2021年2月20日土曜日

天は自ら助くるものを助く

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天は自ら助くるものを助く
サミュエル・スマイルズ
Column 2021 No.93

 冒頭のフレーズはラテン語の古い諺で、1858年にスマイルズが「自助論」を出版し、その冒頭に引用したことで世に知られました。私自身にも、とても心に鳴り響いているフレーズです。

天は自ら行動しないものに救いの手を差し伸べない
シェイクスピア

 人間関係の中でも、その人に降りかかっている問題を自分の問題として捉え、何とか解決したい…という欲求を持っている人は援助しやすいのですが、自分で解決できないと決めて、他者に依存している人を助けることは困難です。ましてや、天(自然・見えない大いなる存在・神…等々)は自助の意志がない人を助けることはしないでしょう。その人の為にもならないからです。

 ところが、この「天」の解釈はとても難しいと思います。私の家族は私が幼い頃から朝晩お仏壇にお参りする習慣のある家でした。そして家族の誰かが「お天と様はいつも見とられるぞ!」とよく口にしていましたので、目に見えない存在のことは、よく分からないままですが、当たり前のように理解し自然に受け入れていたように思います。

 歴史に名を遺す賢者たちも、目に見えない存在を「天」という表現で現し、畏敬の念を抱いていたことが伺えます。

ひとを相手とせず、天を相手とせよ。天を相手とし己を尽くし
人をとがめず、わが誠の足らざるを尋ぬべし
西郷 隆盛

また日本人にもなじみ深い故事があります。この故事に付随して、松下幸之助氏は次のように述べています。

人事を尽くして天命を待つ
出典:中国

“人事を尽くして天命を待つ”という言葉がある。まことに味わい
深い言葉である。私心に捉われることなく、人としてなしうる限り
の力を尽くして、その上で静かに起こってくる事態を待つ…

 さて「天」の解釈はひとまず置いて、「天は自ら助くるものを助く」の中の“自ら助くるものを助く”…辺りに焦点を置いてみたいと思います。西郷隆盛は“…自分ができる限りの力を尽くし、自分の非を他人のせいにしないで、自分がいま、誠心誠意尽しているか否かを天に尋ねよう…”と言っています。

 松下氏は“…自分の利益だけを考えるのではなく、自他を想って自分が出来うる限りのことをして、あとは心静かに起る事態を迎えよう…”と。いずれも他者に依存せず、自分自身の責任において、出来うる限り力を尽くしたのちに、あとは天の意思にお任せしよう…述べているのです。

自らを助けないものを救おうとしても無駄だ。ハシゴを自分で
登る意志が無いものを他人が押し上げることはできない
アンドリュー・カーネギー

 「シンデレラコンプレックス」という用語がメジャーになった時期があります。女性の潜在意識にあると言われる“依存的願望”を指摘したシンドローム(症候群)の名称で、米国の女性作家コレット・ダウリングが提唱した概念です。ある日、白馬に乗った王子様が突如、あなたの目の前に現れて、惨めな境遇にあるあなたを見初め(みそめ)て、白馬に乗せて宮殿に…。つまり他者によって救われたい、守られたい…という、女性に多く見られる依存的な心理的願望を示しています。

 しかし今回の冒頭のテーマが示すように、自分自身を幸せにする力は自分にしかありません。自分の幸せを第三者に依存している人には、天は助けの手を伸ばさないであろうし、万一、玉の輿に乗って宮殿に入っても、いったんは幸せを手に入れたかのように見えても、自分自身で自分を幸せにする力量が無いので、豪華な宮殿の中で一日中「さみしい、さみしい…」と王子様に愚痴をこぼすに違いないのです。 私たちを本当に幸せにするのは王子様ではなく、私たち自身なのです。

自分の人生を主役で生きる人は、自分はこの人生で何が得たいのか。どう生きていきたいのか。自分の欲求を明確に持っています。それを満たしていく為に決して周りに期待せず、自分で果敢に行動を起こし、手に入れていこうとします。“棚からぼたもち”という諺もありますが、自分の欲求に沿って、そのぼたもちを有効に取り入れ、自身の人生を更に広げていける人であれば、そのぼたもちも意味をもってくるでしょうが、一瞬の幸運“棚ぼた”を期待して生きている人は本当の幸せを実感しないままに人生を終えてしまうことになるかもしれません。

 「依存」のループから抜け出すことが大切です。そのためには、まず自分の依存性に気づくことからが出発です。自分自身の中の「依存」という思いの習性に気づくのです。周りに起き湧くできごとは、周りが原因ではなくあなたの思いの習性があなたの人生を創っていることに、本気で気付くことです。そのからくりをとてもうまく現している寓話があります。取り上げるのは数度目ですが、再び取り上げてみます。

 ある村から新しい村に引っ越してきたA夫人が、その村で一番尊敬されているという長老に尋ねました。

 A婦人「長老さま この村の人たちはどんな人たちですか」
 長 老「前に住んでいた村の人たちは、どんな人たちでしたか」
 A婦人「とても嫌な人ばかりなので、引っ越してきたのです」
 長 老「それなら多分ここも同じです」

 なかなか示唆に富んだ寓話です。周りの環境を変えても、その人が持っている感情や、信念・定義(思いの習性)が変わらない限り、同じ環境を創っていくだろう…というわけです。自分の人生を創造できる者は、周りには決していないのです。私の人生の創造者はわたし! つまり“私の人生の主役はわたし”なのです。


*次回のコラムは2021年3月20日前後の予定です。

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6 件のコメント:

  1. ー 私たちを本当に幸せにするのは王子様ではなく、私たち自身なのですー
    何がわたしにとっての幸せか、感じ取れるのは自分だけ。わたしの幸せのため、わたしが立ち上がらないと❣️

    ー自分の人生を主役で生きる人は、自分はこの人生で何が得たいのか。どう生きていきたいのか。自分の欲求を明確に持っていますー
    わたしはこの人生で何が得たいのだろう?どう生きていきたいのだろう?と自問しています。満足したい❣️と答えが返ってきました。自分のそのときどきの欲求を感じ取って、満たして‥を行動し続けていきたいです。

    ーそれを満たしていく為に決して周りに期待せず、自分で果敢に行動を起こし、手に入れていこうとしますー
    果敢・凛という言葉に憧れています。凛はちゃんと自分で立っていて潔いというイメージです。果敢とは、決断力に富み、物事を思いきってするさまだそう。自分の欲求充足を続けていたら、自分に対する信頼感が増し、決断も速くなる気がします❗️やっぱり、欲求充足が自己実現の鍵なんだと確信しました。(王子様も来てくれたら嬉しいですけどね❗️)

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    1. もふピヨAkiさま


      気づかないでいてごめんなさい。。コラムのコメントに参加くださって有難うございます。もふピヨさん どうぞ宜しくお願い致します。

      それに本日アップしたコラムに早々とコメントを下さり、びっくりしました。私の一文を引用しながら書いて下さって、もふピヨさんの想いがしっかりと届きました。

      「私はこの人生で何が得たい?」とご自分に訊かれたら、答えは「満足したい!」だったのですね。そして、どうすれば満足できるの?を摑むのも自分! 自身の欲求を感じ取りながら、掴みながら、充足の為の行動を果敢に起こしていくのも自分!なんですね。

      おっしゃる通りだと思います。自分の欲求充足をワクワクと続けていたら、自分が大好きになるし、自分への信頼感が益々増してきます。そして何事も訓練ですから決断も自信をもって速くできるようになります。そうです!欲求充足を重ねていけば自然に自己実現へと導かれて行くのです。

      もふピヨさん これまで投稿して下さったコメントにも、おいおい返信させて頂きますね。有難うございました!

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  2. どんな環境に居たとしても幸せを手にするのは自分の意思。
    自分自身で幸せをつかもうとする人にぼたもちは落ちて来ることが多いし、感謝できる人のぼたもちは腐らず生かせる物にどんどん変化していく・・・こんなことを感じました。

    大きな依存に気づき大きな変容をし、時々顔を出す小さな依存に気づきながら日々過ごしています。
     

    大きな依存に気づき大きな変容した私は今、小さな依存に気づきながら少しずつ完全自立に向かっています!

    長老の寓話も親業の習い始めは受け入れ難かったのですが今はとっても示唆的だと理解でき受け入れられています(^O^)有難うございました。

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    1. MOONさま

      仰るように「どんな環境にいたとしても幸せを手にするのは自分の意思…」ほんとうにその通りですね。周りが何とかしてくれる…これまで我々はその依存していることすら気づかずに生きてきた…という側面もあります。

      でもMOONさんの言われる、その小さな依存大きな依存に本気で気づいていくことからが、真の自立ですよね! 夫人に伝えた長老の文言は示唆的ですよね。自分の周りの環境はすべて、自分の想念、思いの習性が創っているのだと解かったとき、人生はきっと違った形で創造されていくことでしょう。有難うございました!

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  3. 自分の中にある依存性について、いろんな場面で考えさせていただきました。


    職場で同僚の対応に、イライラして、している問題解決できない私と、そんなこと気にもしないで淡々と仕事をこなす同僚をみると、先生の書かれている通り、自分の思考が依存のループから抜け出せずにいることではないかと気づきました。その思考が自分の人生を創っていくというのも、なるほど!と思うと同時にこれは、なんとかせねば、私が望む人生ではないぞ!と大いにきづきました。


    コラムから私は一本の木をイメージしました。真っ直ぐ天に向かって堂々とたっていれば、天は太陽と水をくれて、根を張り緑いっぱいの葉をつけてくれるような気がしました。
    長老とA婦人のお話は今回も、今の自分と重なるとこで、とても興味深かったです。
     先日国際女性デーでした。女性だから、妻だからと、都合の悪い時はそこに依存してしまって、問題から逃げてきたこともあります。人としていろんな場面で人事を尽くして天命を待つの教えのとおり、しっかり生きていきたいと思いました。
    ありがとうございました。

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    1. ももこさま


      なるほど、自分の中にもあるのではと思われる「依存性」について深く考えて下さっていますね。「…これはなんとかせねば、私が望む人生ではないぞ!」と言ったももこさんの深い気づきに敬服しました。

      私たちは長い歴史の中に於いても、女だから妻だから…と自分を弱い位置に置いて、周りに責任転嫁をして生きて来ました。長老と婦人とのやり取りはまさに示唆に富んでいますよね。ももこさんが示して下さっているように、これからは何ものにも依存せず、天に向かって堂々と立つ一本の木のように自立していけば、自然に天の恵みで守られ育っていけるのではないかと…。ほんと!ほんと!大共感です。

      自分の人生の創造者は自分!「人事を尽くして天命を待つ」お互いに決意を新たにして生きていきましょうね。その生き方こそが生きている実感ですものね!

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