Column 2016 No.41
あらゆる経験はひとつの目的のために起きています。
その目的とはあなたの気づきを拡大するということです
ポール・フェリーニ
数日前に、とても奇妙な夢を見ました。ひとことで言えば、とても後味の悪い夢でした。後先のことはあまり覚えていないのですが、とにかくネバネバとした強力な蜘蛛の巣に私自身が絡まれた…まさに不愉快極まる夢でした。実際、我が家の庭にも木々が幾らか植わっているので、この時期は蜘蛛が巣を張っていて、出かけるときに、よくそれに引っかかってとても不愉快な思いをしますが、でも夢の中の蜘蛛の糸のような強力な巣に絡まれたのは初めてでした(笑)
夢から覚めてすぐに直観的に思ったことは、自分で創った蜘蛛の糸で、自分を縛っているんだなあ…ということでした。今秋の、何と目まぐるしく忙しかったことか! 確かに、秋は仕事が集中することは多いのですが、今秋は特に連日、息つく暇もないくらいの日常だったのです。まだ少し続いています。
私は少々“仕事依存的傾向”があるようです。本当は、仕事のほかにもやりたいことがあって、自由に生きたい、もう少しスローライフを楽しみたい…といつも願いながら、ついつい仕事の方を優先してしまいがちなのです。その結果、このところ本もじっくり読めなかったなあ…。観たい映画も沢山見過ごしてしまったなあ…。会いたい友人にも会えなかったなあ…。好きな海も見に行けなかったなあ…。楽しい英会話もずっと休んでしまったなあ…。猫の額ほどの小さな庭の草も取れずに、ぼうぼうに生えてるなあ…。
余談ですが、先日、東京に住む娘から久々に電話があり、「お父さんの夢を見たよ!」と言ってきたので、嬉しくて「わあっ!どんな夢だったの?」と訊いたら「お父さん、庭の草を抜いてたよ!」…と。 ははは!驚きましたねえ。あの世からも、ぼうぼうの庭の草が気になってる?!… そういえば生前から庭の草はコツコツと取ってくれていて助かっていました。それを聞いてからは、何はともあれ少しずつ頑張っています(笑)
こんなことを書いていると段々と自由で楽しい気持ちが甦ってきました。自分で創った蜘蛛の糸で自分を縛ってしまうほどに、私はこの所、とても不自由に生きていたんだ…ということをあらためて夢はしっかりと教えてくれたようです。タイトルのフェリーニが言っているように、“何かに気付きなさい…”と潜在的な自分がその夢を引き寄せたのでしょう。
自分が侵してしまった過ちも、不愉快な出来事や、例えそれが不愉快な夢であっても、やはりそこには気付くべき意味があって引き寄せた現象なのだと私は理解しています。そして、それから逃げないでしっかりと対峙することによって、気づきは深まり、気付きが深まるに従って、その人の意識は拡大し、その意識の広がりは徐々に、本当の“愛”や、真の“生きる意味”に繋がり、やがて私たちが、最終的に求めんとしている「自己実現」の道へと、辿り着くのだろうと確信しています。
“気づき”は私が指導している講座でも大変大切に考えています。私はどんなネガテイヴな感情からも、そして出来事からも、決して逃げないように出来るだけ気を付けています。 そして自分なりに気づいたら、あとは起きたことを心から赦して、果敢にそれを手放していきます。 「逃げない。はればれと立ち向かう。それが僕のモットーだ!」 私は岡本太郎氏のこのメッセージにいつも勇気づけられています。
いつかのコラムにも書いたと思いますが、感情もそして起き湧いてくるすべての出来事にも「いい・悪い」「正しい・間違い」は決して無いということ。それを決めてしまっているのはその人であり、それが“罠”となってその人の人生を不自由にしていきます。 ただ“悲しい”“つらい”“寂しい”“不愉快”…等々、私たちの持つ「感情」は、私たちにとっては唯一の真実です。起き湧くすべての出来事を前にして、真実であるその感情だけを尺度にして、自分はどうしたいかの態度を決めていく…。これが私の指導している親業のスタンスです。
蜘蛛の巣に絡まれたあの不愉快な夢も、確かに私にとっては、気付くべき意味のある夢だったと思います。私のライフワークでもある今の仕事を、さらに充実していくためにも、蜘蛛の糸で私を縛るのではなく、“自分の糸”で、本当に生きたい人生を楽しみながら、心を込めて紡ぎ、織り上げていかなければならないのです! さらにそう思えてきたのでした…。 それに蜘蛛には八本もの沢山の足があることにも改めて気付きました! ひとつの道にこだわらず、蜘蛛の足の如く、可能性の幅は沢山あることに、いや無限にあることに気づいたのでした。視野をもっともっと大きく広げて生きてみよう!
後味の悪かった夢も、こうして様々な角度から見ていくと、こんなに可能性の広がりがあるんですねえ! 興味深いですねえ! 私は、自分が見た夢を“縛り”の定義から“可能性”の幅のある定義に創り直したようです。私はこの新しい視点でこれからを生きていくのです。肯定的にも否定的にも私たちは、自分の定めた定義(視点)によって自分の人生を創造していくのですから。(コラムNo19)
視点が変われば人生は変わります。仏陀も「心がすべてである。あなたは自分が考えたものになる」…と言っています。私たちには、自分の人生を創造する力があるということを忘れてはならないのです。一度しかない人生(もしかしたら来世があるかも…)でも、決して先送りにはしたくない。やはり今を納得して輝いて生きていきたい…。私は心からそう願っています。
夢から覚めてすぐに直観的に思ったことは、自分で創った蜘蛛の糸で、自分を縛っているんだなあ…ということでした。今秋の、何と目まぐるしく忙しかったことか! 確かに、秋は仕事が集中することは多いのですが、今秋は特に連日、息つく暇もないくらいの日常だったのです。まだ少し続いています。
私は少々“仕事依存的傾向”があるようです。本当は、仕事のほかにもやりたいことがあって、自由に生きたい、もう少しスローライフを楽しみたい…といつも願いながら、ついつい仕事の方を優先してしまいがちなのです。その結果、このところ本もじっくり読めなかったなあ…。観たい映画も沢山見過ごしてしまったなあ…。会いたい友人にも会えなかったなあ…。好きな海も見に行けなかったなあ…。楽しい英会話もずっと休んでしまったなあ…。猫の額ほどの小さな庭の草も取れずに、ぼうぼうに生えてるなあ…。
余談ですが、先日、東京に住む娘から久々に電話があり、「お父さんの夢を見たよ!」と言ってきたので、嬉しくて「わあっ!どんな夢だったの?」と訊いたら「お父さん、庭の草を抜いてたよ!」…と。 ははは!驚きましたねえ。あの世からも、ぼうぼうの庭の草が気になってる?!… そういえば生前から庭の草はコツコツと取ってくれていて助かっていました。それを聞いてからは、何はともあれ少しずつ頑張っています(笑)
こんなことを書いていると段々と自由で楽しい気持ちが甦ってきました。自分で創った蜘蛛の糸で自分を縛ってしまうほどに、私はこの所、とても不自由に生きていたんだ…ということをあらためて夢はしっかりと教えてくれたようです。タイトルのフェリーニが言っているように、“何かに気付きなさい…”と潜在的な自分がその夢を引き寄せたのでしょう。
自分が侵してしまった過ちも、不愉快な出来事や、例えそれが不愉快な夢であっても、やはりそこには気付くべき意味があって引き寄せた現象なのだと私は理解しています。そして、それから逃げないでしっかりと対峙することによって、気づきは深まり、気付きが深まるに従って、その人の意識は拡大し、その意識の広がりは徐々に、本当の“愛”や、真の“生きる意味”に繋がり、やがて私たちが、最終的に求めんとしている「自己実現」の道へと、辿り着くのだろうと確信しています。
“気づき”は私が指導している講座でも大変大切に考えています。私はどんなネガテイヴな感情からも、そして出来事からも、決して逃げないように出来るだけ気を付けています。 そして自分なりに気づいたら、あとは起きたことを心から赦して、果敢にそれを手放していきます。 「逃げない。はればれと立ち向かう。それが僕のモットーだ!」 私は岡本太郎氏のこのメッセージにいつも勇気づけられています。
いつかのコラムにも書いたと思いますが、感情もそして起き湧いてくるすべての出来事にも「いい・悪い」「正しい・間違い」は決して無いということ。それを決めてしまっているのはその人であり、それが“罠”となってその人の人生を不自由にしていきます。 ただ“悲しい”“つらい”“寂しい”“不愉快”…等々、私たちの持つ「感情」は、私たちにとっては唯一の真実です。起き湧くすべての出来事を前にして、真実であるその感情だけを尺度にして、自分はどうしたいかの態度を決めていく…。これが私の指導している親業のスタンスです。
蜘蛛の巣に絡まれたあの不愉快な夢も、確かに私にとっては、気付くべき意味のある夢だったと思います。私のライフワークでもある今の仕事を、さらに充実していくためにも、蜘蛛の糸で私を縛るのではなく、“自分の糸”で、本当に生きたい人生を楽しみながら、心を込めて紡ぎ、織り上げていかなければならないのです! さらにそう思えてきたのでした…。 それに蜘蛛には八本もの沢山の足があることにも改めて気付きました! ひとつの道にこだわらず、蜘蛛の足の如く、可能性の幅は沢山あることに、いや無限にあることに気づいたのでした。視野をもっともっと大きく広げて生きてみよう!
後味の悪かった夢も、こうして様々な角度から見ていくと、こんなに可能性の広がりがあるんですねえ! 興味深いですねえ! 私は、自分が見た夢を“縛り”の定義から“可能性”の幅のある定義に創り直したようです。私はこの新しい視点でこれからを生きていくのです。肯定的にも否定的にも私たちは、自分の定めた定義(視点)によって自分の人生を創造していくのですから。(コラムNo19)
視点が変われば人生は変わります。仏陀も「心がすべてである。あなたは自分が考えたものになる」…と言っています。私たちには、自分の人生を創造する力があるということを忘れてはならないのです。一度しかない人生(もしかしたら来世があるかも…)でも、決して先送りにはしたくない。やはり今を納得して輝いて生きていきたい…。私は心からそう願っています。
嫌なことに出逢ったときは、この状況をいかに
ポジテイブに使えるかを学ぶチャンスです
賢者のことば
*次回のコラムは11月20日前後の予定です