大きく深い鈍さをもて!利口であるより愚直であれ!
村上 和雄
村上 和雄
村上氏は「鋭」の方法よりも「鈍」なやり方を積み重ねることで、高血圧の黒幕である酵素「レニン」の遺伝子の解読に成功。世界的な業績として大きな注目を集めました。彼は著書「アホは神の望み」(サンマーク出版)の中で繰り返し述べているのは、こざかしい理屈や常識の枠を超えてしまう器の大きな“愚かさ”の復権でした。
多くの成功者が、自分のことを“…頭の回転が鈍く要領の悪い人間だった。しかしそれが成功へと導いた…”と自分自身を表現しています。そして“その鈍さがあってこそ、難解な問題を諦めることなく、真面目にコツコツと粘り強くやり続けることができた。しかも鋭さに欠けるから、無駄も多く、遠回りで向こう見ずな決断もして、しかしそうこうやっているうちに驚くような発見につながったんだ”…と。
「愚か」と言うフレーズに出逢って、一番に思い出したのは、トルストイの「イワンの馬鹿」(あすなろ書房)というロシアの民話です。この民話には菊池 寛をはじめ沢山の和訳がありますが、特に北御門二郎氏の訳本は血肉が通っていると思いました。のびのびと愚直に生きるイワンのひととなりがよく現されています。私なりに理解したあらすじをご紹介してみたいと思います。
「…昔、ある国に一人の裕福な百姓が住んでいました。彼には四人の子どもがいて、息子のイワンは三男でした。イワンには二人の兄がいて長男は権力に憧れ、次男はお金に執着して商いに追われていました。イワンはみんなに馬鹿にされながらも、耳と目が不自由な妹の面倒を見ながら、毎日汗水たらして百姓生活です。イワンは狡猾な兄たちに、たびたび利用されながらも決して争わず、恨むこともなく要求されるものを「いいとも、いいとも」と惜しげもなく差し出します。“また働けば何とかなるから…”と、全くの無抵抗…。彼は骨身を惜しんで働くけれど、お金にも権力にも全く執着がないのです。結果的に兄弟間には争いが起こりません。それを眺めていた小悪魔たちはそれが面白くなく、兄弟三人に取り付いて仲をかき乱そうと謀ります。兄二人は強欲で、私欲を満たすためなら手段を選ばずですから、悪魔の誘惑に簡単に乗ってしまいます。ところがお金にも権力にも全く興味がないイワンですから、悪魔の策略はことごとく失敗に終わります。
逆にイワンに命乞いをする悪魔から金貨と兵隊が出る便利なからくりを手にします。欲のないイワンですからからくりで手にした金貨も、彼は、遊具・アクセサリーだと思っています。からくりで手にした兵隊は、ただ歌を歌ってくれるものだと理解しています。またまた兄たちに利用されますが、兄たちの振る舞いを見て、金貨も兵隊も人を不幸にすると分かったイワンは金貨づくり・兵隊づくりを兄たちに断ります。(中略)
偶然な経緯があって、ある国の王様から娘(姫)をイワンの妻に…と望まれます。そこも権力欲のないイワンですから、よく解らないままに王室に婿入りします。王様がお隠れになった日(亡くなられた日)イワンはすぐに自分の王衣を脱ぎ、野良着に着替えて百姓仕事を始めます。妃もイワンに従います。目と耳が不自由な妹も呼び寄せます。しかし国民はイワンが馬鹿だと気付き、賢い人たちはみんなイワンの国から立ち去りました。いわゆる馬鹿な人たちだけが残ったのです。
そしてお金は誰も持っていません。残った愚直な国民は王様に倣って、一生懸命に働いて自分も食べ、働けない人々にも食べさせます。それからも小悪魔たちの邪魔が入りますが、のれんに腕押しのようなイワン国の人々にお手上げ状態です。イワン国ではお金を貯える習慣がなく、互いに物々交換をしたり、労力でお礼をしたりして生活しています。それで何も困ることはなく充分幸せで満足しているイワン国の人々だから、悪魔が金貨をちらつかせても、何の反応もしません。やがて落ちぶれた二人の兄たちが頼ってきますが、やはりイワンは彼らを養っていきます。「私を養って下さい」と言う人がいれば、誰でもイワンは「よしよし、一緒に暮らしなさい。わしらの所には何でもどっさりあるから」…と受け入れます。ただひとつ、イワン国には習慣があります。手に“たこ”(仕事をすることで擦れる部分に出来た手の傷あと)のある者は食卓についていいが、“たこ”のない者は、人の食べ残しを食べなければならないという…。」
この作品はロシアのトルストイによって書かれました。トルストイは伯爵家の四男として生まれ、何不自由のない生活でしたが、“人は何のために生きるのか”彼の中に深い迷いが生じてきます。周りの人々の貧しい環境を知るに従い、自分自身の豊かさに疑問と羞恥心を感じ始める。彼はその苦しみに対する答えを、自然科学や哲学の中に真剣に捜し求めました…が、何処にもその答えを見つけることはできませんでした。やがて彼は、真の安らぎは「神への信仰」の中にこそあることを悟ります。そしてそれは無学で貧しい素朴な、額に汗して働く農民や労働者の信仰の中にこそあることに気付き、自身も野に出て田畑を耕し農業に心を傾け、所有地に学校を開くなど、農民の子どもの教育にも力を注ぎ始めます(石田昭義氏のトルストイ略年譜を参照)
そんな環境の中でこの「イワンの馬鹿」は生まれたのでした。このイワンの生き方こそがトルストイの理想郷だったのでしょう。訳者の北御門二郎氏も「イワンの馬鹿」の生き方に心酔し、「…わたしはこの世に生がある限り、人類の理想郷である“イワンの馬鹿”のような村の実現に一歩でも近づくよう皆さんと一緒に歩んでいくつもりです…」と語っています。(北御門氏2004年死去)
今回のコラムは、「イワンの馬鹿」の解説文のようになりましたが、作者であるトルストイ自身がイワンを理想としていた…という実像に触れ、私の中で、文学・哲学の神様的存在であった彼が、急に身近に感じられたことでした。私はこれまで、イワンのような愚直な生き方に心服している多くの賢者・識者がいることに、とても不可思議な気持ちをもっていましたが、彼らは未来を見通していたのだと思います。つまり長い歴史の中で人類は「権力とお金」に惑わされて奔走し、結果的に戦争・テロ・人種差別…等々を生み出してきた…。人類の真の幸せは権力でもなくお金でもない…。イワンのような無欲で無抵抗な生き方が示唆しているその魂と精神こそが、これからの人類に必要なのだ…ということを。
「頭脳への理詰めなアプローチの結果としての智恵などは、イワンの智恵には、とても及びつかない…」と町田宗鳳氏も語っています。村上氏がいう「アホ」もトルストイが言う「馬鹿」も、学問は無いけれどその愚者の生き方の中にこそ真実があるのだ…と、最高の敬意と賛辞の気持ちをその語句で表現したかったのでしょう。そしてまだ足元にも及びませんが、私もしっかりと自分を生きながら、イワンのようなまっすぐな、愛に溢れる精神性を決して忘れまいと思いました。
雨ニモマケズ 風ニモマケズ
雪ニモ 夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク 決シテイカラズ イツモシズカニワラッテイル
一日玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタべ(中略)
東二病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ
西二ツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ束ヲ負イ
南二死二サウナ人アレバ 行ッテコワガラナクテモイイトイヒ
北二ケンカヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハ ナミダヲナガシ
サムサノナツハ オロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ クニモサレズ
サウイウモノ二 ワタシハナリタイ
宮沢 賢治
ハングリーであれ、愚かであれ スティーブ・ジョブズ
多くの成功者が、自分のことを“…頭の回転が鈍く要領の悪い人間だった。しかしそれが成功へと導いた…”と自分自身を表現しています。そして“その鈍さがあってこそ、難解な問題を諦めることなく、真面目にコツコツと粘り強くやり続けることができた。しかも鋭さに欠けるから、無駄も多く、遠回りで向こう見ずな決断もして、しかしそうこうやっているうちに驚くような発見につながったんだ”…と。
「愚か」と言うフレーズに出逢って、一番に思い出したのは、トルストイの「イワンの馬鹿」(あすなろ書房)というロシアの民話です。この民話には菊池 寛をはじめ沢山の和訳がありますが、特に北御門二郎氏の訳本は血肉が通っていると思いました。のびのびと愚直に生きるイワンのひととなりがよく現されています。私なりに理解したあらすじをご紹介してみたいと思います。
「…昔、ある国に一人の裕福な百姓が住んでいました。彼には四人の子どもがいて、息子のイワンは三男でした。イワンには二人の兄がいて長男は権力に憧れ、次男はお金に執着して商いに追われていました。イワンはみんなに馬鹿にされながらも、耳と目が不自由な妹の面倒を見ながら、毎日汗水たらして百姓生活です。イワンは狡猾な兄たちに、たびたび利用されながらも決して争わず、恨むこともなく要求されるものを「いいとも、いいとも」と惜しげもなく差し出します。“また働けば何とかなるから…”と、全くの無抵抗…。彼は骨身を惜しんで働くけれど、お金にも権力にも全く執着がないのです。結果的に兄弟間には争いが起こりません。それを眺めていた小悪魔たちはそれが面白くなく、兄弟三人に取り付いて仲をかき乱そうと謀ります。兄二人は強欲で、私欲を満たすためなら手段を選ばずですから、悪魔の誘惑に簡単に乗ってしまいます。ところがお金にも権力にも全く興味がないイワンですから、悪魔の策略はことごとく失敗に終わります。
逆にイワンに命乞いをする悪魔から金貨と兵隊が出る便利なからくりを手にします。欲のないイワンですからからくりで手にした金貨も、彼は、遊具・アクセサリーだと思っています。からくりで手にした兵隊は、ただ歌を歌ってくれるものだと理解しています。またまた兄たちに利用されますが、兄たちの振る舞いを見て、金貨も兵隊も人を不幸にすると分かったイワンは金貨づくり・兵隊づくりを兄たちに断ります。(中略)
偶然な経緯があって、ある国の王様から娘(姫)をイワンの妻に…と望まれます。そこも権力欲のないイワンですから、よく解らないままに王室に婿入りします。王様がお隠れになった日(亡くなられた日)イワンはすぐに自分の王衣を脱ぎ、野良着に着替えて百姓仕事を始めます。妃もイワンに従います。目と耳が不自由な妹も呼び寄せます。しかし国民はイワンが馬鹿だと気付き、賢い人たちはみんなイワンの国から立ち去りました。いわゆる馬鹿な人たちだけが残ったのです。
そしてお金は誰も持っていません。残った愚直な国民は王様に倣って、一生懸命に働いて自分も食べ、働けない人々にも食べさせます。それからも小悪魔たちの邪魔が入りますが、のれんに腕押しのようなイワン国の人々にお手上げ状態です。イワン国ではお金を貯える習慣がなく、互いに物々交換をしたり、労力でお礼をしたりして生活しています。それで何も困ることはなく充分幸せで満足しているイワン国の人々だから、悪魔が金貨をちらつかせても、何の反応もしません。やがて落ちぶれた二人の兄たちが頼ってきますが、やはりイワンは彼らを養っていきます。「私を養って下さい」と言う人がいれば、誰でもイワンは「よしよし、一緒に暮らしなさい。わしらの所には何でもどっさりあるから」…と受け入れます。ただひとつ、イワン国には習慣があります。手に“たこ”(仕事をすることで擦れる部分に出来た手の傷あと)のある者は食卓についていいが、“たこ”のない者は、人の食べ残しを食べなければならないという…。」
この作品はロシアのトルストイによって書かれました。トルストイは伯爵家の四男として生まれ、何不自由のない生活でしたが、“人は何のために生きるのか”彼の中に深い迷いが生じてきます。周りの人々の貧しい環境を知るに従い、自分自身の豊かさに疑問と羞恥心を感じ始める。彼はその苦しみに対する答えを、自然科学や哲学の中に真剣に捜し求めました…が、何処にもその答えを見つけることはできませんでした。やがて彼は、真の安らぎは「神への信仰」の中にこそあることを悟ります。そしてそれは無学で貧しい素朴な、額に汗して働く農民や労働者の信仰の中にこそあることに気付き、自身も野に出て田畑を耕し農業に心を傾け、所有地に学校を開くなど、農民の子どもの教育にも力を注ぎ始めます(石田昭義氏のトルストイ略年譜を参照)
そんな環境の中でこの「イワンの馬鹿」は生まれたのでした。このイワンの生き方こそがトルストイの理想郷だったのでしょう。訳者の北御門二郎氏も「イワンの馬鹿」の生き方に心酔し、「…わたしはこの世に生がある限り、人類の理想郷である“イワンの馬鹿”のような村の実現に一歩でも近づくよう皆さんと一緒に歩んでいくつもりです…」と語っています。(北御門氏2004年死去)
今回のコラムは、「イワンの馬鹿」の解説文のようになりましたが、作者であるトルストイ自身がイワンを理想としていた…という実像に触れ、私の中で、文学・哲学の神様的存在であった彼が、急に身近に感じられたことでした。私はこれまで、イワンのような愚直な生き方に心服している多くの賢者・識者がいることに、とても不可思議な気持ちをもっていましたが、彼らは未来を見通していたのだと思います。つまり長い歴史の中で人類は「権力とお金」に惑わされて奔走し、結果的に戦争・テロ・人種差別…等々を生み出してきた…。人類の真の幸せは権力でもなくお金でもない…。イワンのような無欲で無抵抗な生き方が示唆しているその魂と精神こそが、これからの人類に必要なのだ…ということを。
「頭脳への理詰めなアプローチの結果としての智恵などは、イワンの智恵には、とても及びつかない…」と町田宗鳳氏も語っています。村上氏がいう「アホ」もトルストイが言う「馬鹿」も、学問は無いけれどその愚者の生き方の中にこそ真実があるのだ…と、最高の敬意と賛辞の気持ちをその語句で表現したかったのでしょう。そしてまだ足元にも及びませんが、私もしっかりと自分を生きながら、イワンのようなまっすぐな、愛に溢れる精神性を決して忘れまいと思いました。
雨ニモマケズ 風ニモマケズ
雪ニモ 夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク 決シテイカラズ イツモシズカニワラッテイル
一日玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタべ(中略)
東二病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ
西二ツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ束ヲ負イ
南二死二サウナ人アレバ 行ッテコワガラナクテモイイトイヒ
北二ケンカヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハ ナミダヲナガシ
サムサノナツハ オロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ クニモサレズ
サウイウモノ二 ワタシハナリタイ
宮沢 賢治