2020年8月20日木曜日

希望がある限り若く 失望と共に老いる

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希望がある限り若く 失望と共に老いる
サミュエル・ウルマン
Column 2020 No.87

冒頭のフレーズは次のウルマンの詩の一節です。

齢を重ねるだけでは人は老いない
理想を失うときに初めて老いがくる
人は信念と共に若く 疑惑と共に老いる
人は自信と共に若く 恐怖と共に老いる
希望がある限り若く 失望と共に老いる


たとえいかなる逆境・悲運に遭おうとも、
希望だけは失ってはならぬ。朝の来ない夜はないのだから
吉川 英治

 多くの先哲が残した言葉の中に、「希望」が如何に生きる上での中枢となり、生きたい人生を創っていく上でのエネルギーとなっていくかが伝えられています。

 生きていく中で“…未来が見えない。どうやって生きていいかわからない…”と思えるような、絶望的な気持ちに襲われた体験は、誰の上にもあるのではないでしょうか。その時「希望」は、私たちをどれだけ勇気づけてくれたことでしょう。しかし生きる気合いや勢いが幾らかある間は、その“希望”も、自分の中で有効に働いてくれるのですが、全く未来が見えなくなったとき、“希望”と言う文字すら思い浮かばない状態になります。

 私の若い頃の体験ですが、重篤なうつ状態に陥り、暫く家に籠ったことがありました。病床から一歩も出られず、そうかと言って熟睡もできず、“希望”どころか生きることを辞めてしまうことへの憧憬の方がどんどん膨らんでいくのです。
 しかし生きることを諦めることだけはしたくないと、自分に言い聞かせながら、生きる希望を見い出すために必死で闘っていました。しかし闘えば闘うほど“希望”は遠く離れていきます…。しかし、結果的に言えば私は立ち上がったのです(コラムNo19)。つまり再び希望を見出したのです。

 深刻な鬱状態から立ち上がり、再び“希望”を見い出していくまでのプロセスを今一度整理してみることは、自分自身のためにも益となるのではないかと思い立ち、今回のコラムで纏めてみようと思いました。

☆ 怖れの蓋を思い切って取ってみる

 怖れの根深さは計り知れません。実は「挫折」には無意識の恐れ(人間関係の怖れ・自分自身の無価値感・罪悪感・将来への不安…等々)が複雑にからまっていて、その多くは、見ないふり、感じないふりをしてやり過ごしてきたことに気付きます。しかし深刻なうつ状態に至ると、有無を言わせず怖れの蓋はこじ開けられ、いやが上にもさまざまな怖れと対面しなくてはなりません。その怖れ・不安との精神的闘いは二度と体験はしたくないと思うほどつらいことでしたが、それは自分にとっては通らねばならない関門でもあったのです。

☆ どんなに苦しくても必ず立ちあがれる日が来る

 怖れと孤独感の泥沼の中で必死にもがいているときには…“立ち上がれる”なんて気持ちには全く及びもつかない心境でした。しかし自分の中の闇(恐怖・不安・罪悪感・無価値感)との壮絶な闘いの中で感じたことがあります。「まな板の上の鯉」と言う故事がありますが、辛さの極限を迎えたとき、‟もうなるようになれ!好きなようにしてください…”と、自分を守ることをすっかり辞め、何かに委ねた…と云うより、諦めてすべてを投げ出した時、ふっと言葉には言い表せない、安らぎのような感情に満たされたのです。それからも勿論、浮き沈みはありましたが、徐々に自分を取り戻していくスタート地点に立てたのです。

☆ 気持ちが伴なわくても、その気になって生きてみる

 それからも随分の時間が必要でしたが、よろよろと再び自分の人生を歩み始めたとき、私の中から来た答えは“自分の人生を取り戻すために、やり残してきたことをやろう”ということでした。しかし何をしたいのか…何が欲しいのか…何が食べたいのか…も、実は自分の中ではまったく不明確だったのです。でもある朝起きたときに「今日は美術館へ行ってみようかなあ。でも怖いなあ…」と思ったのです。でも勇気が出ない。布団の中で半日悶々としていました。でも思い切って行動してみたのです。でも周りばかりが気になって、心はちっとも喜ばない。でも諦めまいと思ったのです。気持ちは伴わないけれど、自分からくる答えで、瞬間瞬間その気になってしんどいけれど生きてみようと、その時決意したのです。

最初の一段を上りなさい。階段のすべては見えないでいい。
とにかく最初の一歩を踏み出すのです。
キング牧師

☆ 変化することをおそれず、大胆に生きる

 不思議ですが、人は挫折の極限を体験をすると、けっこう大胆に生きれるようになります。人生の崖っぷちに立った経験があるからでしょうか。恥もたっぷりかいたからでしょうか。少々のことは問題ではなくなるのです。勿論それからも幾らか紆余曲折はありましたが、私は再び希望を見出し、自分の流儀で徐々に生きれるようになったのです。変化することがなぜ怖かったのだろうと思うくらい変化することを受容できるようにもなってきました。

あなたの心に従っていきなさい。そうすれば最後にはきっとうまくいく
ボブ・デイラン

幸せになることに後ろめたさは要らない

 コラムNo19でも触れているように、私の母はあまり幸せな人ではなかったので、私の中にはなぜか、自分が幸せになることに根強いこだわり(罪悪感)がありました。だからかもしれません。1960年代を華やかに彩った“ビートルズ”のメイン・ヴォーカルを務めたジョン・レノンが残している言葉に、とても惹かれたのです。彼は短い生涯でしたが、幸せな人生だったに違いないと私には思えます。ジョン・レノンのように、“幸せこそが一番大切なのよ”と、親から学習した子どもは、幸せになることに決して後ろめたさは持たないことでしょう。その子のハートの中から「希望」という存在が、決して輝きを失うこともないでしょう…。

 僕が5歳の頃母は、幸せこそが人生で一番大切なのだといつも教えてくれた。
 学校で“大きくなったら何になりたいか書きなさい”と言われたので、
 僕は「幸せ」と書いた。みんなが“お前は課題を解かっていない!”
 と言ったので、僕は、“あんたらは人生が解かっていない‟と、答えた。


*次回のコラムは9月20日前後の予定です。

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