2022年1月20日木曜日

新しい目標をもったり新しい夢を見るのに、歳を取り過ぎたということはない

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新しい目標をもったり新しい夢を見るのに
歳を取り過ぎたということはない
C・S・ルイス
Column 2022 No.104

 2022年!新しい年がやってきました。お正月は家族で「湯布院」で過ごしました。そこに向かう車窓から、輝かしい新年の朝日を浴びながら、冒頭のフレーズをしきりに思い出していました。

 新しい夢を見るのに歳を取り過ぎたということはない…というけれど、自分の身体の動きや想いの中に年齢を感じることが多くなって、それに気を取られて生きているな…階段の上り下り、文字の見えにくさ、大切な人の名前のど忘れ、物の置き忘れ…等々、ちょっと増えてきたかな…と。大切な私の人生に対する「夢」「目標」など…ちゃんと見つめているだろうか…と。

 フランスの医師であったアルベルト・シュバイツアーは言っています。「物事に関心が無くなったり、憧れ・熱意などを失いかけていることなどに…少しでも気づいたら病気の前触れだと考えなければならない。表面的に流されている生活に魂が苦しんでいるのだと、気付かなければならない」…と。そうかあ…知らず知らずに表面的な生活に流されたり、老いの想念の方に心が行ってしまっていたんだなあ。真の自分から逸れてしまっていることに魂が苦しんで、私にサインを送ってくれている状態だったのか…そうだったのか…と。

“ああそうだ!”と気づいたその時が、あなたのバースデー
中村 天風

 天風氏の “気づいたその時があなたの誕生日!” のフレーズは今の私の気持ちにぴったりと重なって、改めて新しい自分に生まれ変わろうと思いました。私たちは習い性のように、何事も昨日の続き…と思って生活をしていますが、実は人は誰でも瞬間瞬間、何かに気づきながら、新しい自分に生まれ変わっていくのだ…ということを忘れかけていた気がします。親業でも“気づき”は特に大切にしています。深い気づきを得た人は、確かにその瞬間から、新しいその人で生き始められるのを何度も見て感じてきました。

 さて、私たちは、一年の終わりに「忘年会」と名付けた飲み会をしますね。広辞苑によると、「その年にあった色々な苦労を忘れるために催す宴」とあります。その年にあったことをすべて水に流して、新しい気持ちで新年を迎えよう・・・というわけです。ちなみに「忘年会」は日本独自の文化のようです。素晴らしい日本文化だと思います。今年の私の年賀状にとりあげたフレーズは、たまたま次のフレーズです。

許すはよし 忘れるはなおよし
ロバート・ブラウニング

 ブラウニングが伝えたいこととは少し角度は違いますが、「忘れる」という能力は私たちに与えられた天からの恩寵に思います。生きてきたこれまでの苦しみ、後悔、他者への怨念…等々を、もし全部覚えていたとしたら、今を生き切ることはとても難しいでしょう。忘れることで、脳のスペースは広がって新しい新鮮な情報がどんどん受けとれる。“忘れる能力”…なかなかいいではないかと思えるのです。何だか言い訳っぽい感じがしないでもないですね(笑)

50過ぎたら「ま、いいか」「それがどうした」
「人それぞれ」でいこう
広兼 憲史

 50歳どころではない年齢を迎えましたが、やはり大共感のフレーズです。些細なことはどんどん忘れて、自分を大きく包んで赦し、他者と比べず、たえず自分に優しく優しくです。出来ないことに気を取られず、出来ること・心が喜ぶことを大切にして、わくわくと生きていこう。新しい夢を見たり、これまで温めてきた夢を実現したり、年齢を重ねることへの捉われを超えて、牛のように堂々とマイペースでやっていこう…と改めて決意した新年でした。

人が対決する相手は老化ではありません。真の相手は恐れです。
老化は恐れを蓄えるひとつの場所なのです
賢者の言葉

 このコラムの終わりに、松下幸之助氏が、ことあるごとにこの詩を愛唱し、ご自分を鼓舞していらしたという、サミュエル・ウルマンの「青春」の詩をご紹介します。

 齢を重ねるだけでは人は老いない
 理想を失う時に初めて老いが来る
    (中略)
 人は信念と共に若く 疑惑と共に老いる
 人は自信と共に若く 恐怖と共に老いる
 希望ある限り若く 失望と共に老いる


*次回のコラムは2022年2月20日前後の予定です。

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