2015年1月30日金曜日

他者の感情・思考には責任を持たない

Column 2015 No.20

 喜びの感情も憎しみの感情も、その感情を感じているその人が、無意識ですが選んだ感情です。その人以外の誰の感情でもありません。だから私たちは自分の感情・思考には責任をもたなければなりません。一方、相手の人がもつ感情・思考は、尊重し大切にはするけれど、責任をもつ必要はないのです。

 もし相手があなたの言動に対して「お前が俺を怒らせた」と言ってきたとしても、それはあなたが怒らせたのではなく、実は相手が怒ることを選択したのです。一方、あなたは「あの人が私を傷つけた」とよく言いますが、実はあなたが傷ついたのです。つまりあなたが傷つくことを選択したのです。これはコミュニケーションを心地よくとっていく上で「親業」が大切にしている自他分離の考え方です。

 コミュニケーションの基本は 発信(表現力)と受信(傾聴力・共感力)です。≪コラムNo10参照

 「自己表現」は自分の気持ちや感情を自分が責任をもって表現していく
 「傾聴・共感」は相手の気持ちや感情を相手の責任において受けとめる   

 この責任領域を明確にすることは、コミュニケーションを混乱させない為の大切なポイントです。つまり「伝えること」(自分の責任)と「聴くこと」(他者の責任)という位置づけを保っていくことで、はじめてシンプルで心地よいコミュニケーションが成立するのです。

 ご主人があなたに「君はいつもイライラしている!」例えそのように言ったとしても、そう感じているのはご主人であってまた事実とは限りません。しかし多くは相手の感情・思考に責任をもってしまい、自信を失って落ち込んだり、相手の感情に影響を受けて「あなたはそうやって私を平気で傷つけるよね!」のように応酬し、次には相手があなたの感情に影響を受けて「だってそうだろうが!」ときて、コミュニケーションは混乱し、それを発端に夫婦の破綻が訪れるということはよくあることです。

 こんな会話だったら如何でしょう。

 「君はいつもイライラしている!」
 「あなたは私がいつもイライラしているように思えるんですね」
 「そうだろうが!」
 「そうかあ…でもね。“いつも”っていうふうに言われると、とても傷つくわ。私なりに頑張っているの…」
 「そうか“いつも”っていう言い方に傷ついたのか…」

 この会話例は自己表現と、傾聴・共感(能動的な聞き方)を大切にしたコミュニケーションです。妻は自他分離感をきちんともって「あなたは~と思うんですね」と相手の責任として返しています。そして続いて「…でも~のように言われると傷つくわ」と自分の責任において表現しています。そして最後のご主人も「傷ついた君なんだなあ」と感情の責任を奥様に見事に返しています。

 このように自他分離感を保ったコミュニケーションはお互い混乱することなく、責任領域を意識化でき、双方がいい関係を保ちながら自立していけるコミュニケーションなのです。

 自分にも気持ちの波があるように、相手にも波があります。自分の感情・思考は自分の責任、相手の感情・思考は相手の責任である…という自他分離感をもつと、相手の考えを変えさせようと躍起になったり、相手の不機嫌の理由を詮索して振り回されたり、相手の不機嫌が自分に原因があるのではと卑屈になることも起こりません。相手の感情・思考はあくまでも相手のものです。もちろん他者の表現による自分の中の気づきを含めて、自分の感情・思考だけに責任をもちましょう。

 しかし振り回されそうであれば「あなたが何か元気がなく不機嫌だと私が何かあなたにいけないことをしたのでは…と気になってしまうのよ」と自己表現もできます。すべて感情の責任の在りかを大切にしたコミュニケーションにしてみましょう。 自分も相手も混乱しないで成長できます。

 親にとってとても大切なことがあります。それはわが子との間に自他分離感を構築することです。子供の責任領域を奪ってしまうと、子どもは大きく自立を阻まれます。子どもの責任領域は子供に返していくコミュニケーション(親業では能動的な聞き方つまり共感コラムNo12参照≫)をとっていくことで子どもの自己理解が進み、自分の行くべき道が子どもに見えてきます。親の自他分離感は子どもの自立を大きく促していきます。


 「自他分離感」をとても明快に表現している散文があります

わたしはわたしのことをして、あなたはあなたのことをする
私はあなたの期待に応えるためにこの世にいるわけではない
あなたは私の期待に応えるためにこの世にいるわけではない
あなたはあなた、わたしはわたし‥‥(以下略)
~フレデリック・パールズ~


*次回のコラムは2月20日前後の予定です。

2015年1月10日土曜日

あなたの言葉があなたの人生を創る

Column 2015 No.19

あなたが何気なく自分にかけている言葉が、あなたの人生を創っているとしたら……。

心で呼ばないものが 自分に近づいてくるはずがない
- 稲盛和夫 -

“私なんか何をやってもだめなんです”“私の人生は負け組みです”“人生は苦労の連続です”“人は信用できない”……よく耳にする言葉ですよね。

 もしもあなたが、例えば「人は信用できない」という言葉を(内面的な言葉を含めて)自分にいつも投げかけている人だとしたら、恐らくあなたの周りにはあなたにとって信用できない人々が多く引き寄せられているかもしれません。そしてあなたの、周りへのその過度の警戒心や猜疑心は自分で自分の人生を結果的に不自由にし、あなたにとって、とても生きづらい人生を創っていくことになるでしょう。

 あなたの人生の主役はあなたです これは親業の人間関係講座のキャッチフレーズですが、私たちは一人ひとり、肯定的にも否定的にも自分の人生を創造する力があるということを示しています。

 次のような実験を聞かれたことがありますか?
 同じ条件で育てた三つの花の苗を、それぞれの植木鉢に植えます。養分も水も同じ条件で与えます。しかし三つの花のうち、一つには、毎日「かわいいね!きれいだね!ありがとう!」と肯定的な言葉をかけます。もう一つの花には「なんて醜いの!最悪!」みたいなネガティヴな言葉がけをします。残る一つは毎日完全に無視をします。さて結果はどうなったでしょう?

 不思議ですが、これをご飯粒でやっても、果物でやっても結果は同じになったといいます。三つの花の中でも一番無残な結果となったのは意外ですが、無視を続けられた花。続いてはネガティヴな言葉がけをした花で、これもかなりひどい結果だった。しかし、毎日肯定的な言葉がけをされた花だけは、色鮮やかに美しさを保っていたそうです。
 まだ今のアカデミズムから正式に認められた実験ではないものの、“言葉”がもつ不思議を考える上での示唆はあるのではないかと思っています。
 
 私自身の体験も話してみます。
 私は、幼いころから大家族の中で育ちました。その大家族の「衣食」をまかなっていくために私の母は、朝は四時に起きて家族の食事の準備、夜は一番遅く床に就く毎日で、いつも物悲しい表情で孤軍奮闘していました。そんな母を見て育った私は、“人生は苦労が多いものなんだな”という定義(信念)をしっかりと身につけたようです。

 母があまり幸せそうではないので“私は幸せになってはいけない。幸せにはなれない”その感覚に近いものを子供心にすでに持っていたと思います。それでも子供時代は無邪気に楽しく遊んだ記憶は沢山あります。しかしやりたいことを思い切りやれる思春期には……その“振り”はできても心からは楽しめず、孤独で本ばかり読んでいました。おまけに思春期後半にはとても苦しい鬱状態が一年近く続きました。不幸そうな母をじっと見つめてきた為に、色々な感情を抑圧してきたことが原因ではありますが、“幸せになれない、なってはいけない”私のその定義通りの人生を呼び寄せたことでもあります。

 ところがその鬱状態から、いよいよ立ち上がれる日が到来したとき、本当に不思議な感覚なのですが、私の中から力強い言葉が湧き上がってきたのを今もはっきり覚えています。
 「私はもう母の犠牲にはなるまい!(影響をうけまい!)」
 「本当にやりたいことをやって私の人生を取り戻そう!」と。
 私はそのとき一人の人間として立ち上がったのです!無意識ですが生き方の定義を創り直していたのです。

 「私は幸せになる!」「人生は苦労ばかりではなくもっとシンプルで面白いものかもしれない!」という新定義に! そして私は誰ともつるまないで、気持ちの赴くままにひとりで美術館に、映画館にショッピングに……と足を運びました。恐る恐るでしたが自分を取り戻すために! 

 しかし“楽しいなあ”と思う反面“私ひとりがこんなに楽しんでばかりいてはいけない”と、どこかで習性的に母を想い、旧定義に逆戻りしてしまいそうな自分があるわけです。その度ごとに私は確認をしました。母の人生を創造しているのは母なのだ!…と。私はもうハンドルを旧定義に戻そうとは決して思わなかった。まだまだ充分ではありませんでしたが、徐々に私の人生は変わっていきました。

視点(定義)が変わると人生は変わる

 これは私の確信ある価値観です。もしもあなたの人生があなたにとって満足いくものでないとしたら、新しい定義(視点・意味づけ)に創りなおしてみてください。人生の軸はその方向に必ず動いていくでしょう。

 しかし人生はいつも思い通りにはいきません。山あり谷ありです!よく祖父が言っていました。「人間は煩悩や挫折があるからこそ成長するんだ。魂の奥深い生き方ができるんだ……」と。 一瞬一瞬まわりに起きわいてくる事象に、私たちがそれをどう定義づけ、意味づけ、どう方向づけていくのかで各々の人生は違った形で創造されていく。

 自分の本当の感情に注意を払いながら、それを受け入れ、気づき、手放したり、定義しなおしたりしながら、お互いに生きたい人生を創造していきましょう。自分自身を愛せるような理由をできるだけたくさん見つけて、自分の魂が喜ぶような言葉をかけてあげましょう!

 私たちは自分の人生の創造者なのです! あなたに代わって、あなたの人生を創造できる人は誰ひとりいないのです。


*次回のコラムは1月30日前後の予定です。