2025年6月20日金曜日

“言いわけ” をしない生き方

  2025年 講座開講スケジュール

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Column 2025 No.142

 “言いわけ”をしない生き方をする。私がこの考え方をもって生きてきたことには深い背景があります。“言いわけ”という意味もよく解からない頃から、私が何か不味(まず)いことをしたとき、私が自分を守るようなことを言うと、父から「言いわけはするな!」という言葉をよく投げかけられていました。「言いわけはやめるんだ!言い訳をしたって現実は何も変わらないだろ!あっさり非を認めて“どうしたらいいか”だけを考えろ!」ときつく叱られていました。

一生懸命だと智慧が出る。
中途半端だと愚痴が出る。
いい加減だと“言いわけ”がでる
武田 信玄

 もうひとつ心に残っている思い出があります。その時代、私の親たちは大きな瓶(かめ)に、梅とかラッキョを漬け込んでいました。中のものを頂いた後、消毒のためにその瓶(かめ)を母が庭に出して太陽に当てていました。その頃小学生だった弟が何かの拍子にその瓶(かめ)にぶつかって倒してしまい、その瓶は、庭をころころと転がり、最後に小さな溝に落ちて「ガシャン!」と大きな音を立てて壊れてしまったのです。

 さすがの弟も顔面蒼白。どんなに父に怒られるだろうと覚悟していたと思います。その時代にはきっと貴重な品だったと思うのです。状況をみた父の表情も驚きに満ちていました。弟は即座に「お父さんごめんなさい!壊してしまった!」と謝ったのです。すると父は「そうか。解かった!」と言っただけで、弟のあやまちを全く責めずに赦したのです。弟は勿論、私も父のその態度にびっくりしました。父の言動の意味がその頃にはよく解りませんでした。でも今ならよく解かります。父は言いわけが大嫌いな人だったので、弟の動転した表情と、言いわけなしの率直な謝り方が、父を納得させたのです。

 確かに言い訳は自分の至らなさを正当化したいという心理から生まれます。カクカクしかじか…こんな事情があったから自分はこんなことをしなければならない羽目に陥ったのだ。本来は自分には責任はない…ということを“言いわけ”をすることで証明しようとしている訳です。

 過去、私は大切な友人に誤解を受けて、辛い立場に立たされたことがありました。何とか本当のことを述べて理解をしてほしい…と気持ちが混乱しました。しかしその時は、第三者が関係していて、私の弁明でその人の立場が悪くなる状態でした。しかし、今自分が置かれた状況を何とか説明して自分を救いたい!…壮烈なジレンマと闘いながらも、ふと私は父の言葉「起こったことは言いわけしても何も変わらないだろ!どうしたらいいかだけを考えるんだ!」を思い出したのです。すると不思議ですが勇気が出てきて、弁明することを踏みとどまり、自身の責任として謝罪しました。結局十分には解決はしませんでしたが、その時の私の行動は今思い出しても「うん!あれでよし!」と、その時の自分の勇気を褒めてあげることが出来ています。

 プロの選手の「言いわけ」に関する考え方を紹介してみます。

プロはいかなる時でも言いわけをしない
千代の富士

準備と言うものは、言いわけの材料となりうるものを排除していく
イチロー

上達最大の敵、それは言いわけをすることである
バイロン・ネルソン

 スポーツなど、勝負の世界にいる人たちはミスをするたびに、言い訳をしたい気持ちと闘う場面は多いだろうと思います。しかし一流のプロは何があろうと、自分の負けは自分の責任において受け入れ、決して他者のせいにはしないんですね。

 こうして書いてきましたが、言いわけは結構気づかずにしていることも多いものです。特に女性の集まりでは“姑が大変、息子のクラスの先生が問題、夫のこの行動が…だから私が大変なのです。解りますか…”と言いたいわけですね。男性の集まりでも多く飲み会の席で“上司が悪い”“会社が問題”…無意識ですが他者の責任にして自分を守ろうとする愚痴(言いわけ)が漏れ聞こえてきます。

 私の仲間内で集まったときにも私を含め、これを気付かずにやっています。特に年齢を重ねてきた同じ年代の仲間たちと逢うと、決まったように「目が悪いから新聞が読めない」「耳が悪いから人に逢うのが億劫になった」「足腰が悪いので夫の食事を作るのが大変になった」…等々、卑下自慢大会のようです。

 でもこれも自分が動けない動きたくないの気持ちの中に潜んでいる、周りの責任にしたい「言いわけ」だと理解しています。目が悪い人でも読書をあきらめないで、拡大鏡を求めて読んでいる人もいれば、耳が悪くても仲間と逢って楽しんでいる知人もいます。やがて補聴器を求めて会話が楽しくなったと伝えてきた友人もいます。食事作りは大変だけど、運動がてら自分の為にと思って頑張っている人も沢山います。

何かをしたい者は手段を見つけ、したくない者は言いわけを見つける
アラビアのことわざ

 愚痴や言いわけは、自分の人生を自分で無意識に限定してしまいます。本当は私たちの人生は見方によれば無限であり、夢に溢れているのです。言いわけに現(うつつ)を抜かしていると、自分の夢を見失うことだって起こります。価値観に“いい・悪い”はありません。他者にどう評価されようと謝罪すべきことは謝罪し、自分の人生に言いわけをすることを辞めてみる。自分から来る答えを信頼して、自分が描いた人生を堂々と生きていきたいものです。

“今後、絶対に言いわけをしない”と決めることは、
人生をコントロールする力を自分の手に取り戻す“自由独立宣言”
本田 健

*次回のコラムは2025年7月20日前後の予定です。

2025年5月20日火曜日

マインドフルネスに生きる

 2025年 講座開講スケジュール

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Column 2024 No.141

 「マインドフルネス」とは、もともとはインドに伝わる仏教的な瞑想に由来しています。40年くらい前に、マサチューセッツ大学医学部のジョン・カバット・ジン博士が、宗教色を排除し「マインドフルネス瞑想」として体系化し、その後、欧米の多数の研究機関で医学的、科学的に幅広く効果が実証されました。そしてこの“瞑想メソッド”は、各業界にも大いに取り入れられて一躍世界中に広まり、グーグル、アップル…等世界をリードする多くの企業が導入しました(以上、Wikipedia参照)

「マインドフルネス」とは一言で言えば“今ここ”にいるための瞑想方法です。“いまここ”の現実にリアルタイムにかつ客観的に気づいていることです。つまり思考というバーチャルな世界を離れて“いまここ”に集中する生き方です
藤井 英雄(精神科医)

 自分自身に対峙するひとときを持つことはとても重要だと私は感じています。自分自身をまず理解することが全ての出発点だからです。それでは「マインドフルネス」とはどのような瞑想方法か、またそれをやることによってどんな効果があるのかなどについて、私が学んだ範囲で書いてみたいと思います。マインドフルネス瞑想の普及の為に活動を続けているアンディ・プディコムは、自著「頭を空っぽにするレッスン」(辰巳出版)の中で次のように述べています。

自分の心の中に常に静かで澄みわたった場所が
あるのを想像してみて下さい

 それぞれの人々の中に存在する“常に静かで澄み渡った場所”があることに私たちは気づかず、騒々しい環境や複雑な人間関係といった喧騒の中に常に身をおいています。つまり自分に対峙していないが為に、もめごと、いざこざ、トラブル…等々に巻き込まれてしまい、葛藤との狭間(はざま)で苦悩しながら日々を過ごしているのが私たちです。「マインドフルネス」は、それらの喧騒からそっと離れて、自分自身の中にある静かで澄み切った場所に戻ってみる行為でもあります。

 「マインドフルネス」は、これまでの瞑想と同じく座って目を閉じ、ただ自分の内面に向かう…と言うスタイルもそのひとつですが、普段の生活の中で、掃除をしたり、食事をしているとき、他者と共に居るとき、瞬間瞬間自分の心の位置に気づき続けることを大切にしています。考えで思考が寄り道をしていているときは、寄り道をしている今の自分の思考のプロセスに気づいている…つまり100%今の自分の思考の動きに気づき続けることを重要視しています。

 精神科医の藤井英雄氏は著書「一日10秒マインドフルネス」(大和書房)の中で、わずか10秒、何かをしながらの “ながらマインドフルネス瞑想” を勧めています。その時その時の一瞬の自分の感情を客観視して、“リアルタイムに本当の自分の感情に気づいていく”ことの重要性を提唱しています。

 例えば向かいの人が電話で話す声を意識している仕事中の自分だとします。自分が“ある感情を持ちながら、仕事を離れてその人の声を聞いている今の自分に気づき確認していく”のです。藤井氏は、折々の自分の気持ちに気づき続けるには、その都度自分の中でその状況を実況中継してみるといいと言っています。例えば、“話が長いなと思ってイライラしながら仕事から気持ちが離れている自分だな” のように。つまり、“今ここ”にいつもフォーカスしている状態が「マインドフルネス」の要(かなめ)なのです。

 これは実は「親業」が大切にしている、自分自身に“能動的なきき方”(共感的傾聴法)をしていくことと同じです(コラムNo140)つまり自分の今の感情にのめり込むのではなく、一歩引いた視点に立ち、今の自分の現実をただ俯瞰して客観的に見ている感覚です。

もしあなたが一日自分を見失ったら人生の一部を失います。しかしもしあなたが一日中自分に気づいていればあなたは永遠に生きることができます。何故ならあなたは「今」にフォーカスしているからです
賢者の言葉

 一日中その時その時の自分の位置・感情に気づき続けることが、賢者のいう一日中自分に気づいていることであり、「今」にフォーカスしている状態です。他者に対してイライラしてしまったり怒りを感じた自分を責めている自分に気づく…など、いつも心地よい体験とは限りません。しかし、過去でもない未来でもない「今」を体験している自分の感情をそのまま、評価なくただ俯瞰し客観視するからその感情が手放せるのです。

「マインドフルネス」は基本的に心と身体が長い間背負ってきた荷物から解放されていくことだと覚えておいてください。愉快な体験ではないとしても荷物を解き放つプロセスであり解き放つことで人生が軽くなっていくからです
アンディ・プディコム

 その他「マインドフルネス」の効果として、メンタルが改善され自律神経のバランスが整って様々な身体状況が整ってくる。心を今この瞬間に戻す訓練によって、ストレスの源を断ち切る力が向上して気持ちや情緒を安定させる。自己肯定感や自己受容能力を高める。仕事上においても、集中力・記憶力が向上することで、仕事上のマイナス要素が軽減され、コミュニケーション能力も向上する…等々、多数の研究機関によって医学的・科学的な効果が実証されています。

 私がこの「マインドフルネス」を身近に感じたのは、藤井英雄氏のフレーズの「瞑想の目的は、例えば食事をしているとき、食事に心を置いて味わって食べることが目的です。しかしその時出てくる雑念を消すことではありません。その雑念に気づき、一端棚上げをする(俯瞰して見る)ことで、食事をしている今の自分に再び戻っていけるのです」の考え方です。

 しかし藤井氏はこうも述べています。「振り払っても、棚上げしてみても、何度も戻ってくる不安感、悲しみ、怒りなどの感情があるとしたら、それら感情には対処してみる必要があります」…と。それは潜在意識にあるトラウマなど、自分にとってスルー出来ない意味があるのだと思います。よって、これに向かうことは、さらに深い「自己理解」に繋がっていくチャンスにもなります。

 「マインドフルネス」と、潜在意識に横たわる自分にとって避けては通れないネガティブな感情に向き合い続けることにより、自分自身がより鮮明になっていくのではないでしょうか。そして健全で心地良い「今ここ」を生きることが、さらに可能になることでしょう。

*次回のコラムは2025年6月20日前後の予定です。

2025年4月20日日曜日

《お知らせ》5/20よりコラム再開いたします。

コラムご覧の皆さま、こんにちは。

圧迫骨折のためしばらくの安静とリフレッシュ期間に充てておりましたが、
おかげさまで体の方も大変自由になってきまして、次回5/20よりコラム再開させて頂きます。どうぞ宜しくお願いします☆

2025年2月20日木曜日

《お知らせ》今回のコラムはお休みいたします。

コラムご覧の皆さま、こんにちは。

実はちょっとした所作で圧迫骨折とやらを起こし、しばらくの安静にて原稿準備が難しいため、ここは無理せず、今回(或いはここ数回)お休みとさせて頂きたいと思います。

身体は安静ですが、心は元気でいますのでご安心ください。

いつもありがとうございます。

また復帰コラムでお目にかかれるのを楽しみにしております☆

(…以上、息子に文章入力をお願いしました。)

2025年1月20日月曜日

「感じる」ことと「感情にひたる」ことの違い

  2025年 講座開講スケジュール 2025年の講座予定を公開しました!

 下村亮子チャンネル『 TRUST YOUR FEELING - あなたの中の答えを信じて 』  

Column 2025 No.140

 人は誰しも、意識的か無意識的かにかかわらず、「自己実現」を目標に定めて人生を生きていると言われます。自己実現とは、すべての人のハートの中に存在する “高次の自分” に統合していく状態で、それを心理学では “自己実現”。仏教では “悟り”。スピリチュアルな文脈では “覚醒”… などと表現しています。

 自己実現に至るまでには、私たちは自分に必要な体験、つまりやりたいことをやって欲求を満たし、苦悩の体験・喜びの体験を通しての深い気づきを得ながら、智慧を重ね、徐々に “高次の自分” へとステージを上がっていきます。そしてやがてやっと辿り着ける境地が“自己実現”です。

 やりたいことをやる… というと、それは我がままというものではありませんかといった反論が必ずあります。確かに我がままと見える行動もあるかもしれませんが、実はその人が本当にやりたいと思う欲求の中にこそ、その人の魂の答えが潜んでおり、より高い視座で見れば、“いい・悪い” “正しい・間違っている” は本来的にはないのです。
 それぞれの人の中に「魂のナビゲーター」のようなものがもともと備わっていて、体験しながら生き方を修正し、行くべき道に気づくようになっているということは、現在ならびに歴史上の多くの賢人が言及しているところです。行動してみなければ、その人の真実はいつまでも隠されたままになりやすいのです。「なまけ者のさとり方」という世界的ベストセラー本著者の次のような言葉もあります。

 間違ったことをする自由を赦す。
 無知なままでいる自由を与えるということは、
 霊的な成長を遂げていく道で、
 最も厳しく最も重要なステップのひとつなのです
 タデウス・ゴラス

 一つひとつの体験を通して大切なことは「感じる」と言う行為です。「感じる」という行為があるから、私たちはその体験からしっかり気付いて学べます。 例えば、ネガテイブな体験をして、“この体験から自分のやったことはまずかった。もう繰り返さない!” と気付くから、そこを終えて自然に次のステージに進めるのです。そこで学んでいないと、不思議ですが、また似たような体験を無意識的に引き寄せて学ぶこととなります。ある意味、私たちは常に学び成長・進化しようとして果敢なる行動を惜しまない存在とも言えるかもしれません。

 この辺りでよく勘違いしがちなのは、感情を “感じる” ということと、感情に ”浸る(ひたる)” ということの違いです。「感じる」という行為は、自分の感情を俯瞰している状態ですから、感情に飲み込まれていない状態です。だから自分の真実に明確に気づいて学んでいけるのです。一方、感情に「ひたる」という行為は感情の中に巻き込まれている(同一化している)状態ですから、感情にアップアップしている状態です。感情に飲み込まれた状態では真実は見えにくく学びにくいのです。一つひとつの感情に長居をするとよく起こる状態です。

 コラムNo124で触れましたが、感情は感じて気付いたら手放す必要があるのです。なぜ手放す必要があるのか… もう一度ポイントだけまとめてみます。

 いつまでもその感情に捉われたり、ぼんやりとその感情に浸っていると、感情が支配権を持ち始めてその感情から抜け出ることが難しくなります。そして何よりの弊害は、感情に翻弄されると、体験からくる今の真実を捉えることができない。つまり折角の体験から学べないということです。

 そしてもう一つ、“あなたの感情は、実はあなたの人生の方向性を決めていく” という事実を意識しておくことが大切です。その感情にいつまでも執着していると、その波長に合ったあなたが望まない人生を引き寄せてしまいやすいのです。

 それではどうしたら感情が手放していけるのでしょうか… その辺りは同コラム(No124)をよろしければご参照して頂くとしまして、ここでは本日のテーマに沿って、「感じる」ということをもう少し具体的に見ていきたいと思います。

 「感じる」ということは、今の本当の感情を心を込めて俯瞰すること

 自分の ”今ここ” の感情に、おぼれないで、その感情を俯瞰する。つまり体験から生じる感情を感じ切ることこそが、自分を理解するベースです。その結果、自己理解が進むにつれて「自己実現」の目標へと大きく近づいていきます。親業では自己理解を深めるために、自分自身の感情や思考を「能動的にきく」(共感的傾聴法)という方法を勧めています。つまりあなたの “今ここ” の本当の感情に気づき、批判やバッシングを一切やめて、ただ共感をもって感じたままをゆったりと感じてみるのです。セルフカウンセリングに近いものです。

  • 自分「今日仕事でミスをして課長に怒られてすごく傷ついてる …」
  • もう一人の自分「そうか。課長に怒られて傷ついたんだね」
  • 自分「うん。ミスよりも同僚のいる前で怒られたことが悲しい!」
  • もう一人の自分「そうか、ミスよりも怒られているところを同僚に見られたことで凄く傷ついているんだねぇ」

 ありのままの感情を、否定もせず同意もしないで、ただ共感しながら聴いていくこの “共感的傾聴法” は、感情の交通整理の効果があるので、重い感情が解き放たれ、本来自分の中にある方向性が見えてきます。つまり感情におぼれず、自分の本当の感情や思考を俯瞰できるので、自分の中から真の答えが来やすいのです。

 体験を通して “感じる” ことで、自分の中から答えが来る… これが “自己理解” の真髄であり、この真の “自己理解” こそが「自己実現」へと着実に向かえる重要なポイントだと思います。痛みから学び、歓びから学んで、いっぱい気づき、「自己実現」への歩みを更に進めていきたいものです。

 自然な欲求を満たしていくことは、決してエゴイズムではない。
 むしろ低次の欲求が満たされると、高次の欲求へと向かい、
 それは “自己実現” さらには “自己超越” に至る人間成長に繋がっていく
 アブラハム・マズロー

*次回のコラムは2025年2月20日前後の予定です。