父親になるのは簡単だが、父親たることはなかなか難しい
ヴィルヘルム・ブッシュ
ヴィルヘルム・ブッシュ
Column 2017 No.54
前回は、私自身が仕事を通して長年感じてきたことを、“父親”という観点から書いてみました。次のⅡからその続きです。
Ⅰ.どんな形であれ、父親もしっかりと子どもに係わっていく(コラムNo53)
子どもと係わることで、子どもの心としっかり繋がります。子どもはあっという間に大きくなります。だからこそ、お父さんも、今日の子どもとの係わりを“一期一会”と受け止めて大切に…。
Ⅱ.“父親の役割”“母親の役割”にこだわらず、ひとりの人間として正直に子どもに接していく
「親業」の理念のひとつですが、一人ひとりの親の中に“父性と母性”の双方を!という捉え方(コラムNo34)をしています。父親としての役割、母親としての役割(例えば叱る役は父親・守る役は母親)に捉われず、一人ひとりの親の感性を信頼したコミュニケーションを大切にしています。子どもの行動を見て、ここでは“黙って見守ろう(母性)ここでは“きちんと伝えておこう”(父性)というふうに、父親も母親も自分の気持ちに正直にそれぞれが対応していきます。だから片親であっても子どもはちゃんと自立へと導けるのです。
中1のH君は、学校に行けなくて一日中家にいるのですが、昼夜逆転もあって、このところ父親と殆んど会うことがありません。ある日のこと、廊下を歩いていたら、ばったりお父さんに逢いました。H君に緊張が走りました。近づいてきたお父さんは、H君の両肩に手を置いて、「おっ!Hかあ!久しぶりだな!元気か!」と言ったのです。他には何にも言いませんでした。その日のカウンセリングでH君が言いました。「僕は父に怒られると思っていた。でも父はぼくの肩を強くつかんでそう言っただけでした。僕は嬉しくて、不思議ですが凄い元気が出てきました…」と。お父さんは、学校に行けないでいるH君をせかせることなく、自分の感性を大切にして、包み込む“母性”で自然な行動をされたのです。
Ⅲ.正論は子どもを追い込みます
ある高校生の男子が言いました。「こっちの言い分は一切聞かないで、父なりの正論を押し付けて教育したつもりでいる。いつもやりきれなさが残る…。いつかし返しをしてやりたい気持ちがあるが、正直言ってもういい!係わりたくない!」…と。父性の「叱る」背景にも、母性の「受容」という裏打ちが無ければ、子どもには伝わらないし、恐れで動くことはあっても、自分から自主的に動くことは難しいのです。つまり自立には向かいにくいのです。
ずっと以前、世間を震撼とさせるような事件を起こした子どもが言いました。「うちの親は仮面をかぶっていた…」と。おそらく彼の親御さんも“正論”で子どもを教育されたのでしょう。「~すべきだろう!」「それは世間には通らないだろう!」「世の中はこういうもんだ!」正論は一般論を語るだけで、親の本当の気持ちは全く見えません。それを“仮面をかぶっている”と、彼は表現したのです。
しかも正論は理路整然としているので、子どもからしたら、反論の余地がありません。言われていることはもっともだ…でも…でも…と、子どもは自分のやりきれない感情を吐き出せない…。親の言う通りになるので、親にとってはとても“いい子”ですが、子どもは絶望的な感情を心の中に鬱積していくことになります。その上、頭レベルで生き易く、失敗を恐れ、危険を侵さず、自分の人生を実感して生きることが難しくなります。それは子どもの心の中に、壮絶なストレス・葛藤を起こしやすく、その結果、世間を驚せるような事件に繋がることも多いのです。
次の一文は、正論の父親と子どもの、典型的なやり取りの一部です(伊藤友宣著「家庭という歪んだ宇宙」より抜粋)
私(父親)が“夕食を食べろ!”と声をかけたのがきっかけで、息子はごたごた難しいことを言い始め、バトミントンのラケットで壁を叩き、テーブルを叩き始めた。
子「三年間をどうしてくれる!」
父「返せるものなら返してやりたいよ!過ぎた年月がどうしたら返せるのや!お前も、もういい加減に同じことを繰り返すのはやめないか!」
子「三年を返してくれたら言うことをやめる!」
父「ばかなことを言うな!時間は戻らんわい!」
子「返せないで済むと思うのか!」
父「いったいどうしろっていうのや!気のすむようにしてやれることがあるならそうするさ。それを言えよ!」
子「へっ!今さらどうしろって?えっ?ははは!今頃それを尋ねるくらいなら三年前に何で~塾に強制的に行かせたんや!ヤマダ(塾の講師・仮名)の言うことを信じて、我が子の言うことを認めなかったのはお前やないか!親か、それでも!」
…延々と言い言い争いは続き、さらに最悪のコミュニケーションにまで発展します。もしこの父親に適切な発信能力(父性)と、子どものやりきれない気持ちを理解する受容能力(母性)があったら、おそらくここまで破壊的コミュニケーションには至らなかったでしょう。
子どもの「三年間を返せ!」の言葉の裏にある、子どもの複雑な気持ちを父親が受けとめられたら、「そうか!この三年間は、本当の自分の道を生きてこれなかったんだなあ…。だから三年間を返せ!と言いたいくらい悲しくて、悔しくて、つらい気持ちなんだなあ…」と言ってやれるでしょう。それでも長年ため込んできた子どもの悔しさ・苛立ちは、そう簡単には治まらず、次々と浮上してくることでしょう。しかしそれをしっかり受け止め続けていけば、やがて子どもの気持ちは必ず落ち着いてくるのです。過去は戻っては来ないことは、子どもは誰よりも分かっている。ただ辛かった気持ちを解かってもらいたいだけなのですから…。
一方「それでも親か!」と言われて、親の心の中に、無力さや、哀しみが湧いてきたなら、それを正論で挑戦的に反応するのではなく、自分の弱さや惨めさを思い切って本音で語ってみるのです。子どもは親の正論に対しては何処までも挑戦してきますが、親の本当の気持ち・本音に触れると、“もう一枚脱げ”…とは決して言わないのです。仮面を脱いだ親には脱帽するのです。あなたを許す日が必ず来るのです。しかし“本音を語る”ということは父親にとっては、本当はとても難しいことです。だから訓練がいるのです。
その為には、時には仕事から離れて、子どもと遊んだり、もっともっと自分の心が喜ぶことや、やりたいことをやって人生を楽しみ、日々を実感して生きてみることが大切です。すると自分の心の位置が解り、自分の本当の気持ちが感じられるようになってきます。すると自分の本音が、自然に語れるようになります。そうなった時初めて、子どもと繋がれ、妻と繋がれて、お互いに親密な人間関係が組めるのではないでしょうか。仕事だけが人生ではありません。生きて実感することこそが人生です。
Ⅰ.どんな形であれ、父親もしっかりと子どもに係わっていく(コラムNo53)
子どもと係わることで、子どもの心としっかり繋がります。子どもはあっという間に大きくなります。だからこそ、お父さんも、今日の子どもとの係わりを“一期一会”と受け止めて大切に…。
Ⅱ.“父親の役割”“母親の役割”にこだわらず、ひとりの人間として正直に子どもに接していく
「親業」の理念のひとつですが、一人ひとりの親の中に“父性と母性”の双方を!という捉え方(コラムNo34)をしています。父親としての役割、母親としての役割(例えば叱る役は父親・守る役は母親)に捉われず、一人ひとりの親の感性を信頼したコミュニケーションを大切にしています。子どもの行動を見て、ここでは“黙って見守ろう(母性)ここでは“きちんと伝えておこう”(父性)というふうに、父親も母親も自分の気持ちに正直にそれぞれが対応していきます。だから片親であっても子どもはちゃんと自立へと導けるのです。
中1のH君は、学校に行けなくて一日中家にいるのですが、昼夜逆転もあって、このところ父親と殆んど会うことがありません。ある日のこと、廊下を歩いていたら、ばったりお父さんに逢いました。H君に緊張が走りました。近づいてきたお父さんは、H君の両肩に手を置いて、「おっ!Hかあ!久しぶりだな!元気か!」と言ったのです。他には何にも言いませんでした。その日のカウンセリングでH君が言いました。「僕は父に怒られると思っていた。でも父はぼくの肩を強くつかんでそう言っただけでした。僕は嬉しくて、不思議ですが凄い元気が出てきました…」と。お父さんは、学校に行けないでいるH君をせかせることなく、自分の感性を大切にして、包み込む“母性”で自然な行動をされたのです。
Ⅲ.正論は子どもを追い込みます
ある高校生の男子が言いました。「こっちの言い分は一切聞かないで、父なりの正論を押し付けて教育したつもりでいる。いつもやりきれなさが残る…。いつかし返しをしてやりたい気持ちがあるが、正直言ってもういい!係わりたくない!」…と。父性の「叱る」背景にも、母性の「受容」という裏打ちが無ければ、子どもには伝わらないし、恐れで動くことはあっても、自分から自主的に動くことは難しいのです。つまり自立には向かいにくいのです。
ずっと以前、世間を震撼とさせるような事件を起こした子どもが言いました。「うちの親は仮面をかぶっていた…」と。おそらく彼の親御さんも“正論”で子どもを教育されたのでしょう。「~すべきだろう!」「それは世間には通らないだろう!」「世の中はこういうもんだ!」正論は一般論を語るだけで、親の本当の気持ちは全く見えません。それを“仮面をかぶっている”と、彼は表現したのです。
しかも正論は理路整然としているので、子どもからしたら、反論の余地がありません。言われていることはもっともだ…でも…でも…と、子どもは自分のやりきれない感情を吐き出せない…。親の言う通りになるので、親にとってはとても“いい子”ですが、子どもは絶望的な感情を心の中に鬱積していくことになります。その上、頭レベルで生き易く、失敗を恐れ、危険を侵さず、自分の人生を実感して生きることが難しくなります。それは子どもの心の中に、壮絶なストレス・葛藤を起こしやすく、その結果、世間を驚せるような事件に繋がることも多いのです。
次の一文は、正論の父親と子どもの、典型的なやり取りの一部です(伊藤友宣著「家庭という歪んだ宇宙」より抜粋)
私(父親)が“夕食を食べろ!”と声をかけたのがきっかけで、息子はごたごた難しいことを言い始め、バトミントンのラケットで壁を叩き、テーブルを叩き始めた。
子「三年間をどうしてくれる!」
父「返せるものなら返してやりたいよ!過ぎた年月がどうしたら返せるのや!お前も、もういい加減に同じことを繰り返すのはやめないか!」
子「三年を返してくれたら言うことをやめる!」
父「ばかなことを言うな!時間は戻らんわい!」
子「返せないで済むと思うのか!」
父「いったいどうしろっていうのや!気のすむようにしてやれることがあるならそうするさ。それを言えよ!」
子「へっ!今さらどうしろって?えっ?ははは!今頃それを尋ねるくらいなら三年前に何で~塾に強制的に行かせたんや!ヤマダ(塾の講師・仮名)の言うことを信じて、我が子の言うことを認めなかったのはお前やないか!親か、それでも!」
…延々と言い言い争いは続き、さらに最悪のコミュニケーションにまで発展します。もしこの父親に適切な発信能力(父性)と、子どものやりきれない気持ちを理解する受容能力(母性)があったら、おそらくここまで破壊的コミュニケーションには至らなかったでしょう。
子どもの「三年間を返せ!」の言葉の裏にある、子どもの複雑な気持ちを父親が受けとめられたら、「そうか!この三年間は、本当の自分の道を生きてこれなかったんだなあ…。だから三年間を返せ!と言いたいくらい悲しくて、悔しくて、つらい気持ちなんだなあ…」と言ってやれるでしょう。それでも長年ため込んできた子どもの悔しさ・苛立ちは、そう簡単には治まらず、次々と浮上してくることでしょう。しかしそれをしっかり受け止め続けていけば、やがて子どもの気持ちは必ず落ち着いてくるのです。過去は戻っては来ないことは、子どもは誰よりも分かっている。ただ辛かった気持ちを解かってもらいたいだけなのですから…。
一方「それでも親か!」と言われて、親の心の中に、無力さや、哀しみが湧いてきたなら、それを正論で挑戦的に反応するのではなく、自分の弱さや惨めさを思い切って本音で語ってみるのです。子どもは親の正論に対しては何処までも挑戦してきますが、親の本当の気持ち・本音に触れると、“もう一枚脱げ”…とは決して言わないのです。仮面を脱いだ親には脱帽するのです。あなたを許す日が必ず来るのです。しかし“本音を語る”ということは父親にとっては、本当はとても難しいことです。だから訓練がいるのです。
その為には、時には仕事から離れて、子どもと遊んだり、もっともっと自分の心が喜ぶことや、やりたいことをやって人生を楽しみ、日々を実感して生きてみることが大切です。すると自分の心の位置が解り、自分の本当の気持ちが感じられるようになってきます。すると自分の本音が、自然に語れるようになります。そうなった時初めて、子どもと繋がれ、妻と繋がれて、お互いに親密な人間関係が組めるのではないでしょうか。仕事だけが人生ではありません。生きて実感することこそが人生です。
*次回のコラムは12月20日前後の予定です。次回も続いて事例を交えながら父親の生き方を探っていきたいと思います。
父親の記事の1では、なんてコメントしていいかわからず、そのままにしていました。
返信削除今回のは、コメントを書こうと思い書いています。
父親は正論を言いますね。話を聞いていて、なるほどと思います。
が、それに対して反論できませんよね。仕事をしていた時の父親の話がそうでした。
私自身も、正論が多かったと思います。本音の私なのに(本音が好きだったけど、仕事上、本音を言えませんでした。というより、私の本音は相手を傷つけることが多かった気がします。きちんとした言葉で本音を伝えることができなかった私でした)
はだかの自分を見せることが怖かったのですね、私は。
わが息子が小学生の時、「友達にほんとのことを話したら?」というと「馬鹿にされるので言えない」といったことがありました。内容はよく覚えていませんが・・
たぶんそのころからかな?いじめが始まったのかもしれません。いじめられている実態を把握してなかった私は、息子に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
担任の先生と話して何とかしたいともがきました。いろいろありましたが、40歳になる息子を見ていて、人間不信感みたいなのをいまだに持っているのではないかと心配しています。一度腹を割って話してみようと思います。本音の自分、はだかの自分を見せながら・・・
Kiyokoさま
削除返信が遅くなりました。
Kiyokoさんは 仰るように、正論は仕事上やむを得ない場合もあったかと思います。しかし本当のkiyokoさんは 本音そのものの人だから きっと居心地悪かったかもしれませんね。
相手を傷つけずに本当の自分を語る…。これが親業の目指している所ですが、つい私たちは、相手を主語にして 一般論を語ったり、相手について語ったりしてしてしまいがちですよね。これが正論です。特に父親が陥りやすいコミュニケーションです。
そうでしたか…。息子さん おつらい時期があったのですね。そしてそれを知ったお母さまもどんなにしんどかったことでしょう…。その息子さんがもう40歳に! 感無量ですね…。
でも心配なさるほどのことは無いと思いますよ。でもお気にかかられるなら、チャンスを捉えて 切り出してみられるのも いいかもしれませんね。仰るように本当の自分そして裸の自分を語りながら…。するお子と さらに一歩近づけるかもしれませんね!
父性という観点からとても大切なことを再認識させてもらいました。
返信削除今回のコラムを読んで「男脳女脳」を思い出しました。本を読んだことがあります。その本には男性脳、中性脳、女性脳があり自分はどこの脳に近いのか診断もできるようになっていました。中性脳に近ければ男脳と女脳のバランスが取れていて一番、生きやすいタイプということだったと思います。
そしてそれは固定されているのではなく自分によって変えられるようでした。
親業を習っていたのでこの本の内容がすーっと入ってきたのを覚えています。男脳は正論的、女脳は感情的。どちらもバランスよく持っていることを推奨していたような・・・。だから本当に納得できたのです。
自分の心のバランスを仕事しながら楽しいことをしながら中性脳に近づけていく。親業スキルで中性能に近づいたと記憶しています。それはとてもうれしくて自信になったことでした。
このところバタバタしていたので今より感受性が柔軟だった頃の自分が懐かしく嬉しく思いました。ありがとうございました。
MOONさま
削除返信が遅くなりました。
なるほど、男性脳・中性脳・女性脳を説いている書籍があったのですね! 男性脳は正論的、女性脳は感情的で、中性脳は男性脳と女性脳のバランスが取れている状態…。まさに親業のいう父性と母性の特性を ひとり一人の中に統合すること、それこそが自立であり、個の確立である…という考え方に とても符合するものですね!
MOONさんの「…親業スキルで中性脳に近づいたと記憶しています…」という一文。そうですよね。私たちは父性的なコミュニケーション(発信)と、母性的なコミュニケーション(受信)を訓練していき、それを ひとり一人の中で正直にやっていく…。そして気付いたらMOONさんの言われる男性性(脳)と女性性(脳)とが、心地よくバランスを持ってきた…。つまりMOONさんの言われている中性脳に近づいていった…のですね!
とても大切なことを ご理解頂けて、大変嬉しく思ったことでした。