2016年10月19日水曜日

あらゆる経験はひとつの目的のために起きています。

Column 2016 No.41

あらゆる経験はひとつの目的のために起きています。
その目的とはあなたの気づきを拡大するということです
ポール・フェリーニ

 数日前に、とても奇妙な夢を見ました。ひとことで言えば、とても後味の悪い夢でした。後先のことはあまり覚えていないのですが、とにかくネバネバとした強力な蜘蛛の巣に私自身が絡まれた…まさに不愉快極まる夢でした。実際、我が家の庭にも木々が幾らか植わっているので、この時期は蜘蛛が巣を張っていて、出かけるときに、よくそれに引っかかってとても不愉快な思いをしますが、でも夢の中の蜘蛛の糸のような強力な巣に絡まれたのは初めてでした(笑)

 夢から覚めてすぐに直観的に思ったことは、自分で創った蜘蛛の糸で、自分を縛っているんだなあ…ということでした。今秋の、何と目まぐるしく忙しかったことか! 確かに、秋は仕事が集中することは多いのですが、今秋は特に連日、息つく暇もないくらいの日常だったのです。まだ少し続いています。

 私は少々“仕事依存的傾向”があるようです。本当は、仕事のほかにもやりたいことがあって、自由に生きたい、もう少しスローライフを楽しみたい…といつも願いながら、ついつい仕事の方を優先してしまいがちなのです。その結果、このところ本もじっくり読めなかったなあ…。観たい映画も沢山見過ごしてしまったなあ…。会いたい友人にも会えなかったなあ…。好きな海も見に行けなかったなあ…。楽しい英会話もずっと休んでしまったなあ…。猫の額ほどの小さな庭の草も取れずに、ぼうぼうに生えてるなあ…。

 余談ですが、先日、東京に住む娘から久々に電話があり、「お父さんの夢を見たよ!」と言ってきたので、嬉しくて「わあっ!どんな夢だったの?」と訊いたら「お父さん、庭の草を抜いてたよ!」…と。 ははは!驚きましたねえ。あの世からも、ぼうぼうの庭の草が気になってる?!… そういえば生前から庭の草はコツコツと取ってくれていて助かっていました。それを聞いてからは、何はともあれ少しずつ頑張っています(笑)

 こんなことを書いていると段々と自由で楽しい気持ちが甦ってきました。自分で創った蜘蛛の糸で自分を縛ってしまうほどに、私はこの所、とても不自由に生きていたんだ…ということをあらためて夢はしっかりと教えてくれたようです。タイトルのフェリーニが言っているように、“何かに気付きなさい…”と潜在的な自分がその夢を引き寄せたのでしょう。

 自分が侵してしまった過ちも、不愉快な出来事や、例えそれが不愉快な夢であっても、やはりそこには気付くべき意味があって引き寄せた現象なのだと私は理解しています。そして、それから逃げないでしっかりと対峙することによって、気づきは深まり、気付きが深まるに従って、その人の意識は拡大し、その意識の広がりは徐々に、本当の“愛”や、真の“生きる意味”に繋がり、やがて私たちが、最終的に求めんとしている「自己実現」の道へと、辿り着くのだろうと確信しています。

 “気づき”は私が指導している講座でも大変大切に考えています。私はどんなネガテイヴな感情からも、そして出来事からも、決して逃げないように出来るだけ気を付けています。 そして自分なりに気づいたら、あとは起きたことを心から赦して、果敢にそれを手放していきます。 「逃げない。はればれと立ち向かう。それが僕のモットーだ!」 私は岡本太郎氏のこのメッセージにいつも勇気づけられています。

 いつかのコラムにも書いたと思いますが、感情もそして起き湧いてくるすべての出来事にも「いい・悪い」「正しい・間違い」は決して無いということ。それを決めてしまっているのはその人であり、それが“罠”となってその人の人生を不自由にしていきます。 ただ“悲しい”“つらい”“寂しい”“不愉快”…等々、私たちの持つ「感情」は、私たちにとっては唯一の真実です。起き湧くすべての出来事を前にして、真実であるその感情だけを尺度にして、自分はどうしたいかの態度を決めていく…。これが私の指導している親業のスタンスです。

 蜘蛛の巣に絡まれたあの不愉快な夢も、確かに私にとっては、気付くべき意味のある夢だったと思います。私のライフワークでもある今の仕事を、さらに充実していくためにも、蜘蛛の糸で私を縛るのではなく、“自分の糸”で、本当に生きたい人生を楽しみながら、心を込めて紡ぎ、織り上げていかなければならないのです! さらにそう思えてきたのでした…。 それに蜘蛛には八本もの沢山の足があることにも改めて気付きました! ひとつの道にこだわらず、蜘蛛の足の如く、可能性の幅は沢山あることに、いや無限にあることに気づいたのでした。視野をもっともっと大きく広げて生きてみよう!  

 後味の悪かった夢も、こうして様々な角度から見ていくと、こんなに可能性の広がりがあるんですねえ! 興味深いですねえ! 私は、自分が見た夢を“縛り”の定義から“可能性”の幅のある定義に創り直したようです。私はこの新しい視点でこれからを生きていくのです。肯定的にも否定的にも私たちは、自分の定めた定義(視点)によって自分の人生を創造していくのですから。(コラムNo19

 視点が変われば人生は変わります。仏陀も「心がすべてである。あなたは自分が考えたものになる」…と言っています。私たちには、自分の人生を創造する力があるということを忘れてはならないのです。一度しかない人生(もしかしたら来世があるかも…)でも、決して先送りにはしたくない。やはり今を納得して輝いて生きていきたい…。私は心からそう願っています。

嫌なことに出逢ったときは、この状況をいかに
ポジテイブに使えるかを学ぶチャンスです
賢者のことば


*次回のコラムは11月20日前後の予定です

8 件のコメント:

  1. 唄うカナリヤ2016年10月22日 12:42

    ・どんな自分の感情も能動的に聞く=自分の味方になってあげる
    ・気付いたら手放してOK

    この二つを講座で習ってからというもの、私の心はどんどん重荷から解放され、軽くゆるくなっていきました。

    「こんな事を思ってはいけない!未熟な私を人様に知られないよう隠さなければ!」
    「同じ過ちを二度と繰り返さないよう、心に刻み付けなければ!」
    講座を受けるまでは、こんな風に自分を責めて責めて…疲れ果てていました。
    もちろん、自分の事なんて大嫌いでした。

    それが「気付いたら、その出来事はもう不要物。手放してしまっていいんですよ」と習い、実践していくと、どんどん心が晴れやかに澄み渡っていきました。

    昔は、自分の中の本音を言おうとするだけで、恐くて涙ぐんでいた私が、こんな風に清々しい気持ちで毎日を送れるようになるなんて!!
    親業に、下村先生に出会えた事に感謝です。

    そして、親業を、下村先生を引き寄せた自分にも拍手!!
    辛く惨めな気持ちを抱えながらも、自分を諦めずに生きてきた過去の私を「よく頑張ったねぇ!」と思い切りハグ!!

    今が一番幸せです(*^^*)

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    1. 唄うカナリヤさま

      コメント 初めていただきましたか? 有難うございます! 雑務に追われていて、返信が大変遅れてしまいました。

      どんな出来事も「感じて」「気づいて」「手放す」 ほんと! 大変大切なことです。どんな不味いことをやっても (私を含め人間だから必ずやります) 感じて 気づいたら、さっと手放す! 潔ぎよく自分を赦す! 赦すことこそが、自分への最高の「愛」だと思います。そして これこそが「自己実現」への王道 …だと私は信じています。

      親業を下村先生を引き寄せた自分に拍手!…有難うございます! 私は まだまだ修行の身ですが… (笑)

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    2. 唄うカナリヤ2016年10月26日 22:02

      はい、初めてのコメントです!
      コラムが始まってからずっと読む専門でしたが、勇気を出して初コメントしました(^^)
      案ずるより産むが易し、でした。
      これからもどうぞよろしくお願いいたします♪

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    3. 唄うカナリヤさま

      有難うございました。
      こちらこそ宜しくお願いいたします。

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  2. とても印象的な夢を見られたのですね・・・。
    娘さんの夢も繋がっていたんですね(^O^)

    この頃、予想外の出来事が起こると「もう!何の意味があるんよ!」と呟き、時には空を見上げる(睨む?)ことがあります。「ほんと、意味わからんわ・・・」と再度嘆くことも。悲しい気持ちを感じながらとにかく対処しているといつの間にかそのことは問題でなくなり新たな考えになっている自分がいます。思い返してみると少なからず心の中で(何に気づけといわれているのか・・・)と気づこうとしている自分がいます。

    同じような事が起きる時には「は?何に気づいてないん?わたし知らし・・・」と呟きながら事に対処するわたし。
    楽しいこと、うれしいことは無邪気に喜ぶわたし。
    この繰り返しで人生紡いでいるんですね。


    蜘蛛は我が巣を壊されても自分はスーっと新しい糸を出して下にゆらゆらしながら移動し別の所に巣を作るんですよね・・・そこも示唆的だと思いました。

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    1. MOONさま


      仰るように 私たちは 何事が起きても 、もう無意識に 気付こう!気付こう! としています。訓練してきましたものね! MOONさんも 悲しいこと、辛いこと…今いっぱいありますよね…。 でも その都度 「心の仕切り直し」をしながら 一生懸命に生きていらっしゃいますね…。そして心が喜ぶことや楽しいこともいっぱいして、 子供のように無邪気に楽しんでいらっしゃる!

      そう! ネガティヴな出来事も ポジティブな出来事も 「感じて」「気づいて」果敢に「手放して」いけば 、みんなみんな 「自己実現」への道に繋がって行く! これからもお互いに 人生 何事も "逃げないで はればれと立ち向かって" いきましょうね! 岡本太郎さんの言葉です。

      あれから 蜘蛛の糸を庭で しみじみと観察するのですが 壊しても壊しても 位置を変えながら 惚れ惚れとするような美しい巣を紡いでいくあの逞しさ! 蜘蛛のフアンになりそうです (笑)



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  3. やっとコメントする時間と心の余裕が出来ました。

    「何事も、自分に引き寄せている。」(簡単に書き過ぎたかな?)
    以前は、それが認められませんでした。ほとんど人のセイにしていました。
    心で、自分が引き寄せた?イヤ違う!あいつのセイだ!と言いたくて、理屈をたくさん考えていた私です。

    こう考えることは、少しも楽にはならず、かえって苦しくなるばかりだったように思います。

    自分が引き寄せていた?と認めるまでに、どれほど時間がかかったことか!!

    でも、今では、「うん?この気分の悪いのは、自分のどんな感情があるからかなあ?」と人のセイではなく、思える様になって来ています。
    でもでも、腹が立つ時は、怒っていいよ。怒りたいんだよ!と自覚しながら怒っています。

    イヤなことから逃げようとしている自分に気づいて、「逃げてる、逃げてる。今私はどうしたい?」「逃げたければ逃げよう。向かい合いたければ向かい合おう。」と自分で決めて出来るようにしていることが、多くなったかな?

    新聞の事件でも、起こるべくして起きたんだな。その人の人生だったんだ。と思ったりすることもあります。自分の人生を自分で選んで生きていこうと再確認したりもしますが・・・

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    1. Kiyokoさま

      ほんと! 自分にとって都合が悪いものを 自分で引き寄せた…なんて本当は思いたくないですよねえ。しかし親業の人間関係講座のキャッチフレーズのひとつに 「自分の人生 自分が主役」とあります。

      物事を引き寄せるも 手放すも…すべて主役の自分。自分の人生の責任は自分! 主役で生きようとする者の心意気が感じられますよね! おっしゃるように 逃げる選択OK!対峙する選択もOK! Kiyokoさんは「自分の人生を自分で選んで生きて行こう…」とおっしゃっています。まさに主役で生き始めていらっしゃいますね!


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