2015年5月20日水曜日

“人間はだんだん歳をとっていくものだ”と始終考えているほど 人間を迅速に老けさせるものはない

Column 2015 No.24

“人間はだんだん歳をとっていくものだ”と始終考えているほど
人間を迅速に老けさせるものはない
                                                              - リヒテンベルク -

 1700年代のドイツの物理学者の名言です。
 コラムNo23で「この世界では肯定的なことも否定的なことも、あなたが真実と信じているとおりに体験するのです」という賢者の言葉を引用しましたが、リヒテンベルクもまさに同じことを伝えようとしています。

 年齢というと思い出すひとこまがあります。日曜日のある日、近くのスーパーに買い物に行く途中、横道から三輪車に乗った利発そうな女の子がいきなり出てきて、私の前でピタッと止まり「私は伊藤咲子(仮名)です!おとしは5歳です!」と私の顔をじっと見上げて言うのです。そして「おばちゃんのなまえは?」と聞くので「しもむらりょうこで~す!」と答えたら「おとしは?」と続いて聞いてくるので、おどけて「ナ~イショ!」と答えたら「わかった!バイバ~イ!」と言って通り過ぎていきました。

 何だか天使に逢ったような、清々しい不思議な感覚でした。咲子ちゃんはおばちゃんの年齢を知りたかったということはあまりなかったと思いますが、年齢を教えてあげなかったのはなんだろう…と私の心の中にちょっとした問題意識として残っていました。

 それ以後も周りの人たちに「お歳は?」と訊かれることはたまにあります。その都度、私はにっこり笑って「It's a secret!」と大抵答えるのです(笑) しかし敵もさるもの「干支は?」とくる!「猫なんよ~」と、こちらも負けずに煙に巻く…。 その場はゲーム感覚で楽しんでいるわけで、実は周りにはバレバレなのです(笑) ただ自分から年齢を前に出さなくなったのは、相手はともあれ、私自身が“年齢を意識しないで生きてみたい”というただ単純な動機からなのだと今は気付いています。

 人間の最後には「死」というプロセスがあることだけは確かです。しかし50歳代で、すでに老年を感じさせる人もあれば、90歳を超えてなお、若者のようなエネルギーに溢れている人も多く見られるようになりました。この違いはいったい何がその人に働いた結果なのでしょうか。

 年齢の不思議さをずっと考えていたからかもしれません。朝に近い時間だったと思います。夢の中である語りかけがありました。「なぜ人間は歳を取る(老いる)のかわかりますか…。それはすべての人間がもっている集合意識からの影響を受けているからです…」と。とても鮮明にその言葉は残っていました。それはマズローのいう私の奥の意識(コラムNo15)からきた私への答えだったのかもしれません。目が醒めて「なるほど!」と膝を打つ感じがありました。私の中での疑問が、明快に解けたのです。

 「集合意識」については、心理学者のカール・ユングも述べています。人間の心の中には誰でも深層心理として「集合的無意識」と「個人的無意識」が存在している…と。 集合的無意識…とは、人類発生以来脈々と受け継がれてきた人類共通の信念・価値観・恐れ・不安…などを、一人残らず潜在的にもっている。 我々人間は、個人的無意識の影響は勿論、それら集合無意識層の影響をも確実に受けながら今の人生を創っているのだと。つまり我々の「顕在(表面)意識」は、それら潜在意識と、時には苦しい折合いをつけながら、懸命に生きている存在なのだというわけです。

 さて私の夢の中で語られた「集合意識」といえば、例えば“歳は確実にとって老いに向かうものだ”という社会的通念(集合意識)があります。 60歳になったら老年期に入り、体も徐々に弱ってくる…。70代にもなれば、目もかすみ耳も遠くなり物忘れも多くなる…。80代にもなれば腰も曲がり認知も……というふうに。

 この年齢になるとこうなる…実は誰も決めてはいない筈なのに、我々人類共通の集合意識にある“年齢への恐れ・思い込み”を無意識の間に取り込んでしまい、妥当な年齢以上に確実に歳をとってしまっている現実があるのだ…と。そこで“自分はもうこの歳だしガタがきて当然だ…”と集合意識の恐れ・思い込みに嵌ったまま生きていくのか、あるいは年齢に捉われず集合意識に影響を受けることなく、今のこの瞬間を燃焼して生きていくのか…で老いのプロセスははっきり違ってくる。実は年齢が人を老いさせるのではないのだ……と。

 実は「年齢」ばかりではなく、集合意識(潜在的・顕在的)には沢山の落とし穴があります。それに嵌らないためには、人類ひとりひとりが真の自立を果たしてしていくことしかないのでは…と思うのです。自立した人間は、大衆の価値観や思想に安易に流されることはなく、自分の感性を信じてすべてを選択していく。しかも決して頑な(かたくな)ではなく、他者の感性も尊重できる。これが真の自立をした人間の資質です。

 多くの人類が真の自立を迎えたとき、つまりそれがある程度の人類の「集合意識」となった時、恐らく不毛な争いなどはたちまち収束に向かうであろうし、地球を危機に陥れることなども決してないのでしょう。万一危機が訪れたとしても、決して絶望したり、誤った判断に同調しないで、人類は必ずや賢明に対処していくことでしょう。

 リヒテンベルクのフレーズに通じる、含蓄ある賢者の言葉を引用して今回のコラムを閉じたいと思います。

「あなたが歳をとるという恐れがなくなったら、体は信じがたいほどの重荷から解放されます。体の全システムが今までの恐れの害から解放され、調和を保つようになります…。逆に恐れはまさにあなたの恐れているようなものに変えてしまいます…」

「人が対決する相手は老化ではありません。真の相手は恐れです。老化は恐れを蓄えるひとつの場所なのです…」

*次回のコラムは6月20日前後の予定です。

6 件のコメント:

  1. 今回の先生のコラム、私にとっていろんな意味で興味深い内容でした。

    下村先生は“年齢を意識しないで生きてみたい”という理由から、年齢をあえて
    自分から発言されていないんですね。

    私はというと、世間的には肌の衰えを感じるアラフォーと呼ばれる年代です。
    しかし私自身、『年齢に関係なくいつまでもハツラツとしていたい。
    自分自身が素敵と思える人間で若々しくきれいでいたい』と常々思っています。
    だからこそ、人から年齢を聞かれたとき、堂々と自分の年齢を言っていたいと
    いう思いがあるのです。

    自分の年齢を言ったとき、相手が同年代の場合、ほとんどの方が
    「この年齢になるとね~、肌もシワが。」や
    「この年になってまでこんなことするのは、はずかしいよね」
    などという会話から入ってくるような気がします。

    それでも私は、たいてい『そう?私は40代になるのがワクワクしてるんよ。
    30代も楽しくて仕方がないし。今からどんどん楽しめるんじゃん。
    何歳になったって私は年齢をあきらめるつもりなんかないんよ!
    どんどん好きなことやっていくよ』
    なんて答えるんです。
    これ、常に自分が思っていることなんです。

    『年齢に関係なく』という点では先生とも、思いが共通する部分が大いに
    あるのに、行動は違う。。。。。すごくおもしろいと感じました。
    これが、価値観なんですね。

    だから、人と関わることは楽しいんですね。自分とは違う価値観を
    否定しないで、お互いに尊重しあう。すごく素敵だなって今回のコラムから
    感じました。

    今はまだ老化という恐れが、現実的ではありませんが、母親くらいの年齢に
    なったときに、どれだけ自分の可能性をあきらめずにいられるかというのは、
    すごく大事なのかなとも感じました。

    恐れが出てきたときには、能動的に気持ちを聞いてあげ、
    その後で、自分が本当はどうしたいのか考え、感性で決める。

    どんな年齢になっても、そんな自分でいたいな~と思っています。

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    1. アムールさま

      アムールさんはまだ30代! わあ 私はあなたの母上よりかなり上辺りの年齢ね。ハハハ ! 年齢ほぼ ばれちゃったね!

      そう! 私もあなたのその年代には子育てに夢中で、毎日が楽しくて年齢など考えたこともなかったなあ。年齢を聞かれたら堂々と答えていたなあ(笑) ああ懐かしい!

      アムールさんのコメントに 母上くらいの年齢になった時…という表現がありましたが、その年代になられたとき 多分、私が今回一番伝えたかった「集合意識」からの影響…と言う意味合いを 少し納得下さるのではないかと思いました…。

      でもアムールさん いまの気持ちを大切に持ち続けていって下さいね! きっと素敵な年齢を重ねていかれますよ!



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  2. リヒテンベルクのフレーズに通じる、含蓄ある賢者の言葉と先生のコラムに心が軽くなりました。

    私は年齢を言うと相手に話題を制限されるのが嫌なので煙に巻いています。
    興味のあることは世代を超えて話したい(・∀・)


    集合意識は単色で真の自立の集合意識はつぶつぶが集まってるイメージがします。

    レッテルを貼り、回りまわってそのレッテルに苦しむ自分から脱出!
    つぶつぶの1つ、かわいいつぶつぶになりたいです・・・。

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    1. MOONさま


      コラムを読んで気持ちが軽くなったと聞いて嬉しいです。

      年齢を表に出すか出さないかはその人なりにやっていけばいい…。
      年齢が人を老いさせるのではない…。大切なのはその人なりの人生を楽しみ味わって、納得の人生を創造していくこと…ですね。

      そしてお互いが真の自立を目指して MOONさんのいう単色の集合意識を越え、自立した人類ひとりひとりの光の粒つぶを抱き込んだ それが "大きな大きな潮流"となりますように!

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  3. 私は 自然が好きで森へ行くのが好きでよく山へ登ったりしますが、
    深い森の中には何百年何千年と生きてきた大木がどっしりと立っています。

    目の前の木が芽を出した時から今までの時空の流れを感じると
    その大木に触れたり、そばにいるだけで 人間の人生たかが100年、なんて一瞬なんだろうと思います。

    堂々と生きている木々たちは雨がふっても日照りになってもただ大地に根を下ろし空に向かって成長しています。
     通行人が足元を踏んでも枝を折られても文句言わずに、なんてたくましいのだろうと。
    自然の中の集合意識は互いに認め合い尊重しながら生きているように感じるのです。
    ことさら 人間の意識とはなんと欲や我にまみれたものなのだろうと 自分も含めて感じます(笑)
    それは生老病死を知っている人間だからこそ 恐れや不安が生まれ欲や我執意識が生まれるのでしょう。

    前々回のありのままの自分というお話にもつながりますが、どんな自分も一瞬たりとも自分でない自分は無いのですから、全て私よね・・・とただ認める。そこには何の判断も評価も無く。
    そして自分自身に戻って 怒ったり泣いたり笑ったり、また無心になっている自分を愛おしいと感じるのです。

    社会や自分の思い込みの理想を実現化することではなく、自分本来の多様な姿を認識しながら本来の自分を知り自己実現に向かう事が 様々な賢者が残してきた言葉にあるのではないかと思います。

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    1. あきこさま

      自然の中でよく過ごされるあきこさんだからでしょうか。自然へのとても優しい目線が感じられます。

      まさに大自然たちは 何百年 何千年という時空の移ろいを ただ黙して 、何の判断もしないで 受け入れ、耐え忍んで今もなお ひたすら存在している…。自然たちの集合意識は おっしゃる通り 互いに 認め合い尊重しあい 愛に溢れたものだろうと想像します。自然たちはどの存在も自分を輝かせてどっしりと生きていますものね…。

      何だか人間の存在がとても小さく思えて愕然としますねえ…。
      しかし私たち人間も内面には 愛に溢れた大いなる存在を頂いて生まれてきています。過ちを侵しながらも 果敢に生きて 感じて気付いて そして赦して赦して生きていくうちに その大いなる存在に必ず統合していく! それが自己実現です。それが集合意識となったとき 世界は真の安寧を迎え、大自然にも本当に優しくなれるのでしょうね…。大自然と一体となるときですね!


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