2014年12月21日日曜日

感情抑圧は諸悪の原因です ~ 自分の本当の気持ちに気付いてあげることは愛に溢れる行為です ~

Column 2014 No.18

 ずっと以前のことですが、ある集いに参加した折、人間の感情についての話題になったとき、ある女性が「私はこれまでの人生で一度も怒ったことがありません・・・・」といった意味合いのことを言われたので、私はとても驚いて咄嗟に「Aさん、病気をなさいませんか」とつい聞いてしまいました。その方は即座に「はい、突然倒れたりして時々救急車で運ばれることがあります」と答えられ、そうだろうなあ・・・・と合点したことでした。

 人間をやっている以上、怒りを感じない腹を立てない人間はまずいないのです。怒りを抑え、腹立ちを抑える人間がいるだけです。そして感情の中でも特に強い感情である“怒り”とか“恐怖心”の感情を抑え続けてしまうと、必ずといっていいくらい色々な障害を生みます。これは心理学者、精神科医も証明しているところです。

 ある外国の精神科医による興味深いレポートを読んだことがあります。

 大地震、ブレーキが利かなくなったバス、ハイジャックされた飛行機・・・・など異常事態が発生したとき、そのトラブルにたまたま遭遇した人々(勿論、遭遇はしたけれど一命を取り留めた人々を対象に)心理的な追跡調査した結果の報告です。トラブルに遭遇した人々は一応に、心理的な大きなダメージを受けるので、その心理的外傷を癒す為に精神科医がそのフォローに当たります。その癒しのプロセスの興味深い臨床結果を報告したものでした。

 それによると、一番厄介だったのは、衝撃的なトラブルに遭ったにも拘らず、そのトラブルに平然と対処した人々のグループだったと報告しています。一方トラブルに遭遇したとき、取り乱したり泣き喚いたりした人々のグループは、興味深い結果ですが、最も立ち直りが早かった。それは恐怖の感情をその場で正直に感情表出したことが益となった。一方トラブルに冷静に対処し、下乗後も堂々とインタビューに応じたような人々は、数日後或いは数週間後に不眠を訴えたり、夜驚や徘徊行動などの異常な心理的反応を多く示したといいます。しかもアフターケアの長さは、トラブル後、不眠・夜驚・徘徊・・・等に伴う感情表出に至るまでの期間の長さに比例したと報告しています。

 この臨床結果からも、人は感情表出によって精神(心)の状態のバランスをとっているということがよく理解できます。自分の感情に正直に対峙せず、感じない振りをしたりごまかしたりすると、感情は昇華されないまま抑圧され、結果的にその人の身体的なものに、或いは生き方に微妙に悪影響を及ぼしていくのです。

 尤も人間は実に絶妙にできていて、抑圧したネガテイブな感情を無意識ですがさまざまな形でバランスをとっていきます。健康上のトラブルで抑圧感情を表出していくことは勿論ですが、不機嫌・短気・逆上・・・など別の感情でバランスをとったり、癇癪・人を責める・DV・物に当たる・・・のように攻撃的傾向で表出している人もあります。過食・拒食・アルコール依存・薬物依存・恋愛依存・・・等々の依存的傾向でバランスをとる人もあります。またかげ口・悪口・噂話など正当化でのバランスもあります。

 もっともこれらの多くはカウンセリングの場面で接したケースで、生育歴に端を発している場合が多く、皆“いい人”をやってきた人達です。耐えて我慢して、他者の人生のために自分の人生を犠牲にしてきた人達です。怒りの感情も不安の感情も感じないふりをしないとやってこれなかった。程度の差はありますが、幼い頃から喜怒哀楽の感情を抑えることが日常的だったのです。

 しかしカウンセリングの場で、自分を語ることを通して、ご本人が自分の生い立ちを理解し、そして許し、徐々に自分の今の感情にきちんと対峙できるようになるに従って、健康になっていかれるケースを沢山見てきました。

 怒りの感情も恐怖の感情も、正当な感情です。親業ではネガテイブな感情もポジテイブな感情も同じ位置で大切に考えています。本当に怖いとき、怖がる自分を許し「怖い!」という感情を受けとめてあげるから情緒が安定するのです。また不安や恐怖心があるから、あなたは危険な場所や猛獣に近づかないのです。実はネガテイブな感情はあなたを守ってくれているのです。

 ただ、あなたを圧倒するほどの不安・恐怖は減らしてあげないと、生きづらくなりますよね。そこで親業では人間関係を壊さない形で怒りの感情を表現する方法を学びます(コラムNo11No12参照)しっかり感じてあげて気付いてあげて、表現したいと思うことは表現し、心の中で整理できるものは整理して、そしてあとは果敢に手放していく・・・・。感情もエネルギーですから感じてあげたらあとは流してあげる方がいいのです。

 このプロセスこそが真の癒しなのです。感情は生きています!あなたの子どもです。愛して大切にしてあげてください(コラムNo1No9参照)

ネガテイブな感情も優しく見つめてあげて下さい。
それを味わうために人として生まれてきたのだから
日木流奈

“しかし感じることは難しいですよね”と多くの人が言います。「アミ 小さな宇宙人」という本の中で、宇宙人のアミはこう言っています。

頭で何かを考えることを少しやめて、
胸に注意をするようにしてごらん。
そうすれば多分感じることができるよ!


*次回のコラムは1月10日前後の予定です。

2014年12月1日月曜日

チャンスはピンチの顔をして近づいてくる

Column 2014 No.17

チャンスはピンチの顔をして近づいてくる
                                        - 武田双雲 -

 「チャンス」という言葉を聞くと私たちの多くは“よい機会”いわゆる“好機”と捉えて理解していますよね。諺にも「チャンスは前髪をつかめ!」というよく知られたフレーズがあります。「チャンスが来たぞ!と思ったら迷わずに、手を伸ばしてその前髪を掴みなさい!チャンスには後ろ髪がないから見過ごしたら、もはや掴むことはできないよ」という意味であり、要は“好機は逃すな”という警告でもあります。何だかユーモラスですよねえ・・・。

 ところが双雲氏は「・・・自分の前に、壁が立ちはだかって、“もう駄目だ”と思ってしまうとき、僕はチャンスだと思うようにしています・・・」と述べています。

 この種類のチャンスは、私を含めて多くは、掴むどころか恐らく逃げ出したくなるのが本音でしょう(笑)しかし年齢を重ねるに従って、彼が言わんとする「ピンチこそチャンス」の意味が真実だと理解できるのです。
 あのピンチがあったからこそ今の自分があるんだなあ・・・・と。

 しかし、双雲氏の言う“ピンチの顔をしてやってくるできごと”に、“これはチャンス!だ”なんてすぐにはとても思えないし、多くはそのできごとに圧倒されて、焦り・不安・自信喪失のなかで、この環境を制する(逃れる)ためにできることを必死で思い巡らし、戦いもがき、逃げたり隠れたり・・・(笑)

 しかし、その苦しいできごとからどのように逃げても隠れても何の解決にもならず、対峙せざるをえない破目にやがては陥ります。そして自分の中にあった底知れぬ 恐怖心や弱さ、愛の不毛、罪悪感、小賢しさ・・・・に、はからずも出逢うことになるわけです。しかし色々な感情に翻弄されながらも本気で対峙し始めたときから、問題は徐々に解決に向かい始め、さまざまな感情も徐々に“諦念”の域に達し、自分をあるがままに許していくプロセスに気付くことで、再び小康状態が訪れる・・・。

 ここに至ったときにあらためて、致命的だと思っていたそのできごとが、私のそれからの人生の可能性にギア・シフトしてくれたかけがえのないチャンスだったんだなあ・・・とやっと確信できる。苦しみもだえ、自分の中の弱さや醜さに出逢い、その痛々しい体験を通して自分の中に新しい視点が生まれてくる! 言葉にするにはとても難しいのですが、魂の皮がひとつ“くるっ”と剥けたような感覚・・・・。自分への視点が変わり、同時に他者への視点も変わる・・・・。ひとことで言えば愛の感覚がちょっぴり深まったような・・・。

 そうかといってやはりピンチは怖いし、できることなら引き寄せたくはないけれど、しかし「人生は即ち学び」だとしたら、自分の成長にとって必要なら、無意識を含めて私の魂はピンチを引き寄せてまでも、学ぼうと覚悟をしているのかもしれない・・・・。
 ある賢者のことばが、今の私にはしみじみと理解できます

たましいを脅かすようなできごとは、何ひとつあなたの人生には
起こりません。ほんとうに、人生のすべての体験は目覚めをうな
がしてくれます。たましいの成長に役立たないものは
何ひとつありません

最近受講者のAさんから頂いた手紙の一節をご紹介します。彼女の上に、ある大変苦しい出来事が起こり、もがき戦って・・・・そして得られた彼女の今の心境です。「・・・・人生には一点の無駄もないんですね。あのときの私の選択を、あとであれは間違っていた・・・と言ったり思ったりしたけれど、まさに適切な最高の選択だったのだと、今は思うのです。他者を傷つけたり、他者に傷つけられたことを含めて・・・・。私はそこから学んだのだ。気付いたのだ! だから罪悪感は一切要らない! 罪悪感を持っていると前に進むことができませんものね・・・・。」

 この方も、ピンチをチャンスに大きく生かした人です。こんなに深い気付きは、多分幸せの中からは生まれてこなかったでしょう。逃げず隠れず、ピンチにきちんと対峙して、戦ってもがいたあかつきに得られた深い気付きです!この気付きは彼女のこれからの人生を大きく変容させていくことでしょう。

 彼女は、自分を大切に、自分に正直に人生を楽しんで生きている人なので、こんなピンチからも逃げず、まっすぐに対峙でき、そしてそこから学べる人なのです。楽しめる時には人生思い切り楽しんで、エネルギーを絶えず蓄えておくことは、自分への大きな愛だと思います。私も学ばせていただきました。


*次回のコラムは12月20日前後の予定です。

2014年11月11日火曜日

すべきことよりやりたいことを! ~人間関係講座(親業)~

Column 2014 No.16

 ある日レストランで食事をしていたひととき、かなり年配の女子会風のグループがあって、賑やかに会話が弾んでいました。何か興味深い話が飛び交っている様子なので、つい耳を傾けてしまいました。

A婦人
「女の人生って哀しいと思わん? 夫に尽くして、子どもを育てて、子育てがやっと済んだと思うたら、夫の両親の面倒を看んといけんじゃない。夫に尽くして子どもに尽くして、姑の面倒を看て・・・・気付いたらもう58歳よ! あ~あこんなに哀しいことってある? 今になって凄い悔しい気持ち! 10年が100万円で取り戻せるんだったら買い戻したい気持ちよ!・・・・」 

B婦人
「でもねえAさん! 10年後には68歳じゃろう。また同じことを言うんじゃないの?悔しい!10年を100万で買い戻したい・・・・言うて」

A婦人
「そうかもねえ・・・・。ほんと・・・。おんなじことを言うんじゃろうねえ。ほんとじゃわあ! 何とか今を充実して生きていかんといけんねえ・・・」

 こんなやり取りを聴いていて、同じ女性としてとても深い共感がありました。A婦人の哀しみがしみじみと伝わってくるような思いでした。そしてB婦人のメッセージ(助言)がA婦人に深い気付きをもたらした様子に、女子会パワーの威力を感じたひとときでもありました。

 家庭と言う狭い社会の中で、夫や子どもの世話・・・・。掃除・洗濯・買い物・食事作り・親戚や学校関係・近所との付き合い・・・・等々。それらを毎日必死でこなして生きてきたのがこれまでの多くの女性でした。現在は女性も多く社会に進出して、状況はかなり違っては来ましたが、しかし家庭における諸々の負担は、まだまだ女性に懸っているのが現状です。
 家庭を守り子どもを育て上げたあかつきに、ふっと我れに返ったとき、A婦人のように、充実感よりもぽっかりと開いた心の空洞を感じている女性は意外に多いのではないでしょうか。

人がとるべき責任ある行動は、ただひとつ。自分が心から
したいことをすることである。それが人生で最も責任ある
行動であり、その人が負う最高の責任である。
~マイク・マクマナス~

親業は「自分業」とも言っています。マクマナスが言っていることは親業の大切にしている精神でもあります。それは決して家事や育児を放棄することではなく、主体性をもって家事をし、主体性をもって子育てをし、主体性をもって人間関係を組む! 主体性をもって生きると言うことは環境や人間関係に流されるのではなく、自分を大切に、自分の気もちに正直に日々を重ねていくということです。つまり「自分軸」を失わないで家事をし、子育てをしていくことです。

 例えば、日々の流れの中に、自分だけの時間をどこかに盛り込んでみる・・・・。ときには家事の手をちょっと抜いて、自分の心が喜ぶことを思い切ってやってみる・・・・。行きたい所に行ってみる 体が喜ぶものを食べに行く 会いたい人に会ってみる 自然に触れてみる 思い切り無邪気に遊んでみる・・・・等々。それは子育て真っ最中であっても「自分軸」さえあれば不可能ではありません。

 「自分軸」を育てることは急務です。なぜならメディアを通しての情報が氾濫している今の環境の中で、自分軸がなかったら、気付かぬ間にメディアのロボットと化し、本当の自分が掴めないままに一生魂の放浪をすることになりかねません。特に今の子どもたちは心配です・・・・。間断なく与えられる外からの刺激は成長期にある子どもは勿論、私たち大人も知らず知らずにエネルギーを消耗し、自分を見失い、精神状態に不安と混乱を招きかねません。

 また価値観もとても多様化しています。
 例えば「朝食は抜いてはいけない・ぬいた方がいい」「玄米は体に非常に良い・玄米は胃に負担をかける」「水は一日2リットル飲むといい・水は過ぎると水毒になる」「泡洗顔は皮膚に一番負担がない・泡洗顔をやめるだけで綺麗になれる」・・・・等々。
 実は情報の中にも単に奇をてらうだけの発信がけっこう氾濫しているように私には思えてなりません。自分を理解し、自分の欲求を探り、自分の感度を信じて情報の選択をしていかない限り、情報に流されて自分を見失い、本当にやりたいことがいつまでも見えて来ない危険性もあります。

 もちろん私自身もネットで情報を探したり買い物をすることはあります。しかし私は基本的にある信念をもっています。それは「すべて自分に必要な答えは自分が持っている。探し回らないでも、自分に必要な情報は、内からも外からも必ずやってくる・・・・」と・・・・。それはふっとしたひらめきでやってきたり、人々との出会いや、ときにはわが子らのひと言から。あるいはふと見開いた書籍の一文から・・・・等々。

 もっとも、「自分軸」をもって生きている私のまわりの人たちの多くは、過度なメデイア依存はなく、適度な節度をもっています。それでもやはり、時々はネットサーフィンの手をちょっと中断して、脳を少し休めて、自然の中で、あるいはお好みのカフェで・・・・ひとりになって、ゆったりと「自分サーフィン」をしてみることは素敵だと思います! 不思議ですがそんな場面で、本当は何をやりたい自分なのか・・・の答えがふっとやってきたりします。

自分を感じ、自分と語れる人こそが、
心理的に本当に健康な人です。
~トマス・ゴードン(親業創始者)~

それは「自分軸」をさらに力強いものにしていくポイントであり、本当にやりたいものが見え、確実に自己実現へのステージに繋がっていくつまり秘法でもあるわけです。


*次回のコラムは11月30日前後の予定です。

2014年10月20日月曜日

道草は自己実現の王道である

Column 2014 No.15

道草は自己実現の王道である
                        - 河合隼雄 -

 「道草」とは名のとおり、道に生えている雑草のことですね。
 子供時代、登校するとき玄関で母が「道草しないで帰るんですよ!」とよく言ったものです。よって“道草をする”ということは家にまっすぐに帰らず、途中で友達の家に寄って遊ぶとか、公園で缶蹴りをしたりかくれんぼしたり、虫を追って山に入るとか、基地のような秘密の場所で過ごすとか・・・・。

 私たちの幼い頃の「道草」はハラハラどきどきと冒険に満ち満ちたものだったのです。夕日が落ちる頃になって我が家にたどり着くと「どこで道草を食ってたの!」と母から大いに叱られるはめになるわけです。“道草を食う”。昔から慣用的に日常の会話の中にしばしば使われていました。何だか詩的で情緒あふれる表現だと思いませんか!

 さて河合隼雄氏(ユング研究の権威)のこのフレーズは、“道草をすることは、人が「自己実現」に至る為に必要な秘法つまり錬金術である”という意味合いになります。

 子供が、何もしないでぼんやりしているひとときや、親からみれば意味のないことに没頭していたり、学校に行けないで家に籠もっていたり、無気力だったり、反抗したり、心配な友達とつきあったり遊びまくったり・・・・・これも立派な道草です。自分を見つける為に道草をくっている、まさに自己実現への秘法・錬金術を生きていると言うわけです。

 「自己実現」という表現はアブラハム・マズロー(米国の心理学者1908~1970)の造語で、潜在的なものを含めて、人はすべて愛に溢れた高次の自分に統合したいという自己実現の欲求を持っていて、それに向かって生きていると述べ、「欲求の五段階説」というオリジナルな提唱をして心理学会に大きな影響を与えました

 彼が言う「欲求の五段階説」というのは、人は誰でも基本的欲求つまり、生存欲求(第一段階)/安心・安全欲求(第二段階)/愛情希求と所属の欲求(第三段階)/達成の欲求(第四段階)/を持っていて、低次の欲求から段階的に正直に満たしていくことで、最終的に高次の「自己実現への欲求」(第五段階)へと向かっていく存在であると述べているわけです。

 つまり人は誰一人洩れることなく、自分自身に挑戦して自己実現に向かうべく、なれる可能性にあるものになろうとして命を懸けて精一杯生きている存在なのだとマズローは言うわけです。第四段階は自分の目標を達成したいというかなり高次の欲求ですが、その段階に進む準備がまだ出来ていない場合には、例えばその前段階の愛情希求の欲求を果敢に満たそうとします。そして社会人として社会や人々と繋がりたいという欲求へと続きます。

 社会に順応できにくかったり、人とうまく繋がれないと、とりあえず撤退して家に籠もる状態をやることもあり、また夜な夜な出ていって、とりあえず気持ちを発散する状態をやっている子どももいます。また“毎日が生きづらい”“友達とどう付き合っていいのか分からない”“勉強に本気で向かえない”“クラブ活動の人間関係が苦しい”“入試に本気で臨めない”“何がやりたいのか分からない”・・・・・等々。達成の欲求段階に向かう前準備に手こずっている若者は沢山います。多くの親御さんはこの状態に焦り、何とかしようと、うるさく言う、つまりプッシュすることで子どもの問題の解決を試みますが、効果はないはずです。

 もしかしたら第三段階の前の、第二段階の安心・安全の欲求が満たされていないのかもしれません。ご両親が仲良くなられることだけで心が安定し、動き始める子どももいます。「家庭内環境」も自己実現への道程に無関係ではないのです。

 カウンセリングでご縁のあった子どもですが、「不登校」という道草を4~5年やってやがて精神科医になる夢を果たしたというケースがあります。不登校という選択をし、時間をかけて道草を食べながら、満たし切れなかった第二段階・三段階の欲求を果敢に満たし、第4段階に向かうべくエネルギーと栄養をしっかり蓄えたのです。

 子どもの今の状態が、親にとってはとても心配だったり苛々したり悩みますが、子どもは自分にとって必要なプロセスを本能的に知っていて、色々な形でそれを満たしていこうとします。実は人生を通して何ひとつ無駄はないのだなあ・・・・と思えてなりません。親ができることは「マズローの法則」に当てはめて考えるなら、子どもが無意識に行動しているその背景にあるその子の充足したい欲求を、できる範囲でうまく満たしてあげることがとても大切に思います。

 しかしそれができる為には親自身が、ある程度満たされているか否かが大きく影響します。親自身も、満たせてこなかった基本的欲求を果敢に満たすべく、人生をかけて体験・冒険(道草)をしていくことはとても大切です。“もう歳だから・・・・”はやめてしっかり道草を食べていきませんか! “歳だから失敗はできない・・・”なんていう弱腰もやめましょう! 冒険には失敗はつきものです。前コラムに取り上げた曻地三郎氏に私は生きる元気をさらに頂きました。生きている限り夢を見失うまいと・・・・!

もっと遠く飛ぶための後退!
- ユング -

冒険に伴う失敗も挫折も、自己実現に向かうための尊い布石!
時にはしっかり後退して助走をつけ、恐れず何度も跳んでみませんか! 
お互いに!


*次回のコラムは11月10日前後の予定です。

2014年9月30日火曜日

Go ahead!前進また前進!

Go ahead! 前進また前進!
                        - 曻地三郎 -

Column 2014 No.14

 100歳を直前に迎えられた頃の曻地三郎氏(養護学校・しいのみ学園園長)のメッセージです。もしご存命であればおそらく110歳近くになられておられるはずですが、ネットがうまく繋がらずご存命か否か不明のままです。

 5~6年前に求めて読んだ、彼の「ただいま100歳~今からでも遅くはない~」(致知出版)を再び手にとってみて、今回のコラムはまず曻地三郎氏のことを主に書いてみたいと思いました。

 本の表紙の帯に書かれていた曻地氏の“100年生きてつかんだ生き方の秘訣 各世代に送るメッセージ”を抜粋してみましょう。特に40代以降の人に送られているメッセージには目を見張るものがあります。

40代   最も花の咲く時期。勝負せよ。
50代   人生の最高のとき。50代は人生の花道。
60代   飛躍のとき。自分の学問・実績を広げよう。
70代   70くらいで屈してはならない。自分を鍛えよう。
80代   駄目だと思ったら駄目になる。半分の40代の積りで頑張る。
90代   今からでも遅くはない。
100代  Go ahead! 前進また前進!  

 人生を極めた人の言葉は身にしみ、 実に勇気を与えられますね!

 曻地氏は長男・次男さんとも小児麻痺だったことから、全財産を投じて「養護学校・しいのみ学園」を創設されました。養護学校が日本にはまだ1校もない時代でした。100歳にしてなお現役の園長です。

「私は人生で何度も失墜し、“隠遁したい”“もう死んでしまいたい”とまで思いつめたことも何度かありました。しかし人生は戦いである!負けては駄目だ!と気持ちを持ち直しては人生を戦い抜いてきたのです。」

 Go ahead! 前進また前進! 曻地氏は絶えずご自分に負荷を掛けながらの懸命な生涯だったのです。

「私は100歳のいまも毎朝ラジオの語学講座で中国語と韓国語を学んでいます。100歳でも中学3年生のような気持ちで勉強をしています。毎日が前進です。」 

 彼の場合、いわゆる単なるボケ防止の為の学びではなく、韓国と中国に養護学校を創る夢を果たしたいがためなのです。すでに実験的には早くから進められており「・・・・・これが私の百歳の仕事です。勿論自分で陣頭指揮を取ります・・・・」 百歳にしてこの広大なる夢!!

 そして驚くことに、100歳になられても2時間もの講演を立ったままでされるとか、階段も手すりを持たずにすたすたと上り下りなさっているとか! いわゆる奇跡の人です! 曻地氏のその根性と生き方には、ただただ敬服・感服以外にありません。

 そんな折も折、近くに積んでいた ひろさちや氏(仏教伝道者)の“がんばらない がんばらない”という書籍のタイトルが目に飛び込んできて、あまり頑張れないでいる今の私をほっこりと包んでくれたような気持ちがして・・・・・苦笑したことでした。

 そう! 頑張れないことがあってもいいのだ。息を抜いて緊張した体と心をグッとゆるめてあげることも大切なのではないかと・・・・。自分の心と体のリズムを理解しながら、今を正直に大切に生きていこうと・・・・。曻地氏も、休息しご自分をそっとあたためてあげられるひと時はきっとあったであろう。心の温かさが伝わってくるようなお人柄だから・・・・。

Go ahead! 元気が出たら前進だ!人生は君次第だよ!

いささか停滞気味だった私の心情に、曻地氏の人生哲学がこんなエールに聴こえて、魂が再び喜び、躍動したひとときでした。


*次回のコラムは10月20日前後の予定です。

2014年9月10日水曜日

あなた自身が自分のために生きるのでなければいったい誰があなたのために生きるのでしょう。そして今、生きるのでなければ あなたはいつ生きるのですか

あなた自身が自分のために生きるのでなければ
いったい誰があなたのために生きるのでしょう。
そして今、生きるのでなければ あなたはいつ生きるのですか
~バビロニア経典~

Column 2014 No.13

 私たちは幼い頃から周りの大人から「わがままはいけません」「親の言うことは聞くものです」「人から頼まれたことは断ってはいけません」等々。自分よりも他者のために生きることが大切である・・・・ということを潜在的にたたみ込んで大人になってきました。

 しかし親業の人間関係講座では

☆ あなたの人生の主役はあなたです
☆ 欲求充足こそが人生の目的です

と謳っています。しかし多くの女性にとっては、気付いたら夫の脇役で生きていたり、子どもの人生に命を賭けたり、第三者の評価を気にしたり・・・・で、自分の人生の主役になり切ることはなかなか難しいようです。しかし誰かの脇役で生きるということは、多くは、生きている実感がないから、わけのわからない不安や不満、恐怖心を抱えて生きる羽目に陥ってしまいます。

 そしてひとりのその不機嫌な波動が実は、子どもや家族・社会の混乱に影響を与えていくのだ・・・・無関係ではないのだ・・・・ということに気付いている人はどれだけあるでしょうか。

 世界を見渡せば私たちの身近な国々においてさえ、21世紀になった現在もなお、終わることのない憎悪と積憤の連鎖が繰り返されています。そして貧困、環境汚染、環境破壊、核の脅威・・・・等々 私たち地球世界には問題が山積みです・・・・。そこだけを見ていると解決の糸口も掴めず、絶望感に打ちのめされてしまいそうです。

 もう、私たちひとりひとりの思考と視点を本気で変えることしか解決の道はないのではないかと今しきりに感じています。最近読み終えた「引き寄せの教科書」の著者、奥平亜美衣氏は

自分が幸せになるしか世界を変える方法はない!

 と喝破しています。まさに大共感で、私には膝を打つ感じがありました。私自身も常にそう信じ、講座でもお伝えしているからです。


 さて最近、知人からの情報で久々に映画館に足を運びました。タイトルは「マダム・イン・ニューヨーク」インド映画です。ごく普通の主婦である女性が勇気ある一歩を踏み出して、コンプレックスから立ち上がり、一人の人間としての誇りと自信を取り戻し、自立していくストーリーです。

自信と誇りを取り戻した彼女は言います

「ありがとう!自分を愛することを教えてくれて!」

 そして自分への愛は、さらにまわりへの愛へと広がっていくのだということを彼女の次のメッセージは示唆しています。

「・・・・相手との折り合い方を見失ったとき、そんなときこそ自分で自分を助ける時よ! 自分を愛し大切にすることは、あなた自身が一番うまくできるはず。そしてそれができたら再び相手と対等だと感じられるようになれるわ・・・・。」と。

 自分を真に幸せにできたひとりの女性のこのメッセージの中にこそ、世界を変えていける答えがあるような気が私にはしきりにするのです。自分を愛している容量でしか他者への優しさとか思いやりは決して表せないのだから・・・・。

 私たちひとりひとりが自己否定をやめて、自分を許し自分を愛して、納得できる自分の人生を果敢に創造していく。つまり一人の人間として自分の軸をもち、決して一般論に流されるのではなく、自分の感度を信頼して選択していけるようにひとりひとりが自立していく・・・・・。

 自分を愛し、自分の感度を信頼して生きるこうした自立した人々こそが、やがて必ずや民族の共存・共栄、人類を真の平和へと確実に導いていける人々なのではないかと・・・・。


自分自身を愛することができないうちは 他人を愛そうと
しないでください。それはできない相談です。
~ポール・フェリーニ~


*次回のコラムは9月30日前後の予定です。

2014年8月20日水曜日

コミュニケーションの基本「表現力」と「共感力」(その3) ~共感力は相手の真の自立を助けます~

Column 2014 No.12

 市内の電車の中で二人の婦人の会話が耳に入ってきました。

A婦人 「私ね、この連休に東京に行ってきたのよ!」
B婦人 「私は岡山の美術館に行ってきたの!」
A婦人 「東京ってやっぱり都会よねえ!活気があるし見たいものはなんでもあるし!」
B婦人 「美術館で私は久々に心が洗われたわあ!」
A婦人 「都会ってやっぱり洗練されてていいよ!」
B婦人 「あなたってさっきから都会都会って言ってるけど、地方には地方のよさがあるんじゃない?都会コンプレックスじゃないの?・・・・」
A婦人 「・・・・・・・・・」
B婦人 「・・・・・・・・・」

 ざっとこんな会話でしたが、どうやら二人の会話は途中で止まってしまい、気まずい雰囲気が漂ったようでした。こんな会話って結構多いと思いませんか。相手側の発言を聞いているのかいないのか、お互いに自分の言いたいことだけを言い放っています。

 もしこの会話が次のようであればどうだったでしょう。

A婦人 「私ね、この連休に東京に行ってきたのよ!」
B婦人 そうなの!東京に行ったんだね・・・。実は私は岡山の美術館に行ってきたのよ!」
A婦人 そう!美術館もいいよねえ。東京もなかなかよ。活気があるし見たいものはなんでもあるし・・・」
B婦人 そうね!さすが東京よね。それでどこに行ったの?」
A婦人 「うん、六本木あたりを散策したのよ。楽しかったよ!・・・・ところで美術館はどうだったの?」

 このような会話の運び方が実は、共感(親業では能動的な聞き方)をベースにした自分も相手も大切にしたコミュニケーションです。この流れの会話であれば、B婦人の「・・・・都会コンプレックスじゃないの?・・・・」のような皮肉っぽいメッセージは決して出てはこなかったでしょう。

 次の例は保健師(Mさん)と82歳の老婦人(Kさん)の会話です

Kさん 「こんな体になって、早くお迎えが来なくてはいけません」
Mさん 早くお迎えに来てほしいんですねえ・・・・・・・・共感
Kさん 「早く死ななきゃいけません」
Mさん 死にたいようなお気もちなんですねえ・・・」・・・・・・・・共感
Kさん 「みんなに迷惑をかけているから死んだ方がいいの」
Mさん みんなに迷惑をかけていると思うから早く死んだ方がいいと思うんですねえ・・・・・・・・共感
Kさん 「そうなんよ!・・・・でも死にたくないよ!死にたくないんよ!」
Mさん 本当は死にたくないんですねえ・・・」・・・・・・・・共感
Kさん 「うん・・・」
Mさん 「そうね。お迎えが来るまではちゃんと生きとかんといけんのよ!Kさんの世話をするのはみんな嫌じゃないんよ。ご飯をいっぱい食べてみんなを喜ばせてね」・・・・・自己表現
Kさん 「はい!」

Mさんの感想:
何度もKさんに会っていますが「死にたくない」という本音を聞いたのは初めてでした。共感をもって能動的に聞くということは、無心になってその人の思いをそのまま受けとめることなんだと思いました。ごまかしたり慰めたりするのではなく、相手のそのままの気持ちを丸ごと受け止めることなんだと知りました。無心に聴くことで相手が結論を出すことをお手伝いできるのです。

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共感的コミュニケーションのポイント

☆ 相手が言ったことを黙って聴いたり、あいづちを打ちながら聴く
☆ 相手が言ったことをそのまま繰り返してみる
☆ 相手が言っているその背景にある気持ちを汲んでみる

 これは簡単なようですがやはり練習が必要です。
 特に子どもを育てている親御さんは、子どもを自立させるためには何はともあれ共感力が要ります。親の考えを受け入れ過ぎて自分の人生が生き辛くなっている子ども達をあまりにも沢山見てきました。

 子どもが今考えていること、またその子の心の中におき湧いている嬉しい気持ち、悲しい気持ち、つらい気持ち、悔しい気持ちをそのままに受け止め、共感力で受け入れていく。すると感情が発散でき、その子の中にある混乱が自然に整理できていくのです。

 そして見失っていた自分を取り戻していけるのです。気持ちが整理できたら、やがてその子の中からその子なりの答えが必ずやってきます。またその答えで生きさせてみることが、その子どもの真の自立へのプロセスに大きく繋がっていくのです。

 多くの心理学者や精神科医は研究の結果次のように言っています

当人の考えた解決策に従わせることが一番信頼できる。
当人の人生において彼の考えた解決策はどんなものであれ、
実は当人にとって一番ベストな解決策である。



*次回のコラムは9月10日前後の予定です。