遺伝子のスイッチがONになったら、可能性が花開く
村上 和雄
Column 2019 No.77
東井義雄「心のスイッチ」
人間の目は 不思議な目
見ようという気もちがなかったら 見ていても見えない
人間の耳は 不思議な耳
聞こうという心がなかったら 聞いていても聞こえない
頭もそうだ
はじめからよい頭 悪い頭の区別があるのではないようだ
「よし!やるぞ!」と 心のスイッチが入ると
頭も すばらしい働きを しはじめる
心のスイッチが 人間を
つまらなくもし すばらしくもしていく
電灯のスイッチが 家に中を
明るくもし 暗くもするように
出典:東井義雄著「自分を育てるのは自分」(致知出版)
心に“スイッチ”が入ったとき、人は本気で変わる…と東井氏は言います。村上氏は“遺伝子のスイッチ”がオンになったとき、可能性は見事に花開く…と述べています。おそらく同じことを伝えているのだと思います。私たちの心や、遺伝子に、スイッチが入る動機には、色々あると思います。ある人は、高校の先生のあのひとことで…。名作を読んでいて…。映画を観て…。美しい大自然の中で…。そこには間違いなく、その人の心を打つ深い深い感動があったはずです。
椋(むく)氏が言うように、深い感動があったからこそ、その人の心に爆発が起こり、スイッチが入り、そこで心機一転! 生きる力に満ち満ちて、自分の進むべき道が、明確に見えてくるのでしょう。
コラムNo52でとりあげた工藤房美氏は癌の末期で余命1ヶ月と宣告され、絶望の淵にあったとき、村上氏の本に出逢いました。「そうか!DNAのうち、まだ眠っているDNAが95%もあるんだ!その眠っているDNAが目を覚ましてオンになったら私だって回復できるはず!」それは、絶望状態にあった彼女の心に爆発が起こりスイッチが入った瞬間でした。そして奇跡が起こり10ヶ月後、癌はすっかり消え、彼女は生還したのです。
コラムNo26でとりあげた野上文代氏は、長年の不妊治療の甲斐あって一度に3人の子どもを授かります。ところがMRI検査の結果、3人の子どものうち2人の子どもが、脳に異常のある脳性マヒと診断。野上氏は育児のストレスと、続く不眠で深刻な鬱状態に陥ります。子供を道連れに、死ぬことばかり毎日考えていたと言います。
ある日、障がいのある我が子が、酸素ボンベを付けたまま、自分の腕の中で、懸命に母乳を吸っている! 必死で生きようとしている! その姿に野上氏は大きな衝撃を受けたのです。音を立てて何かが弾けた!この時、野上氏の心にスイッチが入った瞬間でした。この子たちのためなら何でもするぞ!その日を機に、絶望の淵から雄々しく立ち上がったのです。やがて自分の体験を生かして、障がい児の為の施設を立ち上げ、現在も社会に大きく貢献しています。
私自身も体験しました。青年時代、重篤な鬱から立ち上がったときの経験を、今もはっきり覚えています。それは知人からの一通の葉書でした。「…人って、そんなに上等でしょうか。笑ったり、怒ったり、嫉妬したり、そんな、みっともない自分のまんまで、ああ今日も一日生きさせてもらったぞ、と有難く確認しながら、一日一日を、ただそうやって、自分は生きています…」 全く押しつけがましさのないその一枚の葉書は、私の心を揺さぶるように爆発を起こしたのです。“そうだ!もう自分を苛める(いじめる)ことは辞めよう。私のまんまで生きていいのだ!”…私の心がスイッチ・オンした瞬間でした。その日を機に、私は、数か月の挫折からみごとに立ち上がったのです。
確かに感動は“心に爆発”を起こします! またそれが東井氏や村上氏のいう“スイッチ・オン”の瞬間でもあるのですね。まさに眠っていた全細胞が目を覚まし、身体中にエナルギーが張り巡らされる…という感じです。特に挫折感が大きければ大きいほど、それは大きくやって来るような気がします。工藤房美氏にやってきたスイッチ・オンも、野上文代氏にやってきたスイッチ・オンも、深い深い挫折感の中でした。
私は、そのような辛い挫折感は、再び味わいたいとは思いません。しかし、心を爆発させるような「感動」は、今も忘れていないし、これからも求め続けたいと思っています。椋(むく)氏が言うように、感動こそが、一人ひとりの中に眠っている無限への扉を開いてくれるエネルギーなんだ…と気付いたからです。これからも、魂が思い切りわくわくすることを、心を込めて体験し、しっかり遊んで、そして感動して生きていこう…と思っています。
人間の目は 不思議な目
見ようという気もちがなかったら 見ていても見えない
人間の耳は 不思議な耳
聞こうという心がなかったら 聞いていても聞こえない
頭もそうだ
はじめからよい頭 悪い頭の区別があるのではないようだ
「よし!やるぞ!」と 心のスイッチが入ると
頭も すばらしい働きを しはじめる
心のスイッチが 人間を
つまらなくもし すばらしくもしていく
電灯のスイッチが 家に中を
明るくもし 暗くもするように
出典:東井義雄著「自分を育てるのは自分」(致知出版)
心に“スイッチ”が入ったとき、人は本気で変わる…と東井氏は言います。村上氏は“遺伝子のスイッチ”がオンになったとき、可能性は見事に花開く…と述べています。おそらく同じことを伝えているのだと思います。私たちの心や、遺伝子に、スイッチが入る動機には、色々あると思います。ある人は、高校の先生のあのひとことで…。名作を読んでいて…。映画を観て…。美しい大自然の中で…。そこには間違いなく、その人の心を打つ深い深い感動があったはずです。
感動は、心の爆発であり、大地震であり、それは人の心の扉を開く
椋 鳩十
椋(むく)氏が言うように、深い感動があったからこそ、その人の心に爆発が起こり、スイッチが入り、そこで心機一転! 生きる力に満ち満ちて、自分の進むべき道が、明確に見えてくるのでしょう。
コラムNo52でとりあげた工藤房美氏は癌の末期で余命1ヶ月と宣告され、絶望の淵にあったとき、村上氏の本に出逢いました。「そうか!DNAのうち、まだ眠っているDNAが95%もあるんだ!その眠っているDNAが目を覚ましてオンになったら私だって回復できるはず!」それは、絶望状態にあった彼女の心に爆発が起こりスイッチが入った瞬間でした。そして奇跡が起こり10ヶ月後、癌はすっかり消え、彼女は生還したのです。
コラムNo26でとりあげた野上文代氏は、長年の不妊治療の甲斐あって一度に3人の子どもを授かります。ところがMRI検査の結果、3人の子どものうち2人の子どもが、脳に異常のある脳性マヒと診断。野上氏は育児のストレスと、続く不眠で深刻な鬱状態に陥ります。子供を道連れに、死ぬことばかり毎日考えていたと言います。
ある日、障がいのある我が子が、酸素ボンベを付けたまま、自分の腕の中で、懸命に母乳を吸っている! 必死で生きようとしている! その姿に野上氏は大きな衝撃を受けたのです。音を立てて何かが弾けた!この時、野上氏の心にスイッチが入った瞬間でした。この子たちのためなら何でもするぞ!その日を機に、絶望の淵から雄々しく立ち上がったのです。やがて自分の体験を生かして、障がい児の為の施設を立ち上げ、現在も社会に大きく貢献しています。
私自身も体験しました。青年時代、重篤な鬱から立ち上がったときの経験を、今もはっきり覚えています。それは知人からの一通の葉書でした。「…人って、そんなに上等でしょうか。笑ったり、怒ったり、嫉妬したり、そんな、みっともない自分のまんまで、ああ今日も一日生きさせてもらったぞ、と有難く確認しながら、一日一日を、ただそうやって、自分は生きています…」 全く押しつけがましさのないその一枚の葉書は、私の心を揺さぶるように爆発を起こしたのです。“そうだ!もう自分を苛める(いじめる)ことは辞めよう。私のまんまで生きていいのだ!”…私の心がスイッチ・オンした瞬間でした。その日を機に、私は、数か月の挫折からみごとに立ち上がったのです。
確かに感動は“心に爆発”を起こします! またそれが東井氏や村上氏のいう“スイッチ・オン”の瞬間でもあるのですね。まさに眠っていた全細胞が目を覚まし、身体中にエナルギーが張り巡らされる…という感じです。特に挫折感が大きければ大きいほど、それは大きくやって来るような気がします。工藤房美氏にやってきたスイッチ・オンも、野上文代氏にやってきたスイッチ・オンも、深い深い挫折感の中でした。
私は、そのような辛い挫折感は、再び味わいたいとは思いません。しかし、心を爆発させるような「感動」は、今も忘れていないし、これからも求め続けたいと思っています。椋(むく)氏が言うように、感動こそが、一人ひとりの中に眠っている無限への扉を開いてくれるエネルギーなんだ…と気付いたからです。これからも、魂が思い切りわくわくすることを、心を込めて体験し、しっかり遊んで、そして感動して生きていこう…と思っています。
歳をとったから遊ばなくなるのではない。
遊ばなくなったから歳をとるのだ
バーナード・ショー
私も辛い挫折感は再び味わいたくないけど心を爆発させるような「感動」を求め続けて生きたいです。
返信削除子どもたちが小学生だった頃、私のスケジュール帳は子どもの習い事や子どもに関わる予定が書かれていました。ある時フッと「子どもたちが大きくなった時、このスケジュール帳は真っ白になるのだろうか・・・。私自身の予定で埋まることはないのだろうか・・・。」と不安になったことがあります。
あれから二十年近く経ち今、私のスケジュール帳は私自身の予定で一杯になっています。あの不安が明確になった時から意識的にも無意識にも心を爆発させるような「感動」を積み重ねて来たのかなぁ とコラムを読んで思いました。
私もこれからも感動を求め続けたいと思っています。
MOONさま
削除なるほど! 以前はお子たちの予定で 一杯になっていたスケジュール帳が、その頃のMOONさんの不安は嘘のように 今はご自身の予定で 一杯なんですねえ! ワクワクしますねえ!
仰っているように MOONさんは その頃に感じられた不安から 決して目を逸らさず ご自身の中で その不安な感情を 明確にされたので、意識的にも無意識的にも 心が喜ぶことや感動を求めて 真摯に生きてこられたのでしょうね。素晴らしいです!
お互いに これからも 心が爆発するような 感動を求めて ワクワクといきていきたいものですね。
コーラスを楽しんでいます。人から外れるはずれることもありです。でもみんなと声をあわせて歌えたときは身体からとてもうれしいって感じです。人前で歌うなんて 恥ずかしくて、、と思っていた自分がうそのように楽しんでいる自分がとてもキラキラ輝いているようで、なんだかとても自分が好きになりました。
返信削除数年前息子の深い悲しみにいた私は、どうしようもできなくて、先生から自分が心から喜ぶことを まず朝 自分がなにを食べたいか聞いてみてと教わました。簡単なことと思えるそのことが、実は結構難しく感じたのを覚えています。ある日友人の発表会を聞きに行って 自分も歌いたいなあと思ったのも、遺伝子がオンになった瞬間だったのですね。
その頃と同じ頃 息子もゴルフという兄弟共通の趣味にめざめ、めきめき上達し 今は生き生きとたくましく成長しました。遺伝子がオンになる瞬間 まさにあるんだなあと感じました。
自分が喜ぶことをすること感動すること、いっぱい感じてこれからも進んで生きたいと思います。
ももこさま
削除人前で歌うなんて とても恥ずかしくて…と、思っていらしたんですね。ところが ももこさんの友人の発表会で、スイッチ・オンが 訪れたのですねえ! 今、ももこさんは コーラスが楽しくてキラキラしたご自分が感じられて、そんな自分をいいな!好きだな!…と、思われているんですねえ!
息子さんにも試練があったけれど、息子さんの日常の中に やはり何か心を揺さぶられるような感動があり、爆発があったのでしょうね! 元気を取り戻されたお子さんを見るのは やはり親として心嬉しいことですよね!
私たちには 感動と共に スイッチ・オンの瞬間がある! 大きな希望ですよね。お互いに これからも 感動を大切にして、人生をいきていきましょうね。
おくればせながら、久しぶりにコメントさせていただきます。
返信削除先生ご自身の体験を読ませて頂いて、私はスイッチが入ったような感動を覚えました。
『自分をいじめるのはやめよう』
というフレーズにハタと気付いたのです。
私は小学校から高校までよくいじめられていました。相手はそれぞれ違うし、陰湿なものではなかったですが、何故かいつもいじめられる対象になってしまっていたのです。
そのいじめられる事に対して、私自身は何も悪いことしていないので屈する事なく学校へは登校していたのですが、親や教師にそれを言う事なく、多分子供心に我慢していたのだと思います。
そして、大人になって何かにつけて私が悪かったのかな?私の責任なの?ふと人間関係で心に何かわだかまりがある度に自分が嫌われてこうなったのかな?と考えるようになっていました。
大鬱ではなく、17年間近く気分障害となり周りも自分をもごまかしていました。
その間に親業をはじめ色々な体験をしましたが、どうしてもこの自分を責めることだけは、無意識にしていたようです。
そして、いつもこの自責の念は何だろう…、どうやったらそれを取り払う事が出来るのだろうと思っていたのです。
そんな時、今回のコラムを読ませて頂いてハタと自分で自分をいじめているんだ!と感じました。
今、私をいじめる人は誰もいません。なのに、何か人の目線やしぐさ、人間関係で少し波風が立ったように感じるとき、私が常識外れな事をした?迷惑かけたかな?と思って自分を責めていたのです。
私も自分をいじめはるのはもうやめようと思います。
そしてありのままの自分で自己実現していきたいと思います。
有難うございました。
あきこさま
削除あきこさん 本当にごめんなさいね!右手首の骨折で 手術に至り 不自由していました。左手で幾らか入力出来るのですが 長文は当分無理でした。虫の知らせか 次のコラムは早めに仕上げていたので何とかなりました。やっと少し痛みも落ち着いてくれたので 左手ですが返信いたします。
あききさん 心に届くコメントを有難うございました! そうでしたか…。ご自分は何も悪いことをした心当たりはないのに いじめの対象になられたことがあったのですねえ…。だからあきこさんは 訳がわからないまま ただ耐えていらした…。どんなにお辛かったことでしょう…。
それが大人になられ 周りには 誰もいじめる人はいないのに 何か自責の気持ちにとらわれてしまうご自分があったのですね…。ほんと あきこさんは すでに周りの人の心の拠り所になられている存在でありながらも 子どもの頃の心当たりの無いいじめが 深い心の傷になって …。
でもコラムを読んでくださって 「いま自分は恵まれた環境の中にありながらも 時折顔をのぞかせるこの自責の念は 実は 私がわたしを いじめていたんだ…」ということに気づかれたのですね! 私(下村)が鬱から立ち上がった時、感じたのように!
大きな大きな気づきでしたね! あきこさんは「 私も もう自分をいじめるのは 辞めようと思います。そしてありのままの自分で 自己実現していきたいと 思います」…と決意していらっしゃいます! それを聞いて私のきもちも心弾む思いがしました。 共に人生の最終テーマの「自己実現」へと大きな歩みを進めて参りましょうね!
有難うございました。これに懲りず またのコメント楽しみにしていますね!