2024年11月20日水曜日

心をこめて寄り添う

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Column 2024 No.138

 コミュニケーションは、基本的に「聴く」(共感)と「伝える」(自己表現)の双方向で成り立っています。私たちは無意識に、この双方を用いて会話をしているのですが、多くの人は聴くという側面が大変苦手で、自分の思いを一方的に話している人が大半です。相手の話を聴いているように見えても、実は頭の中では自分が次に話すことを考えていたりするので、相手の話が終わるか終わらないうちにしゃべりはじめる人たちの光景によく出逢います。それほどに「聴く」ということでの“相手への寄り添い”の難しさを感じます。

 「人」という文字をじっと観察すると、自分と相手が支え合ってる姿を表現しています。相手の人が悩んでいるときには寄り添って差し上げたり、自分がしんどい時には寄り添ってもらったり、そういった温かい関係こそが本当の人間関係だということを現わしています。特にコロナパンデミック以来、人と人とが分断され、一人ひとりの心に隙間風が吹き、多くの人々の心に精神病的兆候を呼び込んでしまいました。私たちは、何とかもう一度、人と人との心の真の繋がりを取り戻していかなくてはならない時に来ているように思います。

 今回は「心をこめて寄り添う」ことについて考えてみたいと思います。“寄り添う”と言う態度には二つの意味があります。例えば

*友人Kさんは、私がつらい気持ちに圧倒されているとき、いつも傍で黙って寄り添ってくれていた
*両親は私を理解しようと、私の話にただ耳を傾けてくれていた

 このように「寄り添う」は“物理的に傍にいる”という意味合いと、その人が話していることを、ただ共感して理解してあげる。つまり“気もちに寄り添う”…という態度の二つの意味があります。

 私にも忘れられない体験があります。実は昔、次男を乳児期に病気で亡くしています。亡くなった当日、私は悲しみのどん底にありました。そんな中、私の父は一番に家に訪れてきて、黙ったままずっと私の傍に寄り添ってくれていました。私が移動すると父もまた移動してきて、私の傍でただ黙って寄り添ってくれるのです。“…ああ父は、胸がつぶれてしまいそうな今の私の悲しみと心細さを、誰よりも分かってくれているんだなあ…”と、その時の父の暖かさと、寄り添ってもらっている心強さが、今も私のハートにしっかり残っていて、今は亡き父のその深い愛情を思い返すと、今でも涙が溢れてきます。簡単に心が開けない時、哀しみが大きすぎて言葉を失っている時、ただ黙って寄り添ってくれる人の存在は、暖かく安らかで、慰めの言葉以上に身に沁みるものです。

 人の動きや言葉に現れるその人のその時の気持ちを、
 ただそのままに受容する態度こそ真実の愛です
 河合 隼雄(心理学者)

 精神医学的な診断を下される心の病も、非行・暴力・殺人・自殺…といったような反社会的もしくは破局的な行動も、ある日突然起こるのではなく、幼い頃からの重苦しい人間関係や深刻な環境の中で培った心の寂しさ・痛み・葛藤・怒り…等が、そのときその場で適切に処理されないままに積み重なってきた結果、その行動へと導かれていったということは少なくないのです。

 そのときその場で私たちが出来ること・・・それは、痛み・葛藤を抱えている相手の心のサインに気づき、そっと寄り添ってあげることではないでしょうか。物理的に傍にいてあげる。また苦しみを言葉にしている相手であれば、助言やこちらの思いはすべて引っ込めて、話しているその人の気持ちを、ただただそのままに受け取っていく(コラムNo12)。自分の子どもやご縁のある人に、そのときその場で出来ることをやっていけばいいのだと思います。

 しかし共感をもって、本気で人の話を聴くことは実は大変難しく、ついつい生聞き・半聞き・聞き流しになってしまいやすいものです。これは相手が話している内容にだけフォーカスしてしまうと起こりやすい現象です。ポイントは、相手が話しているその言葉の背景にある本当の気持ちを、受けとめようとする心構えです。真剣に気持ちを受けとめてくれる人があると、内面に押し殺してきた感情が自然に浮上してきて、その結果、真の癒し・整理へと繋がり、その人なりの心の成長に大きく繋がっていくのです。

 今回はある幼い子どもの分かりやすい事例をご紹介してみます。

5歳の男の子K君を持ったお母さんの体験です。
 転んだりしたものなら抱き起すまで起き上がろうとしない上に、その後もビービー泣き続けるので、時間をかけてなだめすかし、ようやく元通りになるというようなお子さんです。お母さんが「親業講座」を受講されてからの対応を聞かせて下さいました。

 ある日、K君は道路の小さな穴に靴をひっかけて転んでしまいました。いつも通り転んだまま火が付いたように泣いています。お母さんは“ああまたか~”という気もちがよぎったけれど、まてよ!親業で習ったやり方は、こんな場面で使うんだったな…と気付いたお母さん。子どもの気持ちになり切ってみよう…と思われました。そして転んで泣いている子どもの傍に駆け寄って「ああ、びっくりしたねえ。痛かったねえ…」と、心を込めて言ってあげたのです。するとどうでしょう。泣いていたK君が急に泣きやみ、すくっと立って、自分の服の汚れを両手で払いながら「ううん大丈夫だよママ。ぼく強いんだから!」と言ったというのです。

 お母さんは感動で涙が出たそうです。今まで自分は何をやってきたのだろう…。子どものことを思えばこそと、子どもの切ない気持ちはそっちのけで、「たいしたことないわよ。さあ起きなさい!」「男の子でしょ!泣かないの!」と、叱咤激励してきた。子供をありのままに受容したら進歩しないんじゃないか…と固く信じていたのです…と話されていました。

 お母さんは、転んで泣いている子どもの傍に寄り添い、子どもの驚きと痛みに対して「びっくりしたねえ。痛かったねえ」…と、押すことも誘導することもなく、K君の切ない気持ちにただ寄り添ってあげたのです。K君はきっと心の中で感じたことでしょう。“…悲しくてやり切れなかった僕の傍にすぐ飛んできてくれたママ。僕の本当の気持ちを解かってくれたママ。なんて暖かいんだろう。もう僕は大丈夫だ!僕、ほんとうは強いんだから”そして一人で立ち上がれたのです。

 こうしてつらいとき、誰か傍にいてくれて、その時のつらい気持ちに寄り添ってもらえたら、子どもばかりではなく、大人の私たちだって暖かくて、生きる元気と勇気がみなぎってくることでしょう。そしてそれは、その人の自己受容度を促し、自信をもって人生を生きていくことにも大きく繋がっていくことでしょう。

*次回のコラムは2024年12月20日前後の予定です。

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