2022年12月20日火曜日

あなたが目的地なのになぜ旅を続けるのですか

  ★2023年★の講座予定を公開しました  2023年 講座開講スケジュール

あなたが目的地なのになぜ旅を続けるのですか
賢者のことば
Column 2022 No.115

 この賢者の言葉はいつも私の魂に鳴り響いています。過去、私が生きることに迷って周りの何かに救いを求めて必死だったとき、祖父は自分の胸に手を当てて「亮子!探しても探しても答えは外には無いんだよ。お前の答えはいつもお前のここにあるんだ…」と、よく私に伝えていましたので、このフレーズがなおさら私の心に届くのだと思います。(コラムNo85

 しかし答えが自分の中にあるなんてその頃の私には全く分からなかったので、祖父の言っていることは上の空でした。だから青年期には自分の中の苦しい答えを、宗教に求めたり、色々な人が書いている書籍に答えを求めて、苦しみながら哲学をしていました。また祖父は「本を読み過ぎない」「人の話を聴き過ぎない」…ということも言っていましたので、自分の中でいささか混乱はありましたが、しかし祖父が“私に真実を伝えようとしている”ということは不思議と解っていたのでした。

常に自分の中に答えを求めなさい。
周りの人や周りの言葉に惑わされてはいけません
アイリーン・キャデイ

 今回はその祖父の息子である私の父について書いてみたいと思います。
 父は祖父と違って、とても短気で自我の強い人でしたので、私たち兄弟姉妹はみんな彼が苦手でした。しかしとても男らしく勇敢な気性で、絶対に弱音を吐かない人でした。その反面、とても人情的な人で、テレビドラマにでも感動すると一番に涙を流すような人でもありました。何事も本気で関わるので、世間の人々からは愛され頼りにされている人でした。

 私の子ども時代は大家族で、叔父夫婦もいたり、多い時には13~14人いました。公務員だった父はひとりの働きでその大家族を賄っていたわけです。大変だったと思いますが、父の愚痴を聞いたことは一度もなく、私たち子どもから見るといつも太っ腹で豪快な人でした。やがて私は結婚し、時々父に声をかけて家に招いていました(母は私の結婚前にすでに亡くなっていました)。来訪した父がある日ふっとこんなことを言ったのです。

 「あの大家族を明日は食べさせていくことができるだろうかと思って夜眠れない日があった…」と。父のその言葉は私にとっては、まさに青天の霹靂でした。「お父さん、あの頃叔母ちゃんたちはみんな働いていたし、お祖父ちゃんも医院を開いていて豊かだったよね。どうして助けてもらわなかったの」と訊きました。父のその答えに、私はさらに驚きました。

 「そう。特にお祖父さんは“大丈夫か。大丈夫か”と事あるごとに言ってくれていたよ。でもいつも断っていたんだ。お前のお祖母ちゃん、つまり父さんの母親が父さんにいつも言っていた言葉があるんだよ。“お前は長男だ!どんなに生活が苦しくても世間にしっぽを見せるでないぞ!”とな。父さんは母を尊敬してたから、その言葉を宝のように大切に思っていたんだよ」…と。

 あんなに豪快で強い父が、母親の価値観をそのままに受け取って自分の人生を生きていたのか…と思うと本当に驚きました。しかも父は家計がどんなに苦しくても、家庭内ですら気を許さず、しっぽを見せないようにと一人で頑張ってきたのか…と思うと、本当に父がいとおしくて涙が出てしまいました。(世間にしっぽを見せるな…とは世間に弱みを見せたり恥をさらしてはならない…という意味)

すべて美しいものの陰には 何らかの痛みがある
ボブ・ディラン

 父のその弱さに初めて接してから、私たちが子ども時代の頃から垣間見えていた父の不機嫌さや短気だった理由が、あらためて理解できました。あんなに堂々と男らしかった父の背後には、不安や焦りや哀しみなどの痛みがいっぱいあったのですね。

 私たちが子どもの頃から、父が私たちに事あるごとに言っていた言葉があります。「自分に正直に生きろ!」「嘘を生きるな。ほんものであれ!」と…。おそらく父は自分の不正直な生き方に、はっきりと気づいていて、その背景から出てきた言葉なのだろうと思います。“ほんもので生きよ!”という彼の魂から吐き出すような強い響きのある言葉は、今も私の魂に深く刻み込まれています。

 またもうひとつ父から学んだことがあります。コラムNo53「火の玉事件」で書きましたが、父は何事も疑問があれば、必ず検証し事実を明確にする人でした。父が火の玉の正体を明らかにした時、私にしみじみと伝えました。「亮子!いいか。よく覚えておけ!人は事実を確かめないままに、幽霊が出た…とか火の玉が飛んでいたとか、とんでもない噂を流してしまうんだ。だから自分の目で確かめるということは本当に大切なんだ!」と。

 祖父は“外に答えはない。自分の答えは自分の中にある”ということを教えてくれました。父は自分自身の、矛盾した生き方の痛みの中から“自分に正直に、ほんもので生きること”の大切さと“いい加減な見方や発言はしてはならない。自分の目で検証すること”…の大切さを教えてくれました。祖父と父は、いつも私の人生のそばにいて、私の人生にとって重要なことを、本気で伝えてくれた先達者だったことに、今さらながら気づき心打たれています。そして祖父も父もウイットに富んだユーモリストでもあり、人生を達観した人たちでもあったことを懐かしく思い出します。

あなたが目的地なのになぜ旅を続けるのですか

 このテーマに込められている精神を、祖父と父は渾身の意気込みをもって私に伝えてくれましたが、まだこれからも私は旅を続けるだろうと思います。しかし彼らが教えてくれた「自分を信じて生きる」というその精神は決して忘れないと思います。そして「私自身が私の人生の目的地」ということを、さらに深いレベルで理解して生きていきたいと思っています。

*次回のコラムは2023年1月20日前後の予定です。

★2023年★の講座予定を公開しました  2023年 講座開講スケジュール

2022年11月20日日曜日

嫌われてもいい勇気をもつ

 ★2023年★の講座予定を公開しました  2023年 講座開講スケジュール

Column 2022 No.114

 ここ数年、この「嫌われる勇気」と言うフレーズが大変ポピュラーになりました。フロイト、ユングに並ぶ心理学者の三大巨匠のひとりと言われるアルフレッド・アドラー心理学についての書籍に、題名として使われました。

 “10人10色(じゅうにんといろ)”…という諺がありますが、まさに人は一人ひとり姿かたちが違うように、価値観も主義主張も人それぞれです。だからみんなに好かれるということはまず考えられないことなのです。しかし私たちはどこかですべての人に好かれるような人物になることが素晴らしいことだ…と強迫的に信じていることはないでしょうか。

 その結果、自分の感じ方は後回しにして、周りに合わせて嫌われないように、悪く思われないようにとふるまってしまうことが起ります。周りに合わせた生き方をすることを、ある心理学では「過剰適応」と表現しています。

例えば
とても傷ついているのに笑ってごまかしたり
行きたくないのに誘いを断れなくて行く羽目になったり
自分の意見とは違うのに同調したり
その場の雰囲気を壊さないように過剰に明るく振舞ったり

 つまり、自分に重心を置くかわりにいつもベクトルが他者に向くので、生きている実感が薄く、日常的に心身ともに疲れて、ベースは不機嫌となりがちです。なぜ周りについ過剰に適応しようとしてしまうのか。その正体は、自己イメージが低いことが原因となっています。自己イメージが低い為に「すべての人に好かれたい。人に好かれることで初めて自分に価値が感じられる」という気がしてしまう…。

  一方、過剰適応で生きている人の多くは、自分の中で本当は不正直に生きている現実に大なり小なり気づいており、その息苦しさを何とかしたいと思っているのです。だから冒頭の「嫌われる勇気」と言うフレーズに、爆発的に多くの人々が反応したのだと思います。

 しかし、嫌われる勇気を持つ… 頭では理解できても、本当は簡単ではないのです。自己イメージをいかに上げていくかがポイントだからです。自己イメージが高くなってくるに従って、重心が自分自身の中に戻り、価値基準を他者ではなく自分自身に置き始めるので、他者が自分をどう評価しようとあまり関心がなく、大して気にならなくなるのです。

 私たちは 他者の為にのみ生きているのではないはずです。“魂の成長 ”といった課題を持ち、そこに到達するべく意図を無意識ながら一人ひとりが持っているものだと、私は考えています(コラムNo113)。本当は自身を整える前に他者に過剰に意識を向けている暇など無いはずなのです。

 この辺りを明快に表現している散文があります。

 わたしはわたしのことをして、あなたはあなたのことをする
 私はあなたの期待に応えるためにこの世にいるわけではない
 あなたは私の期待に応えるためにこの世にいるわけではない
 あなたはあなた、わたしはわたし…(以下略)
        フレデリック・パールズ

 他者に好かれようとした生き方は基本的には相手の期待に応えようとする生き方であって、自分の人生を生き切れていないのではないでしょうか。あなたが何をしても嫌う人は嫌いますし、逆にあなたが何をしようとあなたを好きな人も必ずいるもので、他者(ひと)は変えられないのです。嫌われたからと言って決してあなただけが悪いわけではありません。相手の感じ方であって、相手の考えを操作して変えるわけにもいきませんし、いい意味で諦念(ていねん)をもって生きてみるのはいかがでしょうか。

 他人から好かれることにエネルギーを費やすことでの人生の損失は大きいのです。毎日が不自由でストレスフルになります。その上、好かれるために奔走しているので自分の軸が怪しくなります

 あなたの人生の主役はあなたです。どうしたいのか、どう生きたいのかを見つめ、自分を知り(自己理解)、本当にやりたいと思うことをやって正直に生きてみる… 。どんな生き方であっても、自分の生き方・選択に自信をもって等身大で生きていくことにチャレンジしてみましょう。その上で人から嫌われるなら仕方がない。嫌われてもいいではないか…と覚悟を決めましょう。しかしそこを乗り越えふと気づくと、あなたの自己イメージは数段高くなっている筈です。

 アルフレッド・アドラーのフレーズをご紹介して今回のコラムを閉じます。

 他の人からの自分に対する評価は、その人の個人的な見方であり、
 自分の評価そのものには関係しない

 他者の課題には介入せず、自分の課題にも他者を介入させてはならない

 あなたは「暗い」のではなく「優しい」のだ。
 「のろま」なのではなく「ていねい」なのだ。
 「失敗ばかり」ではなく「沢山のチャレンジをしている」のだ

*次回のコラムは2022年12月20日前後の予定です。

★2023年★の講座予定を公開しました  2023年 講座開講スケジュール

2022年10月20日木曜日

人生は魂を磨く場所です

★★2022年の講座予定を公開中です★★    2022年 講座開講スケジュール

人生は魂を磨く場所です
山川 紘矢
Column 2022 No.113

 目には見えない「魂」とはいったいどこにあって、どんな存在なのでしょう。古(いにしえ)からそれがはっきり定義できないままに、しかしとても大切にしてきた存在です。

私はこの世に二つの宝を持っている。友と私の魂
ロマン・ロラン

 「魂」についてネットを開いてみました。「…魂とは生きる者の身体の中に宿っていて、心の働きをつかさどると考えられるもの。古来、私たちが肉体を離れても不滅のものと信じられてきた…」(コトバンク)。ウエブサイトでもその在りかを明確に定義しているものはやはりありませんでした。しかしそれが定義できないでも、私たちの本心はその存在をはっきりと感じ取っており、古来から無意識に生き方の中心に置いてきたのです。

 冒頭のフレーズの山川氏はこんなことを言っています。

 僕は今世何を学びに来たのか。
 あなたは何をしに地球にやってきたのか。
 今の自分の課題は何か。…答えは自分の中にある筈です。
 すべての答えは、いつも自分の中にあるのです。

 多くの先哲・先賢が共通して述べている箴言(しんげん:人生の教訓の意味を含めた短い句)に、「すべての答えは、いつも自分の中にある…」いう理念があります。身体のどこの場所と限定はしていないにしてもそれに答えてくれる存在がある。それが「魂」なのではないでしょうか。私自身もおぼろげながらも、一人ひとりの中の魂の存在を信じ、自分の感性を大切にすることの重要さを何度か発信してきました(コラムNo85

あのときの苦しみも あの時の悲しみも
みんな肥料になったんだなあ。自分が自分になる為に
相田 みつを

 私自身も過去に辛いうつ病を患った時のことを思い出します(コラムNo19)。しかしどんなに辛い患いもその病から学び終えれば、必ず抜け出る日が来るのです。その時に私から来た答えはひとつではありませんが、その底辺にあるものは「自分の本当の気持ちを感じて大切にして、自分に正直に生きていく」…でした。それは私の魂からきた答えだったと今は感じています。そこから私の新しい人生が再び始まったのです。

逆境っていうのは、自分の魂を目覚めさせてくれるものなんだ
モーリス・メーテルリンク

 さて私たちは何をしにこの地球にやってきたのでしょうか。「汝自身を知れ」というソクラテスの有名な箴言があります。あくまでも私の解釈ですが、そのフレーズは、私たちが地球に来た意味を暗示していると感じています。“自分を知ること” 自己理解こそが、生きる上での重要な課題であると。心理学者のアブラハム・マズローも言います。私たちが無意識に目指している自己実現(高次の自己への統合)へのプロセスに必要なのは、体験に基づく“自己理解”であると。もともと高次の自分を持っている私たちは、色々な体験を通してそれを思い出し、その高次の自己に統合するために地球にやってきたのだ…と、私は解釈しています。

 しかし私たちは、一人ひとりのエゴで営々と築いてしまった人類の集合意識に日々翻弄され、その波にすっかり飲み込まれて、生きる意味や自分自身を見失っている現実があります。しかし、その集合意識に翻弄されながらも、真の自分を完全に見失っている人は、本当はただの一人もいないのです。私たちには関知出来なくても、私たちの「魂」は、悲しい出来事、身を切られるような切ない体験の中でも、私たちが高次の自分に向かうべく、果敢に学び続けてくれているからです。

悩まない人生があったとしたら、それはもしかして人生じゃないかもしれない
伊集院 静

 人は悩みの中から気づき、日々進化しているのだということを伊集院氏はこのフレーズに込めています。日々の出来事に翻弄されながらも、私たちは“自分は何者か”を絶えず学んでいるのです。無意識ですが“自分を知りたい。理解したい”と真摯に求道している存在なのです。

本当の自分を見つけよう。
自分が解からなければ自分らしく生きようがない。
自己が解からなければ自己実現のしようがない
リチャード・H・モリタ

 ソクラテスが偉大な人物と言われた所以(ゆえん)は、自分自身の無知を自覚していたからだと言われます。現に私たちは、無限の宇宙の真理をどれだけ理解していると言えるのでしょう。広大な宇宙の観点から見れば、私たちはまさに無知そのものです。だからこそソクラテスの“汝自身を知れ”の意味合いが魂に届き、その深さに心打たれるのです。自身の無知を受け入れ、いかなる人生であろうと自分の人生をたくましく生き切って、自分を深く知っていく。そこに心を据えることこそがまさに“魂を磨く”ということであり、更なる“魂の進化”への道程ではないでしょうか。

 人間が積む体験に、良い・悪いはいっさい無い。
 過去の体験に対しても、これは失敗だったね…と、誰が言えるか。
 良い体験も悪い体験も、それぞれ進化のプロセスです。
 どんどん進化していくために、色々な状況を体験していくのです
            五井 昌久

*次回のコラムは2022年11月20日前後の予定です。

★★2022年の講座予定を公開中です★★    2022年 講座開講スケジュール

2022年9月20日火曜日

四角い枠にこだわるな。キャンバスからはみ出せ

  ★★2022年の講座予定を公開中です★★    2022年 講座開講スケジュール

四角い枠にこだわるな。キャンバスからはみ出せ
岡本 太郎
Column 2022 No.112

 岡本太郎氏のこのフレーズから、すべてに慎重であれ…という教育思想で育った上に、年齢を重ねるごとに、「慎重に!慎重に!」と、自分自身に確認しながら日々を生きていた自分だったとまず気づきました。このフレーズに出逢った時、私は思わず両手を天に向かって広げていました。広い世界を垣間見たような、すっと背筋が伸びたような快感を覚えたのです。ああ、私はもうひとつ枠を外したいんだな…と気付いた瞬間でした。

あなたの能力に限界を加えるものは、他ならぬあなた自身の思い込みである
ナポレオン・ヒル

 私たちは無意識ですが“かくあらねばならぬ”という思い込みをもって生きています。しかしその思い込みは自分を縛り、確実に私たちの人生を支配しています。“かくあらねばならぬ”という枠を外して、フラットな目であらためて世の中を見渡せば、面白いことや、自分にもできそうなことが、まだまだ沢山あることに気づきます。

 私は踊ることが大好きです。少し若いとき、フラダンス・クラシックバレー・社交ダンス…等々を通算15~20年間楽しんできました。しかし仕事が忙しくなったことも重なって、いつの頃かやめてしまいました。

 しかし“四角い枠にこだわるな。キャンバスからはみ出せ”のフレーズに出逢って、天に向かって両手を伸ばしたとき、“また踊りたいなあ”という想いが突然やってきたのです。“そうだ!かっこよく踊れなくてもOK。自分の動ける範囲の動きで踊ればいいのではないか!”…という思いに至って、20年近く離れていたダンスを再開したのです。

物理的であれ、何であれ、自分のやることを制限してしまうと、
あなたの人生や行動にも及んでしまう。限界などはないのだ。
停滞期があるだけだ。そこに留まってはいけない
ブルース・リー

 確かに若い頃のようには動けません。しかし大丈夫!見栄えは悪くても“昔取った杵柄(きねづか)”で何とか踊れています。思い切って枠をもうひとつ外してみると、こんなにわくわく出来るものなんだ…と一人でエキサイトしています。

地球は、俺の遊園地だ
三浦 雄一郎

 三浦氏の地球を見つめる壮大な視点に感動します。プロスキーヤーであり、登山家である三浦氏は70歳を過ぎて3回(70歳・75歳・80歳)エベレスト登頂を果たしています。今年90歳を迎える彼は難病を抱えながらもなお夢をあきらめず、来年はヨーロッパ最高峰エルブルース(ロシア)でスキー滑降(デユアルスキー)を目指すと宣言しています。「出来たら自分の足で滑りたい」「僕はいつも何とかなるという楽観主義で来ました」四角い枠にとらわれず、はみ出しっぱなしの雄一郎氏の生き方には、何だかほれぼれと致します。

私はクルミの殻の中に閉じ込められた小さな存在に過ぎないかもしれない。
しかし、自分自身を無限に広がった宇宙の王者、と思い込むこともできるのだ
ウイリアム・シェイクスピア(劇作家)

 自分自身を殻をかぶった窮屈な存在と見ることもできるし、殻にこだわらず、自分自身を宇宙レベルで見つめることもできるんだよと、彼は伝えているのです。自分の限界を設けない彼だからこそ、「ハムレット」「リア王」「ロミオとジュリエット」…等々。奇跡的な不朽の名作の数々を残せたのだと思います。

自分が何者かに固執しなければ、自分がなり得る最高の自分になれる
老子

 「枠にこだわるな」といった賢者や先達のフレーズは、齢を重ねた私たちの心をも大きく揺さぶり、まだまだ大丈夫!出来ることはある!と、勇気づけてくれます。私自身もちょっとその気になって改めてダンスに挑戦をしました。しかしまだ充分に勘が戻らないので、微妙に曲に乗り遅れたり、ターンのときに眩暈がしたり、時には相手の足を踏んづけたり(笑)散々の日もあるわけです。でも、私はやはり“心が喜ぶこと”をスタンスに、自分の心に正直に、怖(お)めず臆せず生きていきたいと思っています。

 私たちの多くは悲観的なものの見方に片寄ってしまっています。そこに楽観的な見方・考え方を加味していくことで、ニュートラルなバランスをとっていくことの深さを感じさせてくれるフレーズに出逢いました。

楽観主義者は青信号しか見えていません。
同じように悲観主義者は赤信号しか見えていません。
でも賢者には両方の信号が見えているのです
アルベルト・シュバイツアー

 楽観主義、悲観主義については前回(コラムNo111)触れました。楽観主義者は、自分が住む世界はいつも安全で興味津々。愉快な冒険に満ちている場所…と捉え、一方悲観主義者は、世界は危険に満ち溢れていて、気を許せる場所ではなく、冒険など、とてもできる場所ではない…と自分の住む世界をとらえている。

 一方、こんな捉え方ができる存在もいます。どんな世界にいようと自分軸をしっかり持っていて、自分の感じ方を大切にしている。今わくわく生きたいと思うなら、キャンバスからはみ出すこともできるし、ここは慎重に!と感じたら、ちゃんと足元を見て行動もできる。自分の枠(制限)に気づいており、外すべき枠はこだわらず外していける。視野を広げてみれば、ここは、限りない創造性と自由性に満ち満ちている世界なんだということを知っている存在。それを賢者と言う・・・と。

*次回のコラムは2022年10月20日前後の予定です。

★★2022年の講座予定を公開中です★★    2022年 講座開講スケジュール

2022年8月20日土曜日

私はいつも“それはたいした問題ではない”という哲学をもって生きてきた

 ★★2022年の講座予定を公開中です★★    2022年 講座開講スケジュール

私はいつも“それはたいした問題ではない”
という哲学をもって生きてきた
アンディ・ウォーホル
Column 2022 No.111

 アンディ・ウォーホル(故)は米国の画家・版画家・芸術家でポップアートの旗手。マリリン・モンローを描いたポップアートはあまりにも有名です。またロックバンドのプロデユースや映画製作などにもかかわっていたマルチ・アーテイストでもありました。

 彼のこの冒頭のフレーズはどこで見つけたのか記憶にはありませんが、ノートに走り書きをしていて、何かに直面したとき、ふとこのフレーズを見返して、私は何度勇気づけられてきたことでしょうか。私の完全癖傾向の為に、何か問題が起ると、それが結構高い壁に思えて“解決できるのだろうか。無理ではないか。でも何としてでも解決しなくては…”と意気込んで大仰に考えてしまう“思い癖”(おもいぐせ)が曾て(かつて)はあったのです。

 いつのころからか、そんな場面に遭遇したときに、ウォーホルの「それはたいした問題ではない」というフレーズが私の思考の中に思い浮かんで来るようになりました。すると私の中のその完全癖思考が少しずつ変容していったのです。その結果、ネガティブな高い壁は崩れ、不思議に何とか解決に向かう…という体験もしてきました。ものごとをあまり深刻に捉えないで、“私に起った問題が私に解決できない筈はない”と少しずつ思えるようになったのです。つまり問題に対して少し楽観視できるようになったというわけです。

楽観的であるということは、顔を常に太陽に向け、
足を常に前に踏み出すことである
ネルソン・マンデラ

 悲観的な性格の人が楽観的に物ごとを見るようになっていくことは、もしかすると、とても難しいことかもしれません。でもこれも練習・訓練によっては可能性に満ち満ちていると、私は思っています。これまで何度か取り上げてきた例えでお話してみます。「泥水でいっぱいのコップがあります。しかしそこに清水を注ぎ続ければ、そのコップの水はやがて必ずきれいな清水に変わります」

 私たちが人生を悲観的に考えてしまう“思い癖”があったとしても、コップに入ったままにして、変えようとしなくていい。ただ、問題に遭遇するたびにウォーホルが言っているように、“大丈夫!たいしたことではない!” “大丈夫!何とかなる!”と、その都度、新しい楽観的な思考をそのコップに注ぎ続けていけば、いつの間にか楽観的に考えられる新しい清水(思考)になっていくのです。実は思考も訓練のたまものなのです。

 私は講演などで、ワイングラスの絵を描いて、人それぞれの人生の見方を説明することがあります。“グラスに半分のワインが入っています” そのグラスを見てAさんは「ワインがグラスに半分入っている」と、事実を見ています。Bさんは「ワインがグラスに半分しか入っていない」と足りない側面を見ています。Cさんは「ワインがグラスに半分も入っている」と満たされている側面を見ています。

 悲観的な人は往々にして足りない側面に注目して、益々不安感情を引き寄せていきます。楽観的な人は満たされている側面に注目して、“なんて私は幸せ”と益々歓びや幸福な人生を引き寄せていきます。私たちは自分が“願っているもの”を引き寄せているのではなく、実は、自分が無意識に放っているバイブレーションレベルのものを、引き寄せてしまうのです。

どんな苦難に直面しても常に人生を楽しみ、おのれの運を信じ、
楽観的にものごとを見る。そこから拓ける道がある。
高橋 是清

 このように多くの先達は、人生を楽観視することの重要性を説いています。望む世界を手に入れたいと思うなら、自らが発するバイブレーションを変えるか、上げるしかないのです。実は思考を変えることでバイブレーションは変化していきます(コラムNo110)。その結果、冒頭のウォーホルのフレーズのように、何か問題にぶつかった時「それはたいした問題ではない」と即座に感じ取れる楽観的な感性が育っていくのだと思います。

悲観的になって自分は成功できないなどと思っていたら進歩は望めません。
他人にはかなわないという考えこそが失敗への第一歩です
ダライ・ラマ

 自分に足りない部分に気をもみ、他人と比べて劣等感を抱き、このままの私では駄目だ!もっと頑張らなくては!と自分にバッシングをする。…なんとしんどい生き方でしょうか。逆に、どんなときにも決して他人と比べず、ウォーホルのフレーズのように“それはたいした問題ではない” “自分は大丈夫!何とかできる!”と人生に楽観視ができたら、どんなに生きやすく楽しい人生になることでしょう。二つのフレーズをご紹介して今回のコラムを閉じたいと思います。

50過ぎたら「ま、いいか」「それがどうした」「人それぞれ」で行こう
広兼 憲史

楽観的であれ。過去を悔やむのではなく、未来を不安視するのでもなく、
今現在の「ここ」だけを見るのだ
アルフレッド・アドラー

*次回のコラムは2022年9月20日前後の予定です。

★★2022年の講座予定を公開中です★★    2022年 講座開講スケジュール

2022年7月20日水曜日

「なまけ者のさとり方」研修会から

 ★★2022年の講座予定を公開中です★★    2022年 講座開講スケジュール

Column 2022 No.110

 タデウス・ゴラスのこの著についてのコラムをNo107No108でとりあげました。私のコラムをいつも愛読下さっている福山にお住いのSさんが、ご自分もすぐにこの本をお読みになり、とてもよかったので「今回は“なまけ者のさとり方”の内容を中心にお話しください」ということで仲間を集めて研修会の輪を作って下さいました。

 悟りには勿論いろいろな解釈がありますが、今回はまずタデウス・ゴラスのいう「悟りとは」を引用し、続いて当日の研修会で話題になったことを、補足したり纏めてみたいと思います。

タデウス・ゴラスの言う「悟り」とは
悟りとは現在の私たちの意識を少しずつ広げる体験(地球、宇宙全体への理解の深化・魂の深化)のこと。完全な悟りとは、私たちは無限の存在であること。宇宙全体が生命を持っているということを知ることである。意識が広がっていく…そのプロセスそのものが悟りであり、何処か特定に定義された状態に達するということではない(後略)

 タデウス・ゴラスの言う“意識が広がっていく…そのプロセスそのものが悟りである”という辺りを当日はクローズアップして話題にしました。


~ 意識を広げるため(悟るため)に出来ること ~

1.バイブレーションを上げる

 私たちを含めすべての生きものは自ら持つ“波”で振動しており、それをバイブレーションと言いますが、解かり易く言えば、その人が持っている“思考の傾向や特性”と言っていいかもしれません。実は周りに起き湧いていることはすべてニュートラル(中立)で、正しい・間違っている…はないのですが、私たちは自分の持っているバイブレーション、つまり価値判断や思い込みで、周りの世界をみて、自分の世界を創っているのです。バイブレーションの高い人は幸せな世界を創り、バイブレーションの低い人は狭く苦しい世界を創っていくことになります。

 それではバイブレーションを上げるために何ができるでしょう。その話題では皆さんから色々と案が出てきました。…高い場所に上がってみる。自然の中に入る。気(バイブレーション)のいい場所に行く。バイブレーションのいい人に逢う…等々。「今日皆さんと分かち合いたい内容は、実は全てバイブレーションを上げていく方法でもあります」…と伝えて話題を進めていきました。

2.まわりの世界をあるがままに見る(事実を見る)

 自分が無意識に使っているバイブレーションに気づくことから出発です。つまりあるがままの世界を見るということは、自分の想念の癖から来る“思い込み”や価値判断を取り去り、ものごとすべて事実だけを見るということです。

 例えば“あの人はだらしない”はやめて“Aさんは使ったものを置いたままにしている”。“あの人は意地悪だ”はやめて“Bさんは私にお前はダサい奴だと言った”…のように目の前の出来事にジャッジ(価値判断)を加えず、あるがまま起っていることだけを見ていくということです。

 “すべての事象は深いレベルで必然的に起きている”…と賢者は説いていますが、私たちはまだまだその理解には遠く及びません。大切なことは、起きたことにいちいち反応するのではなく、ただ事実を見ていく…ことで、私たちのバイブレーションはいい状態に保たれると言うわけです。

3.自分を愛することが悟りへと向かう王道

 私たちはすべての人々と繋がっています。自分が自分自身への愛に目覚めたとき自分自身への愛のバイブレーションは、もともとつながっている他者(人類)へと、自ずと大きく広がっていきます。だから自分自身への愛は人類への愛の原点であり出発点なのです。

 ① 頭ではなくハート感覚で生きる
 ヘッドレベル・ハートレベルと言う表現があります。ヘッドレベルでいると、これまで話してきた価値判断や思い込みの視点から、狭く重苦しい世界を創っていく傾向になります。ハートレベル、つまり感じることを大切に生きている人は、自分の感性で世界を見つめ、その人にとっての真実の世界を創っていくでしょう。

 ② 感情とうまくつきあう
 自分自身を愛するということは、自分の感情といかに折り合いをつけ心地よくつきあっていけるかと言うことでもあります。それほど感情は私たちの人生を支配しているのです。罪悪感・無価値感・拒絶感・嫌悪感・虚無感・喪失感…等々、すべて感情です。それらの感情に支配されたとき、私たちは混乱してしまうのです。

それから学ぶべきものを学んで、もういい加減うんざりしているのなら、
捨ててしまいなさい。どうやって? それらを愛し抱き入れ、
自分の存在の中にそれらがあることを赦すことによってだ。
するとそれらはあなたを圧倒することは無くなるであろう。
賢者の言葉

 人間はお互いに上等ではありません。まず自分の中の汚れていると思っている部分、感じたくないと思っている部分から目を逸らさず、愛し赦していくしかありません。事象を許すのではなく、それにまつわる感情にフォーカスすることがポイントです。どんなにみっともない自分であってもその都度本当の感情に気づいて丸ごと抱き入れるのです。自分を愛することは悟りへと向かう王道なのです。

自分の感情がどうしようもなく嫌で、それを愛するなんてとても
できないと感じるかもしれません。でも愛すると決心しなさい。
嘘だと思っても“私はそれを嫌っている自分を愛している”と言いなさい。
タデウス・ゴラス

 ③ 自分軸で生きる
 あなたの人生の答えはあなたの中にあります。外には無いのです。他者に合わせた生き方は自分軸からどんどんずれていきます。自分の中に価値基準(ものさし)をもちましょう。自分に嘘をつかない。自分の真実を生きる…これは自分軸を強くするポイントです。人生に迷ったら自分に返る。他者に答えを求めないで自分のハートに尋ねましょう。やがてはっきりと答えが返って来るようになります。

 ④ 心が喜ぶことを果敢に
 自分のハートはあなたの答えを知っています。心が喜ぶこと。あなたのハートにしっくりすること…は思い切ってやってみる価値があります。ハートが歓喜し、あなたのバイブレーションは大きく上がっていくでしょう。悟りとは徐々にバイブレーションを上げていくプロセスとも言えるのです。

 覚醒(悟り)にゴールはありません。私たちは常に広がり続け、目醒め続けていきます。自分軸からずれないで、感じては気づき、そして赦し、自分の感情と上手につきあいながら日々、私たちは心のユートピアを目指していくのです。

 あなたの気付きは周りの人々の気づきを促します。あなたが自分を愛すれば、周りの人々も自分を愛するようになります。私たちはみんな繋がっているからです


*次回のコラムは2022年8月20日前後の予定です。

★★2022年の講座予定を公開中です★★    2022年 講座開講スケジュール

2022年6月20日月曜日

一日のうちに何かひとついいことがあれば、私はその日はとてもハッピーなんだ

★★2022年の講座予定を公開中です★★    2022年 講座開講スケジュール

一日のうちに何かひとついいことがあれば、
私はその日はとてもハッピーなんだ
ヘルベルト・フォン・カラヤン
Column 2022 No.109

 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の終身指揮者・芸術監督であった、故カラヤン氏のフレーズです。その日の演奏はカラヤン氏にとってはとても不満足なものでした。ところがそのあと食事を始めたカラヤン氏が「私は今日はとても幸せだ」と言うので、隣にいた人が意外に思って訊くと「このキャビアがとってもおいしいから。私は一日のうち何かひとついいことがあったらその日はとてもハッピーなんだ」と答えたそうです(月刊誌「サインズ・オブ・ザ・タイムズ」より参照)

 私たちはものごとがうまくいかないとき、いつまでもそれに捉われてくよくよしたり、周りの人に不機嫌に接したりする傾向があります。うまく機能している出来事や自分自身の素敵な側面はあまり見ようとしないで、うまくいかなかった側面や自分自身の中の足りない側面に注目して、いわゆる“あら探し”に夢中になっている自分がいます…。私はカラヤン氏のこの一文を目にしたとき、幸せの真髄を見た気がしました。

幸せになれるかどうかではなく
幸せを感じるのはその人の心である
エドマント・スペンサー

 まさにその通りで、どんなにネガテイブな感情に翻弄されていても、カラヤン氏がキャビアの美味しさに気づいたように、今ある幸せに気づいて今日はいい日だった…と幸せを感じる“感性”を育てることはとても大切に思いました。

「今日は仕事が思うように運ばなかったけれど、ふと空を見上げたら、広々として透き通るような空の美しさに魅了された。…だから今日は幸せなわたし!」
「もやもやと気分が落ち込んでいたけれど、曲に乗って好きなダンスを一人で思い切り踊ってみた。ダンスを楽しめた今日はハピーな一日!」

 生活しながら「わあ!素敵!」と、今ある幸せに気づく。また一日ひとつでも自分の心が喜ぶことをやって、「今日はこんなに楽しいことができてハピーだった。最高!」…と、周りの環境や自分の行動にしっかりとOKを出していく。“幸せを感じる感性”を大事にして、一日一日を丁寧に生きていく。それをとても大切に思ったのです。

 私は講演などでよくお伝えしてきました。「一日ひとつでもいい。あなたの心が喜ぶことをやりましょう」…と。その時、よく質問にあったのは“何をやっても楽しいと思えないんです”とか“心が喜ぶことが見つからないんです”…等々でした。それは恐らく幼い頃から、周りの大人の要求に合わせて生きてきた結果、自分の欲求を感じる練習が少なかったことが原因のひとつだと思います。だからこそ人一倍自分自身に優しく優しくしてあげて下さい。一度しかないあなたの人生です。もはや他者や環境のせいにしている時間はありません

あんまり深く突きつめて考えない。“今日を楽しむ”
と考えていけば何とかなるんじゃないかな
やなせ たかし

 私たちはすべてを深刻に考え過ぎているのではないかと思います。後悔の念に捉われたり、まだ来ぬ未来に思いをはせて不安に取り込まれたり、なかなか“今”に立てない自分があります。

人生とは自分探しをすることではない。
人生とは自分を創ることである
ジョージ・バーナード・ショー

 自分探しも大切ですが、人生はあまりに短いのです。せっかく与えられたこの人生で自分が何をやりたいのか、どういう人生を歩みたいのか…を自分に尋ねて、なりたい自分を創っていく。生きたい人生を創っていく…ことの重要性を、バーナード・ショーは教えてくれています。

 実は私自身が自分の欲求がわからなくて、生きたい人生も見えていない人でした。でも“まず一歩から”と思って始めたことは、自分自身にたえず「今何がしたい?」と、尋ね始めたことでした。その質問の陰に、生きたい人生の答が潜んでいると直感したからです。

 朝起きて夫と子どもを送りだした後、いつも自分に訊いていきました。答えは必ず来ました。「何がしたい?」…“眠りたい” 「何がしたい?」…“コーヒーが飲みたい” 「何がしたい?」…“海が見たい”…それを正直にやっていくことは、最初は罪悪感と“共歩き”でしたが、その都度“いいのよ いいのよ!”…と自分にエールを送りながら果敢にやっていきました。それは、自分自身の人生の欲求が見え始めるための、基本的な訓練だったのです。

 そして今、カラヤン氏のフレーズで学んだことは、“一日の中の僅かひとこまの喜びでもその都度気づいて、私の人生を彩っていこう”ということでした。そのことを忘れてしまっていたら、就寝前に「今日“ひとりカフェ”で飲んだコーヒーは飛び切り美味しかったなあ。だから今日は素敵な一日だった!」と、何でもない幸せでも確認して、眠りにつくことにしています。私の幸せは誰も創ってはくれないのです。私の心だけが創っていくのですから。

しあわせを数えたら あなたはすぐに幸せになれる
アルトウル・ショーペンハウアー


*次回のコラムは2022年7月20日前後の予定です。

★★2022年の講座予定を公開中です★★    2022年 講座開講スケジュール

2022年5月20日金曜日

あなたはどこに行ってもあなた自身といるより仕方ありません(その2)

  ★★2022年の講座予定を公開中です★★    2022年 講座開講スケジュール

あなたはどこに行ってもあなた自身といるより仕方ありません
タデウス・ゴラス
Column 2022 No.108

 前回に続いてタデウス・ゴラスの「なまけ者のさとり方 」(地湧社)から、ゴラスの述べる真理を私自身の解釈を入れながら、更に紐解いていきたいと思います。以下で、紫色ハッチのフレーズ文章は「なまけ者のさとり方 」からの引用です。

 「生きものの基本的な営みは拡張する(広がる)ことと、縮小する(縮まる)ことである」…とゴラスは宇宙のしくみを説明しています。そして私たちの意識を出来るだけ広げて深めていくことこそが「悟りへの道」であると述べています。

この広がりを私たちは、意識の広がり、理解の深化、魂の広がりなどとして体験しますが、それをどう表現するかは各人の自由です。完全に広がりきったとき私たちは完全な意識の拡大、つまりすべてのものと一体になった感覚を体験します。そのレベルに達すると、時間を超えた至福感、意識や知覚、感覚の無限の広がりを味わうのです。(中略)すべてと一体化した魂はあらゆることを体験することができます。意識が広がっていけば、この宇宙に存在するすべてのものを体験できるのです。

どんな精神状態にいようと、この宇宙のどこにいようとあなたに与えられている選択は一つだけです。あなたの意識を広げるか、縮めるか。このどちらかしかないのです。それも今、あなたがいるところから始めるしかありません。

 前回に続いて、“悟りへと至る道”つまり“意識を広げていく・深めていく”ことについて考えてみたいと思います。

☆ 物理的に視野を広げてみる

 物理的に視野を広げると、意識も広がっていくのではないか…という想定のもとに、私の体験を通して前回のコラムNo107に書きました。

☆ まわりの世界をあるがままに見る(抵抗することをやめる)

 世界がどんなふうに見えるかは、私たちの使っているバイブレーションのレベルで100%決まってくると言います。バイブレーションとは、その人が持っている“思考の傾向や特性”と言ってもいいかもしれません。周りに起き湧いていることは、実はすべて中立で、正しい・間違っている…はありません。同じ事象が、自分のバイブレーション(考え方の傾向・習い性)によって、ポジテイブに見えたり、ネガテイブに見えたりするというわけです。

 自分が使っているバイブレーションに気づき、“抵抗”つまり自身の想念の癖から来る“価値判断”をやめて、何にも捉われず、心をオープンにして、あるがままに世界を見つめていく。その結果、意識は無限に広がり、広がるほどに宇宙のからくり(真理)が理解でき、自ずと人生は、至福感に満ちた味わい深く素晴らしいものになっていくのだ…と、伝えています。

☆ 人類への愛は“自分を愛する”ことから広がっていく

あなたが自分自身を愛するとき、実は、あなたは愛と共に無数の存在へと広がっていくのです。あなたが愛を広げれば広げるほど、あなたの内の存在も周りの存在も大きな愛になっていきます。どんなレベルにおいても私たち(人類)はお互いに繋がり合い、影響を与え合っているバイブレーションそのものだからです(中略)あなたの愛を広げ、深めれば深めるほどに、あなたは高く昇っていくのです。

 私たちは、ゴラスも言うように、他者を愛する前に、まず自分自身への愛を深く掘りさげていくことが先決です。ありのままでいる自分を愛し赦し、心が喜ぶことをいっぱい与えてあげながら、私たち一人ひとりが自分自身への愛をひたすら深め広げていく。自分自身への愛を深め広げるほどに、もともとつながっている他者(人類)へと、自ずと愛は大きく広がっていくからです。

真実の愛とは、あなた自身が自分のために行う行為なのです(中略)多少汚れていようと、腐っていようと、愛ほど清いものはないのです

 自分に正直に対峙していくと、罪悪感・無価値感・拒絶感・嫌悪感・虚無感・喪失感…等々が、折り重なっていて、私たちはそこを見つけては落ち込み、元気を失っているのが現実です。人間はお互いに決して上等ではありません。まず自分の中のその汚れていると思っている部分を受け入れ、そこから目をそらさず、愛し赦していくことしかありません。

自分の感情がどうしようもなく嫌で、それを愛するなんてとてもできないと感じるかもしれません。でも愛すると決心しなさい。嘘だと思っても“私はそれを嫌っている自分を愛している”と言ってみなさい

 たとえ自分の中の許し難い想念・感情・行動…があったとしても、決して見過ごさないで、まず自分が嫌ったり憎んだりしている感情をしっかりと見据えて「今日は理由のない虚しさでいっぱいです。虚しさに圧倒されている私をそのまま愛します。赦します」「今、私はあの失敗にこだわってくよくよしています。くよくよしている私をそのまま愛します。赦します」…あまりに苦しいとき、感じたくなくて見ないふりをしている自分もあるものです。それにすらも気づいて「見ないふりをして逃げようとしている私をそのまま愛します。許します」こうした自分自身への赦しをただ根気よく続けていくのです。

 事象を愛し赦すのではなく、それにまつわる自分自身の感情にフォーカスすることがポイントです。どんなにみっともない自分であってもその都度、本当の感情に気づいては丸ごと抱き容れるのです。魂が納得してくれるまで辛抱強く言い聞かせるのです。すると徐々にその感情が私たちを圧倒することは無くなっていきます。それだけで充分ですが、さらに手放したいと思うときも、決して追っ払うのではなく、感情は生きているのですから、大切な人を見送るような気持ちで、イメージで優しく手放していきましょう。自分自身への愛こそが「悟り」へと繋がる王道なのですから。

愛こそ悟りへの完全な道です。愛は常にすべての人に開かれています。何ものも愛の道を妨害する力は持っていないのです。この道を行くのだと決心さえすれば、もうそれだけでいいのです

理由などいらない。ただ、愛しなさい


*次回のコラムは2022年6月20日前後の予定です。

★★2022年の講座予定を公開中です★★    2022年 講座開講スケジュール

2022年4月20日水曜日

あなたはどこに行ってもあなた自身といるより仕方ありません(その1)

 ★★2022年の講座予定を公開中です★★    2022年 講座開講スケジュール

あなたはどこに行ってもあなた自身といるより仕方ありません
タデウス・ゴラス
Column 2022 No.107

 数十年前に、題名に惹かれて読み始めたタデウス・ゴラス著の「なまけ者のさとり方」(地湧社)は、その頃の私にとっては、一言一言が魂に沁み込んでくるような衝撃があり、今も私の“座右の書”の一冊になっています。この書籍はゴラスが生涯に唯一、この一冊のみを著した渾身の書と言われています。

 近年、精神世界の「悟り」とか「覚醒」という言葉が日常的になり、精神世界の幕開けを感じる今日この頃です。“悟り”は仏教用語では「悟り」、スピリチュアル(精神世界)用語では「覚醒」、心理学用語では「自己実現」という言葉で現されており、ほぼ同じ意味合いです。心理学者のマズローは人間の最終目的(欲求)は、“高次の自分に統合すること”と述べており、その意味合いは、やはり「悟り」と言うことでもあります。

 ゴラスのフレーズを紹介しながら、彼の述べる真理を少しでも理解しやすくお伝えしたいと思いますが、何しろ彼が著している深遠で膨大な叡智溢れる真理をどれだけお伝えできるのか自信はありませんが、彼のフレーズを忠実にお伝えしながら、私が今いる位置で理解できたことを表現していけたらと思っています。今回取り上げているフレーズはすべてタデウス・ゴラスのものです。

私はなまけ者です。世間でよく言われているように、悟りを開くためには何年も修行が必要だとか、人一倍の努力や厳しい自己抑制、自己鍛錬をなければならないというのなら、悟りは私には関係がなかったことでしょう。その上食べ物には気を付けなくてはいけないとか、たばこは体に悪いからやめろとか、道徳にかなった生活をしなくてはいけないということになればなおさらのことです。悟りとは、これらのこととはまったく関係がないと、私はこの本で言いたいと思っています。

 この書を初めて紐解いたとき、この書き出しの言葉で、“これなら私もできそう!”と元気が出たのを覚えています。私自身が実は怠け者で、たやすく悟る道が無いのなら、悟ることは難しいな…と常日頃思っていたのです。続いて次のフレーズが目に飛び込んできました。

宇宙はものすごく単純に設計されていますから、私たちが迷い子にったり、不幸になったりしてしまうような仕掛けは、何もないのです。

 宇宙のしくみを、彼は簡潔に次のように纏めています。生きものの基本的な営みは“拡張する(広がる)ことと、収縮する(縮まる)ことである…と。私たちを含めすべての生きものは、自ら持つ「波」で振動しており、バイブレーション・波長・波動・振動数…等、色々な表現がありますが、その人がどんなバイブレーション(波)を使っているかで「拡張」に傾いたり「収縮」に傾いたりする…。そして個人のバイブレーションのレベルに応じて、まわりの物の見え方や体験は全く違ってくる…というわけです。

悟りとは、現在の私たちの意識の限界を少しでも広げる体験のことです。完全な悟りとは私たちは無限の存在であること。宇宙全体が生命を持っているということを知るということなのです

どんな精神状態でいようと、この宇宙のどこにいようと、あなたに与えられている選択は一つだけです。つまりあなたの意識を広げるか、縮めるか、このどちらかしかないのです。(中略)完全に意識が広がってスペース状態になっているということは、すべてのことを充分に意識しようと、すっかりオープンになって準備のできている状態のことです。つまり完全に抵抗をやめ、如何なる思考も物も出来事も、拒否しない状態ということです。
ですから悟るためには何か特別な考え方を身に付けたり、特殊な体験をしたり、苦しんだり、身を慎んだりする必要はないのです。

意識が広がっていくそのプロセスそのものが悟りであり、何処か特定の定義された状態に達するということではありません。悟りが深まって次第に他の存在へと理解が進んでくると、遂には存在するすべてがひとつに繋がっており、互いに影響し合っているということが体験できるようになり、やがて私たちは、無限の存在であること。宇宙全体が生命を持っているということを知る…のです。

 私たちの多くは、今住んでいる次元で“~してはならない”“こうあるべきだ”“これは正しいそれは間違っている”…等々、途轍もない価値判断や制限・制約の中で不自由に生きています。つまりゴラスの指摘するところの「収縮」つまり縮こまった状態の中で窮屈に生きていると言えます。そこから脱して、私たちの意識が広がるに従って、宇宙のしくみが理解でき、やがて至高の真実が垣間見えてくるというわけですね。

 つまり、我々の意識を広げていくことこそが悟りへの道だとしたら、どうしたら、その途轍もない制限を乗り越え、意識を広げていくことができるのでしょうか。ゴラスのメッセージをひも解き、私自身の解釈も入れながらその辺りを見つめてみたいと思います。

☆ 物理的に視野を広げてみる

 一日中、パソコンに向かって仕事をしていると、私の頭の中も身体も実際、縮こまってきたのが解かります。肩こりで頭痛が起こったり、気分がいらいらしたりし始めます。心の視野、気持ちの視野が狭くなったことが解ります。こんな状態の時には何も考えたくなくなって、夢や希望も萎んできたり、その上生きる元気まで無くなります。そんな折、物理的に視野を広げてみたらどうなるのかを、意識的にやってみたことがあります。

 少々寒くても窓を開けて、仕事場からビルの谷間の、僅かな空を眺めてみました。それだけでもエネルギーが返ってくるのが解かりました。また、仕事を中断して庭に出て寄せ植えの花々を見たり、太陽の光を浴びながら深呼吸をしていると、さらにエネルギーが甦ってくるのがわかります。大自然は私たちの精神状態を健康に保ち、いわゆるゴラスの言う意識の広がりを強力に助けてくれるのですね。覚者・聖者と言われる釈迦やイエス・キリストが、大自然の中で悟りを得た…と伝えられている所以(ゆえん)が少し理解できた気がしました。

 これまでも私は、広い海を眺めたり、夜空の星々を眺めて無限の宇宙に思いを馳せたり、雲が浮かぶ空を飽くこともなく眺めたりする時間が、とても幸せで大好きでした。それは無意識に行なってきたことですが、ゴラスの言う、生きている存在が持つ基本的な営みである「収縮」(縮まる)から「拡張」(広がる)への体験のひとつであり、実はそれが悟りへの道へと繋がっていく歓びでもあったことに、今さらながら気づいたことでした。

 このシリーズは次回も続きます。“意識を広げていく”…ことについて続けて考えてみたいと思います。

*次回のコラムは2022年5月20日前後の予定です。

★★2022年の講座予定を公開中です★★    2022年 講座開講スケジュール

2022年3月20日日曜日

夢を求め続ける勇気さえあれば、すべての夢は必ず実現できる

★★2022年の講座予定を公開中です★★    2022年 講座開講スケジュール

夢を求め続ける勇気さえあれば、すべての夢は必ず実現できる。
ウオルト・ディズニー
Column 2022 No.106

 コラムNo104で「・・・新しい夢を見るのに歳をとり過ぎたということはない」というテーマを掲げました。そうだ! 命がある限り夢を持ち続けたい。自分の中の未だある夢を実現したい…と、改めて感じた私は、今回は“夢実現”について考えてみたいと思います

 ウオルト・ディズニーは度重なる挫折を体験しながら、決して夢を諦めず、自らの創造力を信じて突き進み、巨大企業「ウオルト・ディズニー・カンパニー」を立ち上げて、世界中の人々に夢と歓びと感動を与え続けてきました。

夢を求め続ける勇気さえあればすべての夢は必ず実現できる。
いつだって忘れないでほしい。すべて一匹のねずみから始まったということを
ウオルト・ディズニー

 「ミッキーマウス」の生みの親、ディズニーは、一匹のねずみをアニメーション映画にデビューさせ、そのミッキーは奇跡的な人気者となって、今やアメリカ文化のシンボル的キャラクターになっています。またディズニーは、親も子どもも一緒に楽しめる施設を提供したいという夢を抱き続けて、やがて「ディズニーランド」という壮大な夢を実現させたのです。“夢見ることができればそれは実現できる”というのが生涯にわたっての彼の持論でした。

 さて!自分に返った時、私は何をしたいと思っているのか。何をしたらわくわくするのか。何を夢見ているのか。既に実現した夢もあるが、まだまだ実現させたい夢もある。それをどのようなプロセスを経て手中に出来るのだろうか。エマーソンは次のように言っています。

あなたが今夢中になっているものを大切にしなさい。
それはあなたが真に求めているものだから
ラルフ・ワルド・エマーソン

 親業でも夢を実現するためには、まず、本当にやりたいこと(欲求)は何か、それを明確にすることの大切さを述べています。それはエマーソンの言うように、今あなたが夢中になっていることの中に大きなヒントがあります。それを形にして夢実現していけるのです。ディズニーは“世界中の人々に夢と感動をプレゼントしたい”という夢を、終始一貫持ち続けてきました。彼のその夢を形にしたものが数々のアニメーションであり、あの夢溢れるディズニーランド建設でもあったわけです。彼は夢実現のためのヒントを次のように述べています。

夢をかなえるのは4つの「C」に集約される。
それは、Curiosity(好奇心) Confidence(自信)
Courage(勇気) Constancy(継続)である
ウオルト・ディズニー

 親業が主宰する「人間関係講座」のプログラムの中に「あなたの欲求実現の為のポイント」があります。ディズニーのヒントと重なりますので、簡単にご紹介します。

1 やりたいこと(欲求)を明確にする
 ディズニーはそれを「好奇心」と表現しています。これは一番大切なポイントです。何に心惹かれるのか、どうしたいのか、どうなりたいのか明確にしましょう(コラムNo16)。何事にも指針とか目標が必要です。目的地を定めないまま船出した船は、同じところを逡巡するはめになってしまうでしょう。

2 不安恐怖を支配する
 私たちがやりたいことから後ずさりする大きな原因です。不安に支配させてしまわないで逆に不安を支配しましょう(コラムNo71)。起ってくる不安を一つひとつ感じて、その不安をどのように捉えるか。シュミレーションしながら大丈夫と感じるところまで見つめていくのです。その結果、不安が自分の手中に入り、支配出来るようになります。そうなったら前に進みやすいのです。

3 自分はそれを手にする価値があるのだと確信すること
 ディズニーはそれを「自信」と表現しています。欲しいものが手に入りにくい人は、自分に対する価値感が欠落している人が多いのです。自分が欲しいものを受けとる重要なポイントは、自分が欲しいものを知ること。そして自分はそれを手にする価値があるのだと知ることなのです。これは非常に大切な条件です。

4 本気で対峙する
 ディズニーはそれを「勇気」と表現しています。勇気をもってとにかく本気でとりかかるということです。

あなたが夢見ていることがあれば、今すぐ始めなさい。
向こう見ずは天才であり、力であり、魔法です。
ゲーテ

 またディズニーをはじめ、多くの先達、賢者は「夢実現」に関して次のように述べています。

 自分の中で想像できるということは、それを自分で実現できるということ。
 そうでなければ想像できないのです。
 自分で想像できることは、自分がそうなれることとイコールなのです

 何の脈絡もなくあなたの頭を巡る想い、こうなれたらいいな…とふっとよぎる想い…等々。それはすべてあなたにとって実現可能な範囲にあるもので、そうでないものは頭にも浮かぶことはない…というわけです。私たちが想像できるものが形になるのだとしたら、既にそれが実現している!と、更にイメージしていくことで、間違いなく夢はかなっていくに違いない。それだけ我々人間には創造性があるということです。一度しかない人生です。そのよぎる想いを単なる想像に終わらせないで、ゲーテの言う“少し向こう見ずになって”夢実現をしていきませんか。あなたの夢はあなたの手中にあるのです。

*次回のコラムは2022年4月20日前後の予定です。

★★2022年の講座予定を公開中です★★    2022年 講座開講スケジュール

2022年2月20日日曜日

ありのままの自分で生きる

 ★★2022年の講座予定を公開しました★★    2022年 講座開講スケジュール


Column 2022 No.105

 「あなたらしくいなさい」「ありのままのあなたで」…というフレーズはよく見聞きしてきました。しかし解かったようで解からないのが“あなたらしく…”とか“ありのままで…”ではないでしょうか。

 これまで周りの人から「こんな考えをするところってあなたらしいわね」と言われたことが何度かありますが、正直とても戸惑いを覚えたものです。その感じ方が自分自身にも真実か否かがよく解からないのに、第三者に何が解かるの?という戸惑いです。

 若い頃、深刻なうつを患った時、自分のつらい気持ちを心ある幾らかの友人に相談をしたら、その友人の多くが「あなたのままでいいのよ」と返してきたことを思い出します。その瞬間は「ああそうか!私のままでいいんだ…」とほっとしたものですが、少し時間が経つと、“わたしのままって何だろう?”という疑問が湧いていたことも思い出されます。人生に迷っているとき、人は多く“自分軸”(ありのままの自分)からそれることで、自分自身を見失っているわけですから、“あなたのままでいいのよ”…という助言(正論)を頂いても具体的には理解できないわけです。

 これは今思うことですが、私が混乱をして自分を見失っていたとき、もしも相手の人が「苦しいねえ…。どう生きていっていいか分からなくなるほど混乱してるんだねえ。やりきれんねえ・・・」と、反応して下さっていたら、私はどんなに救われたことでしょう。ただただ私の苦しい気持ちを解かって共感を示して下さっただけで、「ああ。今すごく苦しいけれど、苦しんでいる私のそのまんまでいいんだな」と、心がくつろぎ、ありのままでいれる心地よさを実感できたと思うのです。

皺もシミも老いもひっくるめて、この世にあなたはたったひとり
ダフネ・セルフ

 そのたった一人の自分そのままを、いかに愛し赦していけるか。“ありのまま”の本質というものが、私の中で少しずつ明確になってきましたので、その自分でいられる為にできることを、私なりの気づきで纏めてみたいと思います。

☆ 自分の行動に対する価値判断に気づく

 自分の思考の動きを観察すると、他者と比べて自分はだめだと落ち込んだり、人を傷つけた・傷つけられたとかに捉われたり、私くらいの年齢になると“老い”を意識してふさぎ込んでみたり…と、ありのままどころか、私ではいけない、私では駄目だ・・・と、とても厳しいベクトルを自分に向けていることに気づきます。

 自分へのその価値判断に、まず気付くことが大切です。気づかないと生き直すことは難しいのです。人間をやっている以上、これらマイナス思考は当然なのです。だから、あるがままの今の自分をそのまま赦すのです。“他人と比べて自信を失っているんだねえ” “傷つけられたと思って凄く腹を立てているんだねえ” “老いを感じて愕然としているんだねえ”…等々。つまり価値判断をしている自分に気づき、いまの自分の実態に共感しながら、そのままの自分を見ていられる状態…これがあるがままでいる姿です。

☆ 自分の今の気持ちに正直にやりたいことをやる

人が笑おうが笑うまいが自分の歌を唄えばいいんだ
岡本 太郎

 自分の歌を唄えばいいんだ…と言われても、その頃の私には自分の歌が解からなかったのです。それに気づいた私は、“自分の歌を見つけよう”と決意したのです。「欲求の5段階説」を提唱した心理学者アブラハム・マズローは、「人間は自己実現に向かって絶えず成長する存在」と述べ、間違っている・いない…はない。自分の心が赴くことを正直に生きていくうちに、無意識に自己実現へと向かい、次のステージへと自然に上がっていくのだ…と述べています。

 まず、他者のために見栄えのいい生き方をすることを本気でやめてみようと思いました。“自己実現”という目標にしっかり意識をおきながら、本当の自分を取り戻すために、自分の正直な気持ちを大切に、いま本当に食べたいものを食べ、着たいもの着て、行きたいと思うところに行き、逢いたいと思う人に逢い、やり損ねてきた“子ども染みた遊び”も思い切ってやってみました。時間はかかりましたが、そのうち、自分の歌が徐々に見えてきたのです。岡本氏が言う、誰に笑われてもいい“自分の歌”を下手ながら唄い始めたのです。

 するとあるがままの自分の実態がさらに明確になっていきました。その結果、「自分軸」が徐々に立ち上がり、やがてマズローの提唱する自己実現へと向かう高次の欲求が、少しずつ垣間見えてきました。私の人生に於ける真の目標(欲求)が見えてきたのです。私は、はっきりと気づいたのです。自分の本当の歌を見つける為には、今のあるがままをそっと赦しながら、何の罪悪感も持たないで自分がやりたいことや心が喜ぶことを、本気でやっていくこと。ここからが出発…私の体験からそれを確信したのでした。

 価値判断をやめ、あなたに来た“ひらめき”を大切にしてやりたいことをやり始めて下さい。自分から来た答え(欲求)はあなたにとってはまさに真実です。価値判断している間に大切なチャンスは逃げてしまいます。もちろん恥をかいたり失敗したり…はあるでしょう。しかし私たちは失敗から沢山のことを学びます。失敗は、魂の目覚めを促してくれます(コラムNo44)。どんな自分も赦し赦して自分をどんどん満たしてあげましょう。本当の自分を見つけるために、です。これまでも取り上げましたが、私が日課にしているアファメーションです。

どんな自分も無条件に愛します
どんな自分も無条件に赦します


*次回のコラムは2022年3月20日前後の予定です。

★★2022年の講座予定を公開しました★★    2022年 講座開講スケジュール

2022年1月20日木曜日

新しい目標をもったり新しい夢を見るのに、歳を取り過ぎたということはない

★★2022年の講座予定を公開しました★★    2022年 講座開講スケジュール

新しい目標をもったり新しい夢を見るのに
歳を取り過ぎたということはない
C・S・ルイス
Column 2022 No.104

 2022年!新しい年がやってきました。お正月は家族で「湯布院」で過ごしました。そこに向かう車窓から、輝かしい新年の朝日を浴びながら、冒頭のフレーズをしきりに思い出していました。

 新しい夢を見るのに歳を取り過ぎたということはない…というけれど、自分の身体の動きや想いの中に年齢を感じることが多くなって、それに気を取られて生きているな…階段の上り下り、文字の見えにくさ、大切な人の名前のど忘れ、物の置き忘れ…等々、ちょっと増えてきたかな…と。大切な私の人生に対する「夢」「目標」など…ちゃんと見つめているだろうか…と。

 フランスの医師であったアルベルト・シュバイツアーは言っています。「物事に関心が無くなったり、憧れ・熱意などを失いかけていることなどに…少しでも気づいたら病気の前触れだと考えなければならない。表面的に流されている生活に魂が苦しんでいるのだと、気付かなければならない」…と。そうかあ…知らず知らずに表面的な生活に流されたり、老いの想念の方に心が行ってしまっていたんだなあ。真の自分から逸れてしまっていることに魂が苦しんで、私にサインを送ってくれている状態だったのか…そうだったのか…と。

“ああそうだ!”と気づいたその時が、あなたのバースデー
中村 天風

 天風氏の “気づいたその時があなたの誕生日!” のフレーズは今の私の気持ちにぴったりと重なって、改めて新しい自分に生まれ変わろうと思いました。私たちは習い性のように、何事も昨日の続き…と思って生活をしていますが、実は人は誰でも瞬間瞬間、何かに気づきながら、新しい自分に生まれ変わっていくのだ…ということを忘れかけていた気がします。親業でも“気づき”は特に大切にしています。深い気づきを得た人は、確かにその瞬間から、新しいその人で生き始められるのを何度も見て感じてきました。

 さて、私たちは、一年の終わりに「忘年会」と名付けた飲み会をしますね。広辞苑によると、「その年にあった色々な苦労を忘れるために催す宴」とあります。その年にあったことをすべて水に流して、新しい気持ちで新年を迎えよう・・・というわけです。ちなみに「忘年会」は日本独自の文化のようです。素晴らしい日本文化だと思います。今年の私の年賀状にとりあげたフレーズは、たまたま次のフレーズです。

許すはよし 忘れるはなおよし
ロバート・ブラウニング

 ブラウニングが伝えたいこととは少し角度は違いますが、「忘れる」という能力は私たちに与えられた天からの恩寵に思います。生きてきたこれまでの苦しみ、後悔、他者への怨念…等々を、もし全部覚えていたとしたら、今を生き切ることはとても難しいでしょう。忘れることで、脳のスペースは広がって新しい新鮮な情報がどんどん受けとれる。“忘れる能力”…なかなかいいではないかと思えるのです。何だか言い訳っぽい感じがしないでもないですね(笑)

50過ぎたら「ま、いいか」「それがどうした」
「人それぞれ」でいこう
広兼 憲史

 50歳どころではない年齢を迎えましたが、やはり大共感のフレーズです。些細なことはどんどん忘れて、自分を大きく包んで赦し、他者と比べず、たえず自分に優しく優しくです。出来ないことに気を取られず、出来ること・心が喜ぶことを大切にして、わくわくと生きていこう。新しい夢を見たり、これまで温めてきた夢を実現したり、年齢を重ねることへの捉われを超えて、牛のように堂々とマイペースでやっていこう…と改めて決意した新年でした。

人が対決する相手は老化ではありません。真の相手は恐れです。
老化は恐れを蓄えるひとつの場所なのです
賢者の言葉

 このコラムの終わりに、松下幸之助氏が、ことあるごとにこの詩を愛唱し、ご自分を鼓舞していらしたという、サミュエル・ウルマンの「青春」の詩をご紹介します。

 齢を重ねるだけでは人は老いない
 理想を失う時に初めて老いが来る
    (中略)
 人は信念と共に若く 疑惑と共に老いる
 人は自信と共に若く 恐怖と共に老いる
 希望ある限り若く 失望と共に老いる


*次回のコラムは2022年2月20日前後の予定です。

★★2022年の講座予定を公開しました★★    2022年 講座開講スケジュール