Column 2018 No.58
ある精神科にお勤めの看護士さんがそっと呟いていらっしゃいました。「…病院に入っている殆んどの人が、子どもの頃からとっても真面目で、きちんと生きてきた人なんですよね…。悪ガキや若い頃に不良をやったというような人は、ひとりも入院をしていませんよ…」と。
子どもは本来、天真爛漫でなかなか親の思うようにはなりません。そのように自由でのびのび生きていた子ども達が、なぜ委縮していってしまったのでしょうか…。ずっと以前になりますが、不登校をしていたS子さん(小5)にお母さんが訊きました。「どうして行けないの?」と。するとS子さんは答えたそうです。「私、もういい子でいたくないから!いい子をしておくのがとってもしんどいから…」と。S子さんは自分の苦しさに気づいて自分から不登校を選んだのです。
いわゆる、いい子と言われる多くの子どもは、自分の人生を生きることから脱線してしまった子どもたちです。つまり、周りの人たち(親・家族・先生・友達…)の欲求を満たすことばかりを考えて生きてきたので、自分の人生の喜びや、わくわく感、つまり人生の体験・実感が極端に少なく、周りからは「いい子いい子…」と評価されながらも、S子さんのように、心の中に“何か違う!私じゃない!”と言ったような、もやもや感をもったまま思春期を迎えます。
そして傷ついた子ども達は、自分軸を取り戻すために、思春期に、多くは問題行動を起こして周りと闘い、心のバランスを取り戻そうとします。いわゆる「反抗期」と言われる、とても大切な癒しの時代を迎えるわけです。反抗の噴出の出方には、外向型と内向型があります。外向型はいわゆる暴言暴力・怠学・夜間徘徊・家出・異性交遊…等々のいわゆる逸脱した不良傾向として表現してきます。内向型は不登校・過食拒食・心身症・鬱…等々、自分に籠る(内に向かう)という傾向で現わしてきます。表現は真反対ですが、いずれも育ちの上での心の痛みを癒さんとする、その子なりの心のバランスのとり方です。
教師も私たち親も、実は“いい子”が大好きです。「人生は、おまえが考えてるような甘いもんじゃないぞ!」「遊んでばっかり、本でも読んだらどうなんだ!」「それはわがままと云うもんだよ!」「少しは人のことを考えたらどうだ!」…のような正論で、“いい子”の枠組みに嵌めていこうとします。それが強ければ強いほど子どもは、まんまとはまっていきます。教師や親が望む“いい子”像をあげてみましょう。
1. 素直で優しい子
2. 明るくて活発な子
3. 誰とも仲良くつきあえる子
4. 学校の成績がいい子(すべての科目が)
5. 何事にも積極的でしっかりした子
6. スポーツも得意な子‥‥‥‥‥‥‥等々
こんな神様のような子供が果たしているでしょうか。でもいい子の罠にはまってしまった子は、必死でそのいい子の枠組みに入らなければ…とますます強迫的に思ってしまうのです。子どもの頃から決してこのような完成品は無いのです。子どもは色々な過ちを犯しながら、感じたり気付いたりしながら、ゆっくりと自分軸を育てていきます。自分が本当にやりたいことをやって、自分の欲求を適切に満たしながら、自己実現(コラムNo15)に向かって徐々に成熟していくプロセスを、ひとり残らず取っていくのです。
何度も取りあげるフレーズですがまさに真実です。母親が「クラスの先生からお宅のお子さんは申し分ありません。忘れ物は一切しないし、勉強も友達関係も問題ありませんし、教師に反抗的な態度を取ることもまずありません。そして素直で優しくクラスのみんなに好かれています…と言われました!」と大満足をしているのですが、私はよく言います。「お母さん、子どもは完成品ではないのです。お子さんはかなり緊張した日々を送っていると思いますよ。出来るだけやりたいことをやらせ、言いたいことを言わせてください」…と。
いわゆる“いい子”の枠にはまってしまっている子どもは、何でも完全にできなくては自分は駄目なんだ…と受け取っています。しかも失敗を恐れて、臆病・冒険をしない・試行錯誤をしない…といった特徴があります。いつも安全領域で生きています。よって、いつも周りを伺い評価を気にして、相手に合わせて生きることしかできません。つまり自分軸がとても脆弱です。大変ストレスフルな状態で生きています。…それが見かけのいい子の実像です。大人にとって“都合のいい子”を、私たちは無意識に“いい子”と定義づけてしまっているのです。
☆ 20世紀最大の物理学者、アルベルト・アインシュタインは5歳までしゃべれなかった。文字が読めるようになったのは7歳の時。学校はアインシュタインにとってはとても窮屈で、義務教育時代はずっと劣等生だった。
☆ 発明王と称えられたトーマス・エジソンは教師から「こんなに頭の悪い子は初めてだ!学校ではお引き受けできません」と言われ、中途退学を余儀なくされた。
偉人といわれた人の中には幼少期は結構問題があった…という人は少なくないようです。それは学校や社会という枠組みの中で、本来の彼らの伸びやかな生命力や創造力が、押し付けられる常識や正論にはまり切れず、閉塞状態になり、いわゆる“いい子”の枠組みからはみ出した人々です。そしてその枠組みからすっかり抜け出た後に、彼らの本来の能力が輝き始めたのです。彼らは周りから急がされることなく、ゆっくりゆっくりと自分本来の使命を見つけていったのです。次はアインシュタインのフレーズです。
子どもはゆっくりと子どもをやる権利があります。本当にやりたいことをやって魂の喜びを感じる権利があります。試行錯誤し、失敗を侵す権利も、失敗をして落ち込む権利もあります。落ち込みを続ける権利も、這い上がる権利もあります。怒る権利も泣き叫ぶ権利もあります。それがその子どもの人生の体感であり、生きる実感です。
しかし親は、なかなかそれが信頼できません。“いい子”をやってくれていると安心なのです。私も親ですからそれがよく解ります。親の描いた青写真からどんなに子どもが外れていようと、どれだけ子どもを信頼して待っておれるか…は子どもを育てる上での、親の一番の修行なのかもしれません。
子どもは本来、天真爛漫でなかなか親の思うようにはなりません。そのように自由でのびのび生きていた子ども達が、なぜ委縮していってしまったのでしょうか…。ずっと以前になりますが、不登校をしていたS子さん(小5)にお母さんが訊きました。「どうして行けないの?」と。するとS子さんは答えたそうです。「私、もういい子でいたくないから!いい子をしておくのがとってもしんどいから…」と。S子さんは自分の苦しさに気づいて自分から不登校を選んだのです。
いわゆる、いい子と言われる多くの子どもは、自分の人生を生きることから脱線してしまった子どもたちです。つまり、周りの人たち(親・家族・先生・友達…)の欲求を満たすことばかりを考えて生きてきたので、自分の人生の喜びや、わくわく感、つまり人生の体験・実感が極端に少なく、周りからは「いい子いい子…」と評価されながらも、S子さんのように、心の中に“何か違う!私じゃない!”と言ったような、もやもや感をもったまま思春期を迎えます。
そして傷ついた子ども達は、自分軸を取り戻すために、思春期に、多くは問題行動を起こして周りと闘い、心のバランスを取り戻そうとします。いわゆる「反抗期」と言われる、とても大切な癒しの時代を迎えるわけです。反抗の噴出の出方には、外向型と内向型があります。外向型はいわゆる暴言暴力・怠学・夜間徘徊・家出・異性交遊…等々のいわゆる逸脱した不良傾向として表現してきます。内向型は不登校・過食拒食・心身症・鬱…等々、自分に籠る(内に向かう)という傾向で現わしてきます。表現は真反対ですが、いずれも育ちの上での心の痛みを癒さんとする、その子なりの心のバランスのとり方です。
教師も私たち親も、実は“いい子”が大好きです。「人生は、おまえが考えてるような甘いもんじゃないぞ!」「遊んでばっかり、本でも読んだらどうなんだ!」「それはわがままと云うもんだよ!」「少しは人のことを考えたらどうだ!」…のような正論で、“いい子”の枠組みに嵌めていこうとします。それが強ければ強いほど子どもは、まんまとはまっていきます。教師や親が望む“いい子”像をあげてみましょう。
1. 素直で優しい子
2. 明るくて活発な子
3. 誰とも仲良くつきあえる子
4. 学校の成績がいい子(すべての科目が)
5. 何事にも積極的でしっかりした子
6. スポーツも得意な子‥‥‥‥‥‥‥等々
こんな神様のような子供が果たしているでしょうか。でもいい子の罠にはまってしまった子は、必死でそのいい子の枠組みに入らなければ…とますます強迫的に思ってしまうのです。子どもの頃から決してこのような完成品は無いのです。子どもは色々な過ちを犯しながら、感じたり気付いたりしながら、ゆっくりと自分軸を育てていきます。自分が本当にやりたいことをやって、自分の欲求を適切に満たしながら、自己実現(コラムNo15)に向かって徐々に成熟していくプロセスを、ひとり残らず取っていくのです。
道草は自己実現の王道である 河合 隼雄
いわゆる“いい子”の枠にはまってしまっている子どもは、何でも完全にできなくては自分は駄目なんだ…と受け取っています。しかも失敗を恐れて、臆病・冒険をしない・試行錯誤をしない…といった特徴があります。いつも安全領域で生きています。よって、いつも周りを伺い評価を気にして、相手に合わせて生きることしかできません。つまり自分軸がとても脆弱です。大変ストレスフルな状態で生きています。…それが見かけのいい子の実像です。大人にとって“都合のいい子”を、私たちは無意識に“いい子”と定義づけてしまっているのです。
☆ 20世紀最大の物理学者、アルベルト・アインシュタインは5歳までしゃべれなかった。文字が読めるようになったのは7歳の時。学校はアインシュタインにとってはとても窮屈で、義務教育時代はずっと劣等生だった。
☆ 発明王と称えられたトーマス・エジソンは教師から「こんなに頭の悪い子は初めてだ!学校ではお引き受けできません」と言われ、中途退学を余儀なくされた。
出典:偉人物語(主婦と生活社)
偉人といわれた人の中には幼少期は結構問題があった…という人は少なくないようです。それは学校や社会という枠組みの中で、本来の彼らの伸びやかな生命力や創造力が、押し付けられる常識や正論にはまり切れず、閉塞状態になり、いわゆる“いい子”の枠組みからはみ出した人々です。そしてその枠組みからすっかり抜け出た後に、彼らの本来の能力が輝き始めたのです。彼らは周りから急がされることなく、ゆっくりゆっくりと自分本来の使命を見つけていったのです。次はアインシュタインのフレーズです。
私の学習を妨げた唯一のものは私が受けた教育である
何かを学ぶ為には自分で体験する以上にいい方法はない
しかし親は、なかなかそれが信頼できません。“いい子”をやってくれていると安心なのです。私も親ですからそれがよく解ります。親の描いた青写真からどんなに子どもが外れていようと、どれだけ子どもを信頼して待っておれるか…は子どもを育てる上での、親の一番の修行なのかもしれません。
ひきつった顔で最後に母は言う。あなたのためよ。
あなたのためなのよ。俺のためなら黙ってくれ
中2男生徒の川柳