2023年3月20日月曜日

自らの内面に巣くう“むなしさ”を見つめる

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自らの内面に巣くう“むなしさ”を見つめる
諸富 祥彦
Column 2023 No.118

 1990年代後半出版の、諸富祥彦著「むなしさの心理学」(講談社現代新書)を再び手にして、私の中にも時折訪れる“むなしさ”を改めて見つめてみたいと思いました。

 私の場合、さして環境に困ったことがあるわけでもなく、人間関係に苦しんでいるわけでもなく、心が喜ぶことをやって楽しむこともできて、一応すべて日常は安定している。しかし、何かが足りない、何だかつまらない…と、ふっと“むなしさ”を感じるひとときがあります。

 夢多き時代である筈の若者世代にも、この世に生まれてきたことの意味が分からず、人生にむなしさを感じながら生きている者が多いと諸富氏はいいます。彼はこれに答えて「…この時代に生きる一人ひとりが自らの内面に巣くう“むなしさ”を見つめる作業から始めるほかない…」と述べています。

 人生とは不思議なものだ。
 一生懸命働いているのになぜか充実感より空虚感の方が強いときがある。
 反対に失敗続きで貧乏で明日が全く見えないのに、空虚さは感じず、
 自分の生を強烈に感じて充実しているときもある
 綿矢 りさ(芥川賞受賞作家)

 …ということは「むなしさ」と言う感情は、環境が深刻な時に感じる感情と言うよりも、むしろある程度満たされているその心の隙間に、ふっと訪れる漠然とした感情なのかもしれません。興味深いのは、若者を対象にしたアンケートでは、彼らが最も強くむなしさを感じたのは“大学に入ってから”が抜群に多かったと諸富氏は述べています。夢いっぱいの大学生活であるはずなのに、「むなしさ」とはまさに摩訶不思議な感情に思われます。

 諸富氏は、人生の大半の時間を仕事に費やす時代にいる大人が感じている「むなしさ」にも触れています。日本有数の一流大学を出て、人が羨むほどの大企業に勤めている30代前半の彼らが、口をそろえて「出来れば会社を辞めたい」「企業に対しても個人としても夢や希望を抱くことができない。くたびれ果てています…」と。また中年期の“むなしさ”の実態にも触れています。「…中年期と言えば働き盛り。サラリーマンで言えば、そろそろ中間管理職と言った年頃。しかし色々な人の相談を受けていると意外と、この時期は仕事面でも家庭面でも危機的な場面に立たされやすい時期だということが解る…(諸富)」

 仕事を持つ女性のストレスも並大抵ではありません。仕事に加えて家庭の家事一般・子育て・親戚及び社会とのつながりにおける労力。その中で、夫は一日の時間のほぼすべてを滅私奉公で会社と仕事に生きている。家庭を顧みる余裕もない夫との間の気持ちのずれから起こる“むなしさ”を抱えている女性は少なくありません。

 自分の内側で口を開けているそのむなしさから目を逸らさずに、
 きちんとそれを見つめることから始めなくてはならない
 諸富 祥彦

 自分の学業や仕事が将来に繋がっているのか…。将来のことを想うと不安でいっぱいになる。果たして生きている意味はあるのか…。そこで多くの人は“むなしさ”に襲われ、むなしさと闘うことになる。そのむなしさを紛らわせるために、友達同士で毎日のように電話し合ったり、ネットサーフィンに夢中になったり、お酒で紛らわしたり… 私達は無意識にそのむなしさから逃げていこうとします。それが形を変えると、いじめ、不登校、登社拒否、鬱、…等々の現象として現れてきます。

 高齢者を襲うむなしさはさらに深刻です。「…“生・老・病・死”は人生の“四苦”であると言われる。考えてみれば老いることは同時に“病む”ことであり、“死にゆく”ことでもある。…つまり“老い”には“生老病死”の四苦が全てかかわっている。だから上手に老いることは大変難しい…(諸富)」

 深い共感がある一文でした。私の中に巣くっている“むなしさ”も、確かにこの “生老病死”と無関係ではないと実感したのでした。しかしだからと言ってすぐに答えが見つかるわけではありません。私の中に漠然と居座っている“むなしさ”はどんなに頭をひねっても解決の糸口が見つからない難問のように思えます。これは、人智を超えていくことでしか完璧に解決できない問題なのかもしれません。

 あなたが人生に絶望しようとも、人生があなたに絶望することはない
 ヴィクトール・フランクル

 私にも体験があります。鬱状態が続く中で、打つ手が何もないという崖っぷちに立ったとき、一睡もできない日が続き苦しみの頂点に達した時“万事休す”もうどうにでもなれと、自分をすっかり投げ出した時、もう自分はこのまま命が尽きるのだろうと思っていたにもかかわらず、何だか心の底から表現できないような深い安らぎが湧き上がってきたのです。これが諸富氏の「死のうが生きようが関係ない。私たちの思い煩いとは関係なく、身体の内側で勝手に生き働いてくれている何かを感じる…」のと同じ体感だったのではないかと思います。

 私が病から立ち直った後に決意したことは、諸富氏のいう“私達の身体の内側で生き働いてくれている何か…” の、その存在を信頼して生きてみよう。その為に自分には何ができるかということでした。それはまだ来ぬ先々のことを憂いたり思案することではなく、この瞬間に集中して今できることだけをやっていくということだと思ったのです。そしてこれは、人類の永遠のテーマとも思える「むなしさ」へのひとつの対処法ではないか…と今は感じています。最後に、幕末に獄中生活を余儀なくされた吉田松陰のフレーズで、今回のコラムを閉じたいと思います。

 死を求めもせず、死を辞しもせず、
 獄にあっては獄で出来ることをする。
 獄を出ては、出て出来ることをする
 吉田 松陰

*次回のコラムは2023年4月20日前後の予定です。

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