2014年11月11日火曜日

すべきことよりやりたいことを! ~人間関係講座(親業)~

Column 2014 No.16

 ある日レストランで食事をしていたひととき、かなり年配の女子会風のグループがあって、賑やかに会話が弾んでいました。何か興味深い話が飛び交っている様子なので、つい耳を傾けてしまいました。

A婦人
「女の人生って哀しいと思わん? 夫に尽くして、子どもを育てて、子育てがやっと済んだと思うたら、夫の両親の面倒を看んといけんじゃない。夫に尽くして子どもに尽くして、姑の面倒を看て・・・・気付いたらもう58歳よ! あ~あこんなに哀しいことってある? 今になって凄い悔しい気持ち! 10年が100万円で取り戻せるんだったら買い戻したい気持ちよ!・・・・」 

B婦人
「でもねえAさん! 10年後には68歳じゃろう。また同じことを言うんじゃないの?悔しい!10年を100万で買い戻したい・・・・言うて」

A婦人
「そうかもねえ・・・・。ほんと・・・。おんなじことを言うんじゃろうねえ。ほんとじゃわあ! 何とか今を充実して生きていかんといけんねえ・・・」

 こんなやり取りを聴いていて、同じ女性としてとても深い共感がありました。A婦人の哀しみがしみじみと伝わってくるような思いでした。そしてB婦人のメッセージ(助言)がA婦人に深い気付きをもたらした様子に、女子会パワーの威力を感じたひとときでもありました。

 家庭と言う狭い社会の中で、夫や子どもの世話・・・・。掃除・洗濯・買い物・食事作り・親戚や学校関係・近所との付き合い・・・・等々。それらを毎日必死でこなして生きてきたのがこれまでの多くの女性でした。現在は女性も多く社会に進出して、状況はかなり違っては来ましたが、しかし家庭における諸々の負担は、まだまだ女性に懸っているのが現状です。
 家庭を守り子どもを育て上げたあかつきに、ふっと我れに返ったとき、A婦人のように、充実感よりもぽっかりと開いた心の空洞を感じている女性は意外に多いのではないでしょうか。

人がとるべき責任ある行動は、ただひとつ。自分が心から
したいことをすることである。それが人生で最も責任ある
行動であり、その人が負う最高の責任である。
~マイク・マクマナス~

親業は「自分業」とも言っています。マクマナスが言っていることは親業の大切にしている精神でもあります。それは決して家事や育児を放棄することではなく、主体性をもって家事をし、主体性をもって子育てをし、主体性をもって人間関係を組む! 主体性をもって生きると言うことは環境や人間関係に流されるのではなく、自分を大切に、自分の気もちに正直に日々を重ねていくということです。つまり「自分軸」を失わないで家事をし、子育てをしていくことです。

 例えば、日々の流れの中に、自分だけの時間をどこかに盛り込んでみる・・・・。ときには家事の手をちょっと抜いて、自分の心が喜ぶことを思い切ってやってみる・・・・。行きたい所に行ってみる 体が喜ぶものを食べに行く 会いたい人に会ってみる 自然に触れてみる 思い切り無邪気に遊んでみる・・・・等々。それは子育て真っ最中であっても「自分軸」さえあれば不可能ではありません。

 「自分軸」を育てることは急務です。なぜならメディアを通しての情報が氾濫している今の環境の中で、自分軸がなかったら、気付かぬ間にメディアのロボットと化し、本当の自分が掴めないままに一生魂の放浪をすることになりかねません。特に今の子どもたちは心配です・・・・。間断なく与えられる外からの刺激は成長期にある子どもは勿論、私たち大人も知らず知らずにエネルギーを消耗し、自分を見失い、精神状態に不安と混乱を招きかねません。

 また価値観もとても多様化しています。
 例えば「朝食は抜いてはいけない・ぬいた方がいい」「玄米は体に非常に良い・玄米は胃に負担をかける」「水は一日2リットル飲むといい・水は過ぎると水毒になる」「泡洗顔は皮膚に一番負担がない・泡洗顔をやめるだけで綺麗になれる」・・・・等々。
 実は情報の中にも単に奇をてらうだけの発信がけっこう氾濫しているように私には思えてなりません。自分を理解し、自分の欲求を探り、自分の感度を信じて情報の選択をしていかない限り、情報に流されて自分を見失い、本当にやりたいことがいつまでも見えて来ない危険性もあります。

 もちろん私自身もネットで情報を探したり買い物をすることはあります。しかし私は基本的にある信念をもっています。それは「すべて自分に必要な答えは自分が持っている。探し回らないでも、自分に必要な情報は、内からも外からも必ずやってくる・・・・」と・・・・。それはふっとしたひらめきでやってきたり、人々との出会いや、ときにはわが子らのひと言から。あるいはふと見開いた書籍の一文から・・・・等々。

 もっとも、「自分軸」をもって生きている私のまわりの人たちの多くは、過度なメデイア依存はなく、適度な節度をもっています。それでもやはり、時々はネットサーフィンの手をちょっと中断して、脳を少し休めて、自然の中で、あるいはお好みのカフェで・・・・ひとりになって、ゆったりと「自分サーフィン」をしてみることは素敵だと思います! 不思議ですがそんな場面で、本当は何をやりたい自分なのか・・・の答えがふっとやってきたりします。

自分を感じ、自分と語れる人こそが、
心理的に本当に健康な人です。
~トマス・ゴードン(親業創始者)~

それは「自分軸」をさらに力強いものにしていくポイントであり、本当にやりたいものが見え、確実に自己実現へのステージに繋がっていくつまり秘法でもあるわけです。


*次回のコラムは11月30日前後の予定です。

2014年10月20日月曜日

道草は自己実現の王道である

Column 2014 No.15

道草は自己実現の王道である
                        - 河合隼雄 -

 「道草」とは名のとおり、道に生えている雑草のことですね。
 子供時代、登校するとき玄関で母が「道草しないで帰るんですよ!」とよく言ったものです。よって“道草をする”ということは家にまっすぐに帰らず、途中で友達の家に寄って遊ぶとか、公園で缶蹴りをしたりかくれんぼしたり、虫を追って山に入るとか、基地のような秘密の場所で過ごすとか・・・・。

 私たちの幼い頃の「道草」はハラハラどきどきと冒険に満ち満ちたものだったのです。夕日が落ちる頃になって我が家にたどり着くと「どこで道草を食ってたの!」と母から大いに叱られるはめになるわけです。“道草を食う”。昔から慣用的に日常の会話の中にしばしば使われていました。何だか詩的で情緒あふれる表現だと思いませんか!

 さて河合隼雄氏(ユング研究の権威)のこのフレーズは、“道草をすることは、人が「自己実現」に至る為に必要な秘法つまり錬金術である”という意味合いになります。

 子供が、何もしないでぼんやりしているひとときや、親からみれば意味のないことに没頭していたり、学校に行けないで家に籠もっていたり、無気力だったり、反抗したり、心配な友達とつきあったり遊びまくったり・・・・・これも立派な道草です。自分を見つける為に道草をくっている、まさに自己実現への秘法・錬金術を生きていると言うわけです。

 「自己実現」という表現はアブラハム・マズロー(米国の心理学者1908~1970)の造語で、潜在的なものを含めて、人はすべて愛に溢れた高次の自分に統合したいという自己実現の欲求を持っていて、それに向かって生きていると述べ、「欲求の五段階説」というオリジナルな提唱をして心理学会に大きな影響を与えました

 彼が言う「欲求の五段階説」というのは、人は誰でも基本的欲求つまり、生存欲求(第一段階)/安心・安全欲求(第二段階)/愛情希求と所属の欲求(第三段階)/達成の欲求(第四段階)/を持っていて、低次の欲求から段階的に正直に満たしていくことで、最終的に高次の「自己実現への欲求」(第五段階)へと向かっていく存在であると述べているわけです。

 つまり人は誰一人洩れることなく、自分自身に挑戦して自己実現に向かうべく、なれる可能性にあるものになろうとして命を懸けて精一杯生きている存在なのだとマズローは言うわけです。第四段階は自分の目標を達成したいというかなり高次の欲求ですが、その段階に進む準備がまだ出来ていない場合には、例えばその前段階の愛情希求の欲求を果敢に満たそうとします。そして社会人として社会や人々と繋がりたいという欲求へと続きます。

 社会に順応できにくかったり、人とうまく繋がれないと、とりあえず撤退して家に籠もる状態をやることもあり、また夜な夜な出ていって、とりあえず気持ちを発散する状態をやっている子どももいます。また“毎日が生きづらい”“友達とどう付き合っていいのか分からない”“勉強に本気で向かえない”“クラブ活動の人間関係が苦しい”“入試に本気で臨めない”“何がやりたいのか分からない”・・・・・等々。達成の欲求段階に向かう前準備に手こずっている若者は沢山います。多くの親御さんはこの状態に焦り、何とかしようと、うるさく言う、つまりプッシュすることで子どもの問題の解決を試みますが、効果はないはずです。

 もしかしたら第三段階の前の、第二段階の安心・安全の欲求が満たされていないのかもしれません。ご両親が仲良くなられることだけで心が安定し、動き始める子どももいます。「家庭内環境」も自己実現への道程に無関係ではないのです。

 カウンセリングでご縁のあった子どもですが、「不登校」という道草を4~5年やってやがて精神科医になる夢を果たしたというケースがあります。不登校という選択をし、時間をかけて道草を食べながら、満たし切れなかった第二段階・三段階の欲求を果敢に満たし、第4段階に向かうべくエネルギーと栄養をしっかり蓄えたのです。

 子どもの今の状態が、親にとってはとても心配だったり苛々したり悩みますが、子どもは自分にとって必要なプロセスを本能的に知っていて、色々な形でそれを満たしていこうとします。実は人生を通して何ひとつ無駄はないのだなあ・・・・と思えてなりません。親ができることは「マズローの法則」に当てはめて考えるなら、子どもが無意識に行動しているその背景にあるその子の充足したい欲求を、できる範囲でうまく満たしてあげることがとても大切に思います。

 しかしそれができる為には親自身が、ある程度満たされているか否かが大きく影響します。親自身も、満たせてこなかった基本的欲求を果敢に満たすべく、人生をかけて体験・冒険(道草)をしていくことはとても大切です。“もう歳だから・・・・”はやめてしっかり道草を食べていきませんか! “歳だから失敗はできない・・・”なんていう弱腰もやめましょう! 冒険には失敗はつきものです。前コラムに取り上げた曻地三郎氏に私は生きる元気をさらに頂きました。生きている限り夢を見失うまいと・・・・!

もっと遠く飛ぶための後退!
- ユング -

冒険に伴う失敗も挫折も、自己実現に向かうための尊い布石!
時にはしっかり後退して助走をつけ、恐れず何度も跳んでみませんか! 
お互いに!


*次回のコラムは11月10日前後の予定です。

2014年9月30日火曜日

Go ahead!前進また前進!

Go ahead! 前進また前進!
                        - 曻地三郎 -

Column 2014 No.14

 100歳を直前に迎えられた頃の曻地三郎氏(養護学校・しいのみ学園園長)のメッセージです。もしご存命であればおそらく110歳近くになられておられるはずですが、ネットがうまく繋がらずご存命か否か不明のままです。

 5~6年前に求めて読んだ、彼の「ただいま100歳~今からでも遅くはない~」(致知出版)を再び手にとってみて、今回のコラムはまず曻地三郎氏のことを主に書いてみたいと思いました。

 本の表紙の帯に書かれていた曻地氏の“100年生きてつかんだ生き方の秘訣 各世代に送るメッセージ”を抜粋してみましょう。特に40代以降の人に送られているメッセージには目を見張るものがあります。

40代   最も花の咲く時期。勝負せよ。
50代   人生の最高のとき。50代は人生の花道。
60代   飛躍のとき。自分の学問・実績を広げよう。
70代   70くらいで屈してはならない。自分を鍛えよう。
80代   駄目だと思ったら駄目になる。半分の40代の積りで頑張る。
90代   今からでも遅くはない。
100代  Go ahead! 前進また前進!  

 人生を極めた人の言葉は身にしみ、 実に勇気を与えられますね!

 曻地氏は長男・次男さんとも小児麻痺だったことから、全財産を投じて「養護学校・しいのみ学園」を創設されました。養護学校が日本にはまだ1校もない時代でした。100歳にしてなお現役の園長です。

「私は人生で何度も失墜し、“隠遁したい”“もう死んでしまいたい”とまで思いつめたことも何度かありました。しかし人生は戦いである!負けては駄目だ!と気持ちを持ち直しては人生を戦い抜いてきたのです。」

 Go ahead! 前進また前進! 曻地氏は絶えずご自分に負荷を掛けながらの懸命な生涯だったのです。

「私は100歳のいまも毎朝ラジオの語学講座で中国語と韓国語を学んでいます。100歳でも中学3年生のような気持ちで勉強をしています。毎日が前進です。」 

 彼の場合、いわゆる単なるボケ防止の為の学びではなく、韓国と中国に養護学校を創る夢を果たしたいがためなのです。すでに実験的には早くから進められており「・・・・・これが私の百歳の仕事です。勿論自分で陣頭指揮を取ります・・・・」 百歳にしてこの広大なる夢!!

 そして驚くことに、100歳になられても2時間もの講演を立ったままでされるとか、階段も手すりを持たずにすたすたと上り下りなさっているとか! いわゆる奇跡の人です! 曻地氏のその根性と生き方には、ただただ敬服・感服以外にありません。

 そんな折も折、近くに積んでいた ひろさちや氏(仏教伝道者)の“がんばらない がんばらない”という書籍のタイトルが目に飛び込んできて、あまり頑張れないでいる今の私をほっこりと包んでくれたような気持ちがして・・・・・苦笑したことでした。

 そう! 頑張れないことがあってもいいのだ。息を抜いて緊張した体と心をグッとゆるめてあげることも大切なのではないかと・・・・。自分の心と体のリズムを理解しながら、今を正直に大切に生きていこうと・・・・。曻地氏も、休息しご自分をそっとあたためてあげられるひと時はきっとあったであろう。心の温かさが伝わってくるようなお人柄だから・・・・。

Go ahead! 元気が出たら前進だ!人生は君次第だよ!

いささか停滞気味だった私の心情に、曻地氏の人生哲学がこんなエールに聴こえて、魂が再び喜び、躍動したひとときでした。


*次回のコラムは10月20日前後の予定です。

2014年9月10日水曜日

あなた自身が自分のために生きるのでなければいったい誰があなたのために生きるのでしょう。そして今、生きるのでなければ あなたはいつ生きるのですか

あなた自身が自分のために生きるのでなければ
いったい誰があなたのために生きるのでしょう。
そして今、生きるのでなければ あなたはいつ生きるのですか
~バビロニア経典~

Column 2014 No.13

 私たちは幼い頃から周りの大人から「わがままはいけません」「親の言うことは聞くものです」「人から頼まれたことは断ってはいけません」等々。自分よりも他者のために生きることが大切である・・・・ということを潜在的にたたみ込んで大人になってきました。

 しかし親業の人間関係講座では

☆ あなたの人生の主役はあなたです
☆ 欲求充足こそが人生の目的です

と謳っています。しかし多くの女性にとっては、気付いたら夫の脇役で生きていたり、子どもの人生に命を賭けたり、第三者の評価を気にしたり・・・・で、自分の人生の主役になり切ることはなかなか難しいようです。しかし誰かの脇役で生きるということは、多くは、生きている実感がないから、わけのわからない不安や不満、恐怖心を抱えて生きる羽目に陥ってしまいます。

 そしてひとりのその不機嫌な波動が実は、子どもや家族・社会の混乱に影響を与えていくのだ・・・・無関係ではないのだ・・・・ということに気付いている人はどれだけあるでしょうか。

 世界を見渡せば私たちの身近な国々においてさえ、21世紀になった現在もなお、終わることのない憎悪と積憤の連鎖が繰り返されています。そして貧困、環境汚染、環境破壊、核の脅威・・・・等々 私たち地球世界には問題が山積みです・・・・。そこだけを見ていると解決の糸口も掴めず、絶望感に打ちのめされてしまいそうです。

 もう、私たちひとりひとりの思考と視点を本気で変えることしか解決の道はないのではないかと今しきりに感じています。最近読み終えた「引き寄せの教科書」の著者、奥平亜美衣氏は

自分が幸せになるしか世界を変える方法はない!

 と喝破しています。まさに大共感で、私には膝を打つ感じがありました。私自身も常にそう信じ、講座でもお伝えしているからです。


 さて最近、知人からの情報で久々に映画館に足を運びました。タイトルは「マダム・イン・ニューヨーク」インド映画です。ごく普通の主婦である女性が勇気ある一歩を踏み出して、コンプレックスから立ち上がり、一人の人間としての誇りと自信を取り戻し、自立していくストーリーです。

自信と誇りを取り戻した彼女は言います

「ありがとう!自分を愛することを教えてくれて!」

 そして自分への愛は、さらにまわりへの愛へと広がっていくのだということを彼女の次のメッセージは示唆しています。

「・・・・相手との折り合い方を見失ったとき、そんなときこそ自分で自分を助ける時よ! 自分を愛し大切にすることは、あなた自身が一番うまくできるはず。そしてそれができたら再び相手と対等だと感じられるようになれるわ・・・・。」と。

 自分を真に幸せにできたひとりの女性のこのメッセージの中にこそ、世界を変えていける答えがあるような気が私にはしきりにするのです。自分を愛している容量でしか他者への優しさとか思いやりは決して表せないのだから・・・・。

 私たちひとりひとりが自己否定をやめて、自分を許し自分を愛して、納得できる自分の人生を果敢に創造していく。つまり一人の人間として自分の軸をもち、決して一般論に流されるのではなく、自分の感度を信頼して選択していけるようにひとりひとりが自立していく・・・・・。

 自分を愛し、自分の感度を信頼して生きるこうした自立した人々こそが、やがて必ずや民族の共存・共栄、人類を真の平和へと確実に導いていける人々なのではないかと・・・・。


自分自身を愛することができないうちは 他人を愛そうと
しないでください。それはできない相談です。
~ポール・フェリーニ~


*次回のコラムは9月30日前後の予定です。

2014年8月20日水曜日

コミュニケーションの基本「表現力」と「共感力」(その3) ~共感力は相手の真の自立を助けます~

Column 2014 No.12

 市内の電車の中で二人の婦人の会話が耳に入ってきました。

A婦人 「私ね、この連休に東京に行ってきたのよ!」
B婦人 「私は岡山の美術館に行ってきたの!」
A婦人 「東京ってやっぱり都会よねえ!活気があるし見たいものはなんでもあるし!」
B婦人 「美術館で私は久々に心が洗われたわあ!」
A婦人 「都会ってやっぱり洗練されてていいよ!」
B婦人 「あなたってさっきから都会都会って言ってるけど、地方には地方のよさがあるんじゃない?都会コンプレックスじゃないの?・・・・」
A婦人 「・・・・・・・・・」
B婦人 「・・・・・・・・・」

 ざっとこんな会話でしたが、どうやら二人の会話は途中で止まってしまい、気まずい雰囲気が漂ったようでした。こんな会話って結構多いと思いませんか。相手側の発言を聞いているのかいないのか、お互いに自分の言いたいことだけを言い放っています。

 もしこの会話が次のようであればどうだったでしょう。

A婦人 「私ね、この連休に東京に行ってきたのよ!」
B婦人 そうなの!東京に行ったんだね・・・。実は私は岡山の美術館に行ってきたのよ!」
A婦人 そう!美術館もいいよねえ。東京もなかなかよ。活気があるし見たいものはなんでもあるし・・・」
B婦人 そうね!さすが東京よね。それでどこに行ったの?」
A婦人 「うん、六本木あたりを散策したのよ。楽しかったよ!・・・・ところで美術館はどうだったの?」

 このような会話の運び方が実は、共感(親業では能動的な聞き方)をベースにした自分も相手も大切にしたコミュニケーションです。この流れの会話であれば、B婦人の「・・・・都会コンプレックスじゃないの?・・・・」のような皮肉っぽいメッセージは決して出てはこなかったでしょう。

 次の例は保健師(Mさん)と82歳の老婦人(Kさん)の会話です

Kさん 「こんな体になって、早くお迎えが来なくてはいけません」
Mさん 早くお迎えに来てほしいんですねえ・・・・・・・・共感
Kさん 「早く死ななきゃいけません」
Mさん 死にたいようなお気もちなんですねえ・・・」・・・・・・・・共感
Kさん 「みんなに迷惑をかけているから死んだ方がいいの」
Mさん みんなに迷惑をかけていると思うから早く死んだ方がいいと思うんですねえ・・・・・・・・共感
Kさん 「そうなんよ!・・・・でも死にたくないよ!死にたくないんよ!」
Mさん 本当は死にたくないんですねえ・・・」・・・・・・・・共感
Kさん 「うん・・・」
Mさん 「そうね。お迎えが来るまではちゃんと生きとかんといけんのよ!Kさんの世話をするのはみんな嫌じゃないんよ。ご飯をいっぱい食べてみんなを喜ばせてね」・・・・・自己表現
Kさん 「はい!」

Mさんの感想:
何度もKさんに会っていますが「死にたくない」という本音を聞いたのは初めてでした。共感をもって能動的に聞くということは、無心になってその人の思いをそのまま受けとめることなんだと思いました。ごまかしたり慰めたりするのではなく、相手のそのままの気持ちを丸ごと受け止めることなんだと知りました。無心に聴くことで相手が結論を出すことをお手伝いできるのです。

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共感的コミュニケーションのポイント

☆ 相手が言ったことを黙って聴いたり、あいづちを打ちながら聴く
☆ 相手が言ったことをそのまま繰り返してみる
☆ 相手が言っているその背景にある気持ちを汲んでみる

 これは簡単なようですがやはり練習が必要です。
 特に子どもを育てている親御さんは、子どもを自立させるためには何はともあれ共感力が要ります。親の考えを受け入れ過ぎて自分の人生が生き辛くなっている子ども達をあまりにも沢山見てきました。

 子どもが今考えていること、またその子の心の中におき湧いている嬉しい気持ち、悲しい気持ち、つらい気持ち、悔しい気持ちをそのままに受け止め、共感力で受け入れていく。すると感情が発散でき、その子の中にある混乱が自然に整理できていくのです。

 そして見失っていた自分を取り戻していけるのです。気持ちが整理できたら、やがてその子の中からその子なりの答えが必ずやってきます。またその答えで生きさせてみることが、その子どもの真の自立へのプロセスに大きく繋がっていくのです。

 多くの心理学者や精神科医は研究の結果次のように言っています

当人の考えた解決策に従わせることが一番信頼できる。
当人の人生において彼の考えた解決策はどんなものであれ、
実は当人にとって一番ベストな解決策である。



*次回のコラムは9月10日前後の予定です。

2014年7月29日火曜日

コミュニケーションの基本「表現力」と「共感力」(その2)  ~“表現力”を身につけて実感のある人生を!~

Column 2014 No.11

 前回は、表現力(発信)と共感力(受信)の“双方コミュニケーション”を使っての「対話力」の大切さを書きました。自己表現と傾聴(共感)についてもう少し詳しく知りたいと言う声がありましたので、これから2回にわたって今回は「自己表現」次回は「傾聴(共感)」について親業が大切にしている心を、さわりだけになるとは思いますがお伝えします。

 日本人は自己表現が苦手な国民だとよく言われます。「和をもって尊しと為す」という精神を大切にしてきた日本の風土には、自己表現はあまり重要視されない歴史があったからでしょうか。

 しかし相手の気持ちを大切にすることは勿論、自分の気持ちをも大切にできたとき、これこそが「和の精神」であると私自身は理解しています。

 日本の子どもたちが海外でホームステイをしたときの様子を耳にしたことがあります。例えばステイ先の友達から「君、何の曲が聴きたいかい?」と聞かれると咄嗟に「何でもいいよ」と答える子が多いと聞きました。食卓に並べてあるドレッシングの中から自分の好きなものが「これが好きです」と選べない子も多いようです。しかしこれは決して子どものせいではなく私たち親が、子どもに考えさせ選択させる機会を奪ってきたことが原因でしょう。

 親業では「自分を感じてください」と絶えず投げかけます。いつも自分の本当の気持ちに気付いていないと、自己表現はとても難しいのです。自己表現できる子どもに育てようとするなら、その子が体験し、感じるチャンスを奪ってはならないし、その子が選択するチャンスをできるだけ沢山与えなくてはならないでしょう。

 自分の気持ちが掴めると、はじめて
 「私は今こう考えています」「私は今とても嬉しいです」「私は困っています」というふうに自分の気持ちを内外一致で表現できるのです。すると相手にあなたの気持ちがまっすぐに伝わるので、本当のあなたのことが解ってもらえるのです。そして自分を語るから、何しろあなた自身が生きている実感がつかめるのです。

 自分の気持ちを掴めない人はどうしても人称が第三者になりやすい。「うちの主人がこう申しています」「Aさんはこんな考えを持っているみたい」このように他の人称で話す人は、多く人間関係のトラブルを引き起こし、孤立する結果になりやすいのです。自分以外の人の気持ちは決して代弁してはならないのです。できるのは自分の内面を内外一致で表現することだけです。

 自分の本当の気持ちに気付いて、それを表現してみてください。自己表現ですから、人称はいつも「わたしは」です。誰でも生きることに息詰まってしまうと、多くは苦悩や怒り、嫉妬などネガティブな感情に圧倒されてしまいます。しかしどんなにみっともないと思う感情であっても、感情は嘘偽りのない真実なのです。だから自分の一部分として抱きかかえてあげるだけの自分への愛、自分への優しさがとても大切なのです。弱さのまんまで、怒り狂ったまんまで正直に自分を語ってみましょう。

   「わたしは凄く傷付いています」
   「わたしはいま怒っています」
   「わたしはほんとうに弱い人間なんです」

カウンセリングに来ていたある青年が以前こんな気付きを話してくれました「・・・・弱さを見せたら、人は自分から立ち去るのではないかと思っていました。でも本当は弱さを出せば出すほど、人は近づいてくれるんだとわかりました・・・・」と。

 私たちは人と親密になりたいと思いながら、本当の自分を語らないために相手との壁が埋まらず、いつも寂しいのです。孤独なのです。何十年も夫婦をやりながら 今でも他人のままという方々を沢山見て来ました。

 でも受講生のTさんからはこんなお便りを頂きました。

 「・・・ある日わたし宛にこんな暑中見舞いの葉書が届きました。
 “暑い日が続きますがいかがお過ごしでしょうか。汗だくになりながらも頑張っておられる姿をいつもまじかに拝見し、陰ながら大変感謝しております。なかなか口に出しては言えないので書面にてお礼を言いたいと思います。前向きな人生と刺激をいつもありがとう!・・・”
 でも差出人の名前がありません。15分位悩みましたが、なんと夫の字だったのです。手作りの葉書に富士山の絵が描いてありました。感動で涙が溢れてしまいました。」

 ご主人の自己表現が、奥様にこんなに感動を与えたのです!

*次回のコラムは8月20日前後の予定です。

2014年7月9日水曜日

コミュニケーションの基本は、発信と受信。 それは「表現力」と「共感力」です

Column 2014 No.10

 親業では 自分と相手との間に心地よい人間関係を組んでいくための効果的なコミュニケーションとは何かを学び、練習をして身につけていきます。

 コミュニケーションの基本は 表現力つまり“自己表現”と、相手の話を共感をもって聞く“傾聴”の、「発信と受信」の双方向コミュニケーションです。それを図にしたものが下記のとおりです。
コミュニケーションは大変難しいと言われますが、事実はとてもシンプルなのです。表現力!と共感力!この二つの力を手に入れたら、あなたはコミュニケーションのベテランです。

 それは表現力(わたし大切)と共感力(相手大切)の双方向コミュニケーションであり、それぞれの個人の中でそれが心地よいバランスを持ったときに、双方に、はじめて平和な「対話」の場が生まれます。

 さて、わたし達に身近な国々、アラブ諸国とその周辺ではいくらか民主化が進んできたとはいえ、民族・宗教・領土・資源をめぐって今もなお絶えることのない紛争、小競り合いが続いています。いくら権力や武力で制圧をしても、人の心まで制することは決してできない。人としての尊厳性を無視して、真の解決には決して向かえないということでしょう。

 いま問われる急務は、どんなに時間はかかっても、人と人とが、政党と政党が、民族と民族が、国家と国家が「対話」によってどう歩み寄っていけるか!ではないでしょうか。もっとも対話ですべてが簡単に片づくとは決して思いませんし、並大抵ではありません。それにお互いの過去の過ちや痛みを、許しあえる日が来なければとても難しいでしょう。しかしそれさえも対話なくしては不可能でしょう。

 まず個人レベルから「対話」の力量を養っていくことは、いま私たちに出来る世界への貢献の大きな第一歩ではないでしょうか。もし我々人類一人一人が双方向コミュニケーションをベースにした「対話力」を子ども時代からある程度体得していたら、世界の混乱はもう少し早く治まっていたのではないかと・・・・。

 受講者の方の、ある事例をご紹介します。

 夫が今夜も呑みに出かけるという。今週はもう3回め!私はとても受け入れられない。それで夫に自分の気持ちを正直に表現してみました。 

「あなた、今日は3回めなの。年末になると生活費が嵩むし、私とても不安なの。」 ・・・・・・自己表現
「俺が呑みに行くというとお前はすぐ嫌みをいうね」
「あなたは私から嫌みを言われてるようで、気分悪いのね」・・・・・・共感
「そうだよ!」
「でもね。嫌みで言ったのではないのよ。新年を迎えるのにお金が足りなくなるのではないかと不安なのよ」・・・・・・・自己表現
「そうか、不安なのかあ」・・・・・・・共感
「そう!新しい年を気持ちよく迎えたいのよ」・・・・・・自己表現
「わかった!今夜はやめとくよ。連れが待っているわけではないしな」
「わあ、嬉しい!有難う!コーヒー入れるわね。」・・・・・・自己表現

気付き:
いつもお金のことを言うと、「うるさい!」「しっつこい!」という夫がはじめて「わかった!」と言ってくれたのには驚きました。自己表現って伝わるんですね。

 相手について価値判断したり責めることをしないで、自分の思いや痛みを正直に表現していく。そして相手の言い分(反発)に対しては、反発で返すのではなく、一度きちんとそのままを受け取って共感で返してみる。表現力と共感力がみごとに発揮され、穏やかな「対話」が成立しています。そしてお互いに納得の解決策にたどりついています。

言い過ぎもせず 言い残しもなく 自分の心を
きちんと表現できたら その日は幸せな一日
                 - サインズ -

*次回のコラムは7月30日前後の予定です。