Column 2017 No.49
自分からくる感度は、自分にとって最高の教師だ…と思える人は、生きる上で、まさに“最高の感度”を持った人だと思います。今の時代、メデイアによる情報にどっぷりと浸かって自分軸がどんどんブレて、それにつれて生きる上での“感度”が極端に鈍ってしまっている時代に思えます(コラムNo16)とても憂慮すべきことに思われます。
本来は一人ひとりの中に、いわば感度を基本とした自動制御装置のようなものが備わっており、今は息を抜くとき…いまは頑張るとき…それは誰にも分からないけれど、無意識にそれに従って健康に気をつけたり、休息を取ったり、頑張ったりしていけるわけです。ところが今の時代、会社では一日中パソコンに向かい合い、乗り物に乗ればスマホでのゲームに余念がない人々…。いつ自分の気持ちや自分の身体を感じるひとときを持つのでしょう…。感度はどんどん鈍っていくことでしょう。
特に子どもにとってはあらゆる瞬間が大切です。一人でぼんやりしたり、砂いじりしたり、パパと釣りをしたり、水族館に行ったり、星空を見たり、ママとお菓子作りをしたり、本を読んだり、冒険をしてわくわくしたり、度が過ぎて叱られたり…どの瞬間も子どもの感度を育て、自分軸を強くします。ところが今の時代メデイアに押されたり、また勉強に時間にとられて、自分を感じる時間は殆どありません。
子どもは自分軸が弱体化してくると、無意識ですが危機を感じ、いわゆる不登校をしてみたり鬱をやったり、逆に家庭内暴力に出たり暴走したり…社会や大人とのせめぎ合いをしながらでも、自分軸を取り戻すために果敢に戦います。わからなくなった自分を探し求めている状態です。愛のある指導は大切ですが、焦らずじっくりと、今のその体験を味あわせてあげることも大切です。
子どもたちは勿論、人は間違いを侵しながら学ぶ権利があるのです。悩む権利も、迷う権利も、落ち込む権利もあるのです。そんな痛みの中で人は哲学をし、鋭敏な感度・自分軸を育てていくのだと思います。間断なく与えられる外からの刺激(メデイアからの溢れる情報・親からの支配や怒声・説教…等々)によって子ども達は(私たち大人も)自分自身にゆったりと対峙するチャンスが奪われ、大切なエナルギーをすり減らし、自分自身をどんどん見失っていくのです。その結果が今の子ども達や人々の心の混乱であり、憂慮すべき社会情勢なのです。
受講者Uさんの体験です。「…食事のとき家族みんなでテレビを見ているとき、父がニュースの内容について“あいつはいい・悪い”とか、“けしからん”とか自分の考えを大声でずっとしゃべり続けるので、私は私なりの考えを感じるゆとりがなかった。いつも父親の意見を聞かされてきました。だから、何処か借り物の人生を送ってきたような気がするのです…。」
Uさんはその痛みがどこから来たのかに気付かれ、乗り越えていかれました。自己理解は大切です。しっかり自分を感じて、この違和感はどこから来るのだろう…このしんどさはどこから…と自分を感じてみることはとても大切なのです。その多くの答えは社会情勢や家庭の中で“自分を生きてこれなかった環境があった”ということです。
人の数ほど生き方のスタイルはあるのです。正しい・正しくないは無いのです。自分のスタイルを大事にして、自分の感度を大切にして、他者と較べず、自分の道を堂々と生きていけるような環境を、子ども達にも私たちにも与えてあげたいものです。
「親業」が基本にしている考え方は「自分軸」がものさしです。例えば、一般論に“子どもが人を叩いたら、怒る(叩く)べきです”…があったとします。その価値観を100%信頼して、あなたがあなたの子どもにいつもそれをあてはめるとしたら、子どもはつぶれます。「親業」では決して世間のものさしで判断をしません。
以前のことですがある街なかで、父親が前を歩き、2人の兄弟がその後ろを歩いていました。弟が盛んに兄の方にちょっかいを出しています。兄の方は初めは無視をしたり、かわしたりしていましたが、とうとう切れた様子で弟を蹴って泣かせてしまいました。すると父親がいきなり振り返り、兄の方の頭をげんこつで殴りました。兄は何の抵抗もしないで、虚しそうな表情で歩いていきました…。こんなことが続いたとしたら、この兄の方の救いはありません。いつか潰れてしまうでしょう。父親は子どもの様子は一切見ていないで、無意識ですが、世間の物差しや先入観で反応したのでしょう。
この父子の親子の場面でも、親は自分の“今の感度”を信頼していくのです。ある時は2人の子どもの言い分をきちんと聴いていく。ある時は言って聞かせる。ある時は蹴らずにおれなかった兄の心の痛みに共感していく。或は黙って見守る…。それを決めるのは、お父さんお母さん一人ひとりの感性であり、それを信頼していくのです。またその感性を訓練していく場でもあります。
自分の感性や感度を、より信頼していくためには、自分の感じ方を尊重していくことから出発です。私たちは育った環境の中で、“あなたの考え方は未熟だ…。あなたの感じ方はおかしい…。あなたは間違っている…。”私たちはそう受け止めてしまった為に、自分の感じ方に自信が持てないのです。感情には間違いというものはないのです!自分に来た感情は、自分にとってはいつも真実なのです!その自信を取り戻していくことからです。また自分の気持ち感情の真実を、どう表現していくかは、勿論大切ですし訓練も必要です。
外からの情報に頼り過ぎないで、自分からくる情報を信頼して生きてみる。“こんな時あなたはどうしたい?”“今あなたはどう感じてる?”と自分に問いかける練習も必要です。やがて必ず答えが、自分の中からやってきます。自分を信頼すればするほどやってきます。直観力も冴えてきます。社会の、ある種のイデオロギーに流されたり、宗派のドグマや価値観を鵜呑みにすることもなくなり、ひとり一人の中にある感度(制御装置)が正常に起動し始める!それこそが、私たちの悲願である“人類の平和”への強力な流れを作っていくのでは…と私は信じているのです。人類一人ひとりの魂の中にこそ真実が存在していると思うからです。祖父のことをたびたび出して恐縮ですが、名言だと思うので書いておきます。
本を読み過ぎない(しかし本を読むことは大切と常々言っていました)
価値観を鵜呑みにしない
誰であれ他者を崇拝しすぎない
“何事も過ぎたるは及ばざるが如し…だよ。自分を信じ、自分からくる答えを信頼して生きていきなさい…” それは、彼が常に言いたかったことでした。その影響からか、私は、私に来たフイーリングは、私にとって行くべき道…そう信じて今日も生きています。自分の中にある力を信じない限り、人は“孤独や惨めさ”からは、決して解放されないと思うのです。そして真の平和…も。
本来は一人ひとりの中に、いわば感度を基本とした自動制御装置のようなものが備わっており、今は息を抜くとき…いまは頑張るとき…それは誰にも分からないけれど、無意識にそれに従って健康に気をつけたり、休息を取ったり、頑張ったりしていけるわけです。ところが今の時代、会社では一日中パソコンに向かい合い、乗り物に乗ればスマホでのゲームに余念がない人々…。いつ自分の気持ちや自分の身体を感じるひとときを持つのでしょう…。感度はどんどん鈍っていくことでしょう。
特に子どもにとってはあらゆる瞬間が大切です。一人でぼんやりしたり、砂いじりしたり、パパと釣りをしたり、水族館に行ったり、星空を見たり、ママとお菓子作りをしたり、本を読んだり、冒険をしてわくわくしたり、度が過ぎて叱られたり…どの瞬間も子どもの感度を育て、自分軸を強くします。ところが今の時代メデイアに押されたり、また勉強に時間にとられて、自分を感じる時間は殆どありません。
子どもは自分軸が弱体化してくると、無意識ですが危機を感じ、いわゆる不登校をしてみたり鬱をやったり、逆に家庭内暴力に出たり暴走したり…社会や大人とのせめぎ合いをしながらでも、自分軸を取り戻すために果敢に戦います。わからなくなった自分を探し求めている状態です。愛のある指導は大切ですが、焦らずじっくりと、今のその体験を味あわせてあげることも大切です。
人間の目は 失敗してはじめて開くものだ
チエーホフ
受講者Uさんの体験です。「…食事のとき家族みんなでテレビを見ているとき、父がニュースの内容について“あいつはいい・悪い”とか、“けしからん”とか自分の考えを大声でずっとしゃべり続けるので、私は私なりの考えを感じるゆとりがなかった。いつも父親の意見を聞かされてきました。だから、何処か借り物の人生を送ってきたような気がするのです…。」
Uさんはその痛みがどこから来たのかに気付かれ、乗り越えていかれました。自己理解は大切です。しっかり自分を感じて、この違和感はどこから来るのだろう…このしんどさはどこから…と自分を感じてみることはとても大切なのです。その多くの答えは社会情勢や家庭の中で“自分を生きてこれなかった環境があった”ということです。
人の数ほど生き方のスタイルはあるのです。正しい・正しくないは無いのです。自分のスタイルを大事にして、自分の感度を大切にして、他者と較べず、自分の道を堂々と生きていけるような環境を、子ども達にも私たちにも与えてあげたいものです。
人は人 吾は吾なり とにかくに 吾行く道に 吾は行くなり
西田 幾太郎
「親業」が基本にしている考え方は「自分軸」がものさしです。例えば、一般論に“子どもが人を叩いたら、怒る(叩く)べきです”…があったとします。その価値観を100%信頼して、あなたがあなたの子どもにいつもそれをあてはめるとしたら、子どもはつぶれます。「親業」では決して世間のものさしで判断をしません。
以前のことですがある街なかで、父親が前を歩き、2人の兄弟がその後ろを歩いていました。弟が盛んに兄の方にちょっかいを出しています。兄の方は初めは無視をしたり、かわしたりしていましたが、とうとう切れた様子で弟を蹴って泣かせてしまいました。すると父親がいきなり振り返り、兄の方の頭をげんこつで殴りました。兄は何の抵抗もしないで、虚しそうな表情で歩いていきました…。こんなことが続いたとしたら、この兄の方の救いはありません。いつか潰れてしまうでしょう。父親は子どもの様子は一切見ていないで、無意識ですが、世間の物差しや先入観で反応したのでしょう。
あなたの感性がものさしです
自分の感性や感度を、より信頼していくためには、自分の感じ方を尊重していくことから出発です。私たちは育った環境の中で、“あなたの考え方は未熟だ…。あなたの感じ方はおかしい…。あなたは間違っている…。”私たちはそう受け止めてしまった為に、自分の感じ方に自信が持てないのです。感情には間違いというものはないのです!自分に来た感情は、自分にとってはいつも真実なのです!その自信を取り戻していくことからです。また自分の気持ち感情の真実を、どう表現していくかは、勿論大切ですし訓練も必要です。
外からの情報に頼り過ぎないで、自分からくる情報を信頼して生きてみる。“こんな時あなたはどうしたい?”“今あなたはどう感じてる?”と自分に問いかける練習も必要です。やがて必ず答えが、自分の中からやってきます。自分を信頼すればするほどやってきます。直観力も冴えてきます。社会の、ある種のイデオロギーに流されたり、宗派のドグマや価値観を鵜呑みにすることもなくなり、ひとり一人の中にある感度(制御装置)が正常に起動し始める!それこそが、私たちの悲願である“人類の平和”への強力な流れを作っていくのでは…と私は信じているのです。人類一人ひとりの魂の中にこそ真実が存在していると思うからです。祖父のことをたびたび出して恐縮ですが、名言だと思うので書いておきます。
本を読み過ぎない(しかし本を読むことは大切と常々言っていました)
価値観を鵜呑みにしない
誰であれ他者を崇拝しすぎない
“何事も過ぎたるは及ばざるが如し…だよ。自分を信じ、自分からくる答えを信頼して生きていきなさい…” それは、彼が常に言いたかったことでした。その影響からか、私は、私に来たフイーリングは、私にとって行くべき道…そう信じて今日も生きています。自分の中にある力を信じない限り、人は“孤独や惨めさ”からは、決して解放されないと思うのです。そして真の平和…も。