2014年4月11日金曜日

面白きことのなき世を面白く (その2)

Column 2014 No.6

面白きことのなき世を面白く
- 高 杉 晋 作 -

 仏門を敬虔に求道していた今は亡き祖父は、こんなことを言っていました。
「人間はなあ。修行のために生まれてきとるんでえ。人間に生まれたら“生(しょう)老(ろう)病死(びょうし)”の苦しみからは誰一人逃れられんのじゃ。生まれくる苦しみ、生きる苦しみ、老いていく苦しみ、病む苦しみそして必ずくる死の苦しみ。しかしこの苦しみがあるけえのお、人間は上っ調子にならず、悩み苦しみながら自分の生き方を反省したり、気付いたり、そうやって魂は成長していくんよのお・・・・」みたいなことを孫の私に時々言って聴かせていました。

 そのころの私には祖父の言っていることがよく解りませんでした。
“そんな苦しみがあるなんていやだなあ。恐いなあ”程度の理解でした。しかし“生(しょう)老(ろう)病死(びょうし)”という言葉は妙に脳裏に焼きついていました。

 そして年齢を重ね、自分の体験も重ねていくに従って、“なるほど!生きるということは“生老病死”に縁のない人は一人もいないんだなあ・・・。生きるということはまさに修行なのかもしれない。人間て何といとおしい存在なんだろう・・・”と祖父の言っていたことが身にしみ腑に落ちる年齢になりました。

 そして思うのです。だからこそ高杉晋作のいう「面白きことのなき世を面白く」生きていくことの大切さがあるのではないかと。すべきことだけをして人生しかめ面をして“生老病死”に翻弄されながら一生を生きていくのか。あるいは小さな晴れ間を大切に、心が喜ぶことを本気でやり、笑い、喜び、楽しんで、緊張したエネルギーを発散し、生きるエネルギーを蓄えながら“生老病死”をも受け入れて、心強く生きていくのか!

 私は後者の生き方を選びたいと思いました(*前回コラム)。それまでの私は心が喜んでいないから慢性的に不機嫌で、子どもに対しても些細なことで腹を立て、すべきことを要求したり神経質に勉強させたり躾けたり・・・。子どもは本当に苦しかったことでしょう。しかしこれこそが親の愛だと確信していたわけですから始末が悪い・・・。

 しかし私自身が心が喜ぶことを選択し、自分の世界を築いていくに従って、これまで確信していたそれは本当の愛ではなかった、申し訳ないことだったと心から気付いたのでした。

 こうして私自身の心の縛りがほどけてくるに従って、なんと!時を得たように長男が不良(*差別言葉であればお許しください)の仲間と付き合いを始め、タバコは吸う、ヘアスタイルはツンツン、勉強とは全く無縁の人となりました。成績は目も当てられない状態。しかし私の心は全く騒がない。“これでよし!これでよし!”と不思議なくらい心の底から思えるのでした。

 親に嵌められた足かせを思い切って外さなければならない“善き時”をただ迎えただけなのです。この子はここを通らなければ次のステップには決して向えないことを私は確信していましたし、彼の無意識層もそれをわかっていたのだと思います。荒れた生活になったわが子を、不動心で見つめ守れたことは、真面目で不機嫌だった以前の自分からは想像できないことでした。ちなみに長男は拍子抜けするほどに素敵な紳士に今は変身しています(笑)。このホームページを立ち上げてくれたのも実は彼です。

 コラムのNo.1で書きましたお釈迦様の“自分ほど尊く大切な存在はない・・・” まず自分を愛せよ・・・この言葉の深い意味を、まだ入り口ではありますが体験した感じがしました。

 “世の中が良くなれば、みんな幸せになる!”その信念で、自分の出来ることで真摯に社会へ貢献している人々が沢山あります。まさに尊敬に値する方々であり、頭がさがります。

 一方、世の中がいかなる状態であろうとも心揺るがさず、一人一人が自分の存在に責任を持ち、生きたい人生を創造し、それを心から楽しみ、自身の心の平和を保っている。そんな愛に満ちた人から“発信される信念・情報”は、自ずからまわりに人々を引き寄せて感化し、その場は光の場と化すことでしょう。

 そう! 一隅を照らせるそんな人々の“光の場”が、あちこちに増えていくに従って、やがて地球世界は一瞬にして進化を遂げる日がくる!
 そう思えてならないのです


 もと外科医師であった帯津良一氏は、現役時代「死を恐れない人はどんな人ですか・・」の質問に次のように答えています。

“自分の人生において、やりたいと思ったことをほぼやったという実感を持っている人の多くは、死を恐れず静かに穏やかに移行されますね・・・“


*次回のコラムは4月30日前後の予定です

4 件のコメント:

  1. 以前、「命がなくなる時だけは自分の意思だけではどうにもならない・・・」と
    何かで聞いた言葉を想い出いました。
     逆に言えば それ以外は自分の意思で如何様にもなる ってことなんですよね。

    自分のその時に会うまで自分の人生、自分で創って行き・生きたい とコラムを読んで改めて思いました。

    何か起きた時は 上っ調子にならず、気づけよ・・ と自分に自分が教えているのですね。

    返信削除
    返信
    1. Moonさま
      おっしゃっていること深いですね。そう、祖父が言っていたことはそういうことだと思います。人は苦しみや悩みがあるからこそ自省し、気づき、魂は成長していくのだと…。この人生を終えるその日を迎えるまでmoonさんのおっしゃるようにいきたい人生を創造し、気付きながら果敢に生きて行きましょうね。お互いに!

      削除
  2. コラムを最初から全部続けて読ませていただきました。
    何だか、もやもやが渦巻いていたものですから。

    一つ一つのコラムに、なるほどなるほど、と気づきをいただきながら、読み進むうちに
    前向きになれて、気が楽になってきました。

    そうだった!私には親業がある!!と・・・

    ありがとうございました。



    返信削除
  3. 匿名さま

    コラムを全部通して読んで下さった由、有難うございました。
    "私には 親業がある" ほんと!お互いに心強いですよね。

    返信削除

コメントをどうぞ☆