Column 2015 No.20
喜びの感情も憎しみの感情も、その感情を感じているその人が、無意識ですが選んだ感情です。その人以外の誰の感情でもありません。だから私たちは自分の感情・思考には責任をもたなければなりません。一方、相手の人がもつ感情・思考は、尊重し大切にはするけれど、責任をもつ必要はないのです。
もし相手があなたの言動に対して「お前が俺を怒らせた」と言ってきたとしても、それはあなたが怒らせたのではなく、実は相手が怒ることを選択したのです。一方、あなたは「あの人が私を傷つけた」とよく言いますが、実はあなたが傷ついたのです。つまりあなたが傷つくことを選択したのです。これはコミュニケーションを心地よくとっていく上で「親業」が大切にしている自他分離の考え方です。
コミュニケーションの基本は 発信(表現力)と受信(傾聴力・共感力)です。≪コラムNo10参照≫
「自己表現」は自分の気持ちや感情を自分が責任をもって表現していく
「傾聴・共感」は相手の気持ちや感情を相手の責任において受けとめる
この責任領域を明確にすることは、コミュニケーションを混乱させない為の大切なポイントです。つまり「伝えること」(自分の責任)と「聴くこと」(他者の責任)という位置づけを保っていくことで、はじめてシンプルで心地よいコミュニケーションが成立するのです。
ご主人があなたに「君はいつもイライラしている!」例えそのように言ったとしても、そう感じているのはご主人であってまた事実とは限りません。しかし多くは相手の感情・思考に責任をもってしまい、自信を失って落ち込んだり、相手の感情に影響を受けて「あなたはそうやって私を平気で傷つけるよね!」のように応酬し、次には相手があなたの感情に影響を受けて「だってそうだろうが!」ときて、コミュニケーションは混乱し、それを発端に夫婦の破綻が訪れるということはよくあることです。
こんな会話だったら如何でしょう。
夫 「君はいつもイライラしている!」
妻 「あなたは私がいつもイライラしているように思えるんですね」
夫 「そうだろうが!」
妻 「そうかあ…でもね。“いつも”っていうふうに言われると、とても傷つくわ。私なりに頑張っているの…」
夫 「そうか“いつも”っていう言い方に傷ついたのか…」
この会話例は自己表現と、傾聴・共感(能動的な聞き方)を大切にしたコミュニケーションです。妻は自他分離感をきちんともって「あなたは~と思うんですね」と相手の責任として返しています。そして続いて「…でも~のように言われると傷つくわ」と自分の責任において表現しています。そして最後のご主人も「傷ついた君なんだなあ」と感情の責任を奥様に見事に返しています。
このように自他分離感を保ったコミュニケーションはお互い混乱することなく、責任領域を意識化でき、双方がいい関係を保ちながら自立していけるコミュニケーションなのです。
自分にも気持ちの波があるように、相手にも波があります。自分の感情・思考は自分の責任、相手の感情・思考は相手の責任である…という自他分離感をもつと、相手の考えを変えさせようと躍起になったり、相手の不機嫌の理由を詮索して振り回されたり、相手の不機嫌が自分に原因があるのではと卑屈になることも起こりません。相手の感情・思考はあくまでも相手のものです。もちろん他者の表現による自分の中の気づきを含めて、自分の感情・思考だけに責任をもちましょう。
しかし振り回されそうであれば「あなたが何か元気がなく不機嫌だと私が何かあなたにいけないことをしたのでは…と気になってしまうのよ」と自己表現もできます。すべて感情の責任の在りかを大切にしたコミュニケーションにしてみましょう。 自分も相手も混乱しないで成長できます。
親にとってとても大切なことがあります。それはわが子との間に自他分離感を構築することです。子供の責任領域を奪ってしまうと、子どもは大きく自立を阻まれます。子どもの責任領域は子供に返していくコミュニケーション(親業では能動的な聞き方つまり共感≪コラムNo12参照≫)をとっていくことで子どもの自己理解が進み、自分の行くべき道が子どもに見えてきます。親の自他分離感は子どもの自立を大きく促していきます。
「自他分離感」をとても明快に表現している散文があります
わたしはわたしのことをして、あなたはあなたのことをする
私はあなたの期待に応えるためにこの世にいるわけではない
あなたは私の期待に応えるためにこの世にいるわけではない
あなたはあなた、わたしはわたし‥‥(以下略)
~フレデリック・パールズ~