2023年5月20日土曜日

フクロウが教えてくれた幸せへの道しるべ

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フクロウが教えてくれた幸せへの道しるべ
「サラとソロモン」の物語より
Column 2023 No.120

 「サラとソロモン」(エスター&ジェリー・ヒックス共著)の物語は、日本に「引き寄せの法則」ブームが起こる数年前に翻訳された児童書で、“引き寄せの法則”の元祖と謳われ、本書ではこの“引き寄せの法則”を「共鳴引力の法則」と意訳しています。

 主人公の少女サラが、雑木林に住むソロモンという名の、言葉を話す不思議なフクロウと知り合いになったことから物語は始まります。サラはそのソロモンから沢山の真理を学びます。いわゆる「引き寄せの法則」の精神(からくり)を、ソロモンはサラに解かり易く説いて見せます。今回はサラの疑問に対するソロモンのその明快な答えを幾らか挙げながら、私の感じたことを書いていきたいと思います。(ソロモンのメッセージは一部省略して書いています)次はその2人の会話です。

サラ「私もソロモンみたいに空を飛べたらいいな」
ソロモン「サラ、なぜ空を飛びたいの?」
サラ「いつも地面の上を歩かなきゃあいけないなんて面白くないよ…地面の上にあるものだけしか見えなくてつまらない」

ソロモン「サラ、君は僕の質問にちゃんと答えていない…君はなぜ空を飛びたいかを話したのではない。君がぼくに話したのは空を飛べないことを君が嫌だと思う理由は何なのかということだ」
サラ「どこがちがうの?」
ソロモン「大きな違いだ。もう一度答え直してごらん・・・君が望んでいることについて話してほしいんだよ」
サラ「私は空を飛びたいの!」
ソロモン「そうだサラ、その調子だ。なぜ君が空を飛びたいか話してごらん。それはどんな感じがする?…空を飛ぶことはどんな感じがする?地面の上にいることがどんな感じとか空を飛べないことがどういうことかについて話すのではなくて、空を飛ぶことがどんな感じがするかを話してほしいんだ」

 サラはソロモンが言おうとしていることがやっと飲みこめて、目を閉じて話しはじめました。

サラ「空を飛ぶことはとても自由な感じがする。浮かんでいるような感じだけど、もっと速い」
ソロモン「空を飛んでたら何が見えるか話してごらん」
サラ「町全体が下の方に見える。大通りと車が走っているのと、人が歩いているのが見える…」
ソロモン「サラ、空を飛ぶことはどんな感じがする?どんな感じがするかを言ってごらん」

 サラは目を閉じたまま暫く黙って街のはるか上空を飛んでいるつもりになってみました。

サラ「すごく楽しい!空を飛ぶのはすごく楽しいと思う。風のように早く飛べるし、凄く自由な感じがする。すごくいい気分!」

 物語では、ここで実際にサラは空を飛ぶことができたのです。

 ここからは私の気づきです。サラの初めの言葉「空を飛べたらいいな」は単なる願いです。一方「私は空を飛びたい!」は意志であり欲求です。この違いをソロモンはサラに理解させようとしています。単なる願いのレベルでは引き寄せは起こらないのです。

 ソロモンは“引き寄せの条件”としてサラにまず「欲しいものは何かを知ること」の大切さを教えています。次にそれが手に入ったらどんな気持ちになるか。更にあたかもそれが手に入ったかの如く感じきり、イメージがはっきりするまで自分に語り続ける…ここではじめて欲しいものが手に入る(引き寄せられる)のだよと教えているのです。これらのステップがいわゆる「共鳴引力の法則」(引き寄せの法則)の肝心なポイントです。

 ソロモンは更に語ります。「出逢った不快な状況でのとっさの反応は当たり前。しかしそのあとにいつまでもそれに関して思いを巡らせたり、それについて延々と不愉快な気持ちを周りに話し続けたりしている間は、その波動の中に自分を閉じ込めていることになる」…と。

 宇宙は同じ波動のものを引き寄せ合うのが法則だとすると、不愉快な波動の中にいつまでも自分を閉じ込めていたら、その結果は、やはり居心地の悪い不快な状況を周りから引き寄せてしまうことになるのですね。正しい正しくないという観点からではなく、自分の感情を心地いいものに整えていけば、自然にいいものを引き寄せ、自分の人生を好転させていくことができるわけです。

世の中には福も禍もない。ただ考え方でどうにでもなるんだ
ウイリアム・シェクスピア

 続いてソロモンは言います。「健康を引き寄せたければ君の波動が健康の波動と同じにならなければならない。もしも君が病気の人に注意を向けるならば同時には健康を引き寄せることはできない…だから彼らを見るとき病気の人としてみることを辞め、健康を回復しつつある人としてみるんだ。それよりももっといいのは彼らを健康な人として見ることだ」と。

 自分がいま何に目を向けているのか…は、幸せをつかむための重要なポイントなのですね。私たちが罪悪感でいっぱいになったり、恐怖心に満ちていたり、人を羨ましがってばかりのときには、その瞬間においては私達の波動は、自分の望んでいないその波長とひとつになっているので、やはりそれらのほしくない状況を引き寄せてしまう…ということなのだと思います。ソロモンも言っているように、自分が今感じている不快な感情に気付いたら、望む波長にベクトルを向け直す。つまり自分の心が喜びを感じる方に注意を向け直していくことが大切なのですね。

 日常の出来ごとに対して自分の捉え方を変えること。
 それが私が本書を通じて教わったことであり、
 皆さんにお伝えしたいメッセージです

「サラとソロモン」が心に残る一冊という浅見帆帆子氏(エッセイスト)の言葉です。

*次回のコラムは2023年6月20日前後の予定です。

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2023年4月20日木曜日

今を感じて今を生きる

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Column 2023 No.119

 今回のコラムは、前回の「内面に巣くう“むなしさ”を見つめる」(No118)のコラムに続く思いを纏めてみたいと思います。前回の一文の最後の辺りで「人類の永遠のテーマであるむなしさへの対処法のひとつは過去を憂いたり、まだ来ぬ未来を思案することではなく、この瞬間に今できることをやっていく…ことではないだろうか」と書きました。

 古(いにしえ)から多くの賢者・識者も「いま」というこの瞬間の大切さとか、今を生きることの大切さを強調しています。その辺りを釈迦も述べています。

過ぎ去ることを追うことなかれ
いまだ来たざることを念(おも)うことなかれ
過去、それはすでに捨て去られたり
未來、そはいまだ知らざるなり
されば ただ現在する(いまある)ところのものを
そのところにおいてよく観察すべし
揺らぐことなく 動ずることなく
そを見きわめ そを実践すべし
ただ今日 まさに作(な)すべきことを熱心になせ

 なぜこの今のひとときが、この一瞬一瞬が大切なのでしょうか。確かに私達が現実に存在するのはたった今、この瞬間だけです。しかもすべての瞬間はたちまち過去になってしまいます。実は今、自分の目の前にある現実だけが、私達の生きることができる人生です。過去に生きることはできないし、まだ来ぬ未来を生きることもできないのです。

 …としたら、かけがえのないこの瞬間が、私たちにとっていかに価値があり、大切な瞬間であるかの意味が分かります。可能性を選択できるのも今しかありません。過去や未来に思いを飛ばして、憂いたり不安に思って生きていく一番の損失は、今現在を生きるエネルギー・パワーを、過去や未来に分散してしまうことになるということです。パワー不足になるために今を生きる元気がなくなり、今のこのひとときを益々活用できなくなるのです。私達が孤独感を感じたりむなしくなったりするのは、実は、過去や未来ばかりに生きて、エネルギーを分散してしまっていることが大きな原因だということがよく理解できます。

 1990年代後半の米国映画「いまを生きる」に登場する新任教師キーテイングの数々のメッセージはまさに今を生きるということはどういうことかをとても明確に表現していますので幾らかご紹介します。

 今日を楽しめ 自分自身の人生を 忘れがたいものにするのだ

 親の期待に縛られながら、しかも学校の古い伝統と厳しい規律の中でうつうつと生きている生徒達の前に、新しく赴任してきた型破りの教師キーテイングは、ユーモアあふれる独創的な授業で、厳しいルールや固定観念から生徒たちの心を徐々に解放していきます。

 君だけの道を見つけろ
 自分だけの歩み
 自分だけの方角を
 立派でも愚かでもかまわん

 自分がどんな人生を送りたいのか。どんなことをやりたいのか…今現在だけがその可能性を握っています。キーテイング教師は生徒を机の上に立たせ

 なぜ机の上にいるのか分かるか?
 ものごとを常に異なる側面から見つめる為なんだ。
 先入観に捉われず自分の感性を信頼して自分の声を見つけるんだ。

 今を生きろ!今日咲き誇る花も明日は枯れてしまうのだ

 彼は生徒たちに、敷かれたレールから降りて、自分らしく自分の頭で考え行動することの重要性を、ホイットニーの詩を時折引用しながら教えていきます。生徒たちは彼の授業を通して、今を生きる意味を理解し、自由に生きる自分の道を見つけ、逞しく歩み始めます。

 さて、前回私のコラム(No118)へのコメントを下さったお二方の「むなしさ」の捉え方は「むなしさへの対処法」として貴重な示唆があると感じました。参考になると思いましたので、ここに挙げてみたいと思います。

 MOONさんは自分にきた「むなしさ」と闘うのではなく、去る時には去ってくれるだろうという信頼をもって、そのまま心の中にいることを許し、共にいてあげようと決められた。思っていた通り10日間くらいしたら何のきっかけもなく「むなしさ」は去っていった。

 ももこさんは「むなしさ」のもととなっている事柄は見えつつも先送りしていたけれど、思い切って今できることで対処された。するとこれまで捉われていた「むなしさ」の感情が、霧が晴れるように去っていった。

 MOON さんの、「むなしさ」の感情と共にいてあげる。またももこさんの、「むなしさ」のもととなっているものが何かに気づき、思い切って一歩前に進んでみる…。それぞれお二方にやってきた気づきは貴重です。お二方のように、私たちは自分の中に必ず答えを持っています。自分の感性を信じて、むなしさにも対処していけば、あなたなりの答えが必ずやってくる筈です。

 作者不詳ですが、ご紹介します。まさに今日、今だけがギフト!そのギフトを思い切り利用し、楽しんで生きていきたい…そんな勇気が湧いてくるフレーズです。

 昨日はヒストリー 
 明日はミステリー
 今日はプレゼント

*次回のコラムは2023年5月20日前後の予定です。

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2023年3月20日月曜日

自らの内面に巣くう“むなしさ”を見つめる

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自らの内面に巣くう“むなしさ”を見つめる
諸富 祥彦
Column 2023 No.118

 1990年代後半出版の、諸富祥彦著「むなしさの心理学」(講談社現代新書)を再び手にして、私の中にも時折訪れる“むなしさ”を改めて見つめてみたいと思いました。

 私の場合、さして環境に困ったことがあるわけでもなく、人間関係に苦しんでいるわけでもなく、心が喜ぶことをやって楽しむこともできて、一応すべて日常は安定している。しかし、何かが足りない、何だかつまらない…と、ふっと“むなしさ”を感じるひとときがあります。

 夢多き時代である筈の若者世代にも、この世に生まれてきたことの意味が分からず、人生にむなしさを感じながら生きている者が多いと諸富氏はいいます。彼はこれに答えて「…この時代に生きる一人ひとりが自らの内面に巣くう“むなしさ”を見つめる作業から始めるほかない…」と述べています。

 人生とは不思議なものだ。
 一生懸命働いているのになぜか充実感より空虚感の方が強いときがある。
 反対に失敗続きで貧乏で明日が全く見えないのに、空虚さは感じず、
 自分の生を強烈に感じて充実しているときもある
 綿矢 りさ(芥川賞受賞作家)

 …ということは「むなしさ」と言う感情は、環境が深刻な時に感じる感情と言うよりも、むしろある程度満たされているその心の隙間に、ふっと訪れる漠然とした感情なのかもしれません。興味深いのは、若者を対象にしたアンケートでは、彼らが最も強くむなしさを感じたのは“大学に入ってから”が抜群に多かったと諸富氏は述べています。夢いっぱいの大学生活であるはずなのに、「むなしさ」とはまさに摩訶不思議な感情に思われます。

 諸富氏は、人生の大半の時間を仕事に費やす時代にいる大人が感じている「むなしさ」にも触れています。日本有数の一流大学を出て、人が羨むほどの大企業に勤めている30代前半の彼らが、口をそろえて「出来れば会社を辞めたい」「企業に対しても個人としても夢や希望を抱くことができない。くたびれ果てています…」と。また中年期の“むなしさ”の実態にも触れています。「…中年期と言えば働き盛り。サラリーマンで言えば、そろそろ中間管理職と言った年頃。しかし色々な人の相談を受けていると意外と、この時期は仕事面でも家庭面でも危機的な場面に立たされやすい時期だということが解る…(諸富)」

 仕事を持つ女性のストレスも並大抵ではありません。仕事に加えて家庭の家事一般・子育て・親戚及び社会とのつながりにおける労力。その中で、夫は一日の時間のほぼすべてを滅私奉公で会社と仕事に生きている。家庭を顧みる余裕もない夫との間の気持ちのずれから起こる“むなしさ”を抱えている女性は少なくありません。

 自分の内側で口を開けているそのむなしさから目を逸らさずに、
 きちんとそれを見つめることから始めなくてはならない
 諸富 祥彦

 自分の学業や仕事が将来に繋がっているのか…。将来のことを想うと不安でいっぱいになる。果たして生きている意味はあるのか…。そこで多くの人は“むなしさ”に襲われ、むなしさと闘うことになる。そのむなしさを紛らわせるために、友達同士で毎日のように電話し合ったり、ネットサーフィンに夢中になったり、お酒で紛らわしたり… 私達は無意識にそのむなしさから逃げていこうとします。それが形を変えると、いじめ、不登校、登社拒否、鬱、…等々の現象として現れてきます。

 高齢者を襲うむなしさはさらに深刻です。「…“生・老・病・死”は人生の“四苦”であると言われる。考えてみれば老いることは同時に“病む”ことであり、“死にゆく”ことでもある。…つまり“老い”には“生老病死”の四苦が全てかかわっている。だから上手に老いることは大変難しい…(諸富)」

 深い共感がある一文でした。私の中に巣くっている“むなしさ”も、確かにこの “生老病死”と無関係ではないと実感したのでした。しかしだからと言ってすぐに答えが見つかるわけではありません。私の中に漠然と居座っている“むなしさ”はどんなに頭をひねっても解決の糸口が見つからない難問のように思えます。これは、人智を超えていくことでしか完璧に解決できない問題なのかもしれません。

 あなたが人生に絶望しようとも、人生があなたに絶望することはない
 ヴィクトール・フランクル

 私にも体験があります。鬱状態が続く中で、打つ手が何もないという崖っぷちに立ったとき、一睡もできない日が続き苦しみの頂点に達した時“万事休す”もうどうにでもなれと、自分をすっかり投げ出した時、もう自分はこのまま命が尽きるのだろうと思っていたにもかかわらず、何だか心の底から表現できないような深い安らぎが湧き上がってきたのです。これが諸富氏の「死のうが生きようが関係ない。私たちの思い煩いとは関係なく、身体の内側で勝手に生き働いてくれている何かを感じる…」のと同じ体感だったのではないかと思います。

 私が病から立ち直った後に決意したことは、諸富氏のいう“私達の身体の内側で生き働いてくれている何か…” の、その存在を信頼して生きてみよう。その為に自分には何ができるかということでした。それはまだ来ぬ先々のことを憂いたり思案することではなく、この瞬間に集中して今できることだけをやっていくということだと思ったのです。そしてこれは、人類の永遠のテーマとも思える「むなしさ」へのひとつの対処法ではないか…と今は感じています。最後に、幕末に獄中生活を余儀なくされた吉田松陰のフレーズで、今回のコラムを閉じたいと思います。

 死を求めもせず、死を辞しもせず、
 獄にあっては獄で出来ることをする。
 獄を出ては、出て出来ることをする
 吉田 松陰

*次回のコラムは2023年4月20日前後の予定です。

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2023年2月20日月曜日

時間は人間のために創られているのであって、人間が時間のために創られているわけではない

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時間は人間のために創られているのであって、
人間が時間のために創られているわけではない
イタリアのことわざ
Column 2023 No.117

 今回は「時間」について考えてみたいと思います。20数年前、ある受講者の方から贈って頂いた「モモ」(ミヒャエル・エンデ作)という児童文学書のことを思い出しました。それは確か時間をテーマにした内容だったことを思い出して、もう一度読み返してみました。スリルとファンタジックに溢れていて、初めて読んだ時よりも更に深い感動があったのは不思議でした。

 簡単にそのあらすじを書いてみます。

「今は廃墟となった円形劇場の一画に住みついた、粗末な身なりをした身寄りのないモモというひとりの少女の物語。モモは不思議な能力をもった子どもで、相手が大人であろうと子どもであろうと、その人の話すことを、心の耳を傾けて、ただ黙って聴くだけで、その人の心の中にすっと入っていきます。本当の気持ちが聴きとれるので、モモに話を打ち明けると、誰もが心が柔らかくなり、その人の中から自然に自分に必要な答えがやって来る。その結果、モモは街の人たちにとってかけがえのない存在になります。

そんな折、街中に“時間貯蓄銀行家”と名乗る灰色の男の集団が見え隠れする。その銀行家が言うには“君たちは時間を非常に無駄に使っている。時間を節約して我々の貯蓄銀行にその時間を預けると、近代的で進歩的な人間の仲間入りし、収入も倍になって返ってくる”とうそぶき、その灰色集団が時間の無駄遣いだと決めつけている“人々の睡眠時間”“余暇の時間”“人間関係の暖かい交流”“趣味に費やす時間”“読書を楽しむ時間”“ぼんやりと自分と共にいるひととき”…等々の、豊かで人間的な生活空間をじわじわと奪っていく。人々はあまり深く意識しないままに、どんどんその灰色の集団の思うつぼに嵌っていき、その結果は歓びも生きる実感もなく、日々のノルマをこなすことに営々とする、虚しい人生の落とし穴へと落ち込んでいく。

人々に愛され人々への影響力の大きいモモは、灰色集団に目をつけられます。本当の気持ちを聴きとる能力を持つモモは、灰色集団の正体の真実を知ることになり、追われる身となります。しかし自分自身の気持ちに正直に生き、人々の幸せを心から願って生きているモモには思うように手が出せない。人々が灰色集団に奪われてしまった時間を取り戻すために、モモはその集団と闘っていく決意をします。

純粋なハーㇳと、感度のよさ、運の強さで、モモは強い味方を得ることになり、その者の協力を得て、灰色集団の貯蓄銀行に貯蓄されていた人々の時間を、命がけで解放します。その結果、再び人々にゆったりとした時間が戻っていき、人間的な生活が甦り、人々は心の余裕、喜びの人生を再び取り戻していく…」と言う物語です。

 この物語は他人事とは思えない切迫感を感じさせます。「時は金なり」(ベンジャミン・フランクリン)「時間の浪費ほど大きな害はない」(ミケラン・ジェロ)…などの名言が何だかちょっぴり冷めた気持ちで感じられてきます。

無駄を楽しんでいるならば、その時間は決して無駄ではない
ジョン・レノン

 無駄がないことが社会の優先順位となり、仕事も、標準化・定型業務型が主流となっていきました。人々の生活も日ごとに画一的になり、人々の表情にも活気がなくなってきました。「モモ」の物語は、モモとその他の登場人物を通して、大きく現代社会への警鐘を鳴らしている作品です。

 確かに世界に例を見ない日本の高度成長を支えてきた背景を見ても、技術革新の導入、設備投資、良質の労働力…等々による恩恵があり、もっと効率的に、もっと多くを求めて、一人ひとりが自らの時間を削り、時間外労働や滅私奉公的犠牲心で手にしてきた進化と繁栄があります。しかしその繁栄とは裏腹に、人々の心には寂寥感と虚無感で圧倒されている現実も垣間見えてきます。そんな状況の中で、子ども達も画一的な環境に嵌められて、自分たちの考えた遊びや何かに夢中になって楽しむ場面もどんどん奪われていきました。

珠玉の時間を無駄に過ごさないようにと注意を受けたことがあるだろう。
しかし無為に過ごすからこそ珠玉の時間となる時もある
ジェームス・マシュー・バリー

 「モモ」の物語の中に「灰色の男を生み出したのは人間自身だ。本当はいない筈のものだが、人間がそういうものを発生させる条件を創っているのだ」…という一節があります。厳粛に受け止めたい言葉ですね。自分たちが創りだしたものだとしたら、心豊かに人間らしく生きていくために、本当は何が大切で、何ができるのかをあらためて考えなおせる希望・可能性も感じさせます。

 モモの親友で、登場人物のひとりである道路掃除夫の、べッポのつぶやきで今回のコラムを閉じたいと思います。

「…とっても長い道路を受け持つことがよくあるんだ。おっそろしく長くてこれじゃあとてもやり切れない。こう思ってしまう。そこでせかせかと働きだす。どんどんスピードを上げていく。ときどき目を上げてみるんだが、いつ見ても残りの道路はちっともへっていない。だからもっとすごい勢いで働きまくる。心配でたまらないんだ。そしてしまいには息が切れて動けなくなってしまう。こういうやり方は、いかんのだ…

…いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん。わかるかな?次の一歩のことだけ、次のひと呼吸のことだけ、次のひと掃きのことだけを考えるんだ。いつも次のことだけをな。…すると楽しくなってくる。これがだいじなんだ。楽しければ仕事がうまくはかどる。こういうふうにやらなきゃあだめなんだ。…ひょっと気がついたときには、一歩一歩進んできた道路が全部終わっとる。どうやってやりとげたかは自分にも分らん。…これがだいじなんだ」

笑いのない日 それは人生の無駄な日である
チャールズ・チャップリン

*次回のコラムは2023年3月20日前後の予定です。

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2023年1月20日金曜日

くさらない おごらない 屈しない

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くさらない おごらない 屈しない
村上 和雄
Column 2023 No.116

 村上氏は分子生物学者であり、高血圧を引き起こす原因となる「ヒト・レニン」の遺伝子解読に成功。遺伝子を研究していけばいくほど人間智では解決できない世界があるとし、それをサムシング・グレイトと想定したことで知られている。

 私たちは仕事で挫折したり、誰かに先を越されたり、人間関係でぎくしゃくして自分の非を認めざるを得ない事態に陥ったとき…などに、“くさらない”でいられる人はまずいないでしょう。逆に、他の追随を許さないほどに仕事に成功したり、人々に尊敬され崇められる環境にいるとき“おごらない”でいられる人も、そう多くはいないのではないでしょうか。

勝って驕(おご)らず 負けてくさるな
作者不詳

 このフレーズや冒頭の村上氏のフレーズに私たちが心惹かれるのは、出来そうで出来ない内面のこの葛藤に実はうんざりしており、何とか乗り越えたいと感じているだけに、私たちの魂に深く響くのでしょう。

 しかし、感情にいい・悪いはありません。ものごとが思うように運ばないで、気持ちがくさったり、逆にうまく運んで有頂天になったり、つまり“落ち込む”ことも“驕る”つまり威張る気持ちも、正直に自分を生きていると、必ず感じる人間の自然感情であり、実は貴重な感情体験なのです。

 自分自身の中のくさってしまう気持ちや驕ってしまう気持ちを、ただ感じて味わっていると、やがてそれらの感情が俯瞰出来るようになるものです。するとそれらが、実は居心地の悪いものであることに気づいたり、驕っていた感情が自分にとって本当の歓びではなかったということにも、人は自然に気付いていきます。そしてそれらの気づきが智慧となって、私たちが次に選択する行動に必ず生きていくのです。実はそのプロセスが、自己実現に向かう次のステージに上がっていくために、とても大切な行程なのです。

 「屈しない」というのは意志の力です。くさることがあるかもしれない。おごることがあるかもしれない。しかし、ただその感情に気づいていること。そして本来自分の中にある“諦めない”“めげない”意志の力を思い出して、それを使うことで、私たちは必ず何かを掴んでいくのです。

生きる上で最も偉大な栄光は転ばないことにあるのではない。
転ぶたびに起き上がり続けることである
ネルソン・マンデラ

結果が出ないとき、どういう自分でいられるか。
決して諦めない姿勢が何かを生み出すきっかけになる
イチロー

 私自身も人生に何度か挫折がありました。今思い出しても胸が詰まるような体験です。しかしやはり私は立ち上がることを選択しました。その結果、イチロー氏が言うように、その痛みを伴なった体験の中から、私にとって必要な答えが閃きのようにやってきたのを記憶しています。そしてその時に感じたことは、“諦めない!”という意志の力は、本来誰の中にもあって、諦めないと決意したとき、それはその人の中で、次のステップに進むための大きなエネルギーを発揮してくれるものなんだ‥ということを実感したのです。

努力して結果が出ると自信になる
努力せず結果が出ると驕り(おごり)になる
努力せず結果が出ないと後悔が残る
努力して結果が出ないとしても、経験が残る
作者不詳 

 “自信”も“驕り”も“後悔”もすべて人生における貴重な体験です。例え思うような結果が出ないにしても、必ず経験が残るのですから…。その経験から来る気づきこそが、私たちに叡知を授け、成長させてくれる宝なのです。経験・体験と共に来る感情を、恐れず味わい体験していく。味わうということは感情にのめり込むことではありません。格闘することでもありません。感じて気付いたら、出来ればあとは、あなたなりのやり方で感情を手放していく…これは大切なあり方です。

 その結果“くさる”ことも“驕る”ことも、その人にとってはたいした問題ではなくなり、次にやって来る経験・体験を果敢に迎え入れることができるようになります。このこだわりを超えた積極性こそが自己実現に向かう、まさに王道なのではないでしょうか。

私が無一文になったとき、失ったものは財産だけではないか。
そのぶんだけ、経験から血や肉となって身についた
安藤 百福

経験を賢く生かせるなら 無駄な時間は一切ない
オーギュスト・ロダン

*次回のコラムは2023年2月20日前後の予定です。

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2022年12月20日火曜日

あなたが目的地なのになぜ旅を続けるのですか

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あなたが目的地なのになぜ旅を続けるのですか
賢者のことば
Column 2022 No.115

 この賢者の言葉はいつも私の魂に鳴り響いています。過去、私が生きることに迷って周りの何かに救いを求めて必死だったとき、祖父は自分の胸に手を当てて「亮子!探しても探しても答えは外には無いんだよ。お前の答えはいつもお前のここにあるんだ…」と、よく私に伝えていましたので、このフレーズがなおさら私の心に届くのだと思います。(コラムNo85

 しかし答えが自分の中にあるなんてその頃の私には全く分からなかったので、祖父の言っていることは上の空でした。だから青年期には自分の中の苦しい答えを、宗教に求めたり、色々な人が書いている書籍に答えを求めて、苦しみながら哲学をしていました。また祖父は「本を読み過ぎない」「人の話を聴き過ぎない」…ということも言っていましたので、自分の中でいささか混乱はありましたが、しかし祖父が“私に真実を伝えようとしている”ということは不思議と解っていたのでした。

常に自分の中に答えを求めなさい。
周りの人や周りの言葉に惑わされてはいけません
アイリーン・キャデイ

 今回はその祖父の息子である私の父について書いてみたいと思います。
 父は祖父と違って、とても短気で自我の強い人でしたので、私たち兄弟姉妹はみんな彼が苦手でした。しかしとても男らしく勇敢な気性で、絶対に弱音を吐かない人でした。その反面、とても人情的な人で、テレビドラマにでも感動すると一番に涙を流すような人でもありました。何事も本気で関わるので、世間の人々からは愛され頼りにされている人でした。

 私の子ども時代は大家族で、叔父夫婦もいたり、多い時には13~14人いました。公務員だった父はひとりの働きでその大家族を賄っていたわけです。大変だったと思いますが、父の愚痴を聞いたことは一度もなく、私たち子どもから見るといつも太っ腹で豪快な人でした。やがて私は結婚し、時々父に声をかけて家に招いていました(母は私の結婚前にすでに亡くなっていました)。来訪した父がある日ふっとこんなことを言ったのです。

 「あの大家族を明日は食べさせていくことができるだろうかと思って夜眠れない日があった…」と。父のその言葉は私にとっては、まさに青天の霹靂でした。「お父さん、あの頃叔母ちゃんたちはみんな働いていたし、お祖父ちゃんも医院を開いていて豊かだったよね。どうして助けてもらわなかったの」と訊きました。父のその答えに、私はさらに驚きました。

 「そう。特にお祖父さんは“大丈夫か。大丈夫か”と事あるごとに言ってくれていたよ。でもいつも断っていたんだ。お前のお祖母ちゃん、つまり父さんの母親が父さんにいつも言っていた言葉があるんだよ。“お前は長男だ!どんなに生活が苦しくても世間にしっぽを見せるでないぞ!”とな。父さんは母を尊敬してたから、その言葉を宝のように大切に思っていたんだよ」…と。

 あんなに豪快で強い父が、母親の価値観をそのままに受け取って自分の人生を生きていたのか…と思うと本当に驚きました。しかも父は家計がどんなに苦しくても、家庭内ですら気を許さず、しっぽを見せないようにと一人で頑張ってきたのか…と思うと、本当に父がいとおしくて涙が出てしまいました。(世間にしっぽを見せるな…とは世間に弱みを見せたり恥をさらしてはならない…という意味)

すべて美しいものの陰には 何らかの痛みがある
ボブ・ディラン

 父のその弱さに初めて接してから、私たちが子ども時代の頃から垣間見えていた父の不機嫌さや短気だった理由が、あらためて理解できました。あんなに堂々と男らしかった父の背後には、不安や焦りや哀しみなどの痛みがいっぱいあったのですね。

 私たちが子どもの頃から、父が私たちに事あるごとに言っていた言葉があります。「自分に正直に生きろ!」「嘘を生きるな。ほんものであれ!」と…。おそらく父は自分の不正直な生き方に、はっきりと気づいていて、その背景から出てきた言葉なのだろうと思います。“ほんもので生きよ!”という彼の魂から吐き出すような強い響きのある言葉は、今も私の魂に深く刻み込まれています。

 またもうひとつ父から学んだことがあります。コラムNo53「火の玉事件」で書きましたが、父は何事も疑問があれば、必ず検証し事実を明確にする人でした。父が火の玉の正体を明らかにした時、私にしみじみと伝えました。「亮子!いいか。よく覚えておけ!人は事実を確かめないままに、幽霊が出た…とか火の玉が飛んでいたとか、とんでもない噂を流してしまうんだ。だから自分の目で確かめるということは本当に大切なんだ!」と。

 祖父は“外に答えはない。自分の答えは自分の中にある”ということを教えてくれました。父は自分自身の、矛盾した生き方の痛みの中から“自分に正直に、ほんもので生きること”の大切さと“いい加減な見方や発言はしてはならない。自分の目で検証すること”…の大切さを教えてくれました。祖父と父は、いつも私の人生のそばにいて、私の人生にとって重要なことを、本気で伝えてくれた先達者だったことに、今さらながら気づき心打たれています。そして祖父も父もウイットに富んだユーモリストでもあり、人生を達観した人たちでもあったことを懐かしく思い出します。

あなたが目的地なのになぜ旅を続けるのですか

 このテーマに込められている精神を、祖父と父は渾身の意気込みをもって私に伝えてくれましたが、まだこれからも私は旅を続けるだろうと思います。しかし彼らが教えてくれた「自分を信じて生きる」というその精神は決して忘れないと思います。そして「私自身が私の人生の目的地」ということを、さらに深いレベルで理解して生きていきたいと思っています。

*次回のコラムは2023年1月20日前後の予定です。

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2022年11月20日日曜日

嫌われてもいい勇気をもつ

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Column 2022 No.114

 ここ数年、この「嫌われる勇気」と言うフレーズが大変ポピュラーになりました。フロイト、ユングに並ぶ心理学者の三大巨匠のひとりと言われるアルフレッド・アドラー心理学についての書籍に、題名として使われました。

 “10人10色(じゅうにんといろ)”…という諺がありますが、まさに人は一人ひとり姿かたちが違うように、価値観も主義主張も人それぞれです。だからみんなに好かれるということはまず考えられないことなのです。しかし私たちはどこかですべての人に好かれるような人物になることが素晴らしいことだ…と強迫的に信じていることはないでしょうか。

 その結果、自分の感じ方は後回しにして、周りに合わせて嫌われないように、悪く思われないようにとふるまってしまうことが起ります。周りに合わせた生き方をすることを、ある心理学では「過剰適応」と表現しています。

例えば
とても傷ついているのに笑ってごまかしたり
行きたくないのに誘いを断れなくて行く羽目になったり
自分の意見とは違うのに同調したり
その場の雰囲気を壊さないように過剰に明るく振舞ったり

 つまり、自分に重心を置くかわりにいつもベクトルが他者に向くので、生きている実感が薄く、日常的に心身ともに疲れて、ベースは不機嫌となりがちです。なぜ周りについ過剰に適応しようとしてしまうのか。その正体は、自己イメージが低いことが原因となっています。自己イメージが低い為に「すべての人に好かれたい。人に好かれることで初めて自分に価値が感じられる」という気がしてしまう…。

  一方、過剰適応で生きている人の多くは、自分の中で本当は不正直に生きている現実に大なり小なり気づいており、その息苦しさを何とかしたいと思っているのです。だから冒頭の「嫌われる勇気」と言うフレーズに、爆発的に多くの人々が反応したのだと思います。

 しかし、嫌われる勇気を持つ… 頭では理解できても、本当は簡単ではないのです。自己イメージをいかに上げていくかがポイントだからです。自己イメージが高くなってくるに従って、重心が自分自身の中に戻り、価値基準を他者ではなく自分自身に置き始めるので、他者が自分をどう評価しようとあまり関心がなく、大して気にならなくなるのです。

 私たちは 他者の為にのみ生きているのではないはずです。“魂の成長 ”といった課題を持ち、そこに到達するべく意図を無意識ながら一人ひとりが持っているものだと、私は考えています(コラムNo113)。本当は自身を整える前に他者に過剰に意識を向けている暇など無いはずなのです。

 この辺りを明快に表現している散文があります。

 わたしはわたしのことをして、あなたはあなたのことをする
 私はあなたの期待に応えるためにこの世にいるわけではない
 あなたは私の期待に応えるためにこの世にいるわけではない
 あなたはあなた、わたしはわたし…(以下略)
        フレデリック・パールズ

 他者に好かれようとした生き方は基本的には相手の期待に応えようとする生き方であって、自分の人生を生き切れていないのではないでしょうか。あなたが何をしても嫌う人は嫌いますし、逆にあなたが何をしようとあなたを好きな人も必ずいるもので、他者(ひと)は変えられないのです。嫌われたからと言って決してあなただけが悪いわけではありません。相手の感じ方であって、相手の考えを操作して変えるわけにもいきませんし、いい意味で諦念(ていねん)をもって生きてみるのはいかがでしょうか。

 他人から好かれることにエネルギーを費やすことでの人生の損失は大きいのです。毎日が不自由でストレスフルになります。その上、好かれるために奔走しているので自分の軸が怪しくなります

 あなたの人生の主役はあなたです。どうしたいのか、どう生きたいのかを見つめ、自分を知り(自己理解)、本当にやりたいと思うことをやって正直に生きてみる… 。どんな生き方であっても、自分の生き方・選択に自信をもって等身大で生きていくことにチャレンジしてみましょう。その上で人から嫌われるなら仕方がない。嫌われてもいいではないか…と覚悟を決めましょう。しかしそこを乗り越えふと気づくと、あなたの自己イメージは数段高くなっている筈です。

 アルフレッド・アドラーのフレーズをご紹介して今回のコラムを閉じます。

 他の人からの自分に対する評価は、その人の個人的な見方であり、
 自分の評価そのものには関係しない

 他者の課題には介入せず、自分の課題にも他者を介入させてはならない

 あなたは「暗い」のではなく「優しい」のだ。
 「のろま」なのではなく「ていねい」なのだ。
 「失敗ばかり」ではなく「沢山のチャレンジをしている」のだ

*次回のコラムは2022年12月20日前後の予定です。

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