★2021年の講座予定を公開中です★ ✨ 2021年 講座開講スケジュール
まわりに起き湧く現象はすべてニュートラルである
賢者のことば
Column 2021 No.100
デール・カーネギーも同じことを言っています。
人生においてすべての事柄は、プラスでもマイナスでもなくニュートラル。
良くも悪くもなく「中立」です。
見方を変え思考の癖を変えれば、世界はもっと広がるはずだ
“まわりに起き湧く現象はすべてニュートラル(中立)である”…というフレーズに初めて出逢ったとき、私は本当の意味がよく掴めませんでした。“良くも悪くもなくすべて中立”ということが理解できなかったのです。不正を働く人、暴言暴力で人を傷つける人、子育てにおける親の無関心・虐待…等々、どう考えてもその事象が中立…とは思えない。絶対に悪いこと!…と、思っていたのです。
私の専門は一応子育て分野なので、子どもへの“虐待や放任”をテーマに、私の友人たちと感じていることを話し合ったことがあります。ある人は「信じられない。いけないことに決まっているでしょう!」…しばらく色々な考え方捉え方が交錯していましたが、徐々に、「子どもに無関心な親になってしまったのは、その親自身が自分の親に放っておかれたからだと思う」とか、「子どもを虐待している人を間接的に知っているけれど、虐待する人もひどい虐待を受けて育っているみたいよ」…と、色々な話題に広がっていきました。
そのとき輪の中のDさんが「虐待なんて絶対いけないこと!…と決めつけていたけれど、その人の身になると、第三者がいい・悪いは決めつけられないよね…」と話し、仲間全員が「本当にそうだよね」と共感し合ったものです。
こうした体験により私の中で「中立」という意味が徐々に明確になっていきました。親業の講座では、子どもの行動を価値判断しないで事実だけを見る…ということを大切にしています。例えば子どもが“玄関にランドセルを置いたまま、遊びに出掛けた”とします。「ランドセルが玄関に置いてある」という事実だけがそこにある…ということです。つまり、その状況はニュートラル(中立)で、意味など全くないのです。
その行動をみて、お母さんAさんは「遊びに行ったのね。なんと元気で素敵な子!」と見ます。お母さんのBさんは「ランドセルはすぐに自分の部屋にもっていくべきよね!」と見ます。お母さんCさんは「宿題もしないで遊びに行くなんて!」と見ます。その人その人が持っている信念や観念で、その事実の行動に意味づけを与えただけなのです。
私たちは誰でも生きる上での信念・観念を持っています。私はそれを“その人がもっている人生の定義”と表現しています。ある人が“人生は思うようにはならないものだ”という定義をもっているとします。その結果、本来「中立」に存在している筈の人生に“人生とは思うようにならないもの”という定義が起動し、無意識に難しいものごとを引き寄せていくのです。
あなたは世界に与えたものを受けとるのです
ポール・フェリーニ
私たちが“人生の創造者”と言われる所以です。自分の人生や世界に与えた観念・定義の結果を、私たちは受け取っているのです。もし今、あなたの人生が、自分にとって満足いくものでないとしたら、あなたが与えているあなたの人生への定義に気づき、洗い直してみる価値があります。それではその観念・定義を手放したいと思った時どうしたらいいのでしょう。
観念のパワーをなくすために特別なことをする必要はないのです。
自分が持っている観念に気づくやいなや
その観念は力をなくして中立・ニュートラルなものになるのです。
ただそれに気づきさえすればいいのです。
賢者のことば
私の経験でも、例えば“この観念は要らない!消えていって!”というふうに接すると、信念・観念はとても手強く、執着して居座ろうとしますが、“私は自分の人生に与えている定義に気づいたわ!気づかせてくれて有難う”と、ゆったりその中にいると、いつの間にかその観念が静かに去っていくのを感じます。…というよりも、おそらく去ったのではなく“気づいたのだから、消えていってもいかなくてもOK…”といった、無意識にニュートラルな位置に立ち、それに圧倒されなくなった状態と言えるでしょう。
愛はいつでもいかなる二極性をも超越する。
愛は決してどちらにも与(くみ)しない
ポール・フェリーニ
“合っている・合っていない”“正しい・正しくない”“ポジテイブがいい・ネガテイブは悪い”…等々、いわゆる二極性の捉え方も、私たちの先入観や思い込みから来ています。自分の見方のバイアスを認識し、ゆったりと双方の存在を赦して見ていると、自然にニュートラルな位置に立っていることに気づきます。
“頑張れ!”という優しさも“
頑張らなくていいんだよ”という優しさも、
私は両方を学んだ
小林 麻央
小林さんに助言したAさんは“人生頑張れば結果が出るよ…”という定義を持ち、Bさんは“人生頑張らなくても何とかなるものよ…”といった定義を持った人なのでしょう。小林さんはどちらが正解?…という見方ではなく、どちらからも学んだ…という、ニュートラルな“立ち位置”に立っていることが解ります。
*次回のコラムは10月20日前後の予定です。
★2021年の講座予定を公開中です★ ✨ 2021年 講座開講スケジュール
下村先生、こんばんは!
返信削除今回の「ニュートラル」のコラムから、これまで親業で学んできた内容を振り返り、整理し直すことができました。
・価値判断をつけず事実だけを見ることが、中立・ニュートラルの位置に立つということ。
・自分の人生に対する定義(信念や観念)が無意識のうちに起動して、その定義に合った結果を引き寄せるということ。
・自分の信念や観念を洗い直して、自分がとらわれていた観念に気づくだけで、すでにその観念に圧倒されなくなった状態、つまり、中立・ニュートラルの位置に立てたということ。
今月のコラムへの投稿を考えていた時期と、来年度の人事希望を提出する時期が重なりました。
自分の心をじっと見つめていたら、数年間とらわれていた自分のこだわりに気づき、その事項を削って提出しました。
直後は少し確信が持てなかったけど、今心が軽くなりとてもすっきりしています。すっきりしてるってことは、この件に関して中立・ニュートラルな位置に立てたということではないだろうか?そう思ったことでした。
もふピヨakiさま
削除もふピヨさんは今回のコラムの内容を3点に絞って整理して下さっています。今回のコラムの内容は読んでくださる方々に届くかしら…と、個人的にちょっと心配していましたが、もふピヨさんのコメントを拝見して、ほっと致しました。私がこのコラムでお伝えしたいと思っていた要点が、もふピヨさんの3点にしっかりと網羅されていたからです。感謝です!
そうでしたか…。来年度の人事希望提出の時期に重なったのですね。ご自分の本当の気持ちをまっすぐに見つめてみられたのですね。するとこれまでの自分のこだわりに気づき、思い切ってそのこだわりの部分を切り捨ててみられた!幾らか戸惑いはあったけれど、気持ちが軽くスッキリされているのですね!
正しい間違っている…の価値判断がなく、こだわりのない状態がニュートラルな立ち位置に立っている状態です。ただ「在る」の状態です。もふピヨさんは今その位置に立っていらっしゃのだと感じています。
ニュートラルについて深く感じてくださって感謝です!有難うございました。
下村先生、こんにちは!
返信削除今回のコラムを読んで、気持ちが整理できました。ありがとうございます。
最近、職場で協力的でない同僚に対して不満を持っていました。
その同僚を理解しようといろいろ考えましたが、答えがでないので
「他人を変えることはできない」とあきらめていました。
しかし、先生のコラムを読んで、私が価値判断をつけていたんだと気付きました。
思うようにならない時こそ、自分の価値判断に気付くチャンスなのですね。
ありがとうございました!
Rika Hayashibaraさま
削除Rikaさん 返信が大変遅くなりました。
そうでしたか…。職場のある人に対して ”この人は何故こんなに協力的でないんだろう!”…と、Rikaさんはイライラしたり、不満を抱えたりされていたのですね。その人の気持ちを理解しようと努力もされながら、でも最終的には「他人を変えることはできないよね」という諦念に至っていらしたのですね。
私たちは無意識に周りの人に対して “こうあるべきよね” とか “この人どうして〜なんだろう”…のように、自分が持っている人生の定義に合わないと、相手がおかしい…と、価値判断をしてしてしまいがちですよね。自分の価値観は万能!…と、どこかで信じているんですね。
しかし、”起きわいている周りの出来事は良くも悪くもなくすべて中立”…と言うことを学んだ時、その発想の転換に戸惑いますよね。でも真実なんですね!本来はニュートラルな相手の行動を、自分の色眼鏡で判断して、正しい正しくないとレッテルを貼って自分の中で葛藤を経験していたのですね。
自分に影響がある(迷惑がかかっている)相手の行動には、自己表現で伝える権利があります。その場合、価値判断は脇において、”事実の行動だけを見る” ”その一つの行動だけに対処” していく。本当にシンプルですし、効果的です。
Rikaさんの最後の「思うようにならない時こそ、自分の価値判断に気付くチャンスなのですね」…の一文には大共感でした!
「まわりに起き湧く現象はすべてニュートラルである」親業で最初の頃に習う事実を価値判断せずに見るということですよね。
返信削除事実を価値判断せずに見てどう感じるか········
ポジティブな感情もネガティブな感情も感じ切って
ニュートラルな位置にいること。
この連続が幸せな自分に繋がるように思いました。
混乱していましたが整理できたように思います。
有り難うございました。
MOONさま
削除おっしゃっている通りです!
周りに起きわく全てのものごとは、いいも悪いもなく、全て中立(ニュートラル)で、ただ「在る」のですね。そう、親業講座の初日に ”子どもの行動をいっさい価値判断しないで見つめ、表現してみる” ということを学習しましたよね!そこで私たちがいかにバイアスをかけて相手を見ているか…に気づきました。
おっしゃる通りで、全て正しい正しくないはないので、ポジティブな感情もネガティヴな感情も、双方そのままに受容して、ただ「在る」状態で見ていく。それがニュートラルな位置にいると言うことですね。
価値判断の世界にいると、本当に生きづらいですものね。もし私たちがいつもニュートラルな世界にいることが出来たら、MOONさんがおっしゃるように、本当に幸せな日常が実現することでしょうね。