Column 2019 No.71
“生・老・病・死”がある限り、人間は、不安・恐怖の感情からは、簡単には逃れられない存在だと思います。先般、親業の合同フォローアップ講座(講座を受講済みの人達のフォローの会)で「感情」がテーマになっていました。そのときある受講生の方が、唐突に「先生にはこだわっている感情はありますか?」…その辺りの質問だったと思います。私は即座に「恐怖心ですね…。DNAレベルの…」と、答えた自分がありました。
私は顕在的には、あまり“恐怖心”というものを持っている方ではない…と思っていたので、即座にそう答えた自分に、むしろ驚きました。しかしそこから私の中に、新たな気づきが始まりました。そこまでの恐怖の対象が、いま現象的にないだけであって、実は、私の中の深い部分に“恐怖心”が根強くあったのだということに…。そしてそれをあらためて、見つめてみる必要があるのだということを…。
スイスの深層心理学者のカール・ユングの唱える人間の「無意識層」のからくりを、依然取り上げたコラムNo24から、もう一度引用してみます。
「…人間の心の中には誰の上にも、深層心理として“集合的無意識”と“個人的無意識”が存在している。 集合的無意識とは、人類発生以来脈々と受け継がれてきた人類共通の信念・価値観・恐れ・不安…などを、一人残らず潜在的にもっている。 我々人間は、個人的無意識の影響は勿論、それら集合無意識層の影響をも確実に受けながら今の人生を創っているのだ…」
つまり、これが私の中からふっと出てきた“DNAレベルでの恐怖心”の意味でもあったのです。顕在意識では、あまり実感がないのに、何かの折にふっと自分の中にしぶとく横たわる不安・恐怖の存在を感知することがあるわけです。我々の深層心理はかくも複雑で、私たちの人生に、それはそれは大きく関わっているのです。
神になる…ということは心理学用語で言えば、人間の高次の欲求である「自己実現」と同じ意味合いだ…と、私は理解しています(コラムNo25)“自己実現をしていくこと”は人類一人ひとりの最終目的です。ドストエフスキーのこのフレーズから、私たちが最終目的(ドストエフスキーの言う神=自己実現)に達するために課せられた、“苦痛と恐怖を征服すること”は、人間の最後の至難な試練…とも受け取れます。それほどに不安・恐怖は私たちにとって、手放すには、なかなか手強い、最大の難題と言えるのかもしれません。
自分にもいつ訪れるかもしれない重篤な「病」を想うとき、自分の中に「老い」を感じるとき、逃れることのできない「死」を想像するとき、誰でも少なからず不安・恐怖を覚えます。まだ想像の域であれば“私なら乗り越えます!…”という人はあるかもしれません。しかし実際にその状態が身に降りかかった時、平然とそれらを受け入れていける人は、そう多く存在するものではありません。…人間を生きるということは並大抵ではありませんね。
私たちはとかく、まだ現実には起っていないことに、心配・不安を、ひとつまたひとつと、カウントしては、自分で不安や恐怖心をどんどん募らせ、増幅させている…ということはないでしょうか。予測できることに、対処しておくことはとても大切だと思いますが、未来のことに、過剰な心配や不安を募らせることは、「あなたの人生はあなたの考えた通りになる…」という原則から言えば、由々しき結果になるわけです(コラムNo70)
実は不安・恐怖の感情も、永年の無意識の訓練で習性になったのですから、新しい想いの定義も、練習次第で必ず身につく筈なのです。コラムNo4で取り上げましたが「泥水で一杯のコップでも、清水を注ぎ続ければ、やがて必ずきれいな清水にかわる…」と、同じように、私たちの心が、心配・不安・恐怖で一杯になっていても、そこに一滴一滴、新しい肯定的な想いや希望を注ぎ続ければ、やがて必ず私たちの心に、真の喜びと平安を取り戻せるはずなのです。
心にとめておきたいことがあります。無意識ですが、私たちは、不安や恐怖の感情に、実は助けられながらこれまで生きてきた側面もあるということです。私たちに不安や恐怖の感情があるからこそ、車の運転には気を付けるし、熊が出没するという山には、入らないのです。不要な感情というものは何ひとつないのです。
ただ、あなたを圧倒するほどの不安・恐怖は、あなたの欲求充足(あなたが望む人生を生きたい欲求)の前に、立ちはだかり、“おまえに出来るはずがない!”“必ず失敗するよ!”など…。沸き起こる不安・恐怖は、何の根拠もないのに、あなたが手にしたいと思う人生から、あなたを巧妙に引き離そうとします。
あなたが本当に生きたい人生を、生きていくためには、あなたを圧倒するほどの不安・恐怖は、しっかり感じて、感謝して「もういいよね…」とあなたなりのツールを使って、意識的に果敢に解き放していきましょう。解放しただけは潜在意識が綺麗になり、顕在意識は楽になってくるはずです。
私は顕在的には、あまり“恐怖心”というものを持っている方ではない…と思っていたので、即座にそう答えた自分に、むしろ驚きました。しかしそこから私の中に、新たな気づきが始まりました。そこまでの恐怖の対象が、いま現象的にないだけであって、実は、私の中の深い部分に“恐怖心”が根強くあったのだということに…。そしてそれをあらためて、見つめてみる必要があるのだということを…。
スイスの深層心理学者のカール・ユングの唱える人間の「無意識層」のからくりを、依然取り上げたコラムNo24から、もう一度引用してみます。
「…人間の心の中には誰の上にも、深層心理として“集合的無意識”と“個人的無意識”が存在している。 集合的無意識とは、人類発生以来脈々と受け継がれてきた人類共通の信念・価値観・恐れ・不安…などを、一人残らず潜在的にもっている。 我々人間は、個人的無意識の影響は勿論、それら集合無意識層の影響をも確実に受けながら今の人生を創っているのだ…」
つまり、これが私の中からふっと出てきた“DNAレベルでの恐怖心”の意味でもあったのです。顕在意識では、あまり実感がないのに、何かの折にふっと自分の中にしぶとく横たわる不安・恐怖の存在を感知することがあるわけです。我々の深層心理はかくも複雑で、私たちの人生に、それはそれは大きく関わっているのです。
苦痛と恐怖を征服した人間は、神となるのです。
その時こそ新しい生が始まる。新しい人間が生まれる。
すべて新しくなるのです
ドストエフスキー
自分にもいつ訪れるかもしれない重篤な「病」を想うとき、自分の中に「老い」を感じるとき、逃れることのできない「死」を想像するとき、誰でも少なからず不安・恐怖を覚えます。まだ想像の域であれば“私なら乗り越えます!…”という人はあるかもしれません。しかし実際にその状態が身に降りかかった時、平然とそれらを受け入れていける人は、そう多く存在するものではありません。…人間を生きるということは並大抵ではありませんね。
遠くにいると恐怖を感じるが、近くに迫ると、多くはそれほどでもない
ラ・フォンテイーヌ
実は不安・恐怖の感情も、永年の無意識の訓練で習性になったのですから、新しい想いの定義も、練習次第で必ず身につく筈なのです。コラムNo4で取り上げましたが「泥水で一杯のコップでも、清水を注ぎ続ければ、やがて必ずきれいな清水にかわる…」と、同じように、私たちの心が、心配・不安・恐怖で一杯になっていても、そこに一滴一滴、新しい肯定的な想いや希望を注ぎ続ければ、やがて必ず私たちの心に、真の喜びと平安を取り戻せるはずなのです。
心にとめておきたいことがあります。無意識ですが、私たちは、不安や恐怖の感情に、実は助けられながらこれまで生きてきた側面もあるということです。私たちに不安や恐怖の感情があるからこそ、車の運転には気を付けるし、熊が出没するという山には、入らないのです。不要な感情というものは何ひとつないのです。
ただ、あなたを圧倒するほどの不安・恐怖は、あなたの欲求充足(あなたが望む人生を生きたい欲求)の前に、立ちはだかり、“おまえに出来るはずがない!”“必ず失敗するよ!”など…。沸き起こる不安・恐怖は、何の根拠もないのに、あなたが手にしたいと思う人生から、あなたを巧妙に引き離そうとします。
あなたが本当に生きたい人生を、生きていくためには、あなたを圧倒するほどの不安・恐怖は、しっかり感じて、感謝して「もういいよね…」とあなたなりのツールを使って、意識的に果敢に解き放していきましょう。解放しただけは潜在意識が綺麗になり、顕在意識は楽になってくるはずです。
大切なのは、決して深刻になり過ぎないこと。
すべてのことは時が来れば必ずうまくいく
ヘンリー・ミラー
生きていくための不安や恐怖の感情は大切にし、振り回されるような不安と恐怖は手放す作業をしていくということなんですね。
返信削除なかなか手強い、最大の難題・・・。振り回されるのは一度ではなく幾度もやって来る。 うまく手放す作業ができなくてもちょっとだけでも意識することができればいつか手放せるんじゃないかと思えてきました。
コラムを読んで思い出したことがあります。
以前、子どもたちと関わる仕事をしていた時に「○○君が思っとるほど恐ろしいことは起こらんよ」と伝えたことがあります。背中を少し押すのがいいと思った瞬間だったと記憶しています。どのように受け取ったかは不明ですがスムーズに進んで行きました。
色んな場面で色んな言葉を子どもたちにかけていましたがその言葉はいつもそのまま自分自身にも言っていたように思います。
あの頃の子どもたちを懐かしみながら私も果敢に不安と恐怖を解き放していこうと思いました。
MOONさま
削除仰っているように、不安・恐怖の感情は 私たちに取って最大の難題ですよね。大切なことは、その感情から逃げないで その感情に気付いていくだけでも 徐々に手放すことが出来るはずです。いかなる感情も感じてあげないと駄々をこねます。感情は生きものだからです。
以前、 MOONさんはある子どもさんに「…思っとるほど恐ろしいことは起こらんよ…」と言ってあげられたとき その子はきっと一歩前に進めたのではないでしょうか。信頼している先生がいうのだから「そうかもしれない…」と。よかったですね! 不安・恐怖は自分の人生を消極的にします。 だからこそ感情を愛してあげながら、少しずつ手放していきましょうね。 いつも有難うございます!