2016年4月19日火曜日

人間は誰しも心の中に“アウシュビッツ”をもっている

Column 2016 No.35

人間は誰しも心の中に“アウシュビッツ”をもっている
                                                - ビクトール・フランクル -

 名作「夜と霧」で知られるオーストリアの心理学者ビクトール・フランクルの言葉です。私はこの数週間の中で、フランクルのいう“アウシュビッツ”を、自分の心の奥底に見る羽目に陥りました。

 講座の最終日、打ち上げ会を済ませて夜遅く機嫌よく帰宅。玄関の鍵を開けながらいつもの習わしで、隣の家の灯りを確かめました。明かりが灯っていない…。私の家の両隣は、夫の兄弟の家族がそれぞれ住んでいましたが、娘たちは嫁ぎ、今や、夫を始め夫の兄弟はみんな亡くなり、灯りを確かめたその家には夫の姪が一人で住んでいます。  

 今日は出かけているのかなあ…。一端、家の中に入ったものの、何か胸騒ぎがして預かっている鍵をもって、応答のない家に入っていきました。すると二階から、か細い声で「待っていたの…」と! 何と、倒れて動けない状態でいるのです。わたしは動転しましたが、すぐに救急車を呼び市民病院へ…。待合室で施術と検査結果を待つこと二時間…。本人も気づかなかったという重篤な病にかかっているという結果で即入院。長期に亘る治療が予想されます。彼女には両親も兄弟もいない。何が何でも私がやるしかない!明日の仕事のことで頭が一杯になりながら、入院手続きやら入院のための用品準備でてんやわんや! 帰宅したのは午前四時近く…。めったに飲まない誘眠剤を飲用…。

 それからは毎日の病院通いで、私の中での苦悩との葛藤が始まりました…。人生にはまさに思いもかけなかったことが起るんですねえ…。私よりもずっと若い(夫の)姪が病に倒れるなんて…。そして私が世話をしなくてはならない羽目に陥るなんて…。彼女の父親はアパートの建立のための借り入れを残したまま、逝きました。そのストレスが恐らく彼女をここまで追い込んだのでしょう…。返済に追われて、自分が使えるお金は殆ど残らない状態…。薄々は分かっていたもののその現実を知った私は、愕然として、まさにパニック状態…。私の頭の中は、彼女の病状を心配するどころではなく、入院費はどうする!これから長期に亘るであろう彼女の日々の世話をどうする! 

 私は、夫を数年前に見送り、自分の生活と身体を守っていくことで精いっぱいの今の現実なのに…。一体どうしたらいいのだろう!どうなるんだろう!どんどん自分を追い込んでいきました。 不眠が続き、時折出ていた不整脈が頻繁に…。解決が全く見えない現実の中、夜中に目が醒めると、自分の潜在意識の混沌としたカオスの真っただ中に落ちていきます。そこはまさに愛が不毛で、無慈悲で、残酷で、血も凍るような恐怖と暗黒の闇の世界…。ああ、地獄ってこういう世界なんだろうなあ…。フランクルの言う“アウシュビッツ”を、私はまさに毎夜体験したのでした。

 体力も限界を感じ、そんな中で信頼している親友に会いました。自分の本当の気持ちを話してみました。入院費のこと、仕事をしながら世話をしていくことへの不安、自分の体力の限界…等々。「…本当はこの現実から逃げたいよ!私はこれまで両親をはじめ、夫はもちろん色々な人の世話をし見送ってきたのよ!もう体力も限界!これ以上人の世話はこりごり!…それに費用はどうやって?!」みっともない本音をぶちまけたのでした。彼女は黙って本気で聴いてくれました。いつもと違う私に戸惑っている感じでしたが、静かに言いました。「なるようにしかならないよ…。あなたのあるがままの気持ちでやるしかないよ…」と。

 友人の本当の気持ちを私は知っているので、その言葉は私の魂にすっと届きました。動転していた私の気持ちはかなり落ち着いてきました。そう!姪が決めたことに従い、出来ないことはできない!出来ることはやらせていただく…。自分の気持ちに正直にやるしかない…。出来もしないことを何とか解決しなくては…とその気持ちに圧倒されていた自分にも改めて気がついたのでした…。

 少しずつ気持ちに整理がついて来たら、沢山のことに気付いてきました。私はもの心つく頃から、母が病弱だったので、無意識に母を守り、もう少し大きくなると、家族に何かあればすぐに全責任を負って最前線に立とうとしてしまう…。 でも多くは責任が負いきれないから、無謀な行動に出たり、途中で投げ出してしまう羽目にもなっていたなあ…と。 

 これからは一人で背負うことはもう本当に止めよう。特に今回のできごとは、私ひとりが責任をもつべきものでもない…と思えてきたのです。きっと力になってくれる人がある!…と。私は果敢に交渉に出ることにしました。彼女が比較的親しくしていたように思える、遠く東北に住む母方の従姉さん。そして嫁いでいった市内に住んでいる父方の従妹さん。彼女の母方の従兄にあたる人のお嫁さんにまで、交渉にあたりました。ああ何と有難いことでしょう!皆さんが協力して下さることになったのです!

 一緒に専門家を訪ねて解決策を模索しました。遠くの従姉さんは、取り敢えず入院費の立て替えを引き受けて下さり、私を含めた近くの三人はローテーションを組んで彼女を見舞い世話をしていく見通しが立ちました。中でも一番若い彼女の従妹にあたる人は、姪の未整理のままの生活万般の事務処理を手際よく片付けてくれています。私にとってはまさに奇跡でした。

 周りの人の援助を求める勇気をもつことの大切さ! こうして人の温かさや、人としての本当の繋がりを体験できたことは、この出来事あっての感謝です。そして強烈な体験でしたが、自分の非情さや冷酷さに気付いたこと、つまり自分の中の“心の闇”を痛いほど実感したことも、私は自分への深い深い哀しみと共に、自分への愛おしさや愛がさらに増してきたような気がします。そしてそれは、私の中でゆっくりと、本ものの愛や思いやりへと熟成していき、やがて、周りの人々へと及んでいく日がきっと来るであろう予感がします。

 これからはまたどんな流れが来るかはわかりません。正直考えると怖いです。でも今だけを見つめて、周りの人に感謝して、自分を赦して赦して、出来ることをして、一生懸命生きていきたいと思います。こんな時、日木流奈君の言葉は私の心に元気をくれます。

期待しないで諦めないで!
- 日木流奈 -


*次回のコラムは5月20日前後の予定です。