2023年1月20日金曜日

くさらない おごらない 屈しない

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くさらない おごらない 屈しない
村上 和雄
Column 2022 No.116

 村上氏は分子生物学者であり、高血圧を引き起こす原因となる「ヒト・レニン」の遺伝子解読に成功。遺伝子を研究していけばいくほど人間智では解決できない世界があるとし、それをサムシング・グレイトと想定したことで知られている。

 私たちは仕事で挫折したり、誰かに先を越されたり、人間関係でぎくしゃくして自分の非を認めざるを得ない事態に陥ったとき…などに、“くさらない”でいられる人はまずいないでしょう。逆に、他の追随を許さないほどに仕事に成功したり、人々に尊敬され崇められる環境にいるとき“おごらない”でいられる人も、そう多くはいないのではないでしょうか。

勝って驕(おご)らず 負けてくさるな
作者不詳

 このフレーズや冒頭の村上氏のフレーズに私たちが心惹かれるのは、出来そうで出来ない内面のこの葛藤に実はうんざりしており、何とか乗り越えたいと感じているだけに、私たちの魂に深く響くのでしょう。

 しかし、感情にいい・悪いはありません。ものごとが思うように運ばないで、気持ちがくさったり、逆にうまく運んで有頂天になったり、つまり“落ち込む”ことも“驕る”つまり威張る気持ちも、正直に自分を生きていると、必ず感じる人間の自然感情であり、実は貴重な感情体験なのです。

 自分自身の中のくさってしまう気持ちや驕ってしまう気持ちを、ただ感じて味わっていると、やがてそれらの感情が俯瞰出来るようになるものです。するとそれらが、実は居心地の悪いものであることに気づいたり、驕っていた感情が自分にとって本当の歓びではなかったということにも、人は自然に気付いていきます。そしてそれらの気づきが智慧となって、私たちが次に選択する行動に必ず生きていくのです。実はそのプロセスが、自己実現に向かう次のステージに上がっていくために、とても大切な行程なのです。

 「屈しない」というのは意志の力です。くさることがあるかもしれない。おごることがあるかもしれない。しかし、ただその感情に気づいていること。そして本来自分の中にある“諦めない”“めげない”意志の力を思い出して、それを使うことで、私たちは必ず何かを掴んでいくのです。

生きる上で最も偉大な栄光は転ばないことにあるのではない。
転ぶたびに起き上がり続けることである
ネルソン・マンデラ

結果が出ないとき、どういう自分でいられるか。
決して諦めない姿勢が何かを生み出すきっかけになる
イチロー

 私自身も人生に何度か挫折がありました。今思い出しても胸が詰まるような体験です。しかしやはり私は立ち上がることを選択しました。その結果、イチロー氏が言うように、その痛みを伴なった体験の中から、私にとって必要な答えが閃きのようにやってきたのを記憶しています。そしてその時に感じたことは、“諦めない!”という意志の力は、本来誰の中にもあって、諦めないと決意したとき、それはその人の中で、次のステップに進むための大きなエネルギーを発揮してくれるものなんだ‥ということを実感したのです。

努力して結果が出ると自信になる
努力せず結果が出ると驕り(おごり)になる
努力せず結果が出ないと後悔が残る
努力して結果が出ないとしても、経験が残る
作者不詳 

 “自信”も“驕り”も“後悔”もすべて人生における貴重な体験です。例え思うような結果が出ないにしても、必ず経験が残るのですから…。その経験から来る気づきこそが、私たちに叡知を授け、成長させてくれる宝なのです。経験・体験と共に来る感情を、恐れず味わい体験していく。味わうということは感情にのめり込むことではありません。格闘することでもありません。感じて気付いたら、出来ればあとは、あなたなりのやり方で感情を手放していく…これは大切なあり方です。

 その結果“くさる”ことも“驕る”ことも、その人にとってはたいした問題ではなくなり、次にやって来る経験・体験を果敢に迎え入れることができるようになります。このこだわりを超えた積極性こそが自己実現に向かう、まさに王道なのではないでしょうか。

私が無一文になったとき、失ったものは財産だけではないか。
そのぶんだけ、経験から血や肉となって身についた
安藤 百福

経験を賢く生かせるなら 無駄な時間は一切ない
オーギュスト・ロダン

*次回のコラムは2023年2月20日前後の予定です。

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2022年12月20日火曜日

あなたが目的地なのになぜ旅を続けるのですか

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あなたが目的地なのになぜ旅を続けるのですか
賢者のことば
Column 2022 No.115

 この賢者の言葉はいつも私の魂に鳴り響いています。過去、私が生きることに迷って周りの何かに救いを求めて必死だったとき、祖父は自分の胸に手を当てて「亮子!探しても探しても答えは外には無いんだよ。お前の答えはいつもお前のここにあるんだ…」と、よく私に伝えていましたので、このフレーズがなおさら私の心に届くのだと思います。(コラムNo85

 しかし答えが自分の中にあるなんてその頃の私には全く分からなかったので、祖父の言っていることは上の空でした。だから青年期には自分の中の苦しい答えを、宗教に求めたり、色々な人が書いている書籍に答えを求めて、苦しみながら哲学をしていました。また祖父は「本を読み過ぎない」「人の話を聴き過ぎない」…ということも言っていましたので、自分の中でいささか混乱はありましたが、しかし祖父が“私に真実を伝えようとしている”ということは不思議と解っていたのでした。

常に自分の中に答えを求めなさい。
周りの人や周りの言葉に惑わされてはいけません
アイリーン・キャデイ

 今回はその祖父の息子である私の父について書いてみたいと思います。
 父は祖父と違って、とても短気で自我の強い人でしたので、私たち兄弟姉妹はみんな彼が苦手でした。しかしとても男らしく勇敢な気性で、絶対に弱音を吐かない人でした。その反面、とても人情的な人で、テレビドラマにでも感動すると一番に涙を流すような人でもありました。何事も本気で関わるので、世間の人々からは愛され頼りにされている人でした。

 私の子ども時代は大家族で、叔父夫婦もいたり、多い時には13~14人いました。公務員だった父はひとりの働きでその大家族を賄っていたわけです。大変だったと思いますが、父の愚痴を聞いたことは一度もなく、私たち子どもから見るといつも太っ腹で豪快な人でした。やがて私は結婚し、時々父に声をかけて家に招いていました(母は私の結婚前にすでに亡くなっていました)。来訪した父がある日ふっとこんなことを言ったのです。

 「あの大家族を明日は食べさせていくことができるだろうかと思って夜眠れない日があった…」と。父のその言葉は私にとっては、まさに青天の霹靂でした。「お父さん、あの頃叔母ちゃんたちはみんな働いていたし、お祖父ちゃんも医院を開いていて豊かだったよね。どうして助けてもらわなかったの」と訊きました。父のその答えに、私はさらに驚きました。

 「そう。特にお祖父さんは“大丈夫か。大丈夫か”と事あるごとに言ってくれていたよ。でもいつも断っていたんだ。お前のお祖母ちゃん、つまり父さんの母親が父さんにいつも言っていた言葉があるんだよ。“お前は長男だ!どんなに生活が苦しくても世間にしっぽを見せるでないぞ!”とな。父さんは母を尊敬してたから、その言葉を宝のように大切に思っていたんだよ」…と。

 あんなに豪快で強い父が、母親の価値観をそのままに受け取って自分の人生を生きていたのか…と思うと本当に驚きました。しかも父は家計がどんなに苦しくても、家庭内ですら気を許さず、しっぽを見せないようにと一人で頑張ってきたのか…と思うと、本当に父がいとおしくて涙が出てしまいました。(世間にしっぽを見せるな…とは世間に弱みを見せたり恥をさらしてはならない…という意味)

すべて美しいものの陰には 何らかの痛みがある
ボブ・ディラン

 父のその弱さに初めて接してから、私たちが子ども時代の頃から垣間見えていた父の不機嫌さや短気だった理由が、あらためて理解できました。あんなに堂々と男らしかった父の背後には、不安や焦りや哀しみなどの痛みがいっぱいあったのですね。

 私たちが子どもの頃から、父が私たちに事あるごとに言っていた言葉があります。「自分に正直に生きろ!」「嘘を生きるな。ほんものであれ!」と…。おそらく父は自分の不正直な生き方に、はっきりと気づいていて、その背景から出てきた言葉なのだろうと思います。“ほんもので生きよ!”という彼の魂から吐き出すような強い響きのある言葉は、今も私の魂に深く刻み込まれています。

 またもうひとつ父から学んだことがあります。コラムNo53「火の玉事件」で書きましたが、父は何事も疑問があれば、必ず検証し事実を明確にする人でした。父が火の玉の正体を明らかにした時、私にしみじみと伝えました。「亮子!いいか。よく覚えておけ!人は事実を確かめないままに、幽霊が出た…とか火の玉が飛んでいたとか、とんでもない噂を流してしまうんだ。だから自分の目で確かめるということは本当に大切なんだ!」と。

 祖父は“外に答えはない。自分の答えは自分の中にある”ということを教えてくれました。父は自分自身の、矛盾した生き方の痛みの中から“自分に正直に、ほんもので生きること”の大切さと“いい加減な見方や発言はしてはならない。自分の目で検証すること”…の大切さを教えてくれました。祖父と父は、いつも私の人生のそばにいて、私の人生にとって重要なことを、本気で伝えてくれた先達者だったことに、今さらながら気づき心打たれています。そして祖父も父もウイットに富んだユーモリストでもあり、人生を達観した人たちでもあったことを懐かしく思い出します。

あなたが目的地なのになぜ旅を続けるのですか

 このテーマに込められている精神を、祖父と父は渾身の意気込みをもって私に伝えてくれましたが、まだこれからも私は旅を続けるだろうと思います。しかし彼らが教えてくれた「自分を信じて生きる」というその精神は決して忘れないと思います。そして「私自身が私の人生の目的地」ということを、さらに深いレベルで理解して生きていきたいと思っています。

*次回のコラムは2023年1月20日前後の予定です。

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2022年11月20日日曜日

嫌われてもいい勇気をもつ

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Column 2022 No.114

 ここ数年、この「嫌われる勇気」と言うフレーズが大変ポピュラーになりました。フロイト、ユングに並ぶ心理学者の三大巨匠のひとりと言われるアルフレッド・アドラー心理学についての書籍に、題名として使われました。

 “10人10色(じゅうにんといろ)”…という諺がありますが、まさに人は一人ひとり姿かたちが違うように、価値観も主義主張も人それぞれです。だからみんなに好かれるということはまず考えられないことなのです。しかし私たちはどこかですべての人に好かれるような人物になることが素晴らしいことだ…と強迫的に信じていることはないでしょうか。

 その結果、自分の感じ方は後回しにして、周りに合わせて嫌われないように、悪く思われないようにとふるまってしまうことが起ります。周りに合わせた生き方をすることを、ある心理学では「過剰適応」と表現しています。

例えば
とても傷ついているのに笑ってごまかしたり
行きたくないのに誘いを断れなくて行く羽目になったり
自分の意見とは違うのに同調したり
その場の雰囲気を壊さないように過剰に明るく振舞ったり

 つまり、自分に重心を置くかわりにいつもベクトルが他者に向くので、生きている実感が薄く、日常的に心身ともに疲れて、ベースは不機嫌となりがちです。なぜ周りについ過剰に適応しようとしてしまうのか。その正体は、自己イメージが低いことが原因となっています。自己イメージが低い為に「すべての人に好かれたい。人に好かれることで初めて自分に価値が感じられる」という気がしてしまう…。

  一方、過剰適応で生きている人の多くは、自分の中で本当は不正直に生きている現実に大なり小なり気づいており、その息苦しさを何とかしたいと思っているのです。だから冒頭の「嫌われる勇気」と言うフレーズに、爆発的に多くの人々が反応したのだと思います。

 しかし、嫌われる勇気を持つ… 頭では理解できても、本当は簡単ではないのです。自己イメージをいかに上げていくかがポイントだからです。自己イメージが高くなってくるに従って、重心が自分自身の中に戻り、価値基準を他者ではなく自分自身に置き始めるので、他者が自分をどう評価しようとあまり関心がなく、大して気にならなくなるのです。

 私たちは 他者の為にのみ生きているのではないはずです。“魂の成長 ”といった課題を持ち、そこに到達するべく意図を無意識ながら一人ひとりが持っているものだと、私は考えています(コラムNo113)。本当は自身を整える前に他者に過剰に意識を向けている暇など無いはずなのです。

 この辺りを明快に表現している散文があります。

 わたしはわたしのことをして、あなたはあなたのことをする
 私はあなたの期待に応えるためにこの世にいるわけではない
 あなたは私の期待に応えるためにこの世にいるわけではない
 あなたはあなた、わたしはわたし…(以下略)
        フレデリック・パールズ

 他者に好かれようとした生き方は基本的には相手の期待に応えようとする生き方であって、自分の人生を生き切れていないのではないでしょうか。あなたが何をしても嫌う人は嫌いますし、逆にあなたが何をしようとあなたを好きな人も必ずいるもので、他者(ひと)は変えられないのです。嫌われたからと言って決してあなただけが悪いわけではありません。相手の感じ方であって、相手の考えを操作して変えるわけにもいきませんし、いい意味で諦念(ていねん)をもって生きてみるのはいかがでしょうか。

 他人から好かれることにエネルギーを費やすことでの人生の損失は大きいのです。毎日が不自由でストレスフルになります。その上、好かれるために奔走しているので自分の軸が怪しくなります

 あなたの人生の主役はあなたです。どうしたいのか、どう生きたいのかを見つめ、自分を知り(自己理解)、本当にやりたいと思うことをやって正直に生きてみる… 。どんな生き方であっても、自分の生き方・選択に自信をもって等身大で生きていくことにチャレンジしてみましょう。その上で人から嫌われるなら仕方がない。嫌われてもいいではないか…と覚悟を決めましょう。しかしそこを乗り越えふと気づくと、あなたの自己イメージは数段高くなっている筈です。

 アルフレッド・アドラーのフレーズをご紹介して今回のコラムを閉じます。

 他の人からの自分に対する評価は、その人の個人的な見方であり、
 自分の評価そのものには関係しない

 他者の課題には介入せず、自分の課題にも他者を介入させてはならない

 あなたは「暗い」のではなく「優しい」のだ。
 「のろま」なのではなく「ていねい」なのだ。
 「失敗ばかり」ではなく「沢山のチャレンジをしている」のだ

*次回のコラムは2022年12月20日前後の予定です。

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2022年10月20日木曜日

人生は魂を磨く場所です

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人生は魂を磨く場所です
山川 紘矢
Column 2022 No.113

 目には見えない「魂」とはいったいどこにあって、どんな存在なのでしょう。古(いにしえ)からそれがはっきり定義できないままに、しかしとても大切にしてきた存在です。

私はこの世に二つの宝を持っている。友と私の魂
ロマン・ロラン

 「魂」についてネットを開いてみました。「…魂とは生きる者の身体の中に宿っていて、心の働きをつかさどると考えられるもの。古来、私たちが肉体を離れても不滅のものと信じられてきた…」(コトバンク)。ウエブサイトでもその在りかを明確に定義しているものはやはりありませんでした。しかしそれが定義できないでも、私たちの本心はその存在をはっきりと感じ取っており、古来から無意識に生き方の中心に置いてきたのです。

 冒頭のフレーズの山川氏はこんなことを言っています。

 僕は今世何を学びに来たのか。
 あなたは何をしに地球にやってきたのか。
 今の自分の課題は何か。…答えは自分の中にある筈です。
 すべての答えは、いつも自分の中にあるのです。

 多くの先哲・先賢が共通して述べている箴言(しんげん:人生の教訓の意味を含めた短い句)に、「すべての答えは、いつも自分の中にある…」いう理念があります。身体のどこの場所と限定はしていないにしてもそれに答えてくれる存在がある。それが「魂」なのではないでしょうか。私自身もおぼろげながらも、一人ひとりの中の魂の存在を信じ、自分の感性を大切にすることの重要さを何度か発信してきました(コラムNo85

あのときの苦しみも あの時の悲しみも
みんな肥料になったんだなあ。自分が自分になる為に
相田 みつを

 私自身も過去に辛いうつ病を患った時のことを思い出します(コラムNo19)。しかしどんなに辛い患いもその病から学び終えれば、必ず抜け出る日が来るのです。その時に私から来た答えはひとつではありませんが、その底辺にあるものは「自分の本当の気持ちを感じて大切にして、自分に正直に生きていく」…でした。それは私の魂からきた答えだったと今は感じています。そこから私の新しい人生が再び始まったのです。

逆境っていうのは、自分の魂を目覚めさせてくれるものなんだ
モーリス・メーテルリンク

 さて私たちは何をしにこの地球にやってきたのでしょうか。「汝自身を知れ」というソクラテスの有名な箴言があります。あくまでも私の解釈ですが、そのフレーズは、私たちが地球に来た意味を暗示していると感じています。“自分を知ること” 自己理解こそが、生きる上での重要な課題であると。心理学者のアブラハム・マズローも言います。私たちが無意識に目指している自己実現(高次の自己への統合)へのプロセスに必要なのは、体験に基づく“自己理解”であると。もともと高次の自分を持っている私たちは、色々な体験を通してそれを思い出し、その高次の自己に統合するために地球にやってきたのだ…と、私は解釈しています。

 しかし私たちは、一人ひとりのエゴで営々と築いてしまった人類の集合意識に日々翻弄され、その波にすっかり飲み込まれて、生きる意味や自分自身を見失っている現実があります。しかし、その集合意識に翻弄されながらも、真の自分を完全に見失っている人は、本当はただの一人もいないのです。私たちには関知出来なくても、私たちの「魂」は、悲しい出来事、身を切られるような切ない体験の中でも、私たちが高次の自分に向かうべく、果敢に学び続けてくれているからです。

悩まない人生があったとしたら、それはもしかして人生じゃないかもしれない
伊集院 静

 人は悩みの中から気づき、日々進化しているのだということを伊集院氏はこのフレーズに込めています。日々の出来事に翻弄されながらも、私たちは“自分は何者か”を絶えず学んでいるのです。無意識ですが“自分を知りたい。理解したい”と真摯に求道している存在なのです。

本当の自分を見つけよう。
自分が解からなければ自分らしく生きようがない。
自己が解からなければ自己実現のしようがない
リチャード・H・モリタ

 ソクラテスが偉大な人物と言われた所以(ゆえん)は、自分自身の無知を自覚していたからだと言われます。現に私たちは、無限の宇宙の真理をどれだけ理解していると言えるのでしょう。広大な宇宙の観点から見れば、私たちはまさに無知そのものです。だからこそソクラテスの“汝自身を知れ”の意味合いが魂に届き、その深さに心打たれるのです。自身の無知を受け入れ、いかなる人生であろうと自分の人生をたくましく生き切って、自分を深く知っていく。そこに心を据えることこそがまさに“魂を磨く”ということであり、更なる“魂の進化”への道程ではないでしょうか。

 人間が積む体験に、良い・悪いはいっさい無い。
 過去の体験に対しても、これは失敗だったね…と、誰が言えるか。
 良い体験も悪い体験も、それぞれ進化のプロセスです。
 どんどん進化していくために、色々な状況を体験していくのです
            五井 昌久

*次回のコラムは2022年11月20日前後の予定です。

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2022年9月20日火曜日

四角い枠にこだわるな。キャンバスからはみ出せ

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四角い枠にこだわるな。キャンバスからはみ出せ
岡本 太郎
Column 2022 No.112

 岡本太郎氏のこのフレーズから、すべてに慎重であれ…という教育思想で育った上に、年齢を重ねるごとに、「慎重に!慎重に!」と、自分自身に確認しながら日々を生きていた自分だったとまず気づきました。このフレーズに出逢った時、私は思わず両手を天に向かって広げていました。広い世界を垣間見たような、すっと背筋が伸びたような快感を覚えたのです。ああ、私はもうひとつ枠を外したいんだな…と気付いた瞬間でした。

あなたの能力に限界を加えるものは、他ならぬあなた自身の思い込みである
ナポレオン・ヒル

 私たちは無意識ですが“かくあらねばならぬ”という思い込みをもって生きています。しかしその思い込みは自分を縛り、確実に私たちの人生を支配しています。“かくあらねばならぬ”という枠を外して、フラットな目であらためて世の中を見渡せば、面白いことや、自分にもできそうなことが、まだまだ沢山あることに気づきます。

 私は踊ることが大好きです。少し若いとき、フラダンス・クラシックバレー・社交ダンス…等々を通算15~20年間楽しんできました。しかし仕事が忙しくなったことも重なって、いつの頃かやめてしまいました。

 しかし“四角い枠にこだわるな。キャンバスからはみ出せ”のフレーズに出逢って、天に向かって両手を伸ばしたとき、“また踊りたいなあ”という想いが突然やってきたのです。“そうだ!かっこよく踊れなくてもOK。自分の動ける範囲の動きで踊ればいいのではないか!”…という思いに至って、20年近く離れていたダンスを再開したのです。

物理的であれ、何であれ、自分のやることを制限してしまうと、
あなたの人生や行動にも及んでしまう。限界などはないのだ。
停滞期があるだけだ。そこに留まってはいけない
ブルース・リー

 確かに若い頃のようには動けません。しかし大丈夫!見栄えは悪くても“昔取った杵柄(きねづか)”で何とか踊れています。思い切って枠をもうひとつ外してみると、こんなにわくわく出来るものなんだ…と一人でエキサイトしています。

地球は、俺の遊園地だ
三浦 雄一郎

 三浦氏の地球を見つめる壮大な視点に感動します。プロスキーヤーであり、登山家である三浦氏は70歳を過ぎて3回(70歳・75歳・80歳)エベレスト登頂を果たしています。今年90歳を迎える彼は難病を抱えながらもなお夢をあきらめず、来年はヨーロッパ最高峰エルブルース(ロシア)でスキー滑降(デユアルスキー)を目指すと宣言しています。「出来たら自分の足で滑りたい」「僕はいつも何とかなるという楽観主義で来ました」四角い枠にとらわれず、はみ出しっぱなしの雄一郎氏の生き方には、何だかほれぼれと致します。

私はクルミの殻の中に閉じ込められた小さな存在に過ぎないかもしれない。
しかし、自分自身を無限に広がった宇宙の王者、と思い込むこともできるのだ
ウイリアム・シェイクスピア(劇作家)

 自分自身を殻をかぶった窮屈な存在と見ることもできるし、殻にこだわらず、自分自身を宇宙レベルで見つめることもできるんだよと、彼は伝えているのです。自分の限界を設けない彼だからこそ、「ハムレット」「リア王」「ロミオとジュリエット」…等々。奇跡的な不朽の名作の数々を残せたのだと思います。

自分が何者かに固執しなければ、自分がなり得る最高の自分になれる
老子

 「枠にこだわるな」といった賢者や先達のフレーズは、齢を重ねた私たちの心をも大きく揺さぶり、まだまだ大丈夫!出来ることはある!と、勇気づけてくれます。私自身もちょっとその気になって改めてダンスに挑戦をしました。しかしまだ充分に勘が戻らないので、微妙に曲に乗り遅れたり、ターンのときに眩暈がしたり、時には相手の足を踏んづけたり(笑)散々の日もあるわけです。でも、私はやはり“心が喜ぶこと”をスタンスに、自分の心に正直に、怖(お)めず臆せず生きていきたいと思っています。

 私たちの多くは悲観的なものの見方に片寄ってしまっています。そこに楽観的な見方・考え方を加味していくことで、ニュートラルなバランスをとっていくことの深さを感じさせてくれるフレーズに出逢いました。

楽観主義者は青信号しか見えていません。
同じように悲観主義者は赤信号しか見えていません。
でも賢者には両方の信号が見えているのです
アルベルト・シュバイツアー

 楽観主義、悲観主義については前回(コラムNo111)触れました。楽観主義者は、自分が住む世界はいつも安全で興味津々。愉快な冒険に満ちている場所…と捉え、一方悲観主義者は、世界は危険に満ち溢れていて、気を許せる場所ではなく、冒険など、とてもできる場所ではない…と自分の住む世界をとらえている。

 一方、こんな捉え方ができる存在もいます。どんな世界にいようと自分軸をしっかり持っていて、自分の感じ方を大切にしている。今わくわく生きたいと思うなら、キャンバスからはみ出すこともできるし、ここは慎重に!と感じたら、ちゃんと足元を見て行動もできる。自分の枠(制限)に気づいており、外すべき枠はこだわらず外していける。視野を広げてみれば、ここは、限りない創造性と自由性に満ち満ちている世界なんだということを知っている存在。それを賢者と言う・・・と。

*次回のコラムは2022年10月20日前後の予定です。

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2022年8月20日土曜日

私はいつも“それはたいした問題ではない”という哲学をもって生きてきた

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私はいつも“それはたいした問題ではない”
という哲学をもって生きてきた
アンディ・ウォーホル
Column 2022 No.111

 アンディ・ウォーホル(故)は米国の画家・版画家・芸術家でポップアートの旗手。マリリン・モンローを描いたポップアートはあまりにも有名です。またロックバンドのプロデユースや映画製作などにもかかわっていたマルチ・アーテイストでもありました。

 彼のこの冒頭のフレーズはどこで見つけたのか記憶にはありませんが、ノートに走り書きをしていて、何かに直面したとき、ふとこのフレーズを見返して、私は何度勇気づけられてきたことでしょうか。私の完全癖傾向の為に、何か問題が起ると、それが結構高い壁に思えて“解決できるのだろうか。無理ではないか。でも何としてでも解決しなくては…”と意気込んで大仰に考えてしまう“思い癖”(おもいぐせ)が曾て(かつて)はあったのです。

 いつのころからか、そんな場面に遭遇したときに、ウォーホルの「それはたいした問題ではない」というフレーズが私の思考の中に思い浮かんで来るようになりました。すると私の中のその完全癖思考が少しずつ変容していったのです。その結果、ネガティブな高い壁は崩れ、不思議に何とか解決に向かう…という体験もしてきました。ものごとをあまり深刻に捉えないで、“私に起った問題が私に解決できない筈はない”と少しずつ思えるようになったのです。つまり問題に対して少し楽観視できるようになったというわけです。

楽観的であるということは、顔を常に太陽に向け、
足を常に前に踏み出すことである
ネルソン・マンデラ

 悲観的な性格の人が楽観的に物ごとを見るようになっていくことは、もしかすると、とても難しいことかもしれません。でもこれも練習・訓練によっては可能性に満ち満ちていると、私は思っています。これまで何度か取り上げてきた例えでお話してみます。「泥水でいっぱいのコップがあります。しかしそこに清水を注ぎ続ければ、そのコップの水はやがて必ずきれいな清水に変わります」

 私たちが人生を悲観的に考えてしまう“思い癖”があったとしても、コップに入ったままにして、変えようとしなくていい。ただ、問題に遭遇するたびにウォーホルが言っているように、“大丈夫!たいしたことではない!” “大丈夫!何とかなる!”と、その都度、新しい楽観的な思考をそのコップに注ぎ続けていけば、いつの間にか楽観的に考えられる新しい清水(思考)になっていくのです。実は思考も訓練のたまものなのです。

 私は講演などで、ワイングラスの絵を描いて、人それぞれの人生の見方を説明することがあります。“グラスに半分のワインが入っています” そのグラスを見てAさんは「ワインがグラスに半分入っている」と、事実を見ています。Bさんは「ワインがグラスに半分しか入っていない」と足りない側面を見ています。Cさんは「ワインがグラスに半分も入っている」と満たされている側面を見ています。

 悲観的な人は往々にして足りない側面に注目して、益々不安感情を引き寄せていきます。楽観的な人は満たされている側面に注目して、“なんて私は幸せ”と益々歓びや幸福な人生を引き寄せていきます。私たちは自分が“願っているもの”を引き寄せているのではなく、実は、自分が無意識に放っているバイブレーションレベルのものを、引き寄せてしまうのです。

どんな苦難に直面しても常に人生を楽しみ、おのれの運を信じ、
楽観的にものごとを見る。そこから拓ける道がある。
高橋 是清

 このように多くの先達は、人生を楽観視することの重要性を説いています。望む世界を手に入れたいと思うなら、自らが発するバイブレーションを変えるか、上げるしかないのです。実は思考を変えることでバイブレーションは変化していきます(コラムNo110)。その結果、冒頭のウォーホルのフレーズのように、何か問題にぶつかった時「それはたいした問題ではない」と即座に感じ取れる楽観的な感性が育っていくのだと思います。

悲観的になって自分は成功できないなどと思っていたら進歩は望めません。
他人にはかなわないという考えこそが失敗への第一歩です
ダライ・ラマ

 自分に足りない部分に気をもみ、他人と比べて劣等感を抱き、このままの私では駄目だ!もっと頑張らなくては!と自分にバッシングをする。…なんとしんどい生き方でしょうか。逆に、どんなときにも決して他人と比べず、ウォーホルのフレーズのように“それはたいした問題ではない” “自分は大丈夫!何とかできる!”と人生に楽観視ができたら、どんなに生きやすく楽しい人生になることでしょう。二つのフレーズをご紹介して今回のコラムを閉じたいと思います。

50過ぎたら「ま、いいか」「それがどうした」「人それぞれ」で行こう
広兼 憲史

楽観的であれ。過去を悔やむのではなく、未来を不安視するのでもなく、
今現在の「ここ」だけを見るのだ
アルフレッド・アドラー

*次回のコラムは2022年9月20日前後の予定です。

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2022年7月20日水曜日

「なまけ者のさとり方」研修会から

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Column 2022 No.110

 タデウス・ゴラスのこの著についてのコラムをNo107No108でとりあげました。私のコラムをいつも愛読下さっている福山にお住いのSさんが、ご自分もすぐにこの本をお読みになり、とてもよかったので「今回は“なまけ者のさとり方”の内容を中心にお話しください」ということで仲間を集めて研修会の輪を作って下さいました。

 悟りには勿論いろいろな解釈がありますが、今回はまずタデウス・ゴラスのいう「悟りとは」を引用し、続いて当日の研修会で話題になったことを、補足したり纏めてみたいと思います。

タデウス・ゴラスの言う「悟り」とは
悟りとは現在の私たちの意識を少しずつ広げる体験(地球、宇宙全体への理解の深化・魂の深化)のこと。完全な悟りとは、私たちは無限の存在であること。宇宙全体が生命を持っているということを知ることである。意識が広がっていく…そのプロセスそのものが悟りであり、何処か特定に定義された状態に達するということではない(後略)

 タデウス・ゴラスの言う“意識が広がっていく…そのプロセスそのものが悟りである”という辺りを当日はクローズアップして話題にしました。


~ 意識を広げるため(悟るため)に出来ること ~

1.バイブレーションを上げる

 私たちを含めすべての生きものは自ら持つ“波”で振動しており、それをバイブレーションと言いますが、解かり易く言えば、その人が持っている“思考の傾向や特性”と言っていいかもしれません。実は周りに起き湧いていることはすべてニュートラル(中立)で、正しい・間違っている…はないのですが、私たちは自分の持っているバイブレーション、つまり価値判断や思い込みで、周りの世界をみて、自分の世界を創っているのです。バイブレーションの高い人は幸せな世界を創り、バイブレーションの低い人は狭く苦しい世界を創っていくことになります。

 それではバイブレーションを上げるために何ができるでしょう。その話題では皆さんから色々と案が出てきました。…高い場所に上がってみる。自然の中に入る。気(バイブレーション)のいい場所に行く。バイブレーションのいい人に逢う…等々。「今日皆さんと分かち合いたい内容は、実は全てバイブレーションを上げていく方法でもあります」…と伝えて話題を進めていきました。

2.まわりの世界をあるがままに見る(事実を見る)

 自分が無意識に使っているバイブレーションに気づくことから出発です。つまりあるがままの世界を見るということは、自分の想念の癖から来る“思い込み”や価値判断を取り去り、ものごとすべて事実だけを見るということです。

 例えば“あの人はだらしない”はやめて“Aさんは使ったものを置いたままにしている”。“あの人は意地悪だ”はやめて“Bさんは私にお前はダサい奴だと言った”…のように目の前の出来事にジャッジ(価値判断)を加えず、あるがまま起っていることだけを見ていくということです。

 “すべての事象は深いレベルで必然的に起きている”…と賢者は説いていますが、私たちはまだまだその理解には遠く及びません。大切なことは、起きたことにいちいち反応するのではなく、ただ事実を見ていく…ことで、私たちのバイブレーションはいい状態に保たれると言うわけです。

3.自分を愛することが悟りへと向かう王道

 私たちはすべての人々と繋がっています。自分が自分自身への愛に目覚めたとき自分自身への愛のバイブレーションは、もともとつながっている他者(人類)へと、自ずと大きく広がっていきます。だから自分自身への愛は人類への愛の原点であり出発点なのです。

 ① 頭ではなくハート感覚で生きる
 ヘッドレベル・ハートレベルと言う表現があります。ヘッドレベルでいると、これまで話してきた価値判断や思い込みの視点から、狭く重苦しい世界を創っていく傾向になります。ハートレベル、つまり感じることを大切に生きている人は、自分の感性で世界を見つめ、その人にとっての真実の世界を創っていくでしょう。

 ② 感情とうまくつきあう
 自分自身を愛するということは、自分の感情といかに折り合いをつけ心地よくつきあっていけるかと言うことでもあります。それほど感情は私たちの人生を支配しているのです。罪悪感・無価値感・拒絶感・嫌悪感・虚無感・喪失感…等々、すべて感情です。それらの感情に支配されたとき、私たちは混乱してしまうのです。

それから学ぶべきものを学んで、もういい加減うんざりしているのなら、
捨ててしまいなさい。どうやって? それらを愛し抱き入れ、
自分の存在の中にそれらがあることを赦すことによってだ。
するとそれらはあなたを圧倒することは無くなるであろう。
賢者の言葉

 人間はお互いに上等ではありません。まず自分の中の汚れていると思っている部分、感じたくないと思っている部分から目を逸らさず、愛し赦していくしかありません。事象を許すのではなく、それにまつわる感情にフォーカスすることがポイントです。どんなにみっともない自分であってもその都度本当の感情に気づいて丸ごと抱き入れるのです。自分を愛することは悟りへと向かう王道なのです。

自分の感情がどうしようもなく嫌で、それを愛するなんてとても
できないと感じるかもしれません。でも愛すると決心しなさい。
嘘だと思っても“私はそれを嫌っている自分を愛している”と言いなさい。
タデウス・ゴラス

 ③ 自分軸で生きる
 あなたの人生の答えはあなたの中にあります。外には無いのです。他者に合わせた生き方は自分軸からどんどんずれていきます。自分の中に価値基準(ものさし)をもちましょう。自分に嘘をつかない。自分の真実を生きる…これは自分軸を強くするポイントです。人生に迷ったら自分に返る。他者に答えを求めないで自分のハートに尋ねましょう。やがてはっきりと答えが返って来るようになります。

 ④ 心が喜ぶことを果敢に
 自分のハートはあなたの答えを知っています。心が喜ぶこと。あなたのハートにしっくりすること…は思い切ってやってみる価値があります。ハートが歓喜し、あなたのバイブレーションは大きく上がっていくでしょう。悟りとは徐々にバイブレーションを上げていくプロセスとも言えるのです。

 覚醒(悟り)にゴールはありません。私たちは常に広がり続け、目醒め続けていきます。自分軸からずれないで、感じては気づき、そして赦し、自分の感情と上手につきあいながら日々、私たちは心のユートピアを目指していくのです。

 あなたの気付きは周りの人々の気づきを促します。あなたが自分を愛すれば、周りの人々も自分を愛するようになります。私たちはみんな繋がっているからです


*次回のコラムは2022年8月20日前後の予定です。

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