2016年5月20日金曜日

心の中の暗闇に女性性のふところの深さを!

Column 2016 No.36

 前回のコラムを読んで下さった方々から、お手紙で、お電話で、コラムへのコメントなど…で心温まるメッセージを頂きました。ご心配をおかけ致しました。お陰さまで、姪はかなり良い状態に向かっております。彼女のまわりの事情は何も解決はしておりませんが、私の心の平安は徐々に取り戻しております。今回の経験の中でのさまざまな葛藤を通して、私は深いところで沢山のことを感じそして学びました。  

 新約聖書の終わりの章のヨハネの予言書「黙示録」の中に、世界の終末を告げる箴言があります。1999年がその時ではないか…と世界の人々は騒ぎましたが、実は何事もなく終わりました。聖書のこの章の理解は、私にとってはとても難解ですが、ひとつ心に残っているのは、“光(神)と闇(サタン)の戦い”が地球上に起こるであろうことを予言している、つまりハルマゲドンの戦いを述べている最終章です。

 フランクルは「人間は誰しも心の中に“アウシュビッツ”(闇)をもっている(コラムNo35)」と言いましたが、一方、孟子は「人間は誰しも生まれながらに“光”を携えてきている…」と“性善説”を唱えていることも有名です。 “光”とは、真・善・美・愛・赦し・希望・無限…等を表し、“闇”とは、虚偽・不善・怒り・憎悪・絶望・有限…等を表している…と私は理解しています。

 このように見ていくと、人間一人ひとり、誰の上にも“光”と“闇”の双方の性質が厳然と存在している……。自分をしっかり感じて生きている人であれば、おそらくそのことに、はっきりと気付かれていることでしょう。それが人間を生きているということであり、双方(光と闇)の感情の中で葛藤しながら、自分を見つめ理解し、成長してきた今の私たちがあるのではないでしょうか。

幸いなるかな。心の貧しき者よ。天国は汝のものなり
マタイの福音書

 聖書の中のこの一節は、今の私にはしみじみと伝わってきます。今回の体験を通して、心の貧しさ(自分の中のカオス・闇)を、哀しみと共に感じ切った私は、天国…はまだよくわかりませんが、本気で“光”を求め始めたからです。実は、暗闇が私の心の進化に大きく寄与してくれたのです。暗闇に出逢ったからこそ、小さな光の存在がはっきり視点に入り、必死でそれに向かっている自分がありました…。黒闇の中の一点の灯は一隅をはっきりと照らします。しかしわずか一点の灯でも、闇は決してそれを封じることはできない。闇は決して怖い存在ではないことも解ったのです。

 しかし、簡単ではありません。私の潜在意識の中には、まだずっしりとカオス(闇)が横たわっており、簡単には光に位置を譲ってはくれません。光の中にいると思っていても、ふっと不安と恐怖と疑念が三つどもえで襲ってくる…。自分の中で“光とカオス(闇)”が絶えずせめぎあいをしている現実がはっきり見えるのです。そうです!実は、私の中で“ハルマゲドンの戦い”は無意識層で、すでに起きていたのです。

 今、現実世界を見渡してみた時、核の問題、深刻な不況、人種差別、収拾もつきそうにない国内外の小競り合い、テロ、戦争…。今、地球上に起ってしまっている諸現象に対して、対策を講じてどんなに苦心惨憺しても、多くは力及ばず、状況は悪化の一途を辿っているかに見えます。しかし今人類は、その暗闇を経験しているからこそ、光の存在に憧れ、明るい世界を望み、地球上の深刻な事態に危機を覚え、何とかしなければという気持ちが人々の中で勢いとなってきています。

 そして深刻な真の原因は、実はそれら起こっている現象にあるのではなく、人類一人ひとりのネガティブな想念が反映したものであって、それら想念が“集合意識(コラムNo24)となって、私たちの大切な地球を、深刻な状態に追い込んでいるのではないか…ということは考えられないでしょうか。そんな視点で現実を見つめていくと、その責任は各国々にあるけれど、つまりは、その各国々の一員である私たち“人類一人ひとりの責任”である…ということにもなるでしょう。

 そして私たち人類、一人ひとりの想念・意識が地球と人類の幸・不幸を決めていく(コラムNo19)のだとしたら、人類一人ひとりの中に既に起こっている“光と闇の戦い”が、一人ひとりの中で、少しでも収束していけば、地球世界の深刻な事態・現象もやがては、収束に向かっていくのではないか…そんな予感がしてならないのです。その為にはまず、私たち一人ひとりが心の平安を得ることこそが、鍵ではないか…と。

 私は姪の病気のことで、先々どうなるんだろう…と心をかき乱したけれど、問題は姪のハプニングにあるのではなく、それをどう捉え、感じている今の自分なのか…だけが、私とそしてこれからの世界の、未来を決めていくのだと心底、解ったのです。それが理解できたとき、わたしは“今このひととき”を、自分の中のひかり(愛・希望・無限…)で満たしていきたいと、本気で願い始めました。

 母親はどんなに困った子どもであっても、心からの慈しみをもって育てます。そして困った子供ほど、親を育ててくれます。同様に、暗闇の存在(ネガティブな感情)も人類の成長に大きく寄与してくれたのです。だから暗闇を葬り去るのではなく、しかし自分の想いと目線は、決して光から逸らさないで、母親のような慈しみをもって暗闇を見つめ、感じて、感謝して、“もう、行っていいのよ…”と見送れば、暗闇は、自分の方から納得して、光に位置を譲ってくれる…。僅かながらそんな体験をしている今日この頃です。

 人類一人ひとりが、暗闇と折り合いをつけながら、毅然と“光の選択”をしていく…。その結果、光を携えた人々が大きく一隅を照らしはじめ、その光の一隅と別の光の一隅が力強く繋がっていき、人類はやがてクリテイカルポイント(100匹目の猿現象)を迎え、そのときこそ地球人類は、即座に“光に変換”されていくことでしょう。ここにも女性性のふところの深さが大いに待たれ、期待されるところです。

 これは、かなり現実感を伴なった、私の中の“夢物語”です


*次回のコラムは6月20日前後の予定です

2016年4月19日火曜日

人間は誰しも心の中に“アウシュビッツ”をもっている

Column 2016 No.35

人間は誰しも心の中に“アウシュビッツ”をもっている
                                                - ビクトール・フランクル -

 名作「夜と霧」で知られるオーストリアの心理学者ビクトール・フランクルの言葉です。私はこの数週間の中で、フランクルのいう“アウシュビッツ”を、自分の心の奥底に見る羽目に陥りました。

 講座の最終日、打ち上げ会を済ませて夜遅く機嫌よく帰宅。玄関の鍵を開けながらいつもの習わしで、隣の家の灯りを確かめました。明かりが灯っていない…。私の家の両隣は、夫の兄弟の家族がそれぞれ住んでいましたが、娘たちは嫁ぎ、今や、夫を始め夫の兄弟はみんな亡くなり、灯りを確かめたその家には夫の姪が一人で住んでいます。  

 今日は出かけているのかなあ…。一端、家の中に入ったものの、何か胸騒ぎがして預かっている鍵をもって、応答のない家に入っていきました。すると二階から、か細い声で「待っていたの…」と! 何と、倒れて動けない状態でいるのです。わたしは動転しましたが、すぐに救急車を呼び市民病院へ…。待合室で施術と検査結果を待つこと二時間…。本人も気づかなかったという重篤な病にかかっているという結果で即入院。長期に亘る治療が予想されます。彼女には両親も兄弟もいない。何が何でも私がやるしかない!明日の仕事のことで頭が一杯になりながら、入院手続きやら入院のための用品準備でてんやわんや! 帰宅したのは午前四時近く…。めったに飲まない誘眠剤を飲用…。

 それからは毎日の病院通いで、私の中での苦悩との葛藤が始まりました…。人生にはまさに思いもかけなかったことが起るんですねえ…。私よりもずっと若い(夫の)姪が病に倒れるなんて…。そして私が世話をしなくてはならない羽目に陥るなんて…。彼女の父親はアパートの建立のための借り入れを残したまま、逝きました。そのストレスが恐らく彼女をここまで追い込んだのでしょう…。返済に追われて、自分が使えるお金は殆ど残らない状態…。薄々は分かっていたもののその現実を知った私は、愕然として、まさにパニック状態…。私の頭の中は、彼女の病状を心配するどころではなく、入院費はどうする!これから長期に亘るであろう彼女の日々の世話をどうする! 

 私は、夫を数年前に見送り、自分の生活と身体を守っていくことで精いっぱいの今の現実なのに…。一体どうしたらいいのだろう!どうなるんだろう!どんどん自分を追い込んでいきました。 不眠が続き、時折出ていた不整脈が頻繁に…。解決が全く見えない現実の中、夜中に目が醒めると、自分の潜在意識の混沌としたカオスの真っただ中に落ちていきます。そこはまさに愛が不毛で、無慈悲で、残酷で、血も凍るような恐怖と暗黒の闇の世界…。ああ、地獄ってこういう世界なんだろうなあ…。フランクルの言う“アウシュビッツ”を、私はまさに毎夜体験したのでした。

 体力も限界を感じ、そんな中で信頼している親友に会いました。自分の本当の気持ちを話してみました。入院費のこと、仕事をしながら世話をしていくことへの不安、自分の体力の限界…等々。「…本当はこの現実から逃げたいよ!私はこれまで両親をはじめ、夫はもちろん色々な人の世話をし見送ってきたのよ!もう体力も限界!これ以上人の世話はこりごり!…それに費用はどうやって?!」みっともない本音をぶちまけたのでした。彼女は黙って本気で聴いてくれました。いつもと違う私に戸惑っている感じでしたが、静かに言いました。「なるようにしかならないよ…。あなたのあるがままの気持ちでやるしかないよ…」と。

 友人の本当の気持ちを私は知っているので、その言葉は私の魂にすっと届きました。動転していた私の気持ちはかなり落ち着いてきました。そう!姪が決めたことに従い、出来ないことはできない!出来ることはやらせていただく…。自分の気持ちに正直にやるしかない…。出来もしないことを何とか解決しなくては…とその気持ちに圧倒されていた自分にも改めて気がついたのでした…。

 少しずつ気持ちに整理がついて来たら、沢山のことに気付いてきました。私はもの心つく頃から、母が病弱だったので、無意識に母を守り、もう少し大きくなると、家族に何かあればすぐに全責任を負って最前線に立とうとしてしまう…。 でも多くは責任が負いきれないから、無謀な行動に出たり、途中で投げ出してしまう羽目にもなっていたなあ…と。 

 これからは一人で背負うことはもう本当に止めよう。特に今回のできごとは、私ひとりが責任をもつべきものでもない…と思えてきたのです。きっと力になってくれる人がある!…と。私は果敢に交渉に出ることにしました。彼女が比較的親しくしていたように思える、遠く東北に住む母方の従姉さん。そして嫁いでいった市内に住んでいる父方の従妹さん。彼女の母方の従兄にあたる人のお嫁さんにまで、交渉にあたりました。ああ何と有難いことでしょう!皆さんが協力して下さることになったのです!

 一緒に専門家を訪ねて解決策を模索しました。遠くの従姉さんは、取り敢えず入院費の立て替えを引き受けて下さり、私を含めた近くの三人はローテーションを組んで彼女を見舞い世話をしていく見通しが立ちました。中でも一番若い彼女の従妹にあたる人は、姪の未整理のままの生活万般の事務処理を手際よく片付けてくれています。私にとってはまさに奇跡でした。

 周りの人の援助を求める勇気をもつことの大切さ! こうして人の温かさや、人としての本当の繋がりを体験できたことは、この出来事あっての感謝です。そして強烈な体験でしたが、自分の非情さや冷酷さに気付いたこと、つまり自分の中の“心の闇”を痛いほど実感したことも、私は自分への深い深い哀しみと共に、自分への愛おしさや愛がさらに増してきたような気がします。そしてそれは、私の中でゆっくりと、本ものの愛や思いやりへと熟成していき、やがて、周りの人々へと及んでいく日がきっと来るであろう予感がします。

 これからはまたどんな流れが来るかはわかりません。正直考えると怖いです。でも今だけを見つめて、周りの人に感謝して、自分を赦して赦して、出来ることをして、一生懸命生きていきたいと思います。こんな時、日木流奈君の言葉は私の心に元気をくれます。

期待しないで諦めないで!
- 日木流奈 -


*次回のコラムは5月20日前後の予定です。

2016年3月20日日曜日

ひとりの中に“女性性と男性性”のバランスを

Column 2016 No.34

仕事で出会う人は勿論、あらゆる人間関係で沢山の出会いがありますが、一人ひとりの中に必ず“男性性”と“女性性”の双方の性質があることがよく分かります。そのバランスが均衡をもっている人もあれば、どちらかの性質に偏っていて、それぞれがその人の個性となっていることを感じます。

 「森羅万象・宇宙のあらゆる存在は相反する“陰と陽のふたつの「気」”があって、“男性と女性”もそのひとつ。その陰陽の双方が調和してはじめてひとつの完全な要素となる‥‥」東洋医学を学んだ祖父がよく語っていたことです。

 その考え方から辿っていくと、確かに私たちの日常に於いてもその陰陽が色々な形で現れているのが解ります。昼と夜・夏と冬・晴天と雨天・吸気と呼気・母性と父性‥‥等々。また“仕事と休息”“睡眠と覚醒”“傾聴と自己表現”…等々。そしてそのどちらが“いい・悪い”ではなく、その双方共に欠くことはできない、私たちはその陰陽によって生かされているとも言える大変大切な要素だということがわかります。

 また、人の身体のリズムを“バイオリズム”という観点から説明をしている仮説があります。身体の生理状態・感情の波・知的働き‥‥にも高調期と低調期の一定の周期的パターンがあり、つまり陰陽のグラフで表される。つまり人間の身体や精神状態も、上向きばかりでもなく下向きばかりでもなく、陰と陽の状態が一定の周期でもって繰り返されているというわけです。

 「親業」を日本に導入した近藤千恵(前理事長)は“ひとりの親の中に父性と母性を…”と提言しました。親業は有効なコミュニケーションを訓練していく講座ですが、コミュニケーションの側面から言っても、実は“母性的側面と父性的側面”があるのです。これまで子どもを育てる上でよく言われてきたことは、“父親としての役割・母親としての役割”というふうに、両親が、役割分担的な考え方で、例えば、叱るのは父親役、守るのは母親役‥‥といった考え方が主流でした。しかし親業では、一人の親が“父性と母性”の両性の特性を併せ持つことの大切さをコミュニケーションの立場から提言しています。

受信(傾聴力)‥‥‥‥母性(女性)的側面
発信(自己表現力)‥‥父性(男性)的側面

つまり父親も母親も、双方コミュニケーションの力量をもつことが、一人の人間としての、真の自立である‥‥と。だからひとり親であっても健全な精神を持った子どもを育てていけるのです。

 ところが、この傾聴力と自己表現力の心地いいバランスを併せもっている人は少ないと感じます。多くの人が、効果的な「傾聴」効果的な「自己表現」とは何か…が解らない為に、知らず知らずのうちに破壊的なコミュニケーションになって、人間関係を難しくしています。例えば、八方美人的に生きている人は自己表現が苦手なので、聴く側にまわり、しかし傾聴力があるわけではなく表面上相手に合わせて聴いているので、いつも疲れています。一方、発信力があるように見えて、実は自己表現ではなく他者のことについて喋りまくるストレス発散タイプの人もあります。職場などでは敬遠されるタイプの人です。

 傾聴(受信力)とは、相手が話している間は決して茶々を入れないで、本気で聴く。話している内容を含めて、その人を丸ごと受け入れて聴く姿勢です。一方、自己表現(発信力)とは他者について語ることはやめて、自分の思いを正直に率直に語ることです。何はともあれコミュニケーションには訓練が要ります。以上詳しいことはコラムNo10,11,12で詳しく取り上げています。

 さて、私が今回テーマにした「ひとりの中に“女性性と男性性”のバランスを」としたのは、親になってからも勿論ですが、それ以前に、ひとりの中に女性の特質と男性の特質を併せ持つことこそが、人としての完成であり、真の自立の姿であると信じる所以です。勿論、男性と女性は体の構造も違い、男性が女性に、女性が男性になることはできません。しかし双方の特質を一人の中に融合させていくことならできます。優しさと強さ、包容力と行動力、感情的と論理性、婉曲性と率直性、受容性と毅然性‥‥等々。

 しかし、女性が男性的側面を育て、男性が女性的側面を育てていくことは並大抵ではありません。しかし今、女性の意識改革は急務です。男性に対する劣等感と恐れを脱却し、依存傾向に気付き、決して対立するのではなく、男性の積極性・行動力を学び、しかし女性であることの誇りと自信をもって、率直に男性と対話をしたり、女性ならではの特質・力量を、職場でそして地域社会へと恐れず意思表示していく時代だと思います。いま地球を取り巻いている戦争・テロの脅威、貧困問題、人種差別‥‥等々。そこには女性的エネルギーが待たれます。

 世界の飢餓撲滅のために教育や支援をエネルギッシュに進めている人権活動家のリン・ツイストさんは次のように話しています。

「‥‥アメリカの先住民が21世紀にに対する素晴らしい予言をしています。人類という鳥は、男女の翼があるにも拘らず、何百年何千年も男性の翼だけで飛んできた。その結果、男性の翼は発達し、筋力をつけて暴力的になり、片翼だけで旋回飛行いを続けて来た。しかし21世紀は女性が翼を広げ、両翼がバランスをとって、人類という鳥がまっすぐに上昇していく‥‥というものです。男性を悪者にせず評価した上で、女性が21世紀に適切な責任を果たしていくことを、このことは示唆しています」‥‥と。

 2014年に史上最年少でノーベル平和賞を受賞した、パキスタンの若き人権活動家マララ・ユスフザイさんは「女性にも教育を!すべての子どもが学校に通う権利を!」と訴え続け、タリバンからの銃撃を受ける結果になりました。幸いにも一命をとりとめ、再び活動を展開しています。女性が賢くなり存在が認められることは、世界の平和実現にとって実に重要なことですが、残念ながら女性が賢くなることを恐れている人々がまだ沢山いるのです。

 その誤解を解くためにも、意識改革を深めていきながら、まず女性がコミュニケーション能力(傾聴力と自己表現力)を磨き、智慧を養い、愛に裏打ちされた“包容力”と“行動力”をもって、徐々に活動範囲を広げていく‥‥。女性ひとりひとりの変容から、人類は徐々に女性的エネルギーを取り戻していくでしょう!まず家庭の中での変容、伴侶との適切な関係性、子どもへの教育‥‥などを通して草の根活動からの出発です。

 女性の意識に、本物の変化が訪れるに従って、男性の中にも女性的特質を受け入れることが、もしかして抵抗なく実現していくのではないか‥‥そんな予感です。そこで人類の戦いも貧困も人種差別も、豊かなバランスの中で、徐々に収束に向かっていくのではないでしょうか。 私は今ほど女性のエネルギーが必要とされているとき(時代)はないのではないかと思えてなりません。だから、マララ・ユスフザイさんの次のメッセージにとても共感し心打たれるのです。

世界中の姉妹の皆さんにお願いします。勇気をもってください。
そんな力はないなんて思わないで! 自分には無限の可能性が
あるということに どうか気づいてください!


*次回のコラムは4月20日前後の予定です

2016年2月20日土曜日

子どもの甘えを適切に受け入れる ~子どもが親を必要としたとき~

Column 2016 No.33

先週の講座で、受講者のDさんから「“甘やかしと甘えを受け入れる”の違いがよく分からないのですが…」という質問がありました。“甘やかし”と“甘えを受け入れる”の違いは世間一般にもかなり混同されています。子どもの真の自立にとって、大変重要なことなので、今月のテーマにしてみました。

 子どもが親を必要としたとき、どう係わったかは、子どもの人格形成の上で非常に大切なポイントです。深刻な社会問題を起こす子どもの背景に、親に“甘えを受け入れられた”という実感が、その子の中に極端に欠けていたという現実が多く存在しています。しかし事件後のインタビューで、専門家ですら“それは甘やかしの結果です”と一括りにして報道しています。事件によっては当たっている場合もあるし、多くは違う場合も多いのです。

 一括りの判断に危険性を感じるのは、子どもが一人の人間として自立して育っていく上で大切なプロセスである“子どもの親への甘え”までいけない…と多くの親たちが誤解してしまうと、大切な子どもの心は育たないからです。「甘やかし」と「子どもの甘えを受け入れる」ことの間には、はっきりとした違いがあります。わかりやすく言えば親中心の関わりなのか、子どもの気持ちを大切にした関わりなのかの違いです。その違いを私の観点から説明してみたいと思います。

 “甘やかし” の親は、子どもの今の心の位置は殆ど関知せず、親中心の考えで習い事をさせたり、洋服を与えたり、金銭を与えたりします。ある子どもが言いました。「家には、いっぱい物があります。でも僕が欲しいものは何ひとつありません…」と。子どもが求めていることには、関心を示さないのです。つまり甘やかしの親は、子どもが頼んでも来ないことを一方的にやったり与えたりするわけですが、子どもが何か求めてきたものには、多くは無関心な態度です。

 やがてそれらの子供(放任で育った子どもも含みます)が思春期を迎えると、多くは愛情飢餓と欲求不満を抱えているので、親に対しても横暴な態度を取ってきたりします。すると多くの親は子どもに屈服し、子どもが要求するものを、何の判断もなく与えるということも起こってきます。世間に迷惑がかかる行動をしても、親がそれを制する影響力も指導力もありません。また、子どもの心の痛みは必ずしも親に向かうとは限らず、社会に向けたり、或は、子ども自身の内側に向かうということもあります。心身症とか鬱…のような形で。

 一方、“子どもの甘えを適切に受け入れる”ことの大切さについて考えてみたいと思います。甘やかしとの違いは、親の視点が自分中心ではなく、子どもの今の心の位置・視点を大切にした接し方で、しかも、親自身の感性をも大切にした接し方です。つまり、子どもが親を必要としたとき、「NO」にしても「YES」にしても子どもに真摯に対峙していく姿勢を持っているということです。

 幼いころから子どもは「お母さん見て!」「お話し聴いて!」「これやって!」「これ買って!」と依存してきます。子どもにとってはまさに正当な依存なのです。そして甘えたい・注目してもらいたい…のサインである場合も多いのです。だから決して無視しないことが大切です。親を必要としているときには、ちゃんと見つめてあげてください。そしてお母さんがそのときやってあげられるなら、「いいわよ!」と無条件にやってあげていいのです。もし疲れているなら「ごめんね。お母さん疲れているの。自分でやってくれる?」と丁寧に断ってください。

 実は頼んでくる行動そのものが、自立の行動なのです。だから、やってあげたからといって自立を阻むという心配は全くないのです。むしろ逆ばかりだと、満たされないこだわりと欲求不満の感情を、子どもの心に残します。中学生の子どもが「お母さん麦茶!」といってきたら多くのお母さんは「中学生でしょ!それくらい自分でやんなさい!」と、つい蹴散らかすような言い方で断りませんか。実はお母さんは子どもの自立を心配しているんですね。

 もし子どもの自立を心配して、断わりたいのであれば「ごめんね。悪いけど自分で入れてくれる?」のように、やはり尊敬した言い方で断ってください。そして「助かったわ」とあとで伝えます。幼い子供であれば「ごめんね。ひとりでやってみて!お母さん、ここで見ているからね!」と言えば、多くは甘えの行動ですから、見つめてもらいながらならできるのです。そして「ひとりで出来たね!」と言って認めてあげる…。このように尊厳性をもって接するなら「YES」でも「NO」でも子どもには伝わりますし、決して自立を妨げることにはなりません。

 「北風と太陽」という有名な童話がありますが、とても示唆があります。旅人が自分でマントを脱いだのは、厳しい北風の力ではなく太陽の愛の力でした。同じように、子どもは北風に遭うと縮かむばかりです。“やらせ”の北風ではなく、黙って見守ってあげたり、時には気もちよく応じてあげる太陽のような愛情とおおらかさの中で、子どもの心はのびのびと育ち、自立へと向かえるのです。勿論、子どもの自立を援助するのは、こうした場面ばかりではありません。親と子どもの日々のコミュニケーションすべてが、子どもの自立に大きく影響を与えていきます。

 20数年も前、その頃思春期に入っていたKさんという娘さんが私に話してくれた深刻なお話です。(Kさんの連絡先が不明で打診がとれないので、事実に近い形ですが、幾らか形を変えています)Kさんは親思いのとてもいい子どもで育ちました。思春期を過ぎた頃から過食嘔吐が続き、衰弱が激しかったために入院。その頃、彼女はこう語りました。

 「…あの頃、病院にいた自分は、5歳くらいの子どもになっていました。母が恋しくて恋しくて、どうやったら病院から出られるだろう、母に会えるだろう…と5歳の子どもの頭で考えていました。手首を切ったら、母がすごく心配して飛んできてくれるかもしれないと、本当に手首を切りました…。

…確かに母は来てくれましたが、病院に文句を言って、私に“もうこんなことしないのよ!”とひとこと言うと帰ろうとしたので、私は必死で“お母さん一緒にいて!お願い一緒にいて!”と頼んだけど、母は“忙しいのよ!”とひとことを言って帰ってしまいました。私は必死で玄関まで追っていったけど、もう姿はなかった…。その時、本当に母は何もしてくれなくてもよかったの。ただお昼まででいいから、一緒に傍にいてくれて、リンゴの皮をむいて食べさせてくれて…。ふつうに私のこと構ってくれたらよかったの。そしたらきっと私、元気出たと思う…。でも期待した自分が馬鹿でした…」と。

 本当にKさんのやりきれなさが伝わってきて、胸がいっぱいになりました。お母さんは確かに忙しかったのかもしれません。でも命を張ってまで、親を必要としたこのひとときに、お母さんはなぜ気付いてあげられなかったのでしょう…。

 このように思春期は、これまで満たされなかった感情が、外向きや内向きに疾風怒濤のように溢れ出てくる時期なのです。それは、情緒が安定した、いい大人になる為の、親への“最後の甘え”です。親が子どもの悲しみを理解し、抑圧してきた不安や怒りの感情を理解してやりながら、まっすぐに子どもに対峙していけば、時間はかかりますが、子どもは必ず自分の軸を取り戻します。

 思春期挫折という、最後の子どもの甘えを受け取れず、親が逃げてしまったり、権力を使ったりすると、子どもは問題を抱えたまま大人を迎え、どこから来るのかわからない不安と葛藤との闘いで、一生を費やしてしまうことになるかもしれないのです。日常的な不機嫌、家族へのDV、アルコール依存、身体的なトラブル…等々。すべて満たされなかった甘えの、無意識の悲しいバランスです。

 Kさんの母親のように、私たち親は子どもの本当の気持ちを受け取れず、微妙にずれた対応をしてきたということはないでしょうか。しかし、今からでもいいのです。気付いたところから、子どもの心の位置にしっかりと気づいて、子どもの甘えを適切に満たしてあげたいものです。

“愛されている”という感情の持つ非常に大きい力…
それは心と体の成長を促し、心理的・身体的な障害を治す上で、
私たちの知っているものの中で、最も優れた治療効果をもつものである…
トマス・ゴードン(親業創始者)


*次回のコラムは3月20日前後の予定です。

2016年1月20日水曜日

夢なき者に成功なし

Column 2016 No.32

夢なき者に理想なし。理想なき者に計画なし。計画なき者に実行なし。
実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし
                                                                               - 吉田松陰 -

 今年の新年、家族と共に一泊で萩の町を訪れました。萩の城下町散策も魅力的でしたが、何はともあれ、激動の明治維新の、陰の立役者として知られる吉田松陰の生誕地を、一度訪れてみたいというのが私の念願でした。

 吉田松陰は、天保元年(1830)に 萩城下松本村に生まれました。幼いころから豊かな学問的環境の中で育ちました。11歳にて藩主の前で「武教全書」の一部を講義したと、記録にあります。松陰は、学問への造詣の深さは勿論のことですが、やりたいと思うことはどんな危険を冒してでもやり通そうとしたひらめきで行動する熱血青年でもありました。

 止むに止まれない向学心から九州に、江戸に…と。その上、海外の事情を知りたいが為に、何度か米艦に乗り込もうとしたり、かなり無謀なことをやっています。その結果は失敗に終わり、獄舎に入れられたり、幽閉を命じられたり‥‥かなり綱渡り人生を送っています。

 情熱と深い使命感に溢れていた若干27歳の松陰は、近隣のやがて未来を担うであろう若者を育てるために、小さな私塾を開きました。それが今や世界遺産ともなって姿をとどめている「松下村塾」です。彼は蘊蓄してきた深い知識や学問の教育ばかりではなく、“人間学”つまり人としての生き方、リーダーとしての素養など‥‥彼自身の熱い想いを弟子と共に意見を交わしながら、生きた学問として教え導いたと言われます。彼は次のように言っています。松陰の教育精神が忍ばれます。

学問とは人間はいかに生きていくべきかを学ぶものだ

 さて、吉田松陰が「松下村塾」で教育した期間は、何と!わずか一年余り。この短い期間に、のちには日本を動かしていくような驚くべき多くの逸材を育て上げたのでした!

 高杉晋作、木戸孝允(桂小五郎)、久坂玄瑞、伊藤博文、山縣有朋、品川弥二郎‥‥等々、錚々たる人物です。ところが松陰は「安政の大獄」で29歳の若さで処刑の憂き目に遭うのですが、育った若き門下生たちのその多くは、師の意志を継いで、倒幕運動に挺身し、明治維新の大きな原動力となった志士たちでした。そのいきさつはNHK大河ドラマ“花燃ゆ”で扱われましたがご覧になりましたか。

 日本の歴史を垣間見て思うことですが、明治維新を始めとするそれまでの歴史、そしてそれ以後の歴史の中で、松陰を始め数々の立役者たちが雄々しく起ちあがって、その都度日本の歴史を大きく変えていきました。果たしてそのことが日本にとっていいことになったのか、逆のことになったのかは“神のみぞ知る”で私にはわかりません。ただ、私がとても心打たれるのは、彼らが、私欲や私心なく、ひたすら国のため民の幸せのために!と信じて、わが身を投じて起こしていった行動だと思うと、その純粋な心意気に感嘆するのです。

 以下は松陰が残している言葉です。おそらく彼が塾生を指導した根幹をなす精神だったのではないかと想像します。少なくとも松陰は、純粋に国のためを思う心情をもって、塾生を導いたことが、身に沁みて伝わってきます。

「私心さへ除き去るなら、進むもよし。退くもよし。出るもよし。出ざるもよし」
「君子は何事に臨んでも、それが道理に合っているか否かを考えて、その上で行動する。小人は何事に臨んでもそれが利益につながるか否かを考えて、その上で行動する」

 さて、やはり幕末維新という激動の時代を生き、近代日本という幕開けを築いた人のひとりに板垣退助がいます。自由民権運動の先駆けを築いた人です。彼は演説している最中に暴漢に襲われたことがありました。幸い命は助かったのですが、血まみれになりながら彼が吐いたという言葉はあまりに有名です。「板垣死すとも、自由は死なず!」…と。

 その後、幾ヶ月が経ったある日、彼を襲ったその加害者が、謝罪のために彼のもとを訪れたといいます。そのとき板垣は「私にやったことは、君の私怨(怨念)から出たものではなく、国家を想ってのことだろう…。私は君をとがめるつもりはない。私の行動が、国家の害と思うなら、もう一度刺してもかまわぬ…」と告げたといいます。わたしは彼のこの言葉に触れたとき感動して涙が出たほどでした。日本歴史上に、真に国を想い、これほどまでにいさぎよく懐(ふところ)の深い人物が存在していたのか…と。

 彼の存在、そして彼が成し遂げたことが、いいことになったのか逆のことになったのか、私なりの視点・観点はありますが、本当のところはやはり私にはわかりません。しかし純粋に、日本国をそして民を、幸せに導きたい…という無私無欲の、壮絶なまでの使命感…。その心意気に感嘆し心服しほれぼれとするのです。そしてやはり私は確信します。松陰を始め、私心なく練れた智慧と純粋な使命感で、身を挺して国のために働いた人々がやってきたことは、純粋であるが故に、まさにそれは人類に貢献し、私たちの今の幸せと安寧にと、必ずや繋がっているのではないかと…。

夢に向かって挑み続ける若者を一人でも多く
創らなければこの国に未来はない
中條高徳

 数年前にご逝去された、アサヒビール名誉顧問だった中條氏の遺訓です。いささか極論的にも聞こえますが、中條氏のこの言葉はとても私の心に残っています。それは松陰の「夢なくして成功なし」という冒頭のフレーズにも繋がります。

 私は、思うのです。「夢」こそが人類の進化の“種子”である…と。人間は「万物の霊長」とも言われますが、“夢を現実にできる霊妙な創造性”を与えられた唯一の存在です。ところが、私たちはその役割をどれだけ果たしてきたでしょうか…。万物の霊長としての創造性の力を、地球と万物の“幸せと向上”のためにどれだけ使ってきたでしょうか。万物のあるべき姿の「夢」を本気で描いてきたでしょうか。私たち人間がブレてしまっているが故に、いま地球も万物も悲鳴を上げています。

 今こそ創造性の力を持つ者としての役割を、本気で発揮していかなければならない時代に入っていると思っています。どんな世界を望んでいるのか。人はどうあるべきか。私たちに今できることは何か。誰かがやってくれる…という時代ではありません。一人ひとりが、創造性を与えられている尊い存在である…ことを本気で思い出し、一人ひとりが行動を起こし、出来ることをやっていく責任がある…と。
  • 人類一人ひとりが自分は創造性を与えられている尊い存在であることを思い出してきたら、きっと万物(すべての存在)に対して優しくなるだろうな…
  • 万物に優しくなったら、自然も動物も正常な生態系(循環)を取り戻して、命を吹き返すだろうな…
  • 自然や動物たちが正常な生態系を取り戻し命を吹き返したら、地球が豊富な酸素と緑で溢れ、奪い合う争いも、環境汚染も姿を消していくだろうな…
  • 人類はひとり残らず「地球」という乗り物の“同乗者”であることを思い出したら、これらはきっと可能になるのではないかな…
  • そのためにはやはり、人類一人ひとりが本気で自分の幸せに責任をもって、自分を大切にして、創造する者としての夢を育んでいけるといいな…

 新年、松陰の生誕地を訪れて、先人達の純粋で壮烈な気概に触れて感動したり驚嘆したこと…。そして自分の「夢」や、いま私たちにできることは何だろうと真剣に感じる機会がもてたこと…とても素敵な新年となりました。


*次回のコラムは2月20日前後の予定です。

2015年12月20日日曜日

今日という日は、あなたの残りの人生の最初の日です

Column 2015 No.31

今日という日は、あなたの残りの人生の最初の日です
                                    - チャールズ・デイードリッヒ -

 このフレーズに出逢ったとき、本当は当たり前のことなのに、私は少なからず衝撃を受けたのでした。 そうかあ! 今日のこの“今の瞬間の私”は、これから訪れる人生の中で、“いちばん若いわたし”でいるわけなんだなあ……と。
 「今」という位置の視点を変えてみたら、こんなに興味深く、面白い“見かた”ができるんだ!…ということに、今さらながら気づいて、驚いたのでした。

 先日、久々にある友人に会いました。彼女は会うなり「あ~あ、歳をとったらいいことってあんまりないわよね…。あんなに好きだった本も読みにくくなってきたし、もの覚えも怪しくなってきて…」と、かなりテンションが下がっている様子でした。とっても共感できるので、私は「そうねえ、うんうん…」といつもの調子で聴いていましたが、ふっと冒頭の“今日という日はあなたの残りの人生の最初の日”という言葉が頭をよぎったのです。

 そうだ…と思って、その友人にこのフレーズを紹介してみたのです。すると彼女は瞬間、目を輝かせてこう言ったのです。「…ほんとねえ!目はかすむ、もの覚えは悪い…と嘆いているけど、これからの人生を考えたら、今日が一番若いわけよねえ…。なるほどお~。よっしゃ!ちょっと感覚が違ってきた!」…と。 それから数日後に彼女からメールが入りました。「…私の人生で今日が一番歳を取った日、という感覚でこれまで生きてきたけれど、あれから私ねえ。ほやほやの“今の若さ”を楽しむことにしたの!」という彼女らしい名言に、あらためて感心して “そうだわ! 私も、ほやほやの今日の若さを、楽しまなきゃあ!”とさらに決意(笑)を固めたのでした。

 人間って面白いですねえ。見かたが変われば人生が変わる…過去を見つめて加齢を嘆くのか、未来を見つめて“今の若さを楽しむ”…のかでは、おそらくこれからの人生は大きく変わってくるでしょう。皺やシミ(加齢)と闘うアンチ・エイジングはやめられないけれど(笑)今は“アンチ”と言うよりは、今あるもの(皺やシミ)への、愛おしさや優しさで、少しばかり接することができるようになったなあ…という気がしています。

 ところが、今のひとときを楽しむ…。今の若さを楽しむ…と言いながら、私自身、何と、忙しく慌ただしい毎日を過ごしていることでしょう。 時に、足を止めて思うのです。“慌ただしいだけの人生では終わりたくないなあ…”と。しかしなかなか“やまらない止まらない”…の繰り返しです。(笑)

 事実、仕事が好きなので、結果的に忙しくなることは確かなのですが、しかし、よく感じてみると、実際は頭の中の方が、実は忙しいんですね。あれをやっておかないと、これをやっておかないと…。あの人は大丈夫かなあ、この人は…と。未来への備えに奔走したり、周りへの余計な気遣いをしたりで、何故か“いま”のこのひとときにおれないときがあるのです。 すると無意識に自分の軸がどんどんずれていきます。ずれてくると体調にきたり、生きる実感が掴めなくなって、やがてテンションがさがってきます。

 さてコラムNo16に取り上げた偶然に出会った、ある女子会グループの興味深い会話を思い出したので、再び取り上げてみます。

A婦人
「・・・(これまでの)10年を100万円で取り戻せるんだったら、買い戻したい気持ちよ!…」

B婦人
「でもねえAさん、10年後には68歳じゃろ…また同んなじことを言うんじゃない? 悔しい!10年を100万円で買い戻したい・・と」

 BさんのメッセージでAさんは気づきます。「ほんと…また同じことを言うんじゃろうねえ。何とか今を充実して生きていかんといけんねえ…」と。 

 考えてみると、私たちもA夫人のように、過去に目を向けて、ああすればよかった、こうすればよかった…と後悔と懺悔の念で、今の大切なひとときを色ぬってしまいやすいですね。あるいは未来への不安に圧倒され“備え”に奔走することで、多くの時間を費やしてしまっているような気もしますね。大切な残りの人生の最初の日の“今日”を無駄にしていることに気付かないままに・・・。

 生きることに迷ったら自分に返る・・・このスタンスを思い出しては、軌道修正し、そう!「いま!今!」と、気持ちに“仕切り直し”をしては、これからも生きていきたいと思います。そして、一日一日を、産声を上げる気持ちで迎え、冒頭のフレーズの“今日の若さ”を楽しむことにします。だって残りの人生の中の一番の“今日の若さ”を楽しまないという“手”はありませんものね・・・。

 次の天風氏のフレーズに思わず笑ってしまいましたが、まさしく!と、共感したことでした。

一度だけの人生だ。だから、今この時だけを考えろ。
過去は及ばず。未来は知れず。
死んでからのことは宗教にまかせろ。
中村天風


*次回のコラムは1月20日前後の予定です。

2015年11月20日金曜日

置かれた場所で咲きなさい

Column 2015 No.30

置かれた場所で咲きなさい
                   - 渡辺和子 -

 渡辺シスターのもとで薫陶を受けた私の従妹から“今晩のテレビにシスターが出演されるから観て下さい”とメールが入り、久々にお話を聴く機会を得ました。すでに88歳というご高齢で、お身体もひと回り小さくなられていましたが、一言一言に年輪の深さと味わいが感じられ、しっとりと私の心に届いたのでした。

 シスターが大切にされているこの冒頭のメッセージは、修道院という環境の中でご自身が、自信を失い先が見えない渦中におられたとき、一人の宣教師から手渡されたという短い英文の詩の一節で、その詩が“置かれたところで咲きなさい…”で始まっていたといいます。

 確かに花々は、おかれた場所で静かに無心に、ただ自分の花を咲かせています。ある花は堂々と、ある花は楚々として…。寒さに震える日もあるでしょう。日照りに耐えねばならない日もあるでしょう。そして季節が終わったら、いさぎよく花びらを落とし、種子を残して命を繋いでいく。

 道ばたに咲いている私はダメとか、薔薇のような華やかさがない私はダメと言って意気消沈している花は見たことがありません。誰も水をくれないと癇癪を起している花々(笑)…を見たことはありません。厳しい自然の中にも、自分の花を精一杯輝かせて、ただ咲いています。その凛とした花たちの生きざまに、いつも私はほれぼれとします。

 勿論人間は、また花とは違うそれは尊い存在です。自分の意思をもち、生きたい人生を選択し、それがうまく起動しなければそれを変えていく意志さえあれば、変えることも可能です。しかも一人ひとりが違った花の輝きをもっています。人間に生まれた幸せを心から感謝したい気持ちです。

 親業のある講座の中に「あなたを花にたとえると…」というワークがあります。グループで順番に一人ひとりに花の名前を付けていくのです。その人をじっと感じていると、ある花のイメージがはっきり浮かんでくると多くの人は言います。興味深いことですが、一人の人にグループから同じ花の名前が挙げられるということはよくあることです。その人が持っている花(華)を人は感じとっているんですね。

 薔薇のような華やかさをもっている人、すみれのような可憐さを奏でている人、ひまわりの花に感じる太陽のような輝きを感じさせる人、百合のような凛とした雰囲気の漂っている人。私たちはみんなみんな花(華)の輝きをもって生まれてきているんだなあと心打たれます。

 しかし世の中には自分の花の輝きに気づかず、あの花ならいいのにこの花ならいいのに…と他の花を羨み、今ある環境を不満に思い、この環境のせいで咲けない…と自分の居場所を求めて、彷徨ったまま一生を終わる人もいます。そんな時、置かれた場所で凛として咲く花々を見習いたいと思う瞬間です。


 渡辺シスターの言葉です 

「…生きていく上には、こんな筈じゃあなかったと思うことが次々に出てきます。そんな時にも、その状況の中で“咲く”努力をしてほしいのです。…どうしても咲けない時もあります。雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくていい。その代わりに根を下へ下へと降ろして根を張るのです。次に咲く花がより大きく、美しいものとなるために…」


 ある青年と出逢った頃、彼はうつ状態にありました「…僕は小さい時から一人でいるのが好きで、本を読んだり模型を作って遊ぶのが楽しくて夢中でした。でも親の理想は違いました。友達がいっぱいいて、勉強ができて、スポーツも得意で…と。親の理想に合わないぼくを見て、親はいつも溜息をついていました…」

 もし、その青年の育ちのプロセスに、心が喜ぶことをやり続けられる環境があり、自分自身の持ち味を生かしていける環境がそこにあったら、必ずやいつか、その青年なりの花を堂々と咲かせていけたでしょう。しかし早咲きの花もあれば、遅咲きの花もあります。実はそれが個性なのです。“自分の持ち味・自分のペースを大切にしてゆっくりゆっくり成長していいのだよ…”と子どもにも、そして自分にも伝えてあげたいものですね。


 松下幸之助氏の言葉です

「…自分には自分に与えられた道がある。天与の尊い道がある。どんな道かは知らないが、他の人には歩めない自分だけしか歩めない道。広い時もあり狭い時もある。登りもあれば下りもある。坦々としたときもあれば、かきわけかきわけ汗することもあろう。…いま立っているこの道。とにかくこの道を休まずに歩くことである。…他人の道に心を奪われ、思案にくれて立ちすくんでいても 道は開けない。道を開くためには歩くのだ。自分の道を。心を定めて。それがたとえ遠い道に思えても、必ず新たな道が開けてくる。深い喜びも生まれてくる‥‥」


 私たちの時間は限られています。他人の人生(花)に心を奪われて無駄に過ごす時間はありません。自分の置かれた場所で、自分の花をどのように咲かせていくのか。蕾のままで諦めるのか、せいいっぱい咲かせていくのかは、すべて私たち次第です。

小さきは小さきままに 折れたるは折れたるままに 
コスモスの花咲く
曻地三郎

ありのままの姿で、決して諦めず、置かれた場所で無心に咲き切らんとするコスモスの健気な生きざまに学ばせてもらいます。

最高の人というは この世の生を精いっぱい
力いっぱい生きた人
坂村真民


*次回のコラムは12月20日前後の予定です。