整理がつきます。ある女性Dさんが言いました「弱さを見せたら人は自分から去っていくのではないかと思っていました。だから今まで本当の自分を見せるのが凄く怖かった…。しかし驚いたことですが、弱さを出せば出すほど人は近づいてくれたのです」と。

 毎日の仕事の中で自分を自分で褒めてあげたい
 という心境になる日を一日でも多くもちたい
 松下幸之助

 仕事だけではなく自分自身の存在に対して、ただ感謝の気持ちや、自分自身の心が幸福感で歓喜するような自己表現を自分にも出してあげたいものですね。

 僕が鬱から抜けるのに大きな助けになったアファメーション。
 僕の場合は朝起きたときに「僕は自分が好き!」「僕はイケてる」と、
 毎朝唱えただけです
 田中 圭一(漫画家)

 できるだけ機嫌のいい自分で居れるように、今の自分の気持ちを大切にしてあげたいものです。私たちは心が機嫌のいい時に、自分の人生を心から楽しめ、創造性を豊かに発揮できるのです。そして周りの人々に、ひいては世界の人々に、心からの優しさや愛を表現していけるのです。

 あなた自身にかける言葉が、あなたの人生を励ましてくれたり、まわりの世界を豊かにしていくことが出来るのだとしたら、あなたは自分にどんな自己表現をしてあげたいですか。

*次回のコラムは2023年12月20日前後の予定です。

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2023年10月20日金曜日

人間は間違いを侵しながらも躓きながらも前進している

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人間は間違いを侵しながらも躓きながらも前進している
ジョン・スタインベック
Column 2023 No.125

 次のフレーズは米国のミュージシャン、ボブ・ディランの言葉です。

 人生に後退はない。あなたの人生で起ることはすべて、
 あなたをゴールへと進ませている

 生きていく上では確かにひとときの「後退」はあります。スイスの精神科医であり、心理学者のカール・ユング「もっと遠く飛ぶための後退」という至言を残しています。走り幅跳びをした時の経験を思い出しますが、ぐっと後退をしてしっかりと助走をつけないと記録を出すことはできませんよね。私たちは「後退」を含めてそこから学んでは、またゴールへと進んでいる存在だ…とボブ・デイランは言っているわけです。

 私自身のこれまでの人生、自分の苦手なこと、解かっていないことについては、その多くを失敗という経験を通して学んできました。いっぱい赤恥をかきながら、失敗の折ごとに、“そういうことだったのか”…という大きな気付きを得ては、またひと回り大きくなってきたような気がします。そしてもう一歩もう一歩と前に進んできたような気がします。それは今思えば、すべてゴールへと進むための助走だったわけで、失敗・後退を含めて確実に私たちはゴール(自己実現)へと着々と向かっているのですね。

 私は少しずつ気づいていきました。大きな失敗のあとには、これからの私の人生の足取りに必要な智慧が、必ずやって来るということに…。今思うことですが、特に私の祖父や父親は生きる上で重要と思う価値観は体感を通して熱心に伝えてくれましたが、日常的な細々(こまごま)した価値観は「自分の頭で考えろ」的で、子どもの私にあまり伝えることはしませんでした。だから私は、日常的な小さな事柄によく躓いて(つまづいて)いました。赤恥をかくような失敗をするたびに「こんな恥ずかしい失敗する前に、こんなことくらい親はどうして教えてくれなかったの?」と何度も両親を恨めしく思ったものです。

 しかし教えられなかったからこそ、不用意にやって来た、肌身に沁みるほどの痛みを伴う失敗という体感を通して、自分なりの深い気づきを重ねて、今日(こんにち)の自分があるのだな…と、痛みを伴う経験から学んだことはとても大きかった…と今では感じています。そしてとても辛いことですが、ある時から出来るだけ保身することは辞めて、失敗から本気で学ぼうと思いはじめました。“失敗を自分に許して生きてみよう”と、決意したのです。本当の、素(す)の自分を知りたいと心から願ったからです。

 失敗は私の中の弱点が明るみに出ることであり、見たくない気づきたくない自分の中の闇の部分に、対峙せざるを得ない立場にも立たされます。しかし苦しいけれど決して逃げないで、それを通して感じ切り、学んでいきたいと心を決めたのです。それを決めてからの気付きはとても大きかったと思います。失敗の中でも特に私の心に痛みを伴うのは、無意識を含めて、人さまを傷つけるような行動言動をしてしまったと感じたときです。何と愛に欠けている自分なのだろう…と愕然(がくぜん)とすることもありました。

 私は失望などしない。何故ならどんな失敗でも
 次の前進への新たな一歩となるのだから
 トーマス・エジソン

 しかし過ちは決して恥ずかしいことではなく、生き方の軌道修正をしてくれるチャンスでもあるということです。過ちに目をつむって、何も学ばないままに後悔と罪悪感という重い鎖を引きずって生きるよりは、その経験にまっすぐに対峙して気づき、これからの人生に生かしていく。傷つけてしまったという現実があるなら自分に言いわけをすることは一切辞めて、自分自身の過ちをすっぱりと認め、心の中でいいから相手の人に心からのお詫びをする。そして過ちから学んだことに心から感謝をしていく。

 気付いたのですから、そのあとはその出来事を引きずることは辞めて、自分を果敢に赦し手放していく。そしてその出来事を、すっぱりと“お払い箱”にしていくことがとても大切に思います。

 自分のまわりに起ることで無駄なことは何ひとつないのです。失敗・後退を含めてすべての出来事が私たちの魂の進化にとってひとつひとつが大切な布石となっていくのですから。

 ある賢者の言葉です。

 過去のどんな素晴らしいあなたよりも、いかなる今であろうと、
 自分史上、今日のあなたが一番進化しているのです。

 私たちは日々様々な体験をしながら、泣いたり笑ったりしながら生きています。へまなことを言ったりやったり、同じ失敗を繰り返しているように思えますが、実は、今まで見えなかった何かが見え、今まで気づかなかった何かに気づき、賢者の言う昨日よりも今日、今日よりも明日…と確実に進化・成長をしているのです。

 まわりの人と比べて優越感に浸ったり、自己嫌悪に陥ったりする時間はありません。人よりも上でもなく下でもないのです。他人と比べることで自分軸は大きくずれていきます。失敗から学び、常に自分から来る答えを信頼して生きる姿勢こそ、自分なりの進化・成長が、より体感できる生き方だと思っています。            

 自分自身の直感に従うの。それが最高の助言者になってくれるわ
 ダイアナ妃

 人の世に失敗ちゅうことはありゃせんぞ
 坂本 龍馬

*次回のコラムは2023年11月20日前後の予定です。

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2023年9月20日水曜日

感情は 感じたら手放す

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Column 2023 No.124

 現在YouTubeで配信中の“下村亮子チャンネル”第2回の中で「感情は感じたら手放す…は原則です」とお伝えし、手放し方はまたの回で配信する旨をお伝えしましたが、まずはコラムでまとめてみることにしました。

 感情は、感じたらなぜ手放した方がよいのでしょうか。いくつかその理由を挙げてみたいと思います。

1 感情にとらわれたり、ぼんやりとそれに浸り切っていると、感情が支配権を持ち、その感情から抜け出ることが難しくなります。

2 あなたの感情はあなたの人生の方向性を決めます。コラムNo120の「フクロウが教えてくれた幸せへの道しるべ」で取り上げたのは、いわゆる“引き寄せの法則”とよばれるものですが、ベースになるものは感情です。感じることは大切。しかしその後いつまでもその感情に執着していると、その波長に合った人生を引き寄せてしまいやすいものです。私達の感情は私達の人生を創造していく上で、無関係ではないということを知っておく必要があります。

感情が運命を大きく左右していることに気づきなさい
ジョセフ・マーフィー

3 また、湧き上がってくる感情に執着していると、そちらにエネルギーがとられてしまい「今」という大切な時間を生きるパワーが不足してくるので、今という大切なひとときを十分に活用できなくなります。

 それではどうすれば感情を手放していけるのでしょうか。今回のテーマ、「感情の手放し方」に進んでみたいと思います。

 例えば、スピリチュアルの分野で現在有名なN氏は「ネガティブな感情は本来のあなたのものではなく、今の地球の周波数だから、ただ外していけばいいのです」といったようなことを提言しています。彼は沢山の感情の手放し方を紹介していますが、ご参考に基本的な易しい手放し方のイメージワークをご紹介したいと思います。

「あなたが今不安の感情を感じていてその感情を手放すと意図する。両手が磁石になっているとイメージして胸に当てる。硬くて黒い塊のようになっている不安の感情がその両手にくっついて引き出される。両手に引き出した塊の重さを感じてみる。その両掌を宇宙(空)に向けて大きく開きその塊(かたまり)を手放す。その塊は細かい砂のような粒子になって宇宙に吸い込まれていく(ここで深呼吸)。暫くすると、宇宙からキラキラと輝くゴールドの粒子が降り注いでくる。その光の粒子を全身に浴び、胸の中にも納める(深呼吸をしながら身体に馴染ませる)」

※ 彼はイメージによる色々な手放し方を紹介しています。興味のある方は「並木良和」氏の書籍を参考にしてみてください。
余談ですが、もちろん、スピリチュアルとよばれる分野の多くはまだしっかりと科学的証明があるものではなくまたそれに依存してしまうことやカルト的なものには注意を要するものの、将来的には、(例えば現在のマインドフルネスのブームのような)社会での受容や科学的な理解もより進みうるのではないかと私は思いますし、自身のフィーリングに合うかなと感じれば自分軸で自己の責任でいろいろ試してみる価値はあるのではないかと思います。

苦しみは 欲望や執着から生まれる。
苦しみから解放されるには、欲望や執着を解き放つことである
釈迦

 祖父は家の中でよく“南無阿弥陀仏”と唱えていました。私には“なまんだぶ~”と聞こえていました。ある日私は祖父に「どうして “なまんだぶ~”と言ってるの?」と尋ねたら祖父は「ありがたくて感謝しているときも、雑念いっぱいで混乱しているときも、“南無阿弥陀仏”と唱えて、佛(ほとけ)さんにお預けしているんだよ」と言いました。祖父の感情の手放し方は“南無阿弥陀仏”のマントラだったのだろうと今は理解しています。
※ マントラとはインドで古代から使用されている、心を落ち着かせるために唱える短い言葉…という意味です。

 ハワイに伝わるヒーリングメソッド「ホ・オポノポノ」もマントラに乗せて感情を手放す方法に近いものです。心理学者のヒユーレン氏が体系づけた方法で、いま私たちが持っている観念・信念は長い歴史を重ねて、潜在意識に無意識の記憶として根強く横たわっている。それが縁に触れると周りの環境に映し出される。そのたびごとに“ありがとうございます”という感謝をベースにしたマントラを唱えることで、潜在意識のネガティブな感情を消去し、原初の状態に修復していく方法…としています。

 また親業の講座で学習する「能動的なきき方」(共感的な聴き方)は、強力な手放し方の1つだと私は理解しています。いかなる感情もそのまま受け入れ、真っ直ぐに見ていく。それをセルフカウンセリングに応用すると、

自分「ああ、わたし今すごく混乱してる!」
もう一人の自分「わけが解からなくなっているんだねえ」
自分「そう!昨日のあのことで頭が一杯!」
もう一人の自分「そうか、昨日の出来事が頭から離れないんだねえ。苦しいね…」

 ありのままの感情を、否定もせず同意もしないで、ただ共感で聴いていく“能動的なきき方”は、感情の交通整理の効果があるので、重い感情が解き放たれ、もともと持っていた答え・方向性がその人に見えてきます。

 また次のような手放し方もあるようです。

学ぶべきものを学んで、もういい加減うんざりしているのなら捨てておしまいなさい。
どうやって?
それらを愛し抱き入れ、自分の存在の中にそれらがあることを赦すことによってだ。
するとそれらはあなたを圧倒することは無くなるであろう
賢者の言葉

 このフレーズにあるように、如何なる悩みごとも、例えその事象が解決しないでも、それにまつわる自分の感情を丸ごと受容し愛し赦していく。手放すのではなく抱き入れていく。しかしその結果、周りに何が起ろうとその感情に圧倒されることが無くなる。つまりそれは、その感情を手放したことと同じことになる…という訳です。

 人間が執着を持って手放せないでいるネガティブな感情を、仏教語では「煩悩(ぼんのう)」と呼んでいます。聖賢と呼ばれる存在は、その煩悩から隠(かく)れず、真正面からその煩悩を見つめることで叡智を得て、遂には俗世間の束縛・迷い・苦しみから抜け出し、悟りを開いてと聖賢となった。その一人が、仏陀(釈迦)と呼ばれています。

 さて手放し方の例をいろいろご紹介してみました。どの方法がいい・悪いはありません。これがオールマイティというものでもありません。あなたなりの手放し方を大切にしてください。いつも自分の感覚・感性を信頼して自分にしっくりくる方法で手放すことが大切に思います。
 「感情はしっかり感じて、感じたら手放す…」これが出来るようになったら、感情による執着から解放され、「いま」というひとときを存分に生きることが出来るようになるのではないでしょうか。そして何よりも人生がシンプルになり、その上、自分にとって“心地いい人生”を引き寄せ始めることでしょう。

*次回のコラムは2023年10月20日前後の予定です。

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2023年8月20日日曜日

シンプル イズ ザ ベスト

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Column 2023 No.123

 シンプルで控えめな生き方が、誰にとっても身体にも心にも
 最善であると信じています
 アルベルト・アインシュタイン

 今日(こんにち)多くの人々がシンプルな生き方を求めているのは不思議ことではありません。何故ならアインシュタインが言うように、それが自分の心にも身体にもここちよく、しっくりするということを知っているからでしょう。

 ひととき「断捨離」という言葉が多くの人々の気持ちを動かしました。身の回りのものを整理したら、気持ちにも影響してさらにシンプルに心地よく生きられるということを人々は体感したいのだと思います。今回はこの「断捨離」について考えてみたいと思います。私自身も断捨離を本気で考えていますが、しかしなぜか遅々として進まず、この停滞はなんだろうと頭をひねります。シンプルな生き方を夢見ながらなかなか進めないこの現実って何だろう…と考えてしまいました。

 まわりの雑多と対峙するのは、私たちにとってとても勇気が必要です。頭の中がまわりと同じくらいに混乱していたら現実を見たくなくなり、無意識に断捨離精神を見過ごしたくなるのです。しかし勇気をもって僅か一隅だけでも片付けると気持ちが広がり、さらに片付けが進むということが起ります。頭の中の雑多に甘えず、圧倒されないようにする。これはかなりの勇気が必要に思われます。

「…断捨離と言う語源はもともとヨガの指導者である沖正弘(1921~1985)が提唱した以下のヨーガの思想。
 
行:新たに手に入りそうな不要なものを断る
行:家にずっとある不要なものを捨てる
行:物への執着から離れる

 後にやましたひでこが出版した「新・片付け術 断捨離」がヒットし、一般に「断捨離」という言葉が世に大きく知られることになった…」
以上 「ウイキぺディア」より参照

 断捨離という言葉を聞いてすぐに思いつくのは身の回りの不要品を片づけることですが、本気でシンプルライフを目指し、ここちよい日常を手に入れたいと思うならば、精神的なものを含め、生活全般に亘って断捨離の余地があります。例えば「人間関係」「価値観」「感情」そして「言葉」…等もそうでしょう。

 賢者は複雑なことを シンプルに考える
 ソクラテス

 「人間関係」の断捨離について考えている人は案外少ないかもしれません。ある仲間と、ただぼんやりと何十年間もつき合い、誘いをうけたら何となく参加し、大切な数時間を、自分にとってあまり興味のない会話のやり取りを交わす。もしかしたらその時間は自分が本当にやりたいことが出来た貴重な時間であったかもしれません。

 自分自身の「価値観」について感じてみますと、“~すべき”のように自分の人生を狭くするような価値観に固執して、自分で自分を追い込んでいることがあります。そうした価値観は、洗い直し(断捨離)の必要があり、自分の人生を大きく広げてくれるような価値観に置きかえていけたらと思います。

 私自身がもうひとつ闘っているのが「感情」の断捨離です。特に「価値判断」「罪悪感」はかなりしぶとく、断捨離したい感情の2大テーマです。他にも整理したい感情は沢山ありますが、自分を追い込む価値観を手放すのと同じくらいこれらの感情を手放せたらどんなに自分が広がり、すっきりした生活が手に入ることでしょう。

 「言葉」の断捨離。とても必要な気がします。話さないでもいいことを私たちは沢山話してはいないでしょうか。私自身も人さまとお会いした後、今日は無駄なことをいっぱい話してしまったな…と大反省をすることがあります。自分軸に向かうべきベクトルが、外側に向かうと、単なるうわさ話で終わったり、批判めいた会話に傾いたりして自分自身で不愉快な気持ちになることがあります。言葉の断捨離は人ひとによって違うと思いますが、ベクトルがどこを向いているかによっては言葉の断捨離は意味があるような気がしています。

 必要なものだけを得る。シンプルで簡素なくらしでいい。
 そんな精神をもって働く人々の仕事を評価しないのは
 大いなる損失である
 マハトマ・ガンジー

 いらないものをそぎ落とし、シンプルになればなるほどに自分の呼吸の音が聞こえ、自分の本当の気持ちが浮上してきます。

 1つ無用なモノを捨てると、1つ分だけ空間ができる
 1つ余計なモノを捨てると、1つ分だけ負担が取り除かれる
 1つムダなモノを捨てると、1つ分だけ爽やかさが甦る
 そして、人生が大きく変わっていく
 やました ひでこ

*次回のコラムは2023年9月20日前後の予定です。

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2023年7月20日木曜日

思いやりのある言葉はずっと心にこだまする

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思いやりのある言葉はずっと心にこだまする
マザー・テレサ
Column 2023 No.122

 “例え簡単な言葉であっても思いやりのある言葉はいつまでも心に残るものです”…とマザー・テレサは言います。私達もどこかで、誰かの行動や言葉の中に「思いやり」を感じて、心打たれた経験は一度や二度ではないでしょう。

 ちょっとした場面ですが、街中で私が店のウインドウに気を取られて歩いていた為に、若い女性とぶっつかってしまいました。本当は私がお詫びを言うべき場面なのに、相手の女性がすかさず「ごめんなさい!大丈夫でしたか?」と、本当に心からの思いやりとお詫びの言葉をくださったのです。何て心優しい人なんだろうと、マザー・テレサが言うように、その人のお顔と言葉が私の心にいつまでもこだましたものです。

 次の一文は20数年も前の記事だと思いますが、ある雑誌の投稿欄の切り抜きを大切に残していました。

 私は現在アルバイトをしていますが、
 先日職員の方のカップを洗っていて手を滑らせて割ってしまいました。
 見るからに高価そうなカップだけに謝罪をするのにとても緊張しました。
 ところが何と彼は「そろそろこのカップが飽きてきていたので、
 替えようと思っていたところなので、気にしないで下さい」…とのこと。
 私は胸を熱くして席に戻りました。神対応に感動しました

 この投稿文を拝見した時、私の心まで熱くなりました。壊して戸惑っている人を前に、瞬発的にこうした思いやりのある言葉が出せる人ってこの女性が書いていらっしゃるように、私もまさに“神対応!”を感じたことでした。

 心は誰にも見えないが、“心づかい”は見える。
 思いは見えないが“思いやり”は誰にも見える
 宮澤 章二(詩人1919~2005)

 こうした「思いやり」と言う精神は、人の心にもともとあるものなのでしょうか。それとも後天的に育つものなのでしょうか。前回のコラムにも重なりますが、やはり親にどれだけの愛をもって育てられてきたか…がその心を育てることに深く関係していると私は感じています。

 可愛がられ抱きしめられて育った子どもは 
 世界中の愛情を感じ取ることを覚える
 ドロシー・ロー・ノルト

 このフレーズの通り、母子確立感情(基本的信頼感)が確立すると、その子は周りの世界を信頼し、世界のどこにでも愛を見つけます。つまり基本的信頼感が確立すると、自分を愛するのと同じ感覚で周りの世界・人々を愛することができるのです。自分と他者に分離感がないので、他者の痛みが自分の痛みであり、他者の歓びが自分の歓びと感じられるようになりえるのです。その感覚が、他者の痛みに対して瞬発的に「神対応」のような思いやりとして現わされてくるのではないでしょうか。

 大人になった私達は今さら親からの愛情を求めても、多くは叶える事が不可能です。しかし出来ることはあります。そのひとつは自分自身への思いやりを精いっぱい見つけ、示してあげることです。一日一日と老いていく手足に対して、優しい慈しみのまなざしをもって見つめている人はどれだけいるでしょうか。

 多くは無意識ですが、私たちは自分自身にはとても厳しい視点で接しています。例えばまわりの誰かが何かに躓いて痛がっていらしたらすぐに駆け寄って、「痛かったでしょう」と優しい言葉が出せるのに、自分がつまずいて転んだりしたものなら「あんたはほんとにつまらんねえ!何処を見とるんね!」痛い上に本当に切なくて精いっぱいの共感と愛がほしい時に、こんな二重パンチをくらわせたりしていないでしょうか。さすが最近はこんな場面は少なくなりましたが、私もよくやっていたものです。

 自分自身への最高の思いやりは、今感じている正直な気持ちを決して否定しないで、そのままに丸ごと受け入れてあげることです。「びっくりしたよね」「本当に痛かったよね」…と。そして悲しいときも寂しいときもそのままに「さみしいね」「悲しいね」「しんどいね」…と。また怒りが湧いているときでさえも「本当に腹立つよね」…と言う具合に。その時の自分の感情をそのまま受け入れて、そのままを自分に返していくのです。これは親業の能動的なきき方(共感的対応)を応用した「セルフカウンセリング」で、感情を大きく和らげる力があります。

 また自分を励ましてあげる言葉も効果的です。「頑張っているよね!」「やったじゃない!」「上等!上等!」他にもいろいろとあなたなりの表現を考えてみて下さいね。こうした言葉を自分にあげると、思った以上に自信と元気が湧くものです。

 自分自身への思いやりに気づいていくと、私たちは息を吹き返してきます。本来の自分に戻っていきます。そしてやがて、自分自身への思いやりは周りの人々への思いやりに繋がり、世界への思いやりとして大きく広がり続けるのです。

 さて、人材育成の場面でも「思いやり」の精神がいかに大切かを述べている人は多いと思います。歴史上古い人ですが、日本海軍軍人であった山本五十六(1884~1943)が残した有名な名言があります。

 してみせて 言ってきかせて させてみて 
 ほめてやらねば 人は動かじ

 人を育てる心がけとして、まず自分がやって見せる。なぜこれが大切なのかを解かるように説明し理解させ、それから“さあ やってごらん”と促し、出来たときには必ず認める言葉で勇気づける。その結果人の心は育ち、やる気を起こすのだ…と彼は言っているのです。厳しい戦時下にあって、このような民主的な思考を持っていた人があったことに驚きます。彼のこのフレーズは、多くの経営者や指導者の指南役の言葉として、今も知られています。これは子育ての真髄でもあるので、特に子どもの“躾のポイント”としても応用できるということを、私は受講者に伝えてきました。

 他人に対する思いやりと共感は
 私たちが差し出せる 最大の贈りものだ
 タルサン・トルク

*次回のコラムは2023年8月20日前後の予定です。

 下村亮子チャンネル『 TRUST YOUR FEELING - あなたの中の答えを信じて 』 ★Youtube音声番組配信にチャレンジしてみることに。8/1開始です。聞いてみて頂けると嬉しいです★

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2023年6月20日火曜日

わがままは “我がまんま” へのプロセス

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Column 2023 No.121

 唐突で突飛なテーマです。“わがまま”の語源は“まわりの反応は意に介せず自分の思うがままに振舞う”という意味合いですが、よく似たフレーズに、おそらく方言ですが“我がまんま”という言葉があり、「ありのままの自分」という意味を表します。“わがまま”を生きることは、やがて“ありのまま(我がまんま)の自分になる”のに大切なプロセス…ということを今回のテーマに致しました。

 わが国では“わがまま”はあまり歓迎されない態度のひとつです。確かに普通“わがまま”と言えば、すべて自分中心で他者のことは考えないエゴ的なふるまいを指しています。ここで表現したい“わがまま”は福沢諭吉のフレーズである「わがままと自由との境は他人の妨げを為すと為さざるとの間にあり」その“自由”に近いニュアンスと受け取って頂きたいと思っています。

私には心から愛している徳がひとつだけある。それは“わがまま”だ
ヘルマン・ヘッセ

 人の生き方は二つのタイプに分けられます。自分の人生と自分の生き方を大事にして自分のやりたいことをやり、ありのまま(我がまんま)の自分で生きている人、つまり「自分軸」で生きている人と、自分の生き方や態度が他人や世間にどう映っているか、周りの人の反応に合わせて自分に不正直に「他人軸」で生きている人…の二つです。

 私は長年カウンセリングの仕事を通して沢山の人々の問題に接してきました。そして“親業”を通して沢山の親子関係を見てきました。その辺りの経験を通して見えてきたことは“わがまま”に生きることは、その人がその人らしく“ありのままの自分”になっていく為の大切なプロセスなのではないかということです。

 それは幼い頃から周りの人たちにどう接してこられたか…から始まります。
 先ずはアメリカインデイアンに伝わるという「子育て四訓」を紹介します。

乳児はしっかり肌を離すな
幼児は肌を離せ。手を離すな
少年は手を離せ。目を離すな
青年は目を離せ。心を離すな

 子育ての重要なポイントを掴んだ名言です。乳児期・幼児期は、肌を離さず、手を離さず…が大変重要な時期です。その結果、特に母子関係を通して基本的なアイデンティティが確立されます。その頃から子どもは結構“わがまま”を発揮してきます。E・H・エリクソンが提唱した「親(母親)は決して私を見捨てない」という母子確立感情(基本的信頼感)が確立しているからわがままができるのですね。その“わがまま”をある程度受け入れられて育った子どもは、今回のテーマである“自分は自分でいいのだ”“ありのままの自分でいいのだ”というプロセスに向かいはじめます。

私はわがままで利己的で自分が楽しいと思うことをやって生きてきたの
戸田 奈津子(映画字幕翻訳家)

 自分を信じて“我がまんま”に生きることができる人は幸せです。それは人生のどこかで“わがまま”つまり甘えを受け入れられた人たちだと思います。親が“子どもの甘え”を、ある程度受け入れることは子どもの人格形成上、大切なポイントです。深刻な社会問題を引き起こす子どもは“親から甘えを受け入れられた”という実感が極端に欠けていると言われます。ここで気を付けなければならないのは“甘やかし”と“甘えを受け入れる”ことは違うということです。この辺りを明確に理解しておくことは大変重要です。

 “甘やかし”の親は、基本的に子どもを見ていない。その多くの親は自分中心にものを与え、子どもが本当に求めているものにはあまり関心を示さない。逆に子どもが親に対して反発し横暴になってきた時などには、子どもからの要求に何の判断もなく物を与えてしまう。子どもを見ていないので第三者に迷惑をかけている行動をしていても指導しない。

 一方、“子どもの甘えを受け入れる” 態度を持つ親は 基本的に子どもをちゃんと見ている。子どもが親を必要としたときには適切に受け入れる。「お母さん見て!」「これ買って」「これやって」をまず無視しない。子どもが親を求めてくるときは子どものサインである場合が多いことを理解しているので、真っすぐに対処し、できると判断した時には無条件にスッと応じていく。出来ない時には「ごめんね。今~しているから自分でやってね」「ごめんね。今は~で買うことができないんだよ」と、親の気持ちを正直に伝える。こうして人間関係の節度も学ばせます。

 甘やかしの結果としての子どものわがままは、自己中心的で周りの人々を辟易とさせます。一方、しっかりと関わられ、ある程度甘えを受け入れられて育った子どもは、自分自身に価値をもち「自分大切そして相手大切」のバランスの中で、心地よくわがまま(我がまんま)を生きていきます。自分自身を大切に生きることが、やがて他者を大切にすることに繋がることを理解しているからです。

 大人になってしまった私たちの中でも、まだ充分自分に自信が持てなかったり、まだ自分自身の欲求が見えなかったりする人は、自分に思い切り“わがまま”を許して生きてみましょう。人の評価はひとまず置いて、自分の欲求に気づき、本当にやりたいことをやるのです。どんなに些細なことでもいい、正直に自分の心が喜ぶことを日々重ねていきましょう。そうするとどんどん自分自身を取り戻していきます。“わがまま”こそ、ありのままの自分に辿り着ける近道なのです。

奇人・変人には好奇心の塊のように、
我が道を狂信的なまでに追及している人が多い。
つまり誰が何と言おうと、強い気持ちで自分の楽しみを
わがままに追い求めているのです。だから幸わせなのです。
さあ あなたも奇人・変人になりましょう
水木 しげる(漫画家)

誰が笑おうが 笑うまいが 自分の歌を唄えばいいんだよ
岡本 太郎

*次回のコラムは2023年7月20日前後の予定です。

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2023年5月20日土曜日

フクロウが教えてくれた幸せへの道しるべ

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フクロウが教えてくれた幸せへの道しるべ
「サラとソロモン」の物語より
Column 2023 No.120

 「サラとソロモン」(エスター&ジェリー・ヒックス共著)の物語は、日本に「引き寄せの法則」ブームが起こる数年前に翻訳された児童書で、“引き寄せの法則”の元祖と謳われ、本書ではこの“引き寄せの法則”を「共鳴引力の法則」と意訳しています。

 主人公の少女サラが、雑木林に住むソロモンという名の、言葉を話す不思議なフクロウと知り合いになったことから物語は始まります。サラはそのソロモンから沢山の真理を学びます。いわゆる「引き寄せの法則」の精神(からくり)を、ソロモンはサラに解かり易く説いて見せます。今回はサラの疑問に対するソロモンのその明快な答えを幾らか挙げながら、私の感じたことを書いていきたいと思います。(ソロモンのメッセージは一部省略して書いています)次はその2人の会話です。

サラ「私もソロモンみたいに空を飛べたらいいな」
ソロモン「サラ、なぜ空を飛びたいの?」
サラ「いつも地面の上を歩かなきゃあいけないなんて面白くないよ…地面の上にあるものだけしか見えなくてつまらない」

ソロモン「サラ、君は僕の質問にちゃんと答えていない…君はなぜ空を飛びたいかを話したのではない。君がぼくに話したのは空を飛べないことを君が嫌だと思う理由は何なのかということだ」
サラ「どこがちがうの?」
ソロモン「大きな違いだ。もう一度答え直してごらん・・・君が望んでいることについて話してほしいんだよ」
サラ「私は空を飛びたいの!」
ソロモン「そうだサラ、その調子だ。なぜ君が空を飛びたいか話してごらん。それはどんな感じがする?…空を飛ぶことはどんな感じがする?地面の上にいることがどんな感じとか空を飛べないことがどういうことかについて話すのではなくて、空を飛ぶことがどんな感じがするかを話してほしいんだ」

 サラはソロモンが言おうとしていることがやっと飲みこめて、目を閉じて話しはじめました。

サラ「空を飛ぶことはとても自由な感じがする。浮かんでいるような感じだけど、もっと速い」
ソロモン「空を飛んでたら何が見えるか話してごらん」
サラ「町全体が下の方に見える。大通りと車が走っているのと、人が歩いているのが見える…」
ソロモン「サラ、空を飛ぶことはどんな感じがする?どんな感じがするかを言ってごらん」

 サラは目を閉じたまま暫く黙って街のはるか上空を飛んでいるつもりになってみました。

サラ「すごく楽しい!空を飛ぶのはすごく楽しいと思う。風のように早く飛べるし、凄く自由な感じがする。すごくいい気分!」

 物語では、ここで実際にサラは空を飛ぶことができたのです。

 ここからは私の気づきです。サラの初めの言葉「空を飛べたらいいな」は単なる願いです。一方「私は空を飛びたい!」は意志であり欲求です。この違いをソロモンはサラに理解させようとしています。単なる願いのレベルでは引き寄せは起こらないのです。

 ソロモンは“引き寄せの条件”としてサラにまず「欲しいものは何かを知ること」の大切さを教えています。次にそれが手に入ったらどんな気持ちになるか。更にあたかもそれが手に入ったかの如く感じきり、イメージがはっきりするまで自分に語り続ける…ここではじめて欲しいものが手に入る(引き寄せられる)のだよと教えているのです。これらのステップがいわゆる「共鳴引力の法則」(引き寄せの法則)の肝心なポイントです。

 ソロモンは更に語ります。「出逢った不快な状況でのとっさの反応は当たり前。しかしそのあとにいつまでもそれに関して思いを巡らせたり、それについて延々と不愉快な気持ちを周りに話し続けたりしている間は、その波動の中に自分を閉じ込めていることになる」…と。

 宇宙は同じ波動のものを引き寄せ合うのが法則だとすると、不愉快な波動の中にいつまでも自分を閉じ込めていたら、その結果は、やはり居心地の悪い不快な状況を周りから引き寄せてしまうことになるのですね。正しい正しくないという観点からではなく、自分の感情を心地いいものに整えていけば、自然にいいものを引き寄せ、自分の人生を好転させていくことができるわけです。

世の中には福も禍もない。ただ考え方でどうにでもなるんだ
ウイリアム・シェクスピア

 続いてソロモンは言います。「健康を引き寄せたければ君の波動が健康の波動と同じにならなければならない。もしも君が病気の人に注意を向けるならば同時には健康を引き寄せることはできない…だから彼らを見るとき病気の人としてみることを辞め、健康を回復しつつある人としてみるんだ。それよりももっといいのは彼らを健康な人として見ることだ」と。

 自分がいま何に目を向けているのか…は、幸せをつかむための重要なポイントなのですね。私たちが罪悪感でいっぱいになったり、恐怖心に満ちていたり、人を羨ましがってばかりのときには、その瞬間においては私達の波動は、自分の望んでいないその波長とひとつになっているので、やはりそれらのほしくない状況を引き寄せてしまう…ということなのだと思います。ソロモンも言っているように、自分が今感じている不快な感情に気付いたら、望む波長にベクトルを向け直す。つまり自分の心が喜びを感じる方に注意を向け直していくことが大切なのですね。

 日常の出来ごとに対して自分の捉え方を変えること。
 それが私が本書を通じて教わったことであり、
 皆さんにお伝えしたいメッセージです

「サラとソロモン」が心に残る一冊という浅見帆帆子氏(エッセイスト)の言葉です。

*次回のコラムは2023年6月20日前後の予定です。

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2023年4月20日木曜日

今を感じて今を生きる

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Column 2023 No.119

 今回のコラムは、前回の「内面に巣くう“むなしさ”を見つめる」(No118)のコラムに続く思いを纏めてみたいと思います。前回の一文の最後の辺りで「人類の永遠のテーマであるむなしさへの対処法のひとつは過去を憂いたり、まだ来ぬ未来を思案することではなく、この瞬間に今できることをやっていく…ことではないだろうか」と書きました。

 古(いにしえ)から多くの賢者・識者も「いま」というこの瞬間の大切さとか、今を生きることの大切さを強調しています。その辺りを釈迦も述べています。

過ぎ去ることを追うことなかれ
いまだ来たざることを念(おも)うことなかれ
過去、それはすでに捨て去られたり
未來、そはいまだ知らざるなり
されば ただ現在する(いまある)ところのものを
そのところにおいてよく観察すべし
揺らぐことなく 動ずることなく
そを見きわめ そを実践すべし
ただ今日 まさに作(な)すべきことを熱心になせ

 なぜこの今のひとときが、この一瞬一瞬が大切なのでしょうか。確かに私達が現実に存在するのはたった今、この瞬間だけです。しかもすべての瞬間はたちまち過去になってしまいます。実は今、自分の目の前にある現実だけが、私達の生きることができる人生です。過去に生きることはできないし、まだ来ぬ未来を生きることもできないのです。

 …としたら、かけがえのないこの瞬間が、私たちにとっていかに価値があり、大切な瞬間であるかの意味が分かります。可能性を選択できるのも今しかありません。過去や未来に思いを飛ばして、憂いたり不安に思って生きていく一番の損失は、今現在を生きるエネルギー・パワーを、過去や未来に分散してしまうことになるということです。パワー不足になるために今を生きる元気がなくなり、今のこのひとときを益々活用できなくなるのです。私達が孤独感を感じたりむなしくなったりするのは、実は、過去や未来ばかりに生きて、エネルギーを分散してしまっていることが大きな原因だということがよく理解できます。

 1990年代後半の米国映画「いまを生きる」に登場する新任教師キーテイングの数々のメッセージはまさに今を生きるということはどういうことかをとても明確に表現していますので幾らかご紹介します。

 今日を楽しめ 自分自身の人生を 忘れがたいものにするのだ

 親の期待に縛られながら、しかも学校の古い伝統と厳しい規律の中でうつうつと生きている生徒達の前に、新しく赴任してきた型破りの教師キーテイングは、ユーモアあふれる独創的な授業で、厳しいルールや固定観念から生徒たちの心を徐々に解放していきます。

 君だけの道を見つけろ
 自分だけの歩み
 自分だけの方角を
 立派でも愚かでもかまわん

 自分がどんな人生を送りたいのか。どんなことをやりたいのか…今現在だけがその可能性を握っています。キーテイング教師は生徒を机の上に立たせ

 なぜ机の上にいるのか分かるか?
 ものごとを常に異なる側面から見つめる為なんだ。
 先入観に捉われず自分の感性を信頼して自分の声を見つけるんだ。

 今を生きろ!今日咲き誇る花も明日は枯れてしまうのだ

 彼は生徒たちに、敷かれたレールから降りて、自分らしく自分の頭で考え行動することの重要性を、ホイットニーの詩を時折引用しながら教えていきます。生徒たちは彼の授業を通して、今を生きる意味を理解し、自由に生きる自分の道を見つけ、逞しく歩み始めます。

 さて、前回私のコラム(No118)へのコメントを下さったお二方の「むなしさ」の捉え方は「むなしさへの対処法」として貴重な示唆があると感じました。参考になると思いましたので、ここに挙げてみたいと思います。

 MOONさんは自分にきた「むなしさ」と闘うのではなく、去る時には去ってくれるだろうという信頼をもって、そのまま心の中にいることを許し、共にいてあげようと決められた。思っていた通り10日間くらいしたら何のきっかけもなく「むなしさ」は去っていった。

 ももこさんは「むなしさ」のもととなっている事柄は見えつつも先送りしていたけれど、思い切って今できることで対処された。するとこれまで捉われていた「むなしさ」の感情が、霧が晴れるように去っていった。

 MOON さんの、「むなしさ」の感情と共にいてあげる。またももこさんの、「むなしさ」のもととなっているものが何かに気づき、思い切って一歩前に進んでみる…。それぞれお二方にやってきた気づきは貴重です。お二方のように、私たちは自分の中に必ず答えを持っています。自分の感性を信じて、むなしさにも対処していけば、あなたなりの答えが必ずやってくる筈です。

 作者不詳ですが、ご紹介します。まさに今日、今だけがギフト!そのギフトを思い切り利用し、楽しんで生きていきたい…そんな勇気が湧いてくるフレーズです。

 昨日はヒストリー 
 明日はミステリー
 今日はプレゼント

*次回のコラムは2023年5月20日前後の予定です。

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2023年3月20日月曜日

自らの内面に巣くう“むなしさ”を見つめる

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自らの内面に巣くう“むなしさ”を見つめる
諸富 祥彦
Column 2023 No.118

 1990年代後半出版の、諸富祥彦著「むなしさの心理学」(講談社現代新書)を再び手にして、私の中にも時折訪れる“むなしさ”を改めて見つめてみたいと思いました。

 私の場合、さして環境に困ったことがあるわけでもなく、人間関係に苦しんでいるわけでもなく、心が喜ぶことをやって楽しむこともできて、一応すべて日常は安定している。しかし、何かが足りない、何だかつまらない…と、ふっと“むなしさ”を感じるひとときがあります。

 夢多き時代である筈の若者世代にも、この世に生まれてきたことの意味が分からず、人生にむなしさを感じながら生きている者が多いと諸富氏はいいます。彼はこれに答えて「…この時代に生きる一人ひとりが自らの内面に巣くう“むなしさ”を見つめる作業から始めるほかない…」と述べています。

 人生とは不思議なものだ。
 一生懸命働いているのになぜか充実感より空虚感の方が強いときがある。
 反対に失敗続きで貧乏で明日が全く見えないのに、空虚さは感じず、
 自分の生を強烈に感じて充実しているときもある
 綿矢 りさ(芥川賞受賞作家)

 …ということは「むなしさ」と言う感情は、環境が深刻な時に感じる感情と言うよりも、むしろある程度満たされているその心の隙間に、ふっと訪れる漠然とした感情なのかもしれません。興味深いのは、若者を対象にしたアンケートでは、彼らが最も強くむなしさを感じたのは“大学に入ってから”が抜群に多かったと諸富氏は述べています。夢いっぱいの大学生活であるはずなのに、「むなしさ」とはまさに摩訶不思議な感情に思われます。

 諸富氏は、人生の大半の時間を仕事に費やす時代にいる大人が感じている「むなしさ」にも触れています。日本有数の一流大学を出て、人が羨むほどの大企業に勤めている30代前半の彼らが、口をそろえて「出来れば会社を辞めたい」「企業に対しても個人としても夢や希望を抱くことができない。くたびれ果てています…」と。また中年期の“むなしさ”の実態にも触れています。「…中年期と言えば働き盛り。サラリーマンで言えば、そろそろ中間管理職と言った年頃。しかし色々な人の相談を受けていると意外と、この時期は仕事面でも家庭面でも危機的な場面に立たされやすい時期だということが解る…(諸富)」

 仕事を持つ女性のストレスも並大抵ではありません。仕事に加えて家庭の家事一般・子育て・親戚及び社会とのつながりにおける労力。その中で、夫は一日の時間のほぼすべてを滅私奉公で会社と仕事に生きている。家庭を顧みる余裕もない夫との間の気持ちのずれから起こる“むなしさ”を抱えている女性は少なくありません。

 自分の内側で口を開けているそのむなしさから目を逸らさずに、
 きちんとそれを見つめることから始めなくてはならない
 諸富 祥彦

 自分の学業や仕事が将来に繋がっているのか…。将来のことを想うと不安でいっぱいになる。果たして生きている意味はあるのか…。そこで多くの人は“むなしさ”に襲われ、むなしさと闘うことになる。そのむなしさを紛らわせるために、友達同士で毎日のように電話し合ったり、ネットサーフィンに夢中になったり、お酒で紛らわしたり… 私達は無意識にそのむなしさから逃げていこうとします。それが形を変えると、いじめ、不登校、登社拒否、鬱、…等々の現象として現れてきます。

 高齢者を襲うむなしさはさらに深刻です。「…“生・老・病・死”は人生の“四苦”であると言われる。考えてみれば老いることは同時に“病む”ことであり、“死にゆく”ことでもある。…つまり“老い”には“生老病死”の四苦が全てかかわっている。だから上手に老いることは大変難しい…(諸富)」

 深い共感がある一文でした。私の中に巣くっている“むなしさ”も、確かにこの “生老病死”と無関係ではないと実感したのでした。しかしだからと言ってすぐに答えが見つかるわけではありません。私の中に漠然と居座っている“むなしさ”はどんなに頭をひねっても解決の糸口が見つからない難問のように思えます。これは、人智を超えていくことでしか完璧に解決できない問題なのかもしれません。

 あなたが人生に絶望しようとも、人生があなたに絶望することはない
 ヴィクトール・フランクル

 私にも体験があります。鬱状態が続く中で、打つ手が何もないという崖っぷちに立ったとき、一睡もできない日が続き苦しみの頂点に達した時“万事休す”もうどうにでもなれと、自分をすっかり投げ出した時、もう自分はこのまま命が尽きるのだろうと思っていたにもかかわらず、何だか心の底から表現できないような深い安らぎが湧き上がってきたのです。これが諸富氏の「死のうが生きようが関係ない。私たちの思い煩いとは関係なく、身体の内側で勝手に生き働いてくれている何かを感じる…」のと同じ体感だったのではないかと思います。

 私が病から立ち直った後に決意したことは、諸富氏のいう“私達の身体の内側で生き働いてくれている何か…” の、その存在を信頼して生きてみよう。その為に自分には何ができるかということでした。それはまだ来ぬ先々のことを憂いたり思案することではなく、この瞬間に集中して今できることだけをやっていくということだと思ったのです。そしてこれは、人類の永遠のテーマとも思える「むなしさ」へのひとつの対処法ではないか…と今は感じています。最後に、幕末に獄中生活を余儀なくされた吉田松陰のフレーズで、今回のコラムを閉じたいと思います。

 死を求めもせず、死を辞しもせず、
 獄にあっては獄で出来ることをする。
 獄を出ては、出て出来ることをする
 吉田 松陰

*次回のコラムは2023年4月20日前後の予定です。

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2023年2月20日月曜日

時間は人間のために創られているのであって、人間が時間のために創られているわけではない

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時間は人間のために創られているのであって、
人間が時間のために創られているわけではない
イタリアのことわざ
Column 2023 No.117

 今回は「時間」について考えてみたいと思います。20数年前、ある受講者の方から贈って頂いた「モモ」(ミヒャエル・エンデ作)という児童文学書のことを思い出しました。それは確か時間をテーマにした内容だったことを思い出して、もう一度読み返してみました。スリルとファンタジックに溢れていて、初めて読んだ時よりも更に深い感動があったのは不思議でした。

 簡単にそのあらすじを書いてみます。

「今は廃墟となった円形劇場の一画に住みついた、粗末な身なりをした身寄りのないモモというひとりの少女の物語。モモは不思議な能力をもった子どもで、相手が大人であろうと子どもであろうと、その人の話すことを、心の耳を傾けて、ただ黙って聴くだけで、その人の心の中にすっと入っていきます。本当の気持ちが聴きとれるので、モモに話を打ち明けると、誰もが心が柔らかくなり、その人の中から自然に自分に必要な答えがやって来る。その結果、モモは街の人たちにとってかけがえのない存在になります。

そんな折、街中に“時間貯蓄銀行家”と名乗る灰色の男の集団が見え隠れする。その銀行家が言うには“君たちは時間を非常に無駄に使っている。時間を節約して我々の貯蓄銀行にその時間を預けると、近代的で進歩的な人間の仲間入りし、収入も倍になって返ってくる”とうそぶき、その灰色集団が時間の無駄遣いだと決めつけている“人々の睡眠時間”“余暇の時間”“人間関係の暖かい交流”“趣味に費やす時間”“読書を楽しむ時間”“ぼんやりと自分と共にいるひととき”…等々の、豊かで人間的な生活空間をじわじわと奪っていく。人々はあまり深く意識しないままに、どんどんその灰色の集団の思うつぼに嵌っていき、その結果は歓びも生きる実感もなく、日々のノルマをこなすことに営々とする、虚しい人生の落とし穴へと落ち込んでいく。

人々に愛され人々への影響力の大きいモモは、灰色集団に目をつけられます。本当の気持ちを聴きとる能力を持つモモは、灰色集団の正体の真実を知ることになり、追われる身となります。しかし自分自身の気持ちに正直に生き、人々の幸せを心から願って生きているモモには思うように手が出せない。人々が灰色集団に奪われてしまった時間を取り戻すために、モモはその集団と闘っていく決意をします。

純粋なハーㇳと、感度のよさ、運の強さで、モモは強い味方を得ることになり、その者の協力を得て、灰色集団の貯蓄銀行に貯蓄されていた人々の時間を、命がけで解放します。その結果、再び人々にゆったりとした時間が戻っていき、人間的な生活が甦り、人々は心の余裕、喜びの人生を再び取り戻していく…」と言う物語です。

 この物語は他人事とは思えない切迫感を感じさせます。「時は金なり」(ベンジャミン・フランクリン)「時間の浪費ほど大きな害はない」(ミケラン・ジェロ)…などの名言が何だかちょっぴり冷めた気持ちで感じられてきます。

無駄を楽しんでいるならば、その時間は決して無駄ではない
ジョン・レノン

 無駄がないことが社会の優先順位となり、仕事も、標準化・定型業務型が主流となっていきました。人々の生活も日ごとに画一的になり、人々の表情にも活気がなくなってきました。「モモ」の物語は、モモとその他の登場人物を通して、大きく現代社会への警鐘を鳴らしている作品です。

 確かに世界に例を見ない日本の高度成長を支えてきた背景を見ても、技術革新の導入、設備投資、良質の労働力…等々による恩恵があり、もっと効率的に、もっと多くを求めて、一人ひとりが自らの時間を削り、時間外労働や滅私奉公的犠牲心で手にしてきた進化と繁栄があります。しかしその繁栄とは裏腹に、人々の心には寂寥感と虚無感で圧倒されている現実も垣間見えてきます。そんな状況の中で、子ども達も画一的な環境に嵌められて、自分たちの考えた遊びや何かに夢中になって楽しむ場面もどんどん奪われていきました。

珠玉の時間を無駄に過ごさないようにと注意を受けたことがあるだろう。
しかし無為に過ごすからこそ珠玉の時間となる時もある
ジェームス・マシュー・バリー

 「モモ」の物語の中に「灰色の男を生み出したのは人間自身だ。本当はいない筈のものだが、人間がそういうものを発生させる条件を創っているのだ」…という一節があります。厳粛に受け止めたい言葉ですね。自分たちが創りだしたものだとしたら、心豊かに人間らしく生きていくために、本当は何が大切で、何ができるのかをあらためて考えなおせる希望・可能性も感じさせます。

 モモの親友で、登場人物のひとりである道路掃除夫の、べッポのつぶやきで今回のコラムを閉じたいと思います。

「…とっても長い道路を受け持つことがよくあるんだ。おっそろしく長くてこれじゃあとてもやり切れない。こう思ってしまう。そこでせかせかと働きだす。どんどんスピードを上げていく。ときどき目を上げてみるんだが、いつ見ても残りの道路はちっともへっていない。だからもっとすごい勢いで働きまくる。心配でたまらないんだ。そしてしまいには息が切れて動けなくなってしまう。こういうやり方は、いかんのだ…

…いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん。わかるかな?次の一歩のことだけ、次のひと呼吸のことだけ、次のひと掃きのことだけを考えるんだ。いつも次のことだけをな。…すると楽しくなってくる。これがだいじなんだ。楽しければ仕事がうまくはかどる。こういうふうにやらなきゃあだめなんだ。…ひょっと気がついたときには、一歩一歩進んできた道路が全部終わっとる。どうやってやりとげたかは自分にも分らん。…これがだいじなんだ」

笑いのない日 それは人生の無駄な日である
チャールズ・チャップリン

*次回のコラムは2023年3月20日前後の予定です。

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2023年1月20日金曜日

くさらない おごらない 屈しない

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くさらない おごらない 屈しない
村上 和雄
Column 2023 No.116

 村上氏は分子生物学者であり、高血圧を引き起こす原因となる「ヒト・レニン」の遺伝子解読に成功。遺伝子を研究していけばいくほど人間智では解決できない世界があるとし、それをサムシング・グレイトと想定したことで知られている。

 私たちは仕事で挫折したり、誰かに先を越されたり、人間関係でぎくしゃくして自分の非を認めざるを得ない事態に陥ったとき…などに、“くさらない”でいられる人はまずいないでしょう。逆に、他の追随を許さないほどに仕事に成功したり、人々に尊敬され崇められる環境にいるとき“おごらない”でいられる人も、そう多くはいないのではないでしょうか。

勝って驕(おご)らず 負けてくさるな
作者不詳

 このフレーズや冒頭の村上氏のフレーズに私たちが心惹かれるのは、出来そうで出来ない内面のこの葛藤に実はうんざりしており、何とか乗り越えたいと感じているだけに、私たちの魂に深く響くのでしょう。

 しかし、感情にいい・悪いはありません。ものごとが思うように運ばないで、気持ちがくさったり、逆にうまく運んで有頂天になったり、つまり“落ち込む”ことも“驕る”つまり威張る気持ちも、正直に自分を生きていると、必ず感じる人間の自然感情であり、実は貴重な感情体験なのです。

 自分自身の中のくさってしまう気持ちや驕ってしまう気持ちを、ただ感じて味わっていると、やがてそれらの感情が俯瞰出来るようになるものです。するとそれらが、実は居心地の悪いものであることに気づいたり、驕っていた感情が自分にとって本当の歓びではなかったということにも、人は自然に気付いていきます。そしてそれらの気づきが智慧となって、私たちが次に選択する行動に必ず生きていくのです。実はそのプロセスが、自己実現に向かう次のステージに上がっていくために、とても大切な行程なのです。

 「屈しない」というのは意志の力です。くさることがあるかもしれない。おごることがあるかもしれない。しかし、ただその感情に気づいていること。そして本来自分の中にある“諦めない”“めげない”意志の力を思い出して、それを使うことで、私たちは必ず何かを掴んでいくのです。

生きる上で最も偉大な栄光は転ばないことにあるのではない。
転ぶたびに起き上がり続けることである
ネルソン・マンデラ

結果が出ないとき、どういう自分でいられるか。
決して諦めない姿勢が何かを生み出すきっかけになる
イチロー

 私自身も人生に何度か挫折がありました。今思い出しても胸が詰まるような体験です。しかしやはり私は立ち上がることを選択しました。その結果、イチロー氏が言うように、その痛みを伴なった体験の中から、私にとって必要な答えが閃きのようにやってきたのを記憶しています。そしてその時に感じたことは、“諦めない!”という意志の力は、本来誰の中にもあって、諦めないと決意したとき、それはその人の中で、次のステップに進むための大きなエネルギーを発揮してくれるものなんだ‥ということを実感したのです。

努力して結果が出ると自信になる
努力せず結果が出ると驕り(おごり)になる
努力せず結果が出ないと後悔が残る
努力して結果が出ないとしても、経験が残る
作者不詳 

 “自信”も“驕り”も“後悔”もすべて人生における貴重な体験です。例え思うような結果が出ないにしても、必ず経験が残るのですから…。その経験から来る気づきこそが、私たちに叡知を授け、成長させてくれる宝なのです。経験・体験と共に来る感情を、恐れず味わい体験していく。味わうということは感情にのめり込むことではありません。格闘することでもありません。感じて気付いたら、出来ればあとは、あなたなりのやり方で感情を手放していく…これは大切なあり方です。

 その結果“くさる”ことも“驕る”ことも、その人にとってはたいした問題ではなくなり、次にやって来る経験・体験を果敢に迎え入れることができるようになります。このこだわりを超えた積極性こそが自己実現に向かう、まさに王道なのではないでしょうか。

私が無一文になったとき、失ったものは財産だけではないか。
そのぶんだけ、経験から血や肉となって身についた
安藤 百福

経験を賢く生かせるなら 無駄な時間は一切ない
オーギュスト・ロダン

*次回のコラムは2023年2月20日前後の予定です。

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