2018年7月20日金曜日

時をわきまえた沈黙は叡知にして、如何なる雄弁より勝る

時をわきまえた沈黙は叡知にして、如何なる雄弁より勝る
プルタコス
Column 2018 No.62

 「沈黙が怖い…」と言う人は結構あります。沈黙が怖い人は、相手の沈黙を破りやすく不自然に饒舌に話したりします。親業では、相手の話すことを“黙って聴いた”り、自分が“黙りたいときには黙る”ことを選択できる…ということをコミュニケーションのひとつの手段としてとても大切に考えています。“語る自由”もあれば“沈黙の自由”もあるということです。

 次は私の講座を受講下さった保育士Hさんの体験です。

「…先日、老人施設にお手伝いに行った。80代半ばの女性が私を呼び“暇になったら来てください”と言う。傍にいき“ご用ですか?”と訊くと “……”(沈黙) “お天気がいいですね!” “……”(沈黙) 何を言っても答えて下さらない。私の話し方が悪いのか…話のネタは…? どうしよう!と、不安でいっぱいになり、その場を立ち去ると、また呼びに来る…。

…“お話しましょうか” “……”(沈黙) 長椅子に一緒に座り、“そうだ…彼女に寄り添ってみよう…。沈黙を守っている彼女のその位置を、親業的に尊重してみよう…”と思い、彼女の手を握り、外の景色を一緒に黙って静かに眺めた。今までの心の動揺・不安から解放され、私の心はゆったりした。彼女を見ると、とても幸せそうだった。15分くらいの沈黙だったと思うが、いい時間が流れた(…と私は思った)

…私は立ち上がって“仕事がありますのでいきますね…”と言うと、“ありがとう”と、にっこりして言われた。こういう接し方もあるんだ…と嬉しくなった。“沈黙”を選ぶ…というコミュニケーション。目から鱗の感じがした…」

 このHさんの体験から、「沈黙」の中には実は、言葉では決して言い現わせないその人の感情や深い想いが湛えられている…ということが伝わってきます。そして私たちが沈黙をするとき(無意識を含めて)、やはり言葉に言い現わせない自分の想いや感情…があり、それを言葉にすると虚しくなってしまいそうな深い想いがあるとき、自然に沈黙を選んでいるような気がします。

 私にも「沈黙」の中に、しみじみと深い愛の力を感じた体験があります。私の二番目の子どもが1歳の誕生日を前に病気で死んでしまいました。青天の霹靂で、私は一生分の涙を流したと思いました。周りの人は色々な慰めの言葉を下さいました。ご愛念はしっかりと伝わってきましたが、何故か心の哀しみには届きませんでした。

 その時の私の父の態度は、他の人々とは全く違っていました。父は無言のまま、私が移動するところに、ただついてくるのです。そして私の傍に何も言わないで、ぴったりとずっと共にいてくれたのです…。その時の、父のその静かな沈黙の中に、ほんものの愛を、私はしっかりと感じとったのです。娘の心の痛みをとうてい言葉では言い現せなかったのでしょう…。普段は我が強く、どちらかと言うと苦手な父ですが、その時の父の温かさは今も決して忘れていません。

 しかし沈黙には色々な顔があるようです。「沈黙」も使い方によっては武器にもなります。言い争いになった時、片方の人が沈黙を行使すると、相手は不安に陥し入れられます。それを沈黙効果と言いますが、このように“作為された沈黙”は、人をコントロールしてしまう危険性があります。

 また「沈黙」はその人を大きく素敵に見せる効果もあります。以前CMに「男は黙ってサッポロビール!」というのがあり、大ヒットしました。“黙ってビールを飲んでいる男性って確かに男の色気を感じるよね!”と言った女性は沢山いました。本当は話すことが無くて自信も無く、黙ってビールを飲んでいたかもしれないのですが…(笑)  やはり沈黙効果のひとつです。

 さて、次はインドのマハトマ・ガンジーに啓蒙され、非暴力運動の先頭に立って、黒人の人種的差別撤廃のために尽力を尽くし、志(こころざし)中半で凶弾に倒れた米国のキング牧師の言葉です。

最大の悲劇は、悪人の圧政や残酷さではなく、善人の沈黙である

 “今、発言すべき問題になっていることに沈黙をすることは、自分たちの命をあきらめてしまうことと同じである…”と。つまり発言しなければならない時には勇気をもって発言すべきである…。“時をわきまえた発信力”の必要性を彼は訴え続けたのです。彼は現実の厳しさを理解しつつも、決してひるまず、言うべきことを果敢に発信し行動していきました。そしてそれは多くの人々の共感を呼び、遂に「公民権法」が制定されたのです。アメリカ建国以来、法の上に施行されてきた人種差別が終わりを告げたのです。結果的には彼は凶弾に倒れました。しかし彼の生きざまと彼のメッセージは後世の人々の魂に力強く生き続けています。

 老人施設でのHさんは “そうだ!沈黙をしてみよう…”と、沈黙を選んで、女性に寄り添ってみられました。その“時をわきまえた沈黙”は、相手の女性にとっていかなる会話よりも、心から安らげるひとときとなりました。

 時を得た“沈黙”そして、時を得た“発信”…しかしその“よき時”は誰も教えてはくれません。それがコミュニケーションの難しさです。その為には、私たちは絶えず自分の心の動き・認識へとチャネルを合わせて生きていくことが、やはり基本的に大切に思います。自分の感情、想いが掴めるに従って、コミュニケーションの感度は増してきます。やがて、自分にとってもそして相手にとっても益になる、適切なコミュニケーションの選択が、より可能になるのではないでしょうか。

ひとは“発言する”ことのみならず、“発言しない”
ということにも責任をもたねばならない   
キング牧師

*次回のコラムは8月20日前後の予定です。

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