生き残れるものは 変化できる種である
チャールズ・ダーウィン
Column 2019 No.74チャールズ・ダーウィン
進化論を説いた「種の起源」で知られる、イギリスのダーウィンのフレーズです。「最も強いものが生き残るのではなく、また最も賢いものが生き延びるのでもない。唯一、生き残るものは、変化できるものである」…と。なぜ、絶滅する種と生き残る種があるのか…つまり厳しい環境の変化に、適応できた種だけが、進化を続けながら生き残ってきたのだ…と。このフレーズに出逢った時、私たち人間はどうなんだろう…とふと思いました。
科学者であり、JT生命誌研究館館長の中村桂子氏の「知の発見」(朝日出版社)の中で、「最初に地球上に生まれた人類は600万年ほど前です。現在の人間はホモ・サピエンスと呼ばれる、ひとつの種の仲間であることがはっきりしています。その後さまざまな人類が生まれたのですが、なぜか滅びてしまい、今残っている種はひとつなのです…」の一文がありました。ダーウインの考えから言えば、人間も、やはり厳しい変化に適応できた種だけが進化を遂げ、今の私たちが存在しているのだと思うと、とても感慨深いものがありました。
確かに、私たち周辺においても、自然環境の変化、個人の中での生活環境の変化、地域・国家・国際社会の変化…等々、私たちは日々、目まぐるしい変化の中に置かれています。特に天災を始め、身近な家族の病気・死・失業・転居・破産…等々そのストレスは並大抵ではありません。逃れることのできない、それら環境の変化に圧倒されながらも、その痛みから学び、新しい、より進化した対処方法を見つけて、人類は雄々しく柔軟に乗り切ってきました。その聡明さと変化への柔軟さがある限り人類は絶えることなく、確実に進化に向かっていくのだと思います。
以前、何かの記事で明石家さんまさんが語っていたことが、とても心に残っています。
凄いことを語る人だなあ…と思いました。息の長い役者さんは、やはりそれだけの哲学を持って生きている存在なんだ…と、しきりに感心したものです。さんまさんが言っているように、確かに自然も、宇宙も、人間を含めて生きものすべては、休むことなく進化・拡大し続けていると言われます。つまり、より高度なものに、より高次ものに…と、とどまることなく拡大・進化を続けているのだ…と。
この大原則が飲み込めるまで、私は“変化する”ということには、かなり抵抗があったような気がします。変化するということは、“私はこうあるべきだ”と頑なに信じて生きてきた自分の枠組みを、外していく作業でもあるわけで、自分の枠組みを外していくということは、とても不安で、怖いことでもあったのです。
カウンセリングの場などで感じることですが、表面上は、変化したい!…と思って多くの人は来所して来るですが、自分の枠組みを外していくことには結構、根強いこだわりがあって、決して外そうとしない。無意識ですが、本当は“変わりたくない。変わることは怖い”…と、固く思っているのです。自分自身がそうだったので、その辺りのからくりが、とてもよく解かるのです。しかし
ルカによる福音書の中で、イエス・キリストも「新しい葡萄酒は新しい革袋に…」と言っています。新しい時代を迎えるには、それまでの古いやり方ではなく、新しい時代に合った発想や方法が、絶対に必要だ…というのです。
私たちも真に変わろう、進化しよう…と思ったら、一度自分の性癖とか、思考の傾向に本気で気づく必要があります。(コラムNo73) “気づくこと”は乗り越えることであり、捨て去ることでもあります。そこで初めて、変化・進化の“途”に就くことができるのです。その辺りの道理が理解できた時から、私は果敢に自分を見つめ、捨てるべきは捨て、失敗を許しながら新しいことに挑戦し、変容していく自分に興味を持ち、初めて人生が面白く感じられるようになりました。
その頃から、自分の日常を見つめ直し、ワンパターン化している日常の事柄を、ちょっと変化させてみることにも挑戦し始めました。
日常をちょっと変化させてみるだけで、不思議なほど生き生きした感覚が生まれます。自分の枠組みをどんどん外してみる試みです。こんな小さな変化の第一歩が、人類の進化に無関係ではないと思い始めたのです。そして進化の“種子”は、人類ひとりひとりの想像と創造に満ちた“夢と歓び”の中にこそあるのだと気付いたのです。
科学者であり、JT生命誌研究館館長の中村桂子氏の「知の発見」(朝日出版社)の中で、「最初に地球上に生まれた人類は600万年ほど前です。現在の人間はホモ・サピエンスと呼ばれる、ひとつの種の仲間であることがはっきりしています。その後さまざまな人類が生まれたのですが、なぜか滅びてしまい、今残っている種はひとつなのです…」の一文がありました。ダーウインの考えから言えば、人間も、やはり厳しい変化に適応できた種だけが進化を遂げ、今の私たちが存在しているのだと思うと、とても感慨深いものがありました。
世界は変化し続けている。変化しないものは何ひとつないんだ
レオ・バスカリア
確かに、私たち周辺においても、自然環境の変化、個人の中での生活環境の変化、地域・国家・国際社会の変化…等々、私たちは日々、目まぐるしい変化の中に置かれています。特に天災を始め、身近な家族の病気・死・失業・転居・破産…等々そのストレスは並大抵ではありません。逃れることのできない、それら環境の変化に圧倒されながらも、その痛みから学び、新しい、より進化した対処方法を見つけて、人類は雄々しく柔軟に乗り切ってきました。その聡明さと変化への柔軟さがある限り人類は絶えることなく、確実に進化に向かっていくのだと思います。
以前、何かの記事で明石家さんまさんが語っていたことが、とても心に残っています。
オレ、およそ30年、芸風ぜんぜん変わってないからね。
すごくないのよ。これはあかんことなの。
人は進化する生きものとして、神様は生んでくれたわけだから…
凄いことを語る人だなあ…と思いました。息の長い役者さんは、やはりそれだけの哲学を持って生きている存在なんだ…と、しきりに感心したものです。さんまさんが言っているように、確かに自然も、宇宙も、人間を含めて生きものすべては、休むことなく進化・拡大し続けていると言われます。つまり、より高度なものに、より高次ものに…と、とどまることなく拡大・進化を続けているのだ…と。
この大原則が飲み込めるまで、私は“変化する”ということには、かなり抵抗があったような気がします。変化するということは、“私はこうあるべきだ”と頑なに信じて生きてきた自分の枠組みを、外していく作業でもあるわけで、自分の枠組みを外していくということは、とても不安で、怖いことでもあったのです。
カウンセリングの場などで感じることですが、表面上は、変化したい!…と思って多くの人は来所して来るですが、自分の枠組みを外していくことには結構、根強いこだわりがあって、決して外そうとしない。無意識ですが、本当は“変わりたくない。変わることは怖い”…と、固く思っているのです。自分自身がそうだったので、その辺りのからくりが、とてもよく解かるのです。しかし
イノベーションの戦略の一歩は、古いもの、死につつあるもの、
陳腐化したものを、計画的に体系的に捨てていくことである
ピーター・ドラッカー
ルカによる福音書の中で、イエス・キリストも「新しい葡萄酒は新しい革袋に…」と言っています。新しい時代を迎えるには、それまでの古いやり方ではなく、新しい時代に合った発想や方法が、絶対に必要だ…というのです。
私たちも真に変わろう、進化しよう…と思ったら、一度自分の性癖とか、思考の傾向に本気で気づく必要があります。(コラムNo73) “気づくこと”は乗り越えることであり、捨て去ることでもあります。そこで初めて、変化・進化の“途”に就くことができるのです。その辺りの道理が理解できた時から、私は果敢に自分を見つめ、捨てるべきは捨て、失敗を許しながら新しいことに挑戦し、変容していく自分に興味を持ち、初めて人生が面白く感じられるようになりました。
その頃から、自分の日常を見つめ直し、ワンパターン化している日常の事柄を、ちょっと変化させてみることにも挑戦し始めました。
- 朝起きて、すべきことよりも一番やりたいことを優先順位の上位に置く
- 掃除をしない日、料理を作らない日、携帯を使わない日、TVを観ない日、何もしない日を作る
- 違うジャンルの音楽・書籍・絵画に触れてみる
- お風呂に絵を貼ったり、香りを入れる
- 「大好きな海を見たいな!」と思ったら、思い切って行動する
- 珈琲を片手に花を眺めたり、空を眺めたり、夕日を眺める
- 外出先から帰って、やることの順序を変えてみる
- 仕事の出先からまっすぐに帰らず、30分から1時間、好きなカフェに寄って、珈琲を飲みながら好きな本を読んだりぼんやりする………等々
日常をちょっと変化させてみるだけで、不思議なほど生き生きした感覚が生まれます。自分の枠組みをどんどん外してみる試みです。こんな小さな変化の第一歩が、人類の進化に無関係ではないと思い始めたのです。そして進化の“種子”は、人類ひとりひとりの想像と創造に満ちた“夢と歓び”の中にこそあるのだと気付いたのです。
ディズニーランドが完成することはない。
世の中の想像力がある限り進化し続けるであろう
ウオルト・ディズニー