Column 2015 No.23
魔法使いの老婆は「幸せはねえ。ごく身近にあるんだよ。ただそれに気がつかないだけなんだ。幸福は近くの身の回りにいっぱい潜んでいるんだよ」ということを教えてくれたという物語です。何と大切なことを教えてくれているお話でしょう!
しかし大人になった今、私は思うのです。幸福の青い鳥はもしかしたら周りにいるのではなく“心の中”にしかいないのではないかと。心の中に幸福の青い鳥がいるから、周りに潜んでいる幸せが見つけられるのではないか…と。幸せな場所を必死に求めても、自分の心の中にしあわせや喜びを感じれるハートがなかったら、そばに幸せがあっても気づかないし、それを幸せだと感じることもできないでしょう。おそらく何処に行っても幸福は見つからないでしょう。
またこんな寓話に出逢ったことがあります。ある村から新しい村に越してきたA婦人が、その村で一番尊敬されているという長老に尋ねました。
A婦人「長老さま この村の人たちはどんな人たちですか?」
長老 「前に住んでいた村の人たちは、どんな人たちでしたか?」
A婦人「とても嫌な人ばかりなので、引っ越してきたのです。」
長老 「それなら多分ここも同じです。」
~出典不詳~
なかなか示唆に富んだ寓話ですよね。私たちもA婦人と似たような思考をもち、似たような行動をとっていないでしょうか。自分が気分が悪いのはあの人のせいだ…私が今不自由なのは周りの環境が悪いからだ…と。そして何とか相手を変えようとしたり、うまくいかなければそこから逃げようとしたり…。人のせいにしてそして逃げて、ひとときは“うん!うまくいったぞ!”と思えるのだけれど、暫くすると、やっぱり以前と同じ状況が再び展開する…。
長老はそこを見抜いて婦人に告げます。「それなら多分ここも同じです」…と。周りの環境がその人に影響を与えているのではなく、その人が持っている、自分や周りに対する信念・定義(コラムNo19)がその人の環境を創っていくのだ…と。“A婦人よ!あなたの人生の創造者は周りにはいないんだよ。あなたなんだよ!”…と長老は伝えたかったのでしょう。
見るべき場所はただひとつ 自分自身の内側だけだ!
~イハレアカラ・ヒューレン~
耳に痛い至言ですよねえ…。しかしやはり自分の人生の主役は自分自身であり、自分の人生の責任は自分が持つしかないのだと!つまり私たちは自分の人生を創造する力があるんだ‥‥ということを忘れないでいたいものです。ところが自分の人生を主役で生きる上での最大の障害は、A婦人のように、周りが自分をみじめにするという私たちの信念です。
たとえ他者がどんなにあなたのことをけなしたりおとしめようと、本当は全く関係ないのです。自分が自分のことをどう思っているかだけで、実は私たちの人生は起動するのです。恐れるものは周りには何もないのです。ただひとつ恐いのは、私たちの自分に与える評価だけです。つまり無意識に自分に与えているネガティブな信念だけが問題なのです。
この世界では肯定的なことも否定的なことも、
あなたが真実と信じているとおりに体験するのです
~賢者のことば~
*次回のコラムは5月20日前後の予定です。
そうですよね。周りにやらされている、仕方なくやるなど、自分の意思がないですよね。
返信削除例え、やってくれと頼まれたことでも、「私はこの仕事をやりたい?やりたくない?」と自問自答して、やりたいと思えば、すすんでやることができ、辛くもないですよね。
やりたくないのに、やらなければならなかったら、しんどいことしんどいこと。しんどくてもやっていたら、そのうち楽になることもありますが、まあ、めったにそんなことはありません。
私は、掃除片付けが、苦手な方ですが、やる前に、「やりたい?やりたくない?後でやる?」などいろいろ自問自答しています。やりたいことだけやっていれば、苦にならなくて楽にやっていますね。
う~ん、なんか回りくどくなってきましたが、要するに、自分の中の気持ちを聞いてみると言うことがいいかなあと思います。
すると、人のセイではなくて、自分が選んだ事なので納得いくような気がするのですが・・・
Kiyokoさま
削除「…あなたのせいで私はいつも振り回されて…あなたと結婚して私は本当に不幸なのよ…」こんな具合に. "不幸はあなたのせい…" と言わんばかりに多くの人が結構やってきましたよね。
しかし 私たちには「No!」という権利もあるわけですから いつも自分の気持ちに正直に、できる時には「Ok!」できない時には「ごめんなさい。今は…」ときちんと断ればいいわけですよね!
仰るように 何事も自分の気持ちに正直に選択していけば 誰にも責任転嫁することはなく、相手ともお互いに自立したいい関係でいることができ、心地いい人生が送れますよね!
私達の人生を邪魔する人は誰もいない…。実は自分の人生を邪魔しているのは自分なんですね。
もう十数年前になりますが我が子が不登校になった時、
返信削除私は罪悪感でいっぱいでした。
その罪悪感で自分が押しつぶされそうでとても辛かった・・・
その中で親業のスキルを実践し楽しむことをすると
徐々に罪悪感がなくなって行きました。
そして今思うことはあの時感じた罪悪感は自分が責任を
負ったからこそ出てきた感情でそれは周りのせいにしなかった
という結果だったからか・・・ということです。
私にとってはあの時の罪悪感は必要なことで、そこから
抜けたい!という欲求があったから罪悪感を手放すことが
出来た・・・。湧き出る感情にも本当に意味があった。
ピンチをチャンスに変えて・・・
時に周りが気になる瞬間を見逃さず、オットット・・・自分に
集中・・・と確認しながら・・・。
最近のブームは I love you.ならぬ
I love me.なのです。
MOONさま
削除子どもの不登校を親が自分の責任として感じ罪悪感を持つということと、自分の人生に責任をもつ…ということは大きく意味合いは違いますが、でも不登校を子どものせいにしたり、伴侶のせいにしなかったMOONさんはやはり素敵です。
そして仰るとおり、あの苦しい体験があったからこそ今のMOONさんの自信と輝きがあり、子どもさんの目を見張るような成長と成果があったのですね!
お子の生きざまに決して手を出さずじっと見守り続けながら、そう!まさにピンチをチャンスに変えていかれたたくましいお母さんでした。
これからはお母さんご自身の人生ですね。仰るように自分の軸を大切に "I love me" でいきましょうね!