2016年12月20日火曜日

自分を愛する力量でしか他人(ひと)は愛せない

Column 2016 No.43

 私たちは一人ひとりがみんな幸せにならなければなりません。幸せになることは人類一人ひとりの務めです。一人の人間として他人(ひと)の幸せが喜べないことも、人と人との争いも、国と国との奪い合いや、テロも戦争も、私は同じレベルだと思っています。それはすべて、人類一人ひとりの心の貧困から始まっていると思うのです。

 幸せな母親が子どもを愛さないわけがありません。幸せな人が隣人を大切にしないわけがありません。幸せな国が他の国に戦いを仕掛けるわけがありません。先般テロが多発している地域を取材したドキュメントをTVで観ました。過酷な日々を送っている環境の中で、ひとりのご老人が「若者に仕事がないのです。だから武装勢力が有力な就職先なわけです。生活の保障のない毎日を送っている私たちの国の人々は、戦うしかないのです。空腹が満たされさえすれば、こんな無意味な争いはすぐに止むでしょう…」と。

 本当にその通りだと思いました。人々は満たされない過酷な環境の中で、今日をどう生きていくか…根深い不安や恐れの感情と闘いながら、生きる手立てのために、国や人類のエゴから発した戦争やテロに、仕方なく巻き込まれている現状があるのだということです。テロの首謀者の生い立ちを見てもそこにはまさに過酷な生活環境であったことが伺えます。戦いやテロに巻き込まれた人々に、私たちができることは無力ですが、せめてその人たちのために祈り、決して無関心であってはいけないと思います。

 軍備の拡大のために使われる莫大な予算や、兵器の生産のために使われる膨大な費用を、過酷な生活を強いられている國や人々に配分して、人々の“自立の援助”のために使っていけば問題はすぐに解消するはずです…これは子ども達にでも解っている世界平和への速やかな解決へのヒントです。私も子どもの目線と一緒で、心からそう思っています。しかし、確かに世の中のからくりは、そう単純なものではないことも私自身、重々認識はしています。人間のエゴの根深さに、哀しみと共に暗澹とした気持ちになってしまいます。

 一人ひとりの心の位置がそれぞれの国のバイブレーションを創っていきます。つまり一人ひとりの心の位置がその国が向かう方向を創っていきます。だからこそまず私たち一人ひとりの心の位置が大切なのだと思うのです。一人ひとりが平和(幸せ)になれば家族が平和になり、隣人が平和になり…こうして国が安定し、世界の平和が成就する…私はいつもこういうイメージで世界平和の樹立を捉えています。次の諷刺文は出典不詳ですが、心に残っており以前からメモで取っていたものです。ある山伏が神様に願(がん)をかけたお話です。

40歳の誕生日に意を決して神様に願をかけました。「神さま仏さま、世界を平和にしてください」…しかし結果は何も変わらなかった。
50歳の時「神さま仏さま、親戚・知人を平和にしてください」…しかし結果は何も変わらなかった
60歳の時「神さま仏さま、家族を平和にしてください」…やはり結果は何も変わらなかった。
70歳のとき「神さま仏さま、せめて私を平和にしてください」…。すると神様がやっと雲の間から顔を覗かせて、「わかった!叶えてやろう」…と。

 ジョークを含んだ含蓄ある諷刺文です。この一文は、世界の平和を創るのは神様の仕事ではなく人類一人ひとりの責任だということを現しています。そして自分
をなおざりにして、家族を地域を世界を平和に…と願っても、それは無理であるということをも示しています。そして自分を幸せにすることの大切さに気付いた人には、何はさておき援助していくぞ…という大いなる存在の反応に、諷刺文とは言え、私は“まさしく!”と共感したのでした(コラムNo13

 私たち一人ひとりの心の位置が、“世界の平和の原点になっている”…その厳粛さを認識している人はどれだけあるでしょうか。先日の親業講座の中で、受講者のSさんが「子どもの心を傷つけることなく育てていくためには、とにかく私自身が幸せになるしかないということが本気で分かりました!」…と。Sさんは自分自身の成長や、子どもの心を育てることに真摯に向かいあっておられる人だけに、その言葉には説得力があり真剣さが感じられました。自分を愛する力量でしか子どもを愛することはできない…ということをSさんは深い所で理解されていることが伝わってきました。人類の真の平和の原点は、Sさんの気づきの通りで、私たち一人ひとりのその心の位置が決めていく…私もそう信じているのです。

 前回のコラムで「愛とは…」ということを取り上げてみました。私たちが幸せになる為には「親の無条件の愛が必要だった…」ということは解かりました。しかしいつまでも親の愛にしがみついているわけにはいきません。 自分でそれを本気で求め、その愛をまず自分にあげながら自分の人生を豊かにしていくことを決意するしか手立てはありません。

 どんなに見苦しい自分であっても、自分の本当の気持ちから決して意識を逸らさず、それに気付いて、その見苦しい自分をただ赦して、みっともない自分のままで生きていくしかありません(コラムNo22No39) 実はそれが“ありのままに”ということであり、“自分を愛している“…という姿だと私は理解しています。そしてありのままの自分を愛せる力量でしか、私たちはありのままの他者を受け入れ愛することはできないのではないか…と。

自分の汚れている部分を、受け入れ愛することを、
まず学ばなければなりません。私たちの永遠に続く旅路を、
これから一度も間違いを犯さず、一点の曇りもなく続けていく
ことができるなんて本気で考えている人がいるのでしょうか
タデウス・ゴラス

自分にバッシングすることをまず辞めたいものです。人生を真剣に生きている人ほど何故か自分に一番厳しいのです。傷ついている自分をさらに傷つけてしまうのです。過ちを犯したとしても、責めることは止めて本気で気付くだけでいいのだと思います。責めてしまっているなら、責めている自分に気付いて、そのまま責めている自分を丸ごと赦してあげることが、自分への本当の愛です。直そうと頑張らなくても、あとは自然がいい方向に必ず導いてくれる…私は心からそう信じて生きています。

 そして他者の不必要な荷物は降ろしませんか。自分の荷物だけでも大変なのです。自分の荷物も時には降ろして、周りの風景を眺めたり、子どものように無邪気に遊んだり、変化を楽しみましょう。自分の心が喜ぶことを一日にひとつでもいいからやってみましょう(コラムNo21No38)すると、生きている実感と喜びが少しずつ感じられてくるでしょう。そして幸せでいるこんな状態のときこそが一番、自分の心が愛に溢れているときだと解ります。そして、子どもや家族や友人に、心からの真心と愛をあげられるひとときだと解ります。

自ら輝いてこそ 周りを照らすことができる
横田 南嶺

この世の事情のいかんを問わず、ただ無条件に幸福であれ!
今、この場で幸福に行動し、幸福に感じ、毎瞬幸福に!
ダン・ミルマン


*次回のコラムは1月20日前後の予定です

2016年11月20日日曜日

「愛する」ということは相手を“ただ無条件に受け入れる”こと

Column 2016 No.42

 数十年も前の記事ですが、読売新聞の投稿欄に18歳の女性の一文が掲載されており、たまたま手元にありました。「…高校三年の女子です。私には大切にできるものがありません。お金もあって友人もいます。両親もいます。…学校の成績は学年で10位には入っています。スタイルは悪くないしブスでもありません。食べ物もあります。部屋はストーブで暖かいし、服や靴もあります。…だけど私には大切にできるものがないのです。心も身体も大切ではありません。明日死んでも未練はありません。…18歳になっていながら大切なものがないのです。悲しく情けないのです…」と言った内容でした。

 この彼女の一文で、幸福とは、成績でもなければお金でも財産でもない。たとえ、容姿に恵まれていても幸福には関係ない…ということを物語っています。そしてこの女性の一文に、物や人々の存在は見えるけれど、「暖かい家庭がある…」のような“人間関係”や“愛”の存在は見えてきません。

 家庭における人間関係が稀薄であったり、愛情を受け取れる環境が無かったら、どんなにものが豊富に与えられたり、勉強ができていい大学に入っても、いい就職をしても、本人の心は満たされないままでしょう。おそらく彼女もその一人で、自分のやりたいことをやることや、言いたいことを表現できる環境がなく、これまでの人生を、親の思う通りに素直でいい子として生きてきたのかもしれません。

 ずっと以前、ある受講者Tさん(母親)から出たある宿題の片隅に書かれていた一文です。了解のもとに載せました。

私は無性に誰かにかまってほしい
私は無性に誰かに否定しないで私の話をうんと聞いてほしい
私は誰かに無条件に受け入れてほしい
私は誰かにぎゅっと抱きしめてほしい
私は誰かの腕の中で思い切り泣かせてほしい
私は誰かに“お前が必要だ”と言ってほしい

 このお二方の例から伝わってくるのは、やはり「愛」への渇望です。しかしこのTさんはご自分の「欲求」がきちんと見えています。欲求が見えている人はそれを満たしやすいのです。だから彼女はそれを周りに求めるだけではなく、自分で自分を満たすべく心が喜ぶことを果敢になさったり、もともと正直な方ですが、自己表現の方法を学んでからは、さらに正直に自分を表現されるようになりました。今はすでに自分を取り戻して生き生きと生きていらっしゃいます。

 思春期挫折、鬱、暴力・いじめ、DV、色々な依存症、歪んだ人間関係…等々。その背景には成育歴の中に、特に多くは親から愛されたという実感がないことがその原因となっています。カウンセリングの場においても、親の愛を幾らかでももらった(…と受け取っている人)は数回のカウンセリングで癒しに向かいますが、もらっていない(…と受け取っている人)の癒しには、膨大な時間を要します。人間の真の進化が問われる今、いったいこの現状をどうすればいいのだろう…と途方に暮れることがあります。

 しかし「愛の定義」は本当に難しいと思います。夫が生前のころ「自分は“愛”という意味がよく解らない…」と言っていました。ハートフルな人ですが表現が苦手な為に、妻の私が、幾らか攻め口調になってそのことを指摘したり、何度か愛について論じようとしたりしていたからでしょう。

 ある日、傍にいた娘(高校生の頃?)に、夫が「…お父さんは“愛”という意味がやっぱり解らんのよ…。お前はどう思うか?…」と娘に問いかけたのです。娘は即座に答えました。「その人がどんな状態であってもそのまんまを受け入れてあげることだと思う…」その辺りを答えたと記憶しています。見事な“愛の定義”だと思いました。「なるほど…」と夫も感慨深そうな表情でした。しかし、“そのままを受け入れる”ということは具体的にはどうすることなのか…私たちにとっては、とても難しい所だし知りたいところでもあると思います。

 親業はコミュニケーションをベースに学びますので、その側面から述べてみたいと思います。“愛”を伝える「肯定のわたしメッセージ」や、また相手が話していることに、一切茶々を入れずにただ耳を傾ける、積極的傾聴法「能動的な聞き方」があります。特にこの傾聴法は、相手が “愛情”として具体的に受け取っていける、実は最高のコミュニケーションなのです。(コラムNo12

相手の話に耳を傾ける。これは“愛”の第一の義務だ
ポール・ネイリッヒ

五年生のA君がある日「お母さん今日テスト返してもらったけど怒らない?」と言ってきました。普通お母さんは「怒らないから見せてごらん」と言っておいて、
“40点”のテストを見た途端に「ゲームばっかりしてるからでしょう!」とつい叱ってしまうケースは多いですよね…。ところが親業の傾聴法は次の通りです。

A 「お母さん今日テスト返してもらったけど怒らない?」
母 「お母さんが怒るかもしれないと思って不安なのね」
A 「うん、でも教えてあげるね。40点だったんだ…」
母 「そう、40点でがっかりしてるのね」
A 「そう、それから社会は60点だった…」
母 「そう、60点だったの」
A 「うん、だけどね、5年生になると理科も社会も難しくなるから仕方ないんだ」
母 「そう、五年生になると学科が難しくなるのね」
A 「そうなんだよ。でも難しいからもっと頑張らなくてはいけないんだよ…」

 途中ですがざっとこんな会話です。親の気持ちは一切出さないで、フィードバックを通して、“あなたの気持ちをただそのまま受け取ってるよ…”ということを伝えているのです。子どもは、自分の思考を邪魔されないので、自分の行くべき方向がこうして見えてくるのです。特に子どもが問題を抱えているときにはとても大切な傾聴法です。(但し、親が問題を抱えた場合は“自己表現”というコミュニケーションを取ることができます…コラムNo10No11参照)

 親業が大切にしているこの傾聴法は、子どもがどんなネガテイヴな感情を出してきても、批判も講義も提案もしないで、ただただ共感をもって聴いていく。すると子どもは、自分は“丸ごと受け入れられている”“自分は自分でいいのだ”“自分の感度で生きていいのだ”…と、親の無条件の愛を感じ取って、自分に自信をもち、真の自立へと向かっていけるのです。それを繰り返し体験することを通して、自分自身をどんどん確立していくのです。それほど私たちは、Tさんが言っているように、自分の想いを否定されないで、誰かに黙って聞いてほしいのです。そして無条件の愛を感じ取って、より自分自身でありたいのです。

 しかし、相手が話すことに、心からの共感で耳を傾けることは、そう簡単なことではありません。相手のネガテイヴな感情を真に受け止めていくには、受けとめる側の心的状況が整っていないと本当はとても難しいのです。私たち親も人間です。ある程度幸せでなければ、子どもや周りの人を真に受け入れることは難しいのです…。 そこで、一人の人間として自分が幸せになる為に出来ることを、次回あらためてご一緒に考えてみたいと思います。


*次回のコラムは12月20日前後の予定です

2016年10月19日水曜日

あらゆる経験はひとつの目的のために起きています。

Column 2016 No.41

あらゆる経験はひとつの目的のために起きています。
その目的とはあなたの気づきを拡大するということです
ポール・フェリーニ

 数日前に、とても奇妙な夢を見ました。ひとことで言えば、とても後味の悪い夢でした。後先のことはあまり覚えていないのですが、とにかくネバネバとした強力な蜘蛛の巣に私自身が絡まれた…まさに不愉快極まる夢でした。実際、我が家の庭にも木々が幾らか植わっているので、この時期は蜘蛛が巣を張っていて、出かけるときに、よくそれに引っかかってとても不愉快な思いをしますが、でも夢の中の蜘蛛の糸のような強力な巣に絡まれたのは初めてでした(笑)

 夢から覚めてすぐに直観的に思ったことは、自分で創った蜘蛛の糸で、自分を縛っているんだなあ…ということでした。今秋の、何と目まぐるしく忙しかったことか! 確かに、秋は仕事が集中することは多いのですが、今秋は特に連日、息つく暇もないくらいの日常だったのです。まだ少し続いています。

 私は少々“仕事依存的傾向”があるようです。本当は、仕事のほかにもやりたいことがあって、自由に生きたい、もう少しスローライフを楽しみたい…といつも願いながら、ついつい仕事の方を優先してしまいがちなのです。その結果、このところ本もじっくり読めなかったなあ…。観たい映画も沢山見過ごしてしまったなあ…。会いたい友人にも会えなかったなあ…。好きな海も見に行けなかったなあ…。楽しい英会話もずっと休んでしまったなあ…。猫の額ほどの小さな庭の草も取れずに、ぼうぼうに生えてるなあ…。

 余談ですが、先日、東京に住む娘から久々に電話があり、「お父さんの夢を見たよ!」と言ってきたので、嬉しくて「わあっ!どんな夢だったの?」と訊いたら「お父さん、庭の草を抜いてたよ!」…と。 ははは!驚きましたねえ。あの世からも、ぼうぼうの庭の草が気になってる?!… そういえば生前から庭の草はコツコツと取ってくれていて助かっていました。それを聞いてからは、何はともあれ少しずつ頑張っています(笑)

 こんなことを書いていると段々と自由で楽しい気持ちが甦ってきました。自分で創った蜘蛛の糸で自分を縛ってしまうほどに、私はこの所、とても不自由に生きていたんだ…ということをあらためて夢はしっかりと教えてくれたようです。タイトルのフェリーニが言っているように、“何かに気付きなさい…”と潜在的な自分がその夢を引き寄せたのでしょう。

 自分が侵してしまった過ちも、不愉快な出来事や、例えそれが不愉快な夢であっても、やはりそこには気付くべき意味があって引き寄せた現象なのだと私は理解しています。そして、それから逃げないでしっかりと対峙することによって、気づきは深まり、気付きが深まるに従って、その人の意識は拡大し、その意識の広がりは徐々に、本当の“愛”や、真の“生きる意味”に繋がり、やがて私たちが、最終的に求めんとしている「自己実現」の道へと、辿り着くのだろうと確信しています。

 “気づき”は私が指導している講座でも大変大切に考えています。私はどんなネガテイヴな感情からも、そして出来事からも、決して逃げないように出来るだけ気を付けています。 そして自分なりに気づいたら、あとは起きたことを心から赦して、果敢にそれを手放していきます。 「逃げない。はればれと立ち向かう。それが僕のモットーだ!」 私は岡本太郎氏のこのメッセージにいつも勇気づけられています。

 いつかのコラムにも書いたと思いますが、感情もそして起き湧いてくるすべての出来事にも「いい・悪い」「正しい・間違い」は決して無いということ。それを決めてしまっているのはその人であり、それが“罠”となってその人の人生を不自由にしていきます。 ただ“悲しい”“つらい”“寂しい”“不愉快”…等々、私たちの持つ「感情」は、私たちにとっては唯一の真実です。起き湧くすべての出来事を前にして、真実であるその感情だけを尺度にして、自分はどうしたいかの態度を決めていく…。これが私の指導している親業のスタンスです。

 蜘蛛の巣に絡まれたあの不愉快な夢も、確かに私にとっては、気付くべき意味のある夢だったと思います。私のライフワークでもある今の仕事を、さらに充実していくためにも、蜘蛛の糸で私を縛るのではなく、“自分の糸”で、本当に生きたい人生を楽しみながら、心を込めて紡ぎ、織り上げていかなければならないのです! さらにそう思えてきたのでした…。 それに蜘蛛には八本もの沢山の足があることにも改めて気付きました! ひとつの道にこだわらず、蜘蛛の足の如く、可能性の幅は沢山あることに、いや無限にあることに気づいたのでした。視野をもっともっと大きく広げて生きてみよう!  

 後味の悪かった夢も、こうして様々な角度から見ていくと、こんなに可能性の広がりがあるんですねえ! 興味深いですねえ! 私は、自分が見た夢を“縛り”の定義から“可能性”の幅のある定義に創り直したようです。私はこの新しい視点でこれからを生きていくのです。肯定的にも否定的にも私たちは、自分の定めた定義(視点)によって自分の人生を創造していくのですから。(コラムNo19

 視点が変われば人生は変わります。仏陀も「心がすべてである。あなたは自分が考えたものになる」…と言っています。私たちには、自分の人生を創造する力があるということを忘れてはならないのです。一度しかない人生(もしかしたら来世があるかも…)でも、決して先送りにはしたくない。やはり今を納得して輝いて生きていきたい…。私は心からそう願っています。

嫌なことに出逢ったときは、この状況をいかに
ポジテイブに使えるかを学ぶチャンスです
賢者のことば


*次回のコラムは11月20日前後の予定です

2016年9月20日火曜日

私は、私にできることをしているだけ ~“ハチドリのひとしずく”より~

Column 2016 No.40

森が燃えていました

森の生きものたちは われ先にと逃げていきました
でも クリキンディという名のハチドリだけは 
いったりきたり、くちばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは
火の上に落としていきます

動物たちがそれを見て「そんなことをして、いったい何になるんだ」
といって笑います。クリキンディは、こう答えました

「私は わたしにできることをしているだけ」

~アンデス地方の民話 “ハチドリのひとしずく”~


 文化人類学者で環境運動家の、辻 信一氏が南米のアンデス地方を訪れたとき、その土地に語り継がれているというこのハチドリの物語を、先住民族のひとりから聞いたというのが始まりのようです。本も出版されています。(「ハチドリのひとしずく」辻 信一監修 光文社)

 このクリキンディの民話は多くの人の心をとらえ「ハチドリ計画」というネットワークもできたようです。無関心な動物たちにクリキンディの「私はわたしにできることをしているだけ」と毅然として伝えたそのひとことが、どうやら多くの人々の心を魅了したようです。私も感動を覚えたその一人です。無力なハチドリが自分の身の危険も顧みず、“できることをしているだけ”という無心の行動が心に沁みたのです。そして私自身、自分にできる“ひとしずく”は何だろう…とあらためて感じ始めたのでした。

 もしかしたら、この民話を聴いた多くの人々は「考えてもごらんよ!あの大きな山火事に一羽のハチドリの水運びが、いったいどれだけの役に立つんだ?」…と周りの動物たちと同じことを思った人は多いのではないでしょうか。そしてそんな馬鹿な真似は絶対にしない!…と。 確かにハチドリは火事をどうすることもできなかったでしょう。自分の命を落とすことになったかもしれません。

 しかしその小さなハチドリの勇気が、もしかしたら周りの鳥たちや動物たちに、加勢の気持ちを呼び起こしたかもしれません。もっとも、これはあくまでもひとつの物語です。しかしクリキンディの民話に多くの人たちが魅了されたのは、何かのために無心に勇敢に戦う姿を、やはり美しいと感じるハートが、私たちの中にあるからではないでしょうか。マザー・テレサの残した有名な言葉があります。

愛の反対は憎しみではなく無関心です

 無関心は一見無害のように思われますが、世界のどこかで何かがあっても“われ関せず”で、多くは“対岸の火事”なのです。私をはじめ陥りやすい行動ですが、やはり無関心は「愛」の対極にあるとしか思えません…。しかし“私にいま何ができるだろう…”と考える人は果たしてどれだけあるでしょう

この国をよくするのは、財務大臣でもなければ、総理大臣でもありません。
国民一人ひとりの、ほんのちょっとした生き方にかかっています

 株式会社「イエローハット」創業者の鍵山秀三郎氏の言葉です。鍵山氏の生きざまは、まさに“ハチドリのひとしずく”を思い起こします。彼が若い頃、初めて入社した自動車会社は、従業員は粗野で職場は乱雑極まる状態でした。そこで彼は毎朝、誰よりも早く出勤をして、真っ先に取り掛かったのがトイレの掃除でした。何故なら、とても汚れていて誰もが一番嫌がる場所だったからです。

 彼は汚れた職場やトイレを見て、少なくとも無関心ではいられなかったのです。同僚たちからは「余計なことはやめておけ!」と言われたり、嫌がらせも受けたりしたけれど、彼はその信念を決して曲げなかったのでした。まさにクリキンディの「私はわたしのできることをしているだけ」の強い信念だったのです。

 やがて職場から店まで綺麗にしていくうちに、不思議なことに従業員のモラルも上がってきて、客層も違ってきたというのです。「私は少しでも会社をよくしたいと始めたのが、掃除という小さな行動でした。掃除をすると心が澄んでくるんです」…と。彼は会社のトイレの掃除だけではなく、公共施設のトイレ・街頭の溝掃除まで徐々に広げていったのです。たった一人で…。周りが何と思おうと、まさに“ハチドリのひとしずく”を、信念をもって貫いていったのでした。

 周りの人は彼のその行為を見て“ここだけが綺麗になったってねえ…”とか“すぐにまた汚れるのに…”とか森の動物たちと同じように傍観(無関心)していたかもしれません。しかし「ひとつでもふたつでもごみを拾えば、それだけ世の中が綺麗になります…」と。それが彼の信念だったのです。やがてそれに共鳴する人々が徐々に増え、今や日本全国120ヶ所に大きくその波は広がり「掃除に学ぶ会」として、鍵山氏の信念を受け継いだ人々が、無心に掃除という活動を続けているのです。クリキンディのささやかな“ひとしずく”が、社会を変えていったのです! 

 その気になって周りを見渡してみると、ハチドリの働きをしている人は、あちらこちらにいないでしょうか。先日、本通りを歩いていたら、若い女性とたまたま目が合いました。するとその女性が輝くような笑顔を返してくれたのです。知った人ではなさそうだったので、ちょっとびっくりしました。私も思わず思い切りの笑顔で返しました。そしてその日の私の心は、何だか幸せ感でいっぱいでした。それから私はひとりで笑顔の練習をしたりしているのでした(笑) 心からの笑顔が、こんなにも人の心を幸せにするのなら、私も頑張ってみようと思ったのです。ハチドリのひとしずくの感動は、こうして波紋を広げていくんだな…とあらためて感じたことでした。

 赤ちゃんの無心な笑顔
 若者のはじけるような笑い声
 「あなたは素敵よ!」と励ましをくれる友人のメッセージ
 無心に履物を揃えている幼い子ども
 「天災ですから受け入れるしかありません」とご老人の肝の座った柔軟さ
 被災地を訪れ、懸命に復興の援助に携わっている人々
 家族の料理を一生懸命に作っているお母さん
 人里離れた谷間にひっそりと咲いている白い百合の花
 世界人類の平和や、家族の幸せを真摯に祈っている人々…等々

 ご本人の多くは自分の行動が“ハチドリのひとしずく”になっているなんて気付いていないかもしれません。そして尋ねたらきっと「私にできることをしているだけです…」と仰ることでしょう。しかしその人の無心な行動やたたずまいは、それを見る人の心に、安心感・暖かさ・生きる元気・感動を与えるのです。そしてその感動こそが人の心を動かし、周りを変え、社会を変え、世界を変えていくのです。 いま自分にできるかもしれない“ハチドリのひとしずく”…。何だか周りにいっぱいありそうに思えてきませんか。

誰もが特別なことをしたがりますが、世の中には特別なことなんてありません。
無いものを探しているうちに一生が終わってしまいます。でも平凡なことならいくらでもある。
そのひとつひとつを大切にしていけば、やがて大きな力になります
鍵山 秀三郎

鍵山氏の著書を一冊だけ紹介しておきます


*次回のコラムは10月20日前後の予定です

2016年8月20日土曜日

自分に無条件の赦しを!

Column 2016 No.39

 親業のひとつの講座の中に、自分と親との関係(自分がどう育ったか)を見つめ、レポートに纏めて提出する…という作業があります。多くの方は、思春期までにいろいろな形でかなり整理して大人を迎えますが、中には“自分が自分であってはいけない”と、どこかで思い込んで、大人を迎えている人も多いようです。

 そういう方々は、結果的に人間関係(夫や妻との関係など)がうまく保てなかったり、我が子が心から愛せなかったり…と現在の生きざまに微妙に影響を与えていきます。講座指導者として私自身がその方の痛みを心から受けとめて、コメントを返していきますが、時には専門のカウンセリングを必要とされるかたもあって癒しが長期に渡ることもあります。

 育ちの上で受け取った自分自身へのネガティブな思い込みから抜け出るのは、やはり並大抵ではありません。何故なら育ちの上で、親や周りの人々から受け取ってしまった感情想念は、ユング(スイスの深層心理学者)の言う個人無意識層の中に根強く記憶しているからです。

 からくりが理解できれば、本当はシンプルに昇華できるはずなのですが、多くは手強いくらいの思い込みもあり、本人は無意識ですがなかなか手放そうとしないのです。潜在意識に抑え込んだ感情は、必ず顕在意識に上がってきて、やがてその人の現実を創っていきます。私がよく受講生の方々に伝えるのは、潜在意識から上がってきたその時こそがその感情が昇華していく良きチャンスだということ。大切なのはその時の捉え方です。それは苦しい作業ですが、感じては手放し、気付いては手放していけば、潜在意識はやがて綺麗になっていくはずなのです。

 日本に上陸して、このところかなりポピュラーな、ヒーリングメソッド“ホ・オポノポノ”(ハワイの精神科医ヒューレン博士提唱のもの)も、実はこの原理にフォーカスしているのです。ところが多くの人々にとって、そうは分かってもその固着した潜在意識の観念の方に足を取られて、せっかく昇華しょうと出てきたその感情想念に多くは執着して、再び潜在意識に落としてしまうのです。この悪循環のループを何とか断ってしまわなければ、いつまでもそのループの罠の中で苦しむことになってしまうわけです。一生懸命に求めながら、望む現実が創れない大きな原因が、この辺りにあるような気が致します。

 ループの罠から外れていく為に、親業のひとつの考え方がとてもヒントになると思いますので、ご紹介したいと思います。まずコラムNo12を参照ください。双方向コミュニケーションの中の「受信」つまり相手が話していることを茶々を入れずに共感をもってそのままに受け入れて聴いていく聴き方です。相手の人が怒っていても落ち込んでいても、一切の判断をやめて、ただひたすらその人の気持ちそのままの感情を、受容して聴いていくプロセスです。

 この方法を自分自身にもやっていこうというのが、親業の勧めている所謂「セルフカウンセリング」です。潜在意識から絶えず顔を覗かせてくるどんなネガティブな感情をも、一切批判・判断しないで、ただ真っ直ぐに事実を見て、無条件に受け入れていく。つまり心からの「共感」をもって自分と語っていくのです。

「私はどうしても母が許せない!」(本音の自分)
「そうかあ、母が許せないんだねえ…」(客観的に見ている自分
「こんなことがあった!あんなことがあった!…」(本音の自分)
「そうかあ、こんなことやあんなこともあったんだねえ…。本当に傷ついたねえ。だから今もゆるせない気持ちでいるんだねえ…」(客観的に見ている自分

 …といった具合にです。大切なことは、自分の本当の気持ちから絶対に逸れないこと。迷っている自分、醜い自分そのまんまの自分を赦すのです。事実をきちんと受け止めることこそが自己理解であり、癒しであり、実は究極の赦しなのです。そしてそれがやがて深い気づきに繋がるのです。例えば“この母に出逢ったからこそ~を学べたのだ…”のような発想の転換にやがて辿り着くことも多いのです。本当の自分に対峙していると、気付きは自然にやってきます。焦らないことです。

 しかし大切なことは、感情に長居をすることは禁物です。「感じること」と「感情に浸ること」とは違うのです。感情に執着しやすい自分に気付いて、爽やかに解き放していく。難しいですが、それがこの世界での学びなのだと思います。

 ずっと以前に聴いた、宗教評論家ひろさちや氏のお話(おそらくカセットで…)の一節に、とても心に残る逸話の紹介がありました。確か「曲がった松」と言うタイトルだったと思います…。

 「あるお寺の庭に、一本の曲がった松の木がありました。和尚さんは、数人の小坊主さんに言いました。“よいか!あの松をまっすぐに見たものに、褒美を与えるぞ…”と。小坊主たちはさっそくまっすぐに見える場所を探そうとして松のまわりを歩き回りました。“和尚さま!ここから見ると松はかなりまっすぐに見えます!”と口々に和尚さんに伝えるのでした。ところがひとりの小坊主Bは、松のまわりを一回りして言ったそうです。“和尚さま。私にはどう見てもこの松は曲がって見えます…”と。和尚さんは、しばらくして小坊主たちに伝えました。“よし!曲がった松をまっすぐに見たB坊主に褒美を与えよう!…”と。」

 曲がった松はどう見ても曲がっているのです。“まっすぐに見る”ということは曲がっている松を曲がったままに見る。それが“事実を見る”ということなんですね。私たちはこの逸話の中の多くの小坊主さんのように、曲がった松なのに何とかまっすぐな松として見たいのです。つまり痛みを伴ったネガティブな感情…怒り、悲しみ、不安、嫉妬、惨め…等の感情は、何処かいけない感情として、見ないふりをしたり、まっすぐに感じることから多くは逃げようとしてしまいます。自分の今いる心の位置をまっすぐに、つまり事実を事実として見ていくことこそが、真の自己理解である…と賢者(和尚)は言おうとしているのですね。

 私の祖父が時に口にしていた言葉があります。「われわれ凡夫は生きているだけで罪深い存在なんだ。しかし佛(ほとけ)さんは、そのことをしっかりご存じで、“罪悪深重の我々を、そのまんまで救う”と言って下さっているんだ…だから何でも恐れず体験することが人間としてとても大切なんだよ!」と…。確かに!地球次元を体験するために私たちは生まれてきたんですものね!

 ところが体験をして失敗をしてしまうと大抵“自分はなんて駄目なんだろう…”と、また自己処罰の感情に圧倒されるんですよね…。そして多くの人が言います。「赦そうと思うのに恨みの感情を手放せない自分が赦せないんです」…と。赦せない自分を赦せない…私にはその痛みが痛いほど解ります。でも私は、それでも赦す練習をしています。何ごとも練習です!訓練です!赦せない自分、駄目だと思っている自分に“…それでも私はわたしを赦します。OK!大丈夫大丈夫!”と何処までも丸ごと赦してしまうのです。

 それが何度来ても赦してそして赦すのです。失敗しても恥をかいても、例え過ちを犯したとしても、そこに気付きさへあれば、経験したことが大切なのですから。祖父が言うように、大いなる存在は我々を初めから赦して下さっているのだから…。「赦し」は自分への最高の愛でありまた未来を創っていく力です。 私もまだまだ修行中ですがどんどん楽になっています。そして練習をしていくと、感じることと手放していくことが、ほぼ同時に出来るようにもなります。

 曲がった松をまっすぐな松に見ようとする徒労はやめて、ネガティブな感情をそのままに抱きしめてあげましょう。幼い子どもと一緒です。むずかっている子どもを、暫く抱きしめていてあげていると、子どもは納得して自分からすっと離れていくではありませんか。感情も同じです。

自分を赦さないということは、世界さえも変えられる力を
自分の中に閉じ込めてしまうことです
パトリック・ミラー

あなた方のすべての過去は、神にとっては何ほどのものでもありません。
神にとってあなた方は自分の世界を試行錯誤しながら探検している子どもなのです
ポール・フェリーニ

もしもこの世が喜びばかりなら、
人は決して勇気と忍耐を学ばないでしょう
ヘレン・ケラー

私たちの敵とは「ためらい」です。自分でこんな人間だ思ってしまえば、
それだけの人間にしかなれないのです
ヘレン・ケラー


*次回のコラムは9月20日前後の予定です

2016年7月20日水曜日

小さな晴れ間を楽しんで

Column 2016 No.38

 しとしとと降っていた雨が止むと、ちょっぴり青空が出て、一瞬太陽が地上を明るく照らします。梅雨時期のこのひとときの“小さな晴れ間”に気持ちを注ぐと、心の中が光で満たされます。ああいいな…と楽しんでいると、またあっという間に雲がかかり、暫くすると雨になりました。

 私たちの心も、晴れたり曇ったり、雨だったり、大変な荒れ模様だったり…晴天のひとときばかりではありません。私自身も気持ちが曇り模様だったり、荒天候のひとときが必ずあります。そんな時は何だか力が湧かず、一点を見つめてぼんやりしてたり、ソファに寝っ転がったりしています。しかしお天気と同じで、気持ちも必ず回復するんですねえ。

 私が以前と違うところは、その気持ちの回復に気付ける感度がとてもよくなったということでしょうか。以前の私だったら、心模様は晴れている筈なのに、雨模様を引きずって、無意識にその感情に浸ってしまい、一日中をどんよりの曇り空…にしてしまうわけです。小さな晴れ間に気付ける感度が冴えてきたのは、瞬間瞬間の感情を掴めるようになったこと、気持ちの仕切り直し(コラムNo26)が出来るようになったこと…がその変化を生んできたと思います。

 さて、親業のプログラムには“すべきことよりやりたいことを!”という投げかけがよくあります。“あなたに何の制限もないとしたら…”

  あなたが本当にやりたいことは何ですか
  あなたは何が欲しいのですか  
  あなたの人生であなたはどう生きたいのですか…等々

 受講者のかたは、初めは私もそうであったように、多くは戸惑ってしまいます。「…家族のために主人は朝から晩まで働いているのに、妻の私がやりたいことをやるなんていいのでしょうか…」と質問がくることもあります。 “楽しむことや、やりたいと思うことをやる”ということに対して、私たちはどうしてこんなにも罪悪感が染みついているのでしょうか…。それはおそらく幼い頃から忍耐・勤勉は美徳。努力こそ人間として美しいこと…。遊びは不謹慎…。どこかでそう学んで大きくなったからでしょう。

 “継続は力なり”やはり地道な努力・忍耐・勤勉は実を結びます。確かに道を極めた人々は、忍耐・努力あっての結果だと思います。史上最高年齢(80歳)でエベレスト登頂を果たした三浦雄一郎さんを例に挙げても、壮絶な忍耐・努力の結果の登頂成功でしょう。しかし彼の「ワクワクの感動があるから僕は山に登るのです…」「あきらめない!一歩ずつ…」のフレーズから垣間見えてくるのは、人生を楽しみ、やりたいことをやり、自分の夢を決してあきらめない人達の生きざまの中には、努力・忍耐に悲壮感がありません。

 さて、“楽しみましょう”という投げかけに対して「子どもが小学校に上がれば時間ができるので…」「次男が大学を卒業すればお金が少し楽になるので…」と、楽しむには大きな晴れ間(時間・お金)がいる…と信じている人たちからよく聞く言葉です。しかしその時が来たからと言って、実は大きな晴れ間が来るとは限りません。何故なら“楽しんでいいのだ”という気もちを自分に許していない人は、その時が来ても、また新しい課題を見つけて、やっぱり楽しむことを先送りにしてしまうからです。

 「もしあなたの余命が、あと一年と宣告されたら何をしたいですか?」と続いて質問すると、楽しむことを先送りするタイプの人は「家を掃除しておきたいです」(笑)…と! 何だかどこまでも夢がないのです…。家は日頃から綺麗にしておきましょう…とつい言ってしまいます(笑)

 しかし、人生を楽しんでいる、ある受講者の宿題の中にはこう書いてありました。「…自分が余命一年の命と宣告されたら…“絵を描きたい”と思いました。そんな気持ちで運転していたら、空や雲が泣きたくなるくらい綺麗で、この世の中にある、当たり前のようなあらゆるものが、とても愛おしく思えました。桜を見ても来年はもう見れないかもしれない…と思うと、今のこの瞬間瞬間を大事にしたいと想えてくる…そんな不思議な気持ちになりました…」と。

 そうです!来年のことは誰にも分らないのです。今だけが現実です。大きな晴れ間を待つ場合ではありません。今のこのひとときの“小さな晴れ間”に気付いて、自分に“…いま何がしたいの?”“何が食べたいの?”“どこに行きたいの?”“何を言いたいの?”“誰と話したいの?”と問いかけてあげましょう。あなたの体からそしてあなたのハートから、必ず答えが来ます。その答えで瞬間をわくわくと生きてみるのです。それを積み重ねることで、私たちは生きる達人になっていくでしょう。つまり生きる実感と喜びの人生が味わえ、生きる本当の意味が見えてくるでしょう。

 “正しい・正しくない”“いい・悪い”“常識・非常識”…等々の価値判断をすべて外して…。行きたいところに行ってみる。見たいものを見てみる。会いたい人に会ってみる。食べたいものを食べてみる。着たいものを着てみる…これまでの人生でやり損ねたことを果敢にやってみる…などなど。

 私の一日の始まりは、たいてい「何が飲みたい?」から始まります。休日のある日、お茶をゆったりと楽しんでいたら、急に“海が見たいなあ”という気もちになってきた。どうしたい?…と、もう一度自分に聞いてみたら“思い切って行ってみようよ”と答えが来た。すぐにお化粧を始めて、服を着替えて、食べたいおやつをバックに詰め込んで、特別身軽にして出かけたものです。私は海が大好きで、呉市の辺りで仕事があるときは、今でも帰りはJRを途中下車してよく海を眺めます。海を見ていると無性に心が喜ぶのです。

 ずっと以前、“私にとって心が喜ぶことって何だろう”と模索し始めた頃、何の脈絡もなく“メリーゴーランドに乗りたいなあ!”と思った。思ったが吉日! 休日とか仕事の後に、どこそこにあるよ…という情報があると、果敢にそれを訪ねて行ったものです。あの頃はデパートの屋上にもありましたよ! ハウステンボスや、岡山のチボリ(現在閉園)にも何度か行きました。ひたすら“メリーゴーランド”目的にです! 大人になってメリーゴーランドに乗りたいと思う人はまずありませんので、行くのはいつも一人…です(笑)

 でも夢がかなって本当に幸せでした。しかし、いざそれに乗るときには、結構勇気がいる! 子どもか孫(まだいません)が一緒だと言い訳けも立つけれど大きな大人が一人で乗るんですから。それに、私ひとりのために稼働してもらうこともあるわけですよ(ハハハ)。今もそれへの憧憬はありますが、もういいかな…という感じです。満たされたのです。

 誰に笑われてもいいのです。本当にやりたいことを、一切の価値判断をやめて、ひとつひとつ丁寧に満たしていくうちに、私の中の、幼いひとりぼっちの寂しがっていた私、気付いて欲しがっていた私、もっと遊びたかった私…が、どんどん癒されていきました。そんなある日のできごとです! それまで胸の左奥あたりに何となく感じていた小さな空洞が、突然熱くなってパッと何か埋まった感覚があったのです! それは今考えても不思議な感覚で奇跡のひとつでした。それから再び空洞を感じないのです。私は癒されていたのです。

 このように無意識ですが、人は自分の中で情報量が足りないものを満たそうとする傾向があるようです。だから価値判断を一切やめて、心が求めることを正直に求め、果敢に満たしていくことを許してあげてください。一日一日を納得しつつ人生の旅を続けていたら、自分に必要なすべての情報がやがて満たされ、人は自然に「自己実現の欲求」へと辿り着くのではないでしょうか。

    “人生なぜ楽しむことに意味がある”のでしょうか。
    私なりに感じてきたことをまとめてみたいと思います。

  • 心が喜ぶこと、得意なこと、あなたの心が動くところは、あなたの使命(人生の答え)に繋がっていることが多い
  • 心が喜ぶことをやることは、自分への最高の愛だから、自分自身への受容度が高まり、自尊心・自己価値感が増してくる
  • 自己受容度に比例して他者への受容度が高まる
  • 心が喜ぶことをやることは、自分への真の癒しに繋がる。機嫌のいい父親・母親になり、子育てが楽で、楽しいものとなる
  • 人生万般のストレスに強くなる
  • やりたいことをやっていくことで、動かなかったエネルギーが動き始める。その結果、健康になり、人生が面白くなり、生きている実感が持てるようになる。
  • 真の欲求を納得して積み上げていくことで、自分にとって必要な情報が満たされ、マズローの言う「欲求段階」(コラムNo15)が次々とクリアされ高度の欲求(達成の欲求・自己実現の欲求)へと自然に向かっていく

人生には速度を上げるよりも大切なことがある
マハトマ・ガンジー

自分の心と直観を信じる勇気をもちなさい。あなたはすでに本当に
なりたいものを知っているのだから。それ以外は二の次だ
スティーブ・ジョブズ


*次回のコラムは8月20日前後の予定です

2016年6月20日月曜日

誰かと共にいても、心は永遠にひとり旅です

Column 2016 No.37

幾山河越えさりゆかば寂しさの果てなん国ぞ今日も旅ゆく
若山 牧水

牧水のこの歌は、私の青年期の頃の心情にぴったりだったのでしょう。よく口ずさんでいたものです。いったい幾つ山や河を越えていったら、私の心の中の寂しさや虚しさが埋められる日が来るんだろう…と思いを巡らせながら。

 これから自分はどう生きていったらいいのだろう…。生きる意味も人生の目標も見つからないまま、本を読み漁って必死で答えを求めたり、誰か偉い人が答えをくれるかもしれないと宗教の門をたたいたり…。しかし、自分が求めている答えはどこにも無いんだなあ…ということが、その年代なりに理解できていました。

 家族や周りの人たちも愛念で色々答えをくれるけれど、私の心は何故か納得しない…。答えが見い出せないまま、自分を追い込んで鬱になったり、自暴自棄になったり…。しかし今も鮮明に記憶に残っているのですが、鬱からぼつぼつ立ち上がる頃、自分の中から、はっきりとしたイメージで“答え”が来たのです(コラムNo19) 今、思い返せば平凡に思える答えだけれど、その時の私の心境にはぴったりの私にとって必要な、思いもしない答えだったのです。その時が、私の本当の「自立」への出発点だったと思います。

 その時から私は“自分の外には答えはない!答えは私の中で私を待っているんだ”ということが、信念に近いものとなったのでした。私の心を本当に解っているのは私自身だけなんだ。誰かと一緒にいても、その人の本当のことは私にも解からない…。しかしまだ青年期にあった私にとって、その信念は、寂しさと哀しみを含んだものでした。“ああ、人生はみんなひとり旅なんだ。誰も人の人生は助けられないんだ。寂しいなあ…”と。

 しかし大人になってそのことが、自分の中でさらに腑に落ちてくると、私の生き方・考え方がとてもシンプルになった気がしました。本を読むときも他者の考えを聴くときも、いつも自分自身の軸が基準で、価値観は柔軟でいたいので参考にはするものの、揺らぐことが無くなり、より自分軸が太くなっていくのを感じるのです。それは私の仕事にも及んでいきました。

 私は今、講座の指導者として多くの受講者の方々とお会いし、ご相談を受けることも多い立場です。またカウンセリングの仕事も再開しました。相手の方に接するとき、その人の人生の問題は、必ずその人の中に答えがある筈…という信念で接しています。ただ日常の問題が複雑に絡んでくると、誰だって混乱します。だから先ず、その人が話したいことに茶々を入れず、ただ真っ直ぐに受け止めて、決して解決策を提示しない。その混乱を、ただ共感をもって傾聴し整理させて頂くだけで、実はその人は、ご自分の解決策に多く自分で辿り着かれる…ということを日常的に体験しています。

 私から見て、時にその解決策は限界があるかも…と思えても、その人から来た解決策は、その人にとって多くは、体験してみる価値があるということも…。
 「道草は自己実現の王道である!(河合隼雄)」 失敗を含めて、その人から来た解決策はその人の人生にとってはいつも万全だということです。

 人生はひとり旅です。親だからといって子どもの人生に介入する権利はありません。どんな子どもも、その子の中からくるハートの声に耳を傾けて、それを生きていく権利があります。その姿勢が子どもに真の自立を促します。親は心配なことがあれば自己表現はできます。しかし命に別条がない限り、権力で子どもにそれを取らせることはできません。ただ、親が子どもの幸せを心から願う気持ちさへあれば、子どもはやがて自分の真実に近づいていけるでしょう。どれだけ“子どもを信頼して待てるか”ということでもあります。

 私が尊敬していた祖父が、よく言っていたことを思い出します。祖父は大いなる存在を認め、お念仏も熱心にする人でしたが「何者をも崇拝してはならない。佛(ほとけ)は自分の“ここにある”んだから…」と、自分の胸を押さえながら真剣な面持ちで私に言ったものです。ある雑誌に鎌倉・円覚寺管長の、横田南嶺氏が書かれているエッセイがあり、とても心に残る一文がありました。

 「…一般に宗教といえば、絶対なる神仏にひれ伏して憑依するもののように思われるが<臨済録>には“仏に逢うては仏を殺し祖に逢うては祖を殺し”という言葉もあるように、いかなる権威も認めることをしない。絶対なるものを否定することによって、銘々自らの尊厳に気づかせようとしているのです。」「…仏や祖師を知りたいと思うならば、決して外に求めてはならない…。心を澄ませて自らのうちに向かって求め続けることが実は座禅であり…」とありました。

 私にとっては、“仏に逢うては仏を殺し”辺りは少々ショッキングな響きがありましたが、それは神仏を疎かにしろということではなく“私たち一人ひとりはみんな神聖な魂を宿した尊い存在なのだ。答えを外に求めるのではなく、自分の神聖に求めよ”…それに気付かせんためのひとつの方便なんですね。実は祖父が私に伝えようとしたことと同じことなんだ…とその一文は、私の心にしっかりと届いたのでした。

常に自分の中に答えを求めなさい。
周りの人や周りの言葉に惑わされてはいけません
アイリーン・キャデイ

私たちを何者かに変えようとする宗教や、イデオロギー、ドグマに振り回される必要は最早ありません。周りの雑音に心を奪われている時間もありません。インターネットをはじめとするテレビ・新聞・雑誌…等々メデイアから間断なく与えられる溢れる情報…。参考にはなりますが、自分軸がなかったら大変なことになります。

 一人ひとりの中に必ずある神聖(感性)に本気で気付き、信頼し、そこから来る真実・叡知・発想を一人ひとりが恐れず発信していく!…。それが真の“世界の平和”を実現していく出発点であり原点ではないでしょうか。“真の答え”は決して周りにはなく、一人ひとりの神聖な心の中にある…。

自分の感度を自分の人生のガイドに!

 あなたに来たフィーリングはあなたにとって行くべき道です。失敗と見える選択も多くは正しい感度のひとつです。誰かと共にいても、心は永遠にひとり旅です。ひとり旅は寂しいどころか、自分を生きる実感ある旅です。自分を信じて胸を張って生きていく道です。

人を信じよ。しかしその100倍も自らを信じよ
手塚 治虫


*次回のコラムは7月20日前後の予定です

2016年5月20日金曜日

心の中の暗闇に女性性のふところの深さを!

Column 2016 No.36

 前回のコラムを読んで下さった方々から、お手紙で、お電話で、コラムへのコメントなど…で心温まるメッセージを頂きました。ご心配をおかけ致しました。お陰さまで、姪はかなり良い状態に向かっております。彼女のまわりの事情は何も解決はしておりませんが、私の心の平安は徐々に取り戻しております。今回の経験の中でのさまざまな葛藤を通して、私は深いところで沢山のことを感じそして学びました。  

 新約聖書の終わりの章のヨハネの予言書「黙示録」の中に、世界の終末を告げる箴言があります。1999年がその時ではないか…と世界の人々は騒ぎましたが、実は何事もなく終わりました。聖書のこの章の理解は、私にとってはとても難解ですが、ひとつ心に残っているのは、“光(神)と闇(サタン)の戦い”が地球上に起こるであろうことを予言している、つまりハルマゲドンの戦いを述べている最終章です。

 フランクルは「人間は誰しも心の中に“アウシュビッツ”(闇)をもっている(コラムNo35)」と言いましたが、一方、孟子は「人間は誰しも生まれながらに“光”を携えてきている…」と“性善説”を唱えていることも有名です。 “光”とは、真・善・美・愛・赦し・希望・無限…等を表し、“闇”とは、虚偽・不善・怒り・憎悪・絶望・有限…等を表している…と私は理解しています。

 このように見ていくと、人間一人ひとり、誰の上にも“光”と“闇”の双方の性質が厳然と存在している……。自分をしっかり感じて生きている人であれば、おそらくそのことに、はっきりと気付かれていることでしょう。それが人間を生きているということであり、双方(光と闇)の感情の中で葛藤しながら、自分を見つめ理解し、成長してきた今の私たちがあるのではないでしょうか。

幸いなるかな。心の貧しき者よ。天国は汝のものなり
マタイの福音書

 聖書の中のこの一節は、今の私にはしみじみと伝わってきます。今回の体験を通して、心の貧しさ(自分の中のカオス・闇)を、哀しみと共に感じ切った私は、天国…はまだよくわかりませんが、本気で“光”を求め始めたからです。実は、暗闇が私の心の進化に大きく寄与してくれたのです。暗闇に出逢ったからこそ、小さな光の存在がはっきり視点に入り、必死でそれに向かっている自分がありました…。黒闇の中の一点の灯は一隅をはっきりと照らします。しかしわずか一点の灯でも、闇は決してそれを封じることはできない。闇は決して怖い存在ではないことも解ったのです。

 しかし、簡単ではありません。私の潜在意識の中には、まだずっしりとカオス(闇)が横たわっており、簡単には光に位置を譲ってはくれません。光の中にいると思っていても、ふっと不安と恐怖と疑念が三つどもえで襲ってくる…。自分の中で“光とカオス(闇)”が絶えずせめぎあいをしている現実がはっきり見えるのです。そうです!実は、私の中で“ハルマゲドンの戦い”は無意識層で、すでに起きていたのです。

 今、現実世界を見渡してみた時、核の問題、深刻な不況、人種差別、収拾もつきそうにない国内外の小競り合い、テロ、戦争…。今、地球上に起ってしまっている諸現象に対して、対策を講じてどんなに苦心惨憺しても、多くは力及ばず、状況は悪化の一途を辿っているかに見えます。しかし今人類は、その暗闇を経験しているからこそ、光の存在に憧れ、明るい世界を望み、地球上の深刻な事態に危機を覚え、何とかしなければという気持ちが人々の中で勢いとなってきています。

 そして深刻な真の原因は、実はそれら起こっている現象にあるのではなく、人類一人ひとりのネガティブな想念が反映したものであって、それら想念が“集合意識(コラムNo24)となって、私たちの大切な地球を、深刻な状態に追い込んでいるのではないか…ということは考えられないでしょうか。そんな視点で現実を見つめていくと、その責任は各国々にあるけれど、つまりは、その各国々の一員である私たち“人類一人ひとりの責任”である…ということにもなるでしょう。

 そして私たち人類、一人ひとりの想念・意識が地球と人類の幸・不幸を決めていく(コラムNo19)のだとしたら、人類一人ひとりの中に既に起こっている“光と闇の戦い”が、一人ひとりの中で、少しでも収束していけば、地球世界の深刻な事態・現象もやがては、収束に向かっていくのではないか…そんな予感がしてならないのです。その為にはまず、私たち一人ひとりが心の平安を得ることこそが、鍵ではないか…と。

 私は姪の病気のことで、先々どうなるんだろう…と心をかき乱したけれど、問題は姪のハプニングにあるのではなく、それをどう捉え、感じている今の自分なのか…だけが、私とそしてこれからの世界の、未来を決めていくのだと心底、解ったのです。それが理解できたとき、わたしは“今このひととき”を、自分の中のひかり(愛・希望・無限…)で満たしていきたいと、本気で願い始めました。

 母親はどんなに困った子どもであっても、心からの慈しみをもって育てます。そして困った子供ほど、親を育ててくれます。同様に、暗闇の存在(ネガティブな感情)も人類の成長に大きく寄与してくれたのです。だから暗闇を葬り去るのではなく、しかし自分の想いと目線は、決して光から逸らさないで、母親のような慈しみをもって暗闇を見つめ、感じて、感謝して、“もう、行っていいのよ…”と見送れば、暗闇は、自分の方から納得して、光に位置を譲ってくれる…。僅かながらそんな体験をしている今日この頃です。

 人類一人ひとりが、暗闇と折り合いをつけながら、毅然と“光の選択”をしていく…。その結果、光を携えた人々が大きく一隅を照らしはじめ、その光の一隅と別の光の一隅が力強く繋がっていき、人類はやがてクリテイカルポイント(100匹目の猿現象)を迎え、そのときこそ地球人類は、即座に“光に変換”されていくことでしょう。ここにも女性性のふところの深さが大いに待たれ、期待されるところです。

 これは、かなり現実感を伴なった、私の中の“夢物語”です


*次回のコラムは6月20日前後の予定です

2016年4月19日火曜日

人間は誰しも心の中に“アウシュビッツ”をもっている

Column 2016 No.35

人間は誰しも心の中に“アウシュビッツ”をもっている
                                                - ビクトール・フランクル -

 名作「夜と霧」で知られるオーストリアの心理学者ビクトール・フランクルの言葉です。私はこの数週間の中で、フランクルのいう“アウシュビッツ”を、自分の心の奥底に見る羽目に陥りました。

 講座の最終日、打ち上げ会を済ませて夜遅く機嫌よく帰宅。玄関の鍵を開けながらいつもの習わしで、隣の家の灯りを確かめました。明かりが灯っていない…。私の家の両隣は、夫の兄弟の家族がそれぞれ住んでいましたが、娘たちは嫁ぎ、今や、夫を始め夫の兄弟はみんな亡くなり、灯りを確かめたその家には夫の姪が一人で住んでいます。  

 今日は出かけているのかなあ…。一端、家の中に入ったものの、何か胸騒ぎがして預かっている鍵をもって、応答のない家に入っていきました。すると二階から、か細い声で「待っていたの…」と! 何と、倒れて動けない状態でいるのです。わたしは動転しましたが、すぐに救急車を呼び市民病院へ…。待合室で施術と検査結果を待つこと二時間…。本人も気づかなかったという重篤な病にかかっているという結果で即入院。長期に亘る治療が予想されます。彼女には両親も兄弟もいない。何が何でも私がやるしかない!明日の仕事のことで頭が一杯になりながら、入院手続きやら入院のための用品準備でてんやわんや! 帰宅したのは午前四時近く…。めったに飲まない誘眠剤を飲用…。

 それからは毎日の病院通いで、私の中での苦悩との葛藤が始まりました…。人生にはまさに思いもかけなかったことが起るんですねえ…。私よりもずっと若い(夫の)姪が病に倒れるなんて…。そして私が世話をしなくてはならない羽目に陥るなんて…。彼女の父親はアパートの建立のための借り入れを残したまま、逝きました。そのストレスが恐らく彼女をここまで追い込んだのでしょう…。返済に追われて、自分が使えるお金は殆ど残らない状態…。薄々は分かっていたもののその現実を知った私は、愕然として、まさにパニック状態…。私の頭の中は、彼女の病状を心配するどころではなく、入院費はどうする!これから長期に亘るであろう彼女の日々の世話をどうする! 

 私は、夫を数年前に見送り、自分の生活と身体を守っていくことで精いっぱいの今の現実なのに…。一体どうしたらいいのだろう!どうなるんだろう!どんどん自分を追い込んでいきました。 不眠が続き、時折出ていた不整脈が頻繁に…。解決が全く見えない現実の中、夜中に目が醒めると、自分の潜在意識の混沌としたカオスの真っただ中に落ちていきます。そこはまさに愛が不毛で、無慈悲で、残酷で、血も凍るような恐怖と暗黒の闇の世界…。ああ、地獄ってこういう世界なんだろうなあ…。フランクルの言う“アウシュビッツ”を、私はまさに毎夜体験したのでした。

 体力も限界を感じ、そんな中で信頼している親友に会いました。自分の本当の気持ちを話してみました。入院費のこと、仕事をしながら世話をしていくことへの不安、自分の体力の限界…等々。「…本当はこの現実から逃げたいよ!私はこれまで両親をはじめ、夫はもちろん色々な人の世話をし見送ってきたのよ!もう体力も限界!これ以上人の世話はこりごり!…それに費用はどうやって?!」みっともない本音をぶちまけたのでした。彼女は黙って本気で聴いてくれました。いつもと違う私に戸惑っている感じでしたが、静かに言いました。「なるようにしかならないよ…。あなたのあるがままの気持ちでやるしかないよ…」と。

 友人の本当の気持ちを私は知っているので、その言葉は私の魂にすっと届きました。動転していた私の気持ちはかなり落ち着いてきました。そう!姪が決めたことに従い、出来ないことはできない!出来ることはやらせていただく…。自分の気持ちに正直にやるしかない…。出来もしないことを何とか解決しなくては…とその気持ちに圧倒されていた自分にも改めて気がついたのでした…。

 少しずつ気持ちに整理がついて来たら、沢山のことに気付いてきました。私はもの心つく頃から、母が病弱だったので、無意識に母を守り、もう少し大きくなると、家族に何かあればすぐに全責任を負って最前線に立とうとしてしまう…。 でも多くは責任が負いきれないから、無謀な行動に出たり、途中で投げ出してしまう羽目にもなっていたなあ…と。 

 これからは一人で背負うことはもう本当に止めよう。特に今回のできごとは、私ひとりが責任をもつべきものでもない…と思えてきたのです。きっと力になってくれる人がある!…と。私は果敢に交渉に出ることにしました。彼女が比較的親しくしていたように思える、遠く東北に住む母方の従姉さん。そして嫁いでいった市内に住んでいる父方の従妹さん。彼女の母方の従兄にあたる人のお嫁さんにまで、交渉にあたりました。ああ何と有難いことでしょう!皆さんが協力して下さることになったのです!

 一緒に専門家を訪ねて解決策を模索しました。遠くの従姉さんは、取り敢えず入院費の立て替えを引き受けて下さり、私を含めた近くの三人はローテーションを組んで彼女を見舞い世話をしていく見通しが立ちました。中でも一番若い彼女の従妹にあたる人は、姪の未整理のままの生活万般の事務処理を手際よく片付けてくれています。私にとってはまさに奇跡でした。

 周りの人の援助を求める勇気をもつことの大切さ! こうして人の温かさや、人としての本当の繋がりを体験できたことは、この出来事あっての感謝です。そして強烈な体験でしたが、自分の非情さや冷酷さに気付いたこと、つまり自分の中の“心の闇”を痛いほど実感したことも、私は自分への深い深い哀しみと共に、自分への愛おしさや愛がさらに増してきたような気がします。そしてそれは、私の中でゆっくりと、本ものの愛や思いやりへと熟成していき、やがて、周りの人々へと及んでいく日がきっと来るであろう予感がします。

 これからはまたどんな流れが来るかはわかりません。正直考えると怖いです。でも今だけを見つめて、周りの人に感謝して、自分を赦して赦して、出来ることをして、一生懸命生きていきたいと思います。こんな時、日木流奈君の言葉は私の心に元気をくれます。

期待しないで諦めないで!
- 日木流奈 -


*次回のコラムは5月20日前後の予定です。

2016年3月20日日曜日

ひとりの中に“女性性と男性性”のバランスを

Column 2016 No.34

仕事で出会う人は勿論、あらゆる人間関係で沢山の出会いがありますが、一人ひとりの中に必ず“男性性”と“女性性”の双方の性質があることがよく分かります。そのバランスが均衡をもっている人もあれば、どちらかの性質に偏っていて、それぞれがその人の個性となっていることを感じます。

 「森羅万象・宇宙のあらゆる存在は相反する“陰と陽のふたつの「気」”があって、“男性と女性”もそのひとつ。その陰陽の双方が調和してはじめてひとつの完全な要素となる‥‥」東洋医学を学んだ祖父がよく語っていたことです。

 その考え方から辿っていくと、確かに私たちの日常に於いてもその陰陽が色々な形で現れているのが解ります。昼と夜・夏と冬・晴天と雨天・吸気と呼気・母性と父性‥‥等々。また“仕事と休息”“睡眠と覚醒”“傾聴と自己表現”…等々。そしてそのどちらが“いい・悪い”ではなく、その双方共に欠くことはできない、私たちはその陰陽によって生かされているとも言える大変大切な要素だということがわかります。

 また、人の身体のリズムを“バイオリズム”という観点から説明をしている仮説があります。身体の生理状態・感情の波・知的働き‥‥にも高調期と低調期の一定の周期的パターンがあり、つまり陰陽のグラフで表される。つまり人間の身体や精神状態も、上向きばかりでもなく下向きばかりでもなく、陰と陽の状態が一定の周期でもって繰り返されているというわけです。

 「親業」を日本に導入した近藤千恵(前理事長)は“ひとりの親の中に父性と母性を…”と提言しました。親業は有効なコミュニケーションを訓練していく講座ですが、コミュニケーションの側面から言っても、実は“母性的側面と父性的側面”があるのです。これまで子どもを育てる上でよく言われてきたことは、“父親としての役割・母親としての役割”というふうに、両親が、役割分担的な考え方で、例えば、叱るのは父親役、守るのは母親役‥‥といった考え方が主流でした。しかし親業では、一人の親が“父性と母性”の両性の特性を併せ持つことの大切さをコミュニケーションの立場から提言しています。

受信(傾聴力)‥‥‥‥母性(女性)的側面
発信(自己表現力)‥‥父性(男性)的側面

つまり父親も母親も、双方コミュニケーションの力量をもつことが、一人の人間としての、真の自立である‥‥と。だからひとり親であっても健全な精神を持った子どもを育てていけるのです。

 ところが、この傾聴力と自己表現力の心地いいバランスを併せもっている人は少ないと感じます。多くの人が、効果的な「傾聴」効果的な「自己表現」とは何か…が解らない為に、知らず知らずのうちに破壊的なコミュニケーションになって、人間関係を難しくしています。例えば、八方美人的に生きている人は自己表現が苦手なので、聴く側にまわり、しかし傾聴力があるわけではなく表面上相手に合わせて聴いているので、いつも疲れています。一方、発信力があるように見えて、実は自己表現ではなく他者のことについて喋りまくるストレス発散タイプの人もあります。職場などでは敬遠されるタイプの人です。

 傾聴(受信力)とは、相手が話している間は決して茶々を入れないで、本気で聴く。話している内容を含めて、その人を丸ごと受け入れて聴く姿勢です。一方、自己表現(発信力)とは他者について語ることはやめて、自分の思いを正直に率直に語ることです。何はともあれコミュニケーションには訓練が要ります。以上詳しいことはコラムNo10,11,12で詳しく取り上げています。

 さて、私が今回テーマにした「ひとりの中に“女性性と男性性”のバランスを」としたのは、親になってからも勿論ですが、それ以前に、ひとりの中に女性の特質と男性の特質を併せ持つことこそが、人としての完成であり、真の自立の姿であると信じる所以です。勿論、男性と女性は体の構造も違い、男性が女性に、女性が男性になることはできません。しかし双方の特質を一人の中に融合させていくことならできます。優しさと強さ、包容力と行動力、感情的と論理性、婉曲性と率直性、受容性と毅然性‥‥等々。

 しかし、女性が男性的側面を育て、男性が女性的側面を育てていくことは並大抵ではありません。しかし今、女性の意識改革は急務です。男性に対する劣等感と恐れを脱却し、依存傾向に気付き、決して対立するのではなく、男性の積極性・行動力を学び、しかし女性であることの誇りと自信をもって、率直に男性と対話をしたり、女性ならではの特質・力量を、職場でそして地域社会へと恐れず意思表示していく時代だと思います。いま地球を取り巻いている戦争・テロの脅威、貧困問題、人種差別‥‥等々。そこには女性的エネルギーが待たれます。

 世界の飢餓撲滅のために教育や支援をエネルギッシュに進めている人権活動家のリン・ツイストさんは次のように話しています。

「‥‥アメリカの先住民が21世紀にに対する素晴らしい予言をしています。人類という鳥は、男女の翼があるにも拘らず、何百年何千年も男性の翼だけで飛んできた。その結果、男性の翼は発達し、筋力をつけて暴力的になり、片翼だけで旋回飛行いを続けて来た。しかし21世紀は女性が翼を広げ、両翼がバランスをとって、人類という鳥がまっすぐに上昇していく‥‥というものです。男性を悪者にせず評価した上で、女性が21世紀に適切な責任を果たしていくことを、このことは示唆しています」‥‥と。

 2014年に史上最年少でノーベル平和賞を受賞した、パキスタンの若き人権活動家マララ・ユスフザイさんは「女性にも教育を!すべての子どもが学校に通う権利を!」と訴え続け、タリバンからの銃撃を受ける結果になりました。幸いにも一命をとりとめ、再び活動を展開しています。女性が賢くなり存在が認められることは、世界の平和実現にとって実に重要なことですが、残念ながら女性が賢くなることを恐れている人々がまだ沢山いるのです。

 その誤解を解くためにも、意識改革を深めていきながら、まず女性がコミュニケーション能力(傾聴力と自己表現力)を磨き、智慧を養い、愛に裏打ちされた“包容力”と“行動力”をもって、徐々に活動範囲を広げていく‥‥。女性ひとりひとりの変容から、人類は徐々に女性的エネルギーを取り戻していくでしょう!まず家庭の中での変容、伴侶との適切な関係性、子どもへの教育‥‥などを通して草の根活動からの出発です。

 女性の意識に、本物の変化が訪れるに従って、男性の中にも女性的特質を受け入れることが、もしかして抵抗なく実現していくのではないか‥‥そんな予感です。そこで人類の戦いも貧困も人種差別も、豊かなバランスの中で、徐々に収束に向かっていくのではないでしょうか。 私は今ほど女性のエネルギーが必要とされているとき(時代)はないのではないかと思えてなりません。だから、マララ・ユスフザイさんの次のメッセージにとても共感し心打たれるのです。

世界中の姉妹の皆さんにお願いします。勇気をもってください。
そんな力はないなんて思わないで! 自分には無限の可能性が
あるということに どうか気づいてください!


*次回のコラムは4月20日前後の予定です

2016年2月20日土曜日

子どもの甘えを適切に受け入れる ~子どもが親を必要としたとき~

Column 2016 No.33

先週の講座で、受講者のDさんから「“甘やかしと甘えを受け入れる”の違いがよく分からないのですが…」という質問がありました。“甘やかし”と“甘えを受け入れる”の違いは世間一般にもかなり混同されています。子どもの真の自立にとって、大変重要なことなので、今月のテーマにしてみました。

 子どもが親を必要としたとき、どう係わったかは、子どもの人格形成の上で非常に大切なポイントです。深刻な社会問題を起こす子どもの背景に、親に“甘えを受け入れられた”という実感が、その子の中に極端に欠けていたという現実が多く存在しています。しかし事件後のインタビューで、専門家ですら“それは甘やかしの結果です”と一括りにして報道しています。事件によっては当たっている場合もあるし、多くは違う場合も多いのです。

 一括りの判断に危険性を感じるのは、子どもが一人の人間として自立して育っていく上で大切なプロセスである“子どもの親への甘え”までいけない…と多くの親たちが誤解してしまうと、大切な子どもの心は育たないからです。「甘やかし」と「子どもの甘えを受け入れる」ことの間には、はっきりとした違いがあります。わかりやすく言えば親中心の関わりなのか、子どもの気持ちを大切にした関わりなのかの違いです。その違いを私の観点から説明してみたいと思います。

 “甘やかし” の親は、子どもの今の心の位置は殆ど関知せず、親中心の考えで習い事をさせたり、洋服を与えたり、金銭を与えたりします。ある子どもが言いました。「家には、いっぱい物があります。でも僕が欲しいものは何ひとつありません…」と。子どもが求めていることには、関心を示さないのです。つまり甘やかしの親は、子どもが頼んでも来ないことを一方的にやったり与えたりするわけですが、子どもが何か求めてきたものには、多くは無関心な態度です。

 やがてそれらの子供(放任で育った子どもも含みます)が思春期を迎えると、多くは愛情飢餓と欲求不満を抱えているので、親に対しても横暴な態度を取ってきたりします。すると多くの親は子どもに屈服し、子どもが要求するものを、何の判断もなく与えるということも起こってきます。世間に迷惑がかかる行動をしても、親がそれを制する影響力も指導力もありません。また、子どもの心の痛みは必ずしも親に向かうとは限らず、社会に向けたり、或は、子ども自身の内側に向かうということもあります。心身症とか鬱…のような形で。

 一方、“子どもの甘えを適切に受け入れる”ことの大切さについて考えてみたいと思います。甘やかしとの違いは、親の視点が自分中心ではなく、子どもの今の心の位置・視点を大切にした接し方で、しかも、親自身の感性をも大切にした接し方です。つまり、子どもが親を必要としたとき、「NO」にしても「YES」にしても子どもに真摯に対峙していく姿勢を持っているということです。

 幼いころから子どもは「お母さん見て!」「お話し聴いて!」「これやって!」「これ買って!」と依存してきます。子どもにとってはまさに正当な依存なのです。そして甘えたい・注目してもらいたい…のサインである場合も多いのです。だから決して無視しないことが大切です。親を必要としているときには、ちゃんと見つめてあげてください。そしてお母さんがそのときやってあげられるなら、「いいわよ!」と無条件にやってあげていいのです。もし疲れているなら「ごめんね。お母さん疲れているの。自分でやってくれる?」と丁寧に断ってください。

 実は頼んでくる行動そのものが、自立の行動なのです。だから、やってあげたからといって自立を阻むという心配は全くないのです。むしろ逆ばかりだと、満たされないこだわりと欲求不満の感情を、子どもの心に残します。中学生の子どもが「お母さん麦茶!」といってきたら多くのお母さんは「中学生でしょ!それくらい自分でやんなさい!」と、つい蹴散らかすような言い方で断りませんか。実はお母さんは子どもの自立を心配しているんですね。

 もし子どもの自立を心配して、断わりたいのであれば「ごめんね。悪いけど自分で入れてくれる?」のように、やはり尊敬した言い方で断ってください。そして「助かったわ」とあとで伝えます。幼い子供であれば「ごめんね。ひとりでやってみて!お母さん、ここで見ているからね!」と言えば、多くは甘えの行動ですから、見つめてもらいながらならできるのです。そして「ひとりで出来たね!」と言って認めてあげる…。このように尊厳性をもって接するなら「YES」でも「NO」でも子どもには伝わりますし、決して自立を妨げることにはなりません。

 「北風と太陽」という有名な童話がありますが、とても示唆があります。旅人が自分でマントを脱いだのは、厳しい北風の力ではなく太陽の愛の力でした。同じように、子どもは北風に遭うと縮かむばかりです。“やらせ”の北風ではなく、黙って見守ってあげたり、時には気もちよく応じてあげる太陽のような愛情とおおらかさの中で、子どもの心はのびのびと育ち、自立へと向かえるのです。勿論、子どもの自立を援助するのは、こうした場面ばかりではありません。親と子どもの日々のコミュニケーションすべてが、子どもの自立に大きく影響を与えていきます。

 20数年も前、その頃思春期に入っていたKさんという娘さんが私に話してくれた深刻なお話です。(Kさんの連絡先が不明で打診がとれないので、事実に近い形ですが、幾らか形を変えています)Kさんは親思いのとてもいい子どもで育ちました。思春期を過ぎた頃から過食嘔吐が続き、衰弱が激しかったために入院。その頃、彼女はこう語りました。

 「…あの頃、病院にいた自分は、5歳くらいの子どもになっていました。母が恋しくて恋しくて、どうやったら病院から出られるだろう、母に会えるだろう…と5歳の子どもの頭で考えていました。手首を切ったら、母がすごく心配して飛んできてくれるかもしれないと、本当に手首を切りました…。

…確かに母は来てくれましたが、病院に文句を言って、私に“もうこんなことしないのよ!”とひとこと言うと帰ろうとしたので、私は必死で“お母さん一緒にいて!お願い一緒にいて!”と頼んだけど、母は“忙しいのよ!”とひとことを言って帰ってしまいました。私は必死で玄関まで追っていったけど、もう姿はなかった…。その時、本当に母は何もしてくれなくてもよかったの。ただお昼まででいいから、一緒に傍にいてくれて、リンゴの皮をむいて食べさせてくれて…。ふつうに私のこと構ってくれたらよかったの。そしたらきっと私、元気出たと思う…。でも期待した自分が馬鹿でした…」と。

 本当にKさんのやりきれなさが伝わってきて、胸がいっぱいになりました。お母さんは確かに忙しかったのかもしれません。でも命を張ってまで、親を必要としたこのひとときに、お母さんはなぜ気付いてあげられなかったのでしょう…。

 このように思春期は、これまで満たされなかった感情が、外向きや内向きに疾風怒濤のように溢れ出てくる時期なのです。それは、情緒が安定した、いい大人になる為の、親への“最後の甘え”です。親が子どもの悲しみを理解し、抑圧してきた不安や怒りの感情を理解してやりながら、まっすぐに子どもに対峙していけば、時間はかかりますが、子どもは必ず自分の軸を取り戻します。

 思春期挫折という、最後の子どもの甘えを受け取れず、親が逃げてしまったり、権力を使ったりすると、子どもは問題を抱えたまま大人を迎え、どこから来るのかわからない不安と葛藤との闘いで、一生を費やしてしまうことになるかもしれないのです。日常的な不機嫌、家族へのDV、アルコール依存、身体的なトラブル…等々。すべて満たされなかった甘えの、無意識の悲しいバランスです。

 Kさんの母親のように、私たち親は子どもの本当の気持ちを受け取れず、微妙にずれた対応をしてきたということはないでしょうか。しかし、今からでもいいのです。気付いたところから、子どもの心の位置にしっかりと気づいて、子どもの甘えを適切に満たしてあげたいものです。

“愛されている”という感情の持つ非常に大きい力…
それは心と体の成長を促し、心理的・身体的な障害を治す上で、
私たちの知っているものの中で、最も優れた治療効果をもつものである…
トマス・ゴードン(親業創始者)


*次回のコラムは3月20日前後の予定です。

2016年1月20日水曜日

夢なき者に成功なし

Column 2016 No.32

夢なき者に理想なし。理想なき者に計画なし。計画なき者に実行なし。
実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし
                                                                               - 吉田松陰 -

 今年の新年、家族と共に一泊で萩の町を訪れました。萩の城下町散策も魅力的でしたが、何はともあれ、激動の明治維新の、陰の立役者として知られる吉田松陰の生誕地を、一度訪れてみたいというのが私の念願でした。

 吉田松陰は、天保元年(1830)に 萩城下松本村に生まれました。幼いころから豊かな学問的環境の中で育ちました。11歳にて藩主の前で「武教全書」の一部を講義したと、記録にあります。松陰は、学問への造詣の深さは勿論のことですが、やりたいと思うことはどんな危険を冒してでもやり通そうとしたひらめきで行動する熱血青年でもありました。

 止むに止まれない向学心から九州に、江戸に…と。その上、海外の事情を知りたいが為に、何度か米艦に乗り込もうとしたり、かなり無謀なことをやっています。その結果は失敗に終わり、獄舎に入れられたり、幽閉を命じられたり‥‥かなり綱渡り人生を送っています。

 情熱と深い使命感に溢れていた若干27歳の松陰は、近隣のやがて未来を担うであろう若者を育てるために、小さな私塾を開きました。それが今や世界遺産ともなって姿をとどめている「松下村塾」です。彼は蘊蓄してきた深い知識や学問の教育ばかりではなく、“人間学”つまり人としての生き方、リーダーとしての素養など‥‥彼自身の熱い想いを弟子と共に意見を交わしながら、生きた学問として教え導いたと言われます。彼は次のように言っています。松陰の教育精神が忍ばれます。

学問とは人間はいかに生きていくべきかを学ぶものだ

 さて、吉田松陰が「松下村塾」で教育した期間は、何と!わずか一年余り。この短い期間に、のちには日本を動かしていくような驚くべき多くの逸材を育て上げたのでした!

 高杉晋作、木戸孝允(桂小五郎)、久坂玄瑞、伊藤博文、山縣有朋、品川弥二郎‥‥等々、錚々たる人物です。ところが松陰は「安政の大獄」で29歳の若さで処刑の憂き目に遭うのですが、育った若き門下生たちのその多くは、師の意志を継いで、倒幕運動に挺身し、明治維新の大きな原動力となった志士たちでした。そのいきさつはNHK大河ドラマ“花燃ゆ”で扱われましたがご覧になりましたか。

 日本の歴史を垣間見て思うことですが、明治維新を始めとするそれまでの歴史、そしてそれ以後の歴史の中で、松陰を始め数々の立役者たちが雄々しく起ちあがって、その都度日本の歴史を大きく変えていきました。果たしてそのことが日本にとっていいことになったのか、逆のことになったのかは“神のみぞ知る”で私にはわかりません。ただ、私がとても心打たれるのは、彼らが、私欲や私心なく、ひたすら国のため民の幸せのために!と信じて、わが身を投じて起こしていった行動だと思うと、その純粋な心意気に感嘆するのです。

 以下は松陰が残している言葉です。おそらく彼が塾生を指導した根幹をなす精神だったのではないかと想像します。少なくとも松陰は、純粋に国のためを思う心情をもって、塾生を導いたことが、身に沁みて伝わってきます。

「私心さへ除き去るなら、進むもよし。退くもよし。出るもよし。出ざるもよし」
「君子は何事に臨んでも、それが道理に合っているか否かを考えて、その上で行動する。小人は何事に臨んでもそれが利益につながるか否かを考えて、その上で行動する」

 さて、やはり幕末維新という激動の時代を生き、近代日本という幕開けを築いた人のひとりに板垣退助がいます。自由民権運動の先駆けを築いた人です。彼は演説している最中に暴漢に襲われたことがありました。幸い命は助かったのですが、血まみれになりながら彼が吐いたという言葉はあまりに有名です。「板垣死すとも、自由は死なず!」…と。

 その後、幾ヶ月が経ったある日、彼を襲ったその加害者が、謝罪のために彼のもとを訪れたといいます。そのとき板垣は「私にやったことは、君の私怨(怨念)から出たものではなく、国家を想ってのことだろう…。私は君をとがめるつもりはない。私の行動が、国家の害と思うなら、もう一度刺してもかまわぬ…」と告げたといいます。わたしは彼のこの言葉に触れたとき感動して涙が出たほどでした。日本歴史上に、真に国を想い、これほどまでにいさぎよく懐(ふところ)の深い人物が存在していたのか…と。

 彼の存在、そして彼が成し遂げたことが、いいことになったのか逆のことになったのか、私なりの視点・観点はありますが、本当のところはやはり私にはわかりません。しかし純粋に、日本国をそして民を、幸せに導きたい…という無私無欲の、壮絶なまでの使命感…。その心意気に感嘆し心服しほれぼれとするのです。そしてやはり私は確信します。松陰を始め、私心なく練れた智慧と純粋な使命感で、身を挺して国のために働いた人々がやってきたことは、純粋であるが故に、まさにそれは人類に貢献し、私たちの今の幸せと安寧にと、必ずや繋がっているのではないかと…。

夢に向かって挑み続ける若者を一人でも多く
創らなければこの国に未来はない
中條高徳

 数年前にご逝去された、アサヒビール名誉顧問だった中條氏の遺訓です。いささか極論的にも聞こえますが、中條氏のこの言葉はとても私の心に残っています。それは松陰の「夢なくして成功なし」という冒頭のフレーズにも繋がります。

 私は、思うのです。「夢」こそが人類の進化の“種子”である…と。人間は「万物の霊長」とも言われますが、“夢を現実にできる霊妙な創造性”を与えられた唯一の存在です。ところが、私たちはその役割をどれだけ果たしてきたでしょうか…。万物の霊長としての創造性の力を、地球と万物の“幸せと向上”のためにどれだけ使ってきたでしょうか。万物のあるべき姿の「夢」を本気で描いてきたでしょうか。私たち人間がブレてしまっているが故に、いま地球も万物も悲鳴を上げています。

 今こそ創造性の力を持つ者としての役割を、本気で発揮していかなければならない時代に入っていると思っています。どんな世界を望んでいるのか。人はどうあるべきか。私たちに今できることは何か。誰かがやってくれる…という時代ではありません。一人ひとりが、創造性を与えられている尊い存在である…ことを本気で思い出し、一人ひとりが行動を起こし、出来ることをやっていく責任がある…と。
  • 人類一人ひとりが自分は創造性を与えられている尊い存在であることを思い出してきたら、きっと万物(すべての存在)に対して優しくなるだろうな…
  • 万物に優しくなったら、自然も動物も正常な生態系(循環)を取り戻して、命を吹き返すだろうな…
  • 自然や動物たちが正常な生態系を取り戻し命を吹き返したら、地球が豊富な酸素と緑で溢れ、奪い合う争いも、環境汚染も姿を消していくだろうな…
  • 人類はひとり残らず「地球」という乗り物の“同乗者”であることを思い出したら、これらはきっと可能になるのではないかな…
  • そのためにはやはり、人類一人ひとりが本気で自分の幸せに責任をもって、自分を大切にして、創造する者としての夢を育んでいけるといいな…

 新年、松陰の生誕地を訪れて、先人達の純粋で壮烈な気概に触れて感動したり驚嘆したこと…。そして自分の「夢」や、いま私たちにできることは何だろうと真剣に感じる機会がもてたこと…とても素敵な新年となりました。


*次回のコラムは2月20日前後の予定です。