今、この瞬間を幸せでいましょう。それで充分です
マザー・テレサ
Column 2017 No.50
次の一文(作者不詳)は、ずっと以前、受講者のK・Mさんが私に送って下さったものです。
最初 私は高校を卒業し、大学に入ることばかり考えていた
その次には 大学を卒業し、就職することばかり考えていた
その次には 結婚をして、子どもを持つことばかり考えていた
その次には 私が再就職出来るように、早く子どもが大きくなって小学校に上がってくれることばかりを考えていた
その次には退職することばかり考えていた
そしてもうすぐ「死ぬ」という今になって‥‥ふと、“生きる”ということを忘れてきたと気がついた
先日、久しぶりに出逢ったこの一文に、私は再び引き込まれました。私自身、今を生きることの大切さを理解し、今に意識を置いて生きようと、心してきたつもりではいたけれど、この作者と同じように、人生の終盤に近づきつつある今、本当に“生きてきただろうか…”と、あらためて自分の人生を振り返ってみる気持ちになるのでした。
確かに、私は懸命に子どもを育て上げ、また仕事も頑張って一応の成果もあげてはきたけれど、心の一隅に時折よぎる、虚しさや、寂しさ・憂うつ感…はいったい何だろう。機関車のように前だけに向かって懸命に生き抜いてはきたけれど周りの景色をゆったりと眺めてきただろうか…。いつも先々起ってくることを予測して、仕事においても何事においても、用意周到に準備をして臨んできたけれど、自分の成果を楽しんだり、評価してあげてきただろうか…。
5月の中半、娘と久々に佐伯区の植物公園に行きました。暑くもなく寒くもなく心地いい天候でした。可憐な花、エレガントな花、堂々とした花々たちが、精一杯自分の花を咲かせていました。花々と心を通わせながら丁寧に見ていきました。時折聴こえてくる鳥たちの声にも耳を傾けました。ベンチに腰を下ろしてソフトクリームを食べながら空を眺めると、綿菓子のような雲が浮かんでいました。何という幸せなひとときだろう…。時間が止まっているような感覚がありました。時間に追われるような日々の感覚が、遠くに感じられるようなひとときでした。明日の仕事のことも、今夜の夕食のことも考えていませんでした。そのひとときがただ心地よく、心も身体も平安と喜びに満ちていたのです。久々に今のひとときを楽しんでいる感覚です。
過去に生きることはよそう。今を生きよう。
食べているときには食べ、愛しているときには愛そう。
誰かとおしゃべりをしているときにはしゃべり、
花を見ているときには花を見よう
そして瞬間の美しさをつかみとろう
以前コラムで取り上げたレオ・バスカリアの詩を思い出しました。そう!躍動している命が感じられるのは、過去でも未来でもない。まさに「今」だけなんだなあ…と、無心に咲く花々や広い空を眺めながら改めて実感したのでした。本当の自分に出逢えたような安堵感…。前だけを見つめて生きることも素敵だけれど、時には周りの景色を眺めたり、こうして心赴くままに降り立って、すべての日常から離れてみる…。こんな機会をもっともっと自分に与えてあげたい…そう思いました。何故なら本当に生きている実感は、こうしてゆったりと自分の心に出逢ってあげているときなんだなあ…と改めて気付いたからです。
しかし世の中は楽しいことばかりではありません。つまり、晴天もあれば雨天もある…。
誰にだってあるんだよ 人には言えない苦しみが…
誰にだってあるんだよ 人には言えない哀しみが…
ただ黙っているだけなんだよ… 相田 みつを
心地いい幸福がずっと続くなんて誰も信じてはいないでしょう。その通りです。人生には色々と予期せぬことが起こってきて、希望を失いかけることもあるものです。しかし、本当の自分に出逢うということは、苦しい場面であっても逃げないで、幸せな場面と同じように、そのひとときの住人になることだと思うのです。
ネガテイブな感情も優しく見つめてあげてください。
それを味わうために人として生まれてきたのだから。 日木 流奈
ネガテイブな感情も私たちの大切な一部です。静かに呼吸を意識しながら、苦しいひとときの自分、哀しいひとときの自分と共にいてあげる。しかし長居をする必要はないのです。感じては見送り、感じては手放す…。あとは気持ちの赴くままに心が喜ぶことをやってあげたらいいのだと思います。何故なら私たちの心は本当はいつも喜んでいたいから…。
喜びも哀しみも私の人生の大切な伴侶…。「今を生きる」ということは、現在に集中できる能力です。うわの空にならないように、瞬間瞬間を感じて生きていく。
自分を揺すって絶えず目覚めていよう…。
今日を心ゆくまで味わって生きるのだ。 デール・カーネギー
“自分を揺すって絶えず目覚めて…”というカーネギーのフレーズは、私の心を沸き立たせるものでした。まさに現実は“いま”だけ!そしてそれが本当の自分に出逢っているひととき…。目を覚まして、思い切り感じて、生きていこう。
昨日は去りました。明日はまだ来ていません。
私たちはただ今日あるのみ。さあ始めましょう。 マザー・テレサ
最初 私は高校を卒業し、大学に入ることばかり考えていた
その次には 大学を卒業し、就職することばかり考えていた
その次には 結婚をして、子どもを持つことばかり考えていた
その次には 私が再就職出来るように、早く子どもが大きくなって小学校に上がってくれることばかりを考えていた
その次には退職することばかり考えていた
そしてもうすぐ「死ぬ」という今になって‥‥ふと、“生きる”ということを忘れてきたと気がついた
先日、久しぶりに出逢ったこの一文に、私は再び引き込まれました。私自身、今を生きることの大切さを理解し、今に意識を置いて生きようと、心してきたつもりではいたけれど、この作者と同じように、人生の終盤に近づきつつある今、本当に“生きてきただろうか…”と、あらためて自分の人生を振り返ってみる気持ちになるのでした。
確かに、私は懸命に子どもを育て上げ、また仕事も頑張って一応の成果もあげてはきたけれど、心の一隅に時折よぎる、虚しさや、寂しさ・憂うつ感…はいったい何だろう。機関車のように前だけに向かって懸命に生き抜いてはきたけれど周りの景色をゆったりと眺めてきただろうか…。いつも先々起ってくることを予測して、仕事においても何事においても、用意周到に準備をして臨んできたけれど、自分の成果を楽しんだり、評価してあげてきただろうか…。
5月の中半、娘と久々に佐伯区の植物公園に行きました。暑くもなく寒くもなく心地いい天候でした。可憐な花、エレガントな花、堂々とした花々たちが、精一杯自分の花を咲かせていました。花々と心を通わせながら丁寧に見ていきました。時折聴こえてくる鳥たちの声にも耳を傾けました。ベンチに腰を下ろしてソフトクリームを食べながら空を眺めると、綿菓子のような雲が浮かんでいました。何という幸せなひとときだろう…。時間が止まっているような感覚がありました。時間に追われるような日々の感覚が、遠くに感じられるようなひとときでした。明日の仕事のことも、今夜の夕食のことも考えていませんでした。そのひとときがただ心地よく、心も身体も平安と喜びに満ちていたのです。久々に今のひとときを楽しんでいる感覚です。
過去に生きることはよそう。今を生きよう。
食べているときには食べ、愛しているときには愛そう。
誰かとおしゃべりをしているときにはしゃべり、
花を見ているときには花を見よう
そして瞬間の美しさをつかみとろう
以前コラムで取り上げたレオ・バスカリアの詩を思い出しました。そう!躍動している命が感じられるのは、過去でも未来でもない。まさに「今」だけなんだなあ…と、無心に咲く花々や広い空を眺めながら改めて実感したのでした。本当の自分に出逢えたような安堵感…。前だけを見つめて生きることも素敵だけれど、時には周りの景色を眺めたり、こうして心赴くままに降り立って、すべての日常から離れてみる…。こんな機会をもっともっと自分に与えてあげたい…そう思いました。何故なら本当に生きている実感は、こうしてゆったりと自分の心に出逢ってあげているときなんだなあ…と改めて気付いたからです。
しかし世の中は楽しいことばかりではありません。つまり、晴天もあれば雨天もある…。
誰にだってあるんだよ 人には言えない苦しみが…
誰にだってあるんだよ 人には言えない哀しみが…
ただ黙っているだけなんだよ… 相田 みつを
心地いい幸福がずっと続くなんて誰も信じてはいないでしょう。その通りです。人生には色々と予期せぬことが起こってきて、希望を失いかけることもあるものです。しかし、本当の自分に出逢うということは、苦しい場面であっても逃げないで、幸せな場面と同じように、そのひとときの住人になることだと思うのです。
ネガテイブな感情も優しく見つめてあげてください。
それを味わうために人として生まれてきたのだから。 日木 流奈
ネガテイブな感情も私たちの大切な一部です。静かに呼吸を意識しながら、苦しいひとときの自分、哀しいひとときの自分と共にいてあげる。しかし長居をする必要はないのです。感じては見送り、感じては手放す…。あとは気持ちの赴くままに心が喜ぶことをやってあげたらいいのだと思います。何故なら私たちの心は本当はいつも喜んでいたいから…。
喜びも哀しみも私の人生の大切な伴侶…。「今を生きる」ということは、現在に集中できる能力です。うわの空にならないように、瞬間瞬間を感じて生きていく。
自分を揺すって絶えず目覚めていよう…。
今日を心ゆくまで味わって生きるのだ。 デール・カーネギー
“自分を揺すって絶えず目覚めて…”というカーネギーのフレーズは、私の心を沸き立たせるものでした。まさに現実は“いま”だけ!そしてそれが本当の自分に出逢っているひととき…。目を覚まして、思い切り感じて、生きていこう。
昨日は去りました。明日はまだ来ていません。
私たちはただ今日あるのみ。さあ始めましょう。 マザー・テレサ
コラムを読んで「今を生きる」を意識しながら過ごしています。
返信削除とてもシンプルであるのにすんなりとは行かないんです。
どうしても頭が働きます。これまでの情報と経験を脳の中で結びつけ過去と未来を考えます。
でも、感情が動いているとき(マイナス感情でもプラス感情でも)って今を生きてる感覚があります。
そこから辿ると自分に自分の気持ちを聞く、自分の感情と語ることが今を生きるヒントなのかな。過去のデータに照らし合わせることでなく、今の気持ちは?と確認する。
マザー・テレサもデータより 目の前にいる人、と自分の気持ちを感じながら生きておられたのでしょうか・・・。
自分から複雑にしないで自分でシンプルにする!
その時の心の喜ぶこと、心地よいことを見つけながら生きていきたいです。
MOONさま
削除MOONさんからのコメントに「感情が動いているとき(マイナス感情もプラス感情も)って生きてる感覚があります」という一文がありました。本当にその通りです! 今を感じるベースはまさに感情ですものね! 今この「感情」だけが生きている実感です。だから親業では "感じてください" "どんな感情からも 逃げないでください" と伝えます。
だからネガティヴな感情も 楽しむくらいの客観性を持って感じてみると 今のこのひとときはきっと光輝きますよね! マザーテレサは そのひとときの 感情の輝きを知っていた人だと思います。
そう! 仰っているように一度しかない人生 自分で複雑にしないで 瞬間の輝きを選びとって シンプルに!シンプルに! 生きていきたいものですね。お互いに!
今まで、結構後先を考えて、行動していました。今もそうですが。
返信削除でも、瞬間を喜ぶことも時折しています。
人間関係の講座で、右肩上がりの気持ちで生きていた自分に気づき、もっと自分を労わろう(慰めよう。認めよう)と思ったのを思い出しました。
よく「心が喜ぶことをしましょう」と先生に言われて、しんどい時は、今の私は何が喜ぶことなのか考えて見つけ出し、ホッとしています。
自分に正直に生きることの大切さ、自分にうそをつかないことの誠実さ。これらは今を生きるためのとても大事なことですね。
今一度、自分に嘘をつかないように心がけていきたいなと思いなおしました。
ありがとうございました。
Kiyokoさま
削除無意識に私たちは 今を生きるよりも 過去を悔いたり 未来を不安で色塗ったりしていますよね。勿論 生きる上では 過去から学んだり、準備することで未来を迎えることは必要なことであり とても大切なことだと思います。
ただ 本当に命が躍動しているのは今だけです。「今」を生きなかったら やっぱり 生きた…という実感はもてないでしょうね。
昨日はヒストリー 明日はミステリー 今日はプレゼント
まさに "今日こそが 今こそが プレゼント" なんですよね! Kiyokoさんが仰っているように "自分に正直に生きることの大切さ。自分に嘘をつかないことの誠実さ" これこそが今を生きるために 実は一番大切な心のあり方ですね!