Column 2014 No.9
過去に生きるのはよそう。今を生きよう。
食べているときには食べ、愛しているときには愛そう。
誰かとおしゃべりをしているときにはしゃべり、
花を見ているときには花を見よう。
そしてその瞬間の美しさをつかみとろう。
- レオ・バスカリア -
今を生きることの美しさをみごとに表現していますね! 確かに過去はすでに去っていった人生。未来はいまだ来ぬ人生・・・・。そう考えると、まさに「今」だけが現実であり、躍動している命が感じられる瞬間です。そしてこの瞬間こそが輝きの瞬間であり、変容の鍵でもあるのか・・・と。
今だけに視点をすえて生きる
しかし簡単なようで、なかなか簡単ではありませんよね。もう過去は手放したいと思っているのにジグジグと引きずったり、その上、まだ来てもいない未来を、まるで現実に起こっているかのように、不安と恐怖でしっかりとイメージして怯えて待っている。私たちは自分の人生の創造者ですから、無意識ですが、結果的にはイメージ通りの望まぬ人生を創造していくことになる・・・・。
私はいま“この瞬間を生き切ることの実感”を得たいと本気で挑戦している者のひとりです。どうもこのあたりに、生きる意味の本当の答えがありそうだと! しかし、ネガテイブな感情を手放すところでちょっと手間取ったり、特に過去の思いの癖(習い性)を手放すことはなかなか容易ではありません。
以前にも書きましたが、私の祖父は仏道を真摯に求道していた人でした。
彼は常住坐臥「南無阿弥陀仏・・・」とお念仏を唱えていました。あるとき私は、その理由を祖父に尋ねたのです。祖父の答えから私なりに理解したことは、お念仏を唱えることで、祖父は日常のさまざまな想念や捉われを解放していたのでは・・・と。
つまりお念仏は祖父にとっての想念を放つためのひとつのツールのようなものだったのではないか…と。(祖父にとっては本当は感謝とかもっと深い意味があったと思いますが)“思考も訓練のたまものです”と以前のコラムにも書きましたが、確かに祖父は捉われのない人で、価値観にも幅があり、そして機嫌のいい人でした。
前回のコラムから再び日木流奈君のメッセージを・・・・
「・・・・不安や恐れは思いと反対の結果を生み出します。希望を持ち、大丈夫、大丈夫といい続けましょう・・・・」
“大丈夫、大丈夫!”は流奈君お勧めの強力なツールです。
きっとネガテイブな感情を手放すことには、それだけの意気込みが要るのですね。
私は“有難うございます!”を多くツールにしています。“ツイている!ツイている!”でも“必ずよくなる!”でも自分に馴染むものならなんでもOK!だと思います。ツールに万全の思いを託して、ネガテイブな感情を本気で手放したつもりになる!“そのつもりになる”・・・がポイントです。
ある脳学者の書いた本の中にこういう表現がありましたよ。
「・・・・実は脳はだまされやすいのです」と。ネガテイブなものであろうとポジテイブなものであろうと、あなたが思考したとおりに、脳は判断しないで受けとり現実化していきます・・・・と。 こわいですねえ・・・。
そのためにも自分が“生きたい人生を、持ちたい感情を脳に信じ込んでもらう”日まで(笑)思考の訓練を重ねて、バスカリアのいう“今の瞬間の美しさ”をつかみとれる自分になりたいものと心から切望しています。
これからもきっと何度も訪れてくるであろうネガテイブな感情を、しっかりと感じ受けとめ、そしてツールの力を借りながら優しく、しかし毅然と手放していきたいと思っています。
きのうはヒストリー あしたはミステリー きょうはプレゼント
- 作者不詳 -
まさに現実は今だけ! 今を生きる真の醍醐味に目覚めたいものです!
*次回のコラムは7月10日前後の予定です。