Column 2014 No.2
このフレーズは私が今年の年賀状にしたためたものです。
“人は過ちから学べる・・・”“学ぶ時間はたっぷりある・・・”なんと大きく暖かいゆるしのメッセーでしょう。
私は親業インストラクターになって30年近くを迎えます。しかしその出発は力量も、ひとりの人間としても、まさに未熟なままの出発でした。ボードに平気で間違った文字を書いたり、大切な言葉の言いまわしを間違えたり、高邁なことを言って自分以上に自分を見せようとしたり・・・数え上げれば未熟さには限りがありません。文字や言い回しの間違いは、受講生の方々がその都度まっすぐに私に指摘してくださったものです。
私にとってはとても恥ずかしいことでした。しかし指摘されたミスは再び繰り返すことはなかったし、ミスに気づかないまま講演や講座を続けていたとしたらその方がずっと恥ずかしい結果になったことでしょう。失敗という修正のチャンスが私に訪れたこと、受講生の方々の率直なご指摘に今も心から感謝しています。
でも一番見逃しやすいのは“自分にしか解らない過ち”です。ちょっと吐いた小さな嘘、微妙に他人さまを批判した瞬間・・・等々。仕方なかったのよ・・・。あの人が言ってること変だもの・・・と心の中で言い訳たらたら・・・・。本当は自分に向かわなければならない貴重な瞬間なのに微妙にすり抜けようとする。でも自分の感情はとても正直でやはり心地悪いし、自分で自分の評価を下げていきます・・・。しかし有難いことにやがて必ず対峙しないではおれない羽目にも陥ります。
私はある時から、保身は出来ることならすべてやめて、本当の自分を知りたいと心から思うようになりました。そのためには恐れず“失敗を自分に許そう”と決意したのです。本当に成長したかったのです。しかし、結構それは勇気の要る決断でした。
なぜなら失敗は、私の中の弱点が明るみに出ることであり、見たくない気付いていない自分の中の闇の部分に、対峙せざるを得ない結果にもなるからです。
あるときは愛に欠け愛に悖る自分の言動に愕然としたり、自分の今いる位置の不確かさに戸惑ったり・・・でもその都度、決して逃げないでじっと自分の感情と対峙していきました。苦しいけれどその痛みから沢山のことを学んできたと思います。自分の思いの癖や思いの傾向にどんどん気づいていったのです。
「過ちを改めざる即ちこれを過ちという」孔子の言葉です。
過ちは決して恥ずかしいことではなく、軌道修正をしてくれるチャンスです!過ちに目をつむり、学ばないまま出来事の後悔ばかりをして、罪悪感という重い鎖を一生引きずって生きている人は案外多いのではないでしょうか。
後悔は決して美徳ではありません。相手があるなら自分の心の中でその人に心から詫び、過ちの経験から学んだことに心から感謝して、そしてあとは自分を果敢に許し、果敢に手放すこと。学んだらその出来事はすっぱりと“お払い箱”です。
“自分の中で自分を曝け出す勇気!”
これからもまだまだ私の自己理解の旅は続きます。
(次回のコラムの更新は2月初旬の予定です)