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Column 2021 No.97
このような広く深いテーマを選んだことに自分で戸惑っていますが、なぜか今考察してみたいテーマでもありました。私たちはみんな、実は「愛」を魂の滋養にして生きているのではないでしょうか。幸せな人は、親を始め周りの人から無条件に愛されたことから本当の愛の形を学び、それが自分の魂のエネルギーや歓びに繋がり、魂を通して「他者への愛」へと広がっていった人たちだと思います。
「無条件の愛」とは、条件付きの愛ではなく条件を付けない愛だということ。つまり、自分自身や相手の存在に何の価値判断もしない。善や悪、正しい・正しくない…という見方もしない。ただ、あるがままのその人でいることを赦している状態です(コラムNo39)
こんな詩があります。
いい子
宿題をちゃんとやればいい子
百点をとればいい子
嫌いなものも食べればいい子
朝早く起きればいい子
お行儀が良ければいい子
お使いに行けばいい子
文句を言わなければいい子
お母さんの言う通りにしていればいい子
いつも条件付きでいい子
僕がぼくのまんまでは いい子ではないんだなあ
六浦 基 「カウンセリング詩」より
“親に迷惑を掛けたり、恥ずかしい思いをさせている僕だけど、これが本当のぼくなんだよ!そのまんまの僕ではいけないの?”…と問いかけている詩です。親に気に入るようにしていれば愛されるけれど、気にいらないことをしたら、うとまれて、もしかしたら見捨てられるかもしれない…子ども達はそういう恐れを持って生きているかもしれないのです。無条件に与えられるべき「食」ですらも、つい不用意な言葉を発してしまいます。「誰のおかげで食べれると思っているの!」…のように。色々な側面で無意識に子どもに恩を着せながら育ててはいないでしょうか。
そんな環境の中で育った子ども達は、とても自己価値感が低くて自信がなく、極端に言えば、生きていることが申し訳ない…という気もちまで引きずってしまいます。実は私たち大人も同じような環境の中で育ってしまったからこそ、無意識に子ども達にそのような教育を施してしまうのですが…。
新しい時代が到来しようとしている今だからこそ、子ども達の心の中に、もう一度「無条件の愛」を伝え直してあげたい…。そして無価値感を抱いたまま大人になってしまった私たちをも、もう一度「無条件の愛」で包んであげたい…と切実に思うのです。
「あなたのありのままを受け入れてるよ」とメッセージで言うのは簡単ですが、 口で伝える正論は虚しく響くだけです。親業では「無条件の愛」が強力に伝わるコミュニケーション「能動的なきき方(共感)」をお勧めしています。幼い子(7ヶ月)の事例でご紹介しましょう。親業訓練協会の事例です。
<状況>以前は転んで頭を打ったりしたとき「痛くない痛くない!お外に何か見えるよ!」と痛みをごまかしていた。そして泣き止まなかったら「男でしょ。泣かないの!」…と。こうした対応が当たり前だと思っていました。学んでからは
子 (大声で泣き叫ぶ)「え~ん、え~ん」
親 「頭を打って痛かったねえ」
子 「え~ん、え~ん」
親 「痛かった、痛かった(頭をなでる)」
子 (泣きやんでくる。目に涙)
親 「涙が出るほど痛かったねえ。(頭をなで続ける)びっくりしたね」
子 (泣きやみ一人遊びに熱中する)
<母親の感想>
相手の気持ちを受けとめることの大切さを実感しました。ごまかしや命令で泣きやませたら、一見解決のように見えても、子どもにどこかストレスがかかっているだろうと思いました。“この痛みを解ってもらえないもどかしさ、やるせなさが心に残っていく”あるいは“痛みを感じない人になってしまうかも”と思うと、怖くなりました。
泣いても辞めなさいと言わないでみる。子どもが今感じているであろう感情を、そのままに感じてあげて共感でフィードバックをしてみる。いつもできるとは限りませんが、1日1回でもやっていくことで、子どもは“僕は僕のままでいいのだ”と「無条件の愛情」を、少しずつ確実に感じ取っていくのです。それはやがて“自己価値感”や“自立心”へと、繋がっていきます。
しかしこのコミュニケーションスキルも簡単そうですが、実は簡単ではないのです。親自身に、ある程度の自己価値感や自己受容能力がなかったら、形ではできても無意識に、つい自分の思い通りに子どもを動かそうとしてしまいます。
まず自分の幸福を大切にした上で、
相手に自然に拡がる愛が本当の“無条件の愛”です
リリ
自分を幸せに出来ない人が他者を本気で愛することは難しいのです。だからまず自分自身を愛し、優しく接してあげましょう。私たちの多くは、他者の心の動きにはとても敏感ですが、自分自身の心の動きや感情に対しては、案外鈍感で、無神経な接し方をしてしまいます。
例えば自分が何かに躓いて転んだとします。“つまらんねえ。ちゃんと前を見てないからでしょう!” 痛い上にこんな二重パンチを心の中で投げたりすることはありませんか。痛くてとてもせつない時に、本当は一番優しさが欲しい時に、とても自分に厳しく、憎悪と誹謗で接してしまいやすいのです。ほんの少しでもいいから、私たちの心にも愛と慈しみのまなざしで「痛かったねえ…。びっくりしたねえ…」と、優しさを表現してあげたら、私たちのハートはどんなに安らぎ、癒されていくことでしょう。
まずありのままの自分自身を愛してあげることに心を砕いていきませんか。未熟な自分自身をそのまま赦してあげることに心を砕いていきませんか。私はこんなアファメーションを日課にしています。
どんな自分も無条件に愛します
どんな自分も無条件に赦します