Column 2016 No.32
夢なき者に理想なし。理想なき者に計画なし。計画なき者に実行なし。実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし
- 吉田松陰 -
今年の新年、家族と共に一泊で萩の町を訪れました。萩の城下町散策も魅力的でしたが、何はともあれ、激動の明治維新の、陰の立役者として知られる吉田松陰の生誕地を、一度訪れてみたいというのが私の念願でした。
吉田松陰は、天保元年(1830)に 萩城下松本村に生まれました。幼いころから豊かな学問的環境の中で育ちました。11歳にて藩主の前で「武教全書」の一部を講義したと、記録にあります。松陰は、学問への造詣の深さは勿論のことですが、やりたいと思うことはどんな危険を冒してでもやり通そうとしたひらめきで行動する熱血青年でもありました。
止むに止まれない向学心から九州に、江戸に…と。その上、海外の事情を知りたいが為に、何度か米艦に乗り込もうとしたり、かなり無謀なことをやっています。その結果は失敗に終わり、獄舎に入れられたり、幽閉を命じられたり‥‥かなり綱渡り人生を送っています。
情熱と深い使命感に溢れていた若干27歳の松陰は、近隣のやがて未来を担うであろう若者を育てるために、小さな私塾を開きました。それが今や世界遺産ともなって姿をとどめている「松下村塾」です。彼は蘊蓄してきた深い知識や学問の教育ばかりではなく、“人間学”つまり人としての生き方、リーダーとしての素養など‥‥彼自身の熱い想いを弟子と共に意見を交わしながら、生きた学問として教え導いたと言われます。彼は次のように言っています。松陰の教育精神が忍ばれます。
学問とは人間はいかに生きていくべきかを学ぶものだ
さて、吉田松陰が「松下村塾」で教育した期間は、何と!わずか一年余り。この短い期間に、のちには日本を動かしていくような驚くべき多くの逸材を育て上げたのでした!
高杉晋作、木戸孝允(桂小五郎)、久坂玄瑞、伊藤博文、山縣有朋、品川弥二郎‥‥等々、錚々たる人物です。ところが松陰は「安政の大獄」で29歳の若さで処刑の憂き目に遭うのですが、育った若き門下生たちのその多くは、師の意志を継いで、倒幕運動に挺身し、明治維新の大きな原動力となった志士たちでした。そのいきさつはNHK大河ドラマ“花燃ゆ”で扱われましたがご覧になりましたか。
日本の歴史を垣間見て思うことですが、明治維新を始めとするそれまでの歴史、そしてそれ以後の歴史の中で、松陰を始め数々の立役者たちが雄々しく起ちあがって、その都度日本の歴史を大きく変えていきました。果たしてそのことが日本にとっていいことになったのか、逆のことになったのかは“神のみぞ知る”で私にはわかりません。ただ、私がとても心打たれるのは、彼らが、私欲や私心なく、ひたすら国のため民の幸せのために!と信じて、わが身を投じて起こしていった行動だと思うと、その純粋な心意気に感嘆するのです。
以下は松陰が残している言葉です。おそらく彼が塾生を指導した根幹をなす精神だったのではないかと想像します。少なくとも松陰は、純粋に国のためを思う心情をもって、塾生を導いたことが、身に沁みて伝わってきます。
「私心さへ除き去るなら、進むもよし。退くもよし。出るもよし。出ざるもよし」
「君子は何事に臨んでも、それが道理に合っているか否かを考えて、その上で行動する。小人は何事に臨んでもそれが利益につながるか否かを考えて、その上で行動する」
さて、やはり幕末維新という激動の時代を生き、近代日本という幕開けを築いた人のひとりに板垣退助がいます。自由民権運動の先駆けを築いた人です。彼は演説している最中に暴漢に襲われたことがありました。幸い命は助かったのですが、血まみれになりながら彼が吐いたという言葉はあまりに有名です。「板垣死すとも、自由は死なず!」…と。
その後、幾ヶ月が経ったある日、彼を襲ったその加害者が、謝罪のために彼のもとを訪れたといいます。そのとき板垣は「私にやったことは、君の私怨(怨念)から出たものではなく、国家を想ってのことだろう…。私は君をとがめるつもりはない。私の行動が、国家の害と思うなら、もう一度刺してもかまわぬ…」と告げたといいます。わたしは彼のこの言葉に触れたとき感動して涙が出たほどでした。日本歴史上に、真に国を想い、これほどまでにいさぎよく懐(ふところ)の深い人物が存在していたのか…と。
彼の存在、そして彼が成し遂げたことが、いいことになったのか逆のことになったのか、私なりの視点・観点はありますが、本当のところはやはり私にはわかりません。しかし純粋に、日本国をそして民を、幸せに導きたい…という無私無欲の、壮絶なまでの使命感…。その心意気に感嘆し心服しほれぼれとするのです。そしてやはり私は確信します。松陰を始め、私心なく練れた智慧と純粋な使命感で、身を挺して国のために働いた人々がやってきたことは、純粋であるが故に、まさにそれは人類に貢献し、私たちの今の幸せと安寧にと、必ずや繋がっているのではないかと…。
夢に向かって挑み続ける若者を一人でも多く
創らなければこの国に未来はない
中條高徳
数年前にご逝去された、アサヒビール名誉顧問だった中條氏の遺訓です。いささか極論的にも聞こえますが、中條氏のこの言葉はとても私の心に残っています。それは松陰の「夢なくして成功なし」という冒頭のフレーズにも繋がります。
私は、思うのです。「夢」こそが人類の進化の“種子”である…と。人間は「万物の霊長」とも言われますが、“夢を現実にできる霊妙な創造性”を与えられた唯一の存在です。ところが、私たちはその役割をどれだけ果たしてきたでしょうか…。万物の霊長としての創造性の力を、地球と万物の“幸せと向上”のためにどれだけ使ってきたでしょうか。万物のあるべき姿の「夢」を本気で描いてきたでしょうか。私たち人間がブレてしまっているが故に、いま地球も万物も悲鳴を上げています。
今こそ創造性の力を持つ者としての役割を、本気で発揮していかなければならない時代に入っていると思っています。どんな世界を望んでいるのか。人はどうあるべきか。私たちに今できることは何か。誰かがやってくれる…という時代ではありません。一人ひとりが、創造性を与えられている尊い存在である…ことを本気で思い出し、一人ひとりが行動を起こし、出来ることをやっていく責任がある…と。
- 人類一人ひとりが自分は創造性を与えられている尊い存在であることを思い出してきたら、きっと万物(すべての存在)に対して優しくなるだろうな…
- 万物に優しくなったら、自然も動物も正常な生態系(循環)を取り戻して、命を吹き返すだろうな…
- 自然や動物たちが正常な生態系を取り戻し命を吹き返したら、地球が豊富な酸素と緑で溢れ、奪い合う争いも、環境汚染も姿を消していくだろうな…
- 人類はひとり残らず「地球」という乗り物の“同乗者”であることを思い出したら、これらはきっと可能になるのではないかな…
- そのためにはやはり、人類一人ひとりが本気で自分の幸せに責任をもって、自分を大切にして、創造する者としての夢を育んでいけるといいな…
新年、松陰の生誕地を訪れて、先人達の純粋で壮烈な気概に触れて感動したり驚嘆したこと…。そして自分の「夢」や、いま私たちにできることは何だろうと真剣に感じる機会がもてたこと…とても素敵な新年となりました。
*次回のコラムは2月20日前後の予定です。