Column 2016 No.40
森が燃えていました
森の生きものたちは われ先にと逃げていきました
でも クリキンディという名のハチドリだけは
いったりきたり、くちばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは
火の上に落としていきます
動物たちがそれを見て「そんなことをして、いったい何になるんだ」
といって笑います。クリキンディは、こう答えました
「私は わたしにできることをしているだけ」
~アンデス地方の民話 “ハチドリのひとしずく”~
文化人類学者で環境運動家の、辻 信一氏が南米のアンデス地方を訪れたとき、その土地に語り継がれているというこのハチドリの物語を、先住民族のひとりから聞いたというのが始まりのようです。本も出版されています。(「ハチドリのひとしずく」辻 信一監修 光文社)
このクリキンディの民話は多くの人の心をとらえ「ハチドリ計画」というネットワークもできたようです。無関心な動物たちにクリキンディの「私はわたしにできることをしているだけ」と毅然として伝えたそのひとことが、どうやら多くの人々の心を魅了したようです。私も感動を覚えたその一人です。無力なハチドリが自分の身の危険も顧みず、“できることをしているだけ”という無心の行動が心に沁みたのです。そして私自身、自分にできる“ひとしずく”は何だろう…とあらためて感じ始めたのでした。
もしかしたら、この民話を聴いた多くの人々は「考えてもごらんよ!あの大きな山火事に一羽のハチドリの水運びが、いったいどれだけの役に立つんだ?」…と周りの動物たちと同じことを思った人は多いのではないでしょうか。そしてそんな馬鹿な真似は絶対にしない!…と。 確かにハチドリは火事をどうすることもできなかったでしょう。自分の命を落とすことになったかもしれません。
しかしその小さなハチドリの勇気が、もしかしたら周りの鳥たちや動物たちに、加勢の気持ちを呼び起こしたかもしれません。もっとも、これはあくまでもひとつの物語です。しかしクリキンディの民話に多くの人たちが魅了されたのは、何かのために無心に勇敢に戦う姿を、やはり美しいと感じるハートが、私たちの中にあるからではないでしょうか。マザー・テレサの残した有名な言葉があります。
愛の反対は憎しみではなく無関心です
無関心は一見無害のように思われますが、世界のどこかで何かがあっても“われ関せず”で、多くは“対岸の火事”なのです。私をはじめ陥りやすい行動ですが、やはり無関心は「愛」の対極にあるとしか思えません…。しかし“私にいま何ができるだろう…”と考える人は果たしてどれだけあるでしょう
この国をよくするのは、財務大臣でもなければ、総理大臣でもありません。
国民一人ひとりの、ほんのちょっとした生き方にかかっています
株式会社「イエローハット」創業者の鍵山秀三郎氏の言葉です。鍵山氏の生きざまは、まさに“ハチドリのひとしずく”を思い起こします。彼が若い頃、初めて入社した自動車会社は、従業員は粗野で職場は乱雑極まる状態でした。そこで彼は毎朝、誰よりも早く出勤をして、真っ先に取り掛かったのがトイレの掃除でした。何故なら、とても汚れていて誰もが一番嫌がる場所だったからです。
彼は汚れた職場やトイレを見て、少なくとも無関心ではいられなかったのです。同僚たちからは「余計なことはやめておけ!」と言われたり、嫌がらせも受けたりしたけれど、彼はその信念を決して曲げなかったのでした。まさにクリキンディの「私はわたしのできることをしているだけ」の強い信念だったのです。
やがて職場から店まで綺麗にしていくうちに、不思議なことに従業員のモラルも上がってきて、客層も違ってきたというのです。「私は少しでも会社をよくしたいと始めたのが、掃除という小さな行動でした。掃除をすると心が澄んでくるんです」…と。彼は会社のトイレの掃除だけではなく、公共施設のトイレ・街頭の溝掃除まで徐々に広げていったのです。たった一人で…。周りが何と思おうと、まさに“ハチドリのひとしずく”を、信念をもって貫いていったのでした。
周りの人は彼のその行為を見て“ここだけが綺麗になったってねえ…”とか“すぐにまた汚れるのに…”とか森の動物たちと同じように傍観(無関心)していたかもしれません。しかし「ひとつでもふたつでもごみを拾えば、それだけ世の中が綺麗になります…」と。それが彼の信念だったのです。やがてそれに共鳴する人々が徐々に増え、今や日本全国120ヶ所に大きくその波は広がり「掃除に学ぶ会」として、鍵山氏の信念を受け継いだ人々が、無心に掃除という活動を続けているのです。クリキンディのささやかな“ひとしずく”が、社会を変えていったのです!
その気になって周りを見渡してみると、ハチドリの働きをしている人は、あちらこちらにいないでしょうか。先日、本通りを歩いていたら、若い女性とたまたま目が合いました。するとその女性が輝くような笑顔を返してくれたのです。知った人ではなさそうだったので、ちょっとびっくりしました。私も思わず思い切りの笑顔で返しました。そしてその日の私の心は、何だか幸せ感でいっぱいでした。それから私はひとりで笑顔の練習をしたりしているのでした(笑) 心からの笑顔が、こんなにも人の心を幸せにするのなら、私も頑張ってみようと思ったのです。ハチドリのひとしずくの感動は、こうして波紋を広げていくんだな…とあらためて感じたことでした。
赤ちゃんの無心な笑顔
若者のはじけるような笑い声
「あなたは素敵よ!」と励ましをくれる友人のメッセージ
無心に履物を揃えている幼い子ども
「天災ですから受け入れるしかありません」とご老人の肝の座った柔軟さ
被災地を訪れ、懸命に復興の援助に携わっている人々
家族の料理を一生懸命に作っているお母さん
人里離れた谷間にひっそりと咲いている白い百合の花
世界人類の平和や、家族の幸せを真摯に祈っている人々…等々
ご本人の多くは自分の行動が“ハチドリのひとしずく”になっているなんて気付いていないかもしれません。そして尋ねたらきっと「私にできることをしているだけです…」と仰ることでしょう。しかしその人の無心な行動やたたずまいは、それを見る人の心に、安心感・暖かさ・生きる元気・感動を与えるのです。そしてその感動こそが人の心を動かし、周りを変え、社会を変え、世界を変えていくのです。 いま自分にできるかもしれない“ハチドリのひとしずく”…。何だか周りにいっぱいありそうに思えてきませんか。
誰もが特別なことをしたがりますが、世の中には特別なことなんてありません。
無いものを探しているうちに一生が終わってしまいます。でも平凡なことならいくらでもある。
そのひとつひとつを大切にしていけば、やがて大きな力になります
鍵山 秀三郎
鍵山氏の著書を一冊だけ紹介しておきます
*次回のコラムは10月20日前後の予定です