2024年5月20日月曜日

「許す」と「受容する」のちがいは?

  2024年 講座開講スケジュール ★2024年講座予定公開中。上級講座も開催★

今年は親業上級講座も開催します(9月開講。4~5年に1回の講座です)

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Column 2024 No.132

 以前、受講者の方から「“許す”の意味と、親業で言う“受容”の違いがよく解らないのですが…」という質問を受けました。双方とも“許す(赦す)・受け入れる”…といった意味を含んでいますが、明確な違いがあります。

 「許す」は“許可”の文字に示される通り、相手の行動に許可を与える。相手が行う行為を認める…といった意味合いがあります。また“ゆるす”という語彙の中には「赦す」の文字で示されるゆるしもあります。こちらは“恩赦”の文字に示されるように、相手が行った行為の失敗を責めないとか、相手の罪や過ちをゆるす…といった意味合いがあります。“許す”よりも“赦す”…には精神的な深いゆるしを感じます。

 「受容する」はさらにもう一歩深いゆるしです。受容の「容」の本来の意味は“器(うつわ)”を意味しています。よって器ごとそのままを受け入れる…といった意味があります。“許し・赦し”には特定のものをゆるすといった狭い意味合いがありますが、“受容”のゆるしには、器(容)ごと受け入れるといった深さと幅があって“無条件のゆるし”とも言えるでしょう。

 母親を「おふくろ」という呼び方が日本にはありますよね。我が子がどんな状態であろうと、どんなに困った子どもであろうと、母親とは、暖かい自分の袋の中に、我が子を無条件にすっぽりと包み込んでくれる存在…と言った意味合いがあります。これが真の「受容」の形と言えるかもしれません。

 もう少し「許し」と「受容」の違いについて具体的にお話してみましょう。5年生のA君が学校から帰るなり「お母さん今日テスト返してもらったけど怒らない?」と訊いてきました。お母さんは「うん!怒らないよ。だから見せてごらん」といわゆる許可を与えます。許可を与えておきながら、悪い点を見たら「ゲームばっかりしているからでしょう!」と怒ったりしています(笑)中途半端なゆるしの形です。次に、その子を「受容する」(器ごとそのままを受け入れる)事例をご紹介してみます。

A「お母さん今日テスト返してもらったけど怒らない?」
母「お母さんが怒るかもしれないと思って不安なのね
A「うん、でも教えてあげるね。40点だったんだ…」
母「そう、40点でがっかりしてるのね
A「そう、それから社会は60点だった…」
母「そう、60点だったの
A「うん、だけどね、5年生になると理科も社会も難しくなるから仕方ないんだ」
母「そう、五年生になると学科が難しくなるのね
A「そうなんだよ。でも難しいからもっと頑張らなくてはいけないんだよ…」

 途中ですが、ざっとこんな会話です。いい・悪い…の許可は一切与えず“あなたの気持ちを、ただそのまま受け取っているよ”…と、A君の器(うつわ)丸ごと受け入れています。これが「受容」の形です。自分そのままを受けとってもらった子どもは、親の“無条件の愛”を感じ、その結果、自分に自信を持ち、“自分は自分でいいのだ、自分の感度で生きていいのだ”…と、真の自立に向かっていけるのです。

 次に“許可”の「許し」と、相手を器ごと(丸ごと)受け入れる「受容」の“ゆるし”で対応された子どもの、心の動きの違いを見てみましょう。

 あなたの子どもA君がある日、「今日学校を休んでいい?」と訊いてきたとします。これに対してふたつの反応があります。そのひとつは「休んでいいよ」という“許可”を与える反応。もう一方は許可は与えず、学校を休みたい子どもの気持ちをそのままに丸ごと“受容”して「そうか学校を休みたいんだね」…といった対応をします。

 “休んでいいよ”と“許可”を与えられた子どもの心の動きはどうなるでしょう。“お母さんが休んでいいと言った…”と受け取り、無意識ですがお母さんに責任を預けて学校を休むことになるでしょう。さて一方、A君の気持ちをそのままに 受容して(受け取って)「学校を休みたいんだね」と返された場合の子どもの心の動きはどうでしょう。

 お母さんに、自分の気持ちそのまま受容された場合のA君は“そうか、いま自分は学校を休みたい気持ちなんだなあ”と、まず自分の心を見つめることが出来ます。そして「うん、しんどいから休みたい」と返してくるかもしれません。お母さんはさらに「そうか、しんどいから休みたいんだね」A君「うん、だからぼく今日は休む!」お母さん「そうか休むことに決めたんだね」と言って、休むことを決めたA君の気持ちを、あくまでも器ごと容認しました。A君は自分の責任で休むことを決めたのです。

 許可を与えられて学校を休むのか、自分自身で決めて学校を休むのかでは、子どもの休み方の心情には明らかな違いが出てくるのです。子どもの成長過程にとって「許可」を与えられて育った傾向の子どもは、親にとって都合のいい子が育つかもしれませんが、自立は妨げられるかもしれません。一方、「受容」的に育った子どもは、自分自身を見つめ、答えを自分の中に求め、自分から来る答えを信頼しはじめるのです。これが真の自立です。

 たとえあなたが何をしていようとも、
 それをしている自分を丸ごと愛してあげなさい
 タデウス・ゴラス

 ゴラスの言うように、私たちも、どんなにみっともない自分であろうとも、今その状態でいる自分をそのまま赦し、愛してあげながら生きていきたいものですね。子どもが「受容」の中で成長し自立していくと同じように、私たちも自分自身に“無条件の赦しと愛”をあげることで、自分の本当の価値を見い出し、自信を持って人生を生きることが可能になるのではないでしょうか。

*次回のコラムは2024年6月20日前後の予定です。