2014年10月20日月曜日

道草は自己実現の王道である

Column 2014 No.15

道草は自己実現の王道である
                        - 河合隼雄 -

 「道草」とは名のとおり、道に生えている雑草のことですね。
 子供時代、登校するとき玄関で母が「道草しないで帰るんですよ!」とよく言ったものです。よって“道草をする”ということは家にまっすぐに帰らず、途中で友達の家に寄って遊ぶとか、公園で缶蹴りをしたりかくれんぼしたり、虫を追って山に入るとか、基地のような秘密の場所で過ごすとか・・・・。

 私たちの幼い頃の「道草」はハラハラどきどきと冒険に満ち満ちたものだったのです。夕日が落ちる頃になって我が家にたどり着くと「どこで道草を食ってたの!」と母から大いに叱られるはめになるわけです。“道草を食う”。昔から慣用的に日常の会話の中にしばしば使われていました。何だか詩的で情緒あふれる表現だと思いませんか!

 さて河合隼雄氏(ユング研究の権威)のこのフレーズは、“道草をすることは、人が「自己実現」に至る為に必要な秘法つまり錬金術である”という意味合いになります。

 子供が、何もしないでぼんやりしているひとときや、親からみれば意味のないことに没頭していたり、学校に行けないで家に籠もっていたり、無気力だったり、反抗したり、心配な友達とつきあったり遊びまくったり・・・・・これも立派な道草です。自分を見つける為に道草をくっている、まさに自己実現への秘法・錬金術を生きていると言うわけです。

 「自己実現」という表現はアブラハム・マズロー(米国の心理学者1908~1970)の造語で、潜在的なものを含めて、人はすべて愛に溢れた高次の自分に統合したいという自己実現の欲求を持っていて、それに向かって生きていると述べ、「欲求の五段階説」というオリジナルな提唱をして心理学会に大きな影響を与えました

 彼が言う「欲求の五段階説」というのは、人は誰でも基本的欲求つまり、生存欲求(第一段階)/安心・安全欲求(第二段階)/愛情希求と所属の欲求(第三段階)/達成の欲求(第四段階)/を持っていて、低次の欲求から段階的に正直に満たしていくことで、最終的に高次の「自己実現への欲求」(第五段階)へと向かっていく存在であると述べているわけです。

 つまり人は誰一人洩れることなく、自分自身に挑戦して自己実現に向かうべく、なれる可能性にあるものになろうとして命を懸けて精一杯生きている存在なのだとマズローは言うわけです。第四段階は自分の目標を達成したいというかなり高次の欲求ですが、その段階に進む準備がまだ出来ていない場合には、例えばその前段階の愛情希求の欲求を果敢に満たそうとします。そして社会人として社会や人々と繋がりたいという欲求へと続きます。

 社会に順応できにくかったり、人とうまく繋がれないと、とりあえず撤退して家に籠もる状態をやることもあり、また夜な夜な出ていって、とりあえず気持ちを発散する状態をやっている子どももいます。また“毎日が生きづらい”“友達とどう付き合っていいのか分からない”“勉強に本気で向かえない”“クラブ活動の人間関係が苦しい”“入試に本気で臨めない”“何がやりたいのか分からない”・・・・・等々。達成の欲求段階に向かう前準備に手こずっている若者は沢山います。多くの親御さんはこの状態に焦り、何とかしようと、うるさく言う、つまりプッシュすることで子どもの問題の解決を試みますが、効果はないはずです。

 もしかしたら第三段階の前の、第二段階の安心・安全の欲求が満たされていないのかもしれません。ご両親が仲良くなられることだけで心が安定し、動き始める子どももいます。「家庭内環境」も自己実現への道程に無関係ではないのです。

 カウンセリングでご縁のあった子どもですが、「不登校」という道草を4~5年やってやがて精神科医になる夢を果たしたというケースがあります。不登校という選択をし、時間をかけて道草を食べながら、満たし切れなかった第二段階・三段階の欲求を果敢に満たし、第4段階に向かうべくエネルギーと栄養をしっかり蓄えたのです。

 子どもの今の状態が、親にとってはとても心配だったり苛々したり悩みますが、子どもは自分にとって必要なプロセスを本能的に知っていて、色々な形でそれを満たしていこうとします。実は人生を通して何ひとつ無駄はないのだなあ・・・・と思えてなりません。親ができることは「マズローの法則」に当てはめて考えるなら、子どもが無意識に行動しているその背景にあるその子の充足したい欲求を、できる範囲でうまく満たしてあげることがとても大切に思います。

 しかしそれができる為には親自身が、ある程度満たされているか否かが大きく影響します。親自身も、満たせてこなかった基本的欲求を果敢に満たすべく、人生をかけて体験・冒険(道草)をしていくことはとても大切です。“もう歳だから・・・・”はやめてしっかり道草を食べていきませんか! “歳だから失敗はできない・・・”なんていう弱腰もやめましょう! 冒険には失敗はつきものです。前コラムに取り上げた曻地三郎氏に私は生きる元気をさらに頂きました。生きている限り夢を見失うまいと・・・・!

もっと遠く飛ぶための後退!
- ユング -

冒険に伴う失敗も挫折も、自己実現に向かうための尊い布石!
時にはしっかり後退して助走をつけ、恐れず何度も跳んでみませんか! 
お互いに!


*次回のコラムは11月10日前後の予定です。

7 件のコメント:

  1. そうですよね。失敗させまいと私(親)は、我が子にいろいろ言っていました。
    失敗して落ち込んだら、立ち上がれないのではないかと心配して。
    だから、提案したり、導いたり、怒ったり、脅したり、褒めたり・・・などなどいろいろしてきたなあ~

    職場でも、子供たちに失敗させまいと気を遣いました。
    子供にがっかりさせまいと。親に文句を言われるかもしれないと。

    でも、でも、失敗したり脇道にそれた時に、見守ったり、成功に導くように助言したりと言うことを、あまりしなかったような気がします。(少しはしていたことはありますけど)

    我が人生もそうなんですよね。無駄と思ったけど、無駄なことはなかったんですよね。
    私を成長させるために、いろいろ表れるんですね目前に。

    そう考えると、いま、夫との関係が冷静に診ることが出来そうです。
    我が子は、何とか距離を置いてみられるようになって来ましたが・・・

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    1. Kiyokoさま

      ほんと ほんと!子どもに失敗させまいと私たち親は一生懸命でしたよねえ。失敗は可哀想で、失敗しないように手助けすることが親の愛だと…。

      本当はユングや河合氏が言うように挫折や失敗や遠回りこそが体験を通して子どもの心を強くし哲学させ人生の気付きへと…。それがやがて自己実現への道へと繋がっていくのですよね!

      自分の人生を振り返ってもkiyokoさんのおっしゃる通り実は無駄はなかった…。あの失敗が、あの挫折があったからこそ今の自分があるんだと!

      全てが体験すべてが学びなんだ…そう感じていくと、今あらためてご主人様との関係も冷静に見ていけそうだと…。なるほど…。

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  2. 最初にマズローの欲求段階を習った時に強く心に残りました。
    子育ても自分育ても上手く行かないのはこれだったのか・・・と。

    私は家の中を子どもにとって安全な場所にしていなかった・・・
    また、自分にとっても夫に対して怖れを持ちながらの空間は
    安全ではなかった・・・
    安全の欲求が満たされないままでもがいていたとわかりました。

    まず子どもの欲求を満たそうと家の中で喜怒哀楽が表現できるように
    したのを覚えています。
    特にマイナス感情を表現できるようにしていきました。

    それは自分が楽しむ事だったように思います。
    次から次にやりたいことをやって行きました。
    初めは 楽しむことをしなければ・・・でしたが
    そのうち ・・・がしたい!に変わりました。

    そうすると自分が変容し子どもも変容し夫も変容しました。
    今思えば道草をする子どもをおおらかに見守っていたような
    感じがします。

    コラムのおかげで私の中が整理できています。
    これから何度も跳んでみたいです!
    曻地三郎氏のように前例がないところに前例を作る気持ちで・・・


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    1. MOONさま

      いつもコラムを読んでくださって有難うございます。

      「マズローの欲求階層説」ってなるほど…と納得がありますよね。
      MOONさんは第二段階の "安心・安全の欲求" をお子達に満たしてあげる必要性に気付かれたのですね!

      でもその為には まず親であるご自分の欲求を満たしていくことの必要性に気付かれた! そして心が喜ぶことを果敢にやり始められましたよね!

      MOONさんが お幸せになられたから 道草をしているわが子を ゆったりとそのままに見つめてあげられた! そして思い切り道草を食べたので どのお子も "達成の欲求"に向かい始めましたね!

      これからも MOONさんの人生を益々充実していってくださいね。お互いに失敗を恐れないで 自分なりの道を創造するべく 勇気をもって 何度も跳びましょうね!


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  3. いくつになっても道草は ハラハラドキドキするものですね。
    保育園の時の道草、小学校の時、中学、高校…。
    大人になっても道草しながら自己実現へと向かっていく。
    脇道があるから本来の道がわかるのだと思います。

    マズローの欲求の話を初めて聞いた時、目から鱗でした。
    どんなに達成の欲求だけを満たそうとしても、土台が満たされないと崩れやすく不安定なんだと。

    そして幾つものステージで第一次段階から第四段階までを繰り返しながら最終的に自己実現へと向かっていけるものだと感じました。

    ここにはっきりと書かれているように、自己実現とは 『愛にあふれた高次の自分に統合すること。』

    まさにそれを体験し表現することだと思います。
    その表現方法は人それぞれ、道草を食ってハラハラドキドキしながら得た体験 気付きが欲求を満たし最終段階へと近づくのだと…。

    いろんな階段を上がったり降りたりしながら その時は確実に近づいていると信じていきたいと思います。

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    1. P.S 「脇道があるから本来の道がわかる」  というよりは どんな道を通ってもその人にとって必要な道だから通るのだ と思います。

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    2. あきこさま

      あきこさんも色々と道草をしていらしたのですね。だから徐々にご自分の本来の道を見つけていかれているんですねえ。

      おっしゃるように階段を上がったり降りたり(笑)…。でもそうやってるうちに土台が満たされ、自己実現へのステップへと向かえるんですね!

      ニ信目も有難う!「脇道があるから本来の道がわかる」それも一理あるのではないでしょうか。つまり 脇道・道草・思考錯誤があるからこそ やがて行くべき本来の道が見えてくる。

      そう! 誰もが 本能的に満たすべきものを満たしながら精一杯生きている存在!ということではないでしょうか。

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