2024年10月20日日曜日

ストレスに負けないで生きる

 2024年 講座開講スケジュール

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Column 2024 No.137

 ウィキぺディアによると「ストレスとは生活上のプレッシャーや悪感及びそれを感じたときの感覚である。人間および殆どの哺乳類では、自律神経系と視床下部・下垂体・副腎系がストレスに反応する主要なシステムである。ストレスの概念は、1930年代の生理学者ハンス・セリエの研究に起源を持つとされる」とあります。           

 最近の精神医学では、病気は主にストレスから起こると言われています。アメリカワシントン大学の精神医学者T・H・ホームズらは1968年に一般生活の中で生じる様々な状況を分類して、ストレスと病気との関連を調べています。その結果、ストレスランキングの上位を占めているものが「配偶者の死」「離婚」「別居」「近親者の死」「傷や病気」‥‥等々を挙げています。妻を亡くした夫の、続く6か月間における死亡率は、普通の場合より40%高いと報告しています。

 確かに配偶者の喪失は、人生においてどれほど大きな衝撃かは理解できます。しかしすべての人がそういった体験で、同じように病気になったり死に至っているわけではありません。暫くは寂しさに翻弄され、落ち込んだり希望を失ったりは当然あったとしても、やがて自分を取り戻して自分の人生を生きていく人もいるのです。その違いは何でしょうか。

 私たちの最大の弱点はストレスではなく、ストレスに対する私たちの反応です
 ハンス・セリエ

 以前、ある人から聞いた話ですが…とても妻を愛していた人がありました。ところが彼の妻は治療困難な深刻な病にかかり、夫を残して突然亡くなってしまったのです。喪失感からの夫の悲しみは尋常ではなく、妻の遺影の前で毎日泣きじゃくり、一歩も家から出ることができなくなりました。体調にも影響が出始めました。

 周りの人は危機を感じてカウンセリングを勧めました。受けることを決めたその人は、数回のカウンセリングの後、こんな助言を受けたのです。「Sさん 例えばあなたが、奥さまより先に逝かれたとします。愛する奥さまが今のあなたのように希望を失い毎日泣き続け、体調をくずしていかれる姿を想像した時、Sさん、どんな気持ちですか…」と。

 彼はそこでハッと気づいたのです。“そうか愛する妻が、今の自分のようになっていることを考えたら、とてもやり切れない気持ちだ。それを妻ではなく自分が今やっているのだとみれば納得できる。愛する妻のために、もう哀しむのはやめよう”と意識の転換をして、新しい気持ちで立ち上がったというのです。

 事例説明が長くなりましたが、確かに、ハンス・セリエが言うように、私たちの身に何が起こるかということよりも、その起こった状況に、私たちがどう反応するかが重要であること…がこの事例でよく理解できます。

 あなたのストレスを解消できるのは あなただけです
 ラルフ・ワルド・エマーソン

 まさにエマーソンの述べている通りで、自分の中のストレスを回避していく答えは外にはありません。その答えを持っているのは自分自身です。実は私自身、自分の人生を生きていく上でとてもストレスを抱えやすく、ストレスと闘ってきた者の一人です。アメリカの心理学者のアブラハム・マズローが「欲求の五段階説」(コラムNo15No33)で述べている中に、ストレスの起因の一つを見つけることができます。

 基本的な欲求を満足させるのに充分な環境に育った人は、後々これらの欲求がかなり長い間満たされなくても、耐えていけるだけの強い一貫した性格を発達させる。それは人生の初期、二年間が非常に重要である。初期に安全で安心感のある環境で育った人は、その後如何なる境遇に直面しても安定感と強さを失わずにいられるのである

 私の幼少期時代は、社会的な環境の中にまだ戦争の匂いが残っており、食糧難・貧困等、人々の心の中に不安が蔓延していた時代でした。また母は病弱でしたが大家族の中で彼女なりに孤軍奮闘していました。子どもに愛を注ぐどころではなかったでしょう。そんな環境の中で幼少期を生きてきた私の心の中には、今も大小の不安が見え隠れしています。無意識ではありますが、そのストレスと闘いながら、これまでの人生を生きてきた自分を感じます。

 しかし次のウォーホルの言葉に出逢ってからは、“起こるすべての事象は大した問題ではない”…と納得し、ストレスには真摯に対処しつつ、神経質に考えることは徐々に辞めていきました。ストレスに影響されて「今を生きる」と言う本質を見逃してしまっている自分に気づいたのです。

 それは大した問題ではない。私はいつもこの
 “それは大した問題ではない”という哲学をもって生きてきた
 アンディ・ウオーホル

 次に、私なりに心掛けてきた“ストレスの対処法”を纏めてみます。大抵はこれまでのコラムで触れてきたものです。参考になれば有難いな…と、思いますが、どうぞご自分なりの対処法を大切に生きて下さいね。

自分に正直に生き、正直な感情を現すコラムNo126
 自分に嘘のない生き方をすることで、ストレスは大きく減ってきます。

自分ファーストで生きるコラムNo128
 “自分大切そして他者大切”です。まず自分自身の幸せために生きましょう。

心が喜ぶことを一日ひとつでもコラムNo21
 あなたの“心が喜びそうな10ヶ条”を作っておきましょう。ストレスを感じたときそれを睨んで、その時出来そうなことをやってみて下さい。

3分間呼吸法コラムNo135
 呼吸を取り戻すことは自分に返る一番の方法です。自分を見失っているな…と感じたら、意識的に呼吸を2~3分してみることで自分軸を取り戻します。

愉しくなくても笑ってみることコラムNo130
 ストレスを感じたら、敢えて笑顔を作って笑ってみましょう。不思議ですが、口角をギュっと上げて作り笑いをしただけでも、私たちの“脳”はその気になって、脳内物質(ホルモン)を分泌して細胞を活性化し、気持ちを明るくしてくれるらしいのです。


 だいじょうぶ!心配するな 何とかなる!
 一休禅師

*次回のコラムは2024年11月20日前後の予定です。

2024年9月20日金曜日

Talk less Act more

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Column 2024 No.136

 今回のタイトルは「口数を少なく行動を多く」という西洋に伝わることわざのひとつです。昔から“子どもは親の言う通りには育たないが、親がするようには育つ”といった意味合いの格言もありますが、特に子どもを導いていく上ではガミガミと言って聞かせるよりは、行動して見せる方が、より子供の心に入る…というわけです。

 最初はマネみたいなところから始まりますよね。
 色々な人のフォームをまねしたりして、
 何となく今の自分がいるという感じはありますよね
 イチロー選手

 「親業」のセミナーでは、子どもの問題行動に関して色々な解決方法が示されていますが、中でも「模範を示す」つまり子どもに強要する前に、まず親自身がやって見せる…という方法は、多くの解決策の中でも、最も子どもの心に大きな影響を与えます。イチロー選手のフォームが、実は模倣することから始まり、その結果、彼のオリジナルなスタイルが出来上がったように、子どもが自分の独創性に辿り着くための第一歩として、多くは親を見て学んでいるのですね。

 N子ちゃんは“挨拶ができない”…ということをクラスの先生から指摘されたり、おばあちゃんから注意されたりすることがあって、そのことを悩んでいたお母さんは、少し神経質になってしまいました。その都度N子ちゃんに「あいさつは?」「こんな時にはありがとうと言うのよ!」と、教えるのですが、N子ちゃんは一向に出来る気配がありません。

 その後、「親業」を学ばれたそのお母さんは、子どもを急(せ)かしていくことを辞めてみました。そして“まず自分からやって見せよう”ということに気づかれたのです。朝起きてきたN子ちゃんに「おはよう!は?」と急かす代わりに、お母さん自身の方から「N子ちゃんおはよう!」と言ってみたのです。N子ちゃんの反応を期待することなく、「N子ちゃんありがとう!」「N子ちゃんいってらっしゃい!」毎日お母さん自身から無心にやってみられたのです。

 初めは何の反応も無かったようですが、やがてお母さんの声掛けに対して、小さな声ですが、N子ちゃんの「おはよう…」「有難う…」が少しずつ返り始めたそうです。お母さんは「親業」で学習した肯定の気持ちを表すことも忘れませんでした。「N子ちゃんの“おはよう”と言う挨拶を聞くと、お母さん凄く元気がでてくるよ!」と。

 それから何か月か経った頃、N子ちゃんの方から少しずつ「おはよう」「ありがとう」「行ってきます」「ごめんなさい」…等々のあいさつが出てくるようになったそうです。N子ちゃんが、これまであいさつ出来なかったひとつの理由は、そのあいさつ言葉を、どこでどう伝えていいのかが理解できていなかったということもあったようで、お母さんが適材適所でやって見せることで、N子ちゃんは一つずつ飲みこめていったようでした。これは親が“模範を示す”ことで、子どもの困った行動に対処していく「親業」が示すひとつの解決方法です。

 モデリングは、人生を成功させるマスターキーである
 ジェームス・スキナー

 しかし子どもに一番影響を与えているのは、親が無意識に取っている行動です。あるお母さんは、長男が弟に「お前頭悪いなあ」と言っている言葉が気になって「そんな人を侮辱するような言い方はやめなさい!」と注意したら「だってお母さん僕によく言うじゃない!」と反発したそうです。お母さんはよくよく自分のやっていることを思い返してみると、確かに長男に対して日頃、無意識にそれに近い言葉を出していることに気づかれたのでした。

 次は保育士をしている受講者の方から伺ったお話ですが、園児のK君が絵本を読む時、唾(つば)でびちゃびちゃになった指でめくるのを見かねて「K君そんなに唾のついた指で絵本をめくらないの」と言ったらすかさず「先生がやってるもん!」と言ったそうです。初めは意味が解からなかったそうですが、「指が乾燥してページがめくれない時、大人ってちょっと唾をつけてめくりますよね。K君はそれを見ていて自分もやってみたかったのでしょうか。笑ってしまいました。無意識にやっている教師の一挙手一投足を、子どもはじっと見ているんですねえ。驚きました」と話していらっしゃいました。

 さて、子どもに影響を与えているのは周りの大人や親ばかりではありません。出どころは不明ですが、ある実話をご紹介致しましょう。

夫を海の事故で亡くしたある母親は、三人の息子が成長しても決して船乗りにはさせないと決心して、子ども達にその思いも伝えていました。ところが息子たちは、年頃になると、一人また一人と家を去って、みんな海に出てしまいました。その母親はとても落胆して、なぜあれほど自分がいやだと思っていた船乗りにみんななってしまったのだろう…と考えていると、ふとその理由が分かったような気がしたのです。彼らの部屋には荒海を力強く乗り切っている一枚の美しい帆船の絵が壁いっぱいに貼ってあったのです。母親の努力を無にさせるほどの感化を与えたのは、実はこの一枚の絵だった…ということをその母親はその時確信し、愕然としたというのです。

 子どもは“環境の子”と言われます。部屋に貼られた一枚の帆船の絵が、子ども達の心の中に“海への憧憬”を静かに育てていたのですね。言葉よりも周りにある環境が、子どもの心に大きな影響を与えている…ということを示しています。

 そう考えると、“親”の存在は、子ども達にとって大きな環境のひとつになっているのですね。“幸せに生きている親の姿”が子どもの環境になっていたら、幸せとは何?と求めなくとも、子ども達は自然に幸せをつかむことができるでしょう。私たちは、子どもの幸せを願いながらも、つい怒ったり愚痴ったりしている姿を多く子どもたちに見せています。

 かけがえのない一度の人生です。親も子ども達も、みんな幸せに生きていきたいのです。まず親自身が真に幸せと感じることを、ひとつでも沢山自分自身に与えてあげて、生き生きと生きている親の姿を、子ども達の環境に加えてあげたいものですね。

*次回のコラムは2024年10月20日前後の予定です。

2024年8月20日火曜日

今、ここを生きる

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Column 2024 No.135

 “今を生きる”については、これまでもテーマを変えて何度か配信してきました。今回もそこに触れてみたいと思います。

 余生という言葉ありますけどな。
 余りもんの命はどこにもありませんなあ。
 命はつねにまっさらですわ。
 上手な舞い手さんはどこでシャッターを切っても絵になってますけどな。
 それと同じで、命は“いま”“いま”“いま”常にまっさらで、
 一瞬一瞬すべてが完結しているんですなあ
 梯實圓和上

 このメッセージは、地元のお寺さんが門徒に出されている冊子で、ご住職さんが書かれているブログに取り上げられていたフレーズです。その梯實圓和上さまが、いよいよあの世に旅立たれるとき、耳元で奥さまが「おとうちゃん、56年間 ありがとう。楽しかったね」と言われたら、和上は優しく微笑んで「今も…」と、おっしゃったそうです。梯實圓和上は最期の時まで“いま”“いま”を生きていらっしゃったのですね。

 なぜ“今”のひとときが、この一瞬一瞬が大切なのでしょうか。確かに、私たちが現実に存在しているのは、今この瞬間だけです。しかも今の瞬間は、たちまち過去になってしまいます。私たちは常に呼吸していますが、私たちが生きて呼吸が出来るのは、実は、いまこの瞬間だけです。過去に帰って呼吸は出来ないし、まだ来ぬ未来に行って呼吸することも出来ないのです。つまり実際に生きて存在し、体験し歓喜できるのは“今”だけだということです。

 ところが、私たちは過ぎ去ったことに、いつまでも捉われて悔いたり、責めたり…。又まだ来ぬ未来に思いを飛ばして多くの“今”を不安や恐怖の感情に捉われて生きています。その結果、“今、ここ”を生きるためのパワーやエネルギーを過去や未来に分散させてしまうため、今が完結しないまま、ただ日々を重ねることになるんですね。

 一度だけの人生だ。だから、今この時だけを考えろ。
 過去は及ばず。未来は知れず。死んでからのことは宗教にまかせろ。
 中村 天風
                                                         
 さて、極少未熟児で産まれた日木流奈さんは生後の大手術や薬物の投与…等で脳委縮という後遺症が残り、身体も自力では動けず言葉も口頭では伝えられない状態ですが、ある訓練を受けられた結果、母親の介助により「文字盤」を指すことで自分の気持ち・意志を伝えることが出来るようになりました(コラムNo8)。次はその彼のメッセージです。

 一瞬息が出来なくて苦しいときがあります。
 でも今は息ができるので楽です。
 意地悪を言われたら傷つきます。
 でも今は言われてないからつらくないです。
 みんな自分から苦しい状態を続けています。
 今は無い苦しみを思い続けるから苦しいのです。
 苦しい時のことをそんなに覚えていては人生がもったいないです。

 実際、今の輝いたこのひとときを、すでに無い痛みに捉われてしまうのは、本当に勿体ないことですよね。流奈さんは過去の苦しみは、今は無い…と定めて、まっさらな“今、ここ”を迎え、またそこを生き切っていく。それが梯實圓和上の言う“一瞬一瞬完結された状態”を生きている姿…と言えるのかもしれませんね。

 次はコラムNo128でご紹介した書籍「今日、誰のために生きる?」の中の、SHOGEN氏がブンジュ村の村長から言われた言葉です。かつての日本人は、一瞬一瞬を丁寧に生き、丁寧に味わうことで“今、ここを生きる”ことの喜びや輝きを、実感して生きていたのですね。

 日本人はふだん当たり前にやっている所作(しょさ)の
 一つひとつを愛していたんだ。
 …息を吐いているときの自分、息を吸っているときの自分。
 それをこの上なく愛していたんだ。
 朝起きて家から一歩目を踏み出した時、
 左足のつま先が地面を踏みしめるときの感覚。
 日常の一瞬一瞬に喜びを感じていたのが日本人だったんだよ。

 それでは過去に未来にと思いが飛んでしまいやすい私たちの意識は、どうしたら“今”に戻せるのでしょうか。どうしたら“今、ここ”を、心を込めて生きることができるのでしょうか。ひすいこたろう氏は、今に戻る方法を次のように述べています。

 “今、ここ”に意識を戻す方法って実は簡単なんです。
 身体に意識を向けたとたんに“今、ここ”に戻れるんです。
 身体とは五感のことです。…
 身体はこれまで一度だって過去に飛んだり、
 未来に飛んだりしたことはないからです。…
 身体はいつもここにいるんです。
 身体こそ最も身近な大自然なんです。…
 ゆったりそして丁寧に五感を味わえばいいのです。

 五感とは視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚で、それらを意識して見つめ、嗅ぎ、味わってみることで“今”に返れますよ…と、氏は提言している訳ですね。それら感覚の一つひとつを、ゆったりと味わうことで、確かに生きている感覚が呼び戻せますし、生きている喜びや実感が起き湧いて参ります。

 そして私が心掛けているのは「呼吸」です。“人生に迷ったら自分に返る”のフレーズをこれまで何度か取り挙げましたが、生きることに迷った時、自分の呼吸を思い出してみるのです。そして目を閉じ意識的にゆったりと、息を吸い、息を吐いてみる方法です。これを2~3分間続けます。すると自然に“自分軸”にすっと立ち返ることができます。“人生に迷ったら自分の呼吸に戻る” これは私が辿り着いた“今、ここ”に戻るための、簡単で効果的な方法のひとつです。

 日常を丁寧に過ごすこと。とことん丁寧に。
 SHOGEN

*次回のコラムは2024年9月20日前後の予定です。

2024年7月20日土曜日

「依存」と「自立」

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今年は親業上級講座も開催します(9月開講。4~5年に1回の講座です)

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Column 2024 No.134

 社会においても家庭内においても、「自立」はいつも大切な要素として語られます。真の自立とは何でしょうか。

 「自立」とは、自分の人生を自分が主役で生きるということであり、他者に依存しないで生きていける力です。自分の趣味を楽しむ。友達をつくる。新しい技術を習得する…といったような、自分が自由に出来る範囲で、自分自身でやりたいことが決定でき行動できる力です。自分の幸せを周りに期待しない生き方です。

 自立心!自分自身を頼りにする気持ちだ。
 自分自身以外の物事に必要以上に影響されないことだ
 村上 龍(作家)

 自分自身だけを頼りにして、他者と関わることを厭い“自分は自分だ”と自分の枠の中にだけいるとしたら、それは自立しているのではなく、単に孤立している人と言えるかもしれません。村上氏が「…必要以上に影響されない」と表現しているように、真に自立した人は、他者にあまり影響されることはないにしても、無関心ではありません。つまり相手の人が困っていれば助けの手を差し伸べるでしょうし、自分が困ったら相手の人に助けを求めることも出来るでしょう。

 人間は一人では生きていけないのです。何かの時に人さまに頼れる人は素晴らしい能力です。誰にも頼れない人は、多くの場合、ベースに“人間不信”があり、人との付き合いに対して怖れがある為、人との間に壁を作ってしまいます。真に自立した人は、とてもバランスのいい人と言えます。ベースに“人間信頼”があるので、自分軸を持ちながら、必要あれば知識のある人から知識を頂き、技術を持っている人からは技術を頂き、自分自身も他者からの要請があれば喜んで協力出来るのです。

 「わたし」の価値を他人に決めてもらうこと、それは依存です。
 一方「わたし」の価値を自らが決定すること。これを自立と呼びます。
 岸見 一郎(哲学者・心理学者)

 自立した人は、自分自身の中に価値基準を持っていますので、他者からの評価をあまり気にしていません。自分は自分だ…と、ありのままの姿で生きています。だから他者に対しても柔軟性と幅をもって接することができるのです。

 さて、自立の要素には色々な側面があります。

 「ものの考え方」「価値観」「ジェンダー観(男性・女性)」「感情」「自他分離感」…等々、自立とはこれらの要素が一人ひとりの中でどれだけ支配できているか…ということでもあります。

ものの考え方・価値観
 「事実」はひとつですが、ものの考え方、捉え方、つまり「真実」は人の数ほどあります。そのため価値観も「いい・悪い」「正しい・正しくない」と言った判断が出来るものではありません。よって自立した人は他者の価値観を批判することはありませんし、自分の価値観を堂々と表現できるのです。

ジェンダー観(男性・女性)
 これまでは男性優位の時代だったと言われます。社会的にも男性が優遇され、仕事面でも確かに性差がありました。“男性は社会に女性は家庭に”…のように。しかし近年はこれらの価値観はかなり形を変えてきましたね。一人ひとりが自立し、ジェンダー観が少しずつ変容していった結果でしょう。また子育てには、父性も母性も必要です。父性の社会性や表現力、母性の受容能力。双方の要素があって初めて子どもの心は育ちます。しかし必ずしも父性は父親から、母性は母親から…ということではなく、その人ひとりの中に男性性と女性性の心地いいバランスを持っていれば、例え“ひとり親”であっても子どもは立派に育つのです。ジェンダー観(男性・女性)からの自立とは、性別の違いを事実としてちゃんと受け入れた上で、一人ひとりの中での男性性と女性性を統合していく力です。

感情の支配・自他分離
 自立した人は、自分自身の感情、例えば怒り・不安・心配・悲しみ…等々の感情を価値判断することなく、真っ直ぐに感じ取ることができます。しかもその感情を自分自身でコントロールできるので、怒りから癇癪を起したり、不安心配から泣き叫んだり落ち込んだり…など、大きくバランスを崩すことはありません。そして自分自身の思いについての“自己表現”や、他者からの意見の“傾聴”をバランスよくできるのです。

 また自立した人は、自己表現するところまでが自分の責任と考えます。それにどう反応するのかは相手の責任…といった自他分離感を持っています。だから第三者に何かを言われて傷ついたとしても、“傷つけられた”とは言いません。“自分が傷つくことを選択した”と、あくまでも自分の感情に責任を持っています。逆に自分の言葉で相手が怒ったとしても、意図的に怒らせたのでなければ“怒らせてしまった”とは言いません。相手の感情は相手のもの…ということを理解しているからです。

 社会が健全に機能するためには、
 それを構成する人たちが一致団結するだけでなく、
 一人ひとりが「自立」することが何より大切なのです
 アルベルト・アインシュタイン

*次回のコラムは2024年8月20日前後の予定です。

2024年6月20日木曜日

年齢を脱いで自分を生きる

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Column 2024 No.133

 今年も又ひとつ年齢を重ねました。若い頃は年齢を重ねることは大切な記念日であり、得意な気持ちが混じったような重ね方だったと思います。ところが今は齢を重ねるごとに“もう~歳になったんだ。だからこんな感じなんだな…”と、その年齢のイメージの中にしっかりはまって、無意識にその生き方を演じてしまっている自分にふと気づきます。

 ずっと以前ですが、シャンソン歌手でエッセイストだった石井好子氏の講演会に参加した知人が、石井さんが話した内容が面白かったと言ってその情報を送ってくれました。その一文です。

「…今年60周年記念コンサートをするが、そのテーマを“さよならは言わない”とした。“さよなら”には私の歳では意味がこもり過ぎる。TV局やコンサートの開演前に若い助手が“お迎えに参りました”とやって来る。以前は何ともなかったその言葉がこの頃どうも気になるので、別の言い方にしてほしいと頼んだ。すると彼はしばらく考えていたが、おもむろにこう言った。“もうじきでございます”…」

 何だか可笑しくて大笑いをしてしまいました。最後まで現役で若々しくいらした石井さんでしたが、このメッセージの5年後に88歳で逝去されました。人の命はいつ終わりが来るかわからないだけに、石井さんをはじめ高齢になってくると年齢はけっこう気にかかるものなんですね。

 しかし、年齢って不思議ですよね。50歳代で、すでに老年を感じさせる人もあれば、90歳を過ぎてもなお若者のようなエネルギーを放っている人もあります。この違いは何がその人に働いた結果なのだろう。そんな年齢の不思疑さをしきりに感じていたからでしょうか。以前コラムにも書ましたが、朝に近い時間、うとうとした夢の中で何処からか、はっきりとある語りかけを感じたのです。“なぜ人は歳をとる(老いる)のか解かりますか。それは多くの人々が持っている共通概念、つまり社会(集合)意識からの影響を受けているからです”…と。目が醒めて「なるほど!」と私自身、膝を打つ感じがありました。年齢の不思議さが、ある程度明快に解けたのです。何度か触れていますが心理学者のユングは次のように伝えています。

 人類すべては、人類発生以来脈々と受け継がれてきた信念・価値観・恐れ・不安…などを、人類共通の概念として潜在的に持っている。それをユングは“集合的無意識”(社会意識)と呼んでいます。我々はそれらの影響を確実に受けながら今の人生を創っているのだと…。夢で気付かされたことは、例えば私たちが“老化”を迎えるのは“人間は歳を重ねるに従って確実に老いに向かうものだ”…といった集合意識(社会意識)にまんまとはまってしまった結果なのだという訳です。

 人生を挑戦するのに年齢なんて関係ない。そもそもこの世に時間などない。
 それは人間が勝手に創ったものだ。私は時計師だからそのことがよくわかる
 フランク・ミュラー

 時計師さんだからと言って“時間は人間が勝手に創ったものだ”と真実解かるのだろうか…。でも私は彼のその言葉に、実は釘付けになったのです。何故なら、このところ、時間の経過が日毎にどんどん短く感じられ、この流れで行くと時間は、やがて無くなってしまうのではないか…と私の頭の中で、時間という概念が実に不確かなものになってきていたからです。

 ミュラーの言うように、もしかしたら時間は本当には無くて、人間の思考で創られているものなのかもしれない…。そうなると時間は、イリュージョン(錯覚・幻想)であるはずなのに、人類はその時間の存在を信奉して、その時間の経過の中で、当然のように歳を重ね、老化を迎えているのかもしれない…と、私なりに思ってみたのです。次のように述べている人もあります。

 …実は時間を忘れて無我夢中で瞬間瞬間を生きていると、
 老化のスピードも著しく落ちてDNAレベルでも若返ってきます。
 「もう70歳だから」などと言う年齢の概念も一切関係なくなり
 どんどん進化アップデートしていくのです。
 このような生き方こそが、これからの宇宙の流れに即した生き方です。
 並木 良和

 何だか元気が出るメッセージですね。実は人は年齢で老いるのではない。一人ひとりの思考つまり観念・信念が自分の身体をも創っているのだ…という訳です。もしこう言った考えを、多くの人類が理解し始めたとき、これまでの集合無意識層は徐々に塗り替えられて、“老化”というイリュージョンをやがて超えていけるのかもしれません。その真実はまだまだ摩訶不思議な世界ですが、先ずは社会意識(集合意識)に捉われず、決然と年齢を脱いで、一人ひとりが自信をもって自分なりの人生のストーリーを描き始めていきたいものです。

 女(おんな)ふたり行く。若きはうるわし。
 老いたるは、なおうるわし
 ウオルト・ホイットマン

 “老いたるは、なおうるわし…” 歳は重ねても自分を磨き成長を続けた人は、ホイットマンの言うように、息をのむほどの美しさと輝きを放っています。ある受講生Tさんの、その当時85歳だった母上の“毎日の七つの信条”をうかがったことがあります。素敵なのですぐにメモったものです。

1.定時に起きる 2.顔を洗う 3.お化粧をする 4.お掃除をする
5.横にならない 6.買い物に行く 7.食事を作る 

 ごく平凡な生き方ですが、日常生活ひとつひとつを、丁寧に生きていらっしゃる姿勢が伝わってきて心打たれたものです。私自身も、自分の生き方のスタンスを大事にして、とりあえず年齢は脱いで、新しい今日の命を輝かせて、丁寧に生きていきたいものだと、改めて思ったことでした。

 生きる日の歓び・哀しみ。一日一日が新しい彩りをもって息づいている
 岡本 太郎

*次回のコラムは2024年7月20日前後の予定です。

2024年5月20日月曜日

「許す」と「受容する」のちがいは?

  2024年 講座開講スケジュール ★2024年講座予定公開中。上級講座も開催★

今年は親業上級講座も開催します(9月開講。4~5年に1回の講座です)

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Column 2024 No.132

 以前、受講者の方から「“許す”の意味と、親業で言う“受容”の違いがよく解らないのですが…」という質問を受けました。双方とも“許す(赦す)・受け入れる”…といった意味を含んでいますが、明確な違いがあります。

 「許す」は“許可”の文字に示される通り、相手の行動に許可を与える。相手が行う行為を認める…といった意味合いがあります。また“ゆるす”という語彙の中には「赦す」の文字で示されるゆるしもあります。こちらは“恩赦”の文字に示されるように、相手が行った行為の失敗を責めないとか、相手の罪や過ちをゆるす…といった意味合いがあります。“許す”よりも“赦す”…には精神的な深いゆるしを感じます。

 「受容する」はさらにもう一歩深いゆるしです。受容の「容」の本来の意味は“器(うつわ)”を意味しています。よって器ごとそのままを受け入れる…といった意味があります。“許し・赦し”には特定のものをゆるすといった狭い意味合いがありますが、“受容”のゆるしには、器(容)ごと受け入れるといった深さと幅があって“無条件のゆるし”とも言えるでしょう。

 母親を「おふくろ」という呼び方が日本にはありますよね。我が子がどんな状態であろうと、どんなに困った子どもであろうと、母親とは、暖かい自分の袋の中に、我が子を無条件にすっぽりと包み込んでくれる存在…と言った意味合いがあります。これが真の「受容」の形と言えるかもしれません。

 もう少し「許し」と「受容」の違いについて具体的にお話してみましょう。5年生のA君が学校から帰るなり「お母さん今日テスト返してもらったけど怒らない?」と訊いてきました。お母さんは「うん!怒らないよ。だから見せてごらん」といわゆる許可を与えます。許可を与えておきながら、悪い点を見たら「ゲームばっかりしているからでしょう!」と怒ったりしています(笑)中途半端なゆるしの形です。次に、その子を「受容する」(器ごとそのままを受け入れる)事例をご紹介してみます。

A「お母さん今日テスト返してもらったけど怒らない?」
母「お母さんが怒るかもしれないと思って不安なのね
A「うん、でも教えてあげるね。40点だったんだ…」
母「そう、40点でがっかりしてるのね
A「そう、それから社会は60点だった…」
母「そう、60点だったの
A「うん、だけどね、5年生になると理科も社会も難しくなるから仕方ないんだ」
母「そう、五年生になると学科が難しくなるのね
A「そうなんだよ。でも難しいからもっと頑張らなくてはいけないんだよ…」

 途中ですが、ざっとこんな会話です。いい・悪い…の許可は一切与えず“あなたの気持ちを、ただそのまま受け取っているよ”…と、A君の器(うつわ)丸ごと受け入れています。これが「受容」の形です。自分そのままを受けとってもらった子どもは、親の“無条件の愛”を感じ、その結果、自分に自信を持ち、“自分は自分でいいのだ、自分の感度で生きていいのだ”…と、真の自立に向かっていけるのです。

 次に“許可”の「許し」と、相手を器ごと(丸ごと)受け入れる「受容」の“ゆるし”で対応された子どもの、心の動きの違いを見てみましょう。

 あなたの子どもA君がある日、「今日学校を休んでいい?」と訊いてきたとします。これに対してふたつの反応があります。そのひとつは「休んでいいよ」という“許可”を与える反応。もう一方は許可は与えず、学校を休みたい子どもの気持ちをそのままに丸ごと“受容”して「そうか学校を休みたいんだね」…といった対応をします。

 “休んでいいよ”と“許可”を与えられた子どもの心の動きはどうなるでしょう。“お母さんが休んでいいと言った…”と受け取り、無意識ですがお母さんに責任を預けて学校を休むことになるでしょう。さて一方、A君の気持ちをそのままに 受容して(受け取って)「学校を休みたいんだね」と返された場合の子どもの心の動きはどうでしょう。

 お母さんに、自分の気持ちそのまま受容された場合のA君は“そうか、いま自分は学校を休みたい気持ちなんだなあ”と、まず自分の心を見つめることが出来ます。そして「うん、しんどいから休みたい」と返してくるかもしれません。お母さんはさらに「そうか、しんどいから休みたいんだね」A君「うん、だからぼく今日は休む!」お母さん「そうか休むことに決めたんだね」と言って、休むことを決めたA君の気持ちを、あくまでも器ごと容認しました。A君は自分の責任で休むことを決めたのです。

 許可を与えられて学校を休むのか、自分自身で決めて学校を休むのかでは、子どもの休み方の心情には明らかな違いが出てくるのです。子どもの成長過程にとって「許可」を与えられて育った傾向の子どもは、親にとって都合のいい子が育つかもしれませんが、自立は妨げられるかもしれません。一方、「受容」的に育った子どもは、自分自身を見つめ、答えを自分の中に求め、自分から来る答えを信頼しはじめるのです。これが真の自立です。

 たとえあなたが何をしていようとも、
 それをしている自分を丸ごと愛してあげなさい
 タデウス・ゴラス

 ゴラスの言うように、私たちも、どんなにみっともない自分であろうとも、今その状態でいる自分をそのまま赦し、愛してあげながら生きていきたいものですね。子どもが「受容」の中で成長し自立していくと同じように、私たちも自分自身に“無条件の赦しと愛”をあげることで、自分の本当の価値を見い出し、自信を持って人生を生きることが可能になるのではないでしょうか。

*次回のコラムは2024年6月20日前後の予定です。

2024年4月20日土曜日

”こころに筋力”をつける

 2024年 講座開講スケジュール ★2024年講座予定公開中。上級講座も開催★

今年は親業上級講座も開催します(9月開講。4~5年に1回の講座です)

 下村亮子チャンネル『 TRUST YOUR FEELING - あなたの中の答えを信じて 』  Youtube音声番組を始めました。聞いてみて頂けると嬉しいです。

Column 2024 No.131

 私たちの身体には筋力があるために、立ったり座ったりの動作がバランスよくできます。呼吸・発声・食事さえもそれに関連する身体の筋肉が働いてくれなければ行うことができません。年齢を重ねてくると動くことが段々とおっくうになり、その結果、筋肉量がどんどん落ちて益々動くことがおっくうになっていきます。その悪循環で、最悪の場合は寝たきりの状態になってしまうわけですね。健康的に自立して生活していくためには、筋力は必要不可欠な要素です。

 しかし朗報があります。その気になれば、年齢に関係なく筋力はつけることができる…ということです。一生、健康で若々しく生きていくためには、おっくうだな…と思ってもちょっと体を動かしてみる。日常のすべての動作に、ちょっと負荷をかけることを心掛ける…などです。また「脳」も筋肉と同様に、鍛えれば鍛えるほど強くなるそうですよ。そして最近こんなフレーズにも出逢いました。

 有難いことに、“心”は筋肉によく似ている。
 使うことによって鍛えられ強くなるのだ
 ブライアン・トレーシー

 “脳”も鍛えれば筋力(脳の力)が付いてくる。それならばトレーシーも言うように、使うこと(使い方)によって“心”にも筋力をつけることが可能であるということ…大いなる希望ですね!

 こんな経験はないでしょうか。自分の中の固定観念が自分を不自由にしていることにはしっかり気付いていながら、それを思い切って手放していくことができない。また、断捨離(だんしゃり)は必要だしやりたいのに、それを始める方に体が動かない。お稽古を始めたいと思いながら、言い訳けがいっぱい出てきて結局は始めない…等々。

 しかし、こんな力が私たちの中にあったらどうでしょう。この固定観念はもう要らないと思ったら、すっとその執着を手放せる力。断捨離が必要だと思ったら「さあ!やるぞ!」とすぐに動ける瞬発力・行動力。このお稽古を始めてみたいな…と思ったら「分からないけど、とにかく始めて見よう!」といった心の柔軟性・楽観性…。これらの能力を私は“こころの筋力”と表現したいと思いました。

 しかし、この“こころの筋力”は物理的に鍛えるというものではないだけに、実はとても難しいものだと思います。私の経験では、心を違った方向に使いすぎると、逆に消耗して心が弱くなってしまうことさえもあり得ます。今回は私の学びと経験の中から、私なりの「こころの筋力」について、いま感じていることでまとめてみたいと思います。

 哲学者や思想家の多くの先達は、“失敗を覚悟で挑み続けよ!” “逃げるな!あきらめるな!” “順境よりも逆境の方が人間を強くする”…と喝破しています。それらの言葉は私たちの弱い心を奮い立たせ、励まし、心に元気を与えてくれる場合もあります。しかしその言葉通りを受けとると、時に大切なことを見逃してしまう危険性もあります。

 例えば、真の“こころの筋力”をつけてきた人々は、成育歴の中で、逆境の中にも母親に守られてきたとか、誰かの愛情を受けながら育ってきた…といった背景が必ずあります。また失敗を覚悟で挑み続けられる人々や、決して諦めないで前進できる人々の背景も同じです。愛によってその人の心の中に既に、ある程度の筋力が付いているからこそ楽観的でたくましいのです。

 逃げない。はればれと立ち向かう。それがぼくのモットーだ
 岡本 太郎

 しかし、この基礎的な“こころの筋力”がない場合はどうなるのでしょうか。過酷な環境の中、誰の愛も受け取れなかったと感じてきた人があるとしたら、救いはあるのでしょうか…。私はあると感じています。愛に囲まれ幸せに育った人に比べると数倍もの忍耐は要るかもしれませんが、必ずその力は手に出来ると信じています。

 ただベースに次のような思いがあることが必要となります。“自分を幸せにできるのは自分自身しかいない”という真実を受容できる。また“自分は幸せになる資格がある”と信じることが出来る…この辺りがあなたの中にあればその筋力は必ず手に入ると思います。

 “こころに筋力”をつけるために大切なことは、やはり“ありのままの自分を愛する”基礎筋力をつけることから出発です。愛せそうにない自分を感じるなら、愛することができないあなたを、そのまま赦して大切にしてあげることから出発です。「そのままでいい、そのままでいい」とたえず自分に言ってあげましょう。

いまの一瞬のひとときを意識化して大切に生きる
 心に筋力が付いていない間は、なぜか今に居れないで、未来を心配したり、過去を振り返って悔やんだりしてしまいやすいので、その都度「いま!いま!」に気づきましょう。お料理をするときはお料理に集中してみる。子どもと遊んでいるときには遊びに集中してみる。日々の慌ただしい中にもゆったりを意識してみる…。

自分が幸せな気持ちになるような何かをする
 自分のパワーを未来や過去に分散させないで「いま私何がやりたい?」と、その都度自分の心に訊き、どんなに幼稚でバカげたことでも思い切ってやってみる。あなたにとって幼稚でバカげたように見えることほど、あなたの本当の欲求であることは多いのです。

面白いことが無くても笑ってみる
 前回のコラムNo130のテーマですが、口角をぎゅっと上げて作り笑いをするだけでも、脳から幸福ホルモンが分泌されてくるようです。事実、おかしくなくても笑い顔を作ってみると、不思議に何となく楽しい気分になってきます。私の中でもヒットしていて、“こころの筋力”効果ありです。

一日の終わりに寝床の中で
 今日はどれくらい笑えた?どのくらい遊んだ?今日は幸せだった?楽しかった?…と、それが少しでも出来ていたら、「自分を大切にできたね!」と自分を思い切り褒めてあげましょう。あなたの中の幼い子どもは、特にあなたに認めてもらいたがっています。褒めてもらいたがっています。

 実は、“心”というものは、逆境や試練で強くなるというよりも、自分を愛すること、楽しむことに心を使うことで、強力に筋力が育っていくのです。そして心に真の筋力が付いてくると、逆境や試練にもたくましく耐えることができ、更にそれによって筋力はますます強化されていきます。その為にもまずは“ありのままの自分を愛する”基礎筋力をつけることは何よりも大事です。

*次回のコラムは2024年5月20日前後の予定です。