2024年9月20日金曜日

Talk less Act more

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 下村亮子チャンネル『 TRUST YOUR FEELING - あなたの中の答えを信じて 』  Youtube音声番組を始めました。聞いてみて頂けると嬉しいです。

Column 2024 No.136

 今回のタイトルは「口数を少なく行動を多く」という西洋に伝わることわざのひとつです。昔から“子どもは親の言う通りには育たないが、親がするようには育つ”といった意味合いの格言もありますが、特に子どもを導いていく上ではガミガミと言って聞かせるよりは、行動して見せる方が、より子供の心に入る…というわけです。

 最初はマネみたいなところから始まりますよね。
 色々な人のフォームをまねしたりして、
 何となく今の自分がいるという感じはありますよね
 イチロー選手

 「親業」のセミナーでは、子どもの問題行動に関して色々な解決方法が示されていますが、中でも「模範を示す」つまり子どもに強要する前に、まず親自身がやって見せる…という方法は、多くの解決策の中でも、最も子どもの心に大きな影響を与えます。イチロー選手のフォームが、実は模倣することから始まり、その結果、彼のオリジナルなスタイルが出来上がったように、子どもが自分の独創性に辿り着くための第一歩として、多くは親を見て学んでいるのですね。

 N子ちゃんは“挨拶ができない”…ということをクラスの先生から指摘されたり、おばあちゃんから注意されたりすることがあって、そのことを悩んでいたお母さんは、少し神経質になってしまいました。その都度N子ちゃんに「あいさつは?」「こんな時にはありがとうと言うのよ!」と、教えるのですが、N子ちゃんは一向に出来る気配がありません。

 その後、「親業」を学ばれたそのお母さんは、子どもを急(せ)かしていくことを辞めてみました。そして“まず自分からやって見せよう”ということに気づかれたのです。朝起きてきたN子ちゃんに「おはよう!は?」と急かす代わりに、お母さん自身の方から「N子ちゃんおはよう!」と言ってみたのです。N子ちゃんの反応を期待することなく、「N子ちゃんありがとう!」「N子ちゃんいってらっしゃい!」毎日お母さん自身から無心にやってみられたのです。

 初めは何の反応も無かったようですが、やがてお母さんの声掛けに対して、小さな声ですが、N子ちゃんの「おはよう…」「有難う…」が少しずつ返り始めたそうです。お母さんは「親業」で学習した肯定の気持ちを表すことも忘れませんでした。「N子ちゃんの“おはよう”と言う挨拶を聞くと、お母さん凄く元気がでてくるよ!」と。

 それから何か月か経った頃、N子ちゃんの方から少しずつ「おはよう」「ありがとう」「行ってきます」「ごめんなさい」…等々のあいさつが出てくるようになったそうです。N子ちゃんが、これまであいさつ出来なかったひとつの理由は、そのあいさつ言葉を、どこでどう伝えていいのかが理解できていなかったということもあったようで、お母さんが適材適所でやって見せることで、N子ちゃんは一つずつ飲みこめていったようでした。これは親が“模範を示す”ことで、子どもの困った行動に対処していく「親業」が示すひとつの解決方法です。

 モデリングは、人生を成功させるマスターキーである
 ジェームス・スキナー

 しかし子どもに一番影響を与えているのは、親が無意識に取っている行動です。あるお母さんは、長男が弟に「お前頭悪いなあ」と言っている言葉が気になって「そんな人を侮辱するような言い方はやめなさい!」と注意したら「だってお母さん僕によく言うじゃない!」と反発したそうです。お母さんはよくよく自分のやっていることを思い返してみると、確かに長男に対して日頃、無意識にそれに近い言葉を出していることに気づかれたのでした。

 次は保育士をしている受講者の方から伺ったお話ですが、園児のK君が絵本を読む時、唾(つば)でびちゃびちゃになった指でめくるのを見かねて「K君そんなに唾のついた指で絵本をめくらないの」と言ったらすかさず「先生がやってるもん!」と言ったそうです。初めは意味が解からなかったそうですが、「指が乾燥してページがめくれない時、大人ってちょっと唾をつけてめくりますよね。K君はそれを見ていて自分もやってみたかったのでしょうか。笑ってしまいました。無意識にやっている教師の一挙手一投足を、子どもはじっと見ているんですねえ。驚きました」と話していらっしゃいました。

 さて、子どもに影響を与えているのは周りの大人や親ばかりではありません。出どころは不明ですが、ある実話をご紹介致しましょう。

夫を海の事故で亡くしたある母親は、三人の息子が成長しても決して船乗りにはさせないと決心して、子ども達にその思いも伝えていました。ところが息子たちは、年頃になると、一人また一人と家を去って、みんな海に出てしまいました。その母親はとても落胆して、なぜあれほど自分がいやだと思っていた船乗りにみんななってしまったのだろう…と考えていると、ふとその理由が分かったような気がしたのです。彼らの部屋には荒海を力強く乗り切っている一枚の美しい帆船の絵が壁いっぱいに貼ってあったのです。母親の努力を無にさせるほどの感化を与えたのは、実はこの一枚の絵だった…ということをその母親はその時確信し、愕然としたというのです。

 子どもは“環境の子”と言われます。部屋に貼られた一枚の帆船の絵が、子ども達の心の中に“海への憧憬”を静かに育てていたのですね。言葉よりも周りにある環境が、子どもの心に大きな影響を与えている…ということを示しています。

 そう考えると、“親”の存在は、子ども達にとって大きな環境のひとつになっているのですね。“幸せに生きている親の姿”が子どもの環境になっていたら、幸せとは何?と求めなくとも、子ども達は自然に幸せをつかむことができるでしょう。私たちは、子どもの幸せを願いながらも、つい怒ったり愚痴ったりしている姿を多く子どもたちに見せています。

 かけがえのない一度の人生です。親も子ども達も、みんな幸せに生きていきたいのです。まず親自身が真に幸せと感じることを、ひとつでも沢山自分自身に与えてあげて、生き生きと生きている親の姿を、子ども達の環境に加えてあげたいものですね。

*次回のコラムは2024年10月20日前後の予定です。

2024年8月20日火曜日

今、ここを生きる

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Column 2024 No.135

 “今を生きる”については、これまでもテーマを変えて何度か配信してきました。今回もそこに触れてみたいと思います。

 余生という言葉ありますけどな。
 余りもんの命はどこにもありませんなあ。
 命はつねにまっさらですわ。
 上手な舞い手さんはどこでシャッターを切っても絵になってますけどな。
 それと同じで、命は“いま”“いま”“いま”常にまっさらで、
 一瞬一瞬すべてが完結しているんですなあ
 梯實圓和上

 このメッセージは、地元のお寺さんが門徒に出されている冊子で、ご住職さんが書かれているブログに取り上げられていたフレーズです。その梯實圓和上さまが、いよいよあの世に旅立たれるとき、耳元で奥さまが「おとうちゃん、56年間 ありがとう。楽しかったね」と言われたら、和上は優しく微笑んで「今も…」と、おっしゃったそうです。梯實圓和上は最期の時まで“いま”“いま”を生きていらっしゃったのですね。

 なぜ“今”のひとときが、この一瞬一瞬が大切なのでしょうか。確かに、私たちが現実に存在しているのは、今この瞬間だけです。しかも今の瞬間は、たちまち過去になってしまいます。私たちは常に呼吸していますが、私たちが生きて呼吸が出来るのは、実は、いまこの瞬間だけです。過去に帰って呼吸は出来ないし、まだ来ぬ未来に行って呼吸することも出来ないのです。つまり実際に生きて存在し、体験し歓喜できるのは“今”だけだということです。

 ところが、私たちは過ぎ去ったことに、いつまでも捉われて悔いたり、責めたり…。又まだ来ぬ未来に思いを飛ばして多くの“今”を不安や恐怖の感情に捉われて生きています。その結果、“今、ここ”を生きるためのパワーやエネルギーを過去や未来に分散させてしまうため、今が完結しないまま、ただ日々を重ねることになるんですね。

 一度だけの人生だ。だから、今この時だけを考えろ。
 過去は及ばず。未来は知れず。死んでからのことは宗教にまかせろ。
 中村 天風
                                                         
 さて、極少未熟児で産まれた日木流奈さんは生後の大手術や薬物の投与…等で脳委縮という後遺症が残り、身体も自力では動けず言葉も口頭では伝えられない状態ですが、ある訓練を受けられた結果、母親の介助により「文字盤」を指すことで自分の気持ち・意志を伝えることが出来るようになりました(コラムNo8)。次はその彼のメッセージです。

 一瞬息が出来なくて苦しいときがあります。
 でも今は息ができるので楽です。
 意地悪を言われたら傷つきます。
 でも今は言われてないからつらくないです。
 みんな自分から苦しい状態を続けています。
 今は無い苦しみを思い続けるから苦しいのです。
 苦しい時のことをそんなに覚えていては人生がもったいないです。

 実際、今の輝いたこのひとときを、すでに無い痛みに捉われてしまうのは、本当に勿体ないことですよね。流奈さんは過去の苦しみは、今は無い…と定めて、まっさらな“今、ここ”を迎え、またそこを生き切っていく。それが梯實圓和上の言う“一瞬一瞬完結された状態”を生きている姿…と言えるのかもしれませんね。

 次はコラムNo128でご紹介した書籍「今日、誰のために生きる?」の中の、SHOGEN氏がブンジュ村の村長から言われた言葉です。かつての日本人は、一瞬一瞬を丁寧に生き、丁寧に味わうことで“今、ここを生きる”ことの喜びや輝きを、実感して生きていたのですね。

 日本人はふだん当たり前にやっている所作(しょさ)の
 一つひとつを愛していたんだ。
 …息を吐いているときの自分、息を吸っているときの自分。
 それをこの上なく愛していたんだ。
 朝起きて家から一歩目を踏み出した時、
 左足のつま先が地面を踏みしめるときの感覚。
 日常の一瞬一瞬に喜びを感じていたのが日本人だったんだよ。

 それでは過去に未来にと思いが飛んでしまいやすい私たちの意識は、どうしたら“今”に戻せるのでしょうか。どうしたら“今、ここ”を、心を込めて生きることができるのでしょうか。ひすいこたろう氏は、今に戻る方法を次のように述べています。

 “今、ここ”に意識を戻す方法って実は簡単なんです。
 身体に意識を向けたとたんに“今、ここ”に戻れるんです。
 身体とは五感のことです。…
 身体はこれまで一度だって過去に飛んだり、
 未来に飛んだりしたことはないからです。…
 身体はいつもここにいるんです。
 身体こそ最も身近な大自然なんです。…
 ゆったりそして丁寧に五感を味わえばいいのです。

 五感とは視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚で、それらを意識して見つめ、嗅ぎ、味わってみることで“今”に返れますよ…と、氏は提言している訳ですね。それら感覚の一つひとつを、ゆったりと味わうことで、確かに生きている感覚が呼び戻せますし、生きている喜びや実感が起き湧いて参ります。

 そして私が心掛けているのは「呼吸」です。“人生に迷ったら自分に返る”のフレーズをこれまで何度か取り挙げましたが、生きることに迷った時、自分の呼吸を思い出してみるのです。そして目を閉じ意識的にゆったりと、息を吸い、息を吐いてみる方法です。これを2~3分間続けます。すると自然に“自分軸”にすっと立ち返ることができます。“人生に迷ったら自分の呼吸に戻る” これは私が辿り着いた“今、ここ”に戻るための、簡単で効果的な方法のひとつです。

 日常を丁寧に過ごすこと。とことん丁寧に。
 SHOGEN

*次回のコラムは2024年9月20日前後の予定です。

2024年7月20日土曜日

「依存」と「自立」

  2024年 講座開講スケジュール ★2024年講座予定公開中。上級講座も開催★

今年は親業上級講座も開催します(9月開講。4~5年に1回の講座です)

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Column 2024 No.134

 社会においても家庭内においても、「自立」はいつも大切な要素として語られます。真の自立とは何でしょうか。

 「自立」とは、自分の人生を自分が主役で生きるということであり、他者に依存しないで生きていける力です。自分の趣味を楽しむ。友達をつくる。新しい技術を習得する…といったような、自分が自由に出来る範囲で、自分自身でやりたいことが決定でき行動できる力です。自分の幸せを周りに期待しない生き方です。

 自立心!自分自身を頼りにする気持ちだ。
 自分自身以外の物事に必要以上に影響されないことだ
 村上 龍(作家)

 自分自身だけを頼りにして、他者と関わることを厭い“自分は自分だ”と自分の枠の中にだけいるとしたら、それは自立しているのではなく、単に孤立している人と言えるかもしれません。村上氏が「…必要以上に影響されない」と表現しているように、真に自立した人は、他者にあまり影響されることはないにしても、無関心ではありません。つまり相手の人が困っていれば助けの手を差し伸べるでしょうし、自分が困ったら相手の人に助けを求めることも出来るでしょう。

 人間は一人では生きていけないのです。何かの時に人さまに頼れる人は素晴らしい能力です。誰にも頼れない人は、多くの場合、ベースに“人間不信”があり、人との付き合いに対して怖れがある為、人との間に壁を作ってしまいます。真に自立した人は、とてもバランスのいい人と言えます。ベースに“人間信頼”があるので、自分軸を持ちながら、必要あれば知識のある人から知識を頂き、技術を持っている人からは技術を頂き、自分自身も他者からの要請があれば喜んで協力出来るのです。

 「わたし」の価値を他人に決めてもらうこと、それは依存です。
 一方「わたし」の価値を自らが決定すること。これを自立と呼びます。
 岸見 一郎(哲学者・心理学者)

 自立した人は、自分自身の中に価値基準を持っていますので、他者からの評価をあまり気にしていません。自分は自分だ…と、ありのままの姿で生きています。だから他者に対しても柔軟性と幅をもって接することができるのです。

 さて、自立の要素には色々な側面があります。

 「ものの考え方」「価値観」「ジェンダー観(男性・女性)」「感情」「自他分離感」…等々、自立とはこれらの要素が一人ひとりの中でどれだけ支配できているか…ということでもあります。

ものの考え方・価値観
 「事実」はひとつですが、ものの考え方、捉え方、つまり「真実」は人の数ほどあります。そのため価値観も「いい・悪い」「正しい・正しくない」と言った判断が出来るものではありません。よって自立した人は他者の価値観を批判することはありませんし、自分の価値観を堂々と表現できるのです。

ジェンダー観(男性・女性)
 これまでは男性優位の時代だったと言われます。社会的にも男性が優遇され、仕事面でも確かに性差がありました。“男性は社会に女性は家庭に”…のように。しかし近年はこれらの価値観はかなり形を変えてきましたね。一人ひとりが自立し、ジェンダー観が少しずつ変容していった結果でしょう。また子育てには、父性も母性も必要です。父性の社会性や表現力、母性の受容能力。双方の要素があって初めて子どもの心は育ちます。しかし必ずしも父性は父親から、母性は母親から…ということではなく、その人ひとりの中に男性性と女性性の心地いいバランスを持っていれば、例え“ひとり親”であっても子どもは立派に育つのです。ジェンダー観(男性・女性)からの自立とは、性別の違いを事実としてちゃんと受け入れた上で、一人ひとりの中での男性性と女性性を統合していく力です。

感情の支配・自他分離
 自立した人は、自分自身の感情、例えば怒り・不安・心配・悲しみ…等々の感情を価値判断することなく、真っ直ぐに感じ取ることができます。しかもその感情を自分自身でコントロールできるので、怒りから癇癪を起したり、不安心配から泣き叫んだり落ち込んだり…など、大きくバランスを崩すことはありません。そして自分自身の思いについての“自己表現”や、他者からの意見の“傾聴”をバランスよくできるのです。

 また自立した人は、自己表現するところまでが自分の責任と考えます。それにどう反応するのかは相手の責任…といった自他分離感を持っています。だから第三者に何かを言われて傷ついたとしても、“傷つけられた”とは言いません。“自分が傷つくことを選択した”と、あくまでも自分の感情に責任を持っています。逆に自分の言葉で相手が怒ったとしても、意図的に怒らせたのでなければ“怒らせてしまった”とは言いません。相手の感情は相手のもの…ということを理解しているからです。

 社会が健全に機能するためには、
 それを構成する人たちが一致団結するだけでなく、
 一人ひとりが「自立」することが何より大切なのです
 アルベルト・アインシュタイン

*次回のコラムは2024年8月20日前後の予定です。

2024年6月20日木曜日

年齢を脱いで自分を生きる

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Column 2024 No.133

 今年も又ひとつ年齢を重ねました。若い頃は年齢を重ねることは大切な記念日であり、得意な気持ちが混じったような重ね方だったと思います。ところが今は齢を重ねるごとに“もう~歳になったんだ。だからこんな感じなんだな…”と、その年齢のイメージの中にしっかりはまって、無意識にその生き方を演じてしまっている自分にふと気づきます。

 ずっと以前ですが、シャンソン歌手でエッセイストだった石井好子氏の講演会に参加した知人が、石井さんが話した内容が面白かったと言ってその情報を送ってくれました。その一文です。

「…今年60周年記念コンサートをするが、そのテーマを“さよならは言わない”とした。“さよなら”には私の歳では意味がこもり過ぎる。TV局やコンサートの開演前に若い助手が“お迎えに参りました”とやって来る。以前は何ともなかったその言葉がこの頃どうも気になるので、別の言い方にしてほしいと頼んだ。すると彼はしばらく考えていたが、おもむろにこう言った。“もうじきでございます”…」

 何だか可笑しくて大笑いをしてしまいました。最後まで現役で若々しくいらした石井さんでしたが、このメッセージの5年後に88歳で逝去されました。人の命はいつ終わりが来るかわからないだけに、石井さんをはじめ高齢になってくると年齢はけっこう気にかかるものなんですね。

 しかし、年齢って不思議ですよね。50歳代で、すでに老年を感じさせる人もあれば、90歳を過ぎてもなお若者のようなエネルギーを放っている人もあります。この違いは何がその人に働いた結果なのだろう。そんな年齢の不思疑さをしきりに感じていたからでしょうか。以前コラムにも書ましたが、朝に近い時間、うとうとした夢の中で何処からか、はっきりとある語りかけを感じたのです。“なぜ人は歳をとる(老いる)のか解かりますか。それは多くの人々が持っている共通概念、つまり社会(集合)意識からの影響を受けているからです”…と。目が醒めて「なるほど!」と私自身、膝を打つ感じがありました。年齢の不思議さが、ある程度明快に解けたのです。何度か触れていますが心理学者のユングは次のように伝えています。

 人類すべては、人類発生以来脈々と受け継がれてきた信念・価値観・恐れ・不安…などを、人類共通の概念として潜在的に持っている。それをユングは“集合的無意識”(社会意識)と呼んでいます。我々はそれらの影響を確実に受けながら今の人生を創っているのだと…。夢で気付かされたことは、例えば私たちが“老化”を迎えるのは“人間は歳を重ねるに従って確実に老いに向かうものだ”…といった集合意識(社会意識)にまんまとはまってしまった結果なのだという訳です。

 人生を挑戦するのに年齢なんて関係ない。そもそもこの世に時間などない。
 それは人間が勝手に創ったものだ。私は時計師だからそのことがよくわかる
 フランク・ミュラー

 時計師さんだからと言って“時間は人間が勝手に創ったものだ”と真実解かるのだろうか…。でも私は彼のその言葉に、実は釘付けになったのです。何故なら、このところ、時間の経過が日毎にどんどん短く感じられ、この流れで行くと時間は、やがて無くなってしまうのではないか…と私の頭の中で、時間という概念が実に不確かなものになってきていたからです。

 ミュラーの言うように、もしかしたら時間は本当には無くて、人間の思考で創られているものなのかもしれない…。そうなると時間は、イリュージョン(錯覚・幻想)であるはずなのに、人類はその時間の存在を信奉して、その時間の経過の中で、当然のように歳を重ね、老化を迎えているのかもしれない…と、私なりに思ってみたのです。次のように述べている人もあります。

 …実は時間を忘れて無我夢中で瞬間瞬間を生きていると、
 老化のスピードも著しく落ちてDNAレベルでも若返ってきます。
 「もう70歳だから」などと言う年齢の概念も一切関係なくなり
 どんどん進化アップデートしていくのです。
 このような生き方こそが、これからの宇宙の流れに即した生き方です。
 並木 良和

 何だか元気が出るメッセージですね。実は人は年齢で老いるのではない。一人ひとりの思考つまり観念・信念が自分の身体をも創っているのだ…という訳です。もしこう言った考えを、多くの人類が理解し始めたとき、これまでの集合無意識層は徐々に塗り替えられて、“老化”というイリュージョンをやがて超えていけるのかもしれません。その真実はまだまだ摩訶不思議な世界ですが、先ずは社会意識(集合意識)に捉われず、決然と年齢を脱いで、一人ひとりが自信をもって自分なりの人生のストーリーを描き始めていきたいものです。

 女(おんな)ふたり行く。若きはうるわし。
 老いたるは、なおうるわし
 ウオルト・ホイットマン

 “老いたるは、なおうるわし…” 歳は重ねても自分を磨き成長を続けた人は、ホイットマンの言うように、息をのむほどの美しさと輝きを放っています。ある受講生Tさんの、その当時85歳だった母上の“毎日の七つの信条”をうかがったことがあります。素敵なのですぐにメモったものです。

1.定時に起きる 2.顔を洗う 3.お化粧をする 4.お掃除をする
5.横にならない 6.買い物に行く 7.食事を作る 

 ごく平凡な生き方ですが、日常生活ひとつひとつを、丁寧に生きていらっしゃる姿勢が伝わってきて心打たれたものです。私自身も、自分の生き方のスタンスを大事にして、とりあえず年齢は脱いで、新しい今日の命を輝かせて、丁寧に生きていきたいものだと、改めて思ったことでした。

 生きる日の歓び・哀しみ。一日一日が新しい彩りをもって息づいている
 岡本 太郎

*次回のコラムは2024年7月20日前後の予定です。

2024年5月20日月曜日

「許す」と「受容する」のちがいは?

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Column 2024 No.132

 以前、受講者の方から「“許す”の意味と、親業で言う“受容”の違いがよく解らないのですが…」という質問を受けました。双方とも“許す(赦す)・受け入れる”…といった意味を含んでいますが、明確な違いがあります。

 「許す」は“許可”の文字に示される通り、相手の行動に許可を与える。相手が行う行為を認める…といった意味合いがあります。また“ゆるす”という語彙の中には「赦す」の文字で示されるゆるしもあります。こちらは“恩赦”の文字に示されるように、相手が行った行為の失敗を責めないとか、相手の罪や過ちをゆるす…といった意味合いがあります。“許す”よりも“赦す”…には精神的な深いゆるしを感じます。

 「受容する」はさらにもう一歩深いゆるしです。受容の「容」の本来の意味は“器(うつわ)”を意味しています。よって器ごとそのままを受け入れる…といった意味があります。“許し・赦し”には特定のものをゆるすといった狭い意味合いがありますが、“受容”のゆるしには、器(容)ごと受け入れるといった深さと幅があって“無条件のゆるし”とも言えるでしょう。

 母親を「おふくろ」という呼び方が日本にはありますよね。我が子がどんな状態であろうと、どんなに困った子どもであろうと、母親とは、暖かい自分の袋の中に、我が子を無条件にすっぽりと包み込んでくれる存在…と言った意味合いがあります。これが真の「受容」の形と言えるかもしれません。

 もう少し「許し」と「受容」の違いについて具体的にお話してみましょう。5年生のA君が学校から帰るなり「お母さん今日テスト返してもらったけど怒らない?」と訊いてきました。お母さんは「うん!怒らないよ。だから見せてごらん」といわゆる許可を与えます。許可を与えておきながら、悪い点を見たら「ゲームばっかりしているからでしょう!」と怒ったりしています(笑)中途半端なゆるしの形です。次に、その子を「受容する」(器ごとそのままを受け入れる)事例をご紹介してみます。

A「お母さん今日テスト返してもらったけど怒らない?」
母「お母さんが怒るかもしれないと思って不安なのね
A「うん、でも教えてあげるね。40点だったんだ…」
母「そう、40点でがっかりしてるのね
A「そう、それから社会は60点だった…」
母「そう、60点だったの
A「うん、だけどね、5年生になると理科も社会も難しくなるから仕方ないんだ」
母「そう、五年生になると学科が難しくなるのね
A「そうなんだよ。でも難しいからもっと頑張らなくてはいけないんだよ…」

 途中ですが、ざっとこんな会話です。いい・悪い…の許可は一切与えず“あなたの気持ちを、ただそのまま受け取っているよ”…と、A君の器(うつわ)丸ごと受け入れています。これが「受容」の形です。自分そのままを受けとってもらった子どもは、親の“無条件の愛”を感じ、その結果、自分に自信を持ち、“自分は自分でいいのだ、自分の感度で生きていいのだ”…と、真の自立に向かっていけるのです。

 次に“許可”の「許し」と、相手を器ごと(丸ごと)受け入れる「受容」の“ゆるし”で対応された子どもの、心の動きの違いを見てみましょう。

 あなたの子どもA君がある日、「今日学校を休んでいい?」と訊いてきたとします。これに対してふたつの反応があります。そのひとつは「休んでいいよ」という“許可”を与える反応。もう一方は許可は与えず、学校を休みたい子どもの気持ちをそのままに丸ごと“受容”して「そうか学校を休みたいんだね」…といった対応をします。

 “休んでいいよ”と“許可”を与えられた子どもの心の動きはどうなるでしょう。“お母さんが休んでいいと言った…”と受け取り、無意識ですがお母さんに責任を預けて学校を休むことになるでしょう。さて一方、A君の気持ちをそのままに 受容して(受け取って)「学校を休みたいんだね」と返された場合の子どもの心の動きはどうでしょう。

 お母さんに、自分の気持ちそのまま受容された場合のA君は“そうか、いま自分は学校を休みたい気持ちなんだなあ”と、まず自分の心を見つめることが出来ます。そして「うん、しんどいから休みたい」と返してくるかもしれません。お母さんはさらに「そうか、しんどいから休みたいんだね」A君「うん、だからぼく今日は休む!」お母さん「そうか休むことに決めたんだね」と言って、休むことを決めたA君の気持ちを、あくまでも器ごと容認しました。A君は自分の責任で休むことを決めたのです。

 許可を与えられて学校を休むのか、自分自身で決めて学校を休むのかでは、子どもの休み方の心情には明らかな違いが出てくるのです。子どもの成長過程にとって「許可」を与えられて育った傾向の子どもは、親にとって都合のいい子が育つかもしれませんが、自立は妨げられるかもしれません。一方、「受容」的に育った子どもは、自分自身を見つめ、答えを自分の中に求め、自分から来る答えを信頼しはじめるのです。これが真の自立です。

 たとえあなたが何をしていようとも、
 それをしている自分を丸ごと愛してあげなさい
 タデウス・ゴラス

 ゴラスの言うように、私たちも、どんなにみっともない自分であろうとも、今その状態でいる自分をそのまま赦し、愛してあげながら生きていきたいものですね。子どもが「受容」の中で成長し自立していくと同じように、私たちも自分自身に“無条件の赦しと愛”をあげることで、自分の本当の価値を見い出し、自信を持って人生を生きることが可能になるのではないでしょうか。

*次回のコラムは2024年6月20日前後の予定です。

2024年4月20日土曜日

”こころに筋力”をつける

 2024年 講座開講スケジュール ★2024年講座予定公開中。上級講座も開催★

今年は親業上級講座も開催します(9月開講。4~5年に1回の講座です)

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Column 2024 No.131

 私たちの身体には筋力があるために、立ったり座ったりの動作がバランスよくできます。呼吸・発声・食事さえもそれに関連する身体の筋肉が働いてくれなければ行うことができません。年齢を重ねてくると動くことが段々とおっくうになり、その結果、筋肉量がどんどん落ちて益々動くことがおっくうになっていきます。その悪循環で、最悪の場合は寝たきりの状態になってしまうわけですね。健康的に自立して生活していくためには、筋力は必要不可欠な要素です。

 しかし朗報があります。その気になれば、年齢に関係なく筋力はつけることができる…ということです。一生、健康で若々しく生きていくためには、おっくうだな…と思ってもちょっと体を動かしてみる。日常のすべての動作に、ちょっと負荷をかけることを心掛ける…などです。また「脳」も筋肉と同様に、鍛えれば鍛えるほど強くなるそうですよ。そして最近こんなフレーズにも出逢いました。

 有難いことに、“心”は筋肉によく似ている。
 使うことによって鍛えられ強くなるのだ
 ブライアン・トレーシー

 “脳”も鍛えれば筋力(脳の力)が付いてくる。それならばトレーシーも言うように、使うこと(使い方)によって“心”にも筋力をつけることが可能であるということ…大いなる希望ですね!

 こんな経験はないでしょうか。自分の中の固定観念が自分を不自由にしていることにはしっかり気付いていながら、それを思い切って手放していくことができない。また、断捨離(だんしゃり)は必要だしやりたいのに、それを始める方に体が動かない。お稽古を始めたいと思いながら、言い訳けがいっぱい出てきて結局は始めない…等々。

 しかし、こんな力が私たちの中にあったらどうでしょう。この固定観念はもう要らないと思ったら、すっとその執着を手放せる力。断捨離が必要だと思ったら「さあ!やるぞ!」とすぐに動ける瞬発力・行動力。このお稽古を始めてみたいな…と思ったら「分からないけど、とにかく始めて見よう!」といった心の柔軟性・楽観性…。これらの能力を私は“こころの筋力”と表現したいと思いました。

 しかし、この“こころの筋力”は物理的に鍛えるというものではないだけに、実はとても難しいものだと思います。私の経験では、心を違った方向に使いすぎると、逆に消耗して心が弱くなってしまうことさえもあり得ます。今回は私の学びと経験の中から、私なりの「こころの筋力」について、いま感じていることでまとめてみたいと思います。

 哲学者や思想家の多くの先達は、“失敗を覚悟で挑み続けよ!” “逃げるな!あきらめるな!” “順境よりも逆境の方が人間を強くする”…と喝破しています。それらの言葉は私たちの弱い心を奮い立たせ、励まし、心に元気を与えてくれる場合もあります。しかしその言葉通りを受けとると、時に大切なことを見逃してしまう危険性もあります。

 例えば、真の“こころの筋力”をつけてきた人々は、成育歴の中で、逆境の中にも母親に守られてきたとか、誰かの愛情を受けながら育ってきた…といった背景が必ずあります。また失敗を覚悟で挑み続けられる人々や、決して諦めないで前進できる人々の背景も同じです。愛によってその人の心の中に既に、ある程度の筋力が付いているからこそ楽観的でたくましいのです。

 逃げない。はればれと立ち向かう。それがぼくのモットーだ
 岡本 太郎

 しかし、この基礎的な“こころの筋力”がない場合はどうなるのでしょうか。過酷な環境の中、誰の愛も受け取れなかったと感じてきた人があるとしたら、救いはあるのでしょうか…。私はあると感じています。愛に囲まれ幸せに育った人に比べると数倍もの忍耐は要るかもしれませんが、必ずその力は手に出来ると信じています。

 ただベースに次のような思いがあることが必要となります。“自分を幸せにできるのは自分自身しかいない”という真実を受容できる。また“自分は幸せになる資格がある”と信じることが出来る…この辺りがあなたの中にあればその筋力は必ず手に入ると思います。

 “こころに筋力”をつけるために大切なことは、やはり“ありのままの自分を愛する”基礎筋力をつけることから出発です。愛せそうにない自分を感じるなら、愛することができないあなたを、そのまま赦して大切にしてあげることから出発です。「そのままでいい、そのままでいい」とたえず自分に言ってあげましょう。

いまの一瞬のひとときを意識化して大切に生きる
 心に筋力が付いていない間は、なぜか今に居れないで、未来を心配したり、過去を振り返って悔やんだりしてしまいやすいので、その都度「いま!いま!」に気づきましょう。お料理をするときはお料理に集中してみる。子どもと遊んでいるときには遊びに集中してみる。日々の慌ただしい中にもゆったりを意識してみる…。

自分が幸せな気持ちになるような何かをする
 自分のパワーを未来や過去に分散させないで「いま私何がやりたい?」と、その都度自分の心に訊き、どんなに幼稚でバカげたことでも思い切ってやってみる。あなたにとって幼稚でバカげたように見えることほど、あなたの本当の欲求であることは多いのです。

面白いことが無くても笑ってみる
 前回のコラムNo130のテーマですが、口角をぎゅっと上げて作り笑いをするだけでも、脳から幸福ホルモンが分泌されてくるようです。事実、おかしくなくても笑い顔を作ってみると、不思議に何となく楽しい気分になってきます。私の中でもヒットしていて、“こころの筋力”効果ありです。

一日の終わりに寝床の中で
 今日はどれくらい笑えた?どのくらい遊んだ?今日は幸せだった?楽しかった?…と、それが少しでも出来ていたら、「自分を大切にできたね!」と自分を思い切り褒めてあげましょう。あなたの中の幼い子どもは、特にあなたに認めてもらいたがっています。褒めてもらいたがっています。

 実は、“心”というものは、逆境や試練で強くなるというよりも、自分を愛すること、楽しむことに心を使うことで、強力に筋力が育っていくのです。そして心に真の筋力が付いてくると、逆境や試練にもたくましく耐えることができ、更にそれによって筋力はますます強化されていきます。その為にもまずは“ありのままの自分を愛する”基礎筋力をつけることは何よりも大事です。

*次回のコラムは2024年5月20日前後の予定です。

2024年3月20日水曜日

つらいときこそ笑いなさい

 2024年 講座開講スケジュール ★2024年講座予定公開中。上級講座も開催★

今年は親業上級講座も開催します(9月開講。4~5年に1回の講座です)

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つらいときこそ笑いなさい
チャーリー・チャップリン
Column 2024 No.130

 喜劇王で知られるチャップリンの言葉です。人は心地いいときには自然に笑えます。しかし、つらい時の笑顔は、無理むり作れても心から笑うことは難しいのではないかと私は感じていました。

 そんな折、知人のMさんから、力強い筆跡の一通の手紙が届きました。彼女は50代の頃“乳がん”を体験しました。彼女はその折に「笑う」ことが免疫力を上げるのに効果があるという情報を得て、色々な「お笑い番組」を毎日のように観たそうです。その効果あってか、彼女は見事にその癌(がん)を克服したのでした。

  つらいときの特効薬は 心から笑うこと
  アンネ・フランク

 ところが70代を迎えた今、再び“舌がん”が発見されたというのです…。私はとてもショックを受けましたが、続く彼女の一文に驚きました。「…今回、新たな“舌がん”の宣告を受けて、はっきりと気づいたことがあります。私自身が、新しい事実に向き合う勇気と、自己肯定感を手に入れていたということに!…50代の“乳がん”体験時に、沢山の“お笑い番組”を観たお蔭か、あれからとても楽天的になり、今回の舌がん体験では、いつも何とか私を笑わせてくれようとする夫の頓智(とんち)を超えて、私が夫を笑わせるようになりました…」
 この一文は、私にとって驚きでもあり、心打たれるものでもありました。

 彼女からのメッセージを読み終わって、すぐに思い出した映画があります。1990年代の終わりにセンセーショナルになった映画「パッチ・アダムス」というコメデイドラマで、医師パッチ・アダムスという実在の人物のいきざまを描いた映画です。(日本では1999年に劇場公開) コメデイ俳優で知られるロビン・ウイリアムズ主演の名演技が深く印象に残っています。ロビン演じる主人公、精神科医のパッチは、浣腸用の赤いボールを鼻に付けたり、さまざまの小道具とアイデイアで、患者を笑いとユーモアで楽しませ、医師たちの批判を受けながらも、その常識を覆すような治療で、多くの患者を癒していったのです。

  最高の治療薬は笑いである
  パッチ・アダムス

 日本でも“笑いの効果”は、医療や介護分野で徐々に認められてきています。笑いと健康の関係性がさまざまな角度から科学的に解明されてきたのです。“殆ど笑う機会が無い人”と、“ほぼ毎日笑う人”を比較した研究が、多方面で為されていますので、その辺りちょっとネットで調べてみました。その比較結果です。さまざまな研究チームの一部です。

大阪大学大学院の研究グループでは
 「…殆ど笑う機会が無い人は“認知機能”が低下するリスクが、2.1~2.6倍高くなる」
東京大学大学院医学部チームの論文によれば
 「…脳卒中になる割合が約1.6倍 心症患は1.2倍高くなる]
名古屋大学大学院予防医学の研究グループでは
 「…要介護認定リスクが1.4倍高くなる」
カナダで男女1739人を10年間追跡調査の結果、
 「…よく笑う人は22%も心筋梗塞や狭心症の発症率が低かった」

 …と報告しています。“笑いと健康”のメカニズムについても調べてみました。“がん・難病に対する生きがい療法”の創始者の伊丹仁朗医師によると「…健康な人の身体にも、1日3000~5000個ものがん細胞が生まれています。それらの細胞や侵入してくるウイルスなど、悪影響を及ぼす物質をしっかり退治しているのが、リンパ球の一種であるナチュラルキラー(NK)細胞で、このNK細胞が活性化されると、その結果免疫力が高まっていく。「笑い」は、NK細胞を活性化し、大きく免疫力を高めていく力を持っている。また笑うことで、幸福ホルモンと言われる“エンドルフィン”などの脳内物質が分泌され、幸福感をもたらすほか、モルヒネの数倍もの鎮痛作用で痛みを軽減します…」

 …と,ありました。しかし多くの人が「可笑しくもないのに笑えませんよね…」のレベルだと思います。この辺り、脳学者の茂木健一郎氏は興味深いことを述べています。「脳は自己暗示にかかりやすい。つまり騙されやすいのです…」と。つまり、口角をぎゅっと上げて作り笑いをするだけでも脳は“ああこの人幸せなんだな”と判断して脳内物質を分泌して、NK細胞も活発化するらしいのです。

  脳は騙されやすい。1日1回は精いっぱい大きく口を開けて、
  笑うようにしています
  五木 寛之

  特に面白くなくても、笑顔を作るだけでも
  効果があることも解かっています。
  西田メディカルクリニック院長

 ある落語家が「コロナ以来、僕の話を聞いても笑ってくれる人が少なくなりましたね。寂しいです…」と言っていました。コロナパンデミックによる不安が人類を席巻して確かに無感動の人が多くなった気がします。はじけるような笑いも街中からあまり聞けなくなりました。憂慮すべき事態ですね。

 実は、昔から“笑いは副作用のない妙薬”と言われ “笑いと健康”は大きく関わっている…と一般にも知られていたようです。仕事からも思い切り手を放して、“お笑い番組”を観たり(私は“落語”フアンです)、コメデイドラマを観たり、生活のなかにいっぱい笑いを取り入れて、心も身体も生涯健康で生き生きと人生を全うしていきたいものですね。その為にも自分から、更に視野と興味の羽をいっぱいに拡げて笑いのタネを捜し、お互いに遠慮せずに大声を出して笑っていきましょう。

  楽しいから笑うのではない。笑うから楽しいのだ
  ウイリアム・ジェームズ

*次回のコラムは2024年4月20日前後の予定です。

2024年2月20日火曜日

人は変わることができる

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人は変わることができる
茂木 健一郎
Column 2024 No.129

 脳科学者である茂木氏は「脳科学から見ると“人は変わることができる”ということこそ事実です」と述べています。色々な脳科学者が書いている脳に関する書籍を読んで、脳の使い方によって人は確かに変わることができるのだ…という信念を私自身も持っています。しかし脳といえども、勝手に私たちを変えることは決して出来ません。

 脳は私たちの身体の指令塔ですが、指令を出すのはやはり私たち本人です。あくまでも自分と自分の人生の主役は私たち自身です。だから“自分は変わることはできない”と決めている人は決して変わることは出来ないでしょう。茂木氏も「“私はなりたい自分になれる”と信じること、希望を持つことこそが、あなたのこれからの道を大きく開いていきます…」と述べています。

 あなたの能力に限界を加えるものは
 他ならぬあなた自身の思い込みである
 ナポレオン・ヒル

 私たちには“個人”の中での思い込み“日本人”としての思い込み“人類”としての思い込みが、根強くあります。例えば、人生は自分の思うようにはならないものだ。頑張らないとものごとは成就しない。人類は運命に左右される儚い存在だ…等々、限りない思い込みに埋没しています。怖いことですが私たちの脳は思い込みのままに私達の人生を、ひいては人類の行方を決めていきます。私達はその思い込みに気づき、様々な観点から見直してみる…その検証は急務です。

 “人は変われる”という事実を生かしていくと、
 脳は感情や記憶の中心となる回路を創り変え、
 身体全体にダイナミックな変容を起こします
 茂木 健一郎

 “人は変われない”という視点から“人は変わることができる”に視点を変えていくことで、私たちの脳は“変われるよ”という思考回路に創り変えてくれるということです。わくわくしますね。しかし私たちの“変われない”という思考から“変われる”という思考に、方向転換することはなかなか容易ではないのかもしれません。

 私が長い間カウンセリングの仕事をしてきて感じていることがあります。多くの方が表面上は「変わりたい!」と思ってこの場に見えるのですが、お話を伺う限りでは“変わりたい”と同じ熱量で“変わりたくない”の感情が見え隠れしているのです。例えば「私はダメな人間です。変わりたいのです。成長したいのです」と言いながら、毎回毎回、その原因を他者のせいにしたり、いかに自分が可哀そうな人間であるかを、エンドレステープのように話し続けます。つまりアクセルとブレーキを同時に踏んでいることに気づかず、同じ位置にいて前に進めないでいるのです。しかし、すべて自分の責任において、自分が変わるしかない…と本気で気づかれた時から、はじめて、その人とその環境は見事に変わっていきます。

 心がすべてである。あなたは自分の考えた通りのものになる
 仏陀(釈迦)

 エネルギーは、私たちが心や目(意識)を向けている方向に流れる…とヨガでは伝えています。自分が本当に望むものにしっかり注目ができたときに、本当に欲しい人生が手に入るというわけです。過去を悔やんだり、自分の不幸を他者のせいにしたりすることでエネルギーを分散してしまうと、欲求が不明確になって、その結果それが手に入り難くなっていくのです。

 「クレスキンの暗示効果」というゲームをご存知でしょうか。円形の図面を準備して、図の中心点を通る縦線・横線を引きます。円外側の縦線上下に“できる・できる”、横線左右に“できない・できない”と書いた図面と、5円玉の穴に糸を付けたものを準備します。その糸の先を持って図形の中心点の上でコインをつるします。そして例えば、これからあなたがやりたいと思う趣味とか仕事を思い浮かべて「できる!」と念じてみます。不思議ですが、コインは無意識に「できる」と書いてある言葉の方向の上下に動き始めます。次にやりたい同じことを思い浮かべて「できない!」と念じてみるのです。するとコインは左右の「できない」の方向にゆっくり方向転換して動き始めます。

 先ほどのカウンセリングの場でよく起こる「変わりたい・変わりたくない」と同時に念じたらどうなるだろうと試してみました。するとコインはピタッと円の中心に止まったままになりました。興味深いですね。これを考案したのはカナダの奇術師クレスキンで、人間の暗示(想念)が無意識のうちに身体に反応するためだと述べています。エネルギーは意識が向かう方向に流れる…想像以上に私たちの“想念の威力”が理解できるひとつの実験です。遊び感覚で試してみて下さい。

 世界にただひとりの私をどんな私に仕上げていくのか。
 その責任が私であり、皆さん一人ひとりなんです
 東井 義雄(教育者・僧侶)

 なりたい自分になるためのポイントを纏めてみます。

 *なりたい自分の姿をできるだけ具体的に明確にする
 *そうなれる価値がある自分である…と信じる
 *不安恐怖・罪悪感・思い込み(価値判断)を手放す
 *アクセルとブレーキ (なりたい・なりたくない) を一緒に踏まない

 罪悪感・過去からの思い込み・不安恐怖などに気づき、それらの思考の片寄りを取り払っていくことで、欲しい現実を引き寄せたいという本気の力が湧いてきます。私たちは人生に何度も何度も躓くものです。しかし決して諦めないで“なりたい自分になるのだ!”と心を定めていくと、磁力のように望むものを強力に引き寄せていける力が私たちにはあるのです。これが「引き寄せの法則」(コラムNo120)の原則でもあります。諦めたくなった時、私達の内面にあるエネルギーを信じて、お互いに、もう一歩前に進んでみませんか。

 あきらめる一歩先に、必ず宝がある
 ナポレオン・ヒル

*次回のコラムは2024年3月20日前後の予定です。

2024年1月20日土曜日

今日、誰のために生きる?

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Column 2024 No.128

 「今日、誰のために生きる?」(SHOGEN・ひすいこたろう共著)は、SHOGENさんがアフリカの「テインガテインガ」というペンキ画に魅せられ、それを学ぶためにアフリカに赴き、1年半にわたるアフリカのブンジュ村での生活を通して学んだことを本にしたものです。

 SHOGENさんは、ある雑貨屋で白い壁に貼られていた、夕焼けを背景にして動物たちが楽しそうに遊んでいるペンキ画の、その美しさに感動して釘付けになります。彼はもともと絵が得意で「これだ!この絵を学んでこれで生きていこう」と、決意し、その日の夕方にはアフリカ行きの航空券を買い、翌日には会社に退職届を出し、何の伝手(つて)もないまま、学びのために単身でアフリカに向かったのでした。

 ご縁あって、ブンジュ村のカンビリ家にお世話になることになったSHOGENさんは、朝6時半くらいに朝食を取り、7時から絵を描き始め、休憩は昼食の時くらい。日が落ちるまで毎日12時間絵を描き「1日最低4枚は描く」と自分にノルマを課しました。そこの村でSHOGENさんは、村の村長をはじめ、村人みんなから、幸せとは何か。どうしたら幸せに生きられるのかを、教えられることになります。全く価値観の異なる異次元の体験をすることになり、SHOGENさんは戸惑いの連続です。彼が村人から伝えられたメッセージは魂を揺さぶられるような感動があります。

 ショーゲンおはよう。ショーゲンは誰のために生きるの?
 また晩ごはんの時に逢おうね

 今回のテーマにしたのはこのフレーズです。実はこれがブンジュ村の朝晩のあいさつのひとつなのです。わが国では「おはよう!」で済むところを型通りのあいさつで終わらないので、SHOGENさん、初めはちょっと重い…と感じたそうです。「今日は誰のために生きるの?」あなたならどう答えますか。

 いちばん大切にしないといけないのは自分だよ。
 ショーゲンはいつも自分を置き去りにしているように見える。
 それでショーゲンの魂は喜んでる? 自分の魂に失礼なことをしてはいけないよ

 自分を大切に出来ない人は、周りの人を大切にできる筈がないのだ、ということをこの村の人たちは解っているのです。だから「私は自分のために生きるよ」「俺は俺の人生を生きるからな」子どもも「私は私を生きるの」と挨拶するのです。挨拶はとりあえず言うものではなく、この村の人たちは相手の顔を見て、その人の状態を感じて声をかけてくる。SHOGENさんは周りの人から気持ちに余裕がないように見え、それを心配されて「心に余裕をもってね」「ショーゲン空を見上げてる?」「ショーゲン自分の人生を生きてる?」と、よく挨拶されたようです。

 SHOGENさんがお客様から頼まれたキリンの絵を描いている所に、村長が来て言いました。「それは自分のために描こうとしているのか?それとも人の為に描こうとしているのか?人のために描くのはいいけれど、そこに自分の喜びもないといけない。人の為にやって人が喜んだとしても、自分に喜びが感じられないんだったら、それはやめとけ」…と。この村の人たちは自分の心が喜ぶことを一番に大切にしているのです。

 ショーゲン、歓喜して自分らしく生きていくと決めて欲しい。
 自分らしく生きていく覚悟を決めて欲しい。

 このように村長や村人から親身に愛をもらったSHOGENさんは、少しずつ心を開き、気持ちの余裕と自分を愛する心を取り戻していきました。そしてある日、村長から驚くようなメッセージが伝えられたのです。

 実はこの村の先輩は日本人なんだよ。
 日本人こそが俺たちの先輩で真のアニミズム*なんだ。
 (日本人には)虫の音がメロディーとして聞こえる。
 その素晴らしさは当たり前じゃないからね…
 幸せとは何か。本当に大切なことは何か。それがすでに日本人は解っているんだ。
 …日本人の血の中に流れる素晴らしい記憶を呼び起こしてね
 *「アニミズム」とは、自然界のあらゆる存在に霊魂・生命が宿っているという考え

 村長の祖父に当たる人(120~130年前の人)は、村で祈祷とか神事を行うシャーマンで、夢の中で時空を超えて日本人と交信し、その日本人から色々教わっていたという。村長がSHOGENさんに心を込めて伝えてきたことは、村長が先祖から伝えられてきた“その日本人の心を伝えてきただけなのだよ”…と言うわけです。

 その村長の言う、“日本人の血の中に流れる素晴らしい記憶…” その記憶とはいったい何なのでしょう。ひすいこたろう氏の一文を以下に拾ってみました。

 「…江戸時代の末期、海外から日本にやってきた外国人たちは、日本人を見て口々に、“日本人は幸せで満足している” “町中に上機嫌な様子がゆきわたっている” “顔がいきいきしている”と記しています。黒船でやってきたぺリー提督、イギリスのオズボーン艦長も “(日本では)不機嫌そうな顔にはひとつとて出会わなかった” と言っています。…当時の日本はもっともっと貧しかったにもかかわらずです……」

 現代の日本は、経済力、科学技術力ともに先進国として世界に立派に認められる国となりました。しかし、その古き時代にこんなにも心豊かで、幸福感・満足感に満ちていたという日本人の心を、私たちは本当に忘れてしまったのでしょうか。

 飛鳥の時代、聖徳太子(西暦574~622)が制定した、17条憲法の第一条「和をもって貴しと為す」に基づいて、太子は、他者も自分をも大切にという“和の精神”を心として、国家を導きました。その“和の心”は今もまだ日本人の心の深層にしっかりと根付いていると思います。それは例えば、大震災のような災害時に発揮される、他者と助け合ったり、分かち合ったり、ゆずり合ったり…の“和の精神”に、はっきりと見ることが出来ます。

 私は他者のために生きることと、自分のために生きることは、実は一つのものではないかと思っています。人類はみな底辺では繋がっていると思うからです。スピリチュアルや精神性の分野ではそれを「ワンネス」とも表現しています。もしかしたら日本人は、古い時代からその“ワンネスの心”を深く直観し、(時代により世が乱れることはあっても)総じては、自他の区別うすく、自分を愛し人さまを愛する精神文化の基調があったのではないかと思います。安定の時代といわれる江戸の人たちのハートの中には、それが色濃く残っていて、それが輝くような機嫌のよさに現れていたのではないでしょうか。

 今も、世界の日本に対する評価は非常に高く、しかし国内で低いというのが相場…ということがよく言われています。他者をも大切に考える控えめな日本人の奥ゆかしさはとても素敵ですが、それが度を越して、自信のなさや自国を過小評価してしまう結果に繋がり、本領が発揮できないでいる側面もあるのではないかと感じています。

 日本人が自分を愛することと、他者を愛することとのバランスを、今ひとつ取り戻していけば、日本人の持ち味や本来性が目覚め、ブンジュ村のダマス村長がSHOGENさんに委ねた「地球のために頼むぞ日本人。日本人こそが世界を真の幸せに導ける人たちなんだから」の願いに、しっかりと応えていけるのではないでしょうか。

 「今日、誰のために生きる?」というこの書籍は、日本人が今、自分をも本気で愛し、真の自信を取り戻していくことの大切な示唆、日本という地に生を受けたことへの感謝と使命に改めて気づかせてくれた貴重な一冊でした。

*次回のコラムは2024年2月20日前後の予定です。