2015年3月21日土曜日

情けない自分で生きることを自分に許してあげましょう

Column 2015 No.22

情けない自分で生きることを自分に許してあげましょう
町田宗鳳

ウオルト・デイズニーのミュージカルアニメ「アナと雪の女王」が空前の大ヒットブームを巻き起こしました。興味深いのは小さな子どもから大人までこのアニメの魅力に引き込まれたといいます。美容院のスタッフの人が言っていました「ひとり雪山に逃げ込んだエルサが、“ありのままに…”を絶唱する場面に来ると、母親と一緒に来ている子どもたちがどの子も食い入るように画面を見つめるんですよ!」と。

 「…ありのままの姿を見せるのよ! ありのままの自分になるの!これでいいの。自分を好きになって…。これでいいの…」子どもたちがこのあたりの歌詞をしっかり覚えて誇らしそうに唄っているのを耳にすると、分かって歌っているのかも…と不思議な気持ちになります。

 「ありのままの自分で生きたい!」という願望は、確かに今の時代多くの人の心に燃えはじめているような気がします。しかし

 ありのままにってな~に?
 ありのままに生きるってどんなに生きること?
 どうしたらありのままになれるの?

 解るようで解らない、この“ありのままに…”というイメージを求めて、私自身もどれだけ試行錯誤を重ねてきたことでしょう…。周りの人たちにも「あなたがありのままでいれるってどんなとき?」などと質問を続けたこともあります。こんな答えが来ました。

 やりたいことに夢中になっているとき
 他人(ひと)は人、自分は自分と思えてるとき
 おしゃれなども決めて今日の自分は完璧だと思えるとき(笑)…等々

 答えは様々ですが、どの人の答えも一理あってとても興味深いものでした。しかし例えひとときはそう思えたとしても永続性はなく、そう思えない日はやっぱり自分のままでは駄目なんだと、自信のない自分に舞い戻ってしまう…と多くの人は語っていました。しかし本気でそれを念じている人は、かなり手に入っているとも話していました。

 そんなとき町田氏の「情けない自分のままで生きることを自分に許して…」というフレーズは妙に私の心にしっくりと届いたのでした。実は仏教を熱心に求道していた私の祖父が煩悩即菩提という仏教用語を私に示してその意味を語ってくれていたこととすっと繋がったからです。「…人の心はなかなか度(ど)し難いもんだ。しかし仏さんは罪悪深重の凡夫の我々をそのまんま許して下さっている。仏さんを胸に抱いて生きていさへすれば、煩悩を抱えた凡夫のまんまで平安な世界へと導いて下さるんだ。それが煩悩即菩提という意味なんだよ…」と語ってくれていました。まさに他力本願を旨とする浄土真宗ならではの祖父の法話でした。

 祖父が言っていたことをそのままに受け取れば、神さまは煩悩を抱えた私たちをそのまま許して下さっているというのに、私たちは何故、かくも厳しく自分を罰したり深い罪悪感でがんじがらめにしてしまうのでしょうか。 町田氏の言うように、もうそろそろ“情けない自分のままで生きる”ことを自分に許してあげてもいいのではないでしょうか。私たちはもう充分に苦しんできました…。充分に自分を正す努力もしてきました…。

 親業では自分にも他者にも価値判断を一切加えないで次のように事実だけを見ていこうと勧めています(コラムNo7参照

 私はこんなときこういうふうに怒ってしまうんだなあ
 私はこんな場面で疎外感を感じてしまうんだなあ
 私はこんなとき自分以上に自分を見せたがるんだなあ
 私はこんなとき簡単に自信を失ってしまうんだなあ……のように

 決して自分を苛めたりその感情と闘ったりしないで、自分の行動を真っ直ぐに見ていく訓練を重ねていくうちに、自分の思いの癖や想いの傾向にどんどん気づいていきます。そのうち私の中に、情けない自分への愛おしさのような感情も湧いてくるのでした。不安におののく自分、罪悪感に苦しむ自分…を“いい・悪い”の判断をしないでそのまま見つめていく。

 愛せない自分をそのまんま丸ごと愛してあげる! 今、私は自分の中のすべてを“赦してそして赦して”生きていきたいと思っています。そして町田氏のいう“情けない自分のままで生きる”ことを心から受け入れてあげたいと思っています。

困難や自分の欠点と四つに組んで闘わなくても、
ただ気づいているだけでそこを通り抜けられる
~井辻朱美~

その通りだと思います! ネガテイブな感情とどんなに戦っても克服は出来ません。そのまま事実を見て、感じて(気づいて)愛をもって果敢に手放していく! 感情は私たちが生んだ子どもです。幼い子供と同じで、愛し受容してあげたら、安心して感情の方からすっと離れていきます。

 情けない自分そのままで生きていくんだ!という気合いだけでも多分難しいでしょう。一瞬一瞬、自分の感情にきちんと気づいて、情けない自分をその都度その都度許していく。その絶え間ない自分自身への無条件の赦しの愛が、いま私たちにとても重要なのではないでしょうか。また私たち一人ひとりの自分への赦しと心の平安こそが今、人類の平和への偉大な貢献へと繋がるのではないかと…。

 「アナと雪の女王」に戻りますが、王家の姉妹エルサとアナ。姉のエルサは自分の“禁断の力”をどのように制御したらよいかわからず、はからずも王国を凍り付いた冬にしてしまう。追い込まれた姉エルサを想い、危険を冒しながらもその解決に向かって共に歩もうとした妹アナの無条件の愛と勇気には心揺さぶられるものがありましたた。

 そしてクライマックスは姉のエルサを守ろうとして氷になってしまった妹アナを、エルサが心からの深い悲しみと心からの愛で包んだとき、アナを覆っていた氷は徐々に解け始めた。傍で見つめていた雪だるまのオラフが「…真実の愛が氷を溶かしたんだあ!…」とつぶやくと「そう!愛よ!」と、そこでエルサは「愛」こそが自分が持つ“禁断の力”を支配できる源だったのだと初めて気づくのでした。自分の中の真実の愛に目覚めた女王エルサは、自分が持つその“禁断の力”を愛の力でみごとに支配できるようになったのです。そしてその神秘的な力を活かし、国民を平安に導いていったというストーリーです。

 私たちも、もしかして「情けない自分自身への無条件の赦しの愛」を心に抱いて生きればそれが、私達の固く凍り付いた心の扉を溶かし、やがてその扉の奥にある、真実の自分、マズローの言う高次の自分に出逢える日が、必ず訪れてくるのではないか…アニメを観ながらしみじみと思ったことでした。「自分への無条件の赦しの愛」こそがその答えではないかと…。


*次回のコラムは4月20日前後の予定です。

6 件のコメント:

  1. そうなんです。自分を認めることなんです。
    昨夜、夫が作ってくれた夕ご飯を、夫の希望通りにして食べなかった(卵どんぶりにして食べること)私に、「せっかく作ったのに、ちゃんと食べないので腹が立つ!!」
    と言ったのです。
    その言葉に、恐怖を感じて『どうしよう』と困ったり、逃げよう、避けようとしている自分がいました。まずは、会わないようにしました。別室でTVを見ていましたから、私が動かなかったのです。時間がたち、夫は早くに二階へ上がって寝てしまいました。
    それを、『やった!』と喜ぶ私。でも、明日の朝はどんな顔をして会えばいいのだろうと悶々とする私。
    暫くして、パソコンを開いて、この事実を書きながら考えていると、冷静になってきて、夫のやって欲しかったことが分かり、自分がしたくなかったことが分かりました。

    そこで、いつもやるように『私はどうしたい?』と聞き、このまま自然に会えば普通に話せばいいんだと分かりました。

    今朝、自然体で接する事ができました。
    自分は、夫の不機嫌や怒る声に怯えているんだ。だから、逃げようとしているんだよね。と自分で認めることが出来、冷静に自分の気持ちを見つめることができました。

    やったね。夫も直ぐには普通の状態にはなりませんでしたが、夕方には戻っていました。

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    1. Kiyokoさま

      Kiyokoさん 混乱しましたねえ。「えっ!こんなことで何故怒るの?!」って。そして恐いから、つい何時ものパターンだと震えたり逃げたり…ねえ。

      しかしKiyokoさんは、ふと自分の思いを確かめたく パソコンに向かわれた! そして自分の思い・行動をまっすぐ事実を書いてみたんですね。

      私は夫の望む食べ方ではなく、自分が食べたい食べ方で食べた
      夫が不機嫌に怒鳴る声に怯えたわたし
      怖くて何処かに逃げたいわたし

      「明日の朝どうしよう!」とパニックになっていたけれど、こうして事実を書いてみると気持ちが落ちついてきて、自分の行動計画が見えてきた! 怒りは夫の感情。お詫びをいう事柄ではない。私は普段通りの態度で接すればいいんだ…と。

      その結果「自然体で接することができました」とkiyokoさん!
      そう! 事実の行動・思いを見つめてみることの大切さです。kiyokoさんはこうして相手に振りまわされることからさらに自由になられることでしょう。

      私たちはぼんやりしていると他人の感情にどんどん巻き込まれ、罪悪感に翻弄されて、下手をすると一度しかない人生を棒に振ってしまい兼ねません。自分自身からは決してぶれない生き方をしましょう。

      Kiyokoさん やりましたね!!

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  2. 数年前(親業を習って数年後)・・・私も周りのみんなも「今の自分」じゃなくて
    「違う人物」になりたくてもがいているのかなぁ?と思い、その後、

    このある程度出来上がった自分は思考は変えられてももっと深い所は
    変えるんじゃなくて折り合いをつけて生きていくってことなのかなぁ・・・
    と感じたことを思い出しました。

    この時思った 「折り合いをつけて行く」 は情けない自分を受け入れて行く
    のことか?・・・とあれから数年後の今コラムを読んで思います。

    長い間蓄積されてきた自分の深い部分・・・そこは愛しい個性にもなってると思うのです。
    だから 「情けない自分で生きることを自分に許して・・・欠点と四つに組んで闘わなくても、
    ただ気づいているだけでそこを通り抜けられる」  と教えてくださるのでしょうか?


    エルサのあの綺麗な氷の城、なぜか私も1人になりたい時にあのお城が欲しい!と
    思いました。エルサの着ていた綺麗なドレスも!

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    1. MOONさま

      "情けない自分で生きることを許して…"ということと"折り合いをつけながら" ということは 、もしかして同じかもしれないのですが、"情けない自分で生きることを自分に許して…" は情けない自分に気付いても たださっぱりと無条件に同居を許して そのままで生きていこう…という「無条件の赦し」がニュアンスとして伝わってきませんか。

      私自身、自分の中で葛藤があるときなど 折り合いをつけながら生きてきましたし とても気に入っています。しかし葛藤を持ったまんま、自信を失ったまんまの自分で生きていいんじゃないの?という問いかけはとても新鮮で "ありのままに生きる " ということの答えでもあるな…と感じたのです。でも生きて行く上で"折り合い"もすごく大切! 両方大事に生きていきたいと思います。そう!自分の気持ちや感情と闘わないことですね!

      そうそう!エルサの氷のお城 何と格調高く神秘的で美しいのでしょう!でもエルサは氷のお城の中でどうやって眠るんだろう…。きっと雪の女王だから大丈夫よね… と心配しながら観たことでした(笑)

      本当に内容のある素敵なアニメでしたね!

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  3. 『エルサが深い悲しみと心からの愛で包んだとき、アナの雪が徐々に溶け始めた』これを読んで、私と子供との関係を思い出しました。

    ずっと、子供の行動を受け入れられず、しかも生き方に思い悩んでいた私。がエルサ。
    私を小さな体で命懸けで学ばせてくれた子供。がアナ。

    しかし、親業や子供から学び、少しずつ子供の
    行動を受け入れ見守ることができるようになった時、子供の行動が大きく変化してきたと感じています。
    これが、アナの氷を愛で溶かしたいきさつにすごく似てると感じています。
    子供はきっと無意識だけど、エルサのように無条件の愛と勇気を持って、私の難しさに立ち向かってくれた。
    その愛を受け、私がたくさんのことに気付き、ありのままの子供の姿を受け入れるという私なりの愛で、子供の心の氷を溶かし始めた。

    本当に、愛でしか相手の心の氷は溶かせないと日々感じています。

    でも、わかっているのに愛以外の方法を使ってしまうときがある。情けない自分。

    そして、ただ気づいて、愛をもって流してあげるだけでいいとわかっていても、その後に自分を責めてしまう情けない自分。

    気づいただけで終われない自分の思考の癖に、本当に悪戦苦闘しています。

    いつの日か、情けない自分をそのまま愛をもって、子供のように許してあげれる自分になりたいと、強く強く願っています。そんな自分を想像した時、すごく自由で深い本当の愛をもった、穏やかな心と表情をしている自分がいます。どんなことをしてでも、いつの日かそこに行きたい!

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    1. アムールさま

      「アナと雪の女王」の物語から ご自分とお子さまを照らし合わせながら色々感じられたことをコメント下さいましたね。

      子供の行動を受け入れられず、方策もわからず悩んでいらしたお母さんのエルサ。一方小さな体を張って命懸けでお母さんを守り学ばせてくれたお子のアナ。

      決して諦めないお子の無条件の愛と勇気は お母さんの心の氷を徐々に溶かしていきました。その結果 お子から学んだその「愛」でもって今度は子どもの凍った心を溶かしていったお母さん!

      「本当に愛でしか相手の心の氷は溶かせないと日々感じています」というアムールさんの一文 に大共感し 心打たれたことでした。

      しかし時に お母さんは解りつつも つい「愛」以外の方法でお子に接してしまい "ああ申し訳なかった…"と その度に大反省…。そして気付いたんだから今回のコラムのテーマのように もう自分を許してあげたい…と思うのになかなか赦せない自分の思いの癖と 悪戦苦闘してしまうんですねえ…。解っているだけに余計に苦しいんですねえ…。

      でも最後の方のアムールさんの一文「いつの日か情けない自分そのままを愛をもって許してあげられる自分になりたいと強く強く願っています…」と書かれていましたね。 本気の願いは必ず叶います! お互いに自分自身への無条件の赦しの愛をその都度思い出して 自分にかけてあげましょうね。 近い将来 アムールさんは あなたのイメージの場所へとたどり着かれるはずです。

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