失ったものより、今あるオトクを捜すようにしてるの。
他人(ひと)とくらべずにね
樹木希林
他人(ひと)とくらべずにね
樹木希林
今年9月、75歳で逝去した樹木希林さんのフレーズです。彼女の死後、テレビ・映画では、彼女を追悼する番組が毎日のように流れ続けました。先日彼女の出演した邦画「日々是好日」を観に行きましたが、どの時間帯も満席で、それは初めての経験でした。
彼女は全身癌に侵されながらも、最後まで、女優として演じ遂げた奇跡的な人でもありました。実に演技のうまい役者さんで、沢山の賞も獲得しています、私は以前から好きな女優さんのひとりですが、ここまでフアン層の広い、人気女優さんだったことをあらためて認識したのでした。
普段の彼女は、さらりと含蓄ある冗談を言い放ち、自分自身を下げることも上げることもなく、それは役を演じるときも同様で、多くは脇役でしたが、普段着の彼女のままで語り、演じていました。得難いキャラクターの持ち主だったと思います。たまたま数年前の「リビングひろしま」紙に、希林さんが取材されていて、その記事を手元にもっていました。その中で彼女が語った一文です。
「…年寄りになると、病気もするし、目もよく見えないと、不自由も増えて、薬やメガネ…と、必要なグッズが増えてくる。だから私は洋服やモノをなるべく減らそうとしていて、不自由さも面白がろうと思って。そこは徳江さん(映画「あん」の役)とギャップが無かったね。白髪も染めるのは勿体なくて、白髪を生かしたパーマをかけたのよ。わあ、こんなこともできなくなった…じゃなくて、面白い発見にしてるの…」
その記事によると、彼女はマネージャーも雇わず、化粧品も持たず、バスやJRを利用して遠いロケ地にも一人で出かけていたという。
「…ジバングに入っているからJRの料金が3割引き…。こんなこと、他の女優さんは知らないんじゃない?ホントは私も“女優”然としたいんだよ~(笑)でも、ならないねえ。私は徳江さんのように草木に耳を澄ましてその声を聴くような豊かな感性もないし、耳を澄ましたら耳鳴りしか聞こえない…」
希林さんの発する言葉は、実にスマートで、ユーモラスで、彼女なりの哲学があって、それを大切に生きてきたことが伝わってきます。他者を恐れず、自分にとっての真実を、堂々と生き、語っていたような気がします。その結果、真実を見抜く目を持っていたので、ある面、多くの人を怖がらせたようです。
「…私は、自分勝手で、決して周りに媚びないけど、欲はあるの。すべてをそぎ落として、力を入れずに、スクッと立っていたい欲…。人間として見栄は必要と思うけど、人と比較したり、他人に張るんじゃなくて、自分に張ることじゃないかしら…」
私にとって、彼女の死は「スクリーンの巨星墜(お)つ…」の感があります。彼女独特の持ち味でさらりと演じ、味わいある光を放ち続けてきました。女優としての希林さんに、私が魅力を感じるのは、彼女は決して周りに媚びず、自分軸がブレることが無かった人のように思えるからです。
こんな彼女が大好きだけれど、しかし不思議ですが、私が彼女のようになれる…とは決して思いませんし、また、なりたいとも思わないのです。私は希林さんとは全く違ったスタンスで生きています。髪も染めて、しっかりお化粧をして、イアリングなどもつけて、自分なりに納得できるお洒落をして人さまに会うし、仕事にも行きます。その方が、今の私にとっては居心地がいいからです。
また遊びを大切にしていて(私もジバングに入っています)私も大抵はひとりで、行きたいところに行くし、自分にとって心地いいことであれば、惜しげもなくお金も使います。“自分勝手で周りに媚びない”…あたりは希林さんと一緒ですが、結構、周りに気は遣っています(笑)希林さんのように“すべてをそぎ落として…”の、心境にはまだまだ遠い気がしています。
どんなに素敵な人を見ても、決してその人にはなれないし、なる必要もないでしょう。価値観の違いはどうであれ、希林さんのように、自分の信じるところを、凛として生き切った生き方を、私は見事だと思うし、とても好きでした。違いは違いのままで、自分の軸をブレさせないで生きている人は、やはりとても魅力的に思えます。
私もさらに自分軸を大切にして、“誰とつきあうよりも…私がわたしとつきあって幸せな気分”…で、いられるような日々を、これからも過ごしていきたい…と思っています。
彼女は全身癌に侵されながらも、最後まで、女優として演じ遂げた奇跡的な人でもありました。実に演技のうまい役者さんで、沢山の賞も獲得しています、私は以前から好きな女優さんのひとりですが、ここまでフアン層の広い、人気女優さんだったことをあらためて認識したのでした。
普段の彼女は、さらりと含蓄ある冗談を言い放ち、自分自身を下げることも上げることもなく、それは役を演じるときも同様で、多くは脇役でしたが、普段着の彼女のままで語り、演じていました。得難いキャラクターの持ち主だったと思います。たまたま数年前の「リビングひろしま」紙に、希林さんが取材されていて、その記事を手元にもっていました。その中で彼女が語った一文です。
「…年寄りになると、病気もするし、目もよく見えないと、不自由も増えて、薬やメガネ…と、必要なグッズが増えてくる。だから私は洋服やモノをなるべく減らそうとしていて、不自由さも面白がろうと思って。そこは徳江さん(映画「あん」の役)とギャップが無かったね。白髪も染めるのは勿体なくて、白髪を生かしたパーマをかけたのよ。わあ、こんなこともできなくなった…じゃなくて、面白い発見にしてるの…」
その記事によると、彼女はマネージャーも雇わず、化粧品も持たず、バスやJRを利用して遠いロケ地にも一人で出かけていたという。
「…ジバングに入っているからJRの料金が3割引き…。こんなこと、他の女優さんは知らないんじゃない?ホントは私も“女優”然としたいんだよ~(笑)でも、ならないねえ。私は徳江さんのように草木に耳を澄ましてその声を聴くような豊かな感性もないし、耳を澄ましたら耳鳴りしか聞こえない…」
希林さんの発する言葉は、実にスマートで、ユーモラスで、彼女なりの哲学があって、それを大切に生きてきたことが伝わってきます。他者を恐れず、自分にとっての真実を、堂々と生き、語っていたような気がします。その結果、真実を見抜く目を持っていたので、ある面、多くの人を怖がらせたようです。
「…私は、自分勝手で、決して周りに媚びないけど、欲はあるの。すべてをそぎ落として、力を入れずに、スクッと立っていたい欲…。人間として見栄は必要と思うけど、人と比較したり、他人に張るんじゃなくて、自分に張ることじゃないかしら…」
私にとって、彼女の死は「スクリーンの巨星墜(お)つ…」の感があります。彼女独特の持ち味でさらりと演じ、味わいある光を放ち続けてきました。女優としての希林さんに、私が魅力を感じるのは、彼女は決して周りに媚びず、自分軸がブレることが無かった人のように思えるからです。
こんな彼女が大好きだけれど、しかし不思議ですが、私が彼女のようになれる…とは決して思いませんし、また、なりたいとも思わないのです。私は希林さんとは全く違ったスタンスで生きています。髪も染めて、しっかりお化粧をして、イアリングなどもつけて、自分なりに納得できるお洒落をして人さまに会うし、仕事にも行きます。その方が、今の私にとっては居心地がいいからです。
また遊びを大切にしていて(私もジバングに入っています)私も大抵はひとりで、行きたいところに行くし、自分にとって心地いいことであれば、惜しげもなくお金も使います。“自分勝手で周りに媚びない”…あたりは希林さんと一緒ですが、結構、周りに気は遣っています(笑)希林さんのように“すべてをそぎ落として…”の、心境にはまだまだ遠い気がしています。
どんなに素敵な人を見ても、決してその人にはなれないし、なる必要もないでしょう。価値観の違いはどうであれ、希林さんのように、自分の信じるところを、凛として生き切った生き方を、私は見事だと思うし、とても好きでした。違いは違いのままで、自分の軸をブレさせないで生きている人は、やはりとても魅力的に思えます。
私もさらに自分軸を大切にして、“誰とつきあうよりも…私がわたしとつきあって幸せな気分”…で、いられるような日々を、これからも過ごしていきたい…と思っています。
絶えずあなたを、何者かに変えようとする世界の中で、
自分らしくあり続けること、それは最も素晴らしい偉業である
エマーソン