2021年12月20日月曜日

あなたの同意がない限り、誰もあなたを下に見ることはできないのです

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あなたの同意がない限り、誰もあなたを下に見ることはできないのです
エレノア・ルーズベルト

Column 2021 No.103

 このフレーズは、32代米国大統領フランクリン・ルーズベルトの奥様で、婦人運動家で有名だった人の言葉です。
 職場でいじめに逢ってしまう人、いつも被害者意識で生きている人というのは、まさにこのフレーズが示しているように、いじめを受ける前に、また、誰々からこうされた…という前に、実は自分自身に“自分は駄目な人間だからいじめを受けて当たり前” “人に嫌われて当たり前”…と、どこかでそれを認めている、つまり、同意をしている…というわけです。もちろんこれは無意識の選択です。

 カウンセリングの場でもよく体験することですが、自分に価値を持っている子どもは、周りの子どもから「お前死ね~や!」(いじめる子がよく言う言葉です)と、万一言われたとしても“せっかく生まれてきたのに、なんで私が死ななきゃいけんの!”と当然跳ね返します。しかし、自分で自分に価値をおけない子どもは、言われて当然…と無意識に同意していますから、その言葉を真正面から受け入れてしまいます。“価値がない自分は死んでもいいのかも…”というふうに。

あなたはあなたであればいい
マザー・テレサ

 子どもの自己価値感を育て直していくという作業はとても大変ではありますが、しかしそれは一生の宝となります。自己価値感が再構築されると、再びいじめに逢うことはありません。いじめを受け入れることに同意しなくなるからです。しかし、子どもが自分自身に価値を持てるようになるためには、まずは私たち大人が自分の人生を大切に生き、どれだけ自分に価値をおいて生きているか…が問われます。そして“見栄えのいい子どもに”…という世間軸を脱却し、“自分のペースを大切にして、ゆっくり成長していいのよ” “あなたはあなたでいいのよ”と伝えてあげることから出発です。(コラムNo58

 子どもは子どもらしく生きる権利があります。試行錯誤をする権利があります。失敗をする権利も、落ち込む権利も、這い上がる権利もあります。それこそが子どもの人生としての体感であり実感です。その体感・実感が赦されることで、初めて自分の人生が、心と身体で実感でき、それが生きる自信となって、その子なりの生き方のスタイルを作っていけるのです。

壁は自分自身だ
岡本 太郎

 “私は駄目だ。私であってはいけない”と誰よりも思っているのはあなた自身なのです。自分の思い込みが、私たちの壁となっていることに気づいて、自分自身を見直していきたいものです。

自分はこんな人間であるという思い込みが現在のあなたを作っている
池上 彰

 この思い込み(同意)は、知らず知らずに自分の生き方を決定しています。私たちは今の瞬間をどんな意識状態で生きているでしょうか。自分の心・自分の想念の多くを、何に費やしているでしょうか。一番大切な「自分軸」から離れて他人軸に向かい、他の人の動向や評価を気にしたり、他者と比較して自分の無価値感と闘ったり…と言ったような想念で、多くの時間を費やしてはいないでしょうか。怖いことですが、その無意識の想念が私たちの人生を創造していくのです。

 まず、瞬間瞬間、自分自身の想念のあり方に気づき、無意識の思い癖に気づくことがとても大切です。他人軸から自分軸に向け直すこと。今、自分はどう感じているのか、どうしたいと思っているのか、いま何がやりたいのか、その都度、明確にしていく。思考のあり方はその人にとっては長年にわたり馴染んでしまっている習慣ですから、まず気付くことからが始まりです。だから訓練が要ります。私もまだ修行中ですが、とても大切なポイントであり、それが自分を愛するということだと感じています。

 自分を愛する…ということは、自分に正直になるということです。自分から来た答えを尊重し、本当にやりたいことをやり始めることです。誰にも気兼ねをすることなく朝寝坊したり、休暇を楽しんだりジムに行ったり、新しい服や靴を買ったり、もっともっと正直に自分の心が喜ぶことをやってあげること・・・それは本当の自分を見つける為の大切な第一段階です。自分軸を強く太くする為に大切な一歩なのです。やり続けていくに従って自分の人生の目的が見えてきます。そしてやがては他者と比べない自尊心・自己価値感が再構築されていくのです。

 まずは私たち大人が“ありのままの自分・素(す)の自分で生きていいのだ”と自分自身に同意できたとき、初めて内外一致で、子どもたちにその心を伝えることができるでしょう。

あなたの尊厳は、自ら放棄しない限り、
誰も奪うことはできないのです
マイケル・J・フォックス

*次回のコラムは2022年1月20日前後の予定です。

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2021年11月20日土曜日

迷った時には自分の心が温かいと感じるほうを選びなさい

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Column 2021 No.102

 このフレーズは、日本で3人目に認められた全盲の弁護士、大胡田 誠 氏が司法試験に何度か失敗して、受験をこのまま続けるべきかどうかを深刻に迷っているとき、大胡田氏の母堂が彼に伝えた言葉です。“あなたが一番答えを知っているのよ。あなたの感度を信頼して決めなさい”…と伝えたかったのだと思います。“心が温かいと感じるほうを…”と示唆した母堂の感性の豊かさに心打たれました。頭で判断するよりも、自分の心で感じた方が自分にとっての真実が見える…ということを理解している人なのでしょう。

 私たちにもなかったでしょうか。理屈で考えて当然の選択をしたと思っているのに、なぜか気持ちがざわつく…。そんなとき、本当はどうしたいの?…と再びハートに訊くと、本当はこうしたい…と答えがきて、選択し直すと「そうそう!これこれ!」と、気持ちがすっと落ち着く。こんな経験はないでしょうか。

いちばん大切なことは 自分自身の心の声や直観に従う勇気をもつことです
スティーブ・ジョブズ

 私の祖父は、自分の気持ちを何よりも大切にすることを、心を込めて私に伝えてくれました。自分の胸に手を当てて「答えはすべてここにあるんだよ。決して外には無いんだ…」(コラムNo85)と。“答えはすべて自分の中にある…”その感じ方が徐々に腑に落ちてきた私は、道に迷った時には自分の感度を信頼して、自分からくる答えを待ちました。すると必ず答えは来ました。充分自信があるわけではないけれど、正直に自分の答えに従って生きてみました。もちろん思い通りに起動するばかりではありませんでしたが、自分が選択した答えだから、いつも生きている実感がありましたし、失敗から学ぶこともできました。

 古(いにしえ)から人間には五感(視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚)以外に“第六感”という動物的勘がある…と言われています。何の脈絡もなく心がざわつくので急いで帰宅してみたら親が倒れていて助けることができた…。何となく乗る気にならなかった飛行機が墜落して命拾いした…。いわゆる“虫の知らせ”“予知力”“気配”…のような表現をされる能力です。これらは人間に本来備わっている能力で、直感を信頼して生きている人は、特にその能力は高いと思われます。

 “第六感”は動物勘と言われるだけに、ある動物にみられる秀でた勘には驚かされます。目的地に向かって迷わず空を飛ぶ渡り鳥。地震の直前に騒ぎ立てる動物や魚類。地磁気の異常や電磁波を感知できることがその要因のようですが、私たち人間にもその感度はある筈ですが、いつの間にか鈍ってしまいました。

 以前のコラムにも書きましたが、自分の心や感情を無視しつづけると、感度はどんどん鈍り、その声はやがて聞こえなくなってしまいます。そうやって一人ひとりに与えられている天与の能力である大切な「勘」や「感度」を私たちは封印してしまったのです。

たいていの人は、本当は自分が何が欲しいのか心の中で分かっています。
人生の目標を教えてくれるのはその直感だけ。
ただそれに心と耳を傾けない人が多すぎるのです
バーバラ・ブラハム

 自身の感性への信頼がベースにあってこそ真の自立です。私たちが自分の感性をもう一度取り戻して(封印を解いて)それに信頼を置くようになったら、マスメディアや周りからの情報を、ただ鵜呑みにはしないでしょう。一人ひとりの中にある感性を信頼し始めると、ものごとの真実が見えはじめてくるからです。すべての人の中にそれが起動し始めると、世界を席巻したコロナも真の終息を見せるでしょうし、政治も経済も健全な秩序をもって整っていくことでしょう。現実を変えることは並大抵ではありません。しかし人類一人ひとりのこうした意識の変革、つまり真の自立こそが大きく社会を変えていくエネルギーとなるのです。

直感とは“自分の内より教えられる”ということです
ジョセフ・マーフィー

 「自己実現」へのプロセス(欲求段階)を唱えた米国の心理学者アブラハム・マズローは “人は一人残らず、内面奥深くに高次の自分を持っていて、無意識だが、それに統合するべき自己実現を目指して、一つひとつの階段をあがっているのだ”…と説いています。私たち一人ひとりの中にあるその高次の自分は、すべての答えを持っている…ということを、私たちは無意識レベルで知っているのです。だから私たちはそこに統合すべく、自己実現を目指して真摯に生きている存在なのです。

 学ぶことは本当に大切ですが、答えはすべて外にあると思っていると、どんどん自分軸から逸れ、感度は鈍り、真実の自分から離れていきます。マーフィーが言うように“自分の内面”に尋ねれば、その答えは必ず来るのです。今起っている問題を本当はどうしたいのか。一度しかない自分の人生において本当は何がやりたいのか…。

 自分からくる答を生きてみることは、高次の自分に一歩一歩近づいていくためのとても大切な訓練です。またそれが「自己実現」に向かう重要な要素(ポイント)でもあるのです。多くの先達・識者…はそれらのことを知っており、答えを外にばかり求めることを警告し、自身の感性を取り戻すことの重要性を唱えています。

あなたが目的地なのに なぜ旅を続けるのですか
賢者のことば

*次回のコラムは2021年12月20日前後の予定です。

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2021年10月20日水曜日

人生に、後退はない

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人生に、後退はない。
あなたの人生で起ることはすべて、
あなたをゴールへと進ませている
Column 2021 No.101

 米国のミュージシャン(故)ボブ・ディランの言葉です。私の好きな言葉です。人生には確かに後退はあります。しかし人はすべて、決してそこに留まってはいないのです。その後退があったからこそ、そこで生きて感じて、自分なりに気づいたその答えが叡知となるのです。そこで再び立ち上がり、さらにもう一歩進化して自分のゴール地点へと向かっていきます。だから決して人生には後退はないのです。

 私は過去に心を病んだ挫折体験があります。家の中に籠り、何か月も自分の魂と闘い続けた苦しい体験がありました。生きることを辞めてしまいたいと思うほどの耐えがたい苦悶の日々でした。しかしある日、立ち上がったのです。そしてそのとき私の中から、“もう他者の為だけに生きるのは辞めよう。自分の気持ちに正直に生きていこう…”という答えが、閃きのように降りてきたのです。その時の感慨を今もありありと思い出します。

 私はその経験により、人はこのように大きく後戻りしながらも、ゴールに向かって進んで行こうとしているたくましい存在なのだ…ということを学んだのです。アメリカの心理学者アブラハム・マズロー(1908~1970)も、“人間は自己実現に向かって絶えず成長しようとしている勇敢な存在なのだ”…と述べています。

くさらない おごらない 屈しない
村上 和雄

 しかし、思い通りにいかなかったら、ついくさったり、ひがんだり…、逆にうまくいっていると、つい気持ちがおごってしまったり…、自分の心は実に簡単に変容を見せます。しかし、その気変わり心変りの中でも、決して自分軸を見失わず、自分の気持ちに気づいていくことが大切なのだと思います。後はそれを愛し赦して、必ずゴール地点に向かっているのだからと、自分を励ましながら、真摯に自分と付き合っていきたい…と思っています。

私は失望などしない。なぜならどんな失敗でも
必ず次の前進への新たな一歩となるのだから
トーマス・エジソン

 失敗は回り道かもしれませんが、決して行き止まりではないのですね。失敗は痛いけれど必ず学びがある。エジソンは何度失敗しても決して諦めることなく「もういっぺん!」「もういっぺん!」と、挑戦したのです。彼は言っています。“失敗などしていない。1万回うまくいかない方法を見つけ出しただけだ”…と。そしてやがて人類に大きく貢献する発明を成し遂げたのです。

もっと遠く飛ぶための後退
ユング

 陸上・体操競技を見ても解ります。しっかり後退して助走をつけないといい結果は出せません。だから私も物事が思い通りに行かないときも、失敗したときも、間違いをおかした時も、暫くは塞いで自分と苦しい闘いをしますが、そんなときこそ決して自分から逃げない。それは大きくジャンプするための、助走のひとときだと信じて生きています。

 カウンセリングの場で、不登校の子ども達やお母さん方に沢山お会いしてきましたが、子ども達はみんな必ず立ち上がっていきます。そしてそれを体験した多くの子ども達は言います。「不登校したことに後悔はない。不登校したからこそ今がある」…と。 自分のまわりに起ることで無駄なことは、何ひとつないのです。失敗・後退を含めてすべての出来事が、その人の魂の進化にとって、一つひとつが大切な布石となっていくのですね。

道草は自己実現の王道である
河合 隼雄

 子どもが何もしないでぼんやりしているひとときや、親から見れば何の意味もないことに没頭していたり、無気力だったり、反抗したり、心配な友達と付き合ったり…これもみんな立派な道草です。実は見失ってしまった本当の自分を見つけるための回り道をしているのですね。自分の魂にとって、いま何が必要なことかが私たちは本能的に解かっているのです。マズローも言います。“人は自分にとって情報が足りないものを満たそうとします。また満たす必要があるのです。正直にそれら欲求を満たすことで、今まで見えなかった何かが見え、そこで感じて気付いて、人は必ず次のステージへと上がっていくのです”…と。

過去のどんな素晴らしいあなたよりも、如何なる今であろうと、
自分史上、今日のあなたが一番進化しているのです
賢者のことば

*次回のコラムは2021年11月20日前後の予定です。

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2021年9月20日月曜日

まわりに起き湧く現象はすべてニュートラルである

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まわりに起き湧く現象はすべてニュートラルである
賢者のことば
Column 2021 No.100

 デール・カーネギーも同じことを言っています。

人生においてすべての事柄は、プラスでもマイナスでもなくニュートラル。
良くも悪くもなく「中立」です。
見方を変え思考の癖を変えれば、世界はもっと広がるはずだ

 “まわりに起き湧く現象はすべてニュートラル(中立)である”…というフレーズに初めて出逢ったとき、私は本当の意味がよく掴めませんでした。“良くも悪くもなくすべて中立”ということが理解できなかったのです。不正を働く人、暴言暴力で人を傷つける人、子育てにおける親の無関心・虐待…等々、どう考えてもその事象が中立…とは思えない。絶対に悪いこと!…と、思っていたのです。

 私の専門は一応子育て分野なので、子どもへの“虐待や放任”をテーマに、私の友人たちと感じていることを話し合ったことがあります。ある人は「信じられない。いけないことに決まっているでしょう!」…しばらく色々な考え方捉え方が交錯していましたが、徐々に、「子どもに無関心な親になってしまったのは、その親自身が自分の親に放っておかれたからだと思う」とか、「子どもを虐待している人を間接的に知っているけれど、虐待する人もひどい虐待を受けて育っているみたいよ」…と、色々な話題に広がっていきました。

 そのとき輪の中のDさんが「虐待なんて絶対いけないこと!…と決めつけていたけれど、その人の身になると、第三者がいい・悪いは決めつけられないよね…」と話し、仲間全員が「本当にそうだよね」と共感し合ったものです。

 こうした体験により私の中で「中立」という意味が徐々に明確になっていきました。親業の講座では、子どもの行動を価値判断しないで事実だけを見る…ということを大切にしています。例えば子どもが“玄関にランドセルを置いたまま、遊びに出掛けた”とします。「ランドセルが玄関に置いてある」という事実だけがそこにある…ということです。つまり、その状況はニュートラル(中立)で、意味など全くないのです。

 その行動をみて、お母さんAさんは「遊びに行ったのね。なんと元気で素敵な子!」と見ます。お母さんのBさんは「ランドセルはすぐに自分の部屋にもっていくべきよね!」と見ます。お母さんCさんは「宿題もしないで遊びに行くなんて!」と見ます。その人その人が持っている信念や観念で、その事実の行動に意味づけを与えただけなのです。

 私たちは誰でも生きる上での信念・観念を持っています。私はそれを“その人がもっている人生の定義”と表現しています。ある人が“人生は思うようにはならないものだ”という定義をもっているとします。その結果、本来「中立」に存在している筈の人生に“人生とは思うようにならないもの”という定義が起動し、無意識に難しいものごとを引き寄せていくのです。

あなたは世界に与えたものを受けとるのです
ポール・フェリーニ

 私たちが“人生の創造者”と言われる所以です。自分の人生や世界に与えた観念・定義の結果を、私たちは受け取っているのです。もし今、あなたの人生が、自分にとって満足いくものでないとしたら、あなたが与えているあなたの人生への定義に気づき、洗い直してみる価値があります。それではその観念・定義を手放したいと思った時どうしたらいいのでしょう。

観念のパワーをなくすために特別なことをする必要はないのです。
自分が持っている観念に気づくやいなや
その観念は力をなくして中立・ニュートラルなものになるのです。
ただそれに気づきさえすればいいのです。
賢者のことば

 私の経験でも、例えば“この観念は要らない!消えていって!”というふうに接すると、信念・観念はとても手強く、執着して居座ろうとしますが、“私は自分の人生に与えている定義に気づいたわ!気づかせてくれて有難う”と、ゆったりその中にいると、いつの間にかその観念が静かに去っていくのを感じます。…というよりも、おそらく去ったのではなく“気づいたのだから、消えていってもいかなくてもOK…”といった、無意識にニュートラルな位置に立ち、それに圧倒されなくなった状態と言えるでしょう。

愛はいつでもいかなる二極性をも超越する。
愛は決してどちらにも与(くみ)しない
ポール・フェリーニ

 “合っている・合っていない”“正しい・正しくない”“ポジテイブがいい・ネガテイブは悪い”…等々、いわゆる二極性の捉え方も、私たちの先入観や思い込みから来ています。自分の見方のバイアスを認識し、ゆったりと双方の存在を赦して見ていると、自然にニュートラルな位置に立っていることに気づきます。

“頑張れ!”という優しさも“
頑張らなくていいんだよ”という優しさも、
私は両方を学んだ
小林 麻央

 小林さんに助言したAさんは“人生頑張れば結果が出るよ…”という定義を持ち、Bさんは“人生頑張らなくても何とかなるものよ…”といった定義を持った人なのでしょう。小林さんはどちらが正解?…という見方ではなく、どちらからも学んだ…という、ニュートラルな“立ち位置”に立っていることが解ります。

*次回のコラムは10月20日前後の予定です。

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2021年8月20日金曜日

心の虚しさを抱き容れる

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Column 2021 No.99

 表情が見えないマスクの群れ、呼吸が感じられないオンラインでのやり取り、和気あいあいと飲み合うことも久しくご無沙汰。心待ちにしていた友人とのランチも「どうぞ黙食で」とある。これをそのまま守っていたら、人と人とはいったいどこで繋がれるのだろう。

 心配な状況を挙げればきりがありません。まさに寒々とした時世です。このような不確かな世の中にあって、自分を見失わず、凛として生きていくために、一体私たちには何ができるのでしょうか。この不安な流れは当分収まることは見込めないし、誰に期待することもできません。

 今回のテーマはコロナで浮上した私たちの心の中にある「虚しさ」について考えてみたいと思います。私も時折訪れるこの虚しさを持て余すひとときがあります。何だか虚しい。何だかつまらない…と。私たち一人ひとりが、この虚しさといかにつき合い、心穏やかに生きる喜びを失わないで生きていくのか…は、特にいま大切な課題であるような気が致します。

 カウンセリングの場での体験です。生きる虚しさを感じている人々は、自分のハート辺りに空洞を感じると表現する人があります。固まりがあるという人もあります。そして無意識にこの空洞を埋める為に、アルコールに依存したり、誰かに愛されていることで、虚しさを忘れたいと恋愛に依存したり、働き続けることで自分の中の虚しさから逃れたいと仕事に依存したり…。依存の形には色々ありますが、虚しさを忘れたい、虚しさから逃れたいという心理だと言われています。多かれ少なかれ誰にもあるもので、無意識の穴埋め作業です。しかし何かに依存することで虚しさを埋めることは、多くの場合は難しいでしょう。

人生の答えなんて考えてわかるもんじゃない。ただその時その時を
ぎりぎり生きている奴だけにその答えは見えてくるんじゃないだろうか
藤本 義一

 その通りだと思います。彼が言うように頭で考えても答えはやっては来ません。落ち込んだままでいい、虚しいままでいい。とにかくわけがわからないままでいいから、何か行動を起こすこと。無心に行動をしているうちに、いつのまにかエネルギーが動き始める…という体験を私もしています。“何でもいい。行動をしてみること”は虚しさの対処法のひとつだと思います。

悩まない人があったとしたら、
それはもしかしたら人生じゃないかもしれない
伊集院 静

 人生は幸せであるべき、幸せであらねばならない…と、私たちはどこかで“幸せこそが人生!”といったような定義をもっていないでしょうか。このような理想を掲げることが、満たされない感覚、慢性的な不満足感の中に漂ってしまう原因になっているような気がします。人生には色々なことが起きてきます。仕事で挫折することもあれば、人間関係で挫折することもいっぱいあります。“人生幸せであるべき”といった過剰な期待が、実は虚しさや不安を増幅させてしまっているかもしれません。

 私たちは確かに人生を楽しむために生まれてきたのだと思います。そして自己実現を最終目的として生まれてきているのだと思います。その目的に向かうために、私たちの魂は、歓びの感情も悲しみの感情も、怒りの感情も憎しみの感情も、虚しさの感情も、体験して味わって気付いて、魂に落とし込んで、そして生きる智慧にしたい。つまり人生を深く生きて、自己実現に向かいたいと願っているからこそ、色々困難な人生をも無意識に引き寄せて体験し、学ぼうとしているのだと思います(コラムNo15)。私たち人間は想像以上に、忍耐と踏ん張りをもって、自己実現に向かって生きている勇気ある存在なのです。

 いま高齢者を襲う虚しさが論じられています。確かに老いるということは、人生の四苦と言われる「生老病死」すべてが関わってくるわけですから当然と言えるでしょう。若い時には理解できない深刻な虚しさの中で、しかも疾病・貧困・孤独と闘いながら、残された人生で自分は何ができるのだろう。自分に何が求められているのだろう…その問いに真剣に対峙している高齢者は多いと思います。

 私自身もその年齢の域に入り、ときに襲い来る虚しさと闘いながら「残された人生で何ができるか」を真剣に求めています。そして日々このような気持ちを大切に生きていこうと思っています。

*生きるということは当然“虚しさと共歩き”なのだと抱き容れる
*新しい体験を興味津々で迎え、今日の日を私なりに思い切り楽しむ
*無理をしないで一日一日を、とにかく感じて、そして生き切る
*社会とのつながりを、何かの形で保ち続ける
*“自分軸”をいつも意識して、決して情報に振り回されない
*周りに過剰な期待はしない。そして決して人生を諦めない
*どんな状況にあっても自分を“無条件に赦して” “無条件に愛して”生きる
*見えない大いなる世界、サムシング・グレート*をさらに理解して、生活の中に生かして生きる(* “サムシング・グレート”は、遺伝子オンの生き方で有名な分子生物学者 故 村上和雄氏の造語)

幸せの中で生きている人は、どの人も、大きな力とのつながりを
感じていて、生きていることの感謝と驚きと人智を超えた力への
畏敬の念を持っていることが共通しています
マーシー・シャイモフ

 山下義一氏の「109歳 私の幸福論」を読みました。山下氏は111歳でご逝去。周りに甘えず、自分のできることをして、命尽きるまで社会に貢献した人です。

いつまでたっても何歳になっても「われは咲くなり」の気分です。
現在109歳になりますがその気持ちはかわりません
山下 義一

*次回のコラムは2021年9月20日前後の予定です。

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2021年7月20日火曜日

慈悲の心と、人を愛する優しさを心の中に

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慈悲の心と、人を愛する優しさを心の中に
ダライ・ラマ 14世
Column 2021 No.98

 慈悲の心と、人を愛する優しさを心の中にもっていれば、
 自然と何かがあなたの内面にある扉を開いてくれます。
 それを通じてあなたは他の人々とたやすく心を通わせることができるのです。
 その温かな気持ちは人の心に開かれた心を生み出すのです。

 ダライ・ラマの言葉です。私は仏教用語であるこの「慈悲」という用語には、どういう意味合いがあるのだろうと、ずっと気になっていました。辞書によると、
“仏が衆生(生命あるすべてのもの)を憐れみ、苦を除き楽を与えようとする心”…と、説明しています。「慈」は母親が子どもを愛するような慈しみ。「悲」は衆生の苦しみを取り除いてやりたいという仏の憐みの心…とあります。

 解釈を見ても、やはりちょっと難しいな…と思いました。私流に解釈すれば、「思いやり」「心づかい」「慈しみ」「包み込む愛」…これらを一緒にしたような意味合いではないかなと思いました。

目の前の人を助けること。その人が生まれてきてよかった
と思ってくれるために自分は何ができるかが大切なのです
マザーテレサ

 マザーテレサは、病に苦しむ孤老の人や、助けの手が届かない、死が近い路上生活の人々…を、無条件に受けいれて、その人が安らかに逝けるように、最後の介護をして、一人ひとりを心を込めて看取り、見送った人です。マザーテレサの行動の底辺には、確かに「慈悲心」である思いやり、慈しみ、愛…が流れているのがしみじみと伝わってきます。慈悲の心を生きた人は、なんと気高く美しいのだろう…と、心打たれます。

 東日本大震災時の人々の行動を(報道から)思い出すことがあります。夫や妻が濁流にのまれ、自分自身がぎりぎりの状態にありながら、周りの人々を本気で気遣う人々の姿…。また急ごしらえの避難所として場所を提供し、そこにあるものを惜しげもなく差し出して、被災した人々をねぎらっていた旅館。また震災からわずか5日後、“こういう時こそ地域住民の足になるべき!”…と、被害を免れた区間を無料で運転再開した三陸鉄道。壊滅的に破壊された街中を走る列車は、人々に大きな希望を与えたと言います。お年寄りの方々が、走る列車の姿が見えなくなるまで、子どものように手を振って感謝を現わしている姿がとても印象的でした。

 自分自身の状態が身いっぱいの時ですら、人は「慈悲心」で、周りの人々をこんなに大きく包み込むことができるんだな…ということを思うとき、人間の“性善説”(人が持って生まれた性質は善であるという考え方)を信じたくなります。

今日は勘弁してくれたまえ。1文(金銭)の持ち合わせもないんだ。
こう言いつつ詩人は乞食の手をぎゅっと握った。
乞食はどんな大金をもらうよりも、詩人の手のぬくもりを感謝した
ツルゲーネフ

 ツルゲーネフはロシアの小説家です。作品名は失念したのですが、彼の作品の中のこの一節に感動してメモを残していました。この一文を再び読んだとき「慈悲心」とは、包む愛ではありながらも、全く上下関係がなく相手の心とひとつになっていく。だからこそ、相手に受け取ってもらえるんだな…ということを感じたことでした。前回、「無条件の愛」(コラムNo97)について書きましたが、無条件の愛の意味合いが、私の中でさらに深まりました。

他人に対する思いやりと共感は
私たちが差し出せる最大の贈り物です
タルサン・トルク

 私の中にある慈悲心(思いやりとか共感)が、周りの人々に、いつでもスッと差し出せるように、さらに自分自身に優しく、さらに自分自身へのジャッジやバッシングをやめていきたいと思いました。なぜなら「慈悲心」も自分自身への愛や思いやりから出発して、はじめて周りに及んでいくものだ…と感じているからです。

 しかし心の中にどんなに愛が溢れていても、表現しなければ相手には伝わりません。どんなに優しい気持ちがあっても表現しなければ、あなたの中の優しさは伝わりません。慈悲の心である「思いやり」「心づかい」「慈しみ」「愛の心」は、あなたの言葉や行動に現されて、初めて相手に伝わるものなのです。

「こころ」は誰にも見えないが、「心づかい」は見える。
「思い」は見えないけど、「思いやり」は誰にも見える
宮澤 章二

*次回のコラムは2021年8月20日前後の予定です。

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2021年6月20日日曜日

「無条件の愛」ということ

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Column 2021 No.97

 このような広く深いテーマを選んだことに自分で戸惑っていますが、なぜか今考察してみたいテーマでもありました。私たちはみんな、実は「愛」を魂の滋養にして生きているのではないでしょうか。幸せな人は、親を始め周りの人から無条件に愛されたことから本当の愛の形を学び、それが自分の魂のエネルギーや歓びに繋がり、魂を通して「他者への愛」へと広がっていった人たちだと思います。

 「無条件の愛」とは、条件付きの愛ではなく条件を付けない愛だということ。つまり、自分自身や相手の存在に何の価値判断もしない。善や悪、正しい・正しくない…という見方もしない。ただ、あるがままのその人でいることを赦している状態です(コラムNo39

こんな詩があります。

     いい子
 宿題をちゃんとやればいい子
 百点をとればいい子
 嫌いなものも食べればいい子
 朝早く起きればいい子
 お行儀が良ければいい子
 お使いに行けばいい子
 文句を言わなければいい子
 お母さんの言う通りにしていればいい子
 いつも条件付きでいい子
 僕がぼくのまんまでは いい子ではないんだなあ
 六浦 基 「カウンセリング詩」より

 “親に迷惑を掛けたり、恥ずかしい思いをさせている僕だけど、これが本当のぼくなんだよ!そのまんまの僕ではいけないの?”…と問いかけている詩です。親に気に入るようにしていれば愛されるけれど、気にいらないことをしたら、うとまれて、もしかしたら見捨てられるかもしれない…子ども達はそういう恐れを持って生きているかもしれないのです。無条件に与えられるべき「食」ですらも、つい不用意な言葉を発してしまいます。「誰のおかげで食べれると思っているの!」…のように。色々な側面で無意識に子どもに恩を着せながら育ててはいないでしょうか。

 そんな環境の中で育った子ども達は、とても自己価値感が低くて自信がなく、極端に言えば、生きていることが申し訳ない…という気もちまで引きずってしまいます。実は私たち大人も同じような環境の中で育ってしまったからこそ、無意識に子ども達にそのような教育を施してしまうのですが…。

 新しい時代が到来しようとしている今だからこそ、子ども達の心の中に、もう一度「無条件の愛」を伝え直してあげたい…。そして無価値感を抱いたまま大人になってしまった私たちをも、もう一度「無条件の愛」で包んであげたい…と切実に思うのです。

 「あなたのありのままを受け入れてるよ」とメッセージで言うのは簡単ですが、 口で伝える正論は虚しく響くだけです。親業では「無条件の愛」が強力に伝わるコミュニケーション「能動的なきき方(共感)」をお勧めしています。幼い子(7ヶ月)の事例でご紹介しましょう。親業訓練協会の事例です。

<状況>以前は転んで頭を打ったりしたとき「痛くない痛くない!お外に何か見えるよ!」と痛みをごまかしていた。そして泣き止まなかったら「男でしょ。泣かないの!」…と。こうした対応が当たり前だと思っていました。学んでからは

 子 (大声で泣き叫ぶ)「え~ん、え~ん」
 親 「頭を打って痛かったねえ」
 子 「え~ん、え~ん」
 親 「痛かった、痛かった(頭をなでる)」
 子 (泣きやんでくる。目に涙)
 親 「涙が出るほど痛かったねえ。(頭をなで続ける)びっくりしたね」
 子 (泣きやみ一人遊びに熱中する)

<母親の感想>
相手の気持ちを受けとめることの大切さを実感しました。ごまかしや命令で泣きやませたら、一見解決のように見えても、子どもにどこかストレスがかかっているだろうと思いました。“この痛みを解ってもらえないもどかしさ、やるせなさが心に残っていく”あるいは“痛みを感じない人になってしまうかも”と思うと、怖くなりました。

 泣いても辞めなさいと言わないでみる。子どもが今感じているであろう感情を、そのままに感じてあげて共感でフィードバックをしてみる。いつもできるとは限りませんが、1日1回でもやっていくことで、子どもは“僕は僕のままでいいのだ”と「無条件の愛情」を、少しずつ確実に感じ取っていくのです。それはやがて“自己価値感”や“自立心”へと、繋がっていきます。

 しかしこのコミュニケーションスキルも簡単そうですが、実は簡単ではないのです。親自身に、ある程度の自己価値感や自己受容能力がなかったら、形ではできても無意識に、つい自分の思い通りに子どもを動かそうとしてしまいます。

まず自分の幸福を大切にした上で、
相手に自然に拡がる愛が本当の“無条件の愛”です
リリ

 自分を幸せに出来ない人が他者を本気で愛することは難しいのです。だからまず自分自身を愛し、優しく接してあげましょう。私たちの多くは、他者の心の動きにはとても敏感ですが、自分自身の心の動きや感情に対しては、案外鈍感で、無神経な接し方をしてしまいます。

 例えば自分が何かに躓いて転んだとします。“つまらんねえ。ちゃんと前を見てないからでしょう!” 痛い上にこんな二重パンチを心の中で投げたりすることはありませんか。痛くてとてもせつない時に、本当は一番優しさが欲しい時に、とても自分に厳しく、憎悪と誹謗で接してしまいやすいのです。ほんの少しでもいいから、私たちの心にも愛と慈しみのまなざしで「痛かったねえ…。びっくりしたねえ…」と、優しさを表現してあげたら、私たちのハートはどんなに安らぎ、癒されていくことでしょう。

 まずありのままの自分自身を愛してあげることに心を砕いていきませんか。未熟な自分自身をそのまま赦してあげることに心を砕いていきませんか。私はこんなアファメーションを日課にしています。

どんな自分も無条件に愛します
どんな自分も無条件に赦します

*次回のコラムは2021年7月20日前後の予定です。

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2021年5月20日木曜日

あなたのコアに響くキーワードは何ですか

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Column 2021 No.96

 あなたが惹かれる言葉や、心に響く言葉は、あなたが生きていく上でのヒントであり、あなたの人生を導いてくれるキーワードかもしれません。ずっと以前、月刊誌「致知」に掲載されたある記事が、私の心にとても残ったので、切り抜いて置いていました。こんな一文でした。

 「…侍ジャパンの監督を務めた小久保裕紀さんが、イチローについて忘れられない思い出があると⦅毎日新聞⦆に書いていた。小久保さんはプロ二年目に本塁打王を獲得。だが天狗になり、翌シーズンは散々。一方イチローは三年連続の首位打者へ驀進中。その年のオールスターゲーム、外野を二人でランニング中に彼に訊いた。“モチベーションが下がったことないの?”するとイチローは私の目を見つめながら“小久保さんは数字を残すために野球やっているんですか?”と言った。“僕は心の中に磨き上げたい石がある。それを野球を通じて輝かしたい” 自分は何と恥ずかしい質問をしたのかと、顔が赤くなった。彼のひとことで私は “野球を通じて人間力を磨く”というキーワードを得た…」

 その記事を読んだとき、私の心にも同時にスイッチが入った感じでした。生きる上での私のキーワードは何だろう…と、改めて考えるきっかけになったのです。私の中のコア(核)が欲しているものは何だろう…。一度しかない人生に何を求め、どう生きたいと思っているのだろう。それをキーワードにしたら何だろう…と。

 ある人は幼い頃から次のようなキーワードを持っていたようです。
「お金持ちになる」「自由を手に入れる」をキーワードにして
幼少期の頃から強く意識していた結果、私はデザイナーとして成功したのです
作者不詳

 キーワードを模索していたら、何の脈絡もなくふっと「わたしOK!」というフレーズが思い浮かびました。取り敢えずはこれをキーワードにして、生きてみよう…と決めました。自分の思い込みを検証しながら、捨てるべきものは捨て、新しい自分をキーワードに込めながら「自分のペースでゆっくりと成長をしていいのだよ…わたしOK!」と、私が自分自身に許可を与えたのです。このフレーズは私の魂が求めていたのでしょう。自信が持てないとき、迷いが起ってきた時に、私に力をくれるのでした。

 小久保氏のメッセージで突如、スイッチが入った私ですが、確かにキーワードは、その都度、生き方に気づきを与えてくれ、自分で自分を励ますことができる効果的なツールだと思いました。あなたはどんなキーワードを持っていますか。無意識を含めて自分なりのキーワードを暖めていらっしゃるかもしれませんね。私が日頃大切に考えているフレーズをランダムに並べてみました。キーワードを捜すヒントとして参考になるかもしれません。

 「自由」「夢」「歓び」「可能性」「諦めない」「愛」
 「無条件の愛と赦し」「本気」「元気」「生きる」
 「光」「勇気」「感謝」「安らぎ」「受容」「個性」
 「祈り」「わくわく」「決断」「好奇心」「希望」
 「優しさ」「創造」「発見」「自信」「自分大切」「神」
 「無限」「宇宙」「凛として生きる」「直観」「遊び」
 「継続」「待つ」「自分軸」「平和」「未来」…等々

 ヨガなどではエネルギーは、私たちが目や意識を向けている方向に流れていく性質があると言っています。よって、あなたの人生の目標設定や、キーワードを定めると、エネルギーはそこに流れ込み、人生は自然にその方向に動き始めて、奇跡的に想いが実現する…ということも事実あるわけです。

心がすべてである。あなたは自分で考えたものになる
仏陀

 他者があなたのことを何と言おうと関係はありません。自分がいつも何を考え、何を感じて生きているのか、それが自分の人生を創っているのです。なぜなら自分の人生の創造者は自分だからです。自分をどう見ているのか、どうなりたいのか…自分の人生における定義、自分自身に対する定義…が、無意識ですが自分の人生に起動していくのです(コラムNo19

自分は自分の主人公。世界でただひとり自分を創造していく責任者
東井 義雄

 もしも今、あなたの人生があなたにとって満足できるものではないとしたら、新しい定義を創り直しましょう。いつでも生き直すことができるのです。そこからまた新しい人生が始まるのです。私たち一人ひとりには、自分が生きたい人生を生きる権利があるのです。その時にあなたが自分のために選んだキーワードはきっと役に立つでしょう。

あなたの心に従って行きなさい。そうすれば最後にはきっとうまくいく
ボブ・デイラン

あなたの人生の代わりに生きてくれる人はいない
ドリー・バートン

*次回のコラムは2021年6月20日前後の予定です。

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2021年4月20日火曜日

「断わる」行為は“自分大切”のコミュニケーションのひとつです

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Column 2021 No.95

 誰かに何かを断らなければならないことは、私たちが生きている日常の中に度々起こってきます。はっきりと断れない為に、買いたくない品物を買ってしまったり、行きたくもない所に行く羽目になったり、オーバーワークなのに仕事を引き受けたりして、悶々とする結果になったことはないでしょうか。

 「NOと言えない日本人」などと他の国からは揶揄(やゆ)されています。日本には、古(いにしえ)から礼節を重んじ、他者を尊重する文化があります。その上、日本人は一般的に控えめでシャイな国民性をもっています。よって結果的に“NOを言うことは相手に失礼なこと…”という観念があり、“NO”へのこだわりが、多くの日本人の魂に刻み込まれてしまっているのかもしれません。

 しかし他者を尊重するという背景には、相手に嫌な思いをさせたくない…は勿論ですが、嫌われたくない…という恐れも潜んではいないでしょうか。

“やります”“できます!”…と、なぜ安請け合いをしてしまうのか。
それはあなたの中に“好かれたい病”があるからです
中田 敦彦

 一度しかない私たちの人生、人に嫌われたくない…という理由だけで安請け合いをして、あなたの大切な時間を費やし、自分が本当にやりたいことをやらないで人生が終わったとしたら、何と悔しいではありませんか。断ることへのこだわりの理由はまだあります。

 断ることへの罪悪感
 相手の気持ちを汲み過ぎる
 断ることは“我がまま”だと思える…等々

 断ることは決して我がままではありません。罪悪感も要りません。自分の人生に責任が持てるのは自分自身だけです。本当に断りたいときに、率直に断る意志を表現していくことは、自分の人生を意義あるものにし、満足できる人生を創造する上で大変重要なコミュニケーションなのです。

 気の進まない誘いなど、お断りしたいな…とあなたが思うとき、相手に不愉快な思いを与えずに断る方法を簡単にご紹介しましょう。親業訓練協会主宰の「人間関係講座」で提供しているスキルの一部です。

 断る“理由”と“意志”を相手に明確に伝えます。例えば
「せっかくお誘い頂いたのですが、仕上げたい仕事がありますので(理由)行かないことにします(意志)」
「いま病人を抱えていますので(理由)役員は引き受けたくない(意志)のです」

 これからもおつき合いを続けていきたい人へのお断りは、このように必ず理由を伝えることを忘れないで下さい。付き合いの無い人からの勧誘などには、むしろ理由をつけないで意志だけで断ります。理由をつけると、それに乗っかってこられる羽目に陥ることがあります。
「貴金属は買うつもりはありません」
「興味がないのでその集まりには参加しません」 
「寄付はお断りします」

 一般に断りにくいとされているのがお金の貸し借りです…。

人は通常、金を貸すのを「断る」ことによって友を失わず、
金を貸すことによって、たやすく友を失う
ショーペンハウエル

 「親への仕送りや、新築のローンの支払いで手いっぱいなので(理由)お金は貸したくない(意志)のです」

 お金を“貸す”“貸さない”はその人の判断ですが、情に流されたり嫌われることへの怖れから動いてしまうと、ショーペンハウエルのいう、落とし穴に落ち込む結果になる可能性は大きいのです。

 さて、子どもがまだ小さい頃、ママ友のひとりがこんなことを言っていたのを思い出しました。「先日、近所で親しくしている奥さんとお店でばったり逢ったのね。そしたらその人が“午後から~があるの。子どもを預かってくれない?”って言うの。急なのでちょっとパ二くってしまって、つい「あ・あ~いいわよ…」と引き受けてしまったのよね。後で思い出したんだけど自分にもその日出掛けていかなければいけない用事があって、預かった子も一緒に連れていかなければならない羽目になったのよ。何だかむしゃくしゃしたわ…」

 焦って返事をすると、こういう事態に自分を巻き込んでしまうことがあります。その場では決して即答をしないことです。「ごめんなさい。予定をにらんであとでお返事させてください」と、ひとまず伝えます。ひとりになってあなた自身の本当の気持ちを感じてみて下さい。そしてあなたの本当の気持ちにぴったりとした表現で、断るなり引き受けるなりすることです。安請け合いしてしまうと、相手のこういうタイプの人はまた同じように甘えてきます。

 勿論「はい」と言って引き受けることも人間関係には必要です。しかし弱さからいつも自分に不正直に好意的な返事をしていると、やがて自分自身を見失う結果になります。

大切なのは自分への思いと他の人への思いやりが、
あなたにとって快適なバランスを保っていることです
リンダ・アダムス

*次回のコラムは2021年5月20日前後の予定です。

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2021年3月20日土曜日

自分のために笑顔をする

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Column 2021 No.94

 心からの笑顔は本当に素敵です。心からの笑顔に出逢ったら一日中幸せな気持ちになります。心にエネルギーが湧いてきます。心からの笑顔には人を元気にする不思議なパワーがあります。

 逆に笑顔の消えた顔に出逢うと、大丈夫かなあ…と心配になったり、不機嫌な表情に出逢うと、自分の気持ちも意気消沈することがあります。人は繋がっているからです。ゲーテは「人間の最大の罪は不機嫌である」と言っていますが、確かに理由もわからず身体から不機嫌を醸し出している人の傍にいると、こちらの感情も混乱し、エネルギーも衰退してきます。

 今回は“笑顔”について考察してみたいと思います。笑顔の背景には色々な動機があります。

* 相手に不愉快な気持ちを与えないように笑顔をする
* 自分の感情を隠すために笑顔をする
* 自分の気持ちを鼓舞するために笑顔をする
* 心が喜んでいるから自然に笑顔になる


相手に不愉快な気持ちを与えないように笑顔をする

 他者のために笑顔をする…これはいい人を演じている人に多い笑顔で、八方美人タイプです。しかしこれは本人がとても疲れるので、どこかでバランスをとらなければいけなくなるでしょう。八方美人的な人が、けっこう家族に不機嫌なのはそのためです。


自分の感情を隠すために笑顔をする

私は笑顔の絶えない顔は嫌いです。
そんな顔を目の前にすると、途端に居心地悪くなる。
人生笑ってばかりもいられないでしょうと思ってしまいます。
中島 義道

 本人にとっては無意識だと思いますが、自分の本当の感情に気づいていないか、気付いていてもその感情が受け入れられないと、本当の気持ちを笑顔でカモフラージュしようとします。無意識でやっている場合が多いのですが、やはり相手にどう思われるか…の怖れが底辺にあるのです。このタイプの人に、私も時に出逢うことがありますが、その人の“素(す)の顔”が見えないので、結構もどかしい気持ちになります。


自分の気持ちを鼓舞するために笑顔をする

落ち込むことがありますが、そのときあえて
笑顔を作るようにすると前向きな気持ちになれるのです
大地 真央

 他者のために笑顔をするのではなく、自分のために笑顔を心掛けることは大事だと思います。アンネ・フランクはユダヤ人迫害に逢い、屋根裏の隠れ家に住みながらそこで書いた日記の中に“つらい時の特効薬は心から笑うこと…”とあります。自分の心の不安・恐怖を、健気にも笑いで鼓舞し続けていたことが伝わってきます。


心が喜んでいるから自然に笑顔になる

 私自身もこの心からの笑顔を目指しています。自分の心が喜ぶことをして、自身の欲求を満たしていけば、人の為に笑顔を作ったり、自分の感情を隠すための笑顔をする必要もないでしょう。欲求充足をして機嫌のいい人になったら周りの人も必ず平和になります。人類一人ひとりが、真実の笑顔を取り戻していったら地球は一気に平和になるでしょう。

 さて、私は今の時世で、とてもさみしく残念に思っていることがあります。新型コロナウイルスの蔓延で、致し方なくマスクをしていなくてはならない事情に…です。講座の中でも受講者の方々はみんなマスクです。その人が今どんな表情でいらっしゃるのか分からないまま講座を続けるのは虚しいものです。友人と会ってもマスクの下の表情が見えないのは、何だか壁の前で話しているような寂しさを感じます。一日も早く平安な世相が戻ってきますようにと祈りたい気持ちです。

 一方、マスクの中はある面、外部に見られることのない安全場所です。だからマスクの下では口角を下げて不機嫌な表情をしていても分かりません。するとつい筋肉は楽な方向に流れて、皮膚は自然に下に下がってしまうことにもなりかねません。私は“日常的にマスク”…という事情の中で面白いことをやり始めました。今回は「笑顔」がテーマですが、私は“このコロナの時期だからこそ出来るだけ楽しく過ごしたい”という意図をもって、以前からマスクの下でしっかりと“ひとり笑顔”を心掛けているのです。しかし時々忘れますが(笑)

 これはいろいろな側面でとても効果的です。マスクなしではずっと笑顔をして街中は歩きにくいものですが、マスクの下なら一日中笑っていても平気です。それに不愉快なマスクでも笑顔をしていると、何だか世界がちょっぴり楽しく見えてくるから不思議です。口角もちょっと上がってきたかな(笑)…という感じです。

楽しいから笑うのではない。笑うから楽しいのだ
ウイリアム・ジェームズ

僕は人が笑ってほしい時に笑いません。自分が笑いたいから笑います
イチロー

*次回のコラムは2021年4月20日前後の予定です。

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2021年2月20日土曜日

天は自ら助くるものを助く

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天は自ら助くるものを助く
サミュエル・スマイルズ
Column 2021 No.93

 冒頭のフレーズはラテン語の古い諺で、1858年にスマイルズが「自助論」を出版し、その冒頭に引用したことで世に知られました。私自身にも、とても心に鳴り響いているフレーズです。

天は自ら行動しないものに救いの手を差し伸べない
シェイクスピア

 人間関係の中でも、その人に降りかかっている問題を自分の問題として捉え、何とか解決したい…という欲求を持っている人は援助しやすいのですが、自分で解決できないと決めて、他者に依存している人を助けることは困難です。ましてや、天(自然・見えない大いなる存在・神…等々)は自助の意志がない人を助けることはしないでしょう。その人の為にもならないからです。

 ところが、この「天」の解釈はとても難しいと思います。私の家族は私が幼い頃から朝晩お仏壇にお参りする習慣のある家でした。そして家族の誰かが「お天と様はいつも見とられるぞ!」とよく口にしていましたので、目に見えない存在のことは、よく分からないままですが、当たり前のように理解し自然に受け入れていたように思います。

 歴史に名を遺す賢者たちも、目に見えない存在を「天」という表現で現し、畏敬の念を抱いていたことが伺えます。

ひとを相手とせず、天を相手とせよ。天を相手とし己を尽くし
人をとがめず、わが誠の足らざるを尋ぬべし
西郷 隆盛

また日本人にもなじみ深い故事があります。この故事に付随して、松下幸之助氏は次のように述べています。

人事を尽くして天命を待つ
出典:中国

“人事を尽くして天命を待つ”という言葉がある。まことに味わい
深い言葉である。私心に捉われることなく、人としてなしうる限り
の力を尽くして、その上で静かに起こってくる事態を待つ…

 さて「天」の解釈はひとまず置いて、「天は自ら助くるものを助く」の中の“自ら助くるものを助く”…辺りに焦点を置いてみたいと思います。西郷隆盛は“…自分ができる限りの力を尽くし、自分の非を他人のせいにしないで、自分がいま、誠心誠意尽しているか否かを天に尋ねよう…”と言っています。

 松下氏は“…自分の利益だけを考えるのではなく、自他を想って自分が出来うる限りのことをして、あとは心静かに起る事態を迎えよう…”と。いずれも他者に依存せず、自分自身の責任において、出来うる限り力を尽くしたのちに、あとは天の意思にお任せしよう…述べているのです。

自らを助けないものを救おうとしても無駄だ。ハシゴを自分で
登る意志が無いものを他人が押し上げることはできない
アンドリュー・カーネギー

 「シンデレラコンプレックス」という用語がメジャーになった時期があります。女性の潜在意識にあると言われる“依存的願望”を指摘したシンドローム(症候群)の名称で、米国の女性作家コレット・ダウリングが提唱した概念です。ある日、白馬に乗った王子様が突如、あなたの目の前に現れて、惨めな境遇にあるあなたを見初め(みそめ)て、白馬に乗せて宮殿に…。つまり他者によって救われたい、守られたい…という、女性に多く見られる依存的な心理的願望を示しています。

 しかし今回の冒頭のテーマが示すように、自分自身を幸せにする力は自分にしかありません。自分の幸せを第三者に依存している人には、天は助けの手を伸ばさないであろうし、万一、玉の輿に乗って宮殿に入っても、いったんは幸せを手に入れたかのように見えても、自分自身で自分を幸せにする力量が無いので、豪華な宮殿の中で一日中「さみしい、さみしい…」と王子様に愚痴をこぼすに違いないのです。 私たちを本当に幸せにするのは王子様ではなく、私たち自身なのです。

自分の人生を主役で生きる人は、自分はこの人生で何が得たいのか。どう生きていきたいのか。自分の欲求を明確に持っています。それを満たしていく為に決して周りに期待せず、自分で果敢に行動を起こし、手に入れていこうとします。“棚からぼたもち”という諺もありますが、自分の欲求に沿って、そのぼたもちを有効に取り入れ、自身の人生を更に広げていける人であれば、そのぼたもちも意味をもってくるでしょうが、一瞬の幸運“棚ぼた”を期待して生きている人は本当の幸せを実感しないままに人生を終えてしまうことになるかもしれません。

 「依存」のループから抜け出すことが大切です。そのためには、まず自分の依存性に気づくことからが出発です。自分自身の中の「依存」という思いの習性に気づくのです。周りに起き湧くできごとは、周りが原因ではなくあなたの思いの習性があなたの人生を創っていることに、本気で気付くことです。そのからくりをとてもうまく現している寓話があります。取り上げるのは数度目ですが、再び取り上げてみます。

 ある村から新しい村に引っ越してきたA夫人が、その村で一番尊敬されているという長老に尋ねました。

 A婦人「長老さま この村の人たちはどんな人たちですか」
 長 老「前に住んでいた村の人たちは、どんな人たちでしたか」
 A婦人「とても嫌な人ばかりなので、引っ越してきたのです」
 長 老「それなら多分ここも同じです」

 なかなか示唆に富んだ寓話です。周りの環境を変えても、その人が持っている感情や、信念・定義(思いの習性)が変わらない限り、同じ環境を創っていくだろう…というわけです。自分の人生を創造できる者は、周りには決していないのです。私の人生の創造者はわたし! つまり“私の人生の主役はわたし”なのです。


*次回のコラムは2021年3月20日前後の予定です。

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2021年1月20日水曜日

自分のものさし 相手のものさし それぞれ寸法がちがうんだな

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自分のものさし 相手のものさし
それぞれ寸法がちがうんだな
相田みつを
Column 2021 No.92

 相田みつを氏がいう「ものさし」とは、“価値観の捉え方”のことを指しており、ものさしと言えども、一人ひとりの目盛りが違う(感性が違う)ので、価値観の感じ方、捉え方には幅がある…ということを、ユーモラスに表現しているわけですね。「価値観」とは、一人ひとりの、ものの感じ方・信条・趣味・人生観…等々を言い、何を選び、どう感じるかについては、第三者に影響を与えない限り自由に選択できる権利を有するものです。

 親業では、誰かと“価値観の対立”が生じた場合、それに権力(暴力・脅迫・命令・侮辱・非難・講義・説教…等々)を使うと、親子であっても関係性は大きく損なわれていく危険性をはらんでいると唱えており、力を使わない係わり方を提供しています。ずっと以前、TVのコマーシャルにお父さん(武田鉄矢)が登場して「どんなに嫌われても、自分が正しいと思うことは子どもに押し付けます。うるさいおやじほどあったかい…」というフレーズがあって、当時とてもヒットしたのですが、しかしこれは絶対にうまくいきません。

 親に迷惑をかけていることであれば、子どもは厳粛な気持ちでそれを受け止めて、行動を変えようとしますが、「あの友達とは別れなさい!」「その格好は何だ!」「好きなことばかりして生きていけると思ったら大間違いだ!」「勉強ができないで厳しい世の中を生きていけると思ってるのか!」…等々。親に具体的な影響(迷惑)を与えていないと子どもが感じていること、つまり“価値観”に関して権力を使われると、相手が親と言えども、子どもは猛然と戦います。

 しかし親ですから、我が子が心配な友達と付き合っていればやはり心配ですし、勉強をやらない子供を見ると将来大丈夫かなあ…と心配するのは当たりまえですよね。ただ、それを権力で接することが危険なのです。以前出逢った青年が言いました。「こっちの言い分は一切聞かないで、いっぱしの正論を押し付けて、教育したつもりでいる。いつもやりきれなさが残る…。いつかやっつけてやりたい気持ちがあるが、正直言ってもういい!係わりたくないという気もちが強い…」と。

 親業を学ばれたあるお父さんと、お子さんとのやりとりです。次のような会話であればどうでしょう。(おやぎょう機関誌掲載)

 父「宿題はしたのか」
 子「してない」
 父「宿題をしていかないと、お前が先生に叱られはしないかと心配だよ」
 子「心配しなくてもいいよ」
 父「そうか、心配いらないのか」
 子「うん、あとでやるから」
 父「やるつもりなんだな」
 子「ああ、そうだよ。叱られたくないもん」
 父「安心したよ」

 父親は権力を使わないで、ただ正直に心配な気持ちだけを伝えています。そして子どもからの言い分に対しても、決して押さえこんだり、無視することなく共感で返しています。親業で大切にしている価値観の伝え方のひとつです。

知識は多いほどいい。知らないより知っていた方がずっといい。
けれども、固定観念と先入観は“百害あって一利なし”
野村 克也

 私たちは幼い頃から、親や周りから刷り込まれた価値観によって、無意識にそれに応えようと、自分に厳しく真面目に、切磋琢磨して生きてきました。しかし一生懸命に生きて来たはずなのに、人生がどんどんつまらなくなってきた…ということはなかったでしょうか。「真面目に努力しないと幸せになれないよ」「人生はお前が考えているような甘いもんじゃないぞ」…といった親や世間から刷り込まれた価値観に完璧に嵌ってしまって、本当は自分がどう生きたいのか、何をしたかったのか…が分からなくなってしまい、人生の迷い子になってしまった状態です。

定説に捉われてはいけない。それは他の人の考え方を生きていくことだ
ステイーブ・ジョブズ

 親業では“欲求充足こそ人生の目的です”と提言していますが、これまでとは異なる価値観に接したとき、頭では納得できるけれども、刷り込まれた価値観との軋轢が起って、なかなか行動に移せず、楽しむことができない…という気もちをよく聞きます。私自身も体験しているのでその気持ちは痛いほど解ります。

 本当は私たちの人生は可能性に満ち満ちているのです。どう生きていきたいかを選択する“自由と権利”があるのです。何だか生きづらい、生きることが何だかつまらないと感じる…とき、私たちは知らず知らずに、古い価値観や観念に縛られて生きているのです。このことにはっきり気付くことが大切です。

 自分が頑なに信じてきた価値観や観念をもう一度しっかり眺めて、自分にとって本当に心地いいものかどうかを調べてみましょう。気づくことは、洗い直しをすることでもあり、乗り越えることであり、自分軸をしっかり取り戻すことでもあります(コラムNo85

人によって、価値観や好みは異なるわけですから、幸せの形も違ってあたりまえ。マスコミや世間が押し付けてくる幸せの基準を、ちょっと脇にどけて、一度じっくり考えてみて下さい。自分はほんとうは何が好きなのか。何をしているとき幸せだと感じるのか。気持ちよく生きていくために何が必要で、無くても困らないものは何なのか。どんな自分になりたいのか…とね
斎藤 茂太

*次回のコラムは2021年2月20日前後の予定です。

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