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Column 2025 No.142
“言いわけ”をしない生き方をする。私がこの考え方をもって生きてきたことには深い背景があります。“言いわけ”という意味もよく解からない頃から、私が何か不味(まず)いことをしたとき、私が自分を守るようなことを言うと、父から「言いわけはするな!」という言葉をよく投げかけられていました。「言いわけはやめるんだ!言い訳をしたって現実は何も変わらないだろ!あっさり非を認めて“どうしたらいいか”だけを考えろ!」ときつく叱られていました。
一生懸命だと智慧が出る。
中途半端だと愚痴が出る。
いい加減だと“言いわけ”がでる
武田 信玄
もうひとつ心に残っている思い出があります。その時代、私の親たちは大きな瓶(かめ)に、梅とかラッキョを漬け込んでいました。中のものを頂いた後、消毒のためにその瓶(かめ)を母が庭に出して太陽に当てていました。その頃小学生だった弟が何かの拍子にその瓶(かめ)にぶつかって倒してしまい、その瓶は、庭をころころと転がり、最後に小さな溝に落ちて「ガシャン!」と大きな音を立てて壊れてしまったのです。
さすがの弟も顔面蒼白。どんなに父に怒られるだろうと覚悟していたと思います。その時代にはきっと貴重な品だったと思うのです。状況をみた父の表情も驚きに満ちていました。弟は即座に「お父さんごめんなさい!壊してしまった!」と謝ったのです。すると父は「そうか。解かった!」と言っただけで、弟のあやまちを全く責めずに赦したのです。弟は勿論、私も父のその態度にびっくりしました。父の言動の意味がその頃にはよく解りませんでした。でも今ならよく解かります。父は言いわけが大嫌いな人だったので、弟の動転した表情と、言いわけなしの率直な謝り方が、父を納得させたのです。
確かに言い訳は自分の至らなさを正当化したいという心理から生まれます。カクカクしかじか…こんな事情があったから自分はこんなことをしなければならない羽目に陥ったのだ。本来は自分には責任はない…ということを“言いわけ”をすることで証明しようとしている訳です。
過去、私は大切な友人に誤解を受けて、辛い立場に立たされたことがありました。何とか本当のことを述べて理解をしてほしい…と気持ちが混乱しました。しかしその時は、第三者が関係していて、私の弁明でその人の立場が悪くなる状態でした。しかし、今自分が置かれた状況を何とか説明して自分を救いたい!…壮烈なジレンマと闘いながらも、ふと私は父の言葉「起こったことは言いわけしても何も変わらないだろ!どうしたらいいかだけを考えるんだ!」を思い出したのです。すると不思議ですが勇気が出てきて、弁明することを踏みとどまり、自身の責任として謝罪しました。結局十分には解決はしませんでしたが、その時の私の行動は今思い出しても「うん!あれでよし!」と、その時の自分の勇気を褒めてあげることが出来ています。
プロの選手の「言いわけ」に関する考え方を紹介してみます。
プロはいかなる時でも言いわけをしない
千代の富士
準備と言うものは、言いわけの材料となりうるものを排除していく
イチロー
上達最大の敵、それは言いわけをすることである
バイロン・ネルソン
スポーツなど、勝負の世界にいる人たちはミスをするたびに、言い訳をしたい気持ちと闘う場面は多いだろうと思います。しかし一流のプロは何があろうと、自分の負けは自分の責任において受け入れ、決して他者のせいにはしないんですね。
こうして書いてきましたが、言いわけは結構気づかずにしていることも多いものです。特に女性の集まりでは“姑が大変、息子のクラスの先生が問題、夫のこの行動が…だから私が大変なのです。解りますか…”と言いたいわけですね。男性の集まりでも多く飲み会の席で“上司が悪い”“会社が問題”…無意識ですが他者の責任にして自分を守ろうとする愚痴(言いわけ)が漏れ聞こえてきます。
私の仲間内で集まったときにも私を含め、これを気付かずにやっています。特に年齢を重ねてきた同じ年代の仲間たちと逢うと、決まったように「目が悪いから新聞が読めない」「耳が悪いから人に逢うのが億劫になった」「足腰が悪いので夫の食事を作るのが大変になった」…等々、卑下自慢大会のようです。
でもこれも自分が動けない動きたくないの気持ちの中に潜んでいる、周りの責任にしたい「言いわけ」だと理解しています。目が悪い人でも読書をあきらめないで、拡大鏡を求めて読んでいる人もいれば、耳が悪くても仲間と逢って楽しんでいる知人もいます。やがて補聴器を求めて会話が楽しくなったと伝えてきた友人もいます。食事作りは大変だけど、運動がてら自分の為にと思って頑張っている人も沢山います。
何かをしたい者は手段を見つけ、したくない者は言いわけを見つける
アラビアのことわざ
愚痴や言いわけは、自分の人生を自分で無意識に限定してしまいます。本当は私たちの人生は見方によれば無限であり、夢に溢れているのです。言いわけに現(うつつ)を抜かしていると、自分の夢を見失うことだって起こります。価値観に“いい・悪い”はありません。他者にどう評価されようと謝罪すべきことは謝罪し、自分の人生に言いわけをすることを辞めてみる。自分から来る答えを信頼して、自分が描いた人生を堂々と生きていきたいものです。
“今後、絶対に言いわけをしない”と決めることは、
人生をコントロールする力を自分の手に取り戻す“自由独立宣言”
本田 健
*次回のコラムは2025年7月20日前後の予定です。
言いわけ・・・私は最近友人に「言いわけに聞こえる」と言ったことがあります。
返信削除コラムとは違う角度からなのですが・・・
自分の言った言葉を感じてみた時、自分の問題として受け取った時には相手の言葉を言いわけとして受け取り、相手の問題にした時には理由として受け取る私なんだなぁと・・・と思っていた所に今回のコラムに合いました。
私も幼い頃、父から「言いわけはするな!」と言われて育ちました。それで私の中には無条件に「言いわけは良くないんだ。言いわけしたらいけないんだ」という刷り込みが出来ました。
コラムを読んで日常生活の中には言いわけ、愚痴は案外たくさん転がっているもんだなと思いました。
「自分の人生を自分で無意識に限定してしまわないように~~~自分から来る答えを信頼して、自分が描いた人生を堂々と生きていきたいものです」このフレーズが私にすごく響きました。
有り難うございました。
MOONさま
削除相手が言われていることが”自分の問題”となったら、つまり自分が問題を抱えてしまったら「言いわけ」に聞こえてしまう。ところが”相手の問題”として捉えられる時には「理由」を述べていらっしゃるんだな…と受け止められる…と、MOONさんは感じてみられたのですね。なるほど!
そうでしたか。MOONさんも父上から「言いわけはするな」という教育を受けられたのですね。父上が言いたかったことは単に言いわけはいけないというより、言いわけをすることで終わると、自分の価値観の中だけで小さな世界でしか生きられない。言いわけをやめると、広い世界が見えてくる。私の父も言っていたように言いわけだけだと何の解決にもならない…とお父上も教えて下さったのだと思います。昔のひとは屈しない「気骨」をもって生きていたのですね。
コラムの「…価値観にいい悪いはない。他者にどう評価されようと謝罪すべきことは謝罪し自分の人生に言いわけをやめてみる。自分からくる答えを信頼して自分が描いた人生を堂々と生きていきたいものです」…がMOON さんの心に響いたと言って下さっています。私が一番伝えたかったことでもあるので嬉しかったです。有難うございました!