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慈悲の心と、人を愛する優しさを心の中に
ダライ・ラマ 14世
Column 2021 No.98
慈悲の心と、人を愛する優しさを心の中にもっていれば、
自然と何かがあなたの内面にある扉を開いてくれます。
それを通じてあなたは他の人々とたやすく心を通わせることができるのです。
その温かな気持ちは人の心に開かれた心を生み出すのです。
ダライ・ラマの言葉です。私は仏教用語であるこの「慈悲」という用語には、どういう意味合いがあるのだろうと、ずっと気になっていました。辞書によると、
“仏が衆生(生命あるすべてのもの)を憐れみ、苦を除き楽を与えようとする心”…と、説明しています。「慈」は母親が子どもを愛するような慈しみ。「悲」は衆生の苦しみを取り除いてやりたいという仏の憐みの心…とあります。
解釈を見ても、やはりちょっと難しいな…と思いました。私流に解釈すれば、「思いやり」「心づかい」「慈しみ」「包み込む愛」…これらを一緒にしたような意味合いではないかなと思いました。
目の前の人を助けること。その人が生まれてきてよかった
と思ってくれるために自分は何ができるかが大切なのです
マザーテレサ
マザーテレサは、病に苦しむ孤老の人や、助けの手が届かない、死が近い路上生活の人々…を、無条件に受けいれて、その人が安らかに逝けるように、最後の介護をして、一人ひとりを心を込めて看取り、見送った人です。マザーテレサの行動の底辺には、確かに「慈悲心」である思いやり、慈しみ、愛…が流れているのがしみじみと伝わってきます。慈悲の心を生きた人は、なんと気高く美しいのだろう…と、心打たれます。
東日本大震災時の人々の行動を(報道から)思い出すことがあります。夫や妻が濁流にのまれ、自分自身がぎりぎりの状態にありながら、周りの人々を本気で気遣う人々の姿…。また急ごしらえの避難所として場所を提供し、そこにあるものを惜しげもなく差し出して、被災した人々をねぎらっていた旅館。また震災からわずか5日後、“こういう時こそ地域住民の足になるべき!”…と、被害を免れた区間を無料で運転再開した三陸鉄道。壊滅的に破壊された街中を走る列車は、人々に大きな希望を与えたと言います。お年寄りの方々が、走る列車の姿が見えなくなるまで、子どものように手を振って感謝を現わしている姿がとても印象的でした。
自分自身の状態が身いっぱいの時ですら、人は「慈悲心」で、周りの人々をこんなに大きく包み込むことができるんだな…ということを思うとき、人間の“性善説”(人が持って生まれた性質は善であるという考え方)を信じたくなります。
今日は勘弁してくれたまえ。1文(金銭)の持ち合わせもないんだ。
こう言いつつ詩人は乞食の手をぎゅっと握った。
乞食はどんな大金をもらうよりも、詩人の手のぬくもりを感謝した
ツルゲーネフ
ツルゲーネフはロシアの小説家です。作品名は失念したのですが、彼の作品の中のこの一節に感動してメモを残していました。この一文を再び読んだとき「慈悲心」とは、包む愛ではありながらも、全く上下関係がなく相手の心とひとつになっていく。だからこそ、相手に受け取ってもらえるんだな…ということを感じたことでした。前回、「無条件の愛」(コラムNo97)について書きましたが、無条件の愛の意味合いが、私の中でさらに深まりました。
他人に対する思いやりと共感は
私たちが差し出せる最大の贈り物です
タルサン・トルク
私の中にある慈悲心(思いやりとか共感)が、周りの人々に、いつでもスッと差し出せるように、さらに自分自身に優しく、さらに自分自身へのジャッジやバッシングをやめていきたいと思いました。なぜなら「慈悲心」も自分自身への愛や思いやりから出発して、はじめて周りに及んでいくものだ…と感じているからです。
しかし心の中にどんなに愛が溢れていても、表現しなければ相手には伝わりません。どんなに優しい気持ちがあっても表現しなければ、あなたの中の優しさは伝わりません。慈悲の心である「思いやり」「心づかい」「慈しみ」「愛の心」は、あなたの言葉や行動に現されて、初めて相手に伝わるものなのです。
「こころ」は誰にも見えないが、「心づかい」は見える。
「思い」は見えないけど、「思いやり」は誰にも見える
宮澤 章二